Title 唐後半期における賜姓ソグド人 --涼州武威安氏と賜姓-- Author(S
Total Page:16
File Type:pdf, Size:1020Kb
Title 唐後半期における賜姓ソグド人 --涼州武威安氏と賜姓-- Author(s) 福島, 惠 Citation 東洋史研究 (2018), 76(4): 651-690 Issue Date 2018-03-30 URL https://doi.org/10.14989/264268 Right Type Journal Article Textversion publisher Kyoto University 651 お 四 三 二 一 は ( . じ わ . ( ( ( ( . ( ( . 二( 一 後 四 三 二 一 二 一 李 賜 め り 賜 李 ) ) ) ) ) ) ) ) 姓 に に 姓 李 獨 記 賜 涼 賜 ︱ ソ 眞 玉 と 面 自 載 姓 州 姓 代 ソ ︱ グ に と ソ の ข 眞 の の 內 ソ 武 賜 グ ド 關 グ 威 グ 賜 涼 の 比 記 容 す 姓 ド 人 後 事 の ド の ド 姓 に と る 人 州 繼 か 人 安 人 武 李 氏 お 者 ら 料 王 問 見 威 玉 安 け 題 た ︱ 氏 ︱ る 料 德 と の 政 差 賜 賜 碑 姓 衣 ・ 姓 列 ︱ 傳 ︱ ソ ・ 墓 グ 誌 の ド 比 人 ︱ ︱ 福 島 惠 ― 101 ― 652 す 二 ア 〇 た 分 る 北 も 厥 る を ~ し る 違 ナ ) め 析 墓 一 の ﹂ ソ ﹁ ~ て こ ソ ﹈ か の に し 誌 ~ 方 な は グ ソ 五 初 活 れ グ ︒ 東 た 中 宋 ︑ の 東 グ 代 に ま こ ら ソ ド ド 突 グ と で の 筆 で 突 ド の ソ す で の 直 人 人 接 厥 デ こ ソ 墓 者 あ 厥 は 系 藩 グ る シ と ﹁ の ろ グ 誌 る の 突 鎭 ド ル ู 來 ィ は 一 " ア ︑ ド を ︑ ︒ " の 厥 (1 體 人 が ク ข ) 致 し 壞 ナ 七 人 網 中 壞 円 ﹂ 制 が ロ す ソ な か 世 だ 羅 國 後 と 下 そ ら ー は グ た 國 る 質 ど ら 紀 と 地 に 以 呼 に の か ド も ド を ฟ 中 に 域 ぶ お 聚 と の 人 子 ู じ の ・ 契 民 頃 め 取 に に か ︒ い 落 な 商 で ﹂ 機 聚 を ら り 移 影 こ て の り 人 と + ら め あ 者 に 落 境 れ ෙ # っ れ 突 鄕 ︑ と る ﹁ 突 を に る う た ら 厥 兵 ソ し 後 や し 易 ︒ 厥 據 墓 者 こ た 六 は の を グ て に ข そ の か 點 誌 は と ソ 州 武 影 ド ソ の た ら と を 一 で グ 胡 人 い 人 識 グ 後 め し 殘 八 ︑ ド に に ෩ を て 硏 さ ド 裔 に な て し 八 ソ 人 代 中 し 軍 究 れ 人 入 中 た 名 グ が 表 た け 事 は て ﹂ ど っ 國 國 ソ で ド 名 さ 內 ソ て 活 怨 き の (= た 地 グ あ 人 乘 れ に グ 騎 動 た た 一 い る 後 域 ド る の っ 形 ド 射 に な ソ 部 わ 人 ︒ ฺ よ 人 な 參 展 グ ข に た は ソ ゆ に そ 體 う に ど 加 開 ド 入 い さ ︑ グ る っ 變 の 宴 に つ の し を 人 そ わ れ ド ﹁ た ෩ う を ゆ 突 い て 見 に れ 人 て ソ 者 が ち 把 る 厥 て 牧 い せ つ ぞ ) グ あ 生 握 か い の た て い で (= ﹁ た れ ド っ 存 し ソ ら 同 ෩ 樣 い て 上 あ 系 ู た 年 よ ฟ 樣 を 子 る ︑ る グ 民 営 突 ข と 代 う ド に の 備 を ︒ の と 厥 ソ み が と 到 聚 指 え 例 年 考 グ 姓 落 山 ﹂ ら ) し ﹂ っ 摘 た ら え の 下 え ド を や 人 れ て ( た で ソ か ば 石 ・ ら ︑ ︑ す き 安 者 據 あ グ に ︑ 刻 ) ・ 森 れ 七 で そ る た を 點 る ド し 山 部 る 康 と 世 あ れ 男 ︒ ・ 指 よ 人 ︑ 下 料 兩 ﹇ 紀 り 以 性 現 米 す し う が ま ﹇ を 氏 福 ︑ ู 一 在 ・ ︒ ︑ に 活 た 二 用 が 島 ば そ は 〇 の 石 こ 森 見 ︑ 〇 い 指 二 ~ れ 北 三 と ・ の 部 え す 森 〇 た 摘 〇 八 人 こ よ 氏 る る 部 五 硏 以 ・ す 〇 世 後 ~ の ろ う の が 樣 ﹇ ・ 究 る 五 何 言 紀 は 墓 ︑ ・ に ︑ 子 二 二 に 武 ・ 貞 初 誌 ソ 曹 ︑ う 山 を 〇 〇 よ 人 二 ば 觀 に の グ ・ 一 ﹁ 下 指 一 一 っ と 〇 に 四 記 ド 翟 線 ソ 氏 摘 〇 二 て し 一 ソ 年 易 載 姓 ) を グ の し ﹈ ﹈ ︑ て 七 グ 活 內 を を 劃 ド 指 ︑ は は 武 活 : デ 六( 動 容 ( 持 す 系 摘 こ 北 人 第 ィ 三 の を す つ る 突 す れ 後 と ― 102 ― 653 爭 き ろ え 績 る 人 こ に 誌 で こ で ︑ の 上 ﹂ い る ︑ 賜「 れ つ ﹂ き の き ︒ ฺ そ あ で に い の て る 後 に 姓 ま 理 A 部 の っ も ๒ て 對 い が よ ソ で 由 る . で 後 た 重 目 個 は 象 な と ︑ ข 者 グ 5 し ︑ い 一 以 賜 王 六 ︑ 別 外 し 歷 に ド な ︑ 賜 ︑ ︒ 方 影 姓 三 人 に て 代 對 問 彼 姓 つ し は で の ( に 件 ﹂ 知 一 の し 題 ら と か ﹁ ﹁ 歸 を を ら ま い 六 王 て 一 で の い し ู ソ 順 確 取 れ り く 件 與 ( あ 動 う な ข グ し り 一 . て ソ つ : で え る 向 特 グ が か ソ ド 二 た で 上 ) 賜 き 繼 る ︒ を 殊 ら グ 系 五 時 き げ 姓 た ド の 續 も 探 な ︑ ド 突 % の た る 代 と も 姓 パ し の り 事 そ 人 厥 ) 賜 ู の ソ の を タ ︑ (︻ て で た ผ の ﹂ ﹂ 姓 表 に 賜 グ の ( ー D 行 ︑ い で さ 中 ン の を . 1 ︑ 姓 ド ︑ そ ( ︼ わ 古 ︒ そ あ な で を 子 中 二 ) く 賜 人 こ る も 孫 心 の 四 ︒ れ 姓 の い 想 他 件 こ た は の ฺ た 事 筆 定 の と ﹃ が こ め 者 墓 す は : の ︒ い 體 例 で ︑ 三 と 宴 に で が き 誌 る 八 記 か は ソ が ﹁ 賜 代 代 な を ︑ る % の ﹄ ︑ 料 さ グ も 減 後 姓 ) の る 捉 の ︑ 賜 賜 劉 ソ え に ら ド の 少 ข 敬 ෛ グ 殘 人 す ソ 經 B 姓 姓 味 た に の . 傳 ド り の る グ 雲 武 は の を 考 ﹇ が ︑ 事 ﹇ 人 や の 墓 福 の ド 功 二 持 が 察 す 誌 は 人 不 を 賜 例 つ は 皇 島 姓 を 七 宋 い を 二 な ﹂ 立 一 の 代 未 よ 收 ぜ の で て の 見 か だ か 〇 る 七 以 う ら 集 一 か 活 あ た 經 頁 を 影 に で す ︑ る 時 雲 た 見 見 國 七 め ﹈ ︑ あ 姓 る : 彼 か も の に た ら ( に に ユ る 2 に 九 ら ら の 賜 よ い れ ) の ︑ 漢 ー ︒ 李 あ 八 は す や 姓 っ の ︒ ラ な ま た ど れ ︑ て 怨 い を 頁 ( 髙 そ シ た っ う ば 上 一 大 舊 も ︒ 賜 ︑﹈ 兩 祖 ア ︑ っ て な ︑ 記 四 き 劉 そ の そ こ ู 多 っ 彼 の 件 く も こ た く : 書 邦 諸 の ソ 提 た ら 分 ? 賜 民 で は 二 ・ か 賜 グ と の の 類 の ﹃ ら 姓 族 本 姓 し か 墓 二 ド A % 四 < 功 と に 稿 さ た 料 と 誌 B ) つ 治 臣 は 埋 で れ 人 ﹁ い が C ︑ に ๙ ︑ は な の も た 以( ソ う 增 に C 分 鑑 皇 こ 制 . 婁 れ ソ 下 グ 問 加 該 王 類 ﹄ 敬 室 て の グ ︑ ド . 題 す 當 す を へ の い ﹁ ド 賜 姓 か が る し 內 る > の 姓 く 賜 人 姓 を ら 疑 こ な で こ べ 賜 を ෭ 姓 の ソ ( 未 問 と い の と た 姓 特 ソ 存 グ す だ と は も 勢 が と が に を グ 在 ド る 解 な 理 の 力 で こ 見 功 知 ド は 人 墓 る 解 ︑ ) ︒ ―103 ― 654 【表1】 代の賜姓一覽 賜姓年 賜姓後姓名 本姓名 民族 賜姓の經雲 分類 典據 隋の部下を引きつれて 義寧 1 へ歸屬。宗正を拜し、應 舊98 / 怨 72 1 (617) 李粲丙粲 A 國公に封ぜられ、世祖の名 上・126 以後 をCけて賜姓。 に影る際に、李密の舊領を もって自らの功とせず、李密 に義理を立てた。これを知っ 舊 1・67/怨 2 李勣徐世勣 た高祖が黎州總管、上๑國、D 93 /< 186 武德 2 萊國公をEけ、さらに右武侯 (619) 大將軍を加えられ、曹國公に 封じられ、賜姓。 幽州總管を自稱していたが、 舊 1・56 /怨 3 李藝 羅藝 に歸屬し、燕郡王に封ぜら A 92 れ、賜姓。 に歸屬し、石州總管・彭 舊 1・56 /怨 4 李季眞 (※ 1) 劉季眞 稽胡 A 王をEけられ賜姓。 87 /< 188 に歸屬したのち、東南G 行臺尙 書 令、江 淮 (以 南) 舊 1・56 /怨 5李伏威 杜伏威 A 安撫大+、上๑國、吳王を 92 /< 188 武德 3 Eかり、賜姓。 (620) 高開Gは燕王を自稱してい たが、に敗れた後、幽州を 舊 1・55 /怨 6李開G 高開G 圍んでいた竇円德を๘い拂 A 86 /< 188 い、北K郡王・上 ๑國・蔚州總 管に任ぜられ、李姓を賜る。 竇円德の行臺尙書令であっ 武德 4 た胡大恩が 大 安鎭から來 7 李大恩 胡大恩 A舊1 /< 188 (621) 影。代州總管をEかり、定 襄郡王に封ぜられ、賜姓。 太宗の劉黑闥K定に從軍し 武德 5 舊 56 /怨 92 8 李子和郭子和 功をあげたことから、右武 B (622) /< 190 衞將軍を拜し、賜姓。 貞觀初 高開Gの亂鎭壓に貢獻。右 舊 199 下/怨 9 李突地稽 突地稽靺鞨 B (627?) 衞將軍を拜して、賜姓。 110 高昌の麴泰が妻の宇氏 貞觀 4 と共に來。宇氏が皇族の 舊 198 ・ 怨 10 李 宇 D (630) 籍を求めたฒ、賜姓し常樂公 221 上 Nに封じた。 貞觀 8 に歸順するにあたって、 舊 198 / 怨 11 李赤辭 拓拔赤辭 党項羌 A (634) 西戎州都督を拜し、賜姓。 221 上 貞觀 12 突厥を安撫するために乙彌 舊 194 上 / 怨 12 李思P 阿 ¡思P突厥 A (638) 泥孰俟利苾可汗とし、賜姓。 215 上/< 195 契丹に松漠都督府を設置。窟 哥は+持ี十州諸軍事・左領 舊 199 下/怨 13 李窟哥 窟哥 契丹 A 軍將軍・松漠都督を拜し、無 219 貞觀 22 極縣男に封じられ、賜姓。 (648) 奚に饒樂都督府を設置。可 舊 199 下/怨 14 李可度者 可度者 奚 度者を右領軍、饒樂都督、A 219 樓煩縣公とし賜姓。 ―104 ― 655 李敬業の叔父。李敬業がS 垂拱 1 李〔徐〕思 いた際、武后に忠義を盡く 15 武思 B 怨 93 /< 203 (685) し、賜姓。天E 2年 (691) に吿發により徐姓となる。 李旦 武則天がU神皇となり、睿 16 武旦 C 怨 4/< 204 (睿宗) 宗を皇嗣として、賜武姓。 高祖の女。武則天の革命の 李 際、巧媚でよくW奉し、則 17 武 C舊183 (千金公N) 天を母として安大長公N となり、賜武姓。 武氏の符瑞を稱してまさに 舊 186上/< 18 天E 1 武藝傅藝 革姓命すべしと上書した C 204 (690) ことから、革 命 後、賜武姓。 官 人の束帶の 亂 れについ 舊 186上/怨 19 武家臣 來子珣 て、則天のෛに添う裁きを C 209/< 204 して、賜武姓。 20 武長倩 岑長倩 C < 204 21 武勗張勗C武后の革命時、重臣に賜武姓。 < 204 22 武神勣丘神勣C< 204 23 武光順 李光順 C < 204 24 天E 2 武守禮 李守禮違懷太子の子。 C < 204 25(691) 武守義 李守義 C < 204 26 武 長信縣N 不。D< 204 契丹を討った功により、左 久視 1 舊89 / 怨 27 武楷固 李楷固 契丹 玉鈐衞大將軍、燕國公とな B (700) 115 /< 207 り賜武姓。 28 武 契苾の妻 D 怨 110 武后ข 李 (契苾何 不。 29 武 D 怨 110 力妻) 直言の士をใけるため、桓 神龍 1 舊7・91 /怨 30 韋彥範桓彥範 彥 範 を 扶陽郡王・特 W と C (705) 120 し、賜韋姓。 太K公Nの子。太K公Nが 開元 1 玄宗から死を賜るが、崇鯵 怨 83 / < 31 李崇鯵〔暕〕 薛崇鯵 〔暕〕 C (713) がしばしば母を諫めていた 210 ため死を免れ、賜姓。 開元 13 年 (725) 黑水靺鞨 開元 16 に黑水軍を置き、大部落 舊 199 下/怨 32 李獻_ 倪屬利稽 黑水靺鞨 A (728) を黑水府とし、首領を都督 219 とした。開元 16 年に賜姓。 天寶 12 衆をいて內附し、朔方軍 舊 187 下/怨 33 (753) 李獻忠 阿布思 突厥 に隸屬。朔方ี度副+、奉 A 193 /< 216 (※ 2) 信王となり、賜姓名。 天寶 14 蘇毗王の子、悉諾邏を懷義 怨 216 上/< 34 李忠信 悉諾邏 吐蕃 A (755) 王として賜姓名。 217 至德 2 安重璋→安 安祿山と同姓を恥じて、自 舊 132 / 怨 35 李 玉 D (757) 玉 ら陳べる。 75下/< 221 ― 105 ― 656 乾元 1 紇設伊俱b 王の紇 設 伊 俱b施 が來 36 李 識 A 怨 221 下 (758) 施 し、賜姓。 乾元 2 朔方の將となり、勞を積み雲 37 (759) 李國臣 安國臣 B 怨 136 麾大將軍にされ、賜姓。 以ู 思に捕まるも脫出し、 乾元 2 に再歸屬。開府儀同三司、殿 38 李忠臣 董秦 A 舊 145 /< 221 (759) 中監同正、隴西郡公となり、 姓名を賜る。 安 軍から投影し、開府儀 張忠志 (張 舊 11・142 / 寶應 1 同三司、檢校禮部尙書、恆 39 李寶臣 d 高 の 假 奚 A 怨 75 下・211 (762) 州刺 (德ี度+) とな 子) /< 222(※ 3) り、賜姓名する。 大曆 5 尙可孤→魚 鮮 卑 宇 魚恩の假子であったが、 40 李嘉勳 D 舊 144 /怨 110 (770) 頃 智德 の別種 恩が死んだ後、賜姓名。 吐蕃から北庭を守り賜姓。 大曆 7 舊 11・120 / 41 李元忠 曹令忠 怨 137 は建中2年(781) と B (772) 怨 137 する。 K涼のgで功あり。母の喪 貞元3 安元光→駱 42 李元諒 の後、右金吾衞上將軍で官 B 舊 144 /怨 156 (787) 元光 に復歸し、賜姓名。 貞元 5 李懷光の功で、懷光の外孫に懷 舊 13・121 /怨 43 李承緖 茹燕八八 渤海靺鞨 D (789) 光を繼ぐことをめて、賜姓名。 224 上/< 233 奚の首領索低を右武衞將軍 元和 3 舊 199 下/怨 44 李 索低〔氐〕奚 同正とし、檀・薊州奕兵馬 A (808) 219 +をEけ、賜姓。 元和 4 奚の首領沒辱孤にK州游弈 45 (809) 李 沒辱孤 奚 A 怨 219 兵馬+をEけ、賜姓。 (※ 4) 元和 4 年 (809) 王承宗のS を鎭壓するのに功があり、6 元和 6 舊 14・161 / 46 李光W 阿跌 稽 年 (811) に銀靑光祿大夫、 B (811) 怨 75 下・171 檢校工部尙書、單于大都護、 振武ี度+となり、賜姓。 長慶 2 l臣田弘正を殺した功で橫 47 李ฺ略 王日鯵 B舊16・143 (822) 海軍ี度+となり、賜姓名。 舊 18 上・195 48 李思忠 嗢沒斯 廽鶻 A /怨 217 下/ < 246 廽鶻の 3 部がに影伏し、溫 會昌 2 沒斯には、歸 義 軍+、懷 ෩郡 舊 195 /怨 217 49 (842) 李思貞 阿歷荏 廽鶻 A 王をあたえ、その特勤 (<治 下/< 246 (※ 5) 李思義 〔思惠〕 ๙鑑では弟) たちに賜姓。 舊 195 /怨 217 50 q勿啜 廽鶻 A (※ 6) 下/< 246 李思禮 〔思恩〕 舊 195 /怨 217 51 烏羅思 廽鶻 A (※ 7) 下/< 246 ウイグルの宰相耶勿を歸 耶勿弘順 舊 18 上・1 95 / 52 李弘順 廽鶻 義軍副+、檢校右散騎常侍 A (※ 8) 怨 217 下 とし、賜姓名。 ― 106 ― 657 會昌 2年 (842)張仲武が廽 會昌 2 廽 鶻 阿 布 鶻を破り、李茂勳は本部の諸 舊 180 /怨 212 53 (842) 李茂勳 B 思 侯王と共に影伏。その後武功 /< 252 以影 から賜姓名。 南詔との國境西川で六姓蠻 咸๙ 8 を伐つ時に卑籠部はに協 54 李 卑籠部 A < 250 (867) 力し、この地域の刺 に任 ぜられ、賜姓。 龐勛の亂で武功をあげ、大 舊 19 上/怨 75 咸๙ 11 55 李國昌 朱r赤心 沙陀 同郡ี度+を拜し、q王屬 B 下・218/< (870) 籍と里第を得て、賜姓名。 251 黃巢の亂で功あり、京西 中和 2 面都瓜、檢校司空、同中書 56 李思恭 拓拔思恭 党項 B 怨 221 上 (882) 門下K違事に加えて太子太 傅・夏國公となり、賜姓。 光w 2 朱珠の亂で功があり、武定 57 李茂貞宋๙ B < 256 (886) 軍ี度+となり、賜姓名。 宦官楊復恭の養子。昭宗に 德 1 胡弘立→楊 よって、復恭をใけるため 舊 184 /怨 208 58 李順ี C (888) 守立 に鎭海郡ี度+、同K違事 /< 258 をEけられ、賜姓名。 昭宗を監禁した劉季営を捕 天復 1 らえ、檢校太保、同中書門 59 李繼昭 孫德昭 C 怨 208/< 262 (901) 下K違事、靜海ี度+とな り、賜姓名。 昭宗を監禁した劉季営を捕ら えた功により邕州刺 、邕管 60 李繼誨 承誨 C < 262 ี度經略+、( 嶺南西Gี度 +)、K違事となり賜姓名。 昭宗を監禁した劉季営を捕 らえた功により、容州刺 、 61 李彥弼董從實 C 怨 208/< 262 容 管 ี 度 等 + (z寧ี度 +)、K違事となり、賜姓。 天復 2 張濬の子。朱ฺ忠を討たせ 62 (902) 李儼 張仕吳 る際の記事に賜姓されてい D < 263 以ู たことが記される。 功によって賜姓。李懷光の 渤海 舊 121 /怨 224 63不 李嘉慶 茹常 父。<治๙鑑は李懷光の功 B 靺鞨 上/< 223 で賜姓とする。 舊=舊書、怨=怨書、<=<治๙鑑。續く數字は卷數。武・韋時代は李姓が賜與された事例が見られ ない代わりに武・韋姓が與えられているため、ここでは武・韋姓の賜姓を含めた。また、本 表は賜姓され た本人のみを列擧した (その親族や子孫は不揭載)。なお、怨 206 によると賀蘭敏之は671年以ูに賜武 姓であるが、武氏の相續問題にค因する賜姓のためここでは除く。( ※ 1) 名を舊 1は孝眞とするが、舊 56・怨 87 では季眞とする。( ※ 2)舊187 下は天寶 12 歲 (753)、< 216 は天寶 11 歲 (752)3とする。 (※ 3) < 225 によると大曆 13 年 (778) に張への復姓がめられ、 14 年再度賜姓された。( ※ 4 ) 怨 219 では元和元年 (805) のことに見えるが、ここでは册府元龜卷 964 に從う。( ※ 5)舊18 上・< 246で は會昌 2年 (842)、舊 195では會昌3年 (843) とする。( ※ 6・7) 舊 195では思惠・思恩、< 246では思 義・思禮とする。また舊 195に烏羅思の名は見えない。( ※ 8 ) 舊 195は愛耶勿、< 246は愛r勿とする。 ―107 ― 658 ู 西 で D 固 七( 年 の ろ 以 分 に で 九( ) の 囘 あ ︑ 懷 五 の ま よ ︑ 下 類 賜 に き 件 ඃ る 恩 河 ず う 姓 李 に で C 姓 反 る : そ 七 は を 渾 の ) 西 ︑ に お は の が し ︒ 一 の 安 (6 ) 四 占 瑊 後 亂 肅 の 李 な ) 玉 け ﹁ 王 行 た 第 ・ る 賜 わ 勢 一 % 領 を 代 ︑ 宗 戰 る ( し 吐 吐 か い 玉 ︒ 李 も ﹁ 姓 內 れ 力 に ) 宗 で て 蕃 擁 蕃 ら で は 元 と 賜 ソ で て が 隋 の と の ︑ 忠 の 姓 グ の い 歸 末 あ い 立 李 姓 た ฆ の 姓 功 ソ ド 勢 る 順 る に も( 名 ︒ た 襲 貢 戰 を 績 以 は グ ( 人 力 こ し 初 と 二 と た に 各 め か 獻 い 賜 か ู 安 ド ) ﹂ 爭 ら か の 人 を が 場 自 分 ︑ ら し で っ 姓 重 賜 い ( 分 合 立 類 ウ 救 て 功 た 名 ら 名 璋 3 ﹂ 姓 見 に ) か が し を イ っ ︑ 績 を 代 は ) を ソ て よ を ( 賜 々 ・ ﹃ み る あ て さ グ た 寶 分 曹 李 グ る 上 類 り 涼 令 舊 た 賜 ︒ り い ら ル 功 應 ( 國 ド げ D ︑ 州 忠 7 い 姓 分 ︑ た に に 績 功 ) 臣 人 ( ) そ 武 ) 書 ︒ 類 こ 勢 詳 G か 臣 8 た ︒ は ) の 威 の ﹄ B れ 力 し を ら と ︒ 李 も( ・ ︑ 李