KISHIDAIA 創刊 100 号記念

KISHIDAIA 100 号に感謝を込めて

東京蜘蛛談話会会長 新 海 栄 一

東京蜘蛛談話会会誌「KISHIDAIA」が 100 号を迎えることになった.1969 年 1 月 に第 1 号(大河内哲二氏編集・印刷)を発行して以来,本年(2011 年)まで 42 年間 にわたり KISHIDAIA の編集,版下作成,印刷,発行,発送に当たられた歴代の編集幹 事,各担当ならびに関係者,また原稿をお寄せいただいた会員の皆様に厚く御礼申し上 げる.そして今日 KISHIDAIA 100 号を発行できるのも,談話会設立の礎となり,40 年の永きにわたり,献身的なご努力と博愛の精神を持って,我々にクモの研究の面白さ, クモの世界の不思議さと奥深さ,さらに解明すべき多くの研究テーマを教えていただき, また 1965 年から 30 年間,ご自宅を例会場として,あるいは教室として,あるいは会 員の交流の場として提供いただいた故 萱嶋 泉先生・満喜様ご夫妻のご厚情とご尽力が あったればこそと,ここにあらためて心より深く感謝の意を表する次第である. キシダイア(Kishidaia)は言うまでもなく,ワシグモ科ブチワシグモ属の名称で, 八木沼健夫先生が 1960 年に発行した「原色日本蜘蛛類大図鑑」の中で,新属として記 載し,日本蜘蛛学の祖である岸田久吉先生に献名した学名である.しかし今,この名前 は,クモの学名であるということより,東京蜘蛛談話会の会誌の名前だと思っている方 がいることを考えると,キシダイアが多くのクモ研究者に認知されていて,クモ研究の 上で大きな役割を果たしていることをうかがい知ることができる. 100 号を迎えてこの原稿を書きながら,キシダイアと言う名前をだれが言い出した のか考えているが,どうもはっきりした記憶が無い.談話会では 1968 年 12 月 21 日 に会誌の発行を決定したことは以前書いたが,その前段として会誌の発行と会誌名を何 にするかという話題は,すでに岸田先生のお宅で蔵書の整理をしながら出ていて,キシ ダイアもその中の候補として挙げられていた.会誌には岸田先生の蔵書目録と,先生の 遺稿,それとクモに関する研究論文を載せる.ページ数は多くなくてもいいから一人 1 号を担当して毎月 1 回出していく.というところまでは良く覚えているが,だれが名 称についての提案をしたのかははっきりしていない.ただ当時のメンバーは全員が Kishidaia の学名を知っていたので皆がそう思っていたことは間違いない.キシダイア と言う会誌名が決定した時,萱嶋先生は大変喜んでおられたので,先生も最初から会誌 名はキシダイアにしたいと考えていたのではないかと,今,思い起こしているところで ある. KISHIDAIA 第 1 号の冒頭,萱嶋先生の「キシダイアの発行にあたって」の文中には 次のような文面がある. 1

「私共は岸田先生の蔵書の膨大であるのに驚き,また,貴重な書物の多いのにも敬 服したのである.さらに岸田先生の未発表の多方面にわたる論文の原稿に接した時, なんと偉大な先生であったろうと,感激した次第である.この先生を何とかして後世 に伝えるのは私共,談話会の仕事ではないかと考えるようになった.そこでレギュラ ーメンバーで知恵をしぼった結果,考えついたのが,キシダイアの発行であった.」

この萱嶋先生の冒頭の挨拶のとおり,岸田先生の部屋には多方面にわたる多数の未発 表原稿が残されており,その中から当時発表可能と思われる原稿を選び順次掲載するこ ととした.キシダイア第 1,2,4 号には「クモの称呼」,第 8 号には「キブネグモの 記」を,第 10 号には「シナノトタテグモ(岸田久吉新称)(カネコトタテグモ)」, 「日本帝国産原始蜘蛛類に就いて」等を掲載している.また第 1~3 号にかけては「岸 田久吉氏蔵書目録(真正蜘蛛類)」を掲載した.キシダイアはその後,談話会員のクモ の研究原稿を中心に次第にページ数を増やし,10 年後の第 44 号は 30 ページ,20 年 後の第 58 号は 91 ページ,30 年後の第 76 号は 102 ページ,40 年後の第 96 号は 112 ページと,第 1 号を発行した時には考えてもいなかった大発展を遂げているので,岸 田先生も萱嶋先生もたいへん喜ばれているのではないだろうか. キシダイアは前述のとおり,岸田久吉先生の業績を後世に伝えるために発行された会 誌である.現在はその目的を果たしつつ,クモ研究者の自由な発表の場として大きく発 展しているキシダイアであるが,100 号に当たり,岸田先生を知る最年少のクモ研究 者として先生について少しふれさせていただく. 岸田久吉先生の研究分野はきわめて広範で,クモ形類,多足類,昆虫類,爬虫類,魚 類,鳥類,哺乳類,さらに菌類など多岐にわたっていた.それは蔵書整理を行った者と して肌で感じている.蔵書は前記分野の他に全ての動物群におよび,植物学の文献も多 数所蔵されていた.未発表原稿も同様に多くの分野にわたり,クモ類では新種記載が多 数存在したが,残念ながら標本がまったくというほど残っておらず,E.Schenkel のよ うな遺稿による新種記載を出すことはできなかった.岸田先生が,日本の蜘蛛学界に残 された業績については八木沼先生が,「黎明期の日本のクモ学」(日本の生物 1987, 1988)の中で記されており,発表論文は H.Ono(2005 Journal of Arachnology, 33: 501-508)の中で全てが記録されている. 岸田先生はその研究分野があまりにも広すぎたため,また様々な雑誌の刊行に携わり, 多くの研究者の指導,論文校閲等にも力を注がれたため,自らの論文や主宰する雑誌な どの編集,発行が滞り,未完の雑誌や未記載で学名だけが先行した種が多く残されてし まっている.そのため,いくつかの研究分野の学者からは批判の声も挙がっているのも 事実である.しかしながら,近年,哺乳類や昆虫類の研究者を中心に岸田久吉の再評価 の動きが広がっている. 2006 年の日本哺乳類学会の自由集会では川田伸一郎(国立科学博物館)・安田雅俊 (森林総合研究所)両先生により「岸田久吉その封印された研究の先見性を探る」が企 画され,その趣旨文は次のようなものである.

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「岸田久吉(明 21-昭 43)は大正から昭和初期にかけて日本およびその周辺地域 の哺乳類の分類学的・生物地理学的な研究を精力的に行い,数多くの著作を残してい る.彼は日本哺乳動物学会(1923)の設立メンバーであり,彼の「哺乳動物圖解」 (1924)は戦前の哺乳動物学におけるバイブルであった.しかしながら彼の研究は 現在文献として知られるものにとどまらず,多くの記載不十分な種名なども残し,結 果としてその後の哺乳類分類学に混乱をもたらしたのも事実であろう.そのことから, 哺乳類学における彼の業績にネガティブな評価がなされることがあるが,本来彼は蜘 蛛類の分類学者であったことを忘れるべきではない.岸田の関心は菌から哺乳類まで さまざまな分類群の分類,分布,生態に及んでおり,哺乳類での研究成果は一つのパ ーツに過ぎないことを考慮すると,彼の業績に対する再評価を余儀なくされる.彼は 戦前日本の博物学におけるスーパーマンであった.……以下話題提供タイトル他略」

「キシダイア」は,この博物学のスーパーマン岸田久吉の名を冠した世界で唯一の会 誌である.キシダイアと東京蜘蛛談話会は,これからも岸田先生の業績はもとより,岸 田門下の植村利夫,萱嶋 泉,吉倉 眞,小松敏宏,白 甲鏞,仲辻耕次,さらにその方々 から指導を受けた八木沼健夫,千国安之輔,中平 清,大熊千代子はじめ多くのクモ研 究者の業績と人物像を後世に伝え,日本のクモ学のさらなる発展のために邁進していく ことを誓い,キシダイア第 100 号発行に当たっての感謝の言葉とさせていただく.

3 KISHIDAIA 創刊 100 号記念

KISHIDAIA 創刊 100 号表紙に寄せて

蜘蛛曼荼羅を思う 小澤 實樹

「もう 100 号!? いや,まだ 100 号!?」表紙図を依頼されて,ふとそんな思いがし ました.するとやがて,あの萱嶋 泉先生の「ウワッハハ・・・」と,大きな笑い声と, 円満なお顔が目に浮かびました. そして今「KISHIDAIA が 100 号」.萱嶋先生はこの号を,どの様にご覧になるだろ う.と,・・・.きっと,この号に至るまでの「KISHIDAIA」を振り返り,天空から 微笑んで見ておられることでしょう. 第 1 号発行の頃,新海栄一さん,松本誠治さんや大河内哲二さん,さらに小野展嗣 さんなどが,先生を囲んでクモ談義に花を咲かせていました.その花ややがてクモ仲間 を集めて,見な事な KISHIDAIA 集団を作りあげました.そして,さらに談話会は大き く成長して,この第 100 号が誕生したのです. プロもアマチュアもなく,常に観察することが尊重され,クモの世界が少しずつ解か れてきたのも,その根底にカヤシマイズムが流れているからでしょう.また近年では, 生物学としてのみならず,クモについての民俗学や文芸の世界にまで及ぶ,興味深い報 文が見られるようにまでなりました. そう云えば,古くギリシャ時代の神話にも登場するクモ.織姫のロマンは,今も生き ています.話は飛びますが,ただ只クモ好きなボクにとっては,クモの形態や生態は, そしてその摩訶不思議なクモ社会は,まさに曼荼羅そのものに思えるのです. クモが作る放射状に延びた細い何本もの縦糸と,巧みに紡いだ横糸との神秘的造形空 間は,人間の科学や芸術を超えているものとも思えます.その上クモは,無知・嫉妬・ 自惚・色欲・憎悪など人間の醜さをも呑み込んで,凛としているかに思えてきます. 糸を持って,時空をも操る魅力の生物・蜘蛛! KISHIDAIA はその一種に過ぎないで しょうが,表紙の図柄は,ヨツボシワシグモに「No. 100」を誇らしげにかかえ挙げて もらいました.クモ,その織姫たちの永久なる生息を祈り,東京蜘蛛談話会と, 「KISHIDAIA」の,益々の発展を心から願っています.

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5 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 KISHIDAIA 創刊 100 号記念文

蜘蛛と私 南部 敏明

私が東亜蜘蛛学会(日本蜘蛛学会)に入ったのは 1970 年のことで,「ATYPUS」は No.53(Feb. 1970)から本棚に並んでいる.東京蜘蛛談話会に入ったのはずっと新し く,1998 年,「KISHIDAIA」 No.74 からのようである.高校時代から蜂の習性を 追いかけていて,その獲物のクモに興味を持ったのがきっかけだった.自分では特に何 もしたことはなく,もっぱら専門家に同定をお願いするという付き合いだった.もとも と蛇は平気で手で掴めるが,クモは嫌いだった.ところが蜂が麻酔して動かないクモを スケッチしたりしているうちに,しだいにかわいいと思うようになった.思い起こして みると,多くの方々のお世話になった.特に多くのクモを同定していただいた方々を挙 げると,植村利夫,大井良次,八木沼健夫,松本誠治,平松毅久の諸先生方であろうか. 都立小石川高校で生物研究会に入り,庭に営巣する蜂の習性を手探りで調べ始めてい た.植村利夫先生が生物の教師をされていたが,私が入学した時は他校に移られており おられなかった.1954 年の文化祭に植村氏が見に来られ,私が出していた蜂と獲物を 見てそのクモを同定して下さった.その後,何回もお宅に伺って,同定してもらったり いろいろお話を伺った.外国の本を見ながら,次々と名前を書いていかれる様子に,専 門家というのはこういうものかと,初めての体験だった.それまで同じ種だと思ってい たナミジガバチモドキとオオジガバチモドキが,獲物によってきれいに分けられること が分かり,2 種が混ざっていたことが分かったということもあった.ネコハエトリ・デ ーニッツハエトリ・ビジョオニグモ・ドヨウオニグモなど綺麗なクモが多数狩り集めら れているのに驚き,それらの名前に親しんでいった.北大へ行ってからも交流は続き, 北海道の日高のクモを送った中にエゾトタテグモが混じっていたり,多くのオニグモを 生きたまま送ったりした.植村先生の「オニグモの変異とその系統及び分布に関する研 究(1961)」には私の送った標本も使われている. 卒業後関東東山農事試験場に入り,三田久男氏と稲の害虫や天敵を調べたことがある が,「吹き飛ばし法」により水田のクモを調べている.よく入るクモに小形のサラグモ 科の何種かがいた.アカムネグモの仲間を同定してもらったのが大井良次氏だった.蜂 の研究も細々と続けていたが,ジガバチモドキ類の獲物なども同定してもらった. どういういきさつで同定してもらうようになったのかはっきりとは覚えていないが, 八木沼健夫氏にお願いするようになったのは,試験場を止めて教員になってからである. 埼玉県の秩父への途中,長瀞近くに宝登山神社があるが,そこで初めて見る蜂を採集し た.何回か通って♀♂が揃ったのでその専門家である常木勝次先生に送ったところ,新 種としてナンブジガバチモドキという名を付けて下さった.私の名が学名に残った最初

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だった.翌年細い篠竹や木片にドリルで孔をあけたものを置き,休みごとに通って習性 を調べた.その狩り集めていたクモを八木沼氏に送ったところ,日本では報告のないも ので,新種ではなかったが,ナンブコツブグモという和名を付けてくれた.その後,日 本版のギネスブックの編集委員をされていたことから,日本最小のクモということでハ チの名前ともども,このクモの名前を載せてくれた(ギネスブック 87 年版). ジガバチモドキの仲間にはハエトリグモ科を中心に狩る種類が多い.当時分類が遅れ ていたらしく,特に専門としてやっておられる松本誠治氏に何度か同定してもらった. しかし殆ど幼生を狩っている種類もあり,確定できないものも少なくなかった.我が家 の庭に住んでいるキシノウエトタテグモを見てもらったこともある. 「埼玉県動物誌」の編集・調査員になり,また流行りのように各市町村が町史などの 編纂を行った時期があり,同時に現状を記録に残すということで,植物・動物・地質な どの報告書を出していた.県内に蜂をやる人がいなかったこともあり,同時に 5 つの 市町村を調べていたこともある.神泉村で偶然にカトウツケオグモを見付けたのもそん な調査の時だった.持ち帰って飼育を試みた.クモを飼うのは初めてで,餌の調達に苦 労した.残念なことに産卵せず,49 日後に死亡してしまった.この飼育の記録は私が 編集・印刷している「埼玉動物研通信」No.30(1999)に載せたが,その後,平松毅 久氏の勧めにより「KISHIDAIA」No.77(1999)に転載してもらった.なお,埼玉動 物研通信の方はカラーでより多くの写真が載っている.平松氏は「埼玉県動物研究会」 の会員でもあり,時々クモの報文を投稿してもらったり,蜂の餌となったクモなどの同 定をして頂いている.日本で初めて観察されたコウライクモカリバチの獲物のネコハグ モ,県内での新分布となるキノボリトタテグモなどが思い出深い. 日本のクモも植村先生に見てもらったころに比べると種類数も増え,学名や所属の変 更などもある.私の書いた蜂の習性の報告に出てくるクモも見直しが必要だろう.ナン ブコツブグモの近似種も記載され,ナンブジガバチモドキがどちらを狩っていたのかも 調査する必要を感じている. 最近昆虫学会を始めいろいろ入っている学会をそろそろ退会しようかと思うことが ある.しかしこれも一つのボランティアかと思い,なかなか決心がつかないでいる.ま あ,こんな会員がいるのもいいのではないかと思ったりしている.

私の入会 14 年間の足跡 100 号発行記念にそえて 藤澤 庸助

KISHIDAIA が 100 号の発行を迎えられて誠におめでとうございます.あわせて東京 蜘蛛談話会を創設してくださった故萱嶋泉先生を初めとする諸先生方,および諸兄の意 思を現在のように発展させてこられた皆様に心より敬意を表します. 私が東京蜘蛛談話会に入会したのは,平成 10 年(1998)8 月に日本蜘蛛学会 草津 7 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 の立命館大で行われた大会の折でした.別室に陳列された KISHIDAIA No. 74 を手に とって見ると,すべて和文で書かれているのです.私でも読める!と即刻入会を申し込 みました. 私は日本蜘蛛学会への入会が 1960 年という痩せた古狸ですが,これがまた大変な居 眠り狸でありまして,入会したてのころこそ ATYPUS に投稿しましたが,後はほとん ど会費会員という存在でした.英語がダメな私は,ATYPUS が 100 号で終了した後は, Acta Arachnologica をただ眺めるだけの存在だったのです.その間にもよくもまあ, 生半可の居眠り狸が,市町村からの依頼に応じて地方誌の調査・執筆を引き受けてきた ものです.頼るは八木沼図鑑 86 年版と千国図鑑,大井さんのサラグモ科の記載論文 2 編ぐらいだったのですからひどく乱暴な話です.退職間近こそ新海栄一さんや小野展嗣 さん,松本誠治さんに同定をお願いするようになりましたが,それまでは時々今は亡き 千国先生のお世話になるだけでした.したがって間違いだらけのものを書いていたので す.まさに汗顔ものです.後世に残るものだけに,今もなお辛い思いを引きずっている のです. 大会に参加するようになってからは,談話会員の皆さんはじめ,多くの方とお会いで きて様々なことを学ぶことができました.ヒメグモ科でお世話になる吉田 哉さんとは 2002 年の加治木町大会の折に,小野さんの紹介で初めて会話を交わしたのです.談話 会の創始者・萱嶋 泉先生には,先の立命館大と 2000 年の東大で行われた大会でお会 いしました.いや,正直にいうと私は過去に 1 回だけ参加した,1980 年の八王子大会 でお会いしたかもしれません.驚いたことに先生は私の名を覚えていてくださいました. 東大大会の後「沖縄でお会いしましょう」とお葉書を頂いたのに叶わぬこととなってし まいました. 八木沼先生もそうでしたが,萱嶋先生もアマチュアを優しく包み込んで くださる雰囲気で,私のような者でもすぐ仲間に引き入れてくださって本当に感謝して います. 談話会の合宿に初めて参加したのは,2004 年の増穂町赤石温泉でのこと.新海 明 さんの強いお誘いを受けて参加を決めました.サラグモ科の同定をお願いしている齋藤 博さんが宿の玄関前で待っていてくださいました.そのときの齋藤さんの表情から,私 が若手の新鋭かと期待しておられたように察せられました.既に白髪の身で申し訳ない ことです.そのほかに新たに多くの会員さんとの出会いができ,いろいろ教えを受けま した.合宿では,採集技術をはじめ,知識面でもいかに私が未熟であるかということを 毎年思い知らされどおしです.池田勇介君にも脱帽です.歳を取るとこうも進歩が遅い ものかと我ながら呆れていますが,おかげで少しは六十の手習いの効が奏している気が します.とはいえ北海道では日を間違え,島根と山形は参加する気力が萎え,地元の立 科町では生来の方向音痴が露見し,ツインリンクもてぎでは夜間採集用の懐中電灯を忘 れる始末.そろそろ節目かなあと,案内がくるたびに思っています. さて,KISHIDAIA への投稿についてです.新海 明さんから「クモ類の県別目録を 作成しているので,長野県の資料をまとめて欲しい」というお誘いを数年前から幾度と なく受けていました.県産のクモを明らかにすることは千国先生から私に託された役目

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でもあったのです.県下の各市町村誌と手持ちの標本をもとに種名の整理を続け,2004 年 1 月発行の No.85 に,何とか「長野県産クモ類目録」と銘打って投稿することがで きました.発表後,ただちに疑問種を具体的にご指摘いただいたのが齋藤さんでした. このことがサラグモ科の同定をお願いするきっかけとなったのです.後述する大学の同 期生からは,「目録のデータが県東部に片寄っているのに,表題が大きすぎる」と笑わ れてしまいました.県南部に位置する伊那方面の調査は一応やったのですが,そのまま にしておいたので,前出の諸兄をはじめ,林 俊夫さん,加村隆英さん,田中穂積さん, 井原 庸さん,谷川明男さん,池田博明さんに近年採取の標本も含めて見て頂き,No.91 に第 2 報として投稿することができました.前後して池田博明さんからはクモ生理生 態事典を頂きました.池田さんにはその後も原稿の内容が投稿に値するか助言を仰いだ りしています. 大学時代の生物研究室の同期会では「おれが死んだら,今まで集めた標本やデータ, 発表に至らない観察事例はどうなるだろう.子ども達はゴミに出してしまうだろうな.」 などと会話を交わしている昨今です.私が大学時代に志していた生態研究は,時間はか かるし一人では難しい分野です.信頼性を高めるほどのデータが集まりません.やがて 統計処理の方法も忘れてしまいました. というわけで,私もクモのちょっとした観察事例などを KISHIDAIA に投稿するよう に心掛けているわけです.おやっと興味をそそられるクモ類の動きを観察しても,同じ ような事例に再び出会う機会にはなかなか恵まれないのが普通だからです.そういう事 例も大勢の方から集めれば種独自の習性としての信頼度も高まるのではないでしょう か.ドラッグラインズはそのような意図があるようにも感じられます.若い方々が,多 くの個体を対象に,多くの観察を重ね,検討を加えながら実験も交えて信頼性を高めた 発表をされているのに比べて,何ともお寂しい内容でページを汚しているわけですが, そんな原稿でも採用してくださって感謝しております. こうして入会 14 年目にして 100 号の発行に立ち会うことができ,私にとっても喜 ばしいことです.ご生前の萱嶋先生から「長野県はクモの県として有名な所であります. 千国先生がそばに居られるのでうらやましく思います」というお葉書を頂いたことがあ りますが,現在は非力の私一人が残っているだけです.県ゆかりの著名な方々は幾人か おられますのに,みな県外でご活躍中です.昨年,加藤さんのお膝元で行われた渋谷大 会では京大在籍で長野市出身の院生さんからご挨拶をいただきましたが,談話会には入 会されていないと思います.仕方ありません.小野さんから「日本のクモの研究,もっ とも遅れているのは(中略)本州高地(標高 1,700 メートル以上)だけ」と激励を受 けた長野県から,細々とクモ情報を発信していくつもりですのでよろしくお願いします. 東京蜘蛛談話会が,あの誰にでも親切で気楽に話し合える,包み込むような独特の雰 囲気を維持しながら,会員が増えてますます発展され, KISHIDAIA も今までどおり 充実した楽しい内容で発刊を積み重ねられますようご祈念申し上げます.

9 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 高嶺の花の KISHIDAIA 萩野 康則

私が談話会に入会させて頂いたのは 2003 年のことで,最初に受け取った KISHIDAIA は 84 号であった.初めて見る KISHIDAIA の表紙には,多種多様のクモ の腹部が描かれ,そのすき間を埋めるようにたくさんの横文字の科名と,これまた夥し い数の子グモが配置されていた.数えてみたら腹部が 26 個,科名が 49 科,子グモが 113 頭描かれていた.私はこの,ちょっとアングラ漫画同人誌風の,会誌らしからぬ 表紙に驚いた.しかし一見ラフな手描き風のデザインだが,よく見ると実に凝っている. ワクドツキジ,キジロオヒキ,トゲグモなど,5 種のクモの腹部のシルエットを重ねた り,補助線を入れたり,星を配置してそこから糸を流したり….これらの手法は,素人 にできるものではなく,明らかにプロの仕事である.だから私はてっきりどこかの業者 に発注して作らせたものだと思っていた.ところが実際には本会会員の,元女子美術大 学教授の小澤實樹さんの手によるものであることを知ったのは,随分経ってからのこと である.音大の先生がおいでかと思えば,美大の先生もいらっしゃる.改めて談話会の 会員層の幅の広さを感じた. それ以降,16 冊の KISHIDAIA を受け取ってきた.世の中では書類の大きさが次々 と A4 判に替わる中,今もって B5 判で通しているところが嬉しい.小柄な日本人には B5 判の方が手に馴染むし,かばんにだって入れやすい.大体 B5 から A4 になって何 がいいのだろうか.今まで収まっていた書棚には入らなくなるし,判型が大きくなって 誌面が 2 段組になると,1 段ならすっきり収まっていた学名が,変に間延びして見苦し い.いい思いをしたのは事務用品業者だけだろうと,私は考えている. ところで私は博物館職員という商売柄,来館者の質問対応の際に参考書籍を紹介する ことが多い.相手が子どもの場合は,なるべく児童書を紹介するようにしている.その 関係で,クモや土壌動物に関する出版情報には日頃から注意している.そのように情報 収集していると,クモに関する児童書が予想外に多く出版されていることに驚かされる. そして,それらの中には,子ども向けだから,と侮れない内容の本もたくさんある.そ こで,私はそのような児童書に出会ったときには,できるだけ文章のかたちで紹介する ように心掛けている.そのような訳で,通信には児童書の紹介記事を,何度か書かせて 頂いている.また,砕けた内容の雑文も,何本か投稿させて頂いているし,娘の折り紙 作品も紹介して頂いた. 一方,KISHIDAIA にはほとんど投稿したことがない.エッセイ的な記事は読むのも 好きだし,書くのも嫌いではないので,今回のような記念号に寄せる文章や追悼文は何 本か載せて頂いている.しかし「万年クモ初心者」である私は,クモの専門的な内容の 記事は書いたことがない.ささやかな採集記録を,DRAGLINES に 2 回,投稿しただ けである.本編に投稿したことはなく,そういった意味で KISHIDAIA は私にとって「高 嶺の花」なのである.

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どうやら「万年クモ初心者」から脱却することは,この先も望むべくもなさそうだが, それでもいつかは,何らかのクモに関する報文を,KISHIDAIA 本編に投稿したいと考 えている. 1969 年の創刊以来,40 年以上の永きにわたりコンスタントに発行が続き,本号で 100 号になる,というのは誠に喜ばしいことである.これはひとえに KISHIDAIA 発刊 から現在までの,歴代の編集担当の方々のご努力の賜である.歴代編集担当の皆様に, 心より御礼申し上げます.そしてこれからも,魅力的な KISHIDAIA の発行に,お力添 えをお願い致します.

そして 100 号,されど 100 号 笹岡 文雄

今では復刻版が出ているので,見ている人は多いと思いますが Kishidaia 第 1 号は ガリ版刷り,まさに同好会の手作り会誌でした.(自分は「中途採用」組なので復刻版 での確認です)その後は一時,原稿を書け書け,出せ出せの時代もありつつも,Kishidaia が 100 号を迎えるに至ったのは,ひとえに会員諸氏の情熱の結果と思います. さて私事ですが,ひょんな事から伊豆諸島のトタテグモを始めとしたクモ類の調査を 始めて数年がたちました.採集・同定をするまではともかく,それらをまとめるのに難 儀が待ち構えていました.過去の記録があるかどうかについて,ちょっとたかをくくっ ていた文献調査が以外に落とし穴だったのです.伊豆諸島の目録は仲辻耕次氏の「伊豆 七島産蜘蛛類に就て(東京農業大学農学輯報 1942)」,新海栄一さんのまとめた「東 京都産真正蜘蛛類」(1969),国立科学博物館の小野さんの論文「伊豆諸島のクモ類」 (国立科学博物館専報 2001)の 3 編があれば楽勝と甘く考えていました. 一番始めに調査した大島ではまとめが Kishidaia に掲載された後に,重要な環境アセ スメント報告書に行き当たりました.当然総記録種数やら初記録といった記載が違って しまいました.それに懲りてその後は文献調査をやってからまとめを書くようにしてい ましたが,それでも出てきます.三宅島のまとめの時は Kishidaia 投稿原稿の差し替え の際どさ,編集担当にまで迷惑をかけることになってしまいました. 文献調査は Kishidaia を始めクモ同行会誌は漏れのないよう目を通しています.しか しクモ以外の同行会誌や環境アセスメント報告書などアプローチを変えないと見つか らない上,かつ重要なものが意外に多いのです. その Kishidaia も活字の総目次を指と目で追う作業,他のクモ誌は本誌現物の目次を 1 冊々々目を通すという一昔前の方法です.それらは 40 周年号投稿文で触れた学術情 報データベースへの登録さえあればと嘆くこともないのですが,それは無い物ねだりと いうものです.しつこく言えば Kishidaia の目次情報だけでも何らかの学術情報データ ベースへの登録できないかと願ってやみません.それは近年の質・量の充実し 100 号 11 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 に至る膨大な研究や記録が,会員以外の多くの人の目にも触れることができるようにな ることでもあります.情報を目にすると言うことは裾野が広がり,クモ学の発展に大い に寄与することにもなるでしょう.ちょっと壮大な話になってしまいましたが,おまえ の書くものは論文じゃない散文,と揶揄されても快く?!掲載してくれるその Kishidaia には感謝を忘れるものではありません. この号の 4 つ前,96 号は談話会 40 周年記念でした.また記念号というのでは原稿 のネタ切れかと思いました.とはいえ考えてみれば結婚記念も何かは小刻みにルビーや らサファイアやら 5 年ごと設定されているわけで,あっておかしくないインターバル です. そんなことは無視するとしても 100 号ともなるとそのままスルーという訳にもいか ない数字ではないですか.実は記念号というものは,普段意識しない自分史を考えさせ られるものです.近々今度は談話会 50 周年があって,それからうんと先の 100 周年. そいつはちょっと無理として,せめて Kishidaia 200 号に投稿できるまで生息しない と,と思ってしまう自分の年齢を確認させられるものであるわけです.とはいえ 100 号といわず 500 でも 1,000 号でも Kishidaia が続くよう,また談話会の隆盛ならんこ とを祈念してやみません.

100 号記念,雑感 谷川 明男

なんだかつい最近記念文を書いたような気がする.また 10 年も前のことをついこの 間のことのように感じているのかと思ったが,2 年前のことだった.キシダイア 40 周 年記念だ.今回は 100 号記念だ.この機に,ちょっとした雑感を書きとめてさせてい ただく. 私が初めて分類学的な研究を発表したときの材料はコガネグモダマシ属だった.それ まではコガネグモダマシ 1 種しか知られていなかったのだが,西表島で 3 種,伊豆沼 (宮城県)で 1 種,北海道で 1 種,あわせて 5 種も“別種”を見つけた.見かけはみな そっくりなのだが,触肢や外雌器はまったく異なっていて,迷うことなくはっきりと区 別することができた.コガネグモダマシ属の文献を集め,そこに出ている触肢や外雌器 の図と照合していく.ああこれだ日本新記録だ.おおっ,どれにもあたらない,新種だ. と,とてもわくわくする日々であった.コガネグモダマシの研究で,いかに外部形態が よく似ていても,別種は触肢や外雌器の違いではっきり区別できる.同定のキーは生殖 器だ.生殖器を比較すればわかる.と,脳天気にもクモのことがわかった気になってい た.次に手がけたゴミグモ属の研究で自然はそんな簡単なものではないことがわかりは じめた.ゴミグモ属をまとめているときに気がついたのは,触肢や外雌器はいつでも伝 家の宝刀ではないということだ.ゴミグモとキジロゴミグモとヤマゴミグモは姿を見れ

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ば簡単に見分けられる.しかし,外雌器はとてもよく似ていて区別できない.ゴミグモ の雄とヤマゴミグモの雄とは触肢で見分けることはまずできない.だが姿を見れば簡単 だ.トゲゴミグモとマルゴミグモも外雌器では区別できない.カラスゴミグモとカギヅ メカラスゴミグモもしかり.ミナミノシマゴミグモとヤマトゴミグモは最も厄介な難物 だ.雄は区別がきわめて難しいが,雌は外雌器の垂体と腹部の形で何とか見分けられる と考えていた.しかし,その後,瀬戸内海の小島で採集されたという雌の標本はどちら とも同定できなかった.両者は同種内の変異なのだろうか.でも,両者の卵のうはまっ たく違うのだ.ヤマトゴミグモの卵のうは,だいだい色の糸でできていて緻密にまとめ てあり,小枝に付着させる.一方,ミナミノシマゴミグモの卵のうは,黄色の糸ででき ていて周囲はふわふわとしていて平面に付着させる.ヤマトゴミグモも枝がなくて平面 に産みつけざるをえなくなれば黄色のふわふわ卵のうを作るかもしれないと思って,腹 部の大きな個体を容器に閉じ込めておいたら,平面に橙色の糸で緻密にまとめた卵のう を付着させた.平面に産みつけても黄色にもふわふわにもならなかった.この両者の区 別では,卵のうの特徴が一番あてになる.残念ながら瀬戸内海の小島のクモの卵のうは まだ不明だ.そして最近,東京都本土のヤマトゴミグモと三宅島のミナミノシマゴミグ モ,腹部と垂体の形態でそう判断した,のミトコンドリア COI 遺伝子を比べてみた. すると,約 600 塩基対のなかに相違が 1 塩基もなかったのだ.すなわちこの両者は DNA バーコーディングでは同種と判定されることになる.同一個体ではないが,三宅島から 同時に採集された雌は黄色のふわふわ卵のうを作った.卵のうはぜんぜん違うのだ. DNA の答え,両者は同種,が正解なのかもしれない.これまでの経験では DNA から の判断と形態からの判断で矛盾が生じたときには,まず間違っているのは形態のほうだ った.両者の混在地が見つかったら,直接核遺伝子を用いた解析で実際の遺伝子交流の 有無を見てみたいものだ.でも私の予感では,もし混在地が見つかって核遺伝子の解析 をしたとしても,その答えは 0 でも 1 でもなく 0.45 とか 0.55 とかになってしまって, もっと悩ましくなるようにも思う.きっとこの世にあてになるものなど何もないのだ. ああでもないこうでもないといろいろ考えて悩んでいくしかないのだろう.わからない という正解もあるのだ.近頃,私が好きなせりふは,“自然界には種カテゴリーなど存 在しない.種は私たちの心の中にあるのだ.”というものだ.キムラグモやトタテグモ, トリノフンダマシたちにさいなまれながら,漠然と,悟りの境地に達したような陶酔感 に一人勝手に浸っていたが,有名な系統学の先生の本に同じようなことが書いてあって ちょっとうれしかった.

キシダイア 100 号発刊によせて 石川 奈美江

キシダイア 100 号発刊おめでとうございます.昨年度から会員になり,現在卒業研 13 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 究で環境の違いによるクモの種構成の違いを研究しています. 高校 2 年の頃に部屋でハエトリグモを見つけ,そのつぶらな瞳と愛らしい動きに心 を奪われたことをきっかけにクモに興味を持って早 5 年.自分の部屋にいるクモの名 前が知りたくて絵合わせで同定をしつつ「人生で一度クモの研究がしたい」と思うよう になって農学部に入学し,大学の先生の紹介で加藤先生の講座に参加したことをきっか けに蜘蛛談話会に入会しました.今までクモ好きな人にはほとんど出会ったことがなか ったのですが,談話会に入会してから沢山のクモ好きの方にお会いすることができまし た.そして今まで知らなかったクモのこと知ることができて,ますますクモのことが好 きになりました. 大学卒業後は就職するためクモの「研究」とは離れることになってしまうと思います が,今後も身近なクモを観察したり写真をとったり人形を作ってみたり,何らかの形で クモと関わりながら…そして他の人にクモのおもしろさを広めながら,生活していきた いなと思っています. これからも一人でも多くクモに興味を持つ人やクモを好きな人が増え,ますます蜘蛛 談話会が面白く素敵な会になりますように,心からお祈り申し上げます.

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図 KISHIDAIA No.1

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

蜘蛛と音楽 第三章・第四章 (全四章)

中 島 は る

第三章 タランテラ 私ごとですが,五歳の頃よりピアノを習っておりました.ピアノといえば「バイエル」. 今日でも「バイエル」は主流ではありますが,他にも沢山の優れた教則本があります. しかし昔(半世紀以上も前)は,バイエルというのが人の名前だなんて考えもしないほ ど,ピアノの本イコール「バイエル」.そして「バイエル」が終わったら次のバイエル が「ブルグミュラー」と決っていました.正式には「ブルグミュラー25 番練習曲集」 というその本は教則本には違いないけれど,『やさしい花』とか『かえり道』などと一 曲ごとに題名がついているので,最初手にした時,少し嬉しい気がしたのを憶えていま す.その曲集の中ほどに『タランテラ』という速い短調の曲で,他の曲に比べてちょっ と違う,気になる感じの曲がありました.後年,自身でもピアノを教えるようになって 気付いたことは,子供たちは例外なくこの曲が好き.そしてこの曲同様ピアノの発表会 のプログラムによく登場する,これより易しいリー作曲の『タランテラ』,これより難 しいヘラー作曲の『タランテラ』なども人気が高い,ということでした.とくにヘラー の『タランテラ』などは今弾いてみても不思議と心が騒いでしまいます. 速度はプレスト(急速),6/8 拍子,短調,終りに向ってのストリンジェンド(次 第に速く,次第に大きく), そしてフォルティッシモの 終止,という形式はこれら 三曲はもとより,もっと大 きなほかの作曲家たちの殆 どの「タランテラ」に共通 しています.どうやら「タ ランテラ」というのは人の 心を煽る音楽であるらしい. そして「タランテラ」はど うやら蜘蛛のタランチュラ と関係があるらしい.とい うわけで,気になるその辺 りのところを少し詳しく見

図 1 てみたいと思います. 15

□タランテラの由来 子供の頃の話に戻りますが,ブルグミュラーやリーの『タランテラ』の楽譜には短い 解説があり,「南イタリアのタラントゥーラという毒グモに咬まれた(確か刺されたと あった)人が狂ったように踊りだし踊り続けることから生まれた舞曲」という風なこと が書いてあったと記憶しています.「タラントゥーラという毒グモにかまれた時に激し く踊れば治ると信じられたことから生まれた舞曲」という説明に出会ったのはもっと後 のことでした. 実際のところはどうなのでしょうか.タランテラの由来は,調べてみるとかなり複雑 です.舞曲の「タランテラ」という名称,そしてクモの「タラントゥーラ」(「タラン チュラ」と書かれることが多いので次回からはそう記します)の語源となったイタリア 東南部の都市タラントは,古くはタレントゥムといい,紀元前八世紀に建設された古代 ギリシャ(スパルタ)の植民都市でした(図 1). 歴史学者の中には,古代ギリシャの壷絵やポンペイの壁画にタランテラ舞踊を見てと る人もいます.ギリシャの酒神ディオニソス(バッカス)は農作物の神また陶酔や熱狂 の神として信仰を集めていましたが,そのディオニソスの祭典とタランテラの舞踊形式 が似ているともいわれます.ディオニソス祭がクモの毒の治療という名目を借りなけれ ばならなかったのは,地域的にもへんぴで保守的なアプリア地方が(図 1),キリスト 教以前の異教的習慣を守りキリスト教の圧迫を受けた結果,苦し紛れにとった異常解決 策だったのではないかという推察もあります. ただ単にタランテラとタランチュラの二つの言葉の類似によって両者が結びつけら れたのだと結論づける人もいます. けれど「タランティスモ」(タランチュリズム,またはタランティズム)という病気 について十五世紀から十八世紀にかけて医者たちの様々な研究,記述があることも事実 です.その一つによると,毒グモにかまれた人は,最初鋭い痛みを覚え,次に死の予感 から憂鬱な気分に陥り苦悶と悲嘆にくれる.それから狂ったように踊り出すのだが,踊 りのための特別な音楽が不可欠で,病人が何時間も時には何日も踊り続ける間楽士たち もずっと伴奏し続け,共に疲れと汗で倒れ伏した時,病気は癒える,というのです.で もそれは一時的な治癒で,毎夏同じ時期に再発し,咬傷はないのに症状がでるこのよう な沢山の患者のために楽士たちは夏の前に待機し,病気の発生に応じて村から村へ,町 から町へと歩き回ったそうです. 特異な説もあります.盛夏にタランティスモ病がタランテラ音楽と表裏をなして,む しろ音楽に誘発されて起こる.つまり暑さと音楽が原因であって,クモは表面上の理由 として濡れ衣を負っている,という説です. ところで医学用語で「舞踏病(コレア Chorea)」という,様々な原因で体の一部ま たは全部の筋肉に不随意運動が起こる病気,症候がありますが,これとは別に,タラン テラの伝説にある狂ったように踊り続ける現象タランティスモも「舞踏病」と訳される ことがあります.中世ヨーロッパにはタランティスモの他にも,見ている人をも巻き込 み,集団で踊り狂う流行性舞踏病がいくつか歴史に残されています.これらはいずれも

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生活苦や死の恐怖とともに生きていた中世の庶民の圧迫された心理状態に由来する「集 団ヒステリー」と説明されています.

□タランチュラという蜘蛛 ファーブルは『昆虫記』(全十巻)の第二巻「黒腹の毒グモ」という章の始めに,コ ルシカ島で観察した「マルミニャット・ゴケグモ(十三星後家蜘蛛)」は農民たちに恐 れられその咬傷から死に到るという噂は本当らしい,と書いています.そしてイタリア のタランテラ舞踊にも触れ,タランチュールの咬傷が,ひどく神経質で虚弱な体質の人 間に神経障害をひき起こしそれが音楽で鎮まったり,激しいダンスをして大量の汗をか くと苦痛の原因が減るということもあり得ないことではない,と述べています.それか ら本題の「ナルボンヌの毒グモ」通称「黒腹の毒グモ」についての観察や研究の記述に 入るのです. この「ナルボンヌの毒グモ」というのは正式には「リコサ・ナルボネンシス(Lycosa narbonensis)」といいます.そして名高い「タランチュール」(仏),「タラントゥ ーラ」(伊)の正式名は「リコサ・タランチュラ(Lycosa tarantula)」といいます. リコサはコモリグモのことですから「ナルボンヌ・コモリグモ」「タランチュラ・コモ リグモ」が正しい呼び方です.地中海沿岸の乾燥し,陽射しの強い気候の国々(南イタ リア,ギリシャ,チュニジア,南フランス,スペインなど)で普通に見られるこれらの クモは,地面に縦穴を掘ってその中にひそんでおり,人が咬まれることはめったにあり ません.咬まれればしばらくは痛むでしょうが,その毒は他の大多数のクモ(全世界の クモの 99.9%)同様人間には殆ど無害なのです.これらのコモリグモは三センチ前後 とかなり大型ですが,日本にいるコモリグモは一センチに満たないものが多く,約 80 種が知られています.地表面で徘徊狩猟生活を営み,色も地味で殆ど人目につかないの ですが,このクモには際立つ特徴があります.卵や子グモを持ち運んで守る,という母 性行動です.ところが,この「子守りのクモ」たちは日本では 1972 年まで「ドクグモ」 と名づけられていたのです.代表種「リコサ・タランチュラ」の「名声」がわざわいし てのことだったのでしょう. このように,タランテラ伝説の元となったクモ(タランチュラ・コモリグモ)は,実 際は殆ど無毒であり,同じような場所に棲息するマルミニャット・ゴケグモやサソリの 一種が濡れ衣を着せた可能性が高いというのが今日の定説になっています. ところで現代では,「タランチュラ」と言えば多くの人たちは映画やテレビに登場す る黒くて毛むくじゃらで猛毒をもつ巨大なクモを想像するのではないでしょうか.そう いえばどこか語感も「ドラキュラ」に似て,恐怖ものの演出にはもってこいの感がある のでしょう. 実はこのタランチュラはこれまで見て来たヨーロッパのものとは全く別の種類のク モです.ヨーロッパから南米大陸に移住した人たちが,それまでに見たこともない大き なクモに出会い,故郷の伝説を思い浮かべて「タランチュラ」と呼び始め,いつしか大 型のクモの呼び名となってしまったといいます.今日ではオオツチグモ科のクモの総称 17

に用いられ,その仲間のあるものは姿も立派(10 センチくらい)で,寿命も長く(20 年の記録もある),毛並みも美しいことから,ペットとして愛されたりもしています. 人に対する毒については,ある程度の刺咬症が知られていますが死亡例はなく,応急処 置としては患部を冷やすのがよいそうです.

□舞踊のタランテラ Tarantella,Tarandla,Tarantela,Tarantelle,Tarentella 等さまざまな表記があ りますが最も一般的なのは「Tarantella」で正確に近い読み方は「タランテルラ」また は「タランテッラ」となります(「テ」にアクセント).このタランテラの背景につい てこれまで見てきましたが,ではタランティスモのための専門治療の音楽とは実際どの ようなものだったのでしょうか.それは推測するしかないのですが,それでも推測の手 がかりはあります.近年,バロック音楽以前の,中世・ルネサンス音楽にも光が当てら れるようになり,図書館の写本から楽譜を起こし,博物館のものだった古楽器を復元・ 製作するなどし,当時のままに近い音楽が私たちの耳に届けられるようになったのです. 沢山ではありませんが十六・十七世紀のタランテラも聴くことができます.そこにある 響きは,私たちの知っているピアノのタランテラなどとは全く別の雰囲気をもっていて, 初めは不思議な戸惑いを覚えます. 拍子は単純二拍子(6/8 は複合二拍子)が多く,曲の形式は四拍目ごとに中間休止 があること,同音の反復,音階的動き,音の跳躍など舞曲としてのタランテラの特長を 示しています.楽譜にして見てみましょう(楽譜 1・楽譜 2). 楽譜 3 のタランテラ(Primus modus Tarentella)は,aaa´a´bb を単位 A として AA とくり返します.A を何回もくり返したり,別の単位 B や C を挿んで ABACA とす る形式も推測されます.

楽譜 1

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楽譜 2

楽譜 3

楽譜 4

楽譜 3 のタランテラ(Antidotum Tarentulae)は aabb を A とし,A を必要に応じ て何回でもくり返したことでしょう.くり返す度にちょっと変奏したり楽器を持ち代え たり加えたりしたかもしれません. 19

演奏では,主旋律をリコーダーなど管楽器が担当し,それを和声的に同じリズムでヴ ィオル族など弦楽器が伴奏する,という形が多くとられています.楽器はこれらの他に リュート,バグパイプ,小型のオルガン,太鼓その他の打楽器などさまざまなものが時 代によって地方によって使われたと思われます. その由来がどうであれ,タランテラは民族舞踊としての伝統を生き続けています.現 在ではタランテラといえば無言の求愛の舞踊の一種のことで,ふつう輪になった人々に 囲まれた一組の男女によって踊られ,踊り手が持つカスタネットやタンバリンの伴奏が 入ります.時に舞踊の最中に見物人によって歌われる歌は 3/8 拍子か 6/8 拍子の規 則的な楽句によるもので,短調と長調が入れ替わり,次第にテンポが速くなっていく. 楽譜 4 に見るこのような伝統タランテラの典型を展開し華やかにしたものが,十九世 紀以来多くの作曲家たちによって書かれた「楽曲タランテラ」なのです. 民族舞踊のタランテラには地方により色々なヴァリエーションがあります.たとえば, 踊る男女一組を他の踊り手たちが輪になってとり囲み,踊り手の一方が疲れた時とって 代わる(アプリア地方),女性二人が踊り三人目がタンバリンを叩く(カンパニア地方), 結婚の祝によく踊られ,カスタネットやタンバリンの代わりに手拍子,指打ちを用いる (シチリア島)等々. 南イタリアの地方色を出すためにタランテラはしばしばバレエやオペラ作品にも使 われました.今日でもよく上演されるバレエ「ナポリ」(ブルノンヴィーユ作,1842 年初演),オペラ『シチリア島の晩鐘』(ヴェルディ作曲,1851 年初演)の中に私た ちはその舞踊を見ることができます.何といっても目を引く特長は,その跳躍ステップ です.両手を高く上げ常にぴょんぴょんと跳ねながら,男女向き合って,または腕を組 んで(左腕なら左,右なら右同士を組んで回りながら)踊ります.着地(もちろん片足 づつの,また踵やつま先で)の回数と曲の速度とが一致する踊り方であり,基本の回数 は一分間に 160 回,曲の一拍(6/8 拍子では付点四分音符)も 160 というそのスピ ードも特長的です.

□楽曲のタランテラ オペラ『シチリア島の晩鐘』の台本作者ウジェーヌ・スクリーブが同じく台本を書い たバレエに,その名もずばり『タランチュラ』(音楽カジミ-ル・ジイド)という作品 があります.1939 年パリ初演のこの二幕もののバレエ・パントミームは,カラブリア (図 1)の村での物語で,婚約者の青年が毒グモ・タランチュラに咬まれたので,その 死を救うべく,嫌いな同毒療法医(オメオパティコ Omeopatico)の求婚を承諾した ヒロインが,わざとタラチュラに咬まれたふりをして踊り狂い,にせの葬式を仕組んで, 最後にはどたばたとハッピーエンドに向うというものです.このようにこのバレエは, 「タランチュラに咬まれたら,舞踏病にかかって必ず死に到る」という「常識」が前提 となっているのです.このような「常識」または「伝説」が十九世紀ロマン派の作曲家 たちに競うように楽曲タランテラを書かせることになった一因であるとは言えないで しょうか. 20

楽譜 5

楽譜 6

さきがけはウェーバーが 1822 年に書いた『ピアノ・ソナタ第四番(作品 70)』で した.このソナタの第四楽章「プレスティッシモ」は明快なタランテラです.つづくロ ッシーニ(1792-1868)の『ダンツァ』は歌曲のタランテラとして余りにも有名です (楽譜 5). この曲の正確な作曲年代は判りませんが,ショパンがこの曲のあとにピアノのタラン テラを書いたことは手紙から知ることができます.出版のための写譜を「ロッシーニの 様式でやるように」と指示しているのです.1841 年にショパンが書いた「タランテラ /変イ長調(作品 43)」は,けれどももちろん内容までロッシーニに負うものではあ りません(楽譜 6).一気に駆け抜けるような「無窮動」のタランテラです. リストの『タランテラ』は 1861 年に出版されました.後半部はナポリのカンツォー ネの変奏曲となっていますが,前半のタランテラの部分はそこかしこにクモの暗示が見 られる点で明らかに他の作曲家のものと異なり,私は独断で「タランテラの白眉」と呼 んでおります. リストが『巡礼の年第二年補遺・ヴェネツィアとナポリ』を書いたのは 1859 年のこ とでした.第三曲『タランテラ/ト短調』は,中間部にナポリのカンツォーネを置き, 華やかに変奏させています(楽譜 7).

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楽譜 7

楽譜 8

ヴァイオリンのタランテラとして最も有名なものがヴィエニャフスキの「スケルツ ォ・タランテラ/ト短調(作品 16)」です(楽譜 8).1856 年に書かれたこの激し いタランテラも,中間部に長調の伸びやかな歌(メロディー)を挿んでいます. ギターにもタランテラの名曲があります.ナポレオン・コスト(1806-1883)の「25 の練習曲集(作品 38)」にある「タランテラ」は小品ながら超絶技巧で人を圧倒しま す. ドビュッシーもタランテラを書いています.1890 年出版のピアノ曲『ダンス』は「ス ティリー風タランテラ」という副題をもち,後にラヴェルが色彩豊かな管弦楽編曲を行 っています.二十世紀の作曲家のタランテラとしては,ラフマニノフとショスタコーヴ ィチの『二台ピアノによるタランテラ』その他があります. さて,これまで挙げたタランテラのどの曲も,今日でも演奏会やリサイタルで高い人 気を保ち続けています.その理由は何といってもそこでくり広げられる華麗な演奏効果 にあるでしょう.極度に速いテンポ,短調と長調を織り混ぜて編むドラマティックな情 緒,舞踏のタランテラを彷彿させる跳躍と旋回の音型,難技巧のスリルが最後の着地点 に向けて迫り上げる興奮…. こうしたタランテラ音楽の特色は,もっと小規模なタランテラ,また子供のためのタ ランテラにも表れています.この章の冒頭に触れた三曲のほかにも.子供のためのタラ ンテラは数えきれないほどあります.最後にアメリカの「アーロン教則本」の中のかわ いらしい挿絵つき『タランテラ』を紹介しておきましょう(楽譜 9). 22

楽譜 9

子供たちにとって,また大人たちにも,「タランテラ」という語の響きは,遠い国, 見知らぬ世界への憧れと,何かよくは分からないが心惹かれる扉の向こう側への想像と に結びついているような気がします.その意味でも「タランテラ」は,音楽の中でもと てもユニークでとても大切な存在といえると思うのです.

第四章 蜘蛛の音楽

一般に蜘蛛はきらわれ者ですが,「クモは好きではないけれど網はおもしろい」とい う人がいます.雨上りの,滴のついた円網などにはほとんどの人が「レース編みみたい」 と感嘆を惜しみませんし,夕暮どき,クモが網を作っていく様子に見とれた子供時代を 語る人も少なくありません. ほかの虫たちには決して真似ができない,クモの最大の特長である糸,糸をひいての 動き,そして網,これらは音楽の中にどのように表れているでしょうか.またクモその ものと人間との関わりは.これまでどんな音楽を生み出し.これからも生み出してゆく のでしょうか.

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楽譜 10

□楽譜の中の蜘蛛 バルトーク(1881-1945)のピアノ曲集「ミクロコスモス第六集」に『あるハエの 日記より』というユーモラスな曲があります.愉快に飛び回っていたハエが突然クモの 網にひっかかってしまい,あせって(アジタート)暴れる様子が音符と文字(「クモの 網だ!」と各国語で記されている)で描写されています(楽譜 10).ちなみにこのハ エはどうやら逃げおおせ,多分ホッとひと息つくところで曲は終わっています. シベリウス(1865-1957)の作品の中には,その名も『鬼蜘蛛の歌 Sangen om Korsspindeln』という特異で美しい歌曲があります.1898 年作曲の劇音楽『クリス ティアン二世(作品 27)』に含まれるもので,アドルフ・パウルによる詩の一節(全 三節)は次のようになっています.

鬼蜘蛛の歌 新緑の平原の上の 未開の森のうしろ 陽の光が熱く 灼けるところ そこに いと黒く いと大きな 一匹の蜘蛛が坐り 草の中でぎろぎろ眼を見開き じっと見据えている 彼は太陽の光線を捕え 休みなく働いて それを撚って糸となし 紡いで闇となし ヴェールを編む いと強く いと密に 空気のごとく いと軽く この網目に彼は 生とし生けるものを捕え 死に至るまで 苦しめさいなむ (アドルフ・パウル 大束省三訳)

ピアノによる前奏と間奏は明らかにクモの網をイメージさせ,歌の幻想世界へと聴く 者を誘い込んでゆきます(楽譜 11). なおこの曲は 1909 年イヴァン・プティランがギター独奏用に編曲し『蜘蛛の歌 Il Canto del Ragno』という味わいのある無言歌としても親しまれています.

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楽譜 11

1986 年,私,中島はるは『蜘蛛の子』(上野菊江詩)という歌曲を書きその中で筝 のグリッサンドや爪音を用いて「バルーニング」の光景を描こうとしました[楽譜 13]. 中間部の歌詞は次のようなものです.

蜘蛛の子が飛んでゆく日を 知りませんか 蜘蛛の子が飛んでゆく日を 知ってますか

そう それはよく晴れた日の青空 キラキラ キラキラ 光の糸を吹きながし キラキラ キラキラ 数かぎりなく飛んでゆく蜘蛛の子たち (上野菊江「蜘蛛の子」より)

ここで少し横道にそれますが,楽譜も無い,曲を聴くこともない,けれど私が憧れて やまない幻の蜘蛛の音楽というのがあります.それは「遊糸(ゴッサマー)」に関する ものです.クモの空中飛行についての研究家・錦三郎さんは,米沢盆地で「雪迎え」と 呼ばれてきた不思議な現象の正体がそれであったとつきとめた方ですが,「文学作品の なかの遊糸」についても詳しく調べておいでです(『飛行蜘蛛』丸ノ内出版).空を流 れるクモの糸に注目し最初に名称を与えたのは中国で,すでに五世紀の詩に「遊糸」を 詠まれているというのですから驚きます.「遊糸はまっ青な空を飛び交うので,青い空 に白い薄絹が織りなされるように見える」というような美しい意訳を目にするだけで, それらの詩はどんな風に声に乗せられ空に運ばれただろうかなどと想像の翼がひろが ってやまないのです.

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□唱歌の中の蜘蛛 「唱歌」という言葉は色々な意味で広く用いられますが,学校での音楽の授業をそう 呼んだ時代がありました.1871 年(明治 4 年)文部省が創設され,その翌年に学制が 発布されて,小学校の教科の中に「唱歌科」という一科目が定められました.その呼称 は 1941 年(昭和 16 年)「音楽科」に改められるまで続きましたが,また「唱歌」は 教科としての学習活動として呼ばれると同時にそこで用いられる教材としての歌を指 す言葉でもありました.文部省音楽取調掛編「小学唱歌集」全三巻(1881-1884)を 起点とし数多くの「唱歌」が作成,編集され,教科書として刊行されました.『蝶々』 『蛍の光』『庭の千草』のように外国の曲に作詞したもの,『港』『夏は来ぬ』『われ は海の子』のように音楽教育者たちの作詞作曲によるもの等,膨大な数の唱歌が誕生し, その中には,この六曲のように今日まで歌い継がれてきたものが沢山あります. さて唱歌の中に,蜘蛛は歌われているでしょうか.二曲だけが見つかりました.1910 年(明治 43 年)発行の「尋常小学読本唱歌」の『かえるとくも』は,一節目は「しだ れ柳に 飛び着く蛙」という出だしですが,二節目は「巣を張る小蜘蛛」と歌われていま す.

(二) 風吹く小枝に 巣を張る小蜘蛛, 張っては切れ 切れては張り, 切れても切れても また張る程に, とうとう小枝に 巣を張った (「かえるとくも」文部省唱歌)

内容が多分に教育的なのは,この「唱歌集」(全二十七曲)の歌詞すべてが国語の読 本からとられたということからもうなずけます. もう一つの歌は翌 1911 年(明治 44 年)の「尋常小学唱歌・第一学年用」に載って いる『木の葉』という唱歌で,一節目に蜘蛛,二節目に鯉が出てきます[楽譜 14].

(一) 何処から来たのか 飛んで来た木の葉 くるくるかわって 蜘蛛の巣にかかり, 風に吹かれて ひらひらすれば, 蜘蛛は虫かと, 寄って来る. (「木の葉」文部省唱歌)

これら二つの唱歌は 1941 年(昭和 16 年)以後,音楽の教科書から姿を消してしま いました.残念なことです.特に『木の葉』は歌詞,曲ともに自然で愛らしく,今の子 供たちにもうたってほしい気がします.

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楽譜 12

□蜘蛛はともだち またまたピアノの話になりますが,アメリカ生まれの「バーナム ピアノ テクニッ ク」という指の訓練のための教則本があります.子供たちに楽しく練習させる工夫に充 ちており,『クモのように歩こう』と題する曲も二つ入っています(楽譜 13). 私,中島はるも子供のためのピアノ曲を少なからず書いておりますが『クモの糸のは しご』という曲では,ほとんど黒鍵ばかりを使って上向,下向,ブランコの揺れなど, 糸をひいてのクモの動きを描こうとしました(楽譜 14). ところで,ヨーロッパで長く暮らした友人,知人の話では,クモは忌み嫌われている とばかりは限らず,幸運をもたらすシンボルの類,「馬蹄」や「四つ葉のクローバー」 と同じ扱いをされることも珍しいことではないそうです.子供たちにとっても身近でお もしろい仲間として歌や遊戯では人気ものでさえあるとか. デンマークの保育園や幼稚園で必ずと言っていいほど歌われるのが「ちっちゃなくも のピーターちゃん」(楽譜 15).

楽譜 13 27

楽譜 14

楽譜 15

ちっちゃなクモのピーターちゃん れんがの壁をのぼってて 雨つぶあたって落っこちた そこへ出てきたお日さまが ピーターちゃんをかわかして またまた元気に壁のぼり (前川正博訳) 28

楽譜 16

片手の親指と人差し指でL字型を作り,もう片方のL字とで長方形になるように手の 向きを交互に代えながら上へ行き(クモがのぼり),両手をひらいてひらひらさせなが ら下ろし(雨がふってきて),というような「振り」をつけながら歌います.日本での 『大きなクリの木の下で』とどこか似ています(とくに曲の方が). もう一つの遊戯うた『ぞうさんドンドンやってきて』は,象とクモのとり合わせの発 想が何とも素敵です(楽譜 16).

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ぞうさんドンドンやってきて クモさんの網にのっかって クモの道いくのは面白い 次のぞうさんも おいでよ

ふたり目のぞうさんやってきて クモさんの網にのっかって クモの道いくのは面白い 三番目のぞうさんも おいでよ (前川正博訳) 片手で鼻をつまみ,その腕の内側からもう片方の腕をつき出しブラブラ揺すりながら 前かがみで歩く.後続の象はそのブラブラの手で前の子の服のはしをつかむ,そうやっ てどんどん列が長くなってゆくのです. これらの楽しいクモの歌は,ほかの沢山の子供の歌同様デンマークだけのものではな く,他の国々でもきっと歌われ遊ばれていることでしょう.

□これからの蜘蛛の音楽 クモを「土蜘蛛」のイメージから解放したい,恐ろしいものから優しいものへ,人間 に敵対するものから人間を守 ってくれるものへと変えたい という願望は,私だけのもので はありませんでした.1992 年 に渡辺里仁さんが台本を書き 上げたファンタジー・オペレッ タ『月の刀 ピリクル物語』 (中島はる作曲)では,クモの 糸のベールというのが重要な 役割を果たしています(図 2).

図 2

人を通さない真っ暗な「迷いの森」.ナンピリ村の人たちはこの森に守られ,ここでし かできない「ななほしきのこ」を食べてみんな長生き.だが隣り村では「悪魔」たちが この長生きの元を手に入れようといつも目を光らせている.三十年前「悪魔」との戦で 行方知れずとなった勇者ピリクルの子どもたちはじめ,平和な村人たちは,森を焼いて 襲ってくる「悪魔」たちとどう戦うのか,というこの物語の中で,村人たちは外に出る とき身を護るための「くものベール」を必ず被るのです.クモの糸を巻き取ってそれを 織るのは子どもたちの仕事ですが,その仕事の手を休めて歌う合唱は次のような歌でし た. 30

もんもんもんもん むぅういむい

やわらかな ひざしをあびて ひとやすみ くもの糸をつむぐ手は ひとやすみ 月の光でふくふくふくらんだ くもの糸さん まってておくれ きれいなベールに織りあげましょから (渡辺里仁「月の刀」二幕より)

次に渡辺さんが私の意向を汲んで書いて下さった二作目のオペレッタのタイトルは ずばり『夜叉蜘蛛』.ここでは名高い伊豆の蜘蛛伝説「浄連の滝」を下敷きに,現代の 自然破壊の問題と,時代を超えた人間の愛をテーマとして,壮大かつファンタジックな 展開がなされています. 今,ある土地に開発の魔手がのびようとしており,必死で反対する住民がいる.その 土地の歴史を縄文時代にまでさかのぼるとそこは「夜叉蜘蛛」という美しい女神に護ら れる山で,ふもとの里では人々がさまざまな思いで暮らしていた,という物語のこの四 幕もののオペレッタでは,登場人物たちは現代と縄文時代とで一人二役を演じて「時の めぐり」を表わし.「夜叉蜘蛛」は生命と時間を含む大いなる自然の象徴として,遥か 彼方から呼びかけてくるような透明な歌声を聞かせます. 私が数年をかけて作曲にとりくんだこのファンタジー・オペレッタ「夜叉蜘蛛」は, 2003 年十月東京調布で初演されました(図 3).「土蜘蛛」の対極をめざすという私 の大それた夢の第一歩はささやかながら成功であったと自負しております.長い年月が かかるかもしれませんが,いつかは「夜叉蜘蛛もの」が幅をきかせる時代が来ないとは 誰にも言えないと,私は思っているのです.

おわりに さて.これまでクモと音楽のさまざまな関わり方を見てきましたが,いうまでもなく それは人間の側からの一方的な関わりにすぎません.クモはただ黙々と自分の生の営み を行なっているだけです.勝手に恐れたり,かってに讃美したり,勝手に友好的になら れても,クモは迷惑するばかりでしょう.クモにもし声があり言葉があったとしたら, 「そんな自分勝手な思い込みはやめて,これ以上自然破壊が進まないように努めること が,同じ地球にすむものとしての常識であり義務であるのではないですか」と言うこと でしょう.拙文の脱稿にあたり,そんなクモたちの声なき声が聴こえてくるような気が します.

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図 3

主な参考文献 第三章 International Encyclopedia of Dance Oxford Univ. Press. ニューグローヴ世界音楽大事典 講談社 「一千年の響き」 日本音楽教育センター 「十九世紀フランス・バレエの台本」平林正司 慶応義塾大学出版会 「ファーブル昆虫記」山田吉彦・林達夫訳 岩波文庫 「クモのはなし Ⅰ」 技報堂出版 「生活の芸術」櫻林仁 誠信書房 CD「TARENTULE-TARENTELLE」 Gregorio Paniagaa (HMA-190379) DVD「I Vespri Siciliani」(Teatro alla Scala)

第四章 「飛行蜘蛛」錦三郎 丸ノ内出版 「日本唱歌集」堀内敬三・井上武士編 岩波文庫 「日本の唱歌(上)」金田一春彦・安西愛子編 講談社文庫 「動物の歌」辻田功 日本アートセンター 「DE SMA SYNGER」SKANDINAVISK BOGFORLAG 「Dim egen Sangbog」Lademann Falagsaktieselskab CD「シベリウス歌曲集/トム・クラウセ」(WPCS-4984) CD「鳥の歌/山下和仁ギター小品集」(CRCC-8)

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中島原稿の追記 拙稿「蜘蛛と音楽」は 2002 年から二年くらいかけてまとめたものです.法政大学出 版局から『蜘蛛』(ものと人間の文化史)を 2002 年 8 月に上梓された斎藤慎一郎氏 は,続編『蜘蛛Ⅱ』の刊行を計画され,その本の半分は日本蜘蛛学会のメンバーにわり ふって「蜘蛛の文化論」の執筆をよびかけておられました.「蜘蛛と文学」「蜘蛛と絵 画」「蜘蛛の文献」その他さまざまな項目があったようです.けれど 2006 年の 12 月, 編集上の問題と健康上の不安から計画は断念せざるを得なくなったという通知と共に 拙稿「蜘蛛と音楽」が返却されて来ました.それからちょうど一年後に斎藤さんは旅立 ってゆかれたのでした. このたび Kishidaia 編集部のご好意により拙論が発表されることとなり,気後れとと もにやはり嬉しさを感じます.そして文字にはしませんでしたが,“斎藤慎一郎さんに 捧げる”と書きたい気持ちでおります.(2011 年 7 月 1 日記)

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

大津波とイソコモリグモ

谷 川 明 男

2011 年 3 月 11 日,大地震に伴う未曾有の大津波が東日本の太平洋岸を襲い,広大 な範囲にわたって甚大な被害をもたらした.この大震災・大津波で被災された方々に心 よりお見舞い申し上げ,亡くなられたたくさんの方々のご冥福をお祈りする. 大津波に襲われた地域にもイソコモリグモの棲む砂浜海岸があった.あの砂浜は,そ して,そこに棲むイソコモリグモたちはどうなったであろうか.2011 年 6 月 18 日と 19 日,新海 明さんとともに青森県下北半島と岩手県北東部を訪れた.18 日,まず向 かったのは青森県上北郡おいらせ町の百石海岸であった.ここには防波堤が築かれてい るが,その外側に砂浜があり,多数のイソコモリグモの生息を確認していた場所である. インターネットの動画サイト YouTube には,この海岸のすぐ近くにある百石漁港にお ける津波の様子を撮影した動画が投稿されている.大きく潮が引いた後に津波の第一波 が押し寄せる.それはそれほど大きくはないが,続いて押し寄せる第二波は漁船を岸壁 に押し上げる.その水が引かぬままに次々と大波が押し寄せ,ついに堤防を乗り越えた 黒い濁流が陸へとなだれ込んでいく.この奔流は百石海岸のイソコモリグモにも襲い掛 かったのだ. 百石海岸に着くと,防砂林のマツは傾き,葉が赤変していた.津波に押し倒され,さ らに塩害で枯れかかっている.堤防は無事であった.堤防に上がると,砂浜は以前(図 1)とあまり変わらない様子で,ハマヒルガオやコウボウムギが花をつけていた(図 2). さっそく砂浜の表面を探ると,あった,イソコモリグモの子供の巣穴がここにもあそこ にも.百石海岸のイソコモリグモは無事であった.あの大津波を耐え忍んでくれたよう だ. 続いてそのすぐ北側の海岸へ回った.百石海岸の防波堤は途中で切れ,そこから北側 の海岸は自然の砂浜海岸となっている.そこでも防砂林の松は傾いて枯れかかり,林内 にはボートが流れ込んでいたが,それとは対照的に砂浜には大きな変化は見られず,こ こでもハマヒルガオやコウボウムギが花をつけていた.そしてイソコモリグモも多数生 息していた.小さな穴からこちらを心配そうに見ているイソコモリグモの子供の顔を見 てほっとした.その後,下北半島を北上し,道が海岸線から外れるぎりぎりのところ, 東通村白糠の海岸(N41.16473 E141.38870)でイソコモリグモの生息を新たに確認 した. 翌 19 日,岩手県下閉伊郡田野畑村の明戸海岸に向かった.ここは,リアス式海岸の ポケットビーチで,2008 年 5 月に多数のイソコモリグモの生息を確認した場所だ(図 34

3).ダムのような防波堤が築かれ,波打ち際の少し沖の海底には人工リーフも作られ ている.百石海岸の堤防の外側にたくさんのイソコモリグモを見つけたときは,防波堤 工事の後に砂浜が再生し,そこへ隣接する自然海岸から移入することによって個体群が 回復したのだろうと想像していたが,ここ明戸海岸には隣接する砂浜海岸はない.北側 も南側も岩浜でイソコモリグモの棲めるような環境ではない.工事での撹乱の後,どこ か遠くからやってきたのだろうか,あるいは工事中も海岸内のどこかで生き残っていた のだろうか.はたしてイソコモリグモには遠くまで移動していくような大きな分散力が あるのだろうか.それを推定するために DNA を用いた集団解析をやろうと思い立った のがここ明戸海岸であった. 明戸海岸へ向かう国道はほとんどの部分で少し内陸を通っているが,野田村の十府ヶ 浦のところで海岸部へ出る.前回訪れたときにイソコモリが見つからなかった海岸であ る.そこでは一線を画してそれより海側の建築物が消失していた.その線が津波の到達 した先端なのだ.百石海岸は海岸のすぐ陸側が斜面となり,集落はその上にできていた のでほとんど人家に対する被害がなかったように見受けられたが,野田村の状況はまっ たく異なっていた. YouTube には明戸海岸での津波を撮影した動画が投稿されている.津波が到達する 直前,潮が大きく引き,人工リーフがむき出しになっている.そこへ第一波がやってく るが,それは砂浜の半分くらいのところまでしかとどかない.その波が引き始めるころ, カメラが沖のほうを向くと,第一波とは比べものにならないほど大きな第二波が押し寄 せてくるのが見える.それは向こうの岸にぶつかり,巨大な水しぶきをあげながら湾内 に迫ってくる.そのあまりのすごさに撮影者は一時その場から逃げ出す.少し経ってか ら恐る恐る湾内をのぞくと,そこはものすごい激流となっている.波ではない.激流で ある.その下にたくさんのイソコモリたちのいた砂浜があるはずだ. 明戸海岸に着くと,以前に来たときとは風景が一変していた(図 4).砂浜の端の岩 陰にあった十本ほどのマツは一本を残して消えていた.防波堤は北側の半分ほどが破壊 され,防波堤の後ろにあった 2 軒の小屋や一面の松林はそこにそれがあったことがま ったくうそのように消え去っていた.その後方にあった三陸魚センターもなくなってい た.防波堤に近づくと,“防波堤の内側といっても安心してはいけない.津波がきたら すぐに逃げるように”と書かれていた表示板がこなごなに砕かれて散乱していた. 砂浜は?波打ち際は砂浜のままであったが,防波堤の近くは大きな石やコンクリート の破片がたくさん散らばった状態であった.防波堤には白い線が残されていた.そこま で砂が積もっていたことを表わす線だ(図 5,図 6).その線から今の浜の表面までは 2 m 以上ある.激流によって大量の砂が流出してしまったようだ.イソコモリの巣穴 など薬さじ 1 本分くらいの深さしかない.ここにたくさんの巣穴を作って生活してい たあのイソコモリたちは砂もろともみんな流されてしまったのだろう.残っている浜の 中をかなりの時間がんばって捜索したが,イソコモリの巣穴はまったく見つからなかっ た.ここ明戸海岸ではイソコモリは絶滅してしまったようだ.この後,この海岸のイソ コモリは回復できるであろうか.これから継続して見続けていきたい. 35

百石海岸の防波堤はほぼ同じ高さくらいまで砂をかぶっており,波打ち際から堤の頂 上まで連続した傾斜面になっていた.その表面を津波は流れていったのであろう.流れ に逆らわずに通したことで砂浜が大きく撹乱されることがなかったのではないだろう か.それに対して明戸海岸の防波堤はダムのように頂上近くに逆傾斜がついている.こ こにそれよりも高い津波が激流となって追し寄せたとき,防波堤が流れに対する大きな 抵抗となって,水流に縦の大きなウズが生じ,砂浜を激しく攪拌して大量の砂を運び去 ったものと思われる. 明戸海岸を後にして向かった青森県八戸市鮫町の海岸(N40.49284 E141.63025) でイソコモリの生息を新たに確認した.今までは明戸海岸がイソコモリの北方系統の分 布南限であったが,明戸海岸の個体群が絶滅してしまっている今は,ここが北方系統の 分布南限である.

図 1.百石海岸 2007 年 6 月 17 日 図 2.百石海岸 2011 年 6 月 18 日

図 3.明戸海岸 2008 年 5 月 8 日 図 4.明戸海岸 2011 年 6 月 19 日

図 5.明戸海岸 2008 年 5 月 8 日 図 6.明戸海岸 2011 年 6 月 19 日

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

餌種と餌サイズに関するアオオビハエトリの捕食選好性

佐藤 由美子・西村 知良・安倍 弘

Yumiko SATO, Tomoyosi NISIMURA & Hiroshi ABE. Preference of the myrmecophagic jumping Siler vittatus for prey species and prey size

Abstract Foraging behavior of the myrmecophagic jumping spider Siler vittatus for prey ants was investigated in the laboratory. Experimental choice-tests of the spider for different ant species and different body sizes of the same ant species were carried out. As the results, the spider preferred the adult Camponotus japonicas to the pupa of Pristomyrmex punctatus.Concerning the spider’s prey preference for the body size of the adult Camponotus japonicas, the spider indicated the relative preference for smaller individuals to larger ones.

Key words: jumping spider, Siler vittatus, foraging behavior, prey preference

はじめに アオオビハエトリ,Siler vittatus (Karsch 1879), はハエトリグモ科(Salticidae) オビハエトリグモ属に含まれる体長 5~7 mm 程度のクモで,国内では本州から九州に かけて分布する(小野 2009).クモ類は一般的にアリを捕食対象とすることはあまり ないが(Elger 1993), アリと密接な関係にあるクモもあり(小野 1975),アオオ ビハエトリはアリを専門に捕食する(myrmecophagous)ことで知られる( Touyama et al. 2008).本種が補食するアリとしては,在来種のクロオオアリ,クロヤマアリ, オオズアリ,トビイロシワアリ,トビイロケアリ,ハヤシケアリ,アメイロアリ,アミ メアリ,ルリアリ(中平 1953, 1955,城 1964, 井伊 1974,Miyashita 1991,藤 澤 2009)などの他に,移入種であるアルゼンチンアリ(Touyama et al. 2008)が知 られている.本種によるアリの捕食行動に関してはこれまでいくつかの報告(中平 1953, 1955,城 1964, 井伊 1974,藤澤 2009)があり,本種が野外でアリを捕食 する場合,アリの体サイズによって,捕食する対象が成虫アリ自体である場合とアリが 運ぶ卵,幼虫,蛹である場合とがある(城 1964,井伊 1974, 1977,Miyashita 1991). たとえば,アオオビハエトリがクロヤマアリやクロオオアリなどの大型のアリを捕食 37

する場合には,アリの成虫を捕食し,ルリアリやトビイロシワアリなどの小型のアリに 対しては,アリの成虫はあまり捕食せず,アリが運ぶ幼虫を奪ってそれらを捕食するこ とが知られている(井伊 1974).また, Miyashita(1991)は,野外においてアオ オビハエトリが略奪する頻度が最も高かったのはアミメアリが運ぶ幼虫と蛹である事 を報告している.なお,アリの運ぶ卵,幼虫,蛹などを略奪して補食する行動はアオオ ビハエトリに限られたことではなく,ハエトリグモの一般的な捕食行動であることが示 唆されている(井伊 1977). これまで,アオオビハエトリによる捕食選択を実験的に調べた例は,中平(1955) によるアメイロアリ,トビイロシワアリ,ムネボソアリ,ヒメアリの成虫アリを捕食対 象とした簡単な実験報告があるが,この実験ではクモによる成虫捕食型と卵略奪型のア リ(井伊 1977)の区別がされていない事から,正確な結果が得られていない可能性が 高い.そこで,本研究では成虫のクロオオアリと蛹を運ぶアミメアリを用いて,アオオ ビハエトリにおける成虫捕食型と卵略奪型の 2 種のアリに対する捕食選好性の有無を, 室内での捕食選択実験を行うことにより検討すると共に,体サイズに大きな個体差があ るクロオオアリの成虫を用いて,体サイズの異なる同種のアリに対する捕食選好性の有 無を検討した.

目 的 1.アオオビハエトリは体サイズの異なるクロオオアリを捕食する際に,体サイズによ り捕食対象を選択するのか.捕食選好性がある場合には,どのような体サイズのクロオ オアリを好んで捕食するのかを調べる. 2.アオオビハエトリは成虫のクロオオアリとアミメアリの蛹のどちらをより捕食対象 とする傾向があるのか,その傾向は 2 種のアリがそれぞれ餌としてどのように異なる 事によるものかを調べる.

材料と方法 材 料 2010 年 6 月 8 日から 8 月 27 日にかけて,神奈川県藤沢市日本大学生物資源科学部 キャンパス内の落葉樹植え込み地,ならびに神奈川県秦野市弘法山公園の林縁と遊歩道 沿いで,アオオビハエトリのメス 23 個体を採集した.アオオビハエトリの餌であるク ロオオアリとアミメアリは,神奈川県藤沢市日本大学生物資源科学部演習林内で採集し た.

クモの飼育 ポリプロピレン製カップ(上径 95 mm×下径 45 mm×高さ 47 mm)に蒸留水で湿 らせたキムタオル(30 mm×10 mm)を入れ,通気のために針で蓋に穴を数個あけた.

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図 1 インキュベーター内に設置したクモの飼 図 2 プラスチックカップの仕切り板 育容器

この容器にクモを 1 個体ずつ入れ,気温 22.5℃,午前 4 時から午後 8 時まで蛍光灯に よる照明を設定したインキュベーター内で飼育を行った(図 1).飼育中の餌種が捕食 選択実験へ与える影響を取り除くため,飼育期間中にクモに与える餌はアリではなく, ショウジョウバエ(成虫)2 個体,またはユスリカ(成虫)5 個体を 2,3 日に 1 回の 頻度で与えた.

実験方法 プラスチック製カップ(上径 100 mm ×下径 80 mm×高さ 45 mm)の容器内を三 等分するように,取り外しの出来るプラスチックの仕切り板を入れ,クモとアリが互い を見る事がないようにカップの外側と仕切り板に白い紙を貼った(図 2).このカップ の 1 部屋にはアオオビハエトリを入れ,残りの 2 部屋には捕食対象となるアリを入れ て,動きが落ち着いたところで仕切り板をはずし,捕食選択実験を開始した.なお,実 験に使用するクモは,あらかじめ 4 日間の絶食を行った.また,実験はクモが野外で 活動する午前 9 時から午後 5 時の間に行った.クモとアリが出す化学物質が実験に与 える影響を取り除くため,一回の実験ごとに使用するカップの内側を 70%アルコール で拭いた.

予備実験 捕食選択実験を行う前に,クロオオアリとアミメアリは,本研究の実験条件下でアオ オビハエトリの捕食対象となるかどうかを調べた.カップ内の 1 部屋にはアオオビハ エトリを 1 個体入れ,他の 2 部屋には成虫のクロオオアリを 1 個体ずつ入れて,部屋 の仕切り板を外し,クモがクロオオアリを捕食するかどうかを調べた.同様に,カップ 内の 1 部屋にはアオオビハエトリを入れ,他の 2 部屋には蛹を運ぶアミメアリを 1 個 体ずつ入れて,クモがアミメアリの蛹を捕食するかどうかを調べた.その結果,アオオ ビハエトリは成虫のクロオオアリとアミメアリの蛹の両者とも捕食した(表 1).従っ て,本研究の実験条件下ではクロオオアリもアミメアリもクモの捕食対象となることか ら,これら 2 種のアリはクモの捕食選択実験に使用できると判断した. 39

表 1 クロオオアリの成虫とアミメアリの蛹に対するクモの捕食結果 クロオオアリ アミメアリ 捕食あり 2 4 捕食なし 0 2

図 3 クロオオアリとアオオビハエトリとのサ イズ比較(背景は 1 mm 方眼)

1.アリの体サイズに関する捕食選択実験 成虫のクロオオアリの体重を電子天秤で計測し,その結果に基づいてアリを 35 mg 以上(大型),20 mg~35 mg(中型),20 mg 以下(小型)の 3 つのグループに分 けた(図 3).カップの 1 部屋にアオオビハエトリを入れ,他の 1 部屋には大型また は中型のクロオオアリ,残りの 1 部屋には中型または小型のクロオオアリを 1 個体ず つ入れた.カップ内の部屋の仕切りを外し,クロオオアリの大型と中型,大型と小型, 中型と小型の個体の組み合わせでは,クモはどちらの体サイズのアリを捕食するのかを 調べた.

2.アリの種に関する捕食選択実験 カップ内の 1 部屋にはアオオビハエトリを 1 個体入れ,他の 1 部屋には成虫のクロ オオアリを,さらに他の 1 部屋には蛹を運ぶアミメアリを 1 個体ずつ入れた.カップ 内の部屋の仕切り板を外し,クモが成虫のクロオオアリとアミメアリの蛹のどちらを捕 食するのかを調べた.なお,成虫のクロオオアリには様々な体サイズの個体があるが, アリの体サイズに関する捕食選択実験ではアオオビハエトリが小型のアリを補食する 傾向が示唆された事から,本実験では全て体重 20 mg 以下の小型のクロオオアリを使 用した.

観察方法 それぞれの捕食選択実験において,クロオオアリに対する捕食を観察する場合は,ク モがクロオオアリに噛み付く,または接触をした時点から,摂食を開始するまでを「攻 撃時間」,摂食を開始してから摂食を終えるまでを「摂食時間」とした.また,アミメ アリの蛹に対する捕食を観察する場合は,クモが蛹を運ぶアミメアリに噛み付く,また は接触をした時点から蛹を奪い取るまでを「攻撃時間」,蛹を奪い取ってから,摂食を 40

終えるまでを「摂食時間」とした.それぞれの場合で「攻撃時間」と「摂食時間」をス トップウォッチを用いて計測した.なお,クモが摂食を 2 時間以上続けていた場合は, 「摂食時間」を 2 時間と記録し,それ以降の観察と記録は行わなかった.また,クモ がアリに対して攻撃をしなかった,または攻撃はしたものの摂食するに至らず,攻撃す る様子がなくなってから 20 分以上経過した場合は,そのアリを捕食しなかったとみな し,それ以降の観察と記録は行わなかった.

データ解析 アオオビハエトリはクロオオアリとアミメアリのどちらを選択的に捕食したかを調 べる際には,実験結果として予測される 2 つの行動:「クロオオアリを捕食」・「ア ミメアリの蛹を捕食」が観察される割合は同じであると仮定し,この仮定と実際の観察 数が有意に異なるかどうかを調べるために母比率の検定を行った.また,体サイズの異 なるクロオオアリに対する捕食選択実験では,アリの体サイズとアリに対するクモの攻 撃時間との関係について Spearman の順位相関係数を算出し,相関の有無を検討した. さらに,クモが捕食対象とした個体としなかった個体間で体重に差があるかどうかを Mann-Whitney の U 検定により調べた.なお,これらの解析は全て統計解析ソフト Minitab16(OnTheHub.com)を用いて行った.

結 果 1.アリの体サイズに関する捕食選択実験 異なる大きさのクロオオアリに対し,アオオビハエトリはどの大きさのアリを捕食す るのかを調べた結果(表 2),クモは体サイズがより小さいアリを捕食する傾向がみら れた. 体サイズの異なるクロオオアリに対するクモの攻撃時間を調べた結果(図 4),アリ の体重が重くなる(体サイズが大きくなる)に従って攻撃時間が長くなる傾向が見られ た.また,体サイズの異なるクロオオアリに対するクモの摂食時間を調べた結果(表 3), 大型のアリと中型・小型のアリに対する摂食時間はほぼ同じであった.さらに,クモが 捕食対象とした個体としなかった個体間で,捕食実験前に計測した体重を比較すると, 統計的な有意差は見られなかったものの(p = 0.212),クモが捕食対象とした個体は しなかった個体より体重が軽い傾向が示唆された(図 5).

2.アリの種に関する捕食選択実験 アオオビハエトリは成虫のクロオオアリとアミメアリの運ぶ蛹のどちらを捕食するの かを調べた結果(表 4),捕食が見られた 16 回のうちの 13 回で,クモはアミメアリ よりクロオオアリを有意に捕食した(p < 0.05).クロオオアリと蛹を運ぶアミメアリ に対するクモの攻撃時間は,クロオオアリに対しては平均 9 分,アミメアリに対して は平均 18 分であり,クロオオアリよりアミメアリに対する攻撃時間が長かった(表 5). また,成虫のクロオオアリとアミメアリの蛹に対するクモの摂食時間は,クロオオアリ 41

を摂食する場合は平均 77 分,アミメアリでは平均 42 分であり,アミメアリの蛹より クロオオアリに対する摂食時間の方が長かった(表 6).

表 2 体サイズが異なるクロオオアリに対するクモの捕食選択結果 捕食観察数 選択対象 試行回数 大型 中型 小型 捕食なし 大型と中型 7 1 5 — 1 大型と小型 4 1 — 1 2 中型と小型 6 — 1 2 3

表 3 体サイズが異なるクロオオアリに対するクモの摂食時間 摂食時間の観察数 0~ 30~ 60~ 90~ 120 分~ 摂食対象サイズ 30 分 60 分 90 分 120 分 (平均摂食時間) 大型 0 0 1 0 1 (75 分) 中型・小型 0 0 2 0 7 (86 分)

表 4 クロオオアリとアミメアリに対するクモの捕食結果 捕食対象種 捕食観察数 クロオオアリ 13 アミメアリ(蛹・成虫) 3 どちらも捕食なし 4 p<0.05

表 5 クロオオアリと蛹を運ぶアミメアリに対するクモの攻撃時間 攻撃時間の観察数 攻撃対象種 0~20 分 20~40 分 40~60 分 (平均攻撃時間) クロオオアリ 14 1 0 (9 分) アミメアリ 3 0 2 (18 分)

表 6 クロオオアリとアミメアリが運ぶ蛹に対するクモの摂食時間 摂食時間の観察数 0~ 30~ 60~ 90~ 120 分~ 摂食対象種 30 分 60 分 90 分 120 分 (平均摂食時間) クロオオアリ 4 2 2 2 3 (77 分) アミメアリ(蛹) 1 4 0 0 0 (42 分)

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(分)

攻 撃 時 間

(mg) 体 重

図 4 クロオオアリに対するクモの攻撃時間と補食された個体の体重との関係 (順位相関係数 0.6256, p<0.05)

(mg) 60

100%

50

40 体 75% 重 30 中央値

25% 20 0%

10 捕食対象個体 (n=11) 非捕食対象個体 (n=11)

図 5 クモが捕食対象としたクロオオアリの個体としなかった個体の体重

考 察 ハエトリグモは,より小さいサイズの餌を補食する傾向があることが報告されており (Drees 1952, Dill 1975, Gardner 1966),アオオビハエトリにおいても,野外で 43

クロヤマアリを補食する際には,頭部の小さな働きアリばかりを狙うという藤澤 (2009)の報告がある.本研究でも,体サイズの異なるクロオオアリに対する捕食選 択実験において,アオオビハエトリは体サイズがより小さい個体を捕食し,体サイズが 小さい個体に対するほど攻撃時間が短くなる傾向がみられた.動物の採餌行動に関する 最適採餌戦略の見地から,捕食者は様々な餌動物に対して探索時間と処理時間を考慮し, 平均採餌効率の最大化を図ると考えられている(伊藤ら 1992).このことから,アオ オビハエトリはより短い攻撃時間で得られる小型のクロオオアリを選択して捕食して いる可能性が高い.また,本研究の実験期間内に,アオオビハエトリが逆にアリから攻 撃される例が観察された.Nelson et al. (2004) はフィリピンのハエトリグモがア リによって攻撃される事を報告している.このことから,アリの体サイズが大きくなる ほど,アリから攻撃されるリスクも高くなるため,体サイズの小さいクロオオアリを捕 食している可能性も考えられる. アオオビハエトリは野外においてクロオオアリの成虫もアミメアリの蛹も捕食する ことが知られているが(井伊 1974,Miyashita 1991),本研究におけるこれら 2 種 のアリに対する捕食選択実験では,アオオビハエトリはアミメアリの蛹よりクロオオア リを選択的に捕食した.このことから,アオオビハエトリは野外において効率よく餌を 得るため,捕食対象を選択している可能性が示唆された.一般にクモは様々な動物を補 食するが,エネルギー獲得の最大化,栄養バランスの最適化,餌動物が持つ毒物摂取の 最小化を実現するために捕食選択をすることが示唆されている(Toft 1999).本研究 において,2 種のアリに対するアオオビハエトリの摂食時間は,アミメアリの蛹よりク ロオオアリに対する方が長かった.このことから,クロオオアリのほうがアミメアリの 蛹より得られる餌量が大きく,質的にも餌としての価値が高いことが推測される.さら に,2 種のアリに対する攻撃時間は,クロオオアリよりアミメアリに対する方が長かっ た.しかし,アミメアリに対する攻撃時間はばらつきが大きく,アリから蛹を奪い取る 行動に関して,クモに個体差がある可能性がある.これは,野外において蛹を運ぶアリ と出会う確率が低く,蛹を奪って捕食する機会が少ないため,経験の差により個体差が 生じるのではないかと思われる.これらの事から,アオオビハエトリがアミメアリの蛹 より成虫のクロオオアリを捕食した理由として, 1)クロオオアリの方がアミメアリの 蛹より餌としての量が多い, 2)アオオビハエトリが必要する栄養素がアミメアリの蛹 よりクロオオアリに多く含まれる, 3)過去にアミメアリの蛹よりクロオオアリを捕食 した経験が多い, などが考えられる.

謝 辞 本研究を行うにあたり,岩佐真宏氏,永澤拓也氏,小柳智恵氏,奥原日向子氏(日本 大学),ならびに弘中 豊氏(横浜国立大学)から貴重なご助言を戴いた.また,編集 幹事である仲條竜太氏から原稿に関して適切なコメントを戴いた.ここに深く御礼申し 上げる.

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引用文献 Dill L.M. 1975. Predatory behavior of the zebra spider, Salticus scenicus (Araneae: Salticidae). Canadian Journal of Zoology, 53: 1284-1289. Drees O. 1952. Untersuchungen über die angeborenen Verhaltenweisen bei Springspinnen (Salticidae). Zeitschrift für Tierpsychologie, 9: 169-207. Elgar M.A.1993. Inter-specific association involving : kleptoparasitism, mimicry and mutualism. Memoires of the Queensland Museum, 33: 411-430. 藤澤庸助 2009.アオオビハエトリのアリを狩る行動等の観察例.Kishidaia, 96: 74. Gardner B.T. 1966. Hunger and characteristics of the prey in the hunting behavior of salticid spiders. Journal of comparative and physiological psychology, 62: 475-478. 井伊伸夫 1974.アオオビハエトリとアリ.Atypus, 62: 11-12. 井伊伸夫 1977.ハエトリグモの蟻卵略奪行動.Acta Arachnologica, 27: 209-212. 伊藤嘉昭・山村則男・嶋田正和 1992. 動物生態学.蒼樹書房. 城 成治 1964.アリの幼虫をさらうハエトリグモ.Atypus, 32: 11. Miyashita K. 1991. Life history of the jumping spider Silerella vittata (Karsch) (Araneae, Salticidae). Zoological Science, 8: 785-788. 中平 清 1955.アオオビハエトリとアリ.Atypus, 9: 1. 中平 清 1973.アオオビハエトリの狩るアリ.Atypus, 61: 15. Nelson X.J., Pollard S.D. Edwards G.B. and A. T. Barruin 2004. Predation by ants on jumping spiders (Araneae: Salticidae) in the Philippines. New Zealand Journal of Zoology, 31: 45-56. 小野展嗣 1975.アリをきらうクモと好むクモ.Kishidaia, 39: 41. 小野展嗣 2009.日本産クモ類.東海大学出版会. Toft S. 1999. Prey choice and spider fitness. Journal of Arachnology, 27: 301-307. Touyama Y., Ihara Y. and F. Ito 2008. Argentine ant infestation affects the abundance of the native myrmecophagic jumping spider Siler cupreus Simon in . Insectes Sociaux, 55: 144-146.

要 旨 蟻食性のハエトリグモであるアオオビハエトリのアリに対する捕食行動を室内実験 により調べた.クロオオアリとアミメアリを用いて,異種のアリに対する捕食選好性の 有無を検討すると共に,体サイズに個体差があるクロオオアリを用いて,体サイズの異 なる同種のアリに対する捕食選好性の有無を検討した.その結果,体サイズが異なるク ロオオアリでは,より小型の個体に対する選好性が示唆された.また,成虫のクロオオ アリとアミメアリの蛹では,クロオオアリに対して選好性が認められた.

キーワード:ハエトリグモ,アオオビハエトリ,捕食行動,餌選好性

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

スズミグモの越冬

西 野 真 由 子

はじめに 大阪においてスズミグモがまどいで越冬したことは,Kishidaia 85 号で既に報告し た.スズミグモの生態はよく知られていると思い,詳細は報告しなかったが,越冬に関 する報告はあまりないようである.クモ生理生態事典(池田ほか 2010)で名古屋にお ける観察(小笠原 1997)があることを知った.そこで改めて観察記録を報告し,比較 した.

観察結果 1996 年 8 月~1997 年 5 月までの観察記録を表 1 に時系列で記載した.なお観察場 所は大阪府堺市である.

図 1.スズミグモの産卵(1996 年 9 月 15 日). 図 2.卵嚢 I から出嚢(1996 年 9 月 29 日).卵 上部の白い塊は 8 月 27 日産卵の卵嚢Ⅰ 嚢 I は産卵から 33 日後に出嚢した.

図 3.D 地点の幼体(1996 年 10 月 25 日). 図 4.卵嚢Ⅱから出嚢(1996 年 11 月 17 日) 移動当初はまだ枯葉に覆われていない. 産卵から 63 日後に出嚢.

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表 1 スズミグモの観察記録 1996 年 8 月 27 日 スズミグモ♀が 1 回目の産卵(卵嚢 I). 9 月 15 日 同じクモが 2 回目の産卵(卵嚢 II)(図 1). 9 月 24 日 産卵したクモが死亡. 9 月 29 日 卵嚢Ⅰから幼体が出嚢(600 頭)(図 2).地上 90cm の卵嚢近くで まどいを形成. 10 月 7 日 まどいの幼体が卵嚢から 120cm 西,地上 85cm の A 地点へ移動(580 頭). 10 月 12 日 A 地点の幼体が 85cm 東,地上 15cm の B 地点へ移動(550 頭). 10 月 14 日 B 地点の幼体のうち 400 頭がさらに 70cm 東,地上 60cm の C 地点 に移動.B 地点には 130 頭が残った. 10 月 25 日 C 地点の幼体がさらに 30cm 東,地上 50cm の D 地点(200 頭,図 3), 60cm 東,地上 3cm の E 地点(150 頭)に分かれた. 11 月 17 日 卵嚢Ⅱから幼体が出嚢(350 頭)(図 4).地上 90cm の卵嚢近くで まどいを形成(F 地点).卵嚢Ⅰの幼体は B 地点(100 頭),D 地点 (180 頭),E 地点(120 頭). 12 月 15 日 幼体は 4 箇所でまどいを形成.まどい周囲に枯葉が集まってきた. 1997 年 1 月 15 日 卵嚢Ⅰの幼体は B 地点(30 頭),D 地点(100 頭),E 地点(10 頭). B地点,D 地点のまどいは枯葉に覆われた.卵嚢Ⅱの幼体は F地点(100 頭)で枯葉に覆われた. 2 月 8 日 卵嚢Ⅰの幼体は B 地点(15 頭),D 地点(100 頭).B 地点のまど いは枯葉に覆われたまま地面に落下.E 地点の幼体は全て死亡.卵嚢 Ⅱの幼体は F 地点(60 頭). 2 月 23 日 卵嚢Ⅰの幼体は D 地点(80 頭)のみ,B 地点も全て死亡.卵嚢Ⅱの 幼体は F 地点(40 頭). 3 月 23 日 越冬した幼体は D 地点に 80 頭,F 地点に 40 頭(図 5). 4 月 12 日 D 地点,F 地点の幼体が越冬した枯葉の集まりの中から外へ移動し, まどいを形成. 4 月 20 日 21 時 D 地点のまどいから幼体が上部へ移動した.糸を流してさらに 上へと上がり,風にあおられ分散していった.約 20 頭が分散したが, まだ葉陰には幼体が残っていた. まどいの幼体は 1~2 日ですべて分散するのではなく,雨の降ってい ない夜間に 5~10 頭ずつ何日もかけて分散した.5 月 4 日には D 地 点,F 地点とも幼体はいなくなった.また出のう後分散するまで脱皮 は確認しなかった.

図 5.越冬したスズミグモ幼体(1997 年 3 月 23 日).D 地点(左),F 地点(右)ともまど い周囲は枯葉に覆われている.

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考 察 名古屋における小笠原(1997)の観察の概略は以下の 5 点である. ⅰ)スズミグモは 2 齢幼体で越冬した. ⅱ)越冬場所は母グモの網のそばの樹葉がつづりあわさった住居の中.住居を母グモが 作ったのか,幼体が自ら作ったのか,母グモの網がつぶれて偶然できたのかは不明. ⅲ)越冬後,幼体は摂食,脱皮しないまま,5 月まで越冬住居内で集団で暮らした. ⅳ)スズミグモの幼体はチリイソウロウグモの幼体に捕食された可能性があった. ⅴ)分散の仕方は不明. 今回の観察では卵嚢Ⅰの幼体のまどいは卵嚢近くから何度も位置を変えたが,ⅰ)~ ⅲ)についてはほぼ同様であった. 筆者が最も興味があったのは,今回の越冬したスズミグモ幼体のまどいの周囲に枯葉 が集まり,保温効果があった点である.枯葉が少なかったまどい(E 地点)の幼体は春 を迎えることなく死亡した.これは翌年以降に観察した 7 例でも同様だった.しかし このことが大阪で越冬するために必要であるのかは,観察数が少なく判断できなかった. 同様の越冬場所を観察した小笠原(1997)は,まどい周囲の枯葉の必要性を示唆して いる.筆者の観察では母グモも幼体も枯葉を集めることはなく,本報にあるスズミグモ の母グモは幼体の出嚢前に死亡した.翌年以降の観察では,幼体の出嚢後に母グモが死 亡した例もあったが,10 月下旬までには死亡した.母グモの生存中にはまだ落葉して おらず,越冬時の幼体は小さすぎて自ら枯葉を集めることは不可能である.幼体にでき るのは葉陰にまどいを作り,枯葉が集まる確率を高めることである.しかしうまく枯葉 に覆われても,B 地点のように枯葉ごと地面に落下すると越冬できない.スズミグモ幼 体にとって大阪での越冬のハードルは高いのではないだろうか. また,集団ではなく,単独で越冬できるかどうかは不明である.卵嚢Ⅰのまどいが移 動していく時に若干の幼体が集団から離れた.このことから,単独生活の幼体が葉陰で 越冬した可能性も考えられる.筆者の観察例 9 例は 8~10 月に産卵,9~12 月に出嚢 した(西野 2004).小笠原(1997)の観察も産卵日は不明で 10 月下旬にまどいを発 見したものである.もう少し気温が高い時期の出嚢であれば,越冬前に分散することも 考えられる.

引用文献 池田博明・桑田隆生・新海明編 2010 .クモ生理生態事典(2010 年版). http://www.ne.jp/asahi/jumpingspider/studycenter/Dic10.html 小笠原幸恵 1997.スズミグモの越冬について.蜘蛛,29:32-33. 西野真由子 2004.円網種 6 種の産卵・出のう・まどい.Kishidaia,85:5-12.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

師弟の絆,いま再び.~もてぎ編

貞 元 己 良

はじめに 今年 2011 年度,東京クモ談話会合宿の申込み締切日は 6 月 15 日であった.今年は 3 月 11 日に東北地方の太平洋側で大きな地震があった関係で,実はこの時点まで合宿 に参加できるか否か判明していなかった.一般の方々は被災地に向け自衛隊や消防隊, 警察官達が復興支援に当たっている事をマスコミ報道等で知っているが,実際には漠然 とした認識しかなく具体的にどんなことをしているかは知らないだろう.私自身も支援 活動が長引けば,合宿はおろか学会も観察会も全て当分の間は参加できないと覚悟を決 めていた.しかし“もしかしたら休みがもらえるかもしれない”と淡い期待を持ちつつ 「参加します」と締切日に加藤さんの携帯電話に直接申し入れてしまった.すると事情 を知らない加藤さんから 6 月 23 日付けで葉書が来て,それによればマイクロバスを借 りて市川駅集合で現地に向かう計画を考えている!とのこと.もちろん大型免許を持っ ている私が運転手という段取りのようであった.計画としては最高だが,正直に申し上 げて「私は抜きにして頂きたい.」という気持ちであった. 7 月に入り 8 日に元の勤務体制に戻り,10 日は何ヶ月振りかの休みでクモ談話会の 観察会に参加した.翌日は同僚が 7 月 18 日に結婚式を挙げるというので二次会パーテ ィの招待状を貰うより先に「お祝い」を渡し,(出られません)オーラを発しておいた. しかし係員の一部が未だ支援活動に行っており,夏休みが取れる勤務体制になっていな かった為「合宿の為の休暇」は却下されてしまった.その代わり 19 日の一日だけ休み を頂き辛うじて合宿に参加できることとなった.合宿前日の 7 月 16 日は泊り勤務で深 夜 3 時間の仮眠が認められているので「絶対,寝る!」と強い意志で望んだが土曜日 の繁華街はこれを許してはくれず結局オールナイトで昼過ぎまで勤務させられた.そし て,ふらふらのまま新幹線に乗り込み約 1 時間ぐっすり眠り宇都宮駅でレンタカーを 借りて合宿所に向かった. 例の如く,これは合宿報告ではない.私の個人的な見解に基づく旅の手帳と思って頂 ければありがたい.今回 2011 年度の合宿の世話人は加藤輝代子氏で,自身が勤める東 京環境工科専門学校の卒業生が今回の合宿所に勤めている関係で利用させて頂く事に なったそうである.正に「教え子のツテは顔の広さに比例する.」という感じであった.

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1 日目 当日の集合時間より相当遅れて「ツインリンクもてぎ」に着いた.実は途中で疲れが ピークに達し木蔭のある公園駐車場で 1 時間ほど仮眠を取ってきた.もう 2~3 時間寝 かせて貰えれば完全に元気印の「貞元さん」になれるところだが,夕食の時間が迫って いたのでこれ以上は無理と判断しコンビニに寄り「眠眠打破」を買って急いでホテルに 着いた次第であった.ホテルの部屋に荷物を置きホッと一息入れ携帯電話を確認したと ころ,加藤氏から留守メモが入っておりホテルのロビーで合流,ホテルに居た工藤さん 泉さんらと供に「ハローウッズ」なるクラブハウスへ車で移動して夕食となった.ハロ ーウッズの駐車場から施設内に入った所で学生会員の石黒君に出会う.彼とは先日の談 話会観察会で会っていたので気軽に「コンニチワー.」と声を掛けてきた.「あっ,ど うも・・.」と言いつつ彼の視線が私の後方に居た当会員工藤さんに向いたので右手を 差し伸べながら「母です.よろしくお願いします.」と言ったところ石黒君は驚いた表 情に変わったので間髪入れず「ウソです!」と言い放つと彼は大きく後ろに仰け反り危 うく 1 回転するほどコケていた. 合宿 1 日目の夕食はカレーライスであった.ホテルの夕食は一人 3,500 円程かか るそうでクラブハウスに勤めるスタッフに無理を言って特別に一人千円でカレーライ スを作って貰ったそうで,食事の場所もスタッフルームを特別に利用させて頂いた.ス タッフが用意してくれた食事のセットはカレーの入った鍋と炊き立てのご飯とトン汁 であったが,おタマが 1 つしかなく思案に暮れた結果,スタッフに話してもう一つ借 りようと世話役の加藤氏が交渉のため部屋を出たところ後を追うよう出て行った当会 員 B 氏が,穏やかに笑顔でスタッフと交渉する加藤氏の間に割って入り,怒った口調 で「やかんに冷たい水を入れて持ってこい.」と叫んでいた.これは水を買いに出た私 が目撃してしまった.夕食後はスタッフからの差し入れでスイカも振舞われた. 夜間観察は,この「ハローウッズ」の裏に広がる谷戸で時間の許す限り行われた.出 発前にスタッフルーム前に設置されていた木の椅子に腰掛けていたところ,周囲が暗く なるとともに瞼も閉じていく衝動に駆られたので「眠眠打破」を飲んだ.約 3 時間は ギンギンである.「眠眠打破」のお陰で感覚が鋭くなりムツトゲイセキグモが居る場所 は判った.後は徹底的に探すのみであったが,昼間の観察会も同じ場所であったため明 るい内に現場を歩いていた当会員初芝伸吾氏に先を越されムツトゲイセキグモは彼が 採取していた.後で聞いたところ,その場所に行ったのは私と初芝氏だけのようであっ た.残ねーん.ムツトゲイセキグモの棲息する環境には必ずトリフン類 4 種も棲息し ている.最初にトリフンを見つけ次にシロオビそしてアカイロ,オオトリと続き,最後 はムツトゲで終わる予定がダンダラオニグモ幼体(非公開)で今夜はお開きであった. あと 2 時間いや 1 時間頂ければ必ずムツトゲ,マメイタ,ゲホウ,キジロ,ワクドの いずれか一つは採集してくる自信はあったのに惜しいことをした. ホテルへ戻り地下 1 階にある会議室を借り切ってクモ合わせと宴会に突入していっ た.しかし,私はクモ合わせの終了を待って虚脱感に襲われ始めていたので退室させて 頂いた.部屋は当会員浅間茂氏と同室で一人部屋を希望して置けば良かったと後悔しつ 50

つ,先に風呂を借りたがそのままベッドに潜り込み,5 秒と持たず眠ってしまったよう であった.

2 日目 目覚めは午前 6 時 45 分であった.例年の合宿ならば遅くとも 5 時には起きて朝食時 間まで採集活動に出るところだが,今回は体調が万全ではなかった.更に昨夜は「眠眠 打破」を飲んだため副作用で強度の虚脱感が 1 日続くことになるだろう. 今回は合宿参加人数より車が多かった為,採集場所に向かう車は一人だった.2 日目 はツインリンクもてぎ施設の南側にあるアカマツ林に囲まれた休耕田地帯で「カタクリ の里」と看板が立っていた.丁度この日はこの休耕田の草刈をスタッフ数名が行ってお り,私達は邪魔にならぬよう作業場所の縁でクモの採集をさせて頂いた.この場所に至 る途中の坂道の壁側で当会員泉宏子氏が「貞元さん,これフタオイソウロウグモでいい の?」と聞いてきた.確かに卵のうは似ているが違うと感じ「ルーペで見る限り,フタ オじゃありません.」「取りあえず,採集しておきましょう.」と採取することを促し たが,昼休みに改めて見せて頂いたところ,なんと「クロマルイソウロウグモ」であっ た.泉さんは昔から何気ない顔でアッと驚くクモを見つける特技を持っており,隠れた 珍品取り名人である. 午前中は反対側斜面から山に登り人気の無いことを確認して,ひたすらビーティング をしまくった.山の稜線上を歩き三つ目か四つ目の谷を越えた所でタイムアウト.12 時の集合時間に間に合わせるため,わき目も振らず戻ってきた. 昼食は屋根のある作業員休憩所みたいなところを借りて,わざわざハローウッズのス タッフに仕出屋の弁当を車で運んで頂いた.加藤氏から観察会に出掛ける際「観察地は 水が無いので必ず用意していくように.」と注意を受けていたので水分の用意はしてあ ったが,昨日の会員 B 氏の剣幕も影響してか,弁当を届けに来たスタッフはペットボ トルの冷たいお茶も人数分用意して持って来てくれた.「気が利くじゃねーか.」と会 員 B 氏が感心していたが,私は,「もし,これが無かったら会員 B 氏はスタッフの襟 首を掴んで前後に振り,“やかんに冷たい水を入れて持ってこい.”と怒鳴る姿が容易に 想像できた.」と感じていた.昼食終了後,今後の時間割が発表され午後の観察会が同 一場所で行われた.更に夜間も同一場所で行われるという説明を受けた.あくまでも調 査の一環としてだが,同一場所に 20 名以上の研究者が午前,午後,夜間の 3 回も訪れ て採集活動をしても意味がない様な気がしたので,私は 3 回とも誰も採集に行かなか った環境(場所)を選択し他人とは違うクモを採集するように心掛けた. 午後の観察会は午後 3 時に終了となったので,ホテルに帰り冷たいシャワーを浴び 時間の許す限り寝かせて頂いた. 夕食時,再びホテルからハローウッズへ移動する為,ほぼ全員がロビーに集合してい たが 2 名足りない.痺れを切らした加藤氏が携帯を入れると 2 名は既にハローウッズ に行っていたので憤慨しながら合流することとなった.この 2 人は同室の者でありな がら,ハローウッズへの行き方が全然違っていた.当会員 A 氏は所用を済ませエレベ 51

ーターで 1 階フロント前に出たところ丁度,会員 B 氏が誰かの車に乗り込み立去る姿 を目撃した.会員 A 氏は集合時間に遅れたと勘違いし慌てて駐車場に行くも誰の車も 無かったので自分の車を飛ばしハローウッズへ行ったとのこと.会員 B 氏は集合場所 をハローウッズと勝手に思い込み,同室の会員 A 氏が部屋に居なかったことから置い て行かれたと思い込み,ホテルのスタッフを動員して歩いては行けない距離にあるハロ ーウッズまで送らせたそうである.いずれにしろ世話役の指示を全く聞いていない困っ た方々であった. 夜間観察は台風の影響で雨雲が発生し小雨がぱらぱらと降る中で行われた.夜 9 時 で撤収となったが,「これからが,面白い時間なのにー.」と訴える私に加藤氏は「貞 元さん,一人で採集に行ってもいいですよ.貞元さんなら安心ですから.」と願っても ない嬉しい言葉を掛けて下さった.私は午前中に着いた時から気になる場所があった. それは駐車場の入り口から谷底へ降りる道があり,これを降りて行くと絶対面白い所に 出ると勘が働いていた.案の定,歩いている私の後方からムササビ達が奇声を発しなが ら歓迎の言葉を投げかけてくるのでワクワクしながら採集に夢中になっていた.コガネ グモ!10 匹以上はいる.ゲホウグモ!高い所に大きな円網が見えるが道具が無い為採 れない.等など一歩一歩進むのが惜しいくらい下から上に又は右から左へ目を移しなが ら採集に没頭していた. 約 1 時間半が経過した頃,どこかで人の声が聞こえる.誰かを探しているような呼 び掛けの声であった.駐車場方向に強いライトの光が薄ぼんやり見えたので,「あっ, 私を呼んでいる.」と合点し約 15 分かけて車に戻ってきた.私の車が動き出せないよ うに後方にぴったりとくっ付けてライトを付けたまま止められた車から出てきたのは, 警備会社の制服を着た 60 歳代の男性で非常に怒った口調で「ここで何をしている.何 処から入ってきた.」と威圧的な物腰で(面倒くさい事)になる予感がした.「クモの 調査をしている.」と説明しても,そんな連絡は受けていない,の一点張りで事務所に 連れて行くという話になり拒否の姿勢を見て取るや声高に身分証明を見せろ.という話 から,これ以上の説明は無理と考え「伝家の宝刀」を抜くことにした.財布から名刺を 取り出し(この紋所が目に入らぬか・・・)と,ばかりに「怪しい者ではありません. 本業はこれです.」と手渡したところ,警備員さん持っていた懐中電灯で名刺の文字を 読み一瞬硬直し,(ははー,と平伏し)そして笑顔になって「失礼いたしました.怪し い方ではないと分かりました.」と述べ,恐縮しながら早々に車に乗り込み走り去って 行ってしまった.丁度雨も本降り状態で私は気分が削がれ,これ以上採集活動を続ける 気力も失せ加藤氏に一言「連絡が不徹底でしょ.安心して山に入れない.」と文句を言 うつもりでホテルに戻ってきたが,会議室で大酒に興じていた加藤氏は真っ赤な顔でロ レツの回らぬ口調で,人が真面目に話しているのに笑い話のネタにして収拾してしまっ た.ひどい仕打ち!踏んだり蹴ったりであった.でも,あれが無ければ朝まで採集活動 を行っていたかもしれない.昼間,沢山寝ているので. その後,会議室で行われていた宴会に参加して会員皆様の興味深い話に耳を傾けた. 印象に残っている話として,長野の当会員藤澤氏は「クモの合宿に来る目的は,採集す

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ることじゃない.皆がどんな方法でクモを採集するかを見て,地元に帰ってから自分も 応用して採集の技術を高めたいと考えている.」と述べられ更に,「但し八幡氏の採集 方法だけは真似したくないし,あれは正常な人間のやることではない.彼のやっている ことは人間の行動から大きく逸脱した動物並みの本能だけで動いていると・・・中略. (失礼しました.こんなことまで言っていません.)・・・でも,やっぱり自分のスタ イルで採集するのが一番だって気付くのですよ.」という話に私も納得した.山形の当 会員池田氏からはマミジロハエトリとマミクロハエトリの違いについて図鑑に載って いる外雌器での判定は出来ない,第 3 脚と第 4 脚の長さの比で簡単に種の判定が出来 るという興味深い話を聞いた.その他,話は尽きぬまま午前零時ころお開きとなり部屋 に戻り二日目は浅間氏に先に風呂へ入って頂き先に寝てもらったが,この人は凄いイビ キだった.やっぱり一人部屋にして頂きたかった,と後悔しつつ両手で耳を塞いでいた もののいつの間にか眠ってしまった.

3 日目 朝 5 時に目が覚めた.隣では「グワー」という凄いイビキ!つまり,自然に目が覚 めたのであれば早朝観察にも出ようという気になるが割とデリケートな人間なので頭 から布団を被って又寝てしまった.午前 7 時前に目が覚め同室の浅間氏とともに朝食 に出る.外は台風の影響で小雨が降り始めた状態だった.朝 5 時から朝食時間まで採 集活動に出れば良かったと後悔する.午前 9 時,ホテルのロビーに集合すると加藤氏 から「本日午前中に予定していた観察会は中止し合宿も解散とします.」という信じら れない発言であった.談話会の採集観察会は雨が降ろうが雪が積もっていようが火の粉 が降ってこようとも中止しないハズなのに・・・,しかし加藤氏の口からは「どうして も採集をしたい方は個人的に,どうぞ.」との発言だった.私的には一人でも時間が許 す限り行きたかったが,「宇都宮まで乗せて行って欲しい.」と昨日から一人同乗の約 束もあったので仕方なく諦めた. 宇都宮までの道すがら,雰囲気のいい神社が森の中に建っていたので雨も小雨であっ たことから「寄って行っていいですか?」と助手席に座る(おじさん)に声を掛け,チ ラっと顔色を伺うと「グワー」と高イビキが返事であった.やっぱり一人で帰りたかっ たなー.宇都宮には午前 10 時半には着いてしまい,午後 1 時には千葉の自宅に着いて いた.早いお帰りであった.

まとめ 最近の合宿の傾向として年々宿泊場所のグレードがアップしている.今回は本格的な ホテルであった.我々のような汚い格好で出入りする者には若干抵抗のある施設であっ た.部屋も綺麗であったが個人的には一人部屋にして欲しかった.しかし合宿という名 目であるならば今回の施設には野外キャンプ場も備えてあったのでテントに泊り込む のも一興と感じた.元々,この施設は自動車メーカー「ホンダ」のモータースポーツ競 技全般が楽しめる場所で,昔 F1 ファンだった妻も「ツインリンクもてぎ」の名前だけ 53

は知っていた.広大な敷地の中には「森の自然体験ミュージアム,ハローウッズ」と称 するキャンプや自然散策を通じ子供の情操教育を目的とする施設もあり,私達も今回こ こを中心にクモの採集をさせて頂いた.採集リストは,後日同施設に提供されると聞い た.クモが生息する環境としては,適度に人の手が加わり風も通りやすく良好であるが, 植樹された樹が未だ細く落葉の堆積も十分とは言えず後 10 年もすれば最高の場所にな ると感じた.ムツトゲイセキグモも今回ハローウッズ裏の山で当会員初芝伸吾氏により 採集されたが,似たような環境はカタクリの里にもあり今後見つかると思う.ちなみに ゲホウグモはカタクリの里で私が採集した標本ビンの中にオスの成体が入っていた. 今回の合宿では世話役加藤輝代子氏に大変お世話になりました.世話役として憤慨さ れる事も多くあったと思いますが,じじぃのやることですから許してあげて下さい. 今年も楽しい合宿でした.来年も元気に参加したいと思います.

最後に 最初に申し上げなければならないことでしたが,「ツインリンクもてぎ」の施設スタ ッフの方々には大変お世話になりました.合宿参加者の中にはホテルのカードキーを紛 失したりキーを付けたまま部屋を出てしまい再発行して頂いたりと迷惑をお掛けまし た.クラブハウス「ハローウッズ」のスタッフには施設利用料金,駐車料金の免除や夕 食の用意もして頂きました.またスタッフルームを借りて食事をしておきながら後片付 けもせず,更に昼食の弁当を現地まで運んで頂きながら後片付けもスタッフの「こちら で,やりますから・・・.」という甘い言葉に頼ってしまいました.観察会の場所では 説明と案内も買って出てくれ,スタッフの中には加藤輝代子氏を恩師と慕う職員の方も 何人かいらした様で,私達はその好意に便乗して甘えただけでした.師弟の絆は何年経 っても変わらぬようです.私達はこの場を借りまして,深く感謝とお礼を申し述べたい と思います.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

ワクドツキジグモの飼育報告

張 替 智 行

はじめに 2008 年ムツトゲイセキグモの飼育をして以来,マメイタイセキグモ(未発表),サ カグチトリノフンダマシ(Tanikawa & Harigae 2010)に続き,去年 2010 年にはワ クドツキジグモの飼育機会を得たため報 告する.卵嚢は沖縄島,恩納村谷茶(おん なそんたんちゃ)より谷川明男氏が持ち帰 り,出嚢させ,5 月 31 日より飼育を開始 した.最終的にはオスは 5 齢,メスは 9 齢で成体になることや造網の過程などを 観察でき,造網過程の映像記録と 25 点の 網の記録をとることができた.(網の記録 は別記事にて発表する.) 写真 1 ワクドツキジグモの卵嚢

飼育方法 飼育方法は,張替(2010)に書いたムツトゲイセキグモの飼育方法とほぼ同じであ る.ただし,ムツトゲイセキグモの飼育とは管理した数が違うので,飼育容器は初め大 ビンとし,その後成長に合わせて小ビンにグループ分けした.メス亜成体,成体におい ては造網をさせるためプラケースや鳥かごを用いた.エサも張替(2010)と同様に, 幼体時には極小のカ,造網をしてからはガを与えた.

飼育記録抜粋 5 月 31 日 谷川さんより,ツシマトリノフンダマシの可能性がある幼体として約 200 匹のクモを預かる. 6 月 8 日 谷川さんから「ツシマではなくワクドツキジグモである可能性が高い」 とメールで連絡がある.大ビンで一括管理,エサやりは楽だが掃除が非 常に難しい.ナゲナワグモ科の飼育で初めて共食いを確認.クモの密度 が濃すぎるせいなのかエサの奪い合いが引き金となって共食いしてし まうらしい.(写真 2~6) 6 月 14 日 1 度目(3 齢への)脱皮始まる,17 日までに 2 齢がいなくなりそうな勢 い.(写真 7)

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写真 2 大量飼育用のビン 写真 3 ビンの中の 2 齢

写真 4 共食い中の 2 齢 写真 5 捕食中の 2 齢

写真 6 小分けした幼体 写真 7 3 齢への脱皮

写真 8 蛾を捕食する亜成体 写真 9 小分けしたビンの 6 齢幼体

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写真 10 成体へ脱皮したオス 写真 11 2010 年内に成体になったメス

写真 12 飼育ケース内のメス各齢 写真 13 脱皮中のメス幼体

写真 14 成体へ脱皮したメス 写真 15 鳥かご内のメス成体

写真 16 鳥かご内に張られた三角網 写真 17 網のコシキで構える成体のメス

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6 月 27 日 2 度目(4 齢への)脱皮始まる,ムツトゲイセキグモはこの段階でオス の亜成体が出現するがワクドはまだ現れない. 7 月 5 日 4 齢への脱皮は落ち着いたようだ. 7 月 6 日 ビンの中からアンモニア臭がしたので急いで掃除をした. しかし他のなんらかの理由もあったためなのか 11 日から 13 日にかけて 成長している大きめのクモから 40 匹近く死んでしまった. 7 月 14 日 3 度目(5 齢への)脱皮始まる,オス亜成体確認.室内が 30℃を越える ようになったので出勤時保冷剤と一緒に保冷バッグへ入れておくよう にした(帰宅時 28℃). 7 月 23 日 4 齢まではラッピングされた蚊がそのまま残っていたのに 5 齢の食痕は 蚊が噛み砕かれ丸いものとなった. 7 月 26 日 猛暑のせいか蚊が少なくなった. 8 月 2 日 齢数の段階とオス,メスをざっと分けてみた.メス 5 齢 18 匹,オス亜 成体 12 匹,メスらしき幼体 42 匹,オスらしき幼体 22 匹,計 94 匹. 8 月 6 日 5 齢のメス 1 匹が 4 度目(6 齢への)脱皮をした. 8 月 24 日 オスが 1 匹成体になった.(写真 10) 8 月 29 日 6 日に 6 齢になったメスが早くも 5 度目の脱皮をし 7 齢になる. 9 月 11 日 エサの蚊が非常に少なくなった. 9 月 15 日 一番成長の早いメスが 6 度目(8 齢への)脱皮. 9 月 17 日 室内の気温は 22℃まで下がってきたがエサが少ないので日中の保冷を 続けることにした. 9 月 20 日 8 齢(亜成体)のメスが網を張った. 9 月 25 日 エサの蚊が増えてきた. 10 月 3 日 8 齢のメスが 7 度目(9 齢への)脱皮をし成体になった.(写真 14) 10 月 15 日 造網過程の撮影に成功.(写真 15~17) 11 月 15 日 3 匹目に成体なった個体が室内気温 16℃で造網,網を確認した最後.

1 番早く成体になったメスは 3 月 11 日,3 番目のメスは 2 月 19 日に死亡した.ま た,成体になった 10 匹のオスは,4 月 27 日までにすべて死亡した.なお,2 番目の メスは生存中である.

まとめ:その 1(捕食行動と造網) 幼体時の捕食行動は熊田ら(2001)の報告やイセキグモ類の幼体のものと全く同じ だった.サカグチトリノフンダマシの幼体ほどエサに対して攻撃的ではない印象を受け たが,エサの羽音で興奮していると仲間にも容赦がなく,共食いが多くみられた.造網 は亜成体の頃より行い,日が落ちて湿度が高くなると造網した.亜成体の網は軸になる 糸から左右両側,もしくは片側に 3 本から 4 本ぐらいの横糸を張るものだった.成体 になると横糸の数が増え,最高で 14 本まで張った.網の形は軸糸を中心にして左右 1 本ずつ計 3 本の縦糸の間に横糸が繰り出されながら左右交互にローシァ・ジョイント にしてつけられていくものが多くみられた.張り終えると軸糸と左右どちらか片方の縦 糸に第 2 脚を添えて構えた.横糸のタレ下がりはコシキから遠いところで顕著に長く, コシキに近いほど横糸は短くなった.また横糸の配列は軸糸の接着点を中心に若干扇状

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に配置されていた.横糸の粘着力は,他のナゲナワグモ科と同様に,乾いてしまうまで は非常に強力で,蛾が掛かると掛かった横糸以外の糸もローシァ・ジョイントが外れ, 蛾に次々と絡まる様子もしばしば見られた.獲物が小さい場合は軸糸へと引き上げ,大 きい場合は暴れている獲物へ近づき噛み付いて動きを止めていた.エサの動きが止まっ たらラッピングをし多くはコシキで食べていた.ラッピングはイセキグモ類ほど執拗で はなかった.エサを貯食する様子は 1 例も観察しなかった.湿度等の条件が良ければ 網を張りなおした.その場合,初めに作った網よりも横糸の数は少なかった.

まとめ:その 2(成長過程と腹部の発達過程) オスは 4 齢で亜成体,5 齢で成体となった.メスは 8 齢で亜成体となり造網を開始 し,9 齢で成体となった.脱皮前後の絶食期間は 1~3 日間ほどだったが,メスの 8 齢 から 9 齢(成体)になるときだけ 7 日間と長かった.成体になった 3 例全てのメスで は,腹部の形は 4 齢より発達し始め,成体への脱皮後もエサを食べて肥っていく過程 でさらに横へ広がっていった.そして色も初めは白,茶,黒のまだらだが,腹部が発達 する過程で茶色一色へと変化していった.オスは 4 齢で触肢の先が膨らんだ.

謝 辞 この貴重な飼育の機会を与えてくださり,齢数毎の写真記録を行ってくださった谷川 明男さんに感謝いたします.また私の飼育中心の生活に理解と協力をしてくれた母,純 子と佐伯裕子さんに感謝いたします.

追記:2011 年 6 月 26 日現在,年を越したメス 1 匹,年明けて成体になったメス 2 匹 を飼育継続中.

引用文献 熊田憲一・萩本房江・加藤輝代子・新海 明 2001.トリノフンダマシ類の幼体の捕食行動. KISHIDAIA,80:1-6. 張替智行 2009. ムツトゲイセキグモの飼育報告.KISHIDAIA,96:19-31. A. Tanikawa and T. Harigae 2010. The first description of a male of Paraplectana sakaguchii (Araneae: Araneidae). Acta Arachnologica, 59: 39-41.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

飼育下におけるワクドツキジグモの網の記録

張 替 智 行

はじめに 飼育したワクドツキジグモは,2010 年中,メスが 4 匹成体となった.そのうち撮影 用に取り分けた 1 匹を除き 3 匹が私の飼育下で造網した.それらのクモは亜成体の頃 より造網を開始し,晩秋まで頻繁に網を張った.その中で網の記録を 25 例記録できた ため,ここにその記録を掲載する.

造網を観察した容器 観察に用いた容器は 1.鳥かご(底面 40cm×30cm,高さ 41cm:写真 1),2. プラケース(30cm×18cm,高さ 20cm.実際は横置きで使用したため底面 30×20, 高さ 18:写真 2),3.水槽(底面 30cm×16.5cm,高さ 23cm)の 3 種類.造 網には高い湿度が必要なため,鳥かごや水槽では浴室で観察したりバスタオルを巻く工 夫が必要だが,クワガタ飼育用にデザインされているプラケースは通気も保湿性も適当 なため管理が容易だった.

写真 1 鳥かご 写真 2 プラケース

造網の過程 造網は日が暮れてから,飼育容器内の湿度が高い状態で開始された.クモは暗くなる と休止している場所から移動し,糸にぶら下がって待機した.その後,容器内を歩き回 り始め,縦糸,枠糸を張り,最後に横糸を張った.横糸は他のトリノフンダマシ類と同 様に,第 4 脚で繰り出されながら張られていき,基本的には 1 本の軸糸(縦糸)を中 心に左右 1 本づつの縦糸(枠糸)へ交互に配置されていった.暗くなって 30 分から 1 60

時間ほどで動き出し,30 分ほどの時間(途中 15 分間程の静止していた時間も含む) で造網を完成させた.湿度等の条件が良ければエサの捕獲の有無に関わらず網を張りな おすこともあった.

まとめ ちょうどこれらのクモを飼育中,新海ら(2010)により野外でのワクドツキジグモ の網が報告されたが,鳥かご飼育のクモの網もそれと同程度の規模であった.当然であ るが,底面積の狭い水槽では規模が小さく,底面積がカゴとほぼ同じようなプラケース では同じような規模の網まで張った.ただし面積が広くなると横糸の垂れ下がりも長く, より立体的な形になるため,高さのないプラケースでは,しばしば横糸が底に接着して しまうこともあった.横糸の数は亜成体の場合,3,4 本と少なく,成体になるとすぐ に 7,8 本張るようになった.横糸の配置は縦糸の方向や長さが変形していると左右交 互ではなく数がどちらかへ偏ることが多かった.ときとしてキチンとしてない(?)枠 糸に配置されることもあった.網は横糸の粘りがなくなったところで回収されていたよ うに感じた.夜中であれば再び張りなおす場合もあり,明け方であれば縦糸も回収して 隠れ場所へもどった.

引用文献 張替智行 2009.ムツトゲイセキグモの飼育報告.KISHIDAIA,96:19-31. 新海 明・杉本雅志・谷川明男 2010.ワクドツキジグモの網,日本でついに発見.KISHIDAIA, 98:1-3.

観察した網の記録

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

顕微鏡下で観察したクサグモ幼体の初回脱皮

本 多 佳 子

はじめに クサグモ Agelena silvatica は孵化後,卵嚢内で一回脱皮した後に出曩する.1 齢 (Larva)は毛や爪,眼のレンズ,糸疣が未発達であり,2 齢(Nymph)へ脱皮(変 態)すると普段見かける「クモ」らしくなる(図 1)(Foelix 1996).今回は室内で 保管していたクサグモ卵嚢についてこの初回脱皮を観察し,動画に記録する機会があっ たので報告する.

方 法 2010 年 9 月 15 日に筑波大学構内(茨城県つくば市天王台)で採集したクサグモの 卵嚢を 16L-8D,24℃の条件で室内に保管した.脱皮行動は顕微鏡下で観察し,ビデ オカメラで撮影した.新クチクラの合成時期については 3 個体を取り出し,頭胸部や 脚に新しい毛が観察されはじめた時刻と脱皮した時刻を記録した.

結 果 ①1 齢から 2 齢への脱皮行動の観察 脱皮の数十分前から動作が少なくなり,脚を広げた状態が続いた(図 2).同時に血 圧が上がり,リズミカルに体全体が波打つ様子も観察された.脱皮の際には頭胸部の前 方が大きく割け,抜け殻の上半分は腹部側に引っ張られていった(図 3).脱皮の間は 特に頭胸部と糸疣が大きく脈打つ様子が観察された(図 4).脱皮の動作は速く,いず れの個体も 1 分以内に脚が抜けきっていた(本多 2010a, 2010b, 2010c).

図 1 左が 1 齢,右が 2 齢(方眼は 1 mm) 図 2 脱皮前の 1 齢幼体

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図 3 頭胸部の前方が大きく割け,抜け殻の上半分は腹部側に引っ張られる

②孵化から 2 齢への脱皮期間 9 月 29 日 孵化を確認 10 月 4 日 一部の個体が 2 齢へ脱皮 10 月 5 日 殆どの個体が 2 齢へ脱皮 ※脱皮の有無は卵嚢の目視で確認した. この記録より,今回の保管条件では 1 齢の期間は 5〜6 日ほどであった.

図 4 脱皮の間は頭胸部と糸疣が大きく脈打つ 図 5 12:00 まだ何も見えない

図 6 15:30 表皮下にうっすらと黒い毛が見 図 7 翌 16:30 この後 18:30 に脱皮 える

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③1 齢における新クチクラの合成時期 1 齢には毛が生えていないが(図 5),10 月 4 日 12:00(1 個体)と 15:30(2 個 体)の表皮下に初めて新しい毛が確認された(図 6).それぞれ翌日 10 月 5 日 14:00 (1 個体),18:30(2 個体)に脱皮した(図 7). この結果より,1 齢では脱皮の 26 時間程前には新クチクラが合成されていた.

考 察 クサグモの初回脱皮は,他の齢より脱皮時期が揃っていたので観察は比較的容易であ った(それでも相当な時間待機していたが).脱皮自体は非常に速く,体の大きさや表 皮の単純さが寄与していると考えられる.他にも複数のクサグモ卵嚢について出曩後の 中身を確認したが,1 齢から 2 齢への脱皮不全で死亡している個体はまだ見ていない. また 1 齢は毛が生えていないので,表皮下の様子を観察することができた.脱皮 26 時 間前には新しい毛が合成されており,観察した 3 個体ではそれほど時間差がなかった. 他の齢では栄養が脱皮の要因になるとされるが,1 齢の脱皮は孵化と同時にスイッチが 入るのだろうか.

おわりに 脱皮時期が予測できるとはいえ個体差があり,二桁時間くらい顕微鏡の前で待機して いました.人形のような 1 齢の皮が外れる際に,毛がピーンと現れて頭胸部がペコペ コと凹む様を初めて見た時は衝撃的でした.映像はインターネットで見ることができま すので,ご覧になって頂ければと思います.

参 考 Foelix R.F. 1996. 8 Development. Biology of spiders. 2nd Ed. Oxford University Press, Oxford. 213-233. 本多佳子 2010a. クサグモの初回脱皮 1. 動物行動の映像データベース No.momo101111as01b 本多佳子 2010b. クサグモの初回脱皮 2. 動物行動の映像データベース No.momo101111as02b 本多佳子 2010c. クサグモの初回脱皮 3. 動物行動の映像データベース No.momo101111as03b

※本行動の映像は,動物行動の映像データベース Movie Archives of Behavior に登録 され,公開されている.データ番号は momo101111as01b , momo101111as02b, momo101111as03b である.上記 web サイト上で,この番号をキーワードとして検索すること で映像を見ることができる(http://www.momo-p.com).

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

水元公園のたのしいクモたち

はまぐち ゆうだい

ぼくは,この前水元公園にたのしいクモたちをさがしに行きました.そのときのよう すについてクモマップにしてしょうかいしたいと思います.水元公園は,東京都かつし か区にあるとても広い公園です.公園の中には,大きな池や森もあり,たくさんのクモ たちが住んでいて,ぼくのとてもすきな場所です.ぼくは,この水元公園で今までにた くさんのクモを見つけました.

1 かんさつした日・時間:平成 23 年 7 月 3 日午後 1 時から 5 時まで 2 天気:晴れ(気おん 32℃) 3 クモマップ(かんさつきろく) (1)ナガコガネグモロード ここは,水元公園の大きなちゅう車場から少し中に入ったガマの池のと中にある草っ ぱらの道にあります.ぼくは,ナガコガネグモがクモの中で一番好きです.今の時きの ナガコガネグモは,まだ赤ちゃんですが,巣にいろいろなもようの「カクレオビ」をは っています.ナガコガネグモやコガネグモは,なんで「カクレオビ」をはるのかよくわ かりませんが,こんど本を読んでしらべてみたいと思います.

「ここがナガコガネグモロードだよ!」 まるい「カクレオビ」

二つにわかれたカクレオビ エサがみつかったね! 68

(2)カバキコマチロード ナガコガネグモロードから大きな池方向にすすむと,コンクリートの道があります. そこがカバキコマチロードです.ここにはとてもこわいカバキコマチグモがいます. パパが「このクモは強いドクをもってるので気を つけなさい!」と言っていました. カバキコマチグモは,ササやガマの葉っぱを上 手にまきます.まきかたは,葉っぱを「ちまき」 のようにまいて,そのなかでたまごをそだてます. まく時にはっぱをくっつけるほうほうは,クモの 糸をのりがわりにつかっています.ほそい足で長 い葉っぱをどのようにまくかとてもきょうみがあ カバキコマチロード 「きゃーこわい!!!!」 りますので,こんど見てみたいとおもいます.

「どうやってまくのかおしえて?」 ちまきのような家

「出てきた~! 「またもどりました!」 黄色いたまごをまもっています!」

(3)クサグモマンション カバキコマチロードから池にそって歩くと,すこし行ったところにバードサンクチュ アリという場所があります.そこのまわりには,たくさんのクサグモがいるので,ぼく はクサグモマンションとよんでいます. クサグモは,葉っぱと葉っぱの間にたくさんの糸で大きな巣を作ります.住んでいる 場所は,巣のおくにトンネルのような場所を作り,トンネルの入口でじっとしています. でも,巣をさわるととてもはやくトンネルの中ににげるのがとてもおもしろいです. クサグモのなかまには,イナズマクサグモ,コクサグモがいて,みんなとてもよくに ています.パパが,「大きさや住んでいるきせつがちがうのでクサグモはよくかんさつ しないとまちがうよ!」とおしえてくれました.

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「ここがクサグモマンションだよ!」 大きな巣

真ん中にいるよ!! バッタをねらうクサグモ

(4)そのほかのクモたち クサグモマンションからのかえりにジグモの巣をみつけました.マツの葉でジグモを おびきよせましたがしっぱいしてしまいました.ジグモは,小さなふくろのような巣を 地めんのなかにつくります. ジグモの巣からナガコガネグモロードに行くとちゅうにムツボシオニグモをみつけ ました.ムツボシオニグモは,まだ巣をはっていなく,草の花と同じ色になってかくれ ていました.

ジグモの巣をはっけん!! 「出てこい,出てこい!!!」

「あ~~見つかった!!」 「あついな~~!早く夕方にならないかな?」

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みなさん水元公園のクモたちはどうでしたか? 今回はあまりたくさんのクモを見 つけることはできませんでしたが,また,さがしてみたいと思います.

(父・濱口彰宏 補足) KISHIDAIA 創刊「100 号記念号」の発刊誠におめでとうございます.いつも息子・裕大とと もに大変楽しみに拝見させていただいております. さて今回記念号の原稿募集を知り,息子とともに都立水元公園にネタ探しに行ってまいりまし た.そのときのレポートを夏休みの宿題も兼ねて作成いたしました.息子の自主性を尊重した内 容なので,若干補足させていただきます. 1 写真撮影について キャノンイオス Kiss デジタル(レンズ 28-135 ミリ)で接写による撮影をいたしましたが, 若干ピントや露出等が合っていないことをお詫び申し上げます. 2 クモの同定について 本レポートは,採取による同定ではなく,胸部・腹部の模様や大きさ,出現期等から推測し, 新海栄一著「ネイチャーガイド日本のクモ Spiders of Japan」(文一総合出版)にて同定した ものであり,確定ではないことをお詫び申し上げます.なお,心配なクモは, ・カバキコマチグモ(Chiracanthium japonicum):産室・跗節の長さ・卵のうの状況等から判 断いたしましたが,アシナガコマチグモ(Chiracanthium eutittha)や他のフクログモ系と見 間違えているのか心配です. ・クサグモ(Agelena silvatica):出現期から推測した個体の大きさ・管状住居の大きさ等から 判断いたしましたが,もちろんイナズマと見間違えているのか心配です. ・ムツボシオニグモ(Araniella yaginumai):胸部・腹部の模様・出現期・出現場所等から判 断いたしましたが,他のコガネグモ科オニグモ属と見間違えているのか心配です. 以上ほとんどが同定に疑問があるクモですが,もしどなたか間違いにお気づきになりましたら 是非ご教授ください.よろしくお願いいします. 3 その他 ナガコガネグモ(Argiope bruennichii)について,若干補足させていただきます.ナガコガネ グモロードにおいて,「かくれ帯」の模様について調べていましたが,個体の大きさについても 若干の変化がありました.捜索当時発見できた個体で一番大きかったものは,10 ミリ程度まで 成長しており,当該ロードの場所によって成長度の違いがよくわかりました.

5 ミリ程度の個体 10 ミリ程度の個体 (腹部の模様がしっかり出ています!)

東京蜘蛛談話会益々のご発展を祈念いたします.(家族一同)

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

ムツトゲイセキグモ

主に多産地での観察・生態・蛾の同定・フェロモン

吉 田 嗣 郎 1

はじめに ムツトゲイセキグモ (Ordgarius sexspinosus)の投げ縄行動は新海(1982)によ って発見され,その後新海・新海(2002)により詳しい生態が記載された.筆者は 1986 年に新海栄一氏,新海 明氏の好意により,あきるの市広徳寺において初めてムツトゲ イセキグモ(以下「ムツトゲ」とする.)の生態を撮影し,TBS の動物番組「わくわ く動物ランド」で放送した.それから 22 年後,2008 年 8 月から 2009 年 9 月まで NHK の自然番組「ダーウィンが来た!生き物新伝説 一発必中ナゲナワグモ」の番組 制作のため,観察・撮影を行った.なお,この作品は 2010 年 7 月 25 日に放送された. ここでは観察で得た新たな知見や,ムツトゲが捕食したガの種類,性フェロモンによ るオスのガの誘引の可能性などについて報告する.

観察の経緯 クモの幼体の生態を撮影する目的で,東京あきる野市横沢入で採集した卵嚢を越冬さ せ,ネイチャーシネプロで飼育・撮影を行った.野生個体の観察・撮影は主に横沢入で 行った.横沢入では一匹のムツトゲを追跡・撮影することとなったが.野生個体の生態 を撮影するには,撮影材料が少なすぎた.インターネットで情報を収集したところ,福 島県内の観察者佐川弘之氏による「多数のムツトゲが営巣している…」との情報を知り, 現地に行くと,8 匹ものムツトゲを確認できた.幻のクモとも言われ,クモの研究者で も一生に一回観察できるかといわれた珍しいクモが集中的に生息していることに驚く と同時に幸運を感じた.豊富な撮影材料に恵まれ,これまで撮影できなかった貴重な生 態をカメラに収めることができた.2010 年 9 月から 10 月にかけては,前年の観察・ 撮影を補足する目的で現地に 5 回足を運んだ.

1 ネイチャーシネプロ 代表 72

⑧ ⑨

1 カエデ 8 2 7 サルスベリ マンサク⓵ 5…W サルスベリ ⓵ 4…N ⓵ 6…S 9 サザンカ マークはおおよその巣の位置

図 1 福島県内のムツトゲの生息地とその状況 (撮影 2010 年 9 月 2 日) ※マンサク 3 には 3 匹の営巣があり➅はカメラ側から見えない位置のため表示色を変えた. ※図の正面が南の方向

表 1 ムツトゲイセキグモの生息していた樹木とその生息状況 識別 巣の 卵嚢 卵嚢 No. 樹 種 樹 高 巣の地上高 雨蓋 記号 方位 数 直径 1 カエデ 5 m 20 cm - - - 3 -

2 マンサク ⓵ 3 m 34 cm 1 m 70 cm 南西 有 2 5.0 mm 4.5 mm 3 マンサク ⓵ 3 m 31 cm 1 m 20 cm 西 有 4 6.0 mm 5.5 mm 3.4 mm 4.5 mm 4※ マンサク ⓵-N 3 m 34 cm 1 m 89 cm 北 有 3 6.0 mm 5.0 mm 5.0 mm 5※ マンサク ⓵-W 〃 2 m 13 cm 西 有 3 -

6※ マンサク ⓵-S 〃 1 m 13 cm 南 有 4 -

7 サルスベリ ⓵ 約 5 m 1 m 40 cm 北 無 3 8.0 mm (目測) 7.5 mm 7.0 mm 8 サルスベリ ⓵ 約 5 m 1 m 55 cm 北 無 6 - (目測) 9 サザンカ 2 m 85 cm 1 m 19 cm 東 有 5 6.0 mm 6.0 mm 6.0 mm 5.0 mm 5.0 mm ※ No.4~6 は同一木

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結果及び考察 1 集中棲息地の環境と棲息状況 福島県中央部に位置するムツトゲの生息地の環境は,小高い丘の続く雑木林に囲まれ た公園の一角にあり,南側約 100 m には水田が広がっている(図 1).写真に示した エリアは東西約 40 m,南北約 30 m の範囲で,生息を確認した木は全て植栽された樹 木であった.夏場はカが多く,ムツトゲの撮影は蚊除けの網を被って行った.マンサク 3 とした 1 本の木には 3 匹のムツトゲを確認した.このエリア全体でムツトゲが 11 匹 生息し,高位置で観察の困難な 2 個体と,この図から外れた北側の 2 個体は表から外 した.最終観察日 2011/10/5 までに図の全ての巣で 2 個から 6 個の卵嚢を作った.

2 ムツトゲの生態についての新知見 (1)各齢の背甲巾及び脱皮回数 横沢入りで採集した卵嚢から出嚢した幼体について,谷川明男氏による各齢の脱皮殻 の背甲巾の測定結果を表 2 にまとめた.メスは 7 齢,オスは 3 齢で成体になった.

表 2 ムツトゲの齢数と背甲幅 メスの背甲幅 オスの背甲幅 齢 備 考 (mm) (mm) 3 0.79-0.86 0.64-0.75 オスは 3 齢で成体になった. 4 1.05 - 5 1.48 - 6 2.07 - 7 2.77 - メスは 7 齢で成体になった.

(2)交尾の観察 2009 年 8 月 4 日 20 時頃から観察された交尾の様子は表 3 に示すとおりである.な お,このメスは 2009 年 9 月 2 日に横沢入りに放した.その後 2009 年 10 月 15 日に 付近にて卵嚢を 2 個確認した.

表 3 ムツトゲイセキグモの交尾の様子 1 メスが網を張っている近くに,オス成体を放した. 2 オスはメスの存在に気付き,メスに接近した.メスはオスの接近に気付くと葉の上に斜め 仰向けになった. 3 オスはメスの腹部に素早く上がり,糸を付けて引き返し,およそ 4 cm~5 cm の距離を保 った. 4 オスとメスは向かい合い,オスはメスの体に付けてきた糸を小刻みに震わせた. 5 4 の行動が 10 数秒程続くとメスは脚をもぞもぞと動かし,腹部を斜めに開いた. 6 オスはメスの外雌器に飛び込み,腹部を上にして静止した. 7 しばらくすると,オスはメスの腹の上で体の向きを変え腹ばい状態になった.メスは身も だえするようにもぞもぞと動き続けた. 8 7 状態が 1 分程続いたあと,オスはメスの体から離れた.

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(3)雨覆 「雨覆い」は卵嚢の上側に取り付けられた 1 枚~2 枚の枯葉で,サルスベリ 1,2 以 外の全ての卵嚢で確認した(図 2).

(4)威嚇と思われる行動 2010 年 10 月 26 日 12 時 30 分ごろ,ムツトゲは脚を縮めてぴったりと葉に体を伏 せていたが,筆者が接近すると体を起こした.さらに手をたたくなどして刺激を与える と,第一脚をひろげて何度も上下に振り下ろして威嚇と思われる行動をとった(図 3). ただし,他の個体では動きの見られないものもあった.

(5)威嚇臭と思われる臭い 2010 年 9 月 1 日 14 時 20 分ごろ,No.9 のムツトゲが二匹の蛾を貯食中だったので, 同定するために蛾の一匹をピンセットで採取しようとしたとき,ムツトゲが筆者の手の 平に落ちた.そのとき強い異臭を感じた.確認のためムツトゲの臭いを直接嗅ぐと,青 臭い臭いと,アオダイショウを手で掴んだ時の臭気を混合したような臭いを感じた.普 段はこの臭気は感じないので,刺激を受けたときだけ発するものであると考えられる.

3 粘球の作成,蛾の捕獲 ムツトゲは概ね日没後 30 分ほどすると活動を開始し,網を張り粘球をつくった.図 5 のムツトゲは二連球を作り,ガを捕獲する体制に入った.観察したすべての個体は, 第二脚で粘球を持ち,風上に腹を向けて待機し,ガが接近して羽の振動を感じると粘球 を回し始めた.映像の解析から回転速度は 1 秒間に約 3 回転であった.なお,図 5 の クモの左上には二個の卵嚢が作られている. ガをしとめると,糸でぐるぐる巻きにして体外消化により食べることが多かったが, 網にぶら下げて貯食することもあった.最も多く貯食したものは 3 匹であった.獲物 がかからないと,湿度や風の強さにより 30 分~60 分程で粘球を回収して食べていた. 図 7 は最多の六連球を作ったものである.観察場所は図 1 に隣接したサルスベリで あった.一本の投げ縄に六つの粘球をつけているように見えるが,実際は一番短い粘球 から長い粘球まで繰り返し 6 本の粘球の付けた縄をつくり,それをまとめて第二脚で 持っていた.粘球が多いほど縄の長さが長くなる傾向が見られ,最短 30 mm ほどから 最長約 60 mm であった.個体により同じ程度の長さの縄を作る傾向が見られた.縄が 長いほど大きなガを捕獲する傾向が観察された.

4 ガの採集と同定 (1)ガの採集方法 ムツトゲはガを食べ終わると地面に落とすため,簡易な採集器を作成した(図 9). 採集器は洗面器を利用したもので,網の真下に設置することで,捕食後のガを受け止め るようにした.雨が降った場合の水抜きのため,洗面器には小さな穴を開けた.採集器 75

は約 2 m 90 cm まで伸縮できる撮影用照明スタンドの先端にアクリルの洗面器をボル トで固定し,アンカーで止めて風で倒れないようにセットした. 翌日,採集器に落下したガを回収した.ガを入れる容器にはムツトゲのいた樹木名等 を記した識別票を付けて,他と混同しないようにした.

(2)蛾の同定 (1)により,2010 年 8 月 28 日から 9 月 1 日にかけて 7 匹のガを採集した.採集 したガは,梅林 力氏に仲介を得て,矢島 稔氏(日本蛾類学会,ぐんま昆虫の森園長) に同定を依頼したところ,蛾類学会会長の岸田泰則氏に同定して頂けることとなった. 今回同定されたガを表 4 に示す.日本のナゲナワグモが捕食したガで同定がなされた ものは,新海(1989)の一例シロモンオビヨトウ Dadica lineosa のオスのみであった が,今回の観察により新たに 4 種類のガが追加された.

表 3 ムツトゲが捕らえた蛾の種類及びその性フェロモン No. 同定記号 捕獲日時 収容日時 種 名 備 考 1 カエデ 2010/8/29 2010/8/29 検体が破損していたた 1 匹目 0:00 11:00 め不明 2 カエデ 2010/8/31 2010/9/1 フタオビキヨトウ♂ ガの性フェロモ 2 匹目 23:00 2:30 Mythimna turca ンは finqeus Z11-16:OAc 3 マンサク 2010/8/28 2010/8/29 検体食浸により不明 ⓵-W 1 匹目 22:00 11:00 4 マンサク 2010/8/30 2010/8/31 検体食浸により不明 ⓵-W 2 匹目 23:00 16:30 5 マンサク 2010/9/1 2010/9/2 フタオビキヨトウ♂ ⓵-W 3 匹目 21:00 2:30 6 サザンカ 2010/9/1 2010/9/1 スジキリヨトウ♂ ガの性フェロモ 1 匹目(貯食) 2:00 2:00~ Spodoptera depravata ンは (Butler) Z9,E12-14:OAc と Z9-14:OAc の 混合物 7 サザンカ…① 2010/9/2 2010/9/2 スジキリヨトウ♂ 1 匹目(貯食) 2:00 2:00~ 8 サルスベリ 2010/9/15 6:14 撮影 ヒトリガ ※ 9 マンサク② 2009/8/27 福島県某所 フキノメイガ♂ NHK に提供した マンサク 2 映像より,岸田泰 則氏,矢島 稔氏 により同定 10 新海 栄一 1988/7/7 東京都 シロモンオビヨトウ♂ 4 匹貯食されて 新海 明 あきるの市 Dadica lineosa いた中の 1 匹 ※ 佐川弘之氏観察・撮影 付記:アメリカのナゲナワグモ(Mastophora cornigera)の誘引したガの性フェロモンは Z11-16:Oac Z9-14:Oac である(Stowe et al. 1987).

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図 2 雨覆い 図 3 威嚇と思われる行動

図 4 マンサク 3 の状況(筆者) 図 5 粘球を第二脚で持ち蛾の接近を待つ

図 6 捕えた蛾を貯食し蛾の接近を待つ 図 7 6 連球を持つ(最多の記録)

図 8 蛾の採集方法(1) 図 9 蛾の採集方法(2)

図 10 蛾の採集方法(3) 図 11 ヒトリガを捕らえたムツトゲ

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5 ムツトゲが捕食した蛾の性フェロモンについて ムツトゲの捕食したガの同定を依頼した岸田氏は,同定したガの類縁関係が遠いため, 性フェロモンによる誘引について疑問を感じ,性フェロモンを専門とされている鳥取大 学の中 秀司氏に問い合わせを行った.その結果,ムツトゲが捕えた蛾の性フェロモン から,中秀司先生はアメリカのナゲナワグモと日本のナゲナワグモが<アメリカ (Z9-14:Oac).日本( Z9-14:OAc Z9,E12-14:OAc の混合物)>として同じ領域 の性フェロモンを使っている可能性を指摘された. また,ムツトゲが捕らえたヒトリガ(図 11)について,岸田氏は「ヒトリガはオス 前翅長 40~41 mm と大きく,また毒をもっていることからムツトゲが捕獲したこと は考え難い・」としたが,中氏からは「ヒトリガの仲間のフェロモンは,一般的なヤガ が持っているフェロモン,これを Type I と総称するが,それとはかなり化学構造が違 っており,同じクモが両者を生合成するのはかなり困難と思われる.クモがヤガを誘引 しているときに,たまたま近くを通りがかったヒトリガが捉えられてしまった...... とい うのが妥当な筋ではないだろうか.」としている.

岸田氏のコメント 「同定できたガは 3 種です.ダーウィンが来たの映像から,メイガ科フキノメイガ.今回のサン プルから,ヤガ科スジキリヨトウ,フタオビキヨトウ.捕獲されたガが,メイガ科とヤガ科(2 種は属も異なる)と類縁関係が遠いので,フェロモンの化学擬態になっていないのではと疑問に 思い,フェロモンの専門家である鳥取大学の中 秀司先生に質問しすると下記のような興味深い 回答がありました.」

中 氏のコメント(抜粋) 「フタオビキヨトウのフェロモンは,Subchev et al.(1986)で,Z11-16:OAc 等の混合物に誘 引された記録がありますが,日本のフタオビキヨトウ[06]がこの成分をフェロモンに使っている かどうかは分かりません.一方,スジキリヨトウは栗原ら(1991)などで同定結果が発表され, 成分は Z9,E12-14:OAc と Z9-14:OAcの混合物で,前者が主成分であることが報告されています. 両者の性フェロモンとされる Z11-16:OAc と Z9,E12-14:OAc は,フェロモン屋の視点から見て あまり共通点はありませんが,Z11-16:OAc から Z9-14:OAc の生合成は,β 酸化を起こす酵素を 1 段階噛ませるだけでできるもので,蛾の多くは同じ反応で Zx-y:OAc と Z(x-2)-(y-2):OAc の 2 成分を両方作って性フェロモンにしています.追記すると,Z9-14:OAc から Z9,E12-14:OAc の 反応も Δ12 不飽和化酵素を一発噛ませるだけでできます.もしイセキグモがスジキリヨトウの フェロモン成分 2 つを作れるとしたら,同時に Z9-14:OAc も作ってしまい,フタオビキヨトウ もついでに誘引してしまう可能性は十分あるのではと思います.これらの化合物は,メイガ(ツ トガ含む)でも使っている種類が報告されており,スジキリヨトウの他にメイガも誘引できる可 能性は否めません. アメリカのナゲナワグモ(Mastophora)が出している物質も,Z11-16:OAc と Z9-14:OAc が 主成分でした.岸田さんの同定結果は,むしろイセキグモがナゲナワグモ(Mastophora)と同 じような化合物で蛾を寄せている確たる証拠になるのではありませんか?で,ナゲナワグモもイ セキグモも,蛾のフェロモンとして非常に一般的な 11-16/9-14 系化合物を複数作り出せるのだ としたら,これらの化合物をてきとーに混ぜて放出していれば,複数の蛾が誘引されてきてしま う可能性が高いです.クモはもともと飢餓耐性が高いでしょうから,試行錯誤でも何とかなって しまうのではないでしょうか.」

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以上のムツトゲが捕えたガの同定や,同定されたガの性フェロモンから,ムツトゲイ セキグモはアメリカのナゲナワグモ(Mastophora)と同様に,特定の蛾の性フェロモ ン物質を用いてオスのガを誘引している可能性が高い.今後の課題として,クモが分泌 する,あるいは作った粘球に含まれる揮発性物質の分析が必要と考えられる.

後 記 最後になりましたが,この度は東京蜘蛛談話会の機関紙キシダイア 100 号記念誌発 行誠におめでとうございます.歴史あるキシダイアに上記のテーマで投稿できたことを 幸に思います. 謝 辞 当稿作成に当たっては,多くの方の協力を頂きまとめることができました.まずムツ トゲの棲息情報を教えて頂いた新海 明氏,幼体の飼育方法を伝授下さった張替智行氏, 東京あきるの市の横沢入の撮影に協力して頂いた新井浩司氏,福島県の多産地の状況を 知らせて頂き現地を度々案内して頂いた佐川弘之氏,ムツトゲの脱皮殻の測定を行って 頂いた谷川明男氏,そして蛾の同定を引き受けて頂いた梅林 力氏,矢島 稔氏,岸田泰 則氏,蛾の性フェロモンの詳細な解説を頂いた中 秀司氏.筆者の企画提案を受け入れ, ムツトゲの全国放送の機会をつくって頂いた NHK の菊池哲理氏,以上の皆様に心から 御礼申し上げます.

引用文献 栗原政明・臼井健二・内海恭一・田付貞洋 1991.スジキリヨウトウの性フェロモンの成分に ついて.日本応用動物昆虫学会誌,35(4): 323-324. 新海 明・新海栄一 2002.ムツトゲイセキグモの生活史および「投げ縄」作成と餌捕獲行動. Acta Arachnologica, 51: 149-154. 新海栄一 1982.ナゲナワグモが日本にもいた.アニマ,108: 6-11. Stowe M.K., Tumlinson J.H., Heath R.R. 1987. Chemical Mimicry: Bolas Spiders Emit Components of Moth Prey Species Sex Pheromones. Science, 236 (4804): 964-697. Toth M., Szocs G., Lofstedt C., Hansson B.S., Subchev M. 1986. Sex pheromone components of Mamestra suasa: Chemical analysis, electrophysiological activity, wind tunnel activity and field tests in two European countries. Entomologia Experimentalis et Applicata, 22: 291-299.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

ボルネオにカラオビハエトリを求めて

池 田 博 明

2011 年夏の神奈川県高等学校教科研究会理科部会の海外研修の調査地は,ボルネオ 島だった.旅行期間が 10 日間と比較的短期間だったし,谷川明男博士と同行できてク モ班を作れそうだったので,参加申し込みの締切を過ぎていたが,研修団長の両毛明史 小田原高等学校教諭にお願いして参加を受け付けてもらった.その後,送られてきた参 加名簿を見ると,ニューギニア旅行の夜間観察で同行した高橋孝洋秦野市くずはの家館 長の名もあった. ボルネオ島でのクモ観察は,毎日,午前と午後,夜間と徹底的に行われ,それなりの 成果を挙げることが出来たが,それは別稿に譲ることとして,今回私自身の目的のひと つはカラオビハエトリ Siler collingwoodi を見つけることであった. カラオビハエトリは沖縄で出会うハエトリグモのうちもっとも美しいクモである.タ イプ標本は雄で,ポーランドのプルシンスキーが再記載しており,その図と記載から, このクモ(図 1 の写真は伴 満氏撮影のもの.西表島産ではなく,奄美大島産)を Siler collingwoodi と池田は予想し,カラオビハエトリと呼称した(池田 1996).カラオ ビのカラは「カラフル(色彩豊かな)」という意味とタイプ標本が採集された香港,つ まり中国大陸の「唐」という意味をかけている.ところが,ケンブリッジが 1871 年に 記載した標本のタイプ産地は「香港」ではなく,実際にはボルネオであった.その辺の 事情は最後に資料を紹介する. 日本蜘蛛学会の大会で発表後,そのまま放置してしまっていたが,沖縄でクモの未記 載種をたくさん採集されている馬場友希博士が,沖縄県西表島産の標本をもとに再記載 してくださった(Baba 2010).触肢構造が同一なため,ホロタイプ自体はチェック せず,タイプ産地を香港と記して特にディスカッションはしていなかった.色彩の型の ちがいは毛の抜ける程度によるという.プルシンスキーの再記載には背甲の色彩が書か れていないが,馬場博士の再記載では「背甲は基本的に赤色で青っぽいメタリックな毛 で被われ,白毛で縁どられる」とあった. これでカラオビハエトリは片付いたと思ったひとが多いと思うが,ことはそれほど簡 単ではなかった.私は馬場博士の論文に千国安之輔「写真日本クモ類大図鑑」(1989) の「アオオビハエトリの一種」が取り上げられていないことを不審に思った.所検標本 も西表島産ばかりなのだ.奄美大島や沖縄産のカラオビハエトリになぜ触れていないの か.標本はあるはずなのに.

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図 1 カラオビハエトリ 図 2 ボルネオ産のオビハエトリグモ属の一種 Siler collingwoodi Siler semiglaucus

その辺の事情を谷川明男博士に尋ねてみると,「西表島産は背甲が青緑色に見えるが, 奄美・沖縄産の個体は背甲がだいだい色で青い線が入る.千国の写真図鑑も奄美・沖縄 型である.この明確な色彩型の違いを重視して,馬場博士は西表島産に限定して同定し た」という説明だった.ふたつの型の問題は分布を含めて,今後の詳しい研究が必要と されよう. さて,問題を解決するためにもなんとかボルネオでカラオビハエトリを取らなければ ならない.沖縄では里山に普通に生息し,草本上を徘徊するクモである.サバ州のタン ブナン村であちらこちら探したが見つからない.ビーティングしても落ちてこなかった. ところが,2011 年 8 月 8 日の午後,宿泊しているタンブナン村のホテル,セブンロ ッジの隣室の小澤めぐみさんが,外の洗濯物の上にハエトリグモがいるというのだ.そ っと持参されたクモがなんとカラオビハエトリと思われた雄(図 2)だった. 重要なクモが自分で取らずに採集されたのであった.しかも写真で見てもわかるよう に奄美産のカラオビハエトリとは頭胸部背面の色彩が緑色で異なる.これは奄美大島産 のカラオビハエトリは Siler collingwoodi ではないかもしれないと思った.その後この ハエトリの雌も取ろうとロッジの庭をひまにまかせて歩き回ったが,見つからなかった. しかし,検鏡してみて再び驚いた.ボルネオ産のクモは,よく似た別種 Siler semiglaucus (SIMON 1901)だったのである.このクモは日本には産しないため和名 はない.既産地はスリランカからフィリピン,スマトラ島であった.「香港跳蛛図鑑」 (Tsim 2006)にも出ていた.ちなみにこの図鑑に,カラオビハエトリは載っていな かった.香港にはカラオビハエトリは生息していないのかもしれない.いずれにせよ, Siler collingwoodi のタイプ・ロカリティーはボルネオのサバ州のラブアン島である. 今回の旅行では,記載された国のカラオビハエトリに出会うことは出来なかった.探 索は続くことになった.

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参考文献 Y. Baba. 2010. A new record of Siler collingwoodi (Araneae: Salticidae) from Japan. Acta Arachnologica, 59(1): 17-19. 千国安之輔, 1989. 写真日本クモ類大図鑑. 偕成社. 池田博明, 1996. 日本蜘蛛学会第 28 回大会講演要旨(西表島および九州のハエトリグモ 5 種). Acta Arachnologica, 45(2): 180. Proszynski J. 1985. On Siler, Silerella, Cyllobelus and Natta (Araneae, Salticidae). Annales zoologici, 39(2): 69-85. S.T. Tsim 2006. Photographic Guide to the Jumping Spiders of Hong Kong(香港跳蛛図 鑑). Wan Li Book Co. Ltd.

【資 料】ケンブリッジ O.P.-Cambridge が記載した Siler colingwoodi の採集地には事情があ り,プルシンスキーが解説している.以下にプルシンスキーの記載文(英文)を翻訳して示す. [ ]内は訳註である.なお学名の綴りには若干の異同が見られる. Siler colingwoodi (O.P.-CAMBRIDGE, 1871) , comb. n. Salticus colingwoodi O.P.-CAMBRIDGE, 1871: 617, 621; Maevia colingwoodi: THORELL, 1892: 474; Cosmophasis colingwoodi: SIMON, 1901: 549 et auct. seq. 所検試料:♂(ホロタイプ?)― “S. colingwoodi CAMB., Hong Kong” ― coll. O.P.-CAMBRIDGE, Oxford; 2♀♀― “Cosmophasis colingwoodi, Sumatra: Padang, JACOBSON, Sammlung REIMOSER” ― Museum Wien (misidentified ― 1♀ Siler sp., 1♀ Carrhotus sp.). 注意点. 本種の情報に関してはいくつかの著しい不一致がある.ケンブリッジはラブアン Labuan の 1♀ を記載しているが,彼のコレクションには香港産の 1♂しか含まれておらず,原記載の記載文と図は驚くほど 色彩パターンが一致している[本種の雌雄の色彩パターンはほとんど同じである].本種のホロタイプとして上 記の♂をホロタイプとして受け入れるには次のような仮定を提案しなければならない. 1. ケンブリッジのコレクション全体に,“S. colingwoodi”という標本はたった一点だけである.私の知識 だけでなく,科学界にとってもこれだけである.いくつかの目立った特徴はケンブリッジの原記載とぴった り一致するし,違いは当時の顕微鏡の性能の低さや仕事中の集中度の低下によって説明できよう.ケンブリ ッジの初期の記載は途方もない形態的誤りを含むことが証明されているし(プルシンスキーらの 1980 年の 論文を参照),現在考えられる起こりうるミス(♀と♂の取り違え.一対の大きな丸い点と白い二対の点が一 緒になる)がそれらと一致している. 2. 香港産の 1871 年にケンブリッジが記載した種はひとつもなく,大部分はラブアンである.ラブアンは, [英領]北ボルネオの海岸に近い小さな島である.香港と同様に,ラブアンには「ビクトリア Victoria」と呼 ばれる場所(首都?)があった.もしラブアン産の標本がたまたま「ビクトリア」とラベルされたとしたら, コレクションでラベルを書く作業中に,機械的にふたつの「ビクトリア」を混同してしまうことがあるだろ う.未知の小さな地点を一般的な地名に変えてしまう 19 世紀の習慣を思い出してもらえば,ケンブリッジ がラブアンの代りに「香港」と書いた様子がたやすく想像できよう. 上記の仮説はラブアンか香港で新しい標本を発見してチェックされるべきだ.ライモザーのコレクション のスマトラ産の“Cosmophasis colingwoodi”の 2♀は誤同定だった.それぞれ 1♀は Siler sp.で 1♀は Carrhotus sp.だった(図 27-29).Siler sp.の方はシモンのコレクションの“21277 Cosmophasis weyersi ES. Sumatra/WEYERS”におそらく一致する(図 30-31).レーバーの 1954 に見られるインド シナの“Cosmophasis colingwoodi”は私にはなんの情報もない.おそらくミスである. オスの記載.触肢は他の Siler 属に似て,側方に伸び,側面観ではやや波うった大きなけい節突起を持つ (図 24-25).移精針は長く,横に屈曲し,さらにその先で屈曲,前方を走って,やや波うつ.Siler 属に いくぶん類似するがやや変わっていると解釈される.バル ブは大きく,角が丸い立方体で後方[図では下方]に膨れた 隅があり,前半分[図では上方]ではやや腹側[24 図の左側] に突き出している.変化した Siler 属と考えることもでき るが,確かではない.しかし第 1 脚のけい節には背側と腹 側に長いブラシ状の刺毛がある.腹部のパターンは図 26 に示した.腹部の前方 3 分の 2 にはまんなかに一対の白い 点があり,二対の白い斜めの横線模様がある.腹部の赤い 部分は黒い線で縁どられ,腹部の後方 3 分の 1 の輝く緑色 の部分と境になっている.緑色の部分には側面に一対の白 い点があり,黒線で閉じられている.糸疣は現在は灰色が かった茶色.美しい色彩は新鮮な個体,特に生きていると きにはたいへんに目立ったに違いない.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

熊本県から得られたクロナンキングモの

雌雄モザイクについて

入 江 照 雄

1.はじめに モザイクのなかでも性染色体の一部の欠失や卵細胞の重複受精など,一個体の中で雌 雄の両細胞が共存する雌雄モザイクは昆虫類などの節足動物やニワトリなどの鳥類に おいて見られ,クモについても八木沼(1969)や吉倉(1987)の報告がある. クモには,眼の一部欠損や触肢の異常など,ときどき奇形があらわれる.なかには雌 雄モザイクと呼ばれる雄雌が同じ個体に現われる現象がある.雌雄モザイクは Kaston (1961)の分類によれば,いろいろな例がある. 今回クロナンキングモ(サラグモ科)で雌雄モザイクの個体が発見されたので報告す る.執筆に当たりいろいろと助言を賜わった小野展嗣博士にお礼を申し上げる.

2.採集記録 1. 採集場所:熊本県下益城郡美里町畝野 (Uneno, Misato-machi, Shimo-mashiki-gun, Kumamoto Prefecture) 2. 採集日:2008 年 3 月 17 日(17-Mar.-2008) 3. 採集者:宇木浩太(Kôta Uki)

3.標徴・記載 1. 体長 2.46 mm.左半分が雌,右半分が雄である(図 1,2). 2. 頭胸部(0.96 mm)は褐色で,灰黒色の放射状の斑をもつ.腹部は左側 2/3 は灰 黒色.右側 1/3 は薄い黒色(図 1). 3. 普通の個体では雄の触肢膝節の先端に突起が見られるが,今回の左雄の触肢の先端 にはみられない(図 3).外雌器の構造は不完全で腹部の中央線より右による(図 2, 4). 4. 上顎は褐色,左右とも基節の上部(前牙堤)に 5 本の牙堤歯がある.左雄の方には 5 本から離れて,1 本のコブ状の隆起(外顆)がある(図 5).下顎は褐色,胸板は 暗褐色である. 5. 歩脚の左側(雄)は黄褐色,右側(雌)はうすい黄褐色である.歩脚の長さの測定

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値は表に示すとおりで,左側(雄)と右側(雌)の各歩脚の長さに大きな差はない. 歩脚式は左側(雄)1-4-2-3,右側(雌)4-1-2-3 である.

表. クロナンキングモ Hylyphantes graminicola (Sundevall 1830) (サラグモ科)の触肢と歩脚の長さ(右,雄/左,雌:in mm). 腿 節 膝 節 脛 節 蹠 節 胕 節 計 触 肢 0.53/0.36 0.23/0.26 0.28/0.13 - 0.16/0.33 1.20/1.08 第 1 脚 0.90/0.96 0.26/0.23 0.70/0.76 0.76/0.66 0.53/0.46 3.15/3.07 第 2 脚 0.83/0.90 0.23/0.20 0.76/0.70 0.70/0.60 0.46/0.46 2.98/2.86 第 3 脚 0.73/0.73 0.20/0.20 0.56/0.56 0.63/0.53 0.40/0.43 2.52/2.45 第 4 脚 1.00/1.00 0.20/0.26 0.83/0.83 0.70/0.70 0.40/0.46 3.13/3.25

4.日本の記録 1. アズマカニグモ (八木沼・有田 1966) 鳥取市猪子で 1961 年 5 月 12 日に採集される.採集者は有田立身.体長 9.2 mm. 左が雌,右が雄で,正中線で分かれている.体背面の右側は雄,その他はすべて雌の 形態. 2. ワカバグモ(西川 1971) 京都府北桑田郡美山町芦生で 1969 年 4 月 15 日に採集される.採集者は西川喜朗. 体長 9.3 mm.左触肢・歩脚・腹部左側・腹部・右側背面は雄,頭胸部・右触肢は間 性,他は雌. 3. カラフトオニグモ(田中 1971) 愛媛県面河渓で 1970 年 5 月 26 日に採集される. 採集者は田中穂積.体長 4.75 mm.背,腹とも頭胸部および腹部の右半分が雌, 左半分が雄の色彩を示し,正中線で明瞭に区別できる.左の触肢は雄型. 4. ネコハエトリ(前川・池田 1992) 神奈川県海老名市で 1991 年 4 月 26 日に採集される.採集者は前川隆敏.体長 6.51 mm.左半分が雌,右半分が雄. 5. チシマカニグモ データ不詳.左側雄,右側雌.

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図 1-6. クロナンキングモ Hylyphantes graminicola (Sundevall, 1830),(サラグモ科)図 1, 頭胸部・腹部,背面 図 2, 腹部,腹面 図 3, 雄触肢,左側 図 4, 雌,外雌器 図 5, 上顎,背面,左- 雌,右-雄 図 6,下顎,腹面,左-雄,右-雌(スケール: 1,2-1.0mm, 3,5,6,-0.2mm, 4,-0.1mm)

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5.摘 要 1. 今回,熊本県でクロナンキングモ Hylyphates graminicola (Sundevall 1830)の雌 雄モザイクを記録したので報告する. 2. 日本におけるクモの雌雄モザイクの記録は,アズマカニグモ Xysticus insulicola Bösenberg & Strand 1906(八木沼・有田 1966),ワカバグモ Oxytate striatipes L.Koch 1878(西川 1971),カラフトオニグモ Eriophra sachalinensis (S.Saito 1934)(田中 1971),ネコハエトリ Canhotus xanthogramma (Latrcillo 1819) (前川・池田 1992),チシマカニグモ Xysticus kurilensis Strend 1907 の 5 例 のみであった.

参考文献 千国安之輔 1989.写真・日本クモ類大図鑑.偕成社. Kaston B.J. 1961. Spider gynandromorphs and intersexes. Journal of the New York Entomological Society, Vol. LXIX: 177-190. 黒田行昭 1988.モザイク.日本大百科全書,22: 856.小学館. 前川隆敏・池田博明 1992.ネコハエトリの雌雄モザイクとその誇示行動.Acta Arachnologica, 41: 103-108. 西川喜朗 1971.ワカバグモの性モザイク,Acta Arachnologica, 23(2). 26-28. Oi R. 1960. Linyphiid Spider of Japan.Journal of the Institute of Polytecnics, Osaka City University, 11: 137-244, pls. 1-26. 田中穂積 1971.オニグモの雌雄モザイク.Acta Arachnologica 23(2), 23-25. 谷川明男 2008.遊絲, 23:14. 八木沼健夫 1986.原色日本クモ類図鑑.保育社. 八木沼健夫 1969.クモの話-よみもの動物記-.北隆舘. 八木沼健夫・有田立身 1966.カニグモの性モザイク.Acta Arachnologica, 20: 18-20. 吉倉 眞 1987.クモの生物学.学会出版センター.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

日本でのイソコモリグモの分布

谷川 明男・新海 明

筆者らは 2006 年にイソコモリグモの個体数減少率の推定のデータを取るために,新 潟県と青森県下北半島で分布状況の調査を行った.この調査は GIS 解析のためのデー タの収集が目的であったので,あらかじめ調査地が設定されており,その場所でのイソ コモリの生息密度をランク分けして調べたものだった.この結果は八幡(2009)によ りすでに報告された. その後,筆者の一人谷川は各海岸のイソコモリの集団構造はどうなっているのか,イ ソコモリがどのように分布を拡大したかを DNA 情報に基づいて調べることを計画した. そのためには日本各地に生息するイソコモリをくまなくサンプリングすることが必要 であった.そこで,2009 年から 2010 年にかけて,島根県から青森県までの日本海沿 岸と下北半島から茨城県までの太平洋沿岸,さらに北海道全周で調査採集を行った.こ の調査はイソコモリの日本での分布を実踏調査したに等しく,この結果をきちんと残す べきと考えた. ここでは,まず先行研究のデータをまとめ(図 1,リスト 1),次にわれわれの調査 結果を掲げる(図 2,リスト 2).この記録が今後のイソコモリ研究の資料として活用 されれば幸いである.本研究の遂行にあたり井上尚武・金野 晋・鶴崎展巨・徳本 洋・ 松田まゆみ・吉田 哉の各氏にはサンプルの採集や生息状況についての情報提供を受け た.ここに記して感謝申し上げる.

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図 1.先行研究でのイソコモリグモの在不在記録のまとめ. 同一海岸で不在記録ののちに在記録がが発表されている場合には在とした.○:イソコモリの 生息が発表された海岸,×:イソコモリの不在が発表された海岸

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図 2.われわれの調査結果. ○:イソコモリの生息を確認した海岸,×:イソコモリの生息を確認できなかった海岸.

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リスト 1.日本でのイソコモリグモの分布に関する先行研究のまとめ. 未発見の場所も含めたが,県単位のような広範囲の目録中に種名だけが掲載されている場合は 含めていない.また,誤同定が強く疑われる記録も除外した.

北海道 北海道宗谷村上苗太路 1990 年 8 月 10 日から 18 日 1♀ 小野ほか(1991) 北海道浜頓別町頓別 1990 年 8 月 10 日から 18 日 6♀6y 小野ほか(1991) 北海道豊富町稚咲内 1990 年 8 月 10 日から 18 日 11♀8y 小野ほか(1991) 北海道斜里郡小清水海岸 1991 年 7 月 23 日巣多数金野晋 金野(1993) 北海道斜里郡小清水海岸 1991 年 9 月 10 日成多数金野晋 金野(1993),田中(1999) 北海道斜里郡小清水海岸 1992 年 7 月 7 日亜成多数金野晋 金野(1993) 北海道標津郡野付半島 1992 年 7 月 10 日巣 1 金野晋 金野(1993) 北海道根室市春国岱 1977 年 5 月 13 日 2♀2♂高田勝 1977 年 5 月 27 日 2♀高野伸二 1977 年 7 月 12 日 2♀1y 佐藤幸子・熊田憲一 高野ら(1977),新海ら(1977),田中(1990) 北海道厚岸郡昆布森海岸 1992 年 7 月 6 日巣 1 金野晋 金野(1993) 北海道中川郡晩生海岸 1991 年 9 月 12 日未発見金野晋 金野(1993) 北海道勇払郡浜厚真海岸 1992 年 7 月 13 日巣多数金野晋 金野(1993) 北海道石狩市石狩海岸 1987 年 6 月 20 日♀2y3 貞元ほか 小野ほか(1988) 青森県 青森県西津軽郡牛潟町高山稲荷 1992 年 9 月 29 日成多数金野晋 金野(1993) 青森県つがる市牛潟町高山稲荷 2009 年 5 月 17 日♀y1 初宿成彦,2009 年 8 月 2 日♀1 川上 康子 西川(2010) 青森県西津軽郡鯵ヶ沢町赤石川河口 1992 年 9 月 29 日巣少数金野晋 金野(1993) 青森県西津軽郡田野沢町大戸瀬海岸 1992 年 9 月 29 日未発見金野晋 金野(1993) 青森県西津軽郡風合瀬海岸 1992 年 9 月 29 日未発見金野晋 金野(1993) 青森県つがる市菰槌大滝沼 2009 年 5 月 17 日♀y1 初宿成彦 西川(2010) 青森県上北郡鷹架沼 1974 年 9 月 5 日 1y 高野伸二 高野(1975),八木沼・新海(1976) 秋田県 秋田県能代市浜浅内海岸 1992 年 9 月 26 日成多数金野晋 金野(1993) 秋田県秋田市桂浜海岸 1992 年 9 月 30 日巣多数金野晋 金野(1993) 秋田県秋田市浜田海岸 福島(2009) 秋田県岩城道川海岸 福島(2009) 秋田県秋田市岩城 1977 年 5 月 12 日 1♀福島彬人 田中(1990) 秋田県新屋町字砂奴寄 福島(2009) 秋田市新屋町雄物川河口左岸 福島(2009) 秋田県由利本荘市松ヶ崎海岸 1992 年 9 月 30 日巣 2 金野晋 金野(1993) 秋田県にかほ市 1980 年 6 月 19 日鈴木勝浩 鈴木(1981) 山形県 山形県酒田市十里塚海岸 1992 年 9 月 30 日y多数金野晋 金野(1993) 山形県鶴岡市湯野浜温泉海岸 1955 年 8 月 5 日 1♀興津伸二 興津(1955) 山形県鶴岡市湯野浜の北約 2.5km 2007 年 5 月 14 日未発見 吉田(2007) 山形県酒田市八重浜から十里塚 2007 年 5 月 21 日クモ 2 個体,巣数本 吉田(2007) 山形県酒田市道の駅「鳥海」側十里塚海岸 2007 年 6 月 29 日幼体 貞元(2008) 山形県酒田市十里塚から宮野浦 2007 年 5 月 23 日巣穴多数 吉田(2007) 山形県酒田市浜中から赤川河口 2007 年 5 月 28 日巣穴 10 以上 吉田(2007) 山形県飽海郡遊佐町比子字白木から遊佐町管里字十里塚 2007 年 5 月 29 日巣穴多数 吉田 (2007) 山形県飽海郡遊佐町管里字十里塚から遊佐町管里字西浜 2007 年 6 月 1 日巣穴多数 吉田 (2007) 山形県酒田市宮海から日向川河口 2007 年 6 月 4 日巣穴多数 吉田(2007) 90

山形県酒田市宮野浦および酒田市八重浜付近 2007 年 6 月 11 日巣穴多数 吉田(2007) 山形県飽海郡遊佐町比子字白木 2007 年 6 月 14 日巣穴多数 吉田(2007) 新潟県 新潟県村上市瀬波海岸 1977 年 10 月 2 日 1♂工藤 小野ほか(1988),1977 年 12 月 9 日 1♀1♂ 工藤 田中(1990) 新潟県岩船郡蓬莱山 1992 年 9 月 30 日未発見金野晋 金野(1993) 新潟県北蒲原郡桃崎海岸 1992 年 9 月 30 日成多数金野晋 金野(1993) 新潟県新潟市太夫浜 1992 年 9 月 30 日成多数金野晋 金野(1993) 富山県 富山県富山市東岩瀬海岸砂浜詳細不明 坂下(1955) [現在では絶滅(徳本洋・新海栄一・貞元己良 2008)] 石川県 石川県珠洲市三崎 生息せず(徳本 2004) 石川県珠洲市折戸 生息せず(徳本 2004) 石川県輪島市大川浜 少数生息(徳本 2004) 石川県輪島市袖が浜 生息せず(徳本 2004) 石川県輪島市皆月 生息せず(徳本 2004) 石川県輪島市門前 生息せず(徳本 2004) 石川県輪島市琴が浜 生息せず(1997 年までは少数生息)(徳本 2004) 石川県羽咋郡増穂が浦 生息せず(徳本 2004) 石川県羽咋郡甘田 少数生息(徳本 2004) 石川県羽咋郡一ノ宮から羽咋川 生息せず(徳本 2004) 石川県羽咋郡羽咋川から今浜 生息せず(徳本 2004) 石川県羽咋郡今浜からかほく市高松 少数生息(徳本 2004) 石川県かほく市高松から宇ノ気 少数生息(徳本 2004) 石川県かほく市宇ノ気から河北郡権現森 生息せず(徳本 2004) 石川県河北郡河北潟 1981 年夏♀1 高野 小野ほか(1988) 石川県河北郡権現森から粟崎 生息せず(徳本 2004) 石川県河北郡粟崎から金沢市金沢港 生息せず(徳本 2004) 石川県金沢市 1975 年 11 月 22 日 1♂,1976 年 10 月 3 日 3♀ Ueda, Y. 田中(1990) 石川県金沢市金沢港から犀川 生息せず(徳本 2004) 石川県金沢市犀川から赤土 生息せず(徳本 2004) 石川県金沢市赤土から白山市小川 生息せず(徳本 2004) 石川県白山市小川から手取 生息せず(徳本 2004) 石川県能美市手取から加賀市橋立 生息せず(徳本 2004) 石川県加賀市加賀 多数生息(徳本 2004) 石川県加賀市片野海岸 1993 年 9 月 26-27 日♀2♂1 金野晋 金野(1994) 石川県大島海岸 1993 年 9 月 26-27 日♂1 金野晋 金野(1994) 福井県 福井県福井市三里浜 1937 年 10 月 3 日藤田衛♂♀1 植村(1939) 福井県福井市三里浜 1935 年 11 月~1937 年頃巣多数藤田衛 藤田(1939) 兵庫県 兵庫県竹野郡久僧海岸 1992 年 8 月 30 日未発見金野晋 金野(1993) 京都府 京都府竹野町琴引海岸 1994 年 5 月 31 日 1♀ 田中(1999) 鳥取県 鳥取県鳥取市 1965 年 8 月 5 日 1♀垂水 田中(1999) 鳥取県鳥取市鳥取大砂丘 1988 年 7 月~8 月巣 22 福本伸男 福本(1989),1954 年 3 月 ♀1 岸田 小野ほか(1988) 鳥取県鳥取市賀露 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県鳥取市末垣(伏野) 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 91

鳥取県鳥取市白兎 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県岩美郡東浜 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県岩美郡羽尾 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県岩美郡牧谷 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県岩美郡浦富 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県岩美郡大谷 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県気高郡気高町矢口 1988 年 7 月~8 月巣 12 福本伸男 福本(1989) 鳥取県気高郡宝木 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県気高郡浜村 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県気高郡八束水 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県気高郡青谷 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県気高郡井手 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県気高郡ミナセ 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡泊村宇谷 1988 年 7 月~8 月巣 14 福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡北条町 1988 年 7 月~8 月巣 11 福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡石脇 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡泊 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡宇野 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡橋津 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡妻波 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡大谷 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡逢束 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡丸尾 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡由良 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡浦安 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡八橋 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県東伯郡赤碕 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県西伯郡(全域) 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県米子市和田 1988 年 7 月~8 月巣 6 福本伸男 福本(1989) 鳥取県米子市皆生 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県米子市弓ヶ浜(大部分) 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県米子市中海側全域 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県境港市(全域) 1988 年 7 月~8 月未発見福本伸男 福本(1989) 鳥取県鳥取市浜坂 1974 年 6 月~1978 年 12 月成幼巣多数吉田亮 吉田(1979) 鳥取県鳥取市鳥取砂丘 1986 年 5 月 13 日♀1 有田立身 鶴崎ほか(2008) 鳥取県鳥取市鳥取砂丘 1990 年 9 月 23 日♀1 鶴崎展巨 鶴崎ほか(2008) 鳥取県鳥取市鳥取砂丘 1991 年 8 月 30 日♀1 有田立身 鶴崎ほか(2008) 鳥取県岩美町東浜 2005 年 6 月 13 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県鳥取市鳥取砂丘 2005 年 6 月 13 日巣 8 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県鳥取市賀露 2005 年 6 月 14 日巣 19 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県鳥取市末恒 2005 年 6 月 14 日巣 5 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県鳥取市矢口 2005 年 6 月 14 日巣 1 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県鳥取市浜村 2005 年 6 月 8 日巣 10 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県鳥取市八束水東部 2005 年 6 月 8 日巣 17 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県鳥取市八束水西部 2005 年 6 月 8 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県湯梨浜町石脇 2005 年 6 月 16 日巣 9 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県湯梨浜町宇谷 2005 年 6 月 16 日巣 1 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県湯梨浜町宇野 2005 年 6 月 16 日巣 4 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県北栄町北条砂丘東部 2005 年 6 月 20 日巣 8 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県北栄町北条キャンプ場 2005 年 6 月 20 日巣 6 鈴木ほか 鈴木ほか(2006)

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鳥取県北栄町北条砂丘東園 2005 年 6 月 20 日巣 2 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県北栄町西園 2005 年 6 月 20 日巣 1 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県北栄町由良 2005 年 6 月 22 日巣 15 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県琴浦町とよなり浜 2005 年 6 月 22 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県琴浦町西坪 2005 年 6 月 22 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県大山町今津 2005 年 6 月 22 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県大山町淀江 2005 年 6 月 22 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県日吉津村日野川東部 2005 年 6 月 27 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県米子市皆生浜 2005 年 6 月 27 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県米子市弓ヶ浜駐車場 2005 年 6 月 27 日巣 4 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 鳥取県米子市弓ヶ浜美保湾駐車場 2005 年 6 月 27 日巣 1 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県 島根県隠岐島島後しおはま 2005 年 7 月 12 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県出雲市いなさ浜 2005 年 9 月 9 日巣 2 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県湖陵町国引き浜 2005 年 6 月 6 日巣 1 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県多岐町きらら多岐駐車場 2005 年 6 月 6 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県大田市みなと浜 2005 年 6 月 6 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県大田市仁摩ことが浜 2005 年 6 月 7 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県江津市浅利浜 2005 年 6 月 7 日巣 16 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県江津市おきの浜 2005 年 6 月 7 日巣多数鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県浜田市石見浜 2005 年 6 月 6 日巣 20 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県浜田市石見浜キャンプ場 2005 年 6 月 7 日巣 1 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県益田市なかすキャンプ場 2005 年 6 月 7 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県益田市三里ヶ浜 2005 年 6 月 7 日未発見鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 島根県益田市戸田 2005 年 6 月 7 日巣 1 鈴木ほか 鈴木ほか(2006) 茨城県 茨城県高萩市石滝 2008 年 10 月 17 日巣多数井上尚武 井上(2009) 茨城県高萩市高浜 2008 年 10 月 25 日巣確認井上尚武 井上(2009) 千葉県 千葉県鴨川市鴨川海岸 1991 年 11 月 25 日未発見金野晋 金野(1993) 静岡県 静岡県遠笠郡浜岡砂丘 1991 年 10 月 4 日・15 日未発見金野晋 金野(1993)

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リスト 2.われわれの調査結果. イソコモリの在不在,住所,北緯東経(度),調査日の順に記してある.

北海道日本海側 ○:北海道天塩郡豊富町稚咲内 N45.16074 E141.58542 2010/7/7 ○:北海道苫前郡初山別村初山別 N44.52881 E141.76521 2010/7/6 ○:北海道苫前郡苫前町上平 N44.27384 E141.65385 2010/7/6 ×:北海道留萌郡小平町鬼鹿元浜 N44.16449 E141.65900 2010/7/6 ×:北海道留萌郡小平町臼谷 N44.00137 E141.65713 2010/7/6 ○:北海道石狩市浜益区川下 N43.57791 E141.38539 2010/7/6 ○:北海道石狩市浜町 N43.25717 E141.35767 2010/7/2 ×:北海道小樽市蘭島 N43.19802 E140.84995 2010/7/3 ×:北海道余市郡余市町栄町 N43.19637 E140.84181 2010/7/3 ○:北海道磯谷郡蘭越町港町 N42.89523 E140.37665 2010/7/3 ○:北海道寿都郡寿都町歌棄町 N42.77261 E140.29311 2010/7/3 ○:北海道島牧郡島牧村美川 N42.75887 E140.14814 2010/7/3 ×:北海道島牧郡島牧村豊浜 N42.72495 E140.07604 2010/7/3 ×:北海道久遠郡せたな町瀬棚区三本杉 N42.46645 E139.85287 2010/7/3 ○:北海道久遠郡せたな町瀬棚区南川 N42.42594 E139.84508 2010/7/3 ○:北海道二海郡八雲町熊石泊川町 N42.09004 E140.05046 2010/7/4 ×:北海道爾志郡乙部町鳥山 N42.09004 E140.05046 2010/7/4 ○:北海道檜山郡江差町伏木戸町 N41.91203 E140.14088 2010/7/4 ○:北海道檜山郡江差町椴川町 N41.91203 E140.14088 2010/7/4 北海道オホーツク海側 ○:北海道宗谷郡猿払村浜猿払 N45.26227 E142.24545 2010/7/7 ○:北海道枝幸郡枝幸町下幌別 N44.89202 E142.61564 2010/7/7 ○:北海道紋別郡雄武町沢木 N44.51577 E143.06829 2010/7/7 ○:北海道紋別郡湧別町登栄床 N44.18642 E143.76377 2010/7/8 ○:北海道斜里郡斜里町峰浜 N43.92997 E144.79195 2010/7/8 ○:北海道標津郡標津町茶志骨 N43.62252 E145.21929 2010/7/8 ○:北海道根室市春国岱 N43.27307 E145.47151 2010/7/9 北海道太平洋側 ×:北海道厚岸郡浜中町恵茶人 N43.15812 E145.24432 2010/7/9 ×:北海道厚岸郡浜中町榊町 N43.11783 E145.11055 2010/7/9 ×:北海道厚岸郡浜中町仲の浜 N43.06903 E145.08656 2010/7/9 ○:北海道白糠郡白糠町コイトイ N42.99315 E144.19968 2010/7/9 ○:北海道中川郡豊頃町大津元町 N42.68705 E143.65330 2010/7/11 ○:北海道幌泉郡えりも町庶野 N41.99867 E143.25243 2010/7/11 ×:北海道幌泉郡えりも町えりも岬 N41.94958 E143.23967 2010/7/11 ○:北海道浦河郡浦河町西幌別 N42.14278 E142.83785 2010/7/10 ○:北海道新冠郡新冠町節婦町 N42.37308 E142.28351 2010/7/11 ○:北海道苫小牧市弁天 N42.62006 E141.77008 2010/7/11 ○:北海道苫小牧市樽前 N42.57984 E141.42894 2010/7/5 ×:北海道白老郡白老町石山 N42.53040 E141.32739 2010/7/5 ×:北海道白老郡白老町北吉原 N42.50368 E141.28231 2010/7/5 ×:北海道白老郡白老町竹浦 N42.48144 E141.24840 2010/7/5 ○:北海道伊達市南有珠町 N42.50124 E140.79416 2010/7/13 ×:北海道山越郡長万部町旭浜 N42.52433 E140.39137 2010/7/4 ×:北海道山越郡長万部町中ノ沢 N42.47960 E140.35340 2010/7/4 ○:北海道山越郡長万部町豊野 N42.40717 E140.30887 2010/7/4 94

○:北海道茅部郡森町砂原 N42.13374 E140.70230 2010/7/5 ×:北海道北斗市東浜 N41.82202 E140.67452 2010/7/4 本州太平洋側 ○:青森県上北郡六ヶ所村泊川原 N41.05674 E141.38728 2007/6/18 ○:青森県上北郡六ヶ所村出戸岡畑 N41.01095 E141.38408 2007/6/16 ○:青森県上北郡六ヶ所村尾駮野附 N40.97631 E141.38405 2007/6/16 ○:青森県三沢市三沢浜通 N40.85102 E141.39587 2007/6/16 (高瀬川放水路左岸) ○:青森県三沢市三沢浜通 N40.84235 E141.39868 2007/6/16 (高瀬川放水路右岸) ○:青森県三沢市三沢浜通 N40.76577 E141.41204 2007/6/16 (六川目小学校付近) ○:青森県上北郡おいらせ町一川目 N40.66125 E141.44011 2007/6/17 (二川目郵便局の北) ○:青森県上北郡おいらせ町一川目 N40.64414 E141.44582 2007/6/17 (甲洋小学校近く) ×:岩手県九戸郡野田村野田第 37 地割 N40.12574 E141.83759 2008/5/8 ×:岩手県九戸郡野田村野田第 9 地割 N40.09727 E141.82590 2008/5/8 ○:岩手県下閉伊郡田野畑村明戸 N39.94472 E141.94261 2008/5/8 ×:岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀 N39.93290 E141.93787 2008/5/8 ×:岩手県下閉伊郡田野畑村和野 N39.92669 E141.94008 2008/5/8 ×:宮城県東松島市浜市須賀松 N38.37955 E141.18127 2008/5/7 ×:宮城県東松島市野蒜南余景 N38.37232 E141.16854 2008/5/7 ×:宮城県仙台市宮城野区岡田 N38.23730 E140.99986 2008/5/7 ×:宮城県仙台市若林区荒浜 N38.21561 E140.98381 2008/5/7 ×:宮城県名取市閖上東須賀 N38.16809 E140.95979 2008/5/7 ×:宮城県岩沼市下野郷浜 N38.11816 E140.93509 2008/5/7 ×:宮城県岩沼市寺島川向 N38.08252 E140.92663 2008/5/7 ×:宮城県亘理郡亘理町吉田砂浜 N38.02632 E140.91914 2008/5/7 ×:福島県相馬市磯部 N37.79035 E140.98655 2009/10/16 ×:福島県南相馬市鹿島区北海老釜舟戸 N37.71951 E141.01081 2009/10/16 ×:福島県南相馬市鹿島区南右田二ツ沼 N37.68751 E141.01213 2009/10/16 ×:福島県南相馬市小高区村上横砂 N37.56913 E141.02600 2009/10/16 ×:福島県南相馬市小高区角部内腰巻 N37.54924 E141.02836 2009/10/16 ×:福島県双葉郡浪江町棚塩南川原 N37.48836 E141.03893 2009/10/16 ×:福島県双葉郡双葉町郡山沼ノ沢 N37.45439 E141.03729 2009/10/16 ×:福島県双葉郡大熊町熊川久麻川 N37.38643 E141.03398 2009/10/16 ×:福島県いわき市久之浜町久之浜須賀 N37.14072 E140.99957 2009/10/17 ×:福島県いわき市久之浜町田之網横内 N37.12122 E140.99750 2009/10/17 ×:福島県いわき市四倉町東 N37.10435 E140.99106 2009/10/17 ×:福島県いわき市平沼ノ内浜街 N37.02201 E140.97183 2008/5/6 ×:福島県いわき市平豊間塩場 N36.98266 E140.96707 2008/5/6 ×:福島県いわき市佐糠町荒屋 N36.90836 E140.81564 2008/5/6 (鮫川左岸) ×:福島県いわき市佐糠町荒屋 N36.90479 E140.80980 2008/5/6 (鮫川右岸) ×:福島県いわき市錦町須賀 N36.88695 E140.79569 2008/5/6 ×:茨城県北茨城市磯原町磯原 N36.78975 E140.75142 2009/10/17 ×:茨城県北茨城市中郷町小野矢指 N36.75598 E140.73587 2009/10/17 ○:茨城県高萩市安良川 N36.69902 E140.71787 2009/10/17

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青森県陸奥湾側 ×:青森県むつ市田名部赤川 N41.25058 E141.22484 2007/6/17 ×:青森県むつ市奥内浜奥内 N41.19962 E141.26306 2007/6/17 ×:青森県上北郡横浜町百目木 N41.03922 E141.24061 2007/6/17 ○:青森県上北郡横浜町吹越 N41.03069 E141.23931 2007/6/17 ○:青森県上北郡野辺地町向田 N40.95499 E141.21319 2007/6/18 ×:青森県青森市小橋福田 N40.91322 E140.67142 2009/6/6 本州日本海側 ○:青森県つがる市牛潟町鷲野沢 N40.93774 E140.30758 2009/6/6 ○:秋田県能代市河戸川南西山 N40.17939 E139.99291 2009/6/6 ○:秋田県秋田市新屋町関町後 N39.68780 E140.06179 2009/6/7 ○:山形県酒田市十里塚村東山南 N38.87929 E139.79628 2009/6/7 ○:新潟県村上市中浜 N38.53723 E139.54680 2009/6/7 ×:新潟県村上市北新保 N38.16596 E139.42009 2007/5/18 ×:新潟県胎内市桃崎浜 N38.14648 E139.40566 2007/5/18 ○:新潟県胎内市荒井浜 N38.12094 E139.38561 2007/5/18 (その後,この地点の砂浜は護岸工事によって消失したことが,田中誠さんによって確認さ れている) ○:新潟県胎内市村松浜 N38.05999 E139.32686 2007/5/20 ○:新潟県新潟市北区太夫浜 N37.96768 E139.15217 2007/5/20 ○:新潟県新潟市西蒲区越前浜 N37.81737 E138.84439 2007/50/20 ×:新潟県柏崎市西山町大崎 N37.50494 E138.64656 2009/5/7 ×:新潟県柏崎市西山町大崎 N37.48923 E138.63194 2009/5/7 ○:新潟県上越市柿崎区柿崎 N37.28714 E138.39513 2009/5/7 ×:新潟県上越市長浜 N37.16526 E138.18195 2009/5/7 ×:新潟県糸魚川市百川 N37.11594 E138.02602 2009/5/7 ×:新潟県糸魚川市中宿 N37.06173 E137.91476 2009/5/7 ×:新潟県糸魚川市須沢 N37.03959 E137.82911 2009/5/7 ×:新潟県糸魚川市寺地 N37.02661 E137.80022 2009/5/7 ×:富山県黒部市荒俣 N36.91900 E137.42252 2009/5/7 ×:富山県富山市岩瀬古志町 N36.76506 E137.24270 2009/5/6 ×:富山県氷見市柳田 N36.83660 E137.00656 2009/5/6 ○:石川県輪島市町野町曽々木 N37.45455 E137.07225 2009/5/6 ○:石川県加賀市塩屋町 N36.29923 E136.25056 2009/5/5 ×:福井県敦賀市白木 N35.73214 E135.97627 2009/5/5 ×:福井県三方郡美浜町坂尻 N35.62187 E135.96671 2009/5/5 ×:福井県三方郡美浜町松原 N35.61086 E135.92911 2009/5/5 ○:京都府京丹後市網野町掛津 N35.70491 E135.05527 2009/5/4 (琴引浜) ○:京都府京丹後市丹後町平 N35.75322 E135.15831 2009/5/4 ○:鳥取県鳥取市浜坂(烏取砂丘) N35.54174 E134.21700 2009/5/26 (鶴崎展巨さんより標本をいただく) ○:鳥取県境港市財ノ木町(弓ヶ浜) N35.50679 E133.25730 2009/5/28 ○:島根県出雲市湖陵町板津 N35.32546 E132.66034 2009/5/26 ○:島根県江津市後地町 N35.04613 E132.28414 2009/5/26 ○:島根県江津市二宮町神主 N34.98336 E132.17130 2009/5/27 ×:島根県益田市喜阿弥町イ N34.67758 E131.75736 2009/5/27 ×:島根県益田市小浜町 N34.67371 E131.72532 2009/5/27

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引用文献 井上尚武 2009.日立市とその周辺の生き物メモ・2.茨城県立多賀高等学校紀要第 19 集.59-76. 植村利夫 1939.福井県産一新毒蛛の記載.Acta Arachnologica, 4: 130-133. 興津伸二 1955.イソドクグモは山形県にもいる.Atypus, 9: 17. Ono H. & Shinkai E. 1988. Notes on the Japanese sundy-beach spider, Lycosa ishikariana (Araneae, Lycosidae), based upon fresh topotypical specimens. Memories of the National Science Museum, 21: 131-135. Ono H., Kumada K., Sadamoto M. & Shinkai E. 1991. Spisers from the Northernmost Areas of Hokkaido, Japan. Memories of the National Science Museum, 24: 81-103. 金野 晋 1993.イソコモリグモについて.くものいと,12: 7-12. 金野 晋 1994.イソコモリグモについての覚え書き.くものいと,15: 3: 坂下栄作 1955.富山県動物目録.著者自刊. 貞元己良 2008.庄内平野で採集したクモ.Kishidaia, 94: 51-58. 新海栄一・八木沼健夫 1977.分布資料.Atypus, 70: 43. 鈴木勝浩 1981.私のクモ観察ノートから.Kishidaia, 47: 84-86. Suzuki S., Tsurusaki N. & Kodama Y. 2006. Distribution of an endangered burrowing spider Lycosa ishikariana in the San'in Coast of Honsyu, Japan. Acta Arachnologica, 55: 79-86. 高野伸二 1975.小観察あれこれ(4).Kishidaia, 39: 38-39. 高野伸二・新海栄一・熊田憲一 1977.イソコモリグモとイシカリコモリグモ.Kishidaia, 42: 43. Tanaka H. 1990. Lycosid spiders of Japan III. The Lycosa Latreille. Sonoda Womens' College Studies, 24: 193-213. 田中穂積 1999.コモリグモ科標本のデータの追加.Kishidaia, 77: 119-124. 鶴崎展巨・岡田珠美・有田立身・井原 庸 2008.鳥取県の真正クモ類.山陰自然史研究, 4:23-48. 徳本 洋・新海栄一・貞元己良 2008.富山県におけるイソコモリグモの絶滅.Kishidaia, 94: 15-22. 徳本 洋 2004.石川県におけるイソコモリグモ Lycosa ishikariana (S.Saito, 1934)の激減. のと海洋ふれあいセンター研究報告,10: 21-30. 西川喜朗 2010.青森県のクモ採集記録.くものいと, 43: 33-36. 福島彬人 2009.秋田県の蜘蛛.秋田県環境と文化の村協会. 福本伸男 1989.鳥取県海浜におけるイソコモリグモの分布.Atypus, 94: 5-9. 藤田 守 1939.イソドクグモの習性.Acta Arachnologica, 4: 134-138. 八木沼健夫・新海栄一 1976.分布資料.Atypus, 66: 47-48. 八幡明彦 2009.自然海浜に住むイソコモリグモ.自然保護,509: 40-42. 吉田 哉 2007.山形県庄内砂丘のイソコモリグモ.Kishidaia, 92: 55-63. 吉田 亮 1979.イソコモリグモの生態について.Atypus,74: 23-28.

97 KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012 ─────────────────────────────────DRAGLINES── ミヤマシボグモモドキの雄の奇妙なしぐさ 藤澤 庸助

筆者は,2011 年 4 月 15 日と 6 月 3 日,4 日の 3 回,上田市街の北側に位置する太 郎山(1164 m)の中麓へ,次の 2 種を再確認しに行った.1 種は雌の亜成体に対し, 田中穂積氏からシボグモモドキ(またはミヤマシボグモモドキ)ではないかとのご示唆 をいただいた種であり,もう 1 種は新海栄一氏によって Hahnia nava に同定された種 である.後者は長野市誌と上田市誌にタロウヤマハタケグモの仮名で載せ,小野(2009) に和名として採用されている.採集地は 11 年前と同じ場所(上田市太郎山表参道登山 口,標高約 760 m)である.その結果,前者は間違いなくミヤマシボグモモドキ Zora nemoralis(雄 4 頭,雌 1 頭採取)であることが確認でき,後者も生息が確認(雌 2 頭採取,雄は未採取)できるという成果を得た. さて本題のミヤマシボグモモドキは,比較的平坦な場所の浅いくぼみに溜まった落葉 層から発見されることが多かった.雌は落葉層の中から見出されたのに対し,雄は層の 表面に出ていて,あまり徘徊しないのでそっと近付いて撮影することができた. このとき,本種の雄に奇妙で特徴あるし ぐさが見られたのである.カメラのファイ ンダーを通して雄の行動を見ていると,と きおり前方に伸ばした第Ⅰ脚の左右いず れかを,3~4 回上下に震わせるのである. これは撮影した 2 頭の雄に共通したしぐ さであった.前方に相手がいないので,特 定の雌に対する求愛行動あるいは雄同士 の誇示行動ではなさそうである(写真,そ 図 ミヤマシボグモモドキのオス の瞬間かどうかは不明). 撮影時には思いが至らなかったが,このしぐさは落ち葉を叩く,いわばノッキングに よって落葉層の中に雌がいるかどうか,または雌からの返信があるかないかを探る行動 であったのかもしれない.ようやくそこに気付いて 6 月 21 日に再び行ってみたが,す でに適期は過ぎてしまったらしく雄の姿は見られなかった.残念であったが翌年以降の 適期に聴覚の鋭い若者を誘って雄の行動を再度調べてみたいと思いながら引き返した.

参考文献 小野展嗣 2009.日本産クモ類.東海大学出版会. 藤澤庸助 2004.長野県クモ類目録.Kishidaia,85: 47-101.

98 KISHIDAIA, No.100 Mar. 2012 ──DRAGLINES───────────────────────────────── 八王子市内でワクドツキジグモを発見 中澤 均

筆者は 2011 年 8 月 12 日に,東京都八王子市内でワクドツキジグモを発見した.発 見時には希少種とは知らず,写真撮影のみを行い,採集は行わなかった.帰宅後,図鑑 で調べた結果,ワクドツキジグモの可能性が高いことが判り,土屋昌利氏,初芝伸吾氏 に写真による同定をお願いし,ワクドツキジグモに間違い無しとの見解をいただいた. 以下,発見時の様子を報告する. 発見場所は,八王子市裏高尾にある木下沢(こげさわ)林道脇の草地である.渓流の 左岸を砂利道が緩やかに登っており,主にスギの人工林の中の為,陽射しはあまり届か ない.この日は,朝からかなり蒸し暑い一日(八王子の最高気温が約 35℃)であった が,渓流沿いの道は比較的涼しい環境であった.この林道は,林業関係者や一般レジャ ー客の車が時折通るが,交通量は非常に少ない. 植物を観察しながら林道を進んでいると,正午過ぎ,ヤマノイモ科植物の葉の上に, 何かの排泄物の様な焦げ茶色の小さな塊を発見した.渓流とは反対側,地表からの高さ は 15 cm 程であったと思われる.確認の為に塊に触ると,コロリと落下してしまった. 直ぐに拾い上げて葉の上に戻し,しばらく観察していると,脚が出てきたので,ようや く蜘蛛であることが判った. 大きさは,腹部の横方向が最も長く,1 cm 弱程であった思われるが,残念ながら正 確な計測は行っていない.腹部の背面は全体に黒褐色で,ワクド(ヒキガエルの地方名) の名の通りデコボコの突起があり,腹部両脇には前方斜め方向に突き出た顕著な突起が あった(写真 1).また,腹面側には,糸いぼと思われる顕著な突起が確認できた(写 真 2).

写真 1 写真 2

99 KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012 ─────────────────────────────────DRAGLINES── オオヒメグモの網に居たアカイソウロウグモ 山本 一幸

2011 年 7 月 5 日,兵庫県豊岡市竹野町切浜にて夜間観察の際,海岸の東屋の床下に 生息するオオヒメグモの網に居るアカイソウロウグモを 2 個体発見した.オス,メス それぞれ 1 個体づつであり,未成熟だった(図 1). アカイソウロウグモはジョロウグモ類,コガネグモ類,オニグモ類などの網に侵入し て居候生活をする(新海 2006).棚網を張るクサグモの網からも記録(谷川 1997) があるが,主に円網を張るクモを宿主としており,不規則網のヒメグモ類の網からは今 までに記録が無いと思われる.

図 1 オオヒメグモの網のアカイソウロウグモ(左,矢印)とその拡大写真(右)

参考文献 新海栄一 2006.日本のクモ.文一総合出版. 谷川明男 1977.アカイソウロウグモの採集記録追加.Kishidaia, 71: 21.

こどもクモ博士という試み 池田 博明

平塚市博物館主催の自然教室の講師として,クモ観察を指導する機会があった.2010 年 9 月には神奈川県平塚市土屋の休耕田と屋敷林のクモ調査というかたちで午前・午 後と 5 時間ほど行い,2011 年 5 月には同地点でクモ観察会というかたちで午後 2 時 間半ほど行なった.

100 KISHIDAIA, No.100 Mar. 2012 ──DRAGLINES───────────────────────────────── 9 月のクモ調査では,「自然観察ビンゴ」を導入し,小学生低学年のこどもたちの関 心を途切れさせることのない工夫をしたが(池田,1997),5 月の観察会は参加者も 少ないことから時間をかけた観察や丁寧な解説が可能だった.そこで懸案の「こどもク モ博士」認定を試すことにした.最初に下記の「こどもクモ博士」認定要件を説明し, 合格を目指すよう指示する.

認定要件 ・クモをじょうずに扱える (1)クモを採集し,手の上に乗せた後で逃がすことが出来る. (2)クモを管びんに移すことが出来る. (3)管びんの中のクモをルーペで拡大して観察することが出来る. ・クモをよく観察できる (4)アリとアリグモのちがいを説明できる. (5)ハエトリグモを識別できる. (6)カニグモまたはエビグモを識別できる. (7)オスを識別できる. ・クモについてひとに教えることができる (8)クモの糸や網についてひとつ以上説明できる. (9)前記以外のクモ 3 種類の特徴を他のひとに説明できる. (10)クモに関する質問を先生に 2 個以上できる.

こどもは小学 2 年生が 2 名だったが,女子は前年の秋にも参加していた子供だった ので,「これは,できる」とすぐに扱いをクリア.男子は自然観察に初めて参加した子 供で,最初は慎重だったが,次第に「1 個目の質問は」と認定要件を意識した発言をす るようになった.2 時間ほど採集しながら観察し,説明をしていって,最後に試験をす る.子供の人数が少なかったので,採集観察をしている間にいくつかのテストはできた. 試験として,細い管びんに 1 種類ずつ入っているクモを自分で選んで取り上げてもら い,なにか説明を試みてもらう.自分が採集したクモを説明しようとする傾向が見られ た.最後に,子供の名前を認定書にきちんと書いて授与する.認定書はあらかじめカラ ー印刷で作成しておいたもの(ウェブ上の書式を利用した.).参加者みんなで拍手. ちなみに,認定書は「日本ハエトリグモ研究センター」で発行した.こども博士のアイ デアについては,クモネットで話題提供したことがあり,その際に島野智之さん,土屋 昌行さんからご意見をいただきました.こどもの人数が少ない場合には,こどもの意欲 を高める効果があった.長い目でみたときの効果はまだ分からない.

参考文献 池田博明 1997.クモ観察会指導マニュアル.Kishidaia,71: 7-12. 101 KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012 ─────────────────────────────────DRAGLINES── 母グモはもっとも新しい卵のうのそばにいる 池田 博明

オオヒメグモの網に複数の卵のうがあるとき,母親がガードしている卵のうがいちば ん新しく産卵したものである.このことは野外で二度ほど確認した.母親から遠い卵の うから出のうしてまどいが見られるときでも,母親のそばの卵のう内はまだ卵だった. 他の種の卵のうではヒメグモで確認しただけだが,当然ほかの種の卵のうのガードでも 当てはまる原理として,観察会などで話して来た. ところが,2011 年 6 月 25 日に実施された神奈川県秦野市のネイチャー・ウォッチ ング・クラブの観察会で,浜岡史子さんから質問があった.「今日の観察で,ヨツデゴ ミグモは複数の卵のうのいちばん下にいるから卵のうは一番下が新しいことになる.そ れに対して,ゴミグモは複数の卵のうの上の卵のうのところにいるから一番上が新しい ことになりますか」.私の原理から言うとそうなるはずである.ただし確認したことが ない.だいいちゴミグモが上にいることさえよく観察していなかった.その時点では「そ うなるはずですが,実は確認したことがありません.今度見つけたら注意して確認して みて下さい」と答えるしかなかった. その三週間後,2011 年 7 月 18 日,東京蜘蛛談話会の合宿が行われた栃木県の茂木 ツイン・リンク内のあずま屋の軒下に,卵のうを付けたゴミグモの網が並んで作られて いて,ちょうど子グモが出のうしている卵のうがあった.軒下ではゴミだらけなのでど の卵のうから出のうした子グモなのかが分からない.そこで注意深く上下を確認して採 集し,持ち帰って室内でなかを開いてみた.卵のうは 4 個あるように見えて母親は上 から 2 個目の卵のうの上にいた. いちばん上の卵のうのところにいない母グモというのも不審だったが,採集してきた 卵のうを良く見て合点がいった.いちばん上の卵のうのように見えたものはゴミの塊で あって,卵のうではなかったのである.子グモが出のうしたのはいちばん下の卵のうか らだった.この卵のうのなかには卵殻と脱皮殻しか残されていなかった.出のうした子 グモはまどいの時は過ぎたようで分散し始めていた.全個体を採集しきれなかったが一 部を取ったところ 120 頭だった.出のう個体の斑紋やサイズは下から 2 番目の卵のう 内の二齢幼体と同様だった. 下から 2 番目の卵のうの中には孵化し,おそらく一度脱皮したばかりと思われる二 齢幼体 75 頭が入っていて,まだ卵のう内でもぞもぞうごめいていた.下から 3 番目の 卵のうの中には脚が分化したばかりの胚と未受精卵(一部)計 83 個が入っていた.こ の下から 3 番目の卵のうを母親がガードしていたのであった. 今回の観察でゴミグモの卵のうは網の下から上に付けられ,母親はいちばん上の卵の うをガードしていることが明らかになった.私の卵のうガードの原理はまだ正しいよう

102 KISHIDAIA, No.100 Mar. 2012 ──DRAGLINES───────────────────────────────── である.「クモのはなしⅠ」(梅谷・加藤(編著) 1989)に宮下 直氏がゴミグモの 卵のうについて「ふつう,下の卵のうほど早く産卵されたもので,子グモはその順に卵 のうから脱出していきます」と記していた.この文の傍にゴミグモの卵のうの写真があ るが,4 個の卵のうのいちばん下に母グモが写っている.ゴミグモの母親の位置にはま だ注目が必要なようである.

引用文献 宮下 直 1989.クモの卵の数.IN 梅谷献二・加藤輝代子,クモのはなし I.技報堂出版.

コケオニグモと紫外線 浅間 茂

はじめに コケオニグモは,ウメノキゴケなどの地衣類が着いた樹木に円網を張るクモである. 今までの報告でも発見場所は体色が似ている地衣類との関わりが深いようである.コケ オニグモは捕食者から眼をくらますために,体色が似ている青白色の地衣類の生えてい る木を選んでいる可能性がある.ウメノキゴケなどの青白色の地衣類は紫外線を強く反 射する.コケオニグモは地衣類と同様に紫外線を反射するかどうか気になっていたが, コケオニグモは稀な種であり,なかなか出会う機会は訪れなかった.

コケオニグモと出会う 2011 年 8 月 8 日千葉県鴨川市内浦山県民の森で,夜間観察の際にコケオニグモの幼 体を発見した.19 時 30 分には網に繋がる糸の途中で静止していた.そのまま静止状 態が続いたので,普通の撮影と紫外線撮影をした(写真 1・2).翌朝同じ場所で小さ な円網の端にコケオニグモは地衣類の中に隠れるように潜んでいた.地衣類を背景に紫 外線写真撮影をした(写真 3・4).なお紫外線写真は UV ニッコール 105 mm と紫外 線写真が撮れるように改造した Nikon D70 を使用した.また紫外線の色はカメラの CMOS によって色が異なり,ニコンのカメラでは赤く,キャノンのカメラでは青くな る.紫外線写真は白黒に変更しても良いが,ニコンの赤色の度合いによって撮影された 紫外線の波長が分かるため,撮影したそのままの状態での写真である.撮影された波長 は 370 nm~380 nm の近紫外線である.

103 KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012 ─────────────────────────────────DRAGLINES──

写真 1. 8 月 8 日 19 時 45 分撮影 写真 2. 8 月 8 日 19 時 45 分紫外線撮影

写真 3. 8 月 9 日 6 時 25 分撮影 写真 4. 8 月 9 日 6 時 25 分紫外線撮影

まとめ コケオニグモは地衣類と同様に紫外線を強く反射した.コケオニグモは可視光だけで なく,紫外線を認識して網の張り場所である地衣類を選んでいる可能性が高いと考えら れる.夜間は網の中央に位置し餌を捕り,日中は色・紫外線反射の同じ地衣類に潜んで いることは,狩り蜂などから見つけられないよう紫外線も利用した隠蔽的擬態ではない だろうか.

熊本県産クモ類目録の追加 入江 照雄

熊本県のクモについては,KISHIDAIA No.89 において 457 種を報告した.その後, 追加された採集記録や情報により,2010 年の段階で 25 種を記録したので報告する. 今回の追加目録には筆者の採集以外に研究者や河川水辺の国勢調査の情報も合わせて 記録している.なお,科名,学名および配列は「日本産クモ類 2009」(小野 2009) に準じている.

104 KISHIDAIA, No.100 Mar. 2012 ──DRAGLINES───────────────────────────────── Liphistidae ハラフシグモ科 1.Heptathela kikuyai Ono 1998 ブンゴキムラグモ 2.Heptathela kimurai (Kishida 1920) キムラグモ Pholcidae ユウレイグモ科 3.Pholcus higoensis Irie & Ono 2008 ヒゴユウレイグモ Leptonetidae マシラグモ科 4.Masirana kusunoensis Irie & Ono 2010 クスハラジョウマシラグモ Cybaeidae ナミハグモ科 5.Cybaeus asoensis (Irie 2007) アソナミハグモ Coelotidae ヤチグモ科 6.Coelotes iharai Okumura 2007 ミナミヒメヤチグモ Pisauridae キシダグモ科 7.Dolomedes japonicus Bösenberg & Strand 1906 キクメハシリグモ Lycosidae コモリグモ科 8.Arctosa hikosanensis Tanaka 1985 ヒコサンコモリグモ Linyphiidae サラグモ科 9.Aprifrontalia mascula (Karsch 1879) コサラグモ 10.Gongylidioides cucullatus Oi 1960 ズキンヌカグモ 11.Solenysa reflexilis Tu, Ono & Li 2007 キュウシュウアリマネグモ ヒメグモ科 12.Coscinida japonica Yoshida 1994 トガリクサチヒメグモ 13.Neospintharus nipponicus (Kumada 1990) ツノナガイソウロウグモ 14.Parasteatoda oculiprominens (S.Saito 1939) キヨヒメグモ 15.Steatoda grossa (C.L.Koch 1838) シロホシヒメグモ 16.Yunohamella subadulta (Bösenderg & Strand 1906) コケヒメグモ Tetragnathidae アシナガグモ科 17.Pachygnatha quadrimaculata (Bösenberg & Strand 1906) ヨツボシヒメアシナガグモ Arneidae コガネグモ科 18.Gibbaranea abscissa (Karsch 1879) キザハシオニグモ Gnaphosidae ワシグモ科 19.Micaria japonica Hayashi 1985 ヤマトツヤグモ 20.Sanitubius anatolicus (Kamura 1989) ナミトンビグモ Thomisidae カニグモ科 21.Synema nangoku Ono 2002 ナンゴクフノジグモ 22.Takachihoa truciformis (Bösenberg & Strand 1906) コキハダカニグモ 105 KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012 ─────────────────────────────────DRAGLINES── 23.Xysticus ephippiatus Simon 1880 チュウカカニグモ Salticidae ハエトリグモ科 24.Helicius cylindratus(Karsch 1879) コジャバラハエトリ 25.Rhene albigera (C.L.Koch 1848) ヒメカラスハエトリ

参考文献 入江照雄 2006.熊本県産クモ類目録.Kishidaia, 89: 137-159. 入江照雄 2007.続・暗闇に生きる動物たち.熊本生物研究所. Irie T. and Ono H. 2008. A new species of the genus Pholcus (Araneae; Pholcidae) from Kumamoto Prefecture, Kyushu, Japan. Bulletin of the National Museum of Nature and Science. Series A, 34: 95-98. Irie T. and Ono H. 2010. New spider species of the genera Masirana and Cybaeus(Araneae, Leptonetidae and Cybaeidae) from Kyushu, Japan. Bulletin of the National Museum of Nature and Science. Series A, 36: 101-106 Okumura K. 2007. Three new species of the subfamily Coelothinae (Araneae: Amaurobiidae) from Kyushu, Japan. Acta Arachnologica, 56: 85-90. 小野展嗣 2009.日本産クモ類.東海大学出版会.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

伊豆諸島・式根島における地中性クモ類及びその他のクモ

笹 岡 文 雄

概 観 式根島は東京より約 180 km,面積約 3.81 平方キロ,周囲約 12 km,全島ほぼフラ ットな地形を呈する.海岸線はリアス式で,単調な海岸線が多数を占める他の伊豆諸島 とは,著しく違う特徴を持っている.かつては隣接の新島と地続きで 1 島であったも のが,元禄 16 年(西暦 1703 年)の地震に伴う津波によって 2 島に分離したともされ ている. 観測点が無い為,正確な数値は不明であるが式根島から距離 2 km と近接の新島の数 値を参考とすると,東京都心と比べて年平均気温は約 2℃高く,降水量は約 2 倍となる 約 2,800 mm である(式根島開島百年を記念する会 1987).降水量は多いが流紋岩 質の火山性地質の為浸透性が高く,湖沼,河川などの陸水系はまったく存在しない. 植生はヤブツバキクラス域に属し,スダジイを中心とした常緑照葉樹林である.また 式根島のスダジイ林はクロマツの混生が多いことが特徴とされる.ただし自然林は島西 部に集中しており,中部から北東部の集落部はヤブツバキ等の人為植生が多い(新島村 1996).人口は 558 名(2011 年 4 月現在),行政区は新島の附属島嶼として新島村 に属する.

図 式根島の位置 調査概要 107

調査は 2011 年 7 月 31 日~8 月 2 日,見つけ採りを中心に行なった.また必要に応 じて補虫網を用いスウィーピング,ビーティングよる採集も併用した.採集したものの み記録し,多数目撃した種は最小限の採集にとどめ,目撃のみの場所はリストから除外 した.なお天候は 7 月 31 日と 8 月 1 日は晴,2 日は雨のち曇であった.

目 録 個体記号:F ♀成体,f ♀幼体,M ♂成体,m ♂幼体,y 雌雄不明幼体 採集地略号:野伏付(野伏港付近),野伏港(野伏港内),宿(宿舎室内),大浦付(大 浦海岸付近),大浦海(大浦海岸),中の浦付(中の浦海岸付近),中の浦海(中の浦 海岸),東要寺(東要寺境内),小学校(式根島小学校付近),大王(大王神社境内)

1.ジグモ科 Atypidae 1.ジグモ Atypus karschii 1y 31-VII-2011 野伏付 2.ワスレナグモ科 Calommatidae ワスレナグモ Calommata signata 1y 31-VII-2011 大浦付 3.トタテグモ科 Ctenizidae 3.キノボリトタテグモ Conothele fragaria 1F1y 31-VII-2011 小学校 4.エンマグモ科 Segestriidae 4.シマミヤグモ Ariadna insulicola 1y 2-VIII-2011 小学校 5.チリグモ科 Oecobiidae 5.チリグモ Oecobius navus 1F1y 2-VIII-2011 大王 6.ウズグモ科 Uloboridae 6.カタハリウズグモ Octonoba sybotides 1F 31-VII-2011 大浦海,1M 2-VIII-2011 大浦海 7.ヒラタグモ科 Urocteidae 7.ヒラタグモ Uroctea compactilis 1y 2-VIII-2011 東要寺 ナミハグモ科 Cybaeidae ナミハグモの一種 Cybaeus sp. 2y 31-VII-2011 野伏付 8.タナグモ科 Agelenidae 8.クサグモ Agelena silvatica 108

1F 31-VII-2011 野伏付 9.イソタナグモ Paratheuma shirahamaensis 1F1M 31-VII-2011 中の浦海 9.キシダグモ科 Pisauridae 10.アズマキシダグモ Pisaura lama 1M 31-VII-2011 大浦付 10.コモリグモ科 Lycosidae 11.ウズキコモリグモ Pardosa astrigera 1F2M 31-VII-2011 野伏付,1M 31-VII-2011 大浦海 11.ササグモ科 Oxyopidae 12.ササグモ Oxyopes sertatus 3y 1-VIII-2011 大浦付 12.サラグモ科 Linyphiidae 13.ヘリジロサラグモ Neriene oidedicata 2M1m 1-VIII-2011 大浦付 13.ヒメグモ科 Theridiidae 14.オオヒメグモ Parasteatoda tepidariorum 1F1y 1-VIII-2011 東要寺 15.オナガグモ Ariamnes cylindrogaster 1F1y 1-VIII-2011 東要寺 16.ハイイロヒメグモ Paidiscura subpallens 1F 2-VIII-2011 大浦付 17.ニホンヒメグモ Parasteatoda japonica 1F 1-VIII-2011 大浦付 18.ハンゲツオスナキグモ Steatoda cingulata 1F 31-VII-2011 野伏付 14.ジョロウグモ科 Nephilidae 19.ジョロウグモ Nephila clavata 1y 31-VII-2011 大浦付 15.アシナガグモ科 Tetragnathidae 20.チュウガタシロカネグモ Leucauge blanda 1y 31-VII-2011 野伏付 16.コガネグモ科 Araneidae 21.ハツリグモ Acusilas coccineus 1F 1-VIII-2011 東要寺 22.オニグモ Araneus ventricosus 1y 31-VII-2011 中の浦付 109

23.ナガコガネグモ Argiope bruennichi 1y 31-VII-2011 野伏付 24.コガタコガネグモ Argiope minuta 1y 31-VII-2011 野伏付 25.ギンメッキゴミグモ Cyclosa argenteoalba 1y 31-VII-2011 野伏付 26.ミナミノシマゴミグモ Cyclosa confusa 1F 31-VII-2011 大浦海 27.マルゴミグモ Cyclosa vallata 1F 31-VII-2011 大浦海,1F 2-VIII-2011 野伏港 コガネグモダマシの一種 Larinia sp. 1y 31-VII-2011 大浦海 28.ヘリジロオニグモ Neoscona subpullata 1F 1-VIII-2011 大浦海 17.コマチグモ科 Chiracanthiidae 29.アシナガコマチグモ Chiracanthium eutittha 1M 2-VIII-2011 大浦付 18.アシダカグモ科 Sparassidae 30.アシダカグモ Heteropoda venatoria 1f 2-VIII-2011 野伏付 19.カニグモ科 Thomisidae 31.ハナグモ Ebrechtella tricuspidatus 1y 31-VII-2011 野伏付 フクログモ科 Clubionidae フクログモの一種 Clubiona sp. 1y 1-VIII-2011 大浦付 20.ハエトリグモ科 Salticidae 32.イソハエトリ Hakka himeshimensis 1f1M 31-VII-2011 大浦海 33.シラヒゲハエトリ Menemerus fulvus 1y 31-VII-2011 野伏付 34.チャスジハエトリ Plexippus paykulli 1f 31-VII-2011 野伏付,1M 31-VII-2011 宿 20 科 34 種

クモ相概要

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式根島における最も早いクモ類の記録は仲辻(1942)の 2 種(シロカネイソウロウ グモ,ニホンヒメグモ)に始まる.しかしながらその後の調査は多くなく,仲辻以外の 記録は,大野・八木沼(1968)の 31 種,国見(1986)の 6 種,松田(2004)の 24 種のみである.また小野(2001)は過去の式根島クモ類目録を集計した.それは自ら 記録している種はないが,33 種としている. これらを小野ほか(2009)に基づいて古い和名・学名は現在のものに転換し,分類 体系もそれにより再集計した結果,式根島のクモ類は 19 科 52 種となる.これに今回 初めて記録されたワスレナグモ,キノボリトタテグモ,シマミヤグモ,チリグモ,ヒラ タグモ,イソタナグモ,アズマキシダグモ,ヘリジロサラグモ,ハイイロヒメグモ,ハ ツリグモ,ギンメッキゴミグモ,アシダカグモ,ハナグモ,シラヒゲハエトリの 14 種 を加えると式根島のクモ類は 25 科 66 種となった.

地中性種概観 関東の平野部に多く分布するキシノウエトタテグモ,キノボリトタテグモ,ワスレナ グモ,ジグモの 4 種について調査した.これまで式根島からジグモ以外の地中性種は 記録されていなかったが,今回新たにキノボリトタテグモ,ワスレナグモの 2 種を確 認することができた.なお,キシノウエトタテグモは確認できなかった. キノボリトタテグモは式根島小学校脇の切通土手でクモ 3 個体と廃巣 5 つを確認し た.そのうち 2 個体を住居ごと採集した.♀成体だった個体の住居内には卵嚢も確認で きた.その他に野伏港付近の住居入り口切通土手においても廃巣 2 つを確認したが, 個体は見つけることはできなかった.ワスレナグモは島中央部より大浦海岸へ通じる道 路沿いの土手にて,幼体と思われる住居を確認した.その内 1 個体を掘り採り,種を 確認した.島内のその他の場所では見つけることはできていない.過去,ジグモは国見 (1986)のみ記録がある.ジグモは野伏港付近の切通にて幼体 1 個体の巣を確認した. 個体は採集せずそのままとしたが巣の大きさからクモは幼体であると推定した.この個 体以外は島内で同種を確認できなかった.

参考文献 国見裕久 1986.伊豆七島の地上徘徊性無脊椎動物.島の生物,1(13-15): 118-124. 松田まゆみ 2004.伊豆諸島式根島で採集したクモとヤマトウシオグモ,タニカワヤリグモの 記録.Kishidaia, 86: 10-12. 仲辻耕次 1942.伊豆七島産蜘蛛類に就いて.東京農業大学農業輯報,1: 287-328, pls.XI-XII. 新島村 1996.新島村史 通史編.新島村. 大野正男・八木沼健夫 1968.新島・式根島・神津島の真正蜘蛛類.東洋大学紀要,教養課程 (自然科学),10: 17-29. 小野展嗣 2001.伊豆諸島のクモ類.国立科学博物館専報, 37: 261-277. 小野展嗣 2009.日本産クモ類.東海大学出版会 式根島開島百年を記念する会 1987.式根島開島百年史.新島本村役場.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

長崎県壱岐島のクモ

須 黒 達 巳

壱岐島(33°45’ N, 129°41’ E)は九州北方の玄界灘,九州と対馬の中間に位置する, 南北 17 km,東西 14 km の島である.これまでにクモ相に関する調査の報告はないと 思われる. 筆者は 2011 年 4 月 29 日から 5 月 2 日にかけて,本島にてクモを採集する機会があ ったので,そのリストを掲載する.長崎県新記録となる種には学名の頭に*を付記した. 採集および同定は一部を除き筆者が行った.今回採集されたクモ類は 13 科 40 種であ った. 標本の同定に協力してくださった東京大学の谷川明男氏に,この場を借りて深く感謝 申し上げる.

目 録 個体記号:F メス成体,f メス幼体,M オス成体,m オス幼体,y 雌雄不明幼体 採集地略号:乙(石田町ペンション乙島),大(石田町大浜),平(郷ノ浦町平川), 清(芦辺町清石浜),牧(郷ノ浦町牧崎公園),当(芦辺町国分当田),商(勝本町壱 岐商高付近),畜(勝本町家畜市場付近),小(郷ノ浦町小水浜)

ウズグモ科 Uloboridae Octonoba varians (Bösenberg & Strand 1906) ヤマウズグモ 2F3M 1-V-2011 当 ヒメグモ科 Theridiidae Anelosimus crassipes (Bösenberg & Strand 1906) アシブトヒメグモ M 30-IV-2011 大 Enoplognatha abrupta (Karsch 1879) カレハヒメグモ M 2-V-2011 乙 Steatoda cingulata (Thorell 1890) ハンゲツオスナキグモ 2F 2-V-2011 清 ヨリメグモ科 Anapidae Conculus lyugadinus Komatsu 1940 ヨリメグモ 3F 1-V-2011 当 112

サラグモ科 Linyphiidae Hylyphantes graminicola (Sundevall 1830) クロナンキングモ M 30-IV-2011 平 Paikiniata vulgaris (Oi 1960) コテングヌカグモ M 1-V-2011 商 アシナガグモ科 Tetragnathidae Leucauge blanda (L. Koch 1878) チュウガタシロカネグモ M 2-V-2011 清 Tetragnatha praedonia L. Koch 1878 アシナガグモ M 30-IV-2011 大 Tetragnatha squamata Karsch 1879 ウロコアシナガグモ M 30-IV-2011 平 コガネグモ科 Araneidae Araneus ejusmodi Bösenberg & Strand 1906 ヌサオニグモ m 2-V-2011 (molted 12-VI-2011) 清 Araneus tsurusakii Tanikawa 2001 カラオニグモ FM 1-V-2011 小 Larinia argiopiformis Bösenberg & Strand 1906 コガネグモダマシ F 2-V-2011 清 Neoscona subpullata (Bösenberg & Strand 1906) ヘリジロオニグモ M 30-IV-2011 牧, M 1-V-2011 商 コモリグモ科 Lycosidae *Arctosa depectinata (Bösenberg & Strand 1906) カガリビコモリグモ F3M 1-V-2011 大 Lycosa coelestis L. Koch 1878 ハラクロコモリグモ M 30-IV-2011 清 Pardosa astrigera L. Koch 1878 ウヅキコモリグモ M 1-V-2011 大 ガケジグモ科 Amaurobiidae Iwogumoa nagasakiensis Okumura 2007 ナガサキシモフリヤチグモ M 29-IV-2011 乙 フクログモ科 Clubionidae Clubiona japonicola Bösenberg & Strand 1906 ハマキフクログモ F2M 30-IV-2011 大 ネコグモ科 Corinnidae *Castianeira shaxianensis Gong 1983 オビジガバチグモ M 30-IV-2011 清 113

Trachelas japonicus Bösenberg & Strand 1906 ネコグモ M 30-IV-2011 大 ワシグモ科 Gnaphosidae Drassodes serratidens Schenkel 1963 トラフワシグモ M 30-IV-2011 清, FM 2-V-2011 清 Gnaphosa kompirensis Bösenberg & Strand 1906 メキリグモ F 2-V-2011 清 *Micaria dives (Lucas 1846) ヒゲナガツヤグモ M 30-IV-2011 清 カニグモ科 Thomisidae Ebrechtella tricuspidata (Fabricius 1775) ハナグモ M 30-IV-2011 大 Oxytate striatipes L. Koch 1878 ワカバグモ FM 1-V-2011 商 ハエトリグモ科 Salticidae Asianellus festvus (L. Koch 1834) ヤマジハエトリ M 1-V-2011 畜 Carrhotus xanthogramma (Latreille 1819) ネコハエトリ F 2M30-IV-2011 大 *Euophrys kataokai Ikeda 1996 カタオカハエトリ M 30-IV-2011 清, M 2-V-2011 清 Evarcha albaria (L. Koch 1878) マミジロハエトリ 2M 30-IV-2011 大, M 30-IV-2011 平, 2M 1-V-2011 当, F2My 1-V-2011 畜 Mendoza canestrinii (Ninni in Canestrini & Pavesi 1868) オスクロハエトリ M 30-IV-2011 大 Mendoza elongata (Karsch 1879) ヤハズハエトリ M 30-IV-2011 大 Menemerus fulvus (L. Koch 1878) シラヒゲハエトリ F 1-V-2011 清 Myrmarachne formicaria (De Geer 1778) タイリクアリグモ M 2-V-2011 清 Phintella linea (Karsch 1879) メガネアサヒハエトリ F 1-V-2011 商 Plexippus setipes Karsch 1879 ミスジハエトリ 2M 2-V-2011 清 Sibianor pullus (Bösenberg & Strand 1906) キレワハエトリ

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m 2-V-2011 (molted 19-V-2011) 清 Siler vittatus Simon 1889 アオオビハエトリ 2M 30-IV-2011 清, M 1-V-2011 商 Sitticus penicillatus (Simon 1875) シラホシコゲチャハエトリ FM 30-IV-2011 清, 2M 2-V-2011 清 *Talavera ikedai Lognov & Kronestedt 2003 ヒメスジハエトリ M 30-IV-2011 清

参考文献 新海 明・安藤昭久・谷川明男・池田博明・桑田隆生 2010. CD 日本のクモ. Ver. 2010 著者 自刊 CD.

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KISHIDAIA, No.100, Mar. 2012

Kishidaia 1 号~100 号総目次

号 ページ 年次 著 者 タイトル 1 1 1969 萱嶋泉 キシダイアの発刊にあたって 1 1-3 1969 岸田久吉 クモの呼称 1 3-4 1969 談話会ノートより 1 4-6 1969 岸田久吉氏蔵書目録 1 7 1969 大河内哲二 文献紹介 2 1-2 1969 岸田久吉 クモの呼称(続) 2 2-3 1969 談話会ノートより 2 3 1969 松本誠治 レギュラー・メンバー紹介 2 4-6 1969 岸田久吉氏蔵書目録 2 6 1969 松本誠治 百科事典のクモ 3 1-4 1969 岸田久吉氏蔵書目録(真正蜘蛛類) 3 5 1969 談話会ノートより 3 6 1969 新海栄一 クモの名称-昔の名前今の名前- 4 1-4 1969 岸田久吉 クモの呼称(続) 5 1-3 1969 八木沼健夫 同名を持つ日本のクモとヨーロッパのク モ 5 3-5 1969 東京クモ談話会 高尾山のクモ 6 1-4 1969 新海栄一 川崎市王禅寺付近のクモ(Ⅰ) 6 5-6 1969 松本誠治 網の撮影 7 1-2 1969 大河内哲二 文献紹介 7 2 1969 松本誠治 クモの記事(1) 7 3-7 1969 新海栄一 クモの名称(Ⅱ)-昔の名前今の名前- 7 7-9 1969 松本誠治 文献紹介 8 1-5 1969 岸田久吉 キブネグモの記 8 5-6 1969 国見裕久 山梨県西湖付近のクモ 9 1 1969 大河内哲二 イソウロウグモ 9 2 1969 大河内哲二 クモの寄生虫発見記 9 3-6 1969 大河内哲二 各地のクモの同定記録 9 6 1969 大河内哲二・新海栄一 ハンゲツオスナキグモの幼生の班紋につ いて 10 1-2 1969 岸田久吉 シナノタテグモ(岸田久吉新称)(カネ コトタテグモ) 10 2-5 1969 岸田久吉 日本帝国産原始蜘蛛類に就いて 10 5 1969 萱嶋泉 岸田久吉先生の遺稿について 11 1-2 1969 大河内哲二 奄美大島のクモ 11 3-4 1969 小野展嗣 クモの共存 12 1-4 1969 小林久俊 天竜市山東付近のクモ 12 5 1969 松本誠治 文献紹介

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12 6-7 1969 大河内哲二 クモの記事(2) 13 1 1970 萱嶋泉 キシダイア一年間の歩み 13 1-5 1970 新海栄一・大河内哲 ニュージーランドのクモ 3 種 二・松本誠治 13 5-6 1970 松本誠治 クモの記事(3) 14 1-2 1970 新海明 神奈川県小倉山付近のクモ 14 3-4 1970 松本誠治 標本保管法私案 14 4-5 1970 松本誠治 談話会ノートより 15 1-6 1970 新海栄一 クモの名称(III) 15 6-8 1970 新海栄一 クモの同定ポイント 16/17 1-3 1970 松本誠治 Spiders around Ashinoko Lake and of Niijima, Manazuru Peninsula, Kanagawa Prefecture 16/17 3-5 1970 国見裕久 神奈川県多摩プラーザのクモ 16/17 6-7 1970 松本誠治 文献紹介 16/17 8 1970 大河内哲二 クモの天敵に関する文献(1) 16/17 8-10 1970 大河内哲二 奄美大島産蜘蛛類の研究史 18 1-2 1970 萱嶋泉 東京都(離島を除く)におけるアシダカ グモについて 18 2 1970 大河内哲二 クモの天敵に関する文献(2) 18 3-5 1970 新海栄一 東京蜘蛛談話会最近の収穫より 19 1 1970 松本誠治 第一回例会に参加して 19 1-2 1970 小沢実樹 第一回蜘蛛例会に思う 19 3-5 1970 松本誠治・新海栄一・ 大阪「犬鳴山」「岩湧山」採集目録 小野展嗣・大河内哲二 19 6-7 1970 大橋幸男・新海明 オナガグモの生態観察 2-餌のとり方に ついて- 20/21 1-3 1970 萱嶋泉 農林害虫の天敵としてクサグモ類の価値 20/21 3-5 1970 石山鉄幸 千葉県産のクモ(1) 20/21 6-7 1970 国見裕久 文献紹介 22 1-2 1971 東京蜘蛛談話会例会報告 22 2-3 1971 松本誠治 反省など(東京蜘蛛談話会例会を終えて) 22 3 1971 久保田寿一 クモ談話会例会におもう 22 4 1971 高野伸二 19 年ぶりのクモ 22 5 1971 国見裕久 文献紹介 22 7 1971 松本誠治 クモの記事(4) 23/24 1-10 1971 新海栄一 クモの名称(Ⅳ)-昔の名前・今の名前 - 25 1-3 1971 八木沼健夫 日本の疑問蛛 25 3-5 1971 松本誠治(編) アクタ・アラクノロギカに掲載されたハ エトリグモ科のクモの記事 26-28 1-2 1971 萱嶋泉 東京蜘蛛談話会の 5 周年を迎えて 26-28 2-5 1971 小林久俊 静岡県産の洞穴性蜘蛛について 26-28 6 1971 石山鉄幸 ハナグモの人工飼育 26-28 7-10 1971 丸毛音子 コガネグモとオニグモの教え 26-28 10-11 1971 小野展嗣 クモの記事(5)

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26-28 11-13 1971 高野伸二 小観察あれこれ 26-28 13-15 1971 吉田哉 山形市のクモ 26-28 15-16 1971 小沢実樹 表紙に寄せて 29-32 1-3 1972 小野展嗣 静岡県沼津市のクモ 29-32 4 1972 山川守 丹沢山塊の蜘蛛 29-32 5-8 1972 松本誠治 山道にて(ドクグモとコモリグモ) 29-32 8 1972 松本誠治 採集ノート(Ⅰ) 29-32 9-13 1972 権田重雄 真正蜘蛛各地の同定記録 29-32 13-14 1972 国見裕久 クモの記事(6) 29-32 14 1972 小野展嗣 迷蛛 29-32 15-17 1972 東京蜘蛛談話会 滝山城址公園のクモ 29-32 18-25 1972 東京蜘蛛談話会 清澄山の真正蜘蛛類 29-32 26-33 1972 東京蜘蛛談話会 奥秩父のクモ 29-32 34-35 1972 クモの同定ポイント(2) 29-32 37 1972 石山鉄幸 滝山・蜘蛛観察会に思った事 29-32 37-38 1972 国見裕久 東京蜘蛛談話会第 2 回観察会 29-32 38 1972 権田重雄 第 2 回奥秩父観察会 29-32 39 1972 東京蜘蛛談話会 東京蜘蛛談話会 1971 年の活動を省りみ て 33 1-4 1972 福本伸男 スズミグモの産卵 33 5-6 1972 松本誠治 雑感-生物学の 2 範疇- 33 6 1972 松本誠治 採集ノート 34 1-2 1972 熊田憲一 クモを食べるクモの観察 34 2-3 1972 大利昌久 トゲゴミグモの不思議 34 4 1972 萱嶋泉 韓国の蜘蛛学の現状 34 5 1972 石山鉄幸 採集ノート 35 1-4 1973 小林久俊・石山鉄幸・ 霧積温泉付近のクモ 権田重雄 35 5-6 1973 高野伸二 小観察あれこれ(2) 35 7 1973 石山鉄幸 巣箱にいたクモ 36 1-5 1973 山川守 横浜のクモ-保土ケ谷- 36 5-6 1973 新海明 クモ小観察(1) 夏の景信山にて 36 6-7 1973 松本誠治 採集ノート(Ⅱ) 36 7 1973 山川守 クモに教えられる 37 1-4 1973 大利昌久 蜘蛛をたずねて(1) 37 4-5 1973 高野伸二 小観察あれこれ(3) 37 6 1973 小野展嗣 会報・編集後記 38 1-3 1974 1973 年クモ学界 10 大ニュース(国内) 38 3 1974 虎 紹介水野寿彦著「日常の生態学」 38 4-5 1974 西郷啓造 蜘蛛(Spinne) 38 6-7 1974 山川守 ベートトラップのクモ 38 8 1974 松本誠治 不老入洞記 38 8-9 1974 新海明 クモ小観察(2)夏の景信山にて 38 9 1974 熊田憲一 コムラウラシマグモの越冬巣 38 10-11 1974 山川守 一週間だけ異常な網を張ったクモ

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38 12 1974 萱嶋泉 オニグモの飼育について(日記をまとめ つつの報告(1)) 38 13 1974 小野展嗣 会報・東京蜘蛛談話会のしおり・編集後 記 39 1-6 1975 八木沼健夫 日本のクモ学の現況と展望 39 9-14 1975 菅波洋平・関由美子・ 石尊山の真正蜘蛛類 沼田貞子・堀越早苗 39 15-21 1975 大野正男 埼玉県のクモ類研究史(1) 39 22-26 1975 嶋田順一 埼玉県における採集記録(Ⅰ) 39 27-31 1975 松本誠治 ハエトリグモの分類-その歴史・体系に 関する 2,3 の知見- 39 32-33 1975 大利昌久 八重山群島のクモ類 39 33-35 1975 大利昌久 真正クモ類の生態資料(南西諸島編) 39 36-37 1975 高橋登 キシノウエトタテグモに寄生する冬虫夏 草について 39 38-39 1975 高野伸二 小観察あれこれ(4) 39 40 1975 松本誠治 カクレ帯をつけたヤマオニグモの幼生 39 40 1975 松本誠治 家屋の壁をあるきまわるオオハエトリ 39 40-41 1975 小野展嗣 八王子城址クモ観察会のドウシグモ 39 41 1975 小野展嗣 アリをきらうクモと好むクモ 39 41 1975 小野展嗣 オオヒメグモのえじきとなったクモ 39 42-48 1975 小林久俊・石山鉄幸・ 箱根畑宿付近の真正クモ類 権田重雄 39 49-54 1975 小野展嗣 クモの生活史研究の問題点及び齢期記録 の一方法 40 1-2 1976 吉倉真 「研究」ということ 40 3-6 1976 栗原輝代子 丹沢山塊ヒジリ峰のクモ 40 6-10 1976 小野展嗣 富士山の蜘蛛 Check List 40 11-14 1976 新海栄一 滝山城址のクモ 40 18-20 1976 高野伸二 小観察あれこれ(5) 40 20-22 1976 松浦祐司 キジロオヒキグモ Arachnura logio YAGINUMA の自宅観察メモ 40 22-25 1976 佐久間良三 観察日誌 40 26-28 1976 鈴木勝浩 クサグモの生活史 40 29-32 1976 熊田憲一・山川守 あっちこっちのくも 40 33-40 1976 松本誠治 ハエトリグモの分類(Ⅱ)-日本産ハエ トリグモ 7 種について- 40 40-41 1976 佐久間良三 蜘蛛の脱皮について 40 41 1976 松本誠治 アリを好むクモ 40 41 1976 松本誠治 カクレ帯をつけたヤマオニグモの幼生 41 1-2 1977 佐藤幸子 ビジョオニグモの死 41 2 1977 熊田憲一 ハイイロヒメグモの集団越冬 41 3-4 1977 高野伸二 小観察あれこれ(6) 41 5-8 1977 田中理恵 野帳 41 9-10 1977 鈴木勝浩 オオハエトリの飼育経過 41 11-12 1977 須賀瑛文 自然観察読本とクモの説明

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41 12-14 1977 須賀瑛文 クモが人間を水の中に引きずりこむ話 41 15-20 1977 松本誠治 ハエトリグモの分類(Ⅲ)-日本産稀少 ハエトリグモについての資料- 41 21-24 1977 嶋田順一 埼玉県における採集記録(Ⅱ) 41 25-26 1977 熊田憲一 岩手県好摩のクモ-あっちこっちのクモ の一環として- 41 27 1977 鈴木勝浩 オオヒメグモを襲ったミスジハエトリ雌 41 27 1977 鈴木勝浩 ヤホシヒメグモの産卵からハッチまで 41 27 1977 小野展嗣 沖永良部島のクモの俗称 41 27-28 1977 山川守 コケオニグモに咬まれて(昭和 51 年 6 月 12 日の観察ノートより) 41 28 1977 栗原輝代子 東北へジョロウグモを求めて 41 29 1977 鈴木勝浩 クモ標本同定会におもう 41 29-32 1977 高橋登 日向薬師 広沢寺のクモ 41 33-35 1977 権田重雄 八柱霊園のクモ 41 41 1977 小澤實樹 表紙に寄せて 42 1-2 1977 萱嶋泉 東京蜘蛛談話会誕生より 10 年を迎えて 42 3 1977 松本誠治 東京蜘蛛談話会創立 10 周年にあたって 42 4-12 1977 小野展嗣 明治時代の日本のクモ-ミュンヘン博物 館所蔵日本産クモの未整理標本の同定記 録- 42 13-16 1977 佐藤幸子 ビジョオニグモの死・その後 42 17-19 1977 中平清 クモの生態 2 題 42 19-20 1977 石山鉄幸 クサグモの同居グモ 42 21-22 1977 松本誠治 クモ(12 種)の産卵個数 42 23-25 1977 小野展嗣 北緯 50 度線上報告 42 26-28 1977 田中理恵 高山不動というところ 42 29-34 1977 松本誠治 ハエトリグモの分類(Ⅳ)-ヨーロッパ のアリグモの学名に関する諸問題- 42 35-38 1977 新海栄一 都会のクモ 1.千代田区 3 番町宮内庁分 室庭園のクモ 42 39-40 1977 吉田哉 飛島・粟島のクモ 42 41 1977 熊田憲一 山梨県山中湖村旭ケ丘のクモ-あっちこ っちのクモの一環として- 42 42 1977 高橋米夫 コホラヒメグモと卵のう 42 42 1977 小野展嗣 「ひぶがし」追録 42 42-43 1977 鈴木勝浩 クモの産卵回数について 42 43 1977 鈴木勝浩 三宅島にいたオダカグモ 42 43 1977 高野伸二・新海栄一・ イソコモリグモとイシカリコモリグモ 熊田憲一 42 44-49 1977 新海栄一 伊豆半島の真正クモ類 43 1-5 1978 吉田哉 台湾クモ類採集旅行 43 6-8 1978 佐藤幸子 ビジョオニグモのふ化に接して 43 9 1978 松本誠治 クモ標本観察のための一用材(シリカゲ ル粉末) 43 10 1978 小野展嗣 アズチグモの食餌 43 10 1978 吉田哉 石垣島で採集したサヤヒメグモ 120

43 10-11 1978 熊田憲一 イヌダテテングヌカグモの採集記録 43 11 1978 鈴木勝浩 アシナガグモ科 2 種の卵のうを確認 43 15-23 1978 新海栄一・田中理恵・ 八王子城跡のクモ(Ⅰ) 栗原輝代子・高橋登 44 1-3 1979 中平清 クモの住居拡大 44 4-5 1979 田中穂積 長生きしたクロガケジグモ 44 6-8 1979 佐藤幸子 コサラグモ 2 種について 44 9-13 1979 小野展嗣 北緯 50 度線上報告(2) 44 14-16 1979 鈴木恵一 研究雑記帳(1) 44 17-22 1979 熊田憲一 道北紀行 44 23-28 1979 熊田憲一 北海道北部のクモ 44 29 1979 鈴木勝浩 未受精卵を食べるクモ 44 29-30 1979 蓮沼克己 野帳から 45 1-2 1980 中平清 佐藤さんのビジョオニグモに関する文章 を読んで 45 3-5 1980 佐藤幸子 タテヤマサラグモ 45 6 1980 松本誠治 乾燥・収縮してしまったクモの復元方法 45 7-8 1980 栗原輝代子 Note クサグモ(1)-共食いについて- 45 9-27 1980 熊田憲一 三浦半島の真正蜘蛛類 45 28 1980 吉田哉 台湾の網を張るコモリグモ 45 28 1980 松浦祐司 飼育中のアシダカグモの産卵行動 45 29-35 1980 嶋田順一・田中理恵 巾着田のクモ 46 1-5 1981 松本誠治 SIMON のこと 46 6-8 1981 鈴木勝浩 クモ 6 種の卵のう 46 9-12 1981 佐藤幸子 或るコサラグモの記録 46 13-14 1981 嶋田順一 キゴシジガバチに狩られたクモ 46 15 1981 栗原輝代子 Note クサグモ(2)-天敵について- 46 16 1981 佐藤幸子 観察裏話 46 17-18 1981 中平清 近ごろ面白いと思ったこと 46 19-23 1981 新海栄一 クモの卵のう写真集(1) 46 25-31 1981 高橋登・松浦祐司 城山(根小屋城跡)のクモ 47 19-21 1981 八木沼健夫 萱嶋泉先生の古稀を祝して 47 21-22 1981 植村利夫 萱嶋先生いつまでも 47 22-24 1981 大内実 萱嶋さんと先生たち 47 24 1981 高野伸二 萱嶋先生との出会い 47 25-26 1981 篠原圭三郎 萱嶋泉先生の古稀を祝す 47 26-27 1981 青木淳一 クモ学会の紳士 47 27-31 1981 石野田辰夫 宮崎での萱嶋泉先生 47 31-33 1981 築地満男 萱嶋先生とわたし 47 34-35 1981 菊屋奈良義 萱嶋先生の宿題 47 36 1981 佐藤幸子 我が師・萱嶋先生 47 37 1981 梅林力 萱嶋先生,いつまでもお若くおすこやか に 47 37-38 1981 古浜隆 さらなるご活躍とご指導を 47 38-39 1981 浜村徹三 東京蜘蛛学会発足当時の想い出

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47 39-40 1981 松本誠治 慈父 47 40-41 1981 大河内哲二 萱嶋先生と私 47 42-45 1981 国見裕久 萱嶋先生と応用クモ学 47 45-47 1981 小野展嗣 萱嶋先生の古稀を祝す 47 47-48 1981 熊田憲一 すまな顔 47 48-49 1981 栗原輝代子 萱嶋先生の古稀を祝して 47 49-50 1981 貞元己良 萱嶋先生の古稀にあたり 47 50 1981 鈴木勝浩 萱嶋先生と私 47 51-52 1981 新海栄一 萱嶋先生と談話会-萱嶋泉先生の環暦を 祝して- 47 55-56 1981 八木沼健夫 カヤシマグモについて 47 57-64 1981 萱嶋泉 アシダカグモ Heteropoda venatoria (LINNE) の長期飼育報告(1) 47 65-68 1981 西川喜朗 人工洞および洞窟外の調査と洞窟性クモ 類の起源について 47 69-75 1981 小野展嗣 シナカニグモの分布と系統 47 76-78 1981 貞元己良 シロオビトリノフンダマシの網の形態に ついて 47 79-80 1981 佐藤幸子 シモングモの生活史について 47 81-83 1981 斎藤博 ツノタテグモの再発見 47 84-86 1981 鈴木勝浩 私のクモ観察ノートから 47 87-92 1981 林秀幸 オニグモ類の生態観察記録(第 1 報) 47 93-100 1981 松本誠治 岸田久吉先生同定による千葉県産クモ類 47 101-103 1981 中平清 クモの人工飼料の工夫 47 104-115 1981 新海栄一 クモの卵のう写真集(2) 48 1-4 1982 萱嶋泉 アシダカグモ Heteropoda venatoria (LINNE) の長期飼育報告(Ⅱ) 48 5-14 1982 貞元己良 民話における蜘蛛の存在価値 48 15-16 1982 佐藤幸子 卵ノウ 2 種の観察 48 17-22 1982 林俊夫 赤城山の真正蜘蛛類 48 23-29 1982 谷川明男・飯島寿子・ 神奈川県立野庭高等学校周辺の真正蜘蛛 上野妙子・森美也子 類 49 1-7 1982 佐々木勝實 宮城県の真正蜘蛛類-Ⅰ 49 8-21 1982 斎藤博 北海道のサラグモ(Linyphiidae)につい て 49 22-25 1982 池田博明・稲葉茂代・ ムラクモヒシガタグモの生態(1) 網型 小川まゆみ・島津千 と捕虫 秋・田村武子・鴇田明 子・山口泉 49 26 1982 嶋田順一 クサグモの爪の電顕写真 50 1-6 1983 池田博明・生物研究部 ムラクモヒシガタグモの生態(2) 造網 時刻,生態的地位,補修,日周活動 50 7-14 1983 萱嶋泉 アシダカグモ Heteropoda venatoria (LINNE) の長期飼育報告(Ⅲ) 50 15-17 1983 佐藤幸子 ナニワナンキングモの観察 50 18-26 1983 林秀幸 オニグモ類の生態観察記録(第 2 報) 50 27-33 1983 新海栄一・蓮沼克己 高尾山のクモ

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51 1-6 1984 池田博明・生物研究部 ムラクモヒシガタグモの生態(3) 卵と 卵のう,幼生と令の判定 51 7-12 1984 萱嶋泉 アシダカグモ Heteropoda venatoria (LINNE) の長期飼育報告(Ⅳ) 51 13-14 1984 新海明・樋口厚 新潟県十日市地方に伝わるジゴ(ジグモ) の唱え歌と喧嘩民俗について 51 15-22 1984 嶋田順一・鈴木勝浩 天覧山のクモ 51 25 1984 小沢実樹 表紙に寄せて 52 6-8 1985 八木沼健夫 小松敏宏先生に憶う 52 9 1985 植村利夫 小松敏宏博士の追悼号に寄せて 52 10-11 1985 千国安之輔 追悼の記 52 11-12 1985 萱嶋泉 小松敏宏先生の思いで 52 12-15 1985 入江照雄 小松敏宏先生の思い出 52 15-16 1985 松本誠治 小松敏宏先生 52 17-21 1985 新海明 アシナガグモ一種の張った半円網につい ての一例観察 52 22-24 1985 佐藤幸子 スソグロサラグモの初捕食について 52 25-38 1985 小田原場内高等学校 クモの拍動,ウラシマグモ・ワシグモの 生物研究部 飼育,観察会報告など 53 5 1985 萱嶋泉 高野伸二先生を偲ぶ 53 6 1985 中平清 白いツバメ 53 7 1985 八木沼健夫 噫 高野伸二先生 53 8 1985 佐藤幸子 高野先生を偲ぶ 53 9-10 1985 高田勝 鳥の師・クモの師 53 10 1985 小沢実樹 高野先々生々々・・・・・ 53 11 1985 梅林力 高野さん永久に 53 12 1985 松本誠治 先生を想うと 53 13 1985 浜口哲一 ニシキオニグモとハシグロビタキ 53 14 1985 新海栄一 高野伸二先生をしのんで-3 ヶ月にかけ た情熱- 53 15 1985 池田博明 高野先生とゴマジロオニグモ 53 16 1985 熊田憲一 高野さん 53 17-18 1985 熊田理恵 「・・・・・・・・・・・・・」 53 18 1985 高橋登 高野先生の思い出 53 19 1985 嶋田順一 高野先生 53 19-20 1985 小野展嗣 高野伸二先生の思い出あれこれ 53 20-21 1985 松浦祐司 高野先生 53 22-26 1985 佐々木勝実 宮城県網地島の真正蜘蛛類 53 26-27 1985 浜口哲一 神奈川県下のスズミグモの記録 2 例 53 28-30 1985 萱嶋泉 アシダカグモ Heteropoda venatoria (LINNE) の長期飼育報告(Ⅴ) 53 31-34 1985 新海明 ヤマオニグモ Araneus uyemurai (?) に みられた網の更新の一例観察 54 1-9 1987 新海明 沖縄クモ観察記 54 10-12 1987 稲葉等代・稲葉茂代 はじめてのクモの飼育~ヤサコマチグモ ~

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54 13-14 1987 熊田憲一 ハネグモ跳ねた 54 15-21 1987 熊田憲一・加藤輝代子 広徳寺周辺のクモ 54 22-28 1987 池田博明 高麗山のクモ 55 1-2 1987 板倉泰弘 アズマキシダグモの婚姻贈呈 55 3-6 1987 高橋祐子 アシブトヒメグモの生態 55 7-8 1987 谷川明男・堀由紀子 クモ 3 種の新産地-シロタマヒメグモ・ ニワオニグモ・アカスジコマチグモ- 55 9 1987 熊田憲一 談話会活動報告に使用したクモ性別およ び齢期略号について 55 10-16 1987 熊田憲一・加藤輝代子 伊豆半島天城湯ケ島町市山のクモ 55 17-24 1987 熊田憲一・加藤輝代子 箱根合宿のクモ 55 25-30 1987 浅間茂 内浦山県民の森の真正蜘蛛類 56 1-3 1988 稲葉茂代 8 月の初島のクモ 56 4-10 1988 山川守・熊田憲一 丹沢のクモ 1.大倉周辺 56 11-14 1988 谷川明男・田副幸子 神奈川県立野庭高等学校周辺の真正蜘蛛 類(補遺) 56 15-18 1988 新海明 キヌアシナガグモ Tetragnatha lauta YAGINUMA の網構造について 56 19-24 1988 瀬戸泰彦 ジョロウグモ幼体の網の観察 56 25 1988 池田博明 クモを狩ったハチはピソン属(ツヤクロ ジガバチ属)である 56 25 1988 熊田憲一 コサラグモの小観察 57 1-2 1988 石野田辰夫 宮崎産のコガネグモの俗称とコクサグモ について 57 3-5 1988 松本誠治 オニグモ雄若虫の横糸を張る方向につい て 57 6-8 1988 新海明 オオトリノフンダマシの卵のうあれこれ -出のう時期と出のうの位置- 57 9-10 1988 谷川明男 ニセキクヅキコモリグモの生態小観察 57 11-12 1988 貞元己良 合宿に参加して 57 13-18 1988 新海明 沖縄クモ観察記(2) 57 19 1988 新海明 ワキグロサツマノミダマシ雄成体の「餌 の掠奪」 57 19-20 1988 熊田理恵 秋にみつけたアズチグモ 57 20 1988 稲葉茂代 アリの卵を食べるクモ 57 21-24 1988 熊田憲一 浄土平・微温湯温泉周辺のクモ 57 25-32 1988 熊田憲一・千国安之輔 安曇野のクモ 58 1-3 1989 萱嶋泉 本田正次先生に聞いた岸田久吉先生のこ とども 58 4-5 1989 小沢實樹 素晴らしきクモと人間たち 58 6-7 1989 浜村徹三 私とクモの長いつきあい 58 7-8 1989 大河内哲二 「KISHIDAIA」発刊 20 周年に寄せて 58 9-10 1989 松本誠治 KISHIDAIA 発行 20 周年に寄せて 58 10-16 1989 小野展嗣 自問自答 58 16 1989 佐藤幸子 KISHIDAIA と私 58 17-18 1989 池田博明 談話会をクモの博物学的研究のメッカに 58 18 1989 高橋登 東京蜘蛛談話会と私 124

58 19 1989 板倉泰弘 談話会と私-3 年間の印象 58 20-21 1989 新海明 バック・トゥ・ザ・フューチャー 58 21 1989 谷川明男 キシダイア発刊 20 周年によせて 58 22-24 1989 熊田憲一 入会と初めての投稿 58 25-29 1989 新海明 岸田久吉先生の遺稿「ジャウゴグモ」に ついて 58 30-33 1989 笹岡文雄 キシノウエトタテグモの交尾行動につい て 58 34-36 1989 稲葉茂代 チリグモの交接について 58 37-39 1989 貞元己良 「我が師と蜘蛛」-萱嶋先生の喜寿をお 祝して- 58 40-45 1989 池田博明 東京クモゼミ報告(Ⅰ) 58 46-47 1989 新海明 キヌアシナガグモの網構造について(続 報) 幼体の網 58 48 1989 熊田憲一 8 年目のアシダカグモ 58 48-49 1989 新海明 アシナガグモ♂成体によるジョロウグモ の網の掠奪 58 49 1989 板倉泰弘 卵のうを食い破るアズマキシダグモ 58 50-55 1989 谷川明男 田中徳久氏採集による各地のクモ同定記 録-沖縄,小笠原,硫黄島,三宅島,真 鶴,八ケ岳,清里,北海道- 58 56-63 1989 熊田憲一 猿島のクモ 58 64-71 1989 笹岡文雄 丹沢・大倉周辺のクモ 59 1-4 1989 久保寺みか・池田博明 キヒメグモの色彩変異 59 5-8 1989 牧孝匡 オオツチグモの飼育観察記 59 9-12 1989 新海明 イソウロウグモ類による卵のう捕食の観 察 59 13-14 1989 板倉泰弘 亜成体に球愛するアオグロハシリグモ 59 15-17 1989 新海明 キシノウエトタテグモ探蛛会報告 59 18 1989 板倉泰弘 ウススジハエトリの交接 59 19 1989 笹岡文雄 最近見たこと,気づいたこと 2 題 59 20 1989 小野展嗣 貝の中からミズグモ 59 20 1989 磯部達男 神奈川県で見つけた珍しいクモ 59 21 1989 新海明 シリアゲムシによるクモの餌の強奪 59 21-22 1989 稲葉茂代 スネグロオチバヒメグモの交接 59 22 1989 池田博明 クスミサラグモの交尾時期 59 22-23 1989 池田博明 ズグロオニグモのメスがオスを食べる 59 23 1989 谷川明男 神奈川県にまたいたスズミグモ 59 23-24 1989 谷川明男 ジョロウグモの対ポルティア逃避行動 59 24 1989 谷川明男 箱根仙石原からヒメハナグモ 59 24 1989 熊田憲一 コアシダカグモの集まるトイレ 59 25-44 1989 谷川明男 西表島のクモ類採集記録 Ⅰ 59 45-51 1989 池田博明 東京蜘蛛談話会 真鶴合宿報告(1988 年 7 月 30 日~8 月 1 日) 60 1-4 1990 新海明 二枚扉を持つキシノウエトタテグモの住 居の記録

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60 5-14 1990 小野展嗣・林秀幸 ユーラシア産フクログモ属クモ類の種名 目録 60 15-25 1990 佐藤幸子・日下部光代 多摩丘陵の畑のクモ 60 26 1990 楜沢新 僕が観察した 2 例の卵食について 60 26-27 1990 新海明 メガネドヨウグモの幼体によるフタスジ サラグモの餌の強奪 60 27 1990 稲葉茂代 ホウシグモの脱皮 60 28 1990 小野展嗣 カワラメキリグモを沖縄の海岸で採集 60 28 1990 谷川明男 奄美大島にカトウツケオグモがいた 60 28-29 1990 谷川明男 南西諸島のコガタコガネグモは鈍感 60 29 1990 谷川明男 横浜にサカグチトリノフンダマシ飛来 60 29-30 1990 谷川明男 キンバエにつれさられたオオヒメグモ 60 30 1990 熊田憲一 シナノアシナガグモの新産地 60 31-38 1990 小野展嗣・貞元己良・ 奄美大島のクモ類採集記録 谷川明男 60 39-46 1990 板倉泰弘 愛知県足助町および設楽町段戸裏谷のク モ 61 1-3 1991 池田博明 コガネヒメグモのオス間闘争 61 4 1991 小野展嗣 千葉県で採れたサソリモドキ 61 4-5 1991 池田博明 ムネグロサラグモの求愛・交尾 61 5 1991 山川守 ガス瞬間湯沸かし器の不完全燃焼を引き 起こすクモの糸 61 5 1991 谷川明男 斑紋のあるワキグロサツマノミダマシ 61 6 1991 谷川明男 ヤリグモ対オナガグモ 61 6 1991 熊田憲一 キマダラヒラタヒメグモの新産地 61 6-7 1991 新海明 ツクネグモの交接の観察 61 7 1991 新海明 カネコトタテグモとキシノウエトタテグ モの混棲地 61 7-8 1991 谷川明男 常念岳の山麓でコケオニグモを発見 61 8 1991 田副幸子 緑のオニグモ?発見,田沢湖で 61 8 1991 谷川明男 渡瀬線を越えたオオジョロウグモの幼生 61 9-12 1991 新海明 動物学雑誌に掲載された真正クモ類の文 献目録 1 巻から 60 巻まで(1888~ 1951) 61 13-18 1991 熊田憲一・谷川明男 福島県南部のクモ類採集記録 61 19-26 1991 山川守・熊田憲一 丹沢のクモ 飯山観音周辺 61 27-32 1991 谷川明男 屋久島のクモ類採集記録 61 33-42 1991 新海明 八王子城跡のクモ 62 1-2 1991 新海明 ツクネグモの造網行動 62 3-8 1991 貞元巳良 蜘蛛の発見・採集法あれこれ 62 9-10 1991 諏訪哲夫 ジョロウグモの生息数調査 62 11-12 1991 諏訪哲夫 わら巻きの中で越冬するクモの一記録 62 13-18 1991 池田博明 座間市のクモ調査ノート(1) 62 19 1991 徳本洋 コゲチャハエトリの一種 Sitticus sp. 成 体の出現期間 62 19 1991 谷川明男 学校の教室にカタオカハエトリが

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62 20 1991 新海明 金鱗斑のないコガネヒメグモ 62 20 1991 中島晴子 オオヒメグモに吊されたヤモリ 62 21 1991 谷川明男 マルゴミグモとトゲゴミグモの分布につ いて 62 21 1991 平松毅久 デーニッツハエトリに捕食されたオウギ グモ 62 22 1991 平松毅久 緑色のヒメグモ 62 22-23 1991 永田勝利 勉強会の場所を間違えた入会者 62 23-24 1991 谷川明男 ホルストジョウゴグモにかみつかれた 62 24-25 1991 諏訪哲夫 カバキコマチグモに咬まれた一記録 62 25 1991 熊田憲一 ゴミグモとシロカネイソウロウグモ 62 26-30 1991 谷川明男 西表島のクモ類採集記録 Ⅱ 62 31-38 1991 田副幸子・谷川明男 菅平のクモ類採集記録 63 1-6 1992 鈴木成生 東京都心北部におけるキシノウエトタテ グモの生息分布調査 63 7-16 1992 田副幸子 セスジアカムネグモ,コトガリアカムネ グモ,トガリアカムネグモについて 63 17-22 1992 池田博明 クモの幼体の記載 63 23-25 1992 楜沢新 メダマグモの観察 63 26-30 1992 新海明 トタテグモ類の生態(1)生活史 63 31 1992 笹岡文雄 徘徊中のキシノウエトタテの雌を採集 63 31 1992 笹岡文雄 キシノウエトタテの寿命について 63 31-32 1992 前川隆敏 ハエトリグモの網膜の動きを見る 63 32 1992 平松毅久 ワキグロサツマノミダマシの破網 63 32-33 1992 平松毅久 宿主の死骸を食べるイソウロウグモの幼 体 63 33 1992 池田泉 シャコグモ,オオツリガネヒメグモをお そう 63 33-34 1992 池田博明 神奈川県下のスズミグモを 2 例追加 63 34-35 1992 池田博明 脱皮中にアリに襲われたクサグモ 63 35 1992 池田博明 交尾で顎を使うヤサガタアシナガグモの 雄 63 35-36 1992 前川隆敏・池田博明 野外でもわかるハエトリの脱皮の兆候 63 36-37 1992 熊田憲一 一吸い 4 頭 63 37-38 1992 谷川明男 アメリカジガバチに狩られたクモ ハチ に教えられた新産地 63 38 1992 谷川明男 はちに狩られたクモ その 2 63 39 1992 池田博明 ヤサコマチグモの雄と雌 63 40 1992 谷川明男 ムシバミコガネグモは飛び降りない? 63 40 1992 谷川明男 ポルティアの産室 63 40-41 1992 新海明 ホシミドリヒメグモの子育て行動 63 41 1992 新海明 アシブトヒメグモの親による「開のう」 の観察 63 42-48 1992 谷川明男・熊田憲一 野津田のクモ 63 49-56 1992 熊田憲一・谷川明男 神武寺のクモ 64 1-5 1992 小澤實樹 コマチグモ族の屋方

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64 6-8 1992 楜沢新 チブサトゲグモの網に見られる綿状の糸 について 64 9-12 1992 笹岡文雄 キシノウエトタテは住居を出るか? そ の行動について 64 13-14 1992 貞元己良 冬季における蜘蛛の発見採集方法 64 15-22 1992 徳本 洋 金沢市街地のジョロウグモ雌個体の秋・ 冬季における消失状況と産卵ならびに気 象との関係 64 23-26 1992 新海明 ハンゲツオスナキグモの網構造と餌捕獲 行動 64 27-32 1992 池田博明 伊勢原市子易の水田のクモ相 64 33-38 1992 貞元己良 香港紀行(香港のクモ採集記) 64 39 1992 新海明・畑守有紀・横 樹上に住居を作るキシノウエトタテグモ 山和正 64 39-40 1992 新海明 ガガンボを捕えたヤリグモ 64 40 1992 平松毅久 ズグロオニグモ幼体間に見られた造網終 了直後の網の乗っ取り 64 41 1992 平松毅久 埼玉県でサカグチトリノフンダマシ 64 41 1992 新海明 住居扉をコケで覆ったキシノウエトタテ グモ 64 42 1992 谷川明男 イソウロウグモの一種の交接 64 42-43 1992 加藤むつみ ギボシヒメグモの一世代飼育報告 64 44-52 1992 平松毅久 巾着田のクモ 64 53-56 1992 谷川明男 西表島のクモ類採集記録 III 65 1-2 1993 池田博明・前川隆敏 ネコハエトリの雄の採集脱皮の条件を探 る(予報) 65 3-8 1993 牧孝匡 キシノウエトタテグモの夜間徘徊行動に ついて 65 9-12 1993 新海明 日本産の「子育て」グモについて 65 13-20 1993 牧孝匡 カネコトタテグモの習性 65 21-22 1993 加藤むつみ 脱皮時期の見分け方と飼育上の意義 65 23-28 1993 池田泉 ヒメグモ幼体の生活 65 29-33 1993 平松毅久 ワキグロサツマノミダマシの求愛行動お よび交尾行動 65 34 1993 木村正吾 ハタケグモ成体の群集行動について 65 35 1993 鈴木成生 冬のジョロウグモ 65 35-36 1993 鈴木成生 オオトリノフンダマシの出嚢 65 36 1993 鈴木成生 ギンメッキゴミグモの出嚢の一例 65 37 1993 小澤實樹 旅を豊かにしてくれたクモ 2 種 65 37 1993 池田博明 樹皮下で越冬するアオオビハエトリ 65 38 1993 池田博明 時期遅れに葉上で交尾するネコハエトリ 65 38 1993 池田博明 雌の真上を駆けぬけた雄のキハダエビグ モ 65 38-39 1993 新海明 ズグロオニグモの幼体による餌盗み行動 の観察 65 39-40 1993 新海明 洛北鷺森神社のアワセグモの木 65 40 1993 谷川明男 神奈川県大和市でシッチコモリグモを採

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集 65 40-42 1993 谷川明男 オオジョロウグモの色彩変異について 65 42-43 1993 谷川明男 触肢のフ節がないハラビロスズミグモの 雄 65 43 1993 新海明 ギボシヒメグモは多化性のクモ 65 43 1993 谷川明男 シマゴミグモの分布東端 65 44-46 1993 池田博明 酒井春彦氏採集の八甲田山の真正クモ類 とザトウムシ 66 1-8 1994 新海明 冬虫夏草のクモタケについて 66 9-11 1994 新海明 小田原周辺の冬虫夏草(クモタケ)の分 布 66 12-13 1994 鈴木成生 東京都区内におけるクモタケの発生につ いて 66 14-15 1994 加藤むつみ トリノフンダマシの脱皮殻に関する報告 66 16-19 1994 笹岡文雄 「形」としてのクモ,そしてクモはいか にしてデザインされたか 66 20-22 1994 徳本洋 ジョロウグモを狩る狩人蜂 66 23-26 1994 池田博明・谷川明男 ヨツデゴミグモの求愛と交尾 66 27-33 1994 前川隆敏・池田博明 飼育条件下でのネコハエトリ幼体の成長 と発育 66 34-38 1994 貞元己良 夏の合宿に参加して 66 39 1994 鈴木成生 ユカタヤマシログモの屋外での採集例 66 39 1994 鈴木成生 東京都心部のカネコトタテグモ 66 40 1994 鈴木成生 キシノウエトタテグモの幼体の天敵につ いて 66 40 1994 鈴木成生 キシノウエトタテグモの捕食について 66 41 1994 宮下直 ジョロウグモの死亡要因 66 42 1994 宮下直 アシナガグモによるジョロウグモの網の 乗っ取り 66 42 1994 谷川明男 和歌山県でムツトゲイセキグモを採集 66 43 1994 新海明 クスミサラグモの精網作成行動 66 44 1994 新海明 ツクネグモの条網保持行動 66 45 1994 新海明 シロカネイソウロウグモによるクモの捕 食 66 45 1994 谷川明男 愛知県豊橋市でクロガケジグモを採集 66 46 1994 池田博明 フタオイソウロウグモの腹部の突出度は 変化する 66 46 1994 谷川明男 ムシバミコガネグモとコガタコガネグモ 66 47 1994 楜沢新 ヒゲナガハシリグモの一習性 66 48-49 1994 徳本洋 金沢市におけるジョロウグモの 1 月での 生存例 66 48 1994 徳本洋 イソハエトリの集団越冬例 66 50 1994 木村知之 ミヤグモの戸締り 66 50 1994 木村知之 河原の石の下で卵嚢を抱えるハエトリ 66 50 1994 木村知之 三浦半島でユアギグモを採集 66 51 1994 池田博明 ヨツデゴミグモ 1 雌当りの卵のう数

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66 51 1994 池田博明 トビイロフクログモがウロコアシナガグ モを捕食 66 51 1994 池田博明 第 4 脚で糸をくり出すユウレイグモ 66 52-53 1994 谷川明男 咬まれた,咬まれた,刺された,咬まれ た 66 53 1994 谷川明男 車の中にチュウガタシロカネグモが 66 53 1994 池田博明 アリグモの雄が亜成体雌の住居の入口で 脱皮を待つ 66 54 1994 笹岡文雄 埼玉県産キシノウエトタテとクモタケ 66 54-55 1994 谷川明男 キオヒキグモの雄は幼体で出嚢する 66 55 1994 谷川明男 内陸のマルゴミグモ 66 56-64 1994 新海栄一・笹岡文雄 五日市横沢入のクモ 67 1-2 1994 中平清 麻酔されたクモ 67 3-8 1994 小澤實樹 くも・8 角形パターンの謎 67 9-10 1994 諏訪哲夫 ヘリジロサラグモの観察 2 例 67 11-13 1994 新開孝 ヒメカマキリモドキの幼虫がとりついた クモ数種について 67 14-18 1994 加藤むつみ 成長期のヤリグモの,摂食傾向に関する 報告 67 19-20 1994 加藤むつみ ヤリグモの交接と雌グモを引きつけるも のについてのある仮説 67 21-24 1994 加藤むつみ 簡易加温箱とキジロオヒキグモの飼育 67 24-26 1994 新海明 シモングモの網構造と餌捕獲行動につい て ユウレイグモ科のクモは単性域類か 67 27-28 1994 伊田信明・池田博明 カバキコマチグモの刺咬症の 1 例 67 29-30 1994 後藤好正 コアシダカグモの越冬例 67 31-37 1994 後藤好正 横浜市港北区で採集されたクモの記録 67 38-42 1994 伴満 北海道金山ダム湖,網走川流域および斜 里川下流域のクモ 67 43 1994 宮下直 クサグモの異常に早い造網と発育 67 43-44 1994 平松毅久 タカラダニに寄生された双翅類,クモの 網にかかる 67 44-45 1994 平松毅久 アシヨレグモ幼体をくわえていたオオハ エトリ雄幼体 67 45 1994 谷川明男 鎌倉にチュウガタシロカネグモ 67 45 1994 木村知之 河原の石の下からハモンエビグモ 67 46 1994 木村知之 ヒメカラスハエトリによるチリイソウロ ウグモの捕食 67 46 1994 木村知之 韓国で Chrisso lativentris を採集 67 47 1994 木村知之 千葉県清澄で採集されたコケオニグモ♀ 67 47-48 1994 新海明 直径 2m の円網の記録 67 48 1994 新海明・金野 晋 奈良県吉野でユアギグモ一種を発見 67 49 1994 新海明 横浜市内からユアギグモ科の一種を発見 67 50-55 1994 新海明・蓮沼克己 福島県裏磐梯高原のクモ 68 1-48 1995 熊田憲一・池田博明・ 神奈川県産クモ類目録 谷川明男 69 1-5 1995 池田千洋 ヤマシロオニグモの生態

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69 7-14 1995 加藤むつみ 飼育下におけるヤリグモの発育 69 15-17 1995 宮下和喜 飼育条件下でのアサヒエビグモ幼体の発 育経過 69 19-21 1995 徳本洋 モリアオガエルによるクモ補食 69 23-27 1995 新海明 千葉県清澄山におけるジョロウグモの個 体数密度の年変化・20 年間(1974 年~ 1993 年)のとりまとめ 69 29-35 1995 畑守有紀 樹上に住居を作るキシノウエトタテグモ についての新知見 69 37 1995 宮下直 クサグモの網上の餌を横取りするアリ 69 37 1995 工藤泰恵 マツモトオチバカニグモと卵のう 69 38 1995 小野展嗣 ツユグモのオスの腹部のスジはだんだん 赤くなる 69 38-39 1995 新海明 ユカタヤマシログモの卵のう保持姿勢 69 39 1995 谷川明男 小網代でチュウガタシロカネグモを採集 69 39 1995 谷川明男 北海道にもシノビグモがいる 69 39-40 1995 畑守有紀 金沢市兼六園における地中性のクモ類の 分布 69 40-41 1995 赤羽尚夫 スジブトハシリグモの魚の補食行動を撮 影 69 41-42 1995 赤羽尚夫 神奈川県厚木市でムツトゲイセキグモの 生息を確認 69 43-52 1995 新海明・高橋祐子 伊豆半島松崎町雲見のクモ 69 53-61 1995 新海明 紀伊半島熊野市周辺のクモ 70 1 1996 萱嶋泉 忘れてはならない恩人 八木沼健夫先生 70 2 1996 小澤実樹 先導人八木沼健夫先生に感謝 70 2-3 1996 徳本洋 八木沼先生宅での思い出 70 4 1996 谷川明男 間に合わなかったお礼状 70 4-6 1996 池田博明 八木沼先生から出された大きな宿題 70 6 1996 鈴木成生 紙上の八木沼先生 70 6-7 1996 木庭奏 八木沼健夫先生を偲ぶ 70 8 1996 加藤輝代子 お別れ 70 9-11 1996 加藤むつみ 飼育下のハンゲツオスナキグモの脱皮に 関する報告 70 11-19 1996 新海明 誰も知らなかった!?円網の張り方 70 21-23 1996 谷川明男 西表島のクモ類採集記録 IV 70 25-31 1996 鈴木成生 飼育条件下におけるハグモの一種の交 尾,産卵,出嚢と子育て様行動および幼 体生残に関する観察記録 70 33-34 1996 笹岡文雄 キシノウエトタテグモの飼育下の餌につ いて 70 35-40 1996 鈴木成生 キシノウエトタテグモの生態(1)産卵・出 嚢・出巣についての予備的検討 70 41-44 1996 鈴木成生 キシノウエトタテグモの生態(2)野外移植 による産卵率の検討 70 45-47 1996 鈴木成生 キシノウエトタテグモの生態(3)産仔数に ついて

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70 49-56 1996 鈴木成生 キシノウエトタテグモの生態(4)産卵およ び出嚢について 70 57-59 1996 宮下和喜 ユカタヤマシログモの長日と短日条件下 での幼体発育 70 61 1996 工藤泰恵 キイロスズメバチに襲われたオオシロカ ネグモ 70 61 1996 工藤泰恵 日比谷公園でチュウガタシロカネグモ 70 62-63 1996 東条清・新海明 小豆色のトリノフンダマシを採集 70 63 1996 新海明・新海栄一 ソメワケトリノフンダマシの卵のうの観 察 70 63-64 1996 新海明・加藤輝代子 千葉県清澄山で採集されたニシキオニグ モの円網の記録 70 64-65 1996 新海明 クスミサラグモとユノハマサラグモ,ど ちらが強いか 70 65-66 1996 谷川明男 沖縄島新記録のクモ 4 種,ヤセゴミグモ・ ミツカドゴミグモ・イリオモテアシナガ グモ・リュウキュウセンショウグモ 70 66 1996 谷川明男 奄美大島でイリオモテアシナガグモを採 集 70 66-67 1996 谷川明男 ナガマルコガネグモの団居に侵入してい たシロカネイソウロウグモ 70 67 1996 谷川明男 日本産のクモを記載した研究者たち 70 68 1996 平松毅久 西吾野に大量の赤いハグモ 70 69 1996 木村知之 雨の中のクモ 70 69-71 1996 伴満 クモあれこれ 5 題 70 71 1996 伴満 ツシマトリノフンダマシ・スズミグモ・ ムツトゲイセキグモの発見 70 71-72 1996 伴満 塩原で蜘蛛の化石を見た 70 72-74 1996 池田博明 セアカゴケグモとハイイロゴケグモを探 そう 70 74-75 1996 木村知之 横浜市で採集されたハイイロゴケグモの 卵のうの観察 71 1-4 1997 宮下和喜 ネコハエトリの幼体発育と卵のう産出 71 5-6 1997 加藤むつみ 飼育下のハイイロゴケグモの脱皮に関す る報告 71 7-11 1997 池田博明 クモ観察会指導マニュアル 71 13-20 1997 長島充 千葉県佐倉市で記録された真正クモ類 71 21 1997 谷川明男 アカイソウロウグモの採集記録追加 71 21 1997 新海明・三川英之ほか オニグモの網内で餌盗みしていたアシナ ガグモの観察 71 22 1997 泉宏子 シロオビトリノフンダマシの交接 71 23-24 1997 谷川明男 アカオビゴケグモの採集・観察・雑感 71 25 1997 谷川明男 ホシスジオニグモの変わったラッピング 71 25 1997 谷川明男 寒い夜のイエオニグモ? 71 25-26 1997 谷川明男 緑のハグモも子育てをする? 71 26 1997 平松毅久 ジョロウグモ幼体の網にいたワキグロサ ツマノミダマシ雄亜成体 71 26-27 1997 平松毅久 腹部背面に褐色斑紋をもつワキグロサツ

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マノミダマシ 71 27 1997 伴満 河原のハエトリグモの産卵 71 27 1997 伴満 ムツトゲイセキグモの雄を採集 71 29-36 1997 木村知之・高橋祐子 飯山観音のクモ 71 37-43 1997 池田博明 丹沢のクモ(松田町寄,秦野市二股・大倉, 桧洞丸) 72 1 1997 大熊千代子さんと東京蜘蛛談話会 72 2 1997 西日本新聞 女性クモ博士誕生 72 3 1997 萱嶋泉 大熊千代子姉を偲ぶ 72 4-5 1997 石野田辰夫 大熊千代子博士への追悼 72 5-7 1997 谷川明男 え?ほんとうに? 72 7-8 1997 新海明 網研究の先駆け 72 8-9 1997 佐藤幸子 大熊さんと「猫チャン」 72 9-11 1997 小野展嗣 いつかどこかで(3)大熊千代子さんのこと (続) 72 11-12 1997 小澤実樹 大熊千代子先生を惜しむ 72 12 1997 松本誠治 大熊千代子さんのこと 72 12-13 1997 池田博明 大熊さんのこと 72 13-15 1997 新海栄一 大熊さんに送る言葉 72 16-18 1997 新海明 ツリサラグモとムネグロサラグモの精網 と交接の観察 72 19 1997 佐藤幸子 オオヤミイロカニグモの交接の観察 72 20-21 1997 佐藤幸子 ハタケグモの産卵と成長 72 22-26 1997 加藤むつみ トゲグモの成長に伴う形態変化と脱皮型 の変化・トゲグモのトゲはいつ生えるか 72 27-30 1997 新海明 「自然の観察」(むさしの自然研究会編)に 掲載されたクモ類の文献抄録 72 31-33 1997 新海明 「採集と飼育」(日本科学協会)に掲載され たクモ類の文献目録 72 34-47 1997 畑守有紀・新海明・上 クモタケ Nomuraea atypicola の全国 田俊穂 分布調査結果(1993~1996 年) 72 48-51 1997 新海明・平松毅久 ハグモの一種 Dictynasp.(通称「赤いハグ モ」)の配偶行動 72 52 1997 新海明・梅林力 クモの糸上のコウガイビルの観察 2 例 72 52-53 1997 新海明 ジグモの分散(バルーニング)の観察 72 53 1997 新海明 「植物及動物」に掲載されたクモ類の文 献目録 72 54 1997 新海明・金野晋 九州地方のワスレナグモの記録 72 54 1997 新海明 網の中にいたコハナグモ 72 55 1997 新海明・宮下直・千田 横浜市でアカイソウロウグモを発見 高史 72 55 1997 新海明 富士山麓でのジョロウグモの記録 72 56 1997 安田明雄 高知で謎の卵のうを発見 72 56 1997 笹岡文雄 空蝉とクモ 72 57 1997 安田明雄 金華山でトゲグモを発見 72 57 1997 安田明雄 ソメワケトリノフンダマシの採集とその 卵のうの観察記録 133

72 58-63 1997 福島彬人 秋田県の真正蜘蛛類研究史 72 64-82 1997 福島彬人 秋田県の真正蜘蛛類目録 73 1 1998 池田博明 近藤昭夫氏を悼む 73 2 1998 池田博明 錦三郎氏を悼む 73 3-6 1998 加藤むつみ トゲグモの成長に伴う模様の変化と硬化 部位(白い十字架を背負ったクモがどの ようにして髑髏模様を背負うようになる か) 73 7-11 1998 新海明 沖縄クモ観察記(3) 73 12-16 1998 池田博明 室内でのクモの実験と講話 73 17-20 1998 谷川明男 オオジョロウグモの造網場所移動の観察 73 21-22 1998 畑守有紀 全国クモ相談室第 1 回滋賀県産オヒキグ モの一種について 73 22-23 1998 平松毅久 夜間にぶら下がって眠る?ハエトリグモ 73 23-24 1998 新海明 セマルトラフカニグモによるアリの補食 73 24 1998 平松毅久 続報 5 年前のサカグチトリノフンダマシ 73 24-25 1998 笹岡文雄 カネコトタテグモの孵化 73 25 1998 谷川明男 北海道からオノゴミグモが採集された 73 25-26 1998 工藤泰恵 ムツトゲイセキグモの飼育下における投 げ縄行動 73 26 1998 谷川明男 ジョロウグモの迷網除去実験 73 27-28 1998 新海明 オオヒメグモに寄生するハチ(マダラコブ クモヒメバチ) 73 28 1998 新海明 沖縄県での珍蛛の採集記録 73 29-36 1998 平松毅久 飯能市西吾野のクモ 73 37-44 1998 宮下直・笹岡文雄 東京都田無市・東京大学付属演習林田無 試験地のクモ 73 45-50 1998 安田明雄 小網代の森のクモ 73 51-57 1998 笹岡文雄 茨城県久慈郡大子町のクモ 74 1-6 1998 宮下和喜 ナカムラオニグモの卵のう産出と幼体発 育 74 7-10 1998 新海明 ミナミノシマゴミグモによる円網の修繕 74 11-16 1998 小笠原幸恵 飼育下におけるトガリクサチヒメグモの 網型と卵のうについて 74 17-20 1998 谷川明男 ジョロウグモの造網場所移動の観察とオ オジョロウグモの比較 74 21 1998 新海明 降雨時のジョロウグモの網 74 21-22 1998 新海明 ジョロウグモでみられた降雨後の網の張 り替えのパターン 74 22 1998 谷川明男 餌を引きずって網の上を歩いたオオジョ ロウグモの幼体 74 23-32 1998 新海明・池田博明・谷 沖縄県名護市周辺のクモ 川明男 74 33-100 1998 新海栄一 クモ類による環境の評価 75 1-3 1998 鈴木裕・安田明雄 麻酔したクモに対するネコハエトリの求 愛行動 75 4-6 1998 池田博明・中山美和・ 神奈川県平塚市の越冬期メガネヤチグモ 稲葉茂代 上吉沢個体群 134

75 7-9 1998 梅林力 クモも遊ぶか,トレーニングするか 75 10-13 1998 小笠原幸恵 ヤホシサヤヒメグモ Coleosoma octomaculatum の体色変化とエサの関 係について 75 14-18 1998 池田博明 ヒロセハエトリを求めて 75 19-20 1998 谷川明男・池田博明 イオウイロハシリグモの飼育記録 75 21-23 1998 新海明 落葉落枝に支えられた円網の記録 75 24 1998 安田明雄 横浜市でのアカイソウロウグモの記録 75 24-25 1998 平松毅久 船橋県民の森にオオクマヒメドヨウグモ 75 25 1998 新海明 オオジョロウグモの吸水の観察 75 26 1998 新海明・金野晋 東京八王子でスズミグモの網を発見 75 26 1998 谷川明男 標本ラベルについて 75 27-44 1998 梅林力・井上房枝・小 東京都杉並区のクモ相 澤実樹・熊田憲一・松 浦祐司・松本誠治 76 1 1999 小澤実樹 表紙に寄せて 76 2-5 1999 萱嶋泉 東京蜘蛛談話会発足の前後の事情 76 6-7 1999 大河内哲二 「KISHIDAIA」発刊の頃の思い出 76 8-9 1999 松本誠治 談話会通信発刊のころの思い出 76 9-10 1999 新海栄一 昭和 43 年 12 月 21 日( KISHIDAIA 発行 を決意した日) 76 11-13 1999 小野展嗣 いつかどこかで(4)編集,編集また編集 76 14-23 1999 新海明 東京蜘蛛談話会の活動記録(1966-1999) 76 24-26 1999 泉宏子 オオクマヒメドヨウグモの生態観察 76 27-29 1999 加藤むつみ トゲグモの卵のうと越冬 76 30-33 1999 板倉泰弘 苦節 9 年,ハヤテグモの生息環境と婚姻 給餌発見まで 76 34-35 1999 船曳和代 クモの網の展示標本の作り方 76 36-40 1999 徳本洋 八丈島のジョロウグモ消滅か? 76 41-48 1999 宮下和喜 ハナグモの生活史 76 49 1999 八幡明彦 コシロカネグモのクモ食い 76 49 1999 平松毅久 キンヨウグモの擬死 76 49-50 1999 平松毅久 オウギグモの求愛行動 76 51-54 1999 伴満・大川秀治 神奈川県津久井郡城山町のクモ 76 55-58 1999 池田博明・伴満 夏の神津島のクモ 76 59-60 1999 池田博明 「神奈川県産クモ類目録」追記 76 61-101 1999 谷川明男・佐々木健志 沖縄県産クモ類目録 77 1-2 1999 萱嶋泉 湯原清次先生に教えて頂いたこと 77 3-4 1999 須賀瑛文 KISHIDAIA 発刊 30 周年をお祝いして 77 4-5 1999 太田定浩 『KISHIDAIA』発行 30 周年をお祝いす る 77 5-6 1999 貝發憲治 「KISHIDAIA」発刊 30 周年に寄せて 77 6-7 1999 吉田真 KISHIDAIA には負けへんで! 77 7-8 1999 東條清 和歌山クモの会からのお祝いの言葉 77 8-9 1999 米田宏 祝辞並びに「家蜘蛛」になったクロガケ ジグモについて 135

77 10 1999 佐藤幸子 クモを学んで 30 年 77 11 1999 山川守 談話会の思い出 77 11-13 1999 貞元己良 クモとの付き合い,「初めて」という言 葉の思い出 77 13-15 1999 加藤輝代子 パラグアイから発刊 30 周年を記念して 77 15-17 1999 梅林力 東京蜘蛛談話会 あれこれ思い出話 77 18-19 1999 笹岡文雄 私は東京蜘蛛談話会! 77 19 1999 木村知之 入会 10 周年に思うこと 77 20 1999 平松毅久 キシダイア 30 周年談話会歴 10 年 77 21 1999 嶋田順一 「談話室・滝沢」 77 22 1999 池田博明 一本の電話 77 22-24 1999 新海明 夢 77 24 1999 谷川明男 キシダイアよ永遠なれ 77 25 1999 安田明雄 KISHIDAIA 発刊 30 周年に寄せて 77 26-28 1999 平松毅久 網に落下した花をラッピングして食べた オオシロカネグモ 77 29-34 1999 小菅恭平・高橋聰・安 円海山におけるイソウロウグモと円網種 田明雄 のクモとの関係 77 35-39 1999 永井均・新海明 カネコトタテグモの扉づくり 77 40-44 1999 梅林力 1998 年秩父合宿後日談 オニグモと寄 生バエ 77 45-56 1999 南部敏明 カトウツケオグモ Phrynarachne katoi Tikuni (カニグモ科)の飼育 77 57-60 1999 秋元維那・秋元昇 カバキコマチグモの巣の研究 77 61-68 1999 徳本洋 石川県金沢市近辺各山地におけるジョロ ウグモの垂直分布 77 69-73 1999 谷川明男 西表島のクモ類採集記録Ⅴ 77 74-75 1999 畑守有紀・金野晋 ヤリグモ vs オナガグモ・パート 2 77 75 1999 成田和子 ワスレナグモの仔は天をめざす 77 75-76 1999 新海明 「あっちこっちのクモ」=目録 DRAGLINES の創設について 77 77 1999 新海明 ゲホウグモの円網の記録 77 78-79 1999 初芝伸吾 年越しするジョロウグモ 77 79-80 1999 新海明 日盛りの中のクモ(オオシロカネグモの 体温調節) 77 80 1999 初芝涼 国立市の湧水にヨリメグモ 77 81-82 1999 平松毅久 クモの網にかかった有翅アブラムシ 77 82-83 1999 初芝涼 コケヒメグモの卵嚢保持 77 84-96 1999 大類正久 伊豆のザトウムシ回想録 77 97-103 1999 桝元智子・桝元敏也 滋賀県南部のクモ類採集記録Ⅰ 77 104-110 1999 貞元己良・工藤泰恵・ 船橋県民の森のクモ 和仁道大・長井芳夫 77 111-118 1999 新海明・千田高史・宮 埼玉県秩父地方(大滝村・秩父市)のク 下直 モ 77 119-124 1999 田中穂積 コモリグモ科標本のデータの追加(リス ト) 78 1-9 2000 小笠原幸恵 1 卵のうから生まれたゲホウグモの腹部

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の形態の違いおよびその生活史について 78 10-12 2000 平松毅久・笠原喜久雄 スズミグモを埼玉県で初記録 78 13-14 2000 永井均・新海明 キシノウエトタテグモの扉づくり 78 15-20 2000 谷川明男 ジョロウグモ雄の成熟過程の観察 78 21-29 2000 宮下和喜 コガネグモの幼体発育,越冬および産卵 78 30-36 2000 加藤むつみ トゲグモの道(丹沢地域のトゲグモの分 布より考察した移動仮説) 78 37 2000 新海明 ヤリグモに捕食されたミナミノアカイソ ウロウグモ 78 37-38 2000 新海明 死んだジョロウグモを食べようとしたミ ナミノアカイソウロウグモ 78 38 2000 新海明 ミナミノアカイソウロウグモによる「網 食い」の観察 78 39 2000 谷川明男 スズミグモの網にオオジョロウグモの雄 78 39-40 2000 谷川明男 泡瀬にはヤマトウシオグモがいっぱいい る!? 78 40 2000 谷川明男 ハラビロスズミグモは夜に網に出ている 78 40-41 2000 笹岡文雄 キシノウエトタテグモ♂の徘徊時期につ いて 78 41 2000 安田明雄 円海山でシロオビトリノフンダマシを採 集 78 41-42 2000 甲野涼 飼育下におけるコケヒメグモ 78 42-44 2000 谷川明男 沖縄島のクモ採集記録 78 44-45 2000 池田博明 1993 年 9 月の高知のクモ 78 46-56 2000 平松毅久 東京クモ談話会 1995 年度合宿報告 高 知県東部のクモ 78 57-66 2000 平松毅久 東京クモ談話会 1998 年度採集観察会報 告 天覧山のクモ 78 67-78 2000 新海明・金野晋 東京蜘蛛談話会 1999 年度合宿報告 福 井県敦賀市周辺のクモ 78 79-142 2000 谷川明男 日本産クモ類目録(2000 年版) 79 1-4 2000 宮下和喜 イヅツグモの生活史 79 5-12 2000 高橋登 日本のクモ学と御雇外国人 79 13-19 2000 新海明 西表島クモ観察記(1) 79 20-42 2000 池田博明 ハエトリグモの学名の解説(1) 79 43-53 2000 池田博明・新海明・鶴 ジョロウグモの垂直分布調査 崎展巨・徳本洋・西原 かよ子・藤沢傭助・桝 本敏也・宮下直 79 54-62 2000 池田博明・山北高等学 ジョロウグモの垂直分布とその要因を探 校自然科学部 る 79 63 2000 田中穂積 コモリグモ科標本のデータの追加(リス ト)の訂正 79 64-69 2000 甲野涼・初芝伸吾 飼育下におけるムツトゲイセキグモが捕 食したガ類について 79 70-71 2000 桝本ともこ・桝本敏也 アリグモ in セミの抜け殻 79 71-72 2000 池田博明 ゴミグモ雄の求愛行動を観察 79 72-73 2000 谷川明男 眼を白黒させるヨリメハエトリ 137

79 73 2000 谷川明男 チュウガタシロカネグモはオナガが危な いやつだということを知っている 79 73-74 2000 谷川明男 芋虫の巣にいたヤリグモの一種 79 74 2000 中島晴子 ネコハエトリ雌の共食い 79 74-75 2000 貞元己良 我が家の庭にも「ゲホウグモ」がいた 79 75 2000 泉宏子 最終脱皮で雌型から雄型に変わったクモ 2 例 79 76 2000 初芝伸吾 2000 年を迎えたオニグモ 79 76-77 2000 初芝伸吾・甲野涼 アオオニグモの年越し 79 77-78 2000 伴満 マツモトハエトリが蟻の群れの中に居た 79 78 2000 新海明 京都府向日市善峰寺のクモ 79 79-86 2000 新海明・大川秀治 東京蜘蛛談話会 1999 年度採集観察会報 告 山梨県大月市扇山周辺のクモ 80 1-6 2001 熊田憲一・萩本房江・ トリノフンダマシ類の幼体の捕食行動 加藤輝代子・新海明 80 7-20 2001 入江照雄 オダカユウレイグモについて 80 21-49 2001 本田重義 造網性クモ類群集の種内・種間関係 80 50-56 2001 新海明 スズミグモの分布拡大の記録 80 57-64 2001 新海明 ジョロウグモはどこで採られたのか(ロ ーレツ氏の採集地をめぐる考察) 80 65-70 2001 日置乃武子 ムツトゲイセキグモ観察日記 80 71-76 2001 桝本敏也 コブクモヒメバチのゴミグモへの寄生 80 77-80 2001 杉山明 ビジョオニグモについての観察報告 80 81-82 2001 新海明 ジョロウグモの黄色と黒の模様 80 82-83 2001 安田明男 棚網・不規則網に侵入するシロカネイソ ウロウグモ 80 83-85 2001 笹岡文雄 樹上のキシノウエトタテグモ 80 85 2001 甲野涼 オオツリガネヒメグモに寄生したクモバ チ幼虫の正体は? 80 85-86 2001 泉宏子 飼育ハンゲツオスナキグモの寿命 80 86 2001 谷川明男 オオジョロウグモは腹部で太陽を指し示 す 80 86-87 2001 甲野涼 ウロコアシナガグモに寄生した幼虫の正 体は? 80 87 2001 新海明 裏磐梯でトリノフンダマシを発見 80 87-88 2001 笹岡文雄 マダラヒメグモの寿命について 80 88 2001 新海明 岐阜市金華山(岐阜城)のクモ 80 88-89 2001 新海明 京都市高雄周辺のクモ 80 89-90 2001 八幡明彦 小笠原のクモ 80 90-92 2001 八幡明彦 石垣・西表クモ観察記 80 93-140 2001 新海明 県別クモ類文献リストの一覧 80 141-150 2001 池田博明 東京蜘蛛談話会 2000 年度静岡県中根町 合宿報告 80 151-155 2001 谷川明男 日本産クモ類目録(2000 年版)補遺 1 81 1-3 2001 平松毅久 トガリアシナガグモの造網過程 81 4-8 2001 平松毅久 西表島クモ観察記(2) 81 9-21 2001 新井浩司 ヤクシマキムラグモの生態 138

81 22-26 2001 高橋登 20 世紀のクモの本追記 81 27-33 2001 貞元己良 極楽な合宿に参加して 81 34-35 2001 新海明 斑鳩の法隆寺にクモを尋ねて 81 36-37 2001 池田博明・谷川明男 大和市におけるムナボシヒメグモ個体数 の季節的変動 81 38 2001 池田博明 クロマルイソウロウグモがヒメグモ幼体 を捕食 81 38-39 2001 初芝伸吾 カニミジングモを捕食するコオニグモモ ドキ 81 39-40 2001 新海明 オオトリノフンダマシの交接行動 81 40 2001 新海明 オオトリノフンダマシの複数のオスとの 交接 81 40 2001 谷川明男 鎌倉市にスズミグモ出現 81 41 2001 新海明・谷川明男 ツシマトリノフンダマシの卵のうの記録 81 41-42 2001 新海明 京都府 京都市吉田山のクモ 81 42 2001 新海明 近江神宮のクモ 81 43-51 2001 小野展嗣・水山栄子 上野公園のクモ類(第 1 報) 81 52-82 2001 須賀瑛文・永井均 文献による岐阜県産クモ類目録 81 83-107 2001 熊田憲一 三重県で採集したクモ 81 108-114 2001 今井正巳 東京蜘蛛談話会 2000 年度観察採集会 報告 東京都立小山田緑地(町田市)の クモ 82 1-4 2002 新井浩司 「蜘蛛喰い蜘蛛」の記録 82 5-10 2002 新井浩司 センショウグモの捕食行動 82 11-14 2002 新海明 トリノフンダマシ類の造網開始時期と造 網時刻についての記録 82 15 2002 新海明 トビジロイソウロウグモによるオオトリ ノフンダマシからの餌盗み 82 15-16 2002 新海明 トリノフンダマシ類の破網行動 82 16-17 2002 長崎緑子 クロマルイソウロウグモを秩父(埼玉県) で採集 82 17-18 2002 笹岡文雄 ワスレナグモの新産地 82 18-19 2002 八幡明彦 アオグロハシリグモの色彩多型 82 19-20 2002 八幡明彦 オオジョロウグモの共食い 82 20-21 2002 八幡明彦 ケアシハエトリのクモ捕獲 82 22 2002 徳本洋 ツシマトリノフンダマシ,八丈島で発見 される 82 23-24 2002 貞元己良 今年も我が家の庭にゲホウグモ現わる 82 24-25 2002 貞元己良 トリノフンダマシ VS ゲホウグモ 82 26-27 2002 平松毅久・嶋田順一 埼玉県新記録種 82 28-30 2002 谷川明男 日本産クモ類目録(2000 年版)補遺 2 82 31-38 2002 新海明・徳本洋 東京蜘蛛談話会 2001 年度合宿報告 富 山県立山周辺のクモ 82 39-44 2002 谷川明男 西表島のクモ類採集記録 83 1-2 2002 訃報 高橋登氏急逝

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83 3-7 2002 松田久司・漆原弘光・ ジョロウグモの林内での産卵部位と付着 高橋剛・志釜じゅんこ 物 う 83 8-10 2002 池田博明 ツノナガイソウロウグモの卵のうとクラ ッチサイズ 83 11-25 2002 新海明 栗本瑞見著「千虫譜」の中の「蜘蛛」に ついて 83 26-30 2002 加藤むつみ 続トゲグモの道 83 31-47 2002 八幡明彦 千葉県野田市(利根運河)三ヶ尾のクモ 83 48-52 2002 池田博明 松田町自然館のクモ観察会 83 53 2002 安田明雄・佐々木悠・ 千葉県館山市でアカイソウロウグモを採 柴田勇輝・山内勇洋・ 集 横溝矩之 83 53-54 2002 萩本房枝・萩本果南 ハラダカツクネグモがクモを食べていた 83 54-55 2002 甲野涼 ゴミグモに寄生したクモヒメバチの幼虫 は裸で蛹化した! 83 55 2002 笹岡文雄 キシノウエトタテ♂の一観察 83 55-56 2002 新海明 ミヤシタイソウロウグモを八王子市で採 集 83 56-57 2002 新海明 神奈川県北部からのワスレナグモの記録 83 57-58 2002 新海明・金野晋.畑守 房総丘陵でのキシノウエトタテグモとワ 有紀 スレナグモの新産地 83 58-59 2002 安田明雄ほか 静岡県下田市でアカイソウロウグモを発 見 83 59 2002 谷川明男 鎌倉市にアカイソウロウグモ出現 83 59-60 2002 谷川明男 奄美大島新記録のクモ 3 種 83 60-61 2002 谷川明男・新海明 鹿児島県加治木町日木川のクモ 83 61-63 2002 八幡明彦 鹿児島県加治木町,金山橋~龍門滝のク モ 83 63-64 2002 谷川明男・田副幸子 岩手県盛岡市から宮古市にかけてのクモ 83 65-78 2002 入江照雄 長崎県産クモ類目録 83 79-84 2002 安田明雄 東京蜘蛛談話会 2001 年度観察採集会報 告 横浜市・円海山のクモ 83 85-95 2002 谷川明男・新海明 文献による宮城県産クモ類目録 84 1-14 2003 追悼 高橋登氏 84 13-15 2003 新海栄一 高橋登君を偲んで 84 15-16 2003 山川守 高橋君の思い出 84 16-17 2003 小野展嗣 いつかどこかで(6)高橋登さんの急逝に 思うこと 84 18 2003 新海明 高橋登さんを悼む 84 19-20 2003 中島晴子 高橋登さんとローレッツ 84 20-21 2003 池田博明 慈愛のひと 84 22 2003 新村誠 やさしい笑顔,忘れません 84 22-23 2003 甲野涼 高橋登さんと大井川鉄道 84 23-24 2003 佐藤幸子 高橋登さんを偲んで 84 24-25 2003 貞元己良 高橋登氏の思い出 84 25-26 2003 笹岡文雄 高橋登さんとのこと

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84 26-27 2003 斎藤洋一 高橋さんとの一期一会 84 28 2003 谷川明男 お世話になりました 84 29-34 2003 徳本洋 ジョロウグモはどのようにして卵のうに 付着物をつけるか 84 35-46 2003 澤田和久 飼育したジョロウグモの記録 84 47-53 2003 新海明・平松毅久 西表島クモ観察記(3) 84 54-63 2003 貞元己良 那須がままの合宿に参加して 84 64-65 2003 新海明 あいのこトリノフンダマシを発見 84 65-66 2003 新海明 シロオビトリンフンダマシの色彩変異 84 66-67 2003 新海明 ツノナガイソウロウグモの卵のうについ て 84 67 2003 佐藤幸子 オオヒメグモの卵のうの作り方 84 68 2003 安田明雄ほか アカイソウロウグモの卵嚢の観察 84 68-69 2003 工藤泰恵 千葉県産クモ資料 84 69-71 2003 新海明・谷川明男 島根県で観察したクモ類 84 71-73 2003 貞元己良 栃木県内で採集したクモ 84 73-74 2003 貞元己良 長野県軽井沢町・白糸の滝ハイランドウ ェイ内白糸の滝周辺のクモ 84 74 2003 貞元己良 長野県軽井沢町・白糸の滝ハイランドウ ェイ内峰の茶屋のクモ 84 74-75 2003 貞元己良 長野県真田町横沢,標高 1000 メートル地 点のクモ 84 75 2003 貞元己良 富山県中新川郡立山町「雄山神社」のク モ 84 75 2003 貞元己良 富山県魚津市魚津温泉,海岸線堤防の内 側 84 76-78 2003 伴満 岩手県の蜘蛛リスト 84 79-96 2003 水山栄子ほか 川崎市生田緑地のクモ類 84 97-106 2003 福島彬人 田沢湖畔の真正クモ類 84 107-114 2003 新海明・谷川明男 文献による岩手県クモ類目録 84 115-123 2003 新海明・谷川明男 文献による青森県クモ類目録 84 124-130 2003 萩本房枝・新海明 東京蜘蛛談話会 2002 年度合宿報告 85 1-4 2004 波多和馬・波多翼 ジグもとワスレナグモの観察 85 5-12 2004 西野真由子 円網種 6 種の産卵・出のう・まどい 85 13-22 2004 新海明 スズミグモの全国分布調査結果 85 23-28 2004 新海明・谷川明男 昔の名前で出ています(クモの古今の和 名) 85 29-39 2004 秋元維那・秋元昇 ギンメッキゴミグモが上を向く理由 85 40-41 2004 高津佳史 沖縄本島クモウォッチング-沖縄クモ図 鑑を持って- 85 41 2004 高津佳史 ワカバグモの逆襲 85 41-42 2004 高津佳史 今年も育苗ポットに巣を作ったキシノウ エトタテグモ 85 42-43 2004 新海明 ムレサラグモの網を発見 85 43-44 2004 新海明 ザトウムシが皿網に侵入 85 45 2004 新海明 無斑のヒラタグモを発見 85 46 2004 泉宏子 アシナガグモのはやにえ!? 141

85 46 2004 谷川明男 ザトウムシに捕食されていたムツボシオ ニグモ 85 47-101 2004 藤澤庸助 長野県クモ類目録 85 102-108 2004 加藤輝代子 東京蜘蛛談話会 2002 年度観察採集会報 告 市川市小塚山・堀之内貝塚公園周辺の クモ 86 1-9 2004 徳本洋 アシダカグモ分布記録へのコアシダカグ モ属の種の誤入 86 10-12 2004 松田まゆみ 伊豆諸島式根島で採集したクモとヤマト ウシオグモ,タニカワヤリグモの記録 86 13-14 2004 安藤昭久 ヨロイヒメグモの網は放射状 86 15-20 2004 西野真由子 クモの幼体はなぜ「まどい」を作るのか 86 21-26 2004 新海明 積雪上で採集されたクモ 86 27-28 2004 新海明 カトウツケオグモはハエを誘引する?! 86 29-32 2004 斎藤慎一郎 石川県かほく市の暖地性クモ類 86 33-38 2004 八幡明彦 物語に登場するクモ・キャラクターの発 展についての一考察―「蜘蛛の惑星」再論 ― 86 39-48 2004 谷川明男 2004 年 6 月の沖縄クモ観察記 86 49-53 2004 笹岡文雄 二人のデーニッツ小さな誤解について 86 54-56 2004 中島晴子 オペレッタ『夜叉蜘蛛』のこと 86 57 2004 新海明 八王子城址でスズミグモ幼体の越冬を確 認 86 57-58 2004 新海明・谷川明男 山梨県一宮浅間神社のクモ 86 59-67 2004 貞元己良 高知県合宿のその後 86 68-74 2004 八幡明彦・新海明・甲 東京蜘蛛談話会 2003 年度合宿報告北海 野涼 道上士幌町糠平周辺のクモ 86 75-81 2004 今井正巳・谷川明男 東京蜘蛛談話会 2003 年度観察採集会報 告さいたま緑の博物館 86 82-89 2004 新海明・谷川明男 文献による富山県産クモ類目録 86 90-99 2004 新海明・谷川明男 文献による福井県産クモ類目録 87 1-10 2005 西野真由子 マネキグモの日周活動 87 11-14 2005 池田博明 クモの会会報から再録 1 ハエトリグモの 生態観察の記録 87 15-16 2005 水山栄子・成田和子・ 生田緑地のカネコトタテグモとキシノウ 日置乃武子 エトタテグモ 87 17-22 2005 新海明 ジョロウグモの網の張り替え周期 87 23-27 2005 甲野涼・初芝伸吾 都市公園における野鳥巣箱~クモの住み 心地を考える~ 87 28-32 2005 平松毅久 赤いハグモの体温調節姿勢 87 33-35 2005 谷川明男 アシブトヒメグモは年 2 化である 87 36-38 2005 谷川明男 毎日ジョロウグモを数えた 87 39-48 2005 笹岡文雄 東北地方におけるキシノウエトタテグモ の分布 87 49-63 2005 徳本洋 石川県で見たイソコモリグモ Lycosaishikariana(SSaito1934)生き残 りの条件 87 64-72 2005 貞元己良 秘湯の旅(山梨県増穂町の合宿) 142

87 73 2005 平松毅久 アリを捕食していたトラフカニグモ 87 73-74 2005 平松毅久 埼玉県内に残存するコガネグモ方言の記 録 87 74-75 2005 新海明 ミヤシタイソウロウグモが水平円網に侵 入していた 87 75-76 2005 新海明 ヨリメグモの造網で「こしき部」の移動 を見た 87 76-77 2005 新海明 ゴミグモの網に侵入し網主を食べていた アシナガグモ 87 77-78 2005 笹岡文雄 山梨県におけるキシノウエトタテについ て 87 78-79 2005 笹岡文雄 アシナガグモの餌盗みについて 87 79-80 2005 笹岡文雄 新潟県におけるキシノウエトタテの採集 記録について 87 80-81 2005 笹岡文雄 新潟大学構内にワスレナグモが多産 87 81-82 2005 高津佳史 今夏も!沖縄本島クモウォッチング―沖 縄クモ図鑑を持って― 87 82-83 2005 赤羽尚夫 箱根の仙石原でヒメハナグモの生息を確 認 87 84-85 2005 新海明 岩船寺・浄瑠璃寺周辺のクモ 87 85-86 2005 谷川明男 沖縄県座間味島のクモ 87 86 2005 伴満 “県別クモ類分布図 ver2004”の記載県以 外で採集した蜘蛛のリスト 87 87 2005 新海明 奈良県室生寺周辺のクモ 87 87-89 2005 馬場友希 徳之島で採集したクモ 87 89-90 2005 馬場友希 与那国島で採集したクモ 87 91-98 2005 加藤輝代子・青山裕 山梨県南巨摩郡増穂町付近のクモ類相に 司・石田博則・笠原浩 ついて第 1 報 人・岡田匡平・柏瀬真 希・片瀬英高・駒野英 昭・鈴木健介・高津素 夢・高橋功・田中大 輔・渡辺紀子 87 99-104 2005 谷川明男 2004 年 6 月の沖縄のクモ採集記録 87 105-112 2005 新海明・谷川明男 東京蜘蛛談話会 2004 年度合宿報告山梨 県南巨摩郡櫛形山周辺のクモ 87 113-126 2005 新海明・谷川明男 文献による栃木県産クモ類目録 87 127-187 2005 谷川明男 日本産クモ類目録(2005 年版) 88 1 2005 追悼 千国安之輔先生 88 2-3 2005 新海栄一 弔辞 88 4 2005 小澤實樹 「毎日が青春だった,千国安之輔先生」 を偲んで 88 4-5 2005 藤澤庸助 千国先生ありがとうございました 88 5-6 2005 佐藤幸子 千国先生とナニワナンキングモ 88 6-8 2005 小野展嗣 いつかどこかで(6)千国安之輔先生と大 図鑑 88 9-10 2005 新海 明 「ジョロウグモ」と「タコ部屋」 88 10-12 2005 池田博明 千国安之輔先生とユキノシタ 143

88 12-13 2005 加村隆英 22 通のお手紙 88 13-15 2005 萩野康則 お会いしたことのない千国先生へ 88 15-18 2005 徳本洋 故千国安之輔先生と私 88 18-20 2005 貞元己良 千国先生を偲んで追悼採集会 88 21-22 2005 谷川明男 千国先生 88 23-28 2005 新海明 ジョロウグモの個体数の年変化(1994 年 ~2004 年の記録)および,その他のクモ 類での個体数密度の変化傾向 88 29-34 2005 西野真由子 マネキグモの産卵・出のう 88 35-46 2005 石本 舞・金田愛美・ ヒメグモの生活史を探る(1)母や親食い 池田博明 は無かった 88 47-49 2005 藤澤庸助 カネコトタテグモの新産地 88 50-51 2005 新海明 冬でも活動するクモ 88 51-52 2005 新海明 シノビグモの分布に思う,クモの探し方 88 52-54 2005 新海明 飼育下でオオジョロウグモの超能力を見 た!縦糸に粘球をつけた網 88 54-55 2005 平松毅久 オノゴミグモの記録 88 55 2005 高田まゆら チビサラグモの雄間闘争 88 56-64 2005 馬場友希 奄美大島・沖縄本島・久米島・渡嘉敷島 で採集したクモ 88 65-72 2005 谷川明男 奄美大島・西表島・与那国島・沖縄島・ 南大東島・北大東島で採集したクモ 88 73-81 2005 仲條竜太・植松いの 伊豆諸島新島のクモ類相 り・阿部晴恵・石井智 子・一條さくら・尾張 智美・五味真人・坂野 香織・櫻井あや・猿木 祥子・渋谷亮・篠崎智 也・塚本麻衣・成田遥 香・沼井英里・長谷川 雅美・水澤玲子・山中 康弘 88 82-89 2005 新海明・谷川明男 東京蜘蛛談話会 2005 年度合宿報告 佐賀 県湯の原・金刀比羅神社周辺のクモ 88 90-105 2005 新海明・谷川明男 文献による奈良県産クモ類目録 88 106-122 2005 新海明・谷川明男 文献による山梨県産クモ類目録 89 1-5 2006 追悼 萱嶋泉先生 89 6-7 2006 新海栄一 前夜式における先生に捧げる言葉 89 8-9 2006 小澤實樹 <ウッ・ワッハッハな童話作家> 89 10-11 2006 新海 明 掌のなかで・・・ 89 12 2006 松本誠治 感謝 89 13 2006 小野展嗣 一飯の恩義 89 14 2006 中島晴子 萱嶋先生と「ヤモリの歌」 89 15 2006 長島忠義 萱嶋先生とペナン 89 16-18 2006 池田博明 萱嶋先生のお話 89 18-19 2006 貞元己良 わが師,萱嶋泉先生を偲んで 89 20-22 2006 萩野康則 三会合同例会と萱嶋先生

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89 22-23 2006 平松毅久 「仏の顔」の萱嶋先生 89 23-24 2006 笹岡文雄 私は萱嶋チルドレン 89 24-26 2006 八幡明彦 萱嶋先生の導き 89 26 2006 甲野涼 萱嶋泉先生 ありがとうございました 89 26-27 2006 谷川明男 トゲグモからツキジグモまで 89 28-38 2006 八幡明彦 横尾文子さん:「古代土蜘蛛の正体」2002 年日本蜘蛛学会大会(鹿児島県加治木町) クモ・フェスタ 主題講演録 2002.8.24 付・2005 年東京蜘蛛談話会佐賀合宿資料 89 39-42 2006 笹岡文雄 北関東 3 県(群馬・栃木・茨城)におけ るキシノウエトタテグモについて 89 43-48 2006 徳本洋 石川県でのマルゴミグモの分布ならびに 好適環境特性 89 49-51 2006 新海明 シンカイ風「一例観察」の和え方 89 52-56 2006 新海明 ワスレナグモへの悔悟 89 57-62 2006 西野真由子 マネキグモの生態観察・補遺 89 63 2006 笹岡文雄 但馬地方のワスレナグモについて 89 63-64 2006 新海明 オオジョロウグモはセミが「お好き」 89 64-65 2006 小笠原幸恵 名古屋市でヨシダサヤヒメグモを採集 89 65-66 2006 仲條竜太 伊豆諸島鵜渡根島のクモ 89 66-67 2006 平松毅久 京都府船井郡八木町のクモ 89 67-68 2006 平松毅久・谷川明男・ 熊谷市荒川河川敷のクモ 馬場友希 89 68 2006 池田勇介 佐賀合宿追加記録 89 69-72 2006 馬場友希 トカラ列島の中之島・宝島で採集したク モ 89 73-77 2006 平松毅久 徳島県南部で採集したクモ 89 78-80 2006 平松毅久・初芝伸吾・ 奥秩父のクモ 甲野 涼 89 81-102 2006 仲條竜太 文献による徳島県産クモ類目録 89 103-109 2006 仲條竜太・長谷川雅 徳島県伊島のクモ類 I 美・一條さくら・植松 いのり・五味真人・土 屋裕子・西口永修・深 澤悟・三輪雄佑・松尾 梨加・三村慶太・水澤 玲子・黒住耐二 89 110-136 2006 増原啓一 山口県産クモ類目録 89 137-156 2006 入江照雄 熊本県産クモ類目録 89 157-164 2006 初芝伸吾・甲野涼 東京蜘蛛談話会 2004 年度観察採集会報 告 御岳渓谷のクモ類 89 165-167 2006 谷川明男 徳之島のクモ類採集記録 90 1-7 2006 西野真由子 ジョロウグモの産卵行動に及ぼす気温の 影響 90 8-10 2006 新海明 イセキグモ類との遭遇 90 11-16 2006 藤澤庸助 野鳥が雛に給餌したクモ類 90 17-21 2006 新海明 ワスレナグモに関する覚え書き

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90 22 2006 松本誠治 スズミグモ 90 22 2006 伊藤透・初芝伸吾 カトウツケオグモ山梨県にて確認 90 23 2006 初芝伸吾 クサグモの出嚢後の卵嚢に潜んでいたク モ類と昆虫類 90 24 2006 初芝伸吾 コアシダカグモの捕食例 90 24 2006 初芝伸吾 コオニグモモドキの捕食例 90 25-26 2006 初芝伸吾 コオニグモモドキは落葉広葉樹林に,ヨ ツボシサラグモ類はスギ植林に多い? 90 26-27 2006 新海明 トゲゴミグモの占座姿勢と餌捕獲 90 27 2006 工藤泰恵 シロカネグモの一種の脱皮例 90 27 2006 初芝伸吾 神奈川県川崎市黒川でのアシナガカニグ モの記録 90 27-28 2006 谷川明男 屋久島にオオジョロウグモ定着か 90 28 2006 初芝伸吾 イソコモリグモの捕食例 90 29-33 2006 馬場友希 八重山諸島(石垣島,西表島,与那国島) で採集したクモ 90 33-36 2006 馬場友希 佐賀県で採集したクモ 90 36-37 2006 馬場友希 対馬で採集したクモ 90 37-40 2006 馬場友希 福岡県で採集したクモ 90 40-41 2006 谷川明男 渡名喜島のクモ類採集記録 90 41-43 2006 谷川明男 トカラ列島中之島のクモ類 90 44-51 2006 池田博明 2005 年度 東京蜘蛛談話会 観察採集会 伊勢原市・吾妻山のクモ 90 52-61 2006 新海明・谷川明男 東京蜘蛛談話会 2006 年度合宿報告島根 県大田市温泉津(ゆのつ)温泉周辺のク モ 91 1-2 2007 奥村賢一 雲仙山系におけるイシサワオニグモの垂 直分布 91 3-6 2007 新海明 コガネヒメグモの飼育観察(新海栄一氏 による報告の抄録) 91 7-12 2007 西野真由子 造網場所から探るジョロウグモの産卵部 位選択 91 13-14 2007 新海 明 ジョロウグモ大爆発! 91 15-20 2007 加藤むつみ トゲグモの飼育記録から分かる事:成長 と寿命 91 21-33 2007 新海明 イソウロウグモ類のホストの一覧 91 34-38 2007 笹岡文雄 東京 23 区におけるキシノウエトタテグ モの生息地点 91 39 2007 高津佳史 ムツトゲイセキグモを静岡県三島市で観 察 91 39 2007 高津佳史 4 年目のジグモ 91 40 2007 奥村賢一 ミヤグモの単眼欠失個体 91 41 2007 笹岡文雄 他の個体の廃巣を利用したキシノウエト タテ 91 41-42 2007 馬場友希 季節はずれのチュガタシロカネグモの採 集例 91 42 2007 平野健一 福島県でニシキオニグモの採集記録報告 91 42-43 2007 仲條竜太・植松いのり 伊豆諸島新島のクモ II 146

91 43 2007 仲條竜太 八丈小島のクモ 91 43-44 2007 馬場友希 徳之島で採集したクモ 91 44-45 2007 馬場友希 熊本県で採集したクモ 91 46-47 2007 馬場友希 奄美大島で採集したクモ 91 47-48 2007 馬場友希 四国(高知県・愛媛県)で採集したクモ 91 49-56 2007 馬場友希 福岡県能古島のクモ 91 57-69 2007 新海明・谷川明男 文献による佐賀県産クモ類目録 91 70-75 2007 藤澤庸助 長野県クモ類目録(第 2 報) 92 1-10 2007 貞元己良 島根県は我々を待っていた 92 11-12 2007 西教生 ヤマドリのそ嚢から発見されたワカバグ モついて 92 13-16 2007 平松毅久・初芝伸吾 「Wanted !! このクモを探せ」 92 17-21 2007 新海明 クモの網から餌を盗む「生きもの」たち 92 22-26 2007 西野真由子 野外における産卵後のジョロウグモ 92 27-32 2007 新海明 絡新婦はジョロウグモなのか─ 江戸時代 のクモ,その新たな見方 ─ 92 33-38 2007 新海明 イソコモリグモ探蛛行(新潟編) 92 39-52 2007 新海明 ワスレナグモの全国分布調査結果 92 53-54 2007 新海明 ワクドツキジグモの採集記録の一覧 92 55-63 2007 吉田哉 山形県庄内砂丘のイソコモリグモ 92 64 2007 平松毅久 埼玉県における珍しいクモの記録 92 64 2007 平松毅久 埼玉県秩父市のワスレナグモの記録 92 64-65 2007 笹岡文雄 東京・湾岸で採集されたタイリクユウレ イグモ 92 65 2007 仲條竜太 竹富島で採集したクモ 92 66-70 2007 笹岡文雄 伊豆大島のトタテグモおよびその他のク モ 92 71-74 2007 仲條竜太・原口岳・中 冬の伊豆大島から採集されたクモ 西亜耶・久保真司 92 75-89 2007 初芝伸吾 国立市のクモ類(第 1 報) 92 90-98 2007 松田まゆみ・須藤昌子 北海道,留萌市のクモ 92 99-106 2007 木村知之 東京蜘蛛談話会 2006 年度観察採集会報 告 片倉城跡公園のクモ 92 107-126 2007 新海明・谷川明男 文献による静岡県産クモ類目録 93 1-5 2008 斎藤愼一郎 民俗学的に見た「ナガコガネグモ相撲」 考 93 6-12 2008 新海明 イソコモリグモ探蛛行(青森編) 93 13-22 2008 桑田隆生・境 武志 日本大学理工学部船橋キャンパスおよび 周辺地域における準絶滅危惧種ワスレナ グモ Calommata signata の分布 93 23-26 2008 西野真由子 コガネグモの味覚と記憶-フリッシュの 実験に感化されて- 93 27-36 2008 石本舞・金田愛美・池 ヒメグモの生活史を探る(2) 母親の世話 田博明 の意義 93 37-48 2008 斎藤愼一郎 マミクロハエトリとはどんなクモか 93 49-51 2008 仲條竜太 このクモを探せ No.3,キクメハシリグモ 93 52-53 2008 初芝伸吾 このクモを探せ No.4,コケオニグモ 147

93 54-55 2008 萩野康則 千葉県の住宅地で採集されたムツトゲイ セキグモとツシマトリノフンダマシの記 録 93 55 2008 高津佳史 沖縄,泡瀬干潟のヤマトウシオグモ 93 56 2008 荘司康治郎 東京都のマルゴミグモ 93 56-57 2008 荘司康治郎 ヤマゴミグモの威嚇行動 93 57 2008 笹岡文雄 栃木県で記録されたキノボリトタテグモ 93 58 2008 仲條竜太・五味真人 スジブトハシリグモがオタマジャクシを 捕らえたが... 93 58-59 2008 仲條竜太 八丈島のクモ 93 59 2008 仲條竜太 八丈小島のクモ II 93 60-61 2008 仲條竜太 神津島のクモ 93 61-62 2008 仲條竜太 徳島県海部郡牟岐町出羽島のクモ 93 62-63 2008 仲條竜太 式根島で採集したクモ 93 63 2008 仲條竜太 小笠原諸島母島のクモ 93 63-64 2008 植松いのり 粟国島のクモ 93 64-65 2008 笹岡文雄 伊豆大島のクモ類 追加 93 65-67 2008 谷川明男・馬場友希 南西諸島のクモ類追加記録 93 68-71 2008 中西亜耶・仲條竜太 徳島県伊島のクモⅡ 93 72-76 2008 仲條竜太・中西亜耶 伊豆諸島利島のクモ I 93 77-84 2008 笹岡文雄 伊豆諸島・利島のクモ類 94 1-10 2008 八幡秋山沙和 ズグロオニグモの研究 94 11-14 2008 新井浩司 「あいのこ」トリノフンダマシに関する 情報 94 15-22 2008 徳本洋・新海栄一・貞 富山県におけるイソコモリグモの絶滅 元己良 94 23-30 2008 新海明 陸中海岸でイソコモリグモの大産地を発 見 94 31-34 2008 新海明・谷川明男 九州地方のキムラグモ類とトタテグモ類 の採集記録(両者の混棲,トタテグモ類 の二枚扉の住居例) 94 35-41 2008 西野真由子 野外におけるコガネグモ幼体の占座の限 界気温と日周行動 94 42 2008 新海明 「あいのこ」トリノフンダマシ採集の記 録 94 43 2008 笹岡文雄 キノボリトタテグモの産卵数に関する一 事例 94 43-44 2008 新海明・谷川明男 ハタチコモリグモは地中に管状住居を作 る? 94 45 2008 仲條竜太 青ヶ島のクモ 94 46-50 2008 笹岡文雄 文献調査による伊豆・小笠原諸島のトタ テグモ類 94 51-58 2008 貞元己良 庄内平野で採集したクモ 94 59-81 2008 野嶋宏一 岡山県産クモ類目録 94 82-98 2008 緒方清人 愛知県産クモ類目録 95 1-12 2009 貞元己良 ハラビロササヒメグモとフタホシヒメグ モ(香川県の合宿に参加して)

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95 13-16 2009 小松貴 アリの巣に住むクモ,ウスイロウラシマ グモについて 95 17-22 2009 小関峻徳・加倉井駿 チュウガタシロカネグモの生活史 也・児島寛之・池田博 明 95 23-26 2009 西野真由子 ジョロウグモの越冬卵死亡の危険因子の 分析 95 27-31 2009 相馬なおみ・仲條竜 千葉県白井市におけるコガネグモの生息 太・長谷川雅美 環境 95 32-33 2009 荘司康治郎 シロオビトリノフンダマシの卵のう 95 33-36 2009 笹岡文雄 伊豆諸島・八丈島のクモの小記録 95 36 2009 仲條竜太 八丈小島のクモ III 95 37-38 2009 笹岡文雄 文献調査による伊豆・小笠原諸島のトタ テグモ類 追補 95 39-48 2009 新海明・谷川明男 東京蜘蛛談話会 2008 年度合宿報告香川 県高松市塩江温泉と五色台周辺のクモ 95 49-52 2009 仲條竜太・柊雅実・中 伊豆諸島三宅島で採集したクモ 西亜耶 95 53-56 2009 仲條竜太・中西亜耶・ 伊豆諸島御蔵島で採集したクモ 柊雅実 95 57-80 2009 馬場友希・新海明・谷 文献による福岡県産クモ類目録 川明男 95 81-86 2009 笹岡文雄 伊豆諸島・青ヶ島のクモ類 95 87-96 2009 水山栄子・山根尚子・ 土浦市宍塚のクモ 深澤由憙子・久地岡美 保・薄井由美子 96 1 2009 小澤寛樹 「KISHIDAIA・40 周年記念号」の表紙に 寄せて 96 2-4 2009 井上尚武 40 周年おめでとう 96 4-5 2009 加藤康子 クモとの出会い 96 5-7 2009 新海 明 「夢」のつづき 96 7-9 2009 谷川明男 目の前の視界が開けるとそこは崖だった りして 96 9-12 2009 荘司康治郎 祝「KISHIDAIA」発刊 40 周年 96 12-13 2009 池田博明 クモの名前について 96 14-15 2009 笹岡文雄 これからの 40 年に向けて 96 15-16 2009 中島晴子 「40 周年記念号」に寄せて 96 16-18 2009 萩野康則 KISHIDAIA と TAKUWAIA 96 19-31 2009 張替智行 ムツトゲイセキグモの飼育報告 96 32-36 2009 西野真由子 有効積算温度を用いたジョロウグモの出 のう時期の予測 96 37-42 2009 徳本洋・八幡明彦 真夏の昼のイソコモリグモ観察 96 43-47 2009 山本一幸 オオトリノフンダマシの卵のう作成 96 48-57 2009 山本一幸・安岡政則 ムツトゲイセキグモの産卵と卵のう作成 について 96 58-62 2009 新海明 「椎葉村」と「西米良村」こそ秘境だ(キ ムラグモ探訪記)

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96 63-67 2009 井上尚武 茨城県のイソコモリグモ(1)発見のいき さつ 96 68-74 2009 藤澤庸助 アオオビハエトリのアリを狩る行動等の 観察例 96 75-80 2009 藤澤庸助 ジョロウグモ生息の標高上限調査報告 (2008 年) 96 81-88 2009 佐藤幸子 オオトリノフンダマシの造網 観察日記 96 89-98 2009 平松毅久 ゴミグモの「ゴミリボン」から吸汁して いたヤマトシリアゲ 96 90 2009 平松毅久 ムナボシヒメグモがクスミサラグモを捕 食 96 90-92 2009 藤澤庸介 長野県産ハリゲコモリグモ複合群の見直 し結果と県産初記録種の報告 96 92-93 2009 荘司康治郎 東京都において記録の少ないクモの採集 情報 96 94 2009 仲條竜太・中西亜耶 徳島県海部郡牟岐町出羽島のクモ II 96 95 2009 高橋登 三宅島のクモ 96 96 2009 高橋登 クモの卵のうを食べる昆虫 96 97-107 2009 初芝伸吾・甲野 涼 東京蜘蛛談話会 2007 年度合宿報告 東京 都奥多摩町のクモ類 96 108-110 2009 中西亜耶・仲條竜太 徳島県伊島のクモ II 97 1-7 2010 池田博明 ヒメグモのオス間闘争 97 8-12 2010 西野真由子 ジョロウグモの複数回産卵と繁殖及び出 のうに影響を及ぼす要因 97 13-14 2010 池田博明 繁殖期のヒメグモの生息する高さ 97 15-16 2010 池田博明 ヒメグモの和名について 97 17-19 2010 藤澤庸助 ミヤマナンキングモ多産地点との出会い 97 20-23 2010 新海明 「京都から越後へと」イソコモリを求め て 97 24 2010 中島晴子 アズチグモから線虫が出た 97 24-25 2010 平松毅久 ジョロウグモの網に入っていたクロマル イソウロウグモ 97 25-26 2010 平松毅久 子グモがふ化するまで卵のうを守る?マ ルコブオニグモ 97 26-27 2010 谷川明男・新海 明 イソコモリグモは,福島県にはどこにも いないが,茨城県高萩市にはたくさんい る 97 27-28 2010 谷川明男 ムツトゲ日誌のムツトゲ成長記録 97 28 2010 池田博明 ジョロウグモがジョロウグモを捕食 97 29 2010 山本一幸 シロオビトリノフンダマシの卵のう作成 97 30 2010 山本一幸 産卵直後に交接をしたエゾアシナガグモ 97 31 2010 高津佳史 ゴミグモの巣上で吸汁したヤマトシリア ゲの観察例 97 31-32 2010 高津佳史 ヤマトウシオグモは昼間何をしているの か? 97 32-33 2010 新海明 安芸の宮島で見たキシノウエのようなキ ノボリの住居 97 33-34 2010 藤澤庸助 ジョロウグモの耐寒力に関して"たったの

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2 例からですが" 97 35 2010 馬場友希 5 月におけるコゲチャオニグモ成体の採 集例 97 35 2010 笹岡文雄 東京・世田谷区で採れたマルゴミグモ 97 36 2010 武田勇人・谷川明男 ウシガエルに食われたクモ 97 36-37 2010 藤澤庸助 ギンメッキゴミグモも北上顕著か? 97 37-38 2010 笹岡文雄 宮城県仙台市におけるキシノウエトタテ グモの分布状況 97 38-39 2010 平野健一 福島県でのアカオニグモの採集記録 97 39-40 2010 馬場友希・栗原隆 福島県檜枝岐村で採集されたクモ 97 40 2010 馬場友希・栗原隆 山梨県鳴沢村で採集されたクモ 97 40-43 2010 馬場友希 沖縄本島で採集されたクモ 97 43-45 2010 馬場友希・吉武啓 茨城県南部で採集されたクモ 97 45-46 2010 馬場友希・吉武啓 岩手県岩泉町で採集されたクモ 97 47-54 2010 笹岡文雄 伊豆諸島・新島のクモ類 97 55-58 2010 笹岡文雄 伊豆諸島・八丈島におけるトタテグモ類 とその他のクモ 97 59-67 2010 馬場友希 千葉県松戸市「21 世紀の森と広場」のク モ 97 68-76 2010 三谷進・谷川明男 香川県各地のクモ類の採集記録 97 77-83 2010 荘司康治郎 東京都立石神井公園のクモ 97 84-104 2010 馬場友希・吉武啓・平 茨城県南部の農地で採集されたクモ標本 館俊太郎・楠本良延・ 目録 栗原隆・吉松慎一 98 1-3 2010 新海明・杉本雅志・谷 ワクドツキジグモの網,日本でついに発 川明男 見 98 4-15 2010 貞元己良 女神の微笑み 98 16-20 2010 西野真由子 産卵が早いと出のうも早い:葉に産卵さ れたジョロウグモの卵のう 98 21-32 2010 池田博明 ハエトリグモの学名の解説(2) アリグ モ物語 98 33-37 2010 新海明 津軽半島斜陽館から新潟へ イソコモリ を求めて 98 38-40 2010 荘司康治郎 シロオビトリノフンダマシの卵のう寄生 蜂 98 41-42 2010 藤澤庸助 ヒメハナグモと出会いの記 98 43 2010 貞元己良 都内でクロガケジグモを採集した 98 43-44 2010 笹岡文雄 住宅地,屋内で採集されたヤマトヤギヌ マグモ 98 44 2010 笹岡文雄 ジョロウグモの共食い 98 44-45 2010 新海明 スズミグモの網をあきる野市で発見 98 45 2010 新海明 アズチグモがクモを捕食 98 45-46 2010 馬場友希・吉武啓 沖縄島で採集されたクモ 98 47-48 2010 馬場友希・吉武啓 茨城県南部で採集されたクモ II 98 49-54 2010 藤澤庸助 須坂市の高地におけるクモ類の採集記録 98 54-58 2010 馬場友希 千葉県で採集されたクモ 98 59-129 2010 谷川明男 日本産クモ類目録 ver. 2010R2 151

99 1-5 2011 西野真由子 イエユウレイグモの産卵期 99 6-8 2011 藤野知弘・池田 博明 座間市のクモ調査ノート(2)神奈川県立 座間谷戸山公園のカネコトタテグモ 99 9-10 2011 山本一幸 アカイロトリノフンダマシの交接 99 11-19 2011 中島はる 蜘蛛と音楽 第一章・第二章(全四章) 99 20-22 2011 新海明 天草の「謎」-キムラグモの空白地 99 23-26 2011 新海明 キムラグモを求めて ~佐多岬は遠かっ た 99 27 2011 水山栄子 ワクドツキジグモを横浜市内で発見 99 27-28 2011 萩野康則 千葉県野田市の温室内で採集されたクロ ガケジグモ 99 28 2011 中島晴子 東京都目黒区のマルゴミグモ 99 29 2011 笹岡文雄 シロカネイソウロウグモが網に侵入した クモ類につい 99 29 2011 馬場友希・栗原隆 北海道北見市常呂町で採集されたクモ 99 30-31 2011 馬場友希・松村雄 マレーズトラップによる石垣島のクモ 99 32-37 2011 笹岡文雄 伊豆諸島・神津島のクモ類 99 38-44 2011 笹岡文雄 伊豆諸島・三宅島における地中性クモ類 及びその他のクモ 99 45-53 2011 荘司康治郎 多摩川是政橋近辺のクモ 99 54-68 2011 池田博明 東京蜘蛛談話会 2010 年度飯豊山麓合宿 報告山形県小国町のクモ 100 1-3 2012 新海栄一 KISHIDAIA 100 号に感謝を込めて 100 4-5 2012 小澤實樹 蜘蛛曼荼羅を思う 100 6-7 2012 南部敏明 蜘蛛と私 100 7-9 2012 藤澤庸助 私の入会 14 年間の足跡 100号発行記念 にそえて 100 10-11 2012 萩野康則 高嶺の花の KISHIDAIA 100 11-12 2012 笹岡文雄 そして 100 号,されど 100 号 100 12-13 2012 谷川明男 100 号記念,雑感 100 13-14 2012 石川奈美江 キシダイア 100 号発刊によせて 100 15-33 2012 中島はる 蜘蛛と音楽 第三章・第四章 (全四章) 100 34-36 2012 谷川明男 大津波とイソコモリグモ 100 37-45 2012 佐藤由美子・西村知 餌種と餌サイズに関するアオオビハエト 良・安倍弘 リの捕食選好性 100 46-48 2012 西野真由子 スズミグモの越冬 100 49-54 2012 貞元己良 師弟の絆,いま再び.~もてぎ編 100 55-59 2012 張替智行 ワクドツキジグモの飼育報告 100 60-65 2012 張替智行 飼育下におけるワクドツキジグモの網の 記録 100 66-68 2012 本多佳子 顕微鏡下で観察したクサグモ幼体の初回 脱皮 100 69-72 2012 はまぐちゆうだい 水元公園のたのしいクモたち 100 73-80 2012 吉田嗣郎 ムツトゲイセキグモ 主に多産地での観 察・生態・蛾の同定・フェロモン 100 81-83 2012 池田博明 ボルネオにカラオビハエトリを求めて 100 84-87 2012 入江照雄 熊本県から得られたクロナンキングモの

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雌雄モザイクについて 100 88-98 2012 谷川明男・新海明 日本でのイソコモリグモの分布 100 99 2012 藤澤庸助 ミヤマシボグモモドキの雄の奇妙なしぐ さ 100 100 2012 中澤均 八王子市内でワクドツキジグモを発見 100 101 2012 山本一幸 オオヒメグモの網に居たアカイソウロウ グモ 100 101-102 2012 池田博明 こどもクモ博士という試み 100 102-104 2012 池田博明 母グモはもっとも新しい卵のうのそばに いる 100 104-105 2012 浅間茂 コケオニグモと紫外線 100 105-107 2012 入江照雄 熊本県産クモ類目録の追加 100 108-112 2012 笹岡文雄 伊豆諸島・式根島における地中性クモ類 及びその他のクモ 100 113-116 2012 須黒達巳 長崎県壱岐島のクモ 100 117-154 2012 Kishidaia 1 号~100 号総目次

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お知らせ 筑波大学名誉教授・関口晃一氏が 2012 年 2 月逝去されました.関口先生は東京蜘蛛談話会 の会員ではありませんが,大学はもとより著作を通しても多くの蜘蛛研究者を育成されました. そこで次号に追悼文を募集します.編集幹事までお寄せ下さい.

編集後記 大変お待たせいたしましたが,Kishidaia 100 号記念号がようやく完成しました.つい数年 前に 40 周年記念号を作成したばかりにもかかわらず,たくさんのご投稿をいただきありがと うございました.今後とも引き続き積極的なご投稿をお願いいたします.また,今回の編集に あたっては,新海 明さん,池田博明さん,谷川明男さん,須黒達巳さんに多大なご協力を頂 きました.ここにお礼申し上げます. (仲條)

東京蜘蛛談話会 運営委員 池田 博明・小野 展嗣・木村 知之・甲野 涼・新海 明・谷川 明男・仲條 竜太・萩 本 房枝・初芝 伸吾・安田 明雄・八幡 明彦 会 長:新海 栄一 185-0011 東京都国分寺市本多 1-6-6 本 部:小野 展嗣 305-0005 茨城県つくば市天久保 4-1-1 国立科学博物館動物研究部 会誌編集:仲條 竜太 194-0041 東京都町田市玉川学園 7-7-10-103 E-mail: [email protected] (原稿送付先)池田 博明 258-0018 神奈川県足柄上郡大井町金手 1099 E-mail: [email protected] 通信編集:谷川 明男 247-0007 神奈川県横浜市栄区小菅ヶ谷 1-4-2-1416 E-mail: [email protected] 事 務 局:初芝 伸吾 186-0002 東京都国立市東 3-11-18-203(有)エコシス E-mail: [email protected] 会 計:安田 明雄 231-0861 神奈川県横浜市中区元町 5-219 E-mail: [email protected] 郵便振替:00170-8-74885 東京蜘蛛談話会(年会費:一般 3800 円/学生 2000 円) 会計監査:梅林 力・加藤輝代子

KISHIDAIA No.100 2012 年 3 月 31 日 印刷 編集者 仲條 竜太 2012 年 3 月 31 日 発行 発行者 新海 栄一 発行所 東京蜘蛛談話会 茨城県つくば市天久保 4− 1− 1 国立科学博物館動物研究部 小野 展嗣 方 印刷 株式会社オーエム 大阪市東成区中道 4-5-14-101

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Bulletin of Tokyo Spider Study Group The Sppecial 100 th issue Mar. 2012 ─ ─ KISHIDAIA 100 ...... 1 KISHIDAIA 100 ...... 4 KISHIDAIA 100 ...... 6 14 100 ...... 7 KISHIDAIA ...... 10 100 100 ...... 11 100 ...... 12 100 ...... 13 ...... 15 ...... 34

...... 37 ...... 46 ...... 49 ...... 55 ...... 60 ...... 66 ...... 69

...... 73 ...... 81 ...... 84 ...... 88

...... 99 ...... 100 ...... 101 ...... 101 ...... 103 ...... 104 ...... 105 ...... 108 ...... 113 Kishidaia 1 100 ...... 117