Kishidaia 100 号に感謝を込めて

Kishidaia 100 号に感謝を込めて

KISHIDAIA 創刊 100 号記念 KISHIDAIA 100 号に感謝を込めて 東京蜘蛛談話会会長 新 海 栄 一 東京蜘蛛談話会会誌「KISHIDAIA」が 100 号を迎えることになった.1969 年 1 月 に第 1 号(大河内哲二氏編集・印刷)を発行して以来,本年(2011 年)まで 42 年間 にわたり KISHIDAIA の編集,版下作成,印刷,発行,発送に当たられた歴代の編集幹 事,各担当ならびに関係者,また原稿をお寄せいただいた会員の皆様に厚く御礼申し上 げる.そして今日 KISHIDAIA 100 号を発行できるのも,談話会設立の礎となり,40 年の永きにわたり,献身的なご努力と博愛の精神を持って,我々にクモの研究の面白さ, クモの世界の不思議さと奥深さ,さらに解明すべき多くの研究テーマを教えていただき, また 1965 年から 30 年間,ご自宅を例会場として,あるいは教室として,あるいは会 員の交流の場として提供いただいた故 萱嶋 泉先生・満喜様ご夫妻のご厚情とご尽力が あったればこそと,ここにあらためて心より深く感謝の意を表する次第である. キシダイア(Kishidaia)は言うまでもなく,ワシグモ科ブチワシグモ属の名称で, 八木沼健夫先生が 1960 年に発行した「原色日本蜘蛛類大図鑑」の中で,新属として記 載し,日本蜘蛛学の祖である岸田久吉先生に献名した学名である.しかし今,この名前 は,クモの学名であるということより,東京蜘蛛談話会の会誌の名前だと思っている方 がいることを考えると,キシダイアが多くのクモ研究者に認知されていて,クモ研究の 上で大きな役割を果たしていることをうかがい知ることができる. 100 号を迎えてこの原稿を書きながら,キシダイアと言う名前をだれが言い出した のか考えているが,どうもはっきりした記憶が無い.談話会では 1968 年 12 月 21 日 に会誌の発行を決定したことは以前書いたが,その前段として会誌の発行と会誌名を何 にするかという話題は,すでに岸田先生のお宅で蔵書の整理をしながら出ていて,キシ ダイアもその中の候補として挙げられていた.会誌には岸田先生の蔵書目録と,先生の 遺稿,それとクモに関する研究論文を載せる.ページ数は多くなくてもいいから一人 1 号を担当して毎月 1 回出していく.というところまでは良く覚えているが,だれが名 称についての提案をしたのかははっきりしていない.ただ当時のメンバーは全員が Kishidaia の学名を知っていたので皆がそう思っていたことは間違いない.キシダイア と言う会誌名が決定した時,萱嶋先生は大変喜んでおられたので,先生も最初から会誌 名はキシダイアにしたいと考えていたのではないかと,今,思い起こしているところで ある. KISHIDAIA 第 1 号の冒頭,萱嶋先生の「キシダイアの発行にあたって」の文中には 次のような文面がある. 1 「私共は岸田先生の蔵書の膨大であるのに驚き,また,貴重な書物の多いのにも敬 服したのである.さらに岸田先生の未発表の多方面にわたる論文の原稿に接した時, なんと偉大な先生であったろうと,感激した次第である.この先生を何とかして後世 に伝えるのは私共,談話会の仕事ではないかと考えるようになった.そこでレギュラ ーメンバーで知恵をしぼった結果,考えついたのが,キシダイアの発行であった.」 この萱嶋先生の冒頭の挨拶のとおり,岸田先生の部屋には多方面にわたる多数の未発 表原稿が残されており,その中から当時発表可能と思われる原稿を選び順次掲載するこ ととした.キシダイア第 1,2,4 号には「クモの称呼」,第 8 号には「キブネグモの 記」を,第 10 号には「シナノトタテグモ(岸田久吉新称)(カネコトタテグモ)」, 「日本帝国産原始蜘蛛類に就いて」等を掲載している.また第 1~3 号にかけては「岸 田久吉氏蔵書目録(真正蜘蛛類)」を掲載した.キシダイアはその後,談話会員のクモ の研究原稿を中心に次第にページ数を増やし,10 年後の第 44 号は 30 ページ,20 年 後の第 58 号は 91 ページ,30 年後の第 76 号は 102 ページ,40 年後の第 96 号は 112 ページと,第 1 号を発行した時には考えてもいなかった大発展を遂げているので,岸 田先生も萱嶋先生もたいへん喜ばれているのではないだろうか. キシダイアは前述のとおり,岸田久吉先生の業績を後世に伝えるために発行された会 誌である.現在はその目的を果たしつつ,クモ研究者の自由な発表の場として大きく発 展しているキシダイアであるが,100 号に当たり,岸田先生を知る最年少のクモ研究 者として先生について少しふれさせていただく. 岸田久吉先生の研究分野はきわめて広範で,クモ形類,多足類,昆虫類,爬虫類,魚 類,鳥類,哺乳類,さらに菌類など多岐にわたっていた.それは蔵書整理を行った者と して肌で感じている.蔵書は前記分野の他に全ての動物群におよび,植物学の文献も多 数所蔵されていた.未発表原稿も同様に多くの分野にわたり,クモ類では新種記載が多 数存在したが,残念ながら標本がまったくというほど残っておらず,E.Schenkel のよ うな遺稿による新種記載を出すことはできなかった.岸田先生が,日本の蜘蛛学界に残 された業績については八木沼先生が,「黎明期の日本のクモ学」(日本の生物 1987, 1988)の中で記されており,発表論文は H.Ono(2005 Journal of Arachnology, 33: 501-508)の中で全てが記録されている. 岸田先生はその研究分野があまりにも広すぎたため,また様々な雑誌の刊行に携わり, 多くの研究者の指導,論文校閲等にも力を注がれたため,自らの論文や主宰する雑誌な どの編集,発行が滞り,未完の雑誌や未記載で学名だけが先行した種が多く残されてし まっている.そのため,いくつかの研究分野の学者からは批判の声も挙がっているのも 事実である.しかしながら,近年,哺乳類や昆虫類の研究者を中心に岸田久吉の再評価 の動きが広がっている. 2006 年の日本哺乳類学会の自由集会では川田伸一郎(国立科学博物館)・安田雅俊 (森林総合研究所)両先生により「岸田久吉その封印された研究の先見性を探る」が企 画され,その趣旨文は次のようなものである. 2 「岸田久吉(明 21-昭 43)は大正から昭和初期にかけて日本およびその周辺地域 の哺乳類の分類学的・生物地理学的な研究を精力的に行い,数多くの著作を残してい る.彼は日本哺乳動物学会(1923)の設立メンバーであり,彼の「哺乳動物圖解」 (1924)は戦前の哺乳動物学におけるバイブルであった.しかしながら彼の研究は 現在文献として知られるものにとどまらず,多くの記載不十分な種名なども残し,結 果としてその後の哺乳類分類学に混乱をもたらしたのも事実であろう.そのことから, 哺乳類学における彼の業績にネガティブな評価がなされることがあるが,本来彼は蜘 蛛類の分類学者であったことを忘れるべきではない.岸田の関心は菌から哺乳類まで さまざまな分類群の分類,分布,生態に及んでおり,哺乳類での研究成果は一つのパ ーツに過ぎないことを考慮すると,彼の業績に対する再評価を余儀なくされる.彼は 戦前日本の博物学におけるスーパーマンであった.……以下話題提供タイトル他略」 「キシダイア」は,この博物学のスーパーマン岸田久吉の名を冠した世界で唯一の会 誌である.キシダイアと東京蜘蛛談話会は,これからも岸田先生の業績はもとより,岸 田門下の植村利夫,萱嶋 泉,吉倉 眞,小松敏宏,白 甲鏞,仲辻耕次,さらにその方々 から指導を受けた八木沼健夫,千国安之輔,中平 清,大熊千代子はじめ多くのクモ研 究者の業績と人物像を後世に伝え,日本のクモ学のさらなる発展のために邁進していく ことを誓い,キシダイア第 100 号発行に当たっての感謝の言葉とさせていただく. 3 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 KISHIDAIA 創刊 100 号表紙に寄せて 蜘蛛曼荼羅を思う 小澤 實樹 「もう 100 号!? いや,まだ 100 号!?」表紙図を依頼されて,ふとそんな思いがし ました.するとやがて,あの萱嶋 泉先生の「ウワッハハ・・・」と,大きな笑い声と, 円満なお顔が目に浮かびました. そして今「KISHIDAIA が 100 号」.萱嶋先生はこの号を,どの様にご覧になるだろ う.と,・・・.きっと,この号に至るまでの「KISHIDAIA」を振り返り,天空から 微笑んで見ておられることでしょう. 第 1 号発行の頃,新海栄一さん,松本誠治さんや大河内哲二さん,さらに小野展嗣 さんなどが,先生を囲んでクモ談義に花を咲かせていました.その花ややがてクモ仲間 を集めて,見な事な KISHIDAIA 集団を作りあげました.そして,さらに談話会は大き く成長して,この第 100 号が誕生したのです. プロもアマチュアもなく,常に観察することが尊重され,クモの世界が少しずつ解か れてきたのも,その根底にカヤシマイズムが流れているからでしょう.また近年では, 生物学としてのみならず,クモについての民俗学や文芸の世界にまで及ぶ,興味深い報 文が見られるようにまでなりました. そう云えば,古くギリシャ時代の神話にも登場するクモ.織姫のロマンは,今も生き ています.話は飛びますが,ただ只クモ好きなボクにとっては,クモの形態や生態は, そしてその摩訶不思議なクモ社会は,まさに曼荼羅そのものに思えるのです. クモが作る放射状に延びた細い何本もの縦糸と,巧みに紡いだ横糸との神秘的造形空 間は,人間の科学や芸術を超えているものとも思えます.その上クモは,無知・嫉妬・ 自惚・色欲・憎悪など人間の醜さをも呑み込んで,凛としているかに思えてきます. 糸を持って,時空をも操る魅力の生物・蜘蛛! KISHIDAIA はその一種に過ぎないで しょうが,表紙の図柄は,ヨツボシワシグモに「No. 100」を誇らしげにかかえ挙げて もらいました.クモ,その織姫たちの永久なる生息を祈り,東京蜘蛛談話会と, 「KISHIDAIA」の,益々の発展を心から願っています. 4 5 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 KISHIDAIA 創刊 100 号記念文 蜘蛛と私 南部 敏明 私が東亜蜘蛛学会(日本蜘蛛学会)に入ったのは 1970 年のことで,「ATYPUS」は No.53(Feb. 1970)から本棚に並んでいる.東京蜘蛛談話会に入ったのはずっと新し く,1998 年,「KISHIDAIA」 No.74 からのようである.高校時代から蜂の習性を 追いかけていて,その獲物のクモに興味を持ったのがきっかけだった.自分では特に何 もしたことはなく,もっぱら専門家に同定をお願いするという付き合いだった.もとも と蛇は平気で手で掴めるが,クモは嫌いだった.ところが蜂が麻酔して動かないクモを スケッチしたりしているうちに,しだいにかわいいと思うようになった.思い起こして みると,多くの方々のお世話になった.特に多くのクモを同定していただいた方々を挙 げると,植村利夫,大井良次,八木沼健夫,松本誠治,平松毅久の諸先生方であろうか. 都立小石川高校で生物研究会に入り,庭に営巣する蜂の習性を手探りで調べ始めてい た.植村利夫先生が生物の教師をされていたが,私が入学した時は他校に移られており おられなかった.1954 年の文化祭に植村氏が見に来られ,私が出していた蜂と獲物を 見てそのクモを同定して下さった.その後,何回もお宅に伺って,同定してもらったり いろいろお話を伺った.外国の本を見ながら,次々と名前を書いていかれる様子に,専 門家というのはこういうものかと,初めての体験だった.それまで同じ種だと思ってい たナミジガバチモドキとオオジガバチモドキが,獲物によってきれいに分けられること が分かり,2 種が混ざっていたことが分かったということもあった.ネコハエトリ・デ ーニッツハエトリ・ビジョオニグモ・ドヨウオニグモなど綺麗なクモが多数狩り集めら れているのに驚き,それらの名前に親しんでいった.北大へ行ってからも交流は続き, 北海道の日高のクモを送った中にエゾトタテグモが混じっていたり,多くのオニグモを 生きたまま送ったりした.植村先生の「オニグモの変異とその系統及び分布に関する研 究(1961)」には私の送った標本も使われている. 卒業後関東東山農事試験場に入り,三田久男氏と稲の害虫や天敵を調べたことがある が,「吹き飛ばし法」により水田のクモを調べている.よく入るクモに小形のサラグモ 科の何種かがいた.アカムネグモの仲間を同定してもらったのが大井良次氏だった.蜂 の研究も細々と続けていたが,ジガバチモドキ類の獲物なども同定してもらった. どういういきさつで同定してもらうようになったのかはっきりとは覚えていないが, 八木沼健夫氏にお願いするようになったのは,試験場を止めて教員になってからである. 埼玉県の秩父への途中,長瀞近くに宝登山神社があるが,そこで初めて見る蜂を採集し た.何回か通って♀♂が揃ったのでその専門家である常木勝次先生に送ったところ,新 種としてナンブジガバチモドキという名を付けて下さった.私の名が学名に残った最初 6 だった.翌年細い篠竹や木片にドリルで孔をあけたものを置き,休みごとに通って習性 を調べた.その狩り集めていたクモを八木沼氏に送ったところ,日本では報告のないも ので,新種ではなかったが,ナンブコツブグモという和名を付けてくれた.その後,日 本版のギネスブックの編集委員をされていたことから,日本最小のクモということでハ チの名前ともども,このクモの名前を載せてくれた(ギネスブック 87 年版). ジガバチモドキの仲間にはハエトリグモ科を中心に狩る種類が多い.当時分類が遅れ ていたらしく,特に専門としてやっておられる松本誠治氏に何度か同定してもらった. しかし殆ど幼生を狩っている種類もあり,確定できないものも少なくなかった.我が家 の庭に住んでいるキシノウエトタテグモを見てもらったこともある. 「埼玉県動物誌」の編集・調査員になり,また流行りのように各市町村が町史などの 編纂を行った時期があり,同時に現状を記録に残すということで,植物・動物・地質な どの報告書を出していた.県内に蜂をやる人がいなかったこともあり,同時に 5 つの 市町村を調べていたこともある.神泉村で偶然にカトウツケオグモを見付けたのもそん な調査の時だった.持ち帰って飼育を試みた.クモを飼うのは初めてで,餌の調達に苦 労した.残念なことに産卵せず,49 日後に死亡してしまった.この飼育の記録は私が 編集・印刷している「埼玉動物研通信」No.30(1999)に載せたが,その後,平松毅 久氏の勧めにより「KISHIDAIA」No.77(1999)に転載してもらった.なお,埼玉動 物研通信の方はカラーでより多くの写真が載っている.平松氏は「埼玉県動物研究会」 の会員でもあり,時々クモの報文を投稿してもらったり,蜂の餌となったクモなどの同 定をして頂いている.日本で初めて観察されたコウライクモカリバチの獲物のネコハグ モ,県内での新分布となるキノボリトタテグモなどが思い出深い. 日本のクモも植村先生に見てもらったころに比べると種類数も増え,学名や所属の変 更などもある.私の書いた蜂の習性の報告に出てくるクモも見直しが必要だろう.ナン ブコツブグモの近似種も記載され,ナンブジガバチモドキがどちらを狩っていたのかも 調査する必要を感じている. 最近昆虫学会を始めいろいろ入っている学会をそろそろ退会しようかと思うことが ある.しかしこれも一つのボランティアかと思い,なかなか決心がつかないでいる.ま あ,こんな会員がいるのもいいのではないかと思ったりしている. 私の入会 14 年間の足跡 100 号発行記念にそえて 藤澤 庸助 KISHIDAIA が 100 号の発行を迎えられて誠におめでとうございます.あわせて東京 蜘蛛談話会を創設してくださった故萱嶋泉先生を初めとする諸先生方,および諸兄の意 思を現在のように発展させてこられた皆様に心より敬意を表します. 私が東京蜘蛛談話会に入会したのは,平成 10 年(1998)8 月に日本蜘蛛学会 草津 7 KISHIDAIA 創刊 100 号記念 の立命館大で行われた大会の折でした.別室に陳列された KISHIDAIA No. 74 を手に とって見ると,すべて和文で書かれているのです.私でも読める!と即刻入会を申し込 みました. 私は日本蜘蛛学会への入会が 1960 年という痩せた古狸ですが,これがまた大変な居 眠り狸でありまして,入会したてのころこそ ATYPUS に投稿しましたが,後はほとん ど会費会員という存在でした.英語がダメな私は,ATYPUS が 100 号で終了した後は, Acta Arachnologica をただ眺めるだけの存在だったのです.その間にもよくもまあ, 生半可の居眠り狸が,市町村からの依頼に応じて地方誌の調査・執筆を引き受けてきた ものです.頼るは八木沼図鑑 86 年版と千国図鑑,大井さんのサラグモ科の記載論文 2 編ぐらいだったのですからひどく乱暴な話です.退職間近こそ新海栄一さんや小野展嗣 さん,松本誠治さんに同定をお願いするようになりましたが,それまでは時々今は亡き 千国先生のお世話になるだけでした.したがって間違いだらけのものを書いていたので す.まさに汗顔ものです.後世に残るものだけに,今もなお辛い思いを引きずっている のです. 大会に参加するようになってからは,談話会員の皆さんはじめ,多くの方とお会いで きて様々なことを学ぶことができました.ヒメグモ科でお世話になる吉田 哉さんとは 2002 年の加治木町大会の折に,小野さんの紹介で初めて会話を交わしたのです.談話 会の創始者・萱嶋 泉先生には,先の立命館大と 2000 年の東大で行われた大会でお会 いしました.いや,正直にいうと私は過去に 1 回だけ参加した,1980 年の八王子大会 でお会いしたかもしれません.驚いたことに先生は私の名を覚えていてくださいました. 東大大会の後「沖縄でお会いしましょう」とお葉書を頂いたのに叶わぬこととなってし まいました. 八木沼先生もそうでしたが,萱嶋先生もアマチュアを優しく包み込んで くださる雰囲気で,私のような者でもすぐ仲間に引き入れてくださって本当に感謝して います. 談話会の合宿に初めて参加したのは,2004 年の増穂町赤石温泉でのこと.新海 明 さんの強いお誘いを受けて参加を決めました.サラグモ科の同定をお願いしている齋藤 博さんが宿の玄関前で待っていてくださいました.そのときの齋藤さんの表情から,私 が若手の新鋭かと期待しておられたように察せられました.既に白髪の身で申し訳ない ことです.そのほかに新たに多くの会員さんとの出会いができ,いろいろ教えを受けま した.合宿では,採集技術をはじめ,知識面でもいかに私が未熟であるかということを 毎年思い知らされどおしです.池田勇介君にも脱帽です.歳を取るとこうも進歩が遅い ものかと我ながら呆れていますが,おかげで少しは六十の手習いの効が奏している気が します.とはいえ北海道では日を間違え,島根と山形は参加する気力が萎え,地元の立 科町では生来の方向音痴が露見し,ツインリンクもてぎでは夜間採集用の懐中電灯を忘 れる始末.そろそろ節目かなあと,案内がくるたびに思っています. さて,KISHIDAIA への投稿についてです.新海 明さんから「クモ類の県別目録を 作成しているので,長野県の資料をまとめて欲しい」というお誘いを数年前から幾度と なく受けていました.県産のクモを明らかにすることは千国先生から私に託された役目 8 でもあったのです.県下の各市町村誌と手持ちの標本をもとに種名の整理を続け,2004 年 1 月発行の No.85 に,何とか「長野県産クモ類目録」と銘打って投稿することがで きました.発表後,ただちに疑問種を具体的にご指摘いただいたのが齋藤さんでした. このことがサラグモ科の同定をお願いするきっかけとなったのです.後述する大学の同 期生からは,「目録のデータが県東部に片寄っているのに,表題が大きすぎる」と笑わ れてしまいました.県南部に位置する伊那方面の調査は一応やったのですが,そのまま にしておいたので,前出の諸兄をはじめ,林 俊夫さん,加村隆英さん,田中穂積さん, 井原 庸さん,谷川明男さん,池田博明さんに近年採取の標本も含めて見て頂き,No.91 に第 2 報として投稿することができました.前後して池田博明さんからはクモ生理生 態事典を頂きました.池田さんにはその後も原稿の内容が投稿に値するか助言を仰いだ りしています. 大学時代の生物研究室の同期会では「おれが死んだら,今まで集めた標本やデータ, 発表に至らない観察事例はどうなるだろう.子ども達はゴミに出してしまうだろうな.」 などと会話を交わしている昨今です.私が大学時代に志していた生態研究は,時間はか かるし一人では難しい分野です.信頼性を高めるほどのデータが集まりません.やがて 統計処理の方法も忘れてしまいました. というわけで,私もクモのちょっとした観察事例などを KISHIDAIA に投稿するよう に心掛けているわけです.おやっと興味をそそられるクモ類の動きを観察しても,同じ ような事例に再び出会う機会にはなかなか恵まれないのが普通だからです.そういう事 例も大勢の方から集めれば種独自の習性としての信頼度も高まるのではないでしょう か.ドラッグラインズはそのような意図があるようにも感じられます.若い方々が,多 くの個体を対象に,多くの観察を重ね,検討を加えながら実験も交えて信頼性を高めた 発表をされているのに比べて,何ともお寂しい内容でページを汚しているわけですが, そんな原稿でも採用してくださって感謝しております. こうして入会 14 年目にして 100 号の発行に立ち会うことができ,私にとっても喜 ばしいことです.ご生前の萱嶋先生から「長野県はクモの県として有名な所であります. 千国先生がそばに居られるのでうらやましく思います」というお葉書を頂いたことがあ りますが,現在は非力の私一人が残っているだけです.県ゆかりの著名な方々は幾人か おられますのに,みな県外でご活躍中です.昨年,加藤さんのお膝元で行われた渋谷大 会では京大在籍で長野市出身の院生さんからご挨拶をいただきましたが,談話会には入 会されていないと思います.仕方ありません.小野さんから「日本のクモの研究,もっ とも遅れているのは(中略)本州高地(標高 1,700 メートル以上)だけ」と激励を受

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