Groovyvol. 54
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KJFC (九谷ジャズファンクラブ )会報 www.kjfc.info GROOVYVOL. 54 2012.6.23 ジャズ喫茶・ライブハウスの話題 ハービー・ハンコック研究 1 CONTENTS 〔連載〕 ジャズ喫茶・ライブハウスの話題 第 2 回 Kjfc2ndAlt ・・・ 1 ハービー・ハンコック研究・第 202020 回回回/ 回///高木信哉高木信哉高木信哉・・・ 6 〔例会レポート〕 8 フィリー城 石井宏一 紅 我蘭堂 Y.S. Y.T Kjfc2ndAlt 他 表紙及び本文中イラスト制作(一部ロゴマーク除く)・・・・・水戸守敬一郎 無断転載はかたくお断りいたします。 印刷・製本:文京堂 東京都文京区本駒込 1-10 -4 電話 03 -3941 -4508 ジャズ喫茶・ライブハウスの話題 第2回 Kjfc2ndAlt 新宿「新宿「BIRDLANDBIRDLANDBIRDLAND」」」」 ジャズ喫茶、アメリカのジャズ・クラブの名前シリーズ4回目は、新宿二丁目にあった「BIRDLAND」。 マスターは酋長と呼ばれていたそうですが、二度目に行った時はもう店はありませんでした。 「BIRDLAND」という名前のお店は今でも赤坂他各地にありますね。 チャーリー・パーカーのニックネームに因んで命名されたニューヨークの BIRDLAND では カウント・ベイシー、コルトレーン、アート・ブレーキーほか多くの録音が残されています。 ピー・ウィー・マーキットのかん高い声の MC が耳に残ります。 ジョージ・シアリングの「ララバイ・オブ・バードランド」は名曲、名演です。 人気のあった BIRDLAND も65年にはロックの波に押されて閉店になりました。 しかしながら閉店から21年後の1986年にニューヨークの BIRDLAND は再開を果たしていま す。 チャーリー・パーカーは BIRDLAND について”The Jazz Corner Of The World”と言ったそうで す。 自由が丘と大阪の「5自由が丘と大阪の「5SPOTSPOTSPOT」」」」 ジャズ喫茶、アメリカのジャズ・クラブの名前シリーズ5回目は、当然「FIVE SPOT」です。 東京の自由が丘にジャズ評論家いソノ・てルヲ氏が経営されていたライブハウス「5SPOT」がありました。 店内にはジャズメンを描いた大きな絵が何枚も掲げられていました。 大阪万博があった時に初めて大阪に行きました。 その時に行ったジャズ喫茶がやはり「5SPOT」でした。 マッチを見ると道頓堀と心斎橋にありますが、どちらに行ったか覚えていません。 道頓堀店の地下には「ARGO」というレストランもありました。 ニューヨークの「FIVE SPOT」でのライブ録音はエリック・ドルフィーや セロニアス・モンクやペッパー・アダムスなどにあります。 カーティス・フラーの「BLUES ette」に入っている、ベニー・ゴルソンが作曲した 「Five Spot After Dark」もまた名曲、名演だと思います。 原宿原宿原宿の原宿 のののJAZZ CLUBCLUB「「「「KEYSTONEKEYSTONE KORNERKORNER」」」」 サンフランシスコのジャズ・クラブ「Keystone Korner」が1991年に「Keystone Korner Tokyo」として原宿にもできまし た。 早速その年にマル・ウォルドロンの演奏を聴きに行きました。 その後アニタ・オディも出たので行きたかったのですが、行きそびれたので残念でした。 このクラブはあまり長くは続かなかったようです。 マッチ箱は無いのでメンバーズ・カードです。 サンフランシスコの「Keystone Korner」でのライブ録音はズート・シムズの「On The Korner」で聴く事が出来ます。 1983年ズート・シムズが59歳亡くなる2年前の演奏です。 1 渋谷の JAZZ CLUBCLUB「「「「EVANSEVANSEVANS」」」」 アメリカのジャズクラブ名の店が種切れになりましたので、 今度はジャズ・ミュージシャンに因んだ名前の店。 渋谷にあったジャズクラブ「EVANS」 マンションビルの一室にあった小さなクラブでした。 「EVANS」という名前のミュージシャンはギル・エヴァンス他大 勢いますが、 勿論ピアニストの「BIL EVANS」に因んだ名前なのでしょう。 アルバムを一枚挙げるとすれば「PORTRAIT IN JAZZ BILL EVANS TRIO」でしょうか? 渋谷、道玄坂 Music InnInn「「「「OSCAROSCAROSCAR」」」」 渋谷の道玄坂に Music Inn「OSCAR」がありました。 出演していたのは宮間利之とニューハード・オーケストラ。 若干21歳の土岐英史が入団したばかりで、ソロイストとして紹介され ていました。 ということから、行ったのは1971年始めでしょう。 そのころニューハード・オーケストラは毎月1回 OSCAR には出演して いたようです。 「OSCAR」というのは「Oscar Peterson」のことで良いのでしょうか? アカデミー賞の「オスカー像」のことじゃないでしょうね。 Oscar Peterson の演奏を初めて聴いたのは63年に日本では「オスカー・ピータ ーソン・トリオの真髄」として 発売された「The Trio」と「Sound of The Trio」の2枚組みのアルバムでした。 FM 放送が試験放送として放送されていた頃で、当時は放送内容もジャズの LP の表と裏を 全てコメントもなく流している時間がありました。 ありがたいことでオープン・テープのレコーダーに沢山録音して繰り返し聴いてい ました。ジャズを聴き始めた頃で、猛烈な速さでピアノを弾きまくる演奏に感心し ていました。 仙台「COUNT」 会社に勤務中、勤続15年のご褒美で会社から旅行券を頂きましたので仙台、松島、平泉に行って来ました。 そのときに寄ったのが仙台のジャズ喫茶「COUNT」でした。 アルテック A5のスピーカーから流れる音は今までで1、2を争う大音量で迫力がありました。現在も健在ですね。 名前の由来はビッグ・バンドのリーダーCount Basie でしょう。 カウント・ベイシーで一番好きなアルバムはクインシー・ジョーンズのアレンジによる 「This Time By Basie」です。 前回 FM 放送試験の話をしましたが、このLPもその当時放送された1枚です。 ジャズ喫茶仙台「COUNT」に行けば、一関「BASIE」が行かなければなりませんが、 残念ながら一関を通過して平泉まで行ってしまい、今だに行く機会がありません。 どなたか行かれた方に紹介をよろしくお願いします。 2 大阪、梅田「FUNKY」 やはり大阪万博の時に行ったジャズ喫茶です。 4Cannel 4Way と書かれているのでオーディオには力を入れていたのでしょうが音 についての記憶はありません。 マッチ箱が細身横長の珍しい形です。 高松、高松、JazzJazz SpotSpot「「「「FourFour BeatBeat」」」」 会社では殆んど出張は無かったのですが、少ない中の1回が高松でした。 某大学教授のお伴で高松大学で行なわれた統計学会というのに参加しました。 学会が終わってからの懇親パーティを早々に抜け出して行ったところが Jazz Spot「Four Beat」でした。 マスターがスティックを持ってジャズを聴きながらカウンターを叩いていました。 「フォー・ビート」というお店は東京、早稲田にもありました。 何か関係があったのでしょうか? 一度だけ行きましたが、こちらはマッチはありませんでした。 南紀州、白浜の「ジャズと酒をともに楽しむ店、画房」 ‘65年頃でしょうか、学生時代に友人と南紀州を旅行した時に 白浜でたまたま「MODERN JAZZ」の看板にひかれて入った店。 「画房」の名前の通り沢山の絵が飾られた中でジャズが鳴っていました。 マッチには本物の絵具が塗りつけてありました。 絵画とレコード・ジャケットで印象深いのはエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ ロマンド管弦楽団の演奏するストラヴィンスキー「春の祭典」のLPでした。 フランスの画家アンリ・ルソーの「蛇使いの女」が使われていました。 この絵は同じくスイス・ロマンドによるベルリオーズの「幻想交響曲」でも使わ れました。 どちらも幻想的な音楽と絵画でうまくマッチしています。 この絵は5年ほど前に日本に来ましたね。 高さ180cmくらいのかなり大きな絵でした。 ジャズのレコードでなくて残念ですが、油絵が使われたものは何かあるのでしょうか? ジャズでは有名なイラストレーターのものはありますが。 ジャズ喫茶めぐりも地方へ行く機会はあまり無かったので、地 方はここでもう終りです。 どなたか行かれた方はご紹介をお願いします。 千葉「エル・グレコ」 絵画つながりで、千葉にあったジャズ喫茶「エル・グレコ」。 どうしてジャズ喫茶なのにこの名前にしたのでしょうか? マスターの好きな画家だったのでしょうか? 73年頃一時幕張に住んでいたことがあったので、そのときに千葉の「エル・グ レコ」へ行きました。 「エル・グレコ」の名前にしてはグレコの絵が飾られていたような記憶はありません。 「Modern Jazz」という言い方も懐かしいですね。今では「Classic Jazz」になってしまいました。 今回もまたジャズからまた脱線してしまいますが、三大テナーならぬ世界の三大名画といえば スペインではトレドにあるエル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」がその一つに挙げられます。 壁画なのでかなり大きな絵です。 ちなみにエル・グレコの「受胎告知」という名画は倉敷の大原美術館の所蔵となっています。 大正時代に倉敷紡績の大原孫三郎氏が購入した絵画の一つだそうです。三大名画については諸 説ありますがこちらを参考に。 http://okuizumi.jp/blog/2009/02/post-85.html 3 浦和「曼荼羅」 72年頃ジャズ批評社の特集号「日本列島ジャズの店」に浦和のジャズ喫茶「曼 荼羅」の紹介が出ていました。 当時国産では最高級といわれたYL音響のオールホーンのスピーカーシステ ムを使い、低音用には4mの折り曲げホーンを使用と書かれていたので、興味 を持っていました。 ある土曜日の午後「曼荼羅」行ったら、YLのオーディオがある3階では芝居を 上演中で、残念ながらわざわざ聴きに来たオーディオシステムは聴けないこと になっていました。私のマッチには3階小劇場となっていますが、他のサイトで 見た古そうなマッチには3階リスニング・ルームとなっています。変わってしまっ ていたのでしょう。 2階で1時間ほどジャズを聴いて帰りがけに階段下に貼ってあった芝居のポスターに「早稲田小劇場」と書いてある のを見て、上野駅まで行く車中にふと高校の同級生のことを思い出しました。 柔道部の部長でありながら文化祭ではクラスの運動部仲間を集めて演劇の演出をし、 主役を演じ、卒業後は早稲田大学の演劇科に入り、その後は日活に入った同級生が いました。 気になったので電車が上野に着いたらすぐに公衆電話で(携帯のない時代)電話を 掛けたところやはりその同級生でした。 彼は頬ひげ、顎ひげを生やし、私は高校生の頃は掛けていなかった眼鏡を掛けてい たのでお互いに気付かなかったのでしょう。 その後74年に、店は中央線の吉祥寺に移転し現在のライブハウス「曼荼羅」になり ました。 今では他に「MANDA-LA2」、「青山 MANDALA」なども加え、淺川マキ、カルメン・マキ、三上寛、たま、など個性的 なアーティストや新人の出演で人気のライブハウスとなっています。 昨年、青山 MANDALA でジャズ・ライブを聴きました。 我々のバンドの師匠(tp)伊勢秀一郎さんと、私の中学時代の同級生の息子さんの佐久間勲さん(シャープス・アンド・ フラッツのtp)がメンバーに入っている「Music Magic Orchestra」というビッグバンドのライブでした。携帯の写真で不鮮 明ですが、写真のトランペッターは左から菊地成浩さん、佐久間勲さん、羽毛田耕士さん、伊勢秀一郎さん、サックス は内山正博さん、佐藤達哉さん。皆さん主にビッグバンドで活躍の方々でした。 鎌倉「スイート・ママ」 4年ほど前に鎌倉に観光アンド、ジャズスポット巡りに出かけました。 まず始めに鶴岡八幡宮に行きました。その近くにあった店が「スイート ママ」です。 1階が陶器屋さんで2階に喫茶室があり、週末にはジャズ・ライブが行なわれるということです。 その週末にはアルト、バリトン、サックスの菅野浩さんと若いピアニスト川久保典彦さんのバンドが出演予定となってい ました。 看板にコーヒー、ギャラリー&ピアノとある通り、2階には陶器や絵が飾られ、グランドピアノが置かれていました。 ピアノの横の壁にはビリー・ホリディの写真も掛けられています。 入ったときにはエラ・フィッツジェラルドのボーカルが流れていました。 4 鎌倉「P鎌倉「Peeeergola」rgola」 鎌倉観光で次に向かった所は鎌倉といえば大仏様。小学生の頃以来、何十年ぶりかの訪問です。 大仏様まで行く途中に瀟洒な建物のライブハウス「Pergola」はありました。 鎌倉駅から歩いて20分位とかなり離れているのでちょっと不便な場所でした。 昼食時でしたがお店はすいていました。 店内にはライブがいつでも出来るようにグランドピアノ、ドラムセット、ギターなどが備えられていました。 2007年3月に行ったのですが、ネットで調べた所、このあと7月にはもう閉店したようです。 立派な設備の整った店だったのに惜しいことです。 鎌倉鎌倉鎌倉Jazz SpotSpot「「「「IZAIZAIZAIZA」」」」 鎌倉ジャズ喫茶めぐりの三番目は「IZA」。 看板を見ると正式には「JAZZ IZA SPOT」と書きます。 1975年に開店しましたが一時休業して1998年に再開業しました。 長谷の大仏様を拝観した後にまた鎌倉に戻り、午後5時の開店時間を見て入りました。 こじんまりしたお店ですがオーディオは大きなアルテックのA7とマッキントッシュのアンプが入っていて本格的です。 壁に映画音楽「危険な関係」のレコードジャケットのイラストが張られているので伺うと、マスターのご趣味でイラストを 書かれるというお話でした。 それでマスターがデザインされたお知り合いの方のお店のマッチを頂きました。 素適なイラストです。 後から入ってこられた女性のお客様はジャズ・ピアニストで最近CDを出された方だそうで、マスターがそのCDを掛け て下さいました。 ピアニストは上田道世さん、ベースは David Ledford さんでタイトルは「A CONSTELLATION」。 話をしていると偶然にもそのCD発売記念ライブでは、KJFCがお世話になったベーシストの伊藤潮さんと演奏された ということでしたので、記念に1枚買わせて頂きました。 上田道世さんのHPはこちら。 http://michiyo-ueda.com/about/index.html 5 ハービー・ハンコックハービー・ハンコック研究研究・・・第・第 202020 回 (“ Retrospective of The Music of Herbie Hancock ”) 高木信哉 (1980:“サタデー・ナイト”) HERBIE 1980 録音日 /タイトル /演奏者 (レーベル名) 1980. 9.23~26 Black Pearl / Tatsuya Takahashi & Tokyo Union (Zen) 1980 Monster /// Herbie Hancock (Columbia)(3(Columbia)(31111作目) 1980.Aug~1981.Jan Word Of Mouth / Jaco Pastorious (Warner) 1980 What Cha’ Gonna Do For Me? / Chaka Khan (Warner) 1980 Give Me The Nigtht / George Benson (Warner) 1980 Marching In The Street / Harvey Mason (Arista) 1980 By All Means / Alphonse Mouzon (Pausa) 1980 Two Places At The Same Time / Ray Parker Jr. And Raydio (Arista) 1980 The Dude / Quincy Jones (A&M) 1980 年は、ビートルズ関連の事件で幕を開けた。 日間、日本武道館でコンサートを行った。いずれも超満 1 月にポール・マッカートニーが来日したが、大麻不法 員で、ライブの模様は『ハウズ・エブリシング』と題し、L 所持のため、成田空港で逮捕され、来日公演が中止に P化された。 なった。また 12 月 8 日は、ジョン・レノンが殺害された。 1980 年のジャズ界の最大の話題は、トランペッターの その日の夕方、レノンのファンであるマーク・チャップマ ウイントン・マルサリスがデビューを飾ったこと。ウイント ンは、レノンにLP『ダブル・ファンタジー』を差し出し、サ ン(当時 18 歳)は、1980 年 7 月にスタートしたアート・ブ インしてもらった。ところが午後 10 時 50 分、再びレノン レイキーとジャズ・メッセンジャーズ・ビッグ・バンドで本 に近づいたチャップマンはレノンを銃撃した。4 発が命 格デビューを飾った。同ビッグ・バンドには、兄ブランフ 中し、レノンは 40 歳の生涯を終えた。 ォード・マルサリス(as)、ケビン(g)とロビン(tb)のユー ジョン・レノンとハービー・ハンコックは、1940 年生まれ バンクス兄弟も参加し、さながら有力新人たちによるグ の同い年だった。才能のあるレノンがまだ生きていれば ループの様相を呈した。中でもウイントンの圧倒的な演 とつくづく凶行を悔やむ。 奏能力は驚異的で、ハービーも注目していた。 米国では 11 月、元俳優のロナルド・レーガンが、第 40 1980 年のハービーは、相変わらず大忙しだったが、 代大統領に選出された。 日本には来日しなかった。 ジャズ界では、9 月 5 日、ピアニストのビル・エバンスが 31 作目のアルバム『モンスター』を吹き込んでいるが、1 亡くなった。享年 51 歳の若さだった。 曲目の「サタデー・ナイト」には、カルロス・サンタナが参 日本では 10 月、歌手の山口百恵が 21 歳の若さで引 加している。前年から始まったコラボレーションは続い 退し、翌 11 月、俳優の三浦友和(当時 28 歳)と結婚し ており、「いつか一緒にツアーしたいね」と二人はプラン た。 ニング中であった。 12 月には、ホームラン王の王貞治(当時 40 歳=王貞治 ハービー・ハンコック、カルロス・サンタナそして驚異の はハービー・ハンコックとジョン・レノンと同い年)が引退 新人、ウイントン・マルサリスが合体し、来日するのに した。ジャズ界では、渡辺貞夫が、7 月 2 日~4 日の 3 はあと 1 年間待たねばならなかった。 6 <アルバム解説 by 高木信哉> 『 Monster / Herbie Hancock 』 1. Saturday Night 2. Stars In Your Eyes 3. Go For It 4. Don’t Hold It In 5. Making Love 6. It All Comes Around Herbie Hancock( Eu polyphonic keyboard, Clavitar, Waves minimoog, minimoog, Prophet 5, Oberheim 8 voice, Yamaha CS-80, Arp 2600, Hohner clavinet, Rhodes 88 suitcase piano, Steiner EVI, Sennheiser vocoder, WLM organ, Lynn-Moffett drum synthesizer, modified Apple II Plus microcomputer, Roland CR 70, piano ), Wah Wah Watson(g), Freddie Washington(e.b),Alphonso Mouzon(ds), Shiela E(perc), Carlos Santana(g on 1),Ray Parker,Jr.(g on 2), Randy Hansen(g on 4), Alphonso Mouzon(synthesizer on 3), SINGERS: Oren Waters(vo on 3), Bill Chaplin(vo on 6), Greg Waker(vo on 1 and 5), Gavin Christopher(vo on 2 and 4), The Waters-Julia, Maxine, Luther and Oren-(background vocals) ハービー・ハンコックの通算 31 作目のリーダー作。 カ・カーンが参加していた。その関係で、シカゴのファン 1978 年の『フィーツ』同様、全編ディスコ・ミュージックで ク・バンド“ルーファス”とも親しく楽曲を提供している。こ ある。1978 年 7 月に封切られた『サタデー・ナイト・フォ の「スターズ・イン・ユア・アイズ」は、ギャビン、ハービー、 ーバー』の影響は、全世界に普及し、日本にも空前の レイ・パーカーJr.+1 名で共作している。ハービーのソロ ディスク・ブームが到来した。学生からサラリーマン、O は、シンセでビチッと決めたソロを取る。ソロの出だしと L、おじさん、おばさんまでもがフィーバーする時代に突 かを予め考えて臨んだのだろう。5 曲目の「メイキング・ 入した。生粋のジャズ・ファンは困惑したが、時代背景 ラブ」は、再びグレッグ・ウォーカーが歌っている。曲は、 を考えれば、ハービーの一連のアルバムも納得がいく なんとハービーの妹のジェーンとドラマーのアルフォン ところだ。 ス・ムゾーンの共作である。ハービーの妹のジェーンは、 才能豊かな女性で、ハービーに大きな影響を与えた重 さて本作には、4 人のシンガーが参加し、更に 4 人の 要人物である。ロマンティックなメロディで、センチメンタ バック・ボーカルも加わっている。 ルな気分になる。このアルバムは全編シンセのソロば 注目すべきは、冒頭の曲で、その名も「サタデー・ナイ