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Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 Secular in the Masses by

キーワード:JosquindesPrez,ミサ,サイコロ,キリスト教的数象徴 長尾義人* (平成12年9月20日受理)

はじめに [Harper:ibid.:37月この背景には,印刷術の発明が大き キリスト教的理念が西欧世界のあらゆる場面に浸透し, く寄与していたことも事実である。即ち,手写本によるそ 信仰が日常生活の中で確固として機能していた時代は, れまでの同一性の確保の困難さが克服され,同一性の保証 14世紀に至った時にその背後にあった様々な矛盾が現 される印刷によって様々な思想がそのまま伝播されたので 実のものとして現れてくる。しかし,一方で文化史的視 ある。しかし,この印刷術のもっ特性は,宗教的理念の調 点において見る時には,新しい知と感性の枠組みが華や 和と徹底化の手段として有用であったのと同時に,教会批 かに形成される「ルネサンス(Renaissence)」と呼ばれ 判への統一された反駁を可能にしたことも事実である。 る時代として捉えられてきているJ.Harperは, 「ルネ 一方,視点を音楽の分野の向けると,ここでも印刷術 サンスの知的,芸術的改革を生むことになった世俗社会 は,従来の筆写による誤記や改宜を避けることができ, の思想や哲学」について, 「これらの宗教的,世俗的知 貴重な手写本がかなり高価であったのに対して,それよ の流れは,中世後期の教会にとって大きな脅威」であっ りは安価であったことから音楽家の作曲作品の正確な記 たとしている[Harper:訳書2000:37]では,このような 譜に基づく伝播のために大きく貢献したのである。印刷 「教会にとって大きな脅威」,宗教的混乱による信仰意識 された楽譜自体は, 15世紀には既に存在していたので への疑念,そしてそれを覆い隠すような絃いばかりの知 あるが,移動植字法による画期的な多声音楽の楽譜印刷 性的美的文化活動の中にあって,音楽家たちはどのよう は,ヴェネ-ツイアのPetrucci(Ottaviano [dei]:1466- な創造的世界を鳴り響かせたのであろうか。ここでは, 1539)よって行われた。彼は, 1523年までに多声音楽(当 15世紀末から16世紀初頭に活躍し, D.J.Groutの言を 時は,スコアではなく声部本part-bookであったが)や 借りれば, 「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な人の 器楽作品の曲集を再版を含め59巻出版した。その中で ひとりで」あり, 「存命中に彼はど高い名声を得ていた もJosquinのミサ曲集が彼によって3巻(1502年, 1505 音楽家は少ないし,あとに続く音楽家たちに」, 「深くか 年, 1514年)も出版されている。 H.M.Brownによれば, つ永続的な影響を及ぼした」 [Grout:訳書1974:230]フラン 「ペトルッチはたったひとりの作曲家の作品だけを収め ス北東部出身のJosquin des Prezの初期のミサ曲であ た曲集をほとんど出版しなかった」のであるが, 「その る.'Missa di dadi'一に注目し,そこに見出される「世俗 ような曲集を1巻以上捧げた音楽家はジョスカン以外に 的(secular)」表徴を考察する。つまり,この考察によっ は」いなかったのである。 [Brown:訳書1976:177]このこ て,宗教音楽という形式が隠職として用いられ,それを とからも,当時のJosquinの音楽が広く受容されてい 読み解くことによって彼の時代の信仰の現実が浮かび上 たことがわかるのである。 がるのではないかと考えるからである。 このPetrucciによって出版されたJosquinのミサ曲 集の中で,特に目を引く奇想を持っミサがある。それが I. ''Missa di Dadi'.と呼ばれる作品である。彼の作品の多 Josquinが登場する直前に生じた教会の状況に関して, くが年代を確定することが難しく,幾っかの作品では彼 Harperは, 「中世の教会は,組織として他に例をみな の作品かどうかも議論されているのであるが,この作品 いほど巨大で複雑であった」としながらも, 「そこには, は,彼によるものであることが確認されており,その作 芸術,知性,祈りの栄光と共に,論争,堕落,宗教戦争, 曲様式から彼の比較的初期の作品であるとされている。 そして十四世紀の教会分裂(ローマとアヴィニョンに対 では,このPtrucci版におけるこの作品に施された奇想 立教皇の宮廷がおかれた)の醜聞」があったとし,さら とはどのようなものなのであろうか。 に続けて「新しい思想,改革,再評価が対立し,それ は,教会の安定した生活に健全なものではあったが混乱 Ⅱ. をもたらし」,その結果「不満は広がり,十五世紀末ま このミサ曲は,彼以前の作曲様式であるcantus firmus でに辛殊な批判が激しさを増していった」としている。 (定旋律:以後C.f.と表記する)に基づいて作曲されてい

・兵庫教育大学第4部(芸術系教育講座) 134

る。ここで彼が採用したc.f.は,イングランドの作曲家 この例でわかるように, Moutonの最初のsemibrevis Robert Mouton(1430頃-1476以降)の世俗的な三声部の は,この曲のc.f.の最初の音が2倍のbrevisになってい

ロンド一一IN'aray je jamais mieulx que j'ay?''のテノ るが,それぞれ次の音に関しては,両者とも完全tempus ル声部の旋律である。既に, 14世紀以降にみられるミ であるため,後者は符点付のsemibrevisのためにbrevis サ曲において,世俗的な旋律がc.f.として用いられてい の本来の音価ではなく, 1/3の時価が削られ,不完全 ることを考慮すれば, Josquinもこの様式に通じており, brevisとなっており,厳密に言えば,数学的に一律に それ自体は決して珍しいものではなかった。また,世俗 2倍化されているわけではない。しかし,視覚的には音 的な音楽が教会の重要なミサという神聖な場で歌われる 符の形状から2倍化されていると捉えられるのである。 ことに対しても, P.H.Langによれば,このような世俗 このように当時の白符定量記譜法においては,現在のよ 的な「旋律は,けっして元のままの歌詞と形で用いられ うに各音符が機械的に二分割されずに,三分割と使い分 はしなかった」ので, 「それらはテノール声部の中に組 けられており,そのために音符の分割には複雑な規則が み込まれ,結果的には,他の諸声部にすっかり覆い隠さ 存在していたのである。ここでは,それについて詳細に れ」, 「リズムが変えられ,あいまいにされた」 [Lang:釈 述べることはできないが,上記のように記された音符の 書1975:224f.]のである。それ故に,当時このような状況 時価がある条件下で柔軟に変化することによってリズム は,決して神への冒涜とは捉えられず,むしろ世俗音楽 自体に変化が生じてくるのである。そのために,中世に がミサ曲に用いられることによって聖別されたと考えら おける数的象徴理念が確固として通底していたことを十 れていたのであるOしかし, Langの言うようにc.f.に 分に認識しておく必要があるだろう。では, Josquinの おける世俗音楽が巧妙にパラフレーズされていることを このミサ曲において,幾っかのc.f.の前に描かれた「サ 考えると,その出典を知ることができたのは,おそらく イコロ」はどのような意味をもっていたのであろうか。 当時の優れた音楽家に限られており,それ故に,ミサ曲 ミサは,当然キリスト教世界においては最も重要な儀 に隠された意味は極めて暗号化されたものであったとも 礼であり,それを聴覚的に修飾するものとしての音楽は, 言えるであろう。 「親しみのある意味深い言葉の朗涌のみから構成されて さて, Josquinのこのミサ曲に再び視点を向けると, いる」のではなく, 「一連の劇的な行為の公開演奏を含 それを構成する4つの章,即ち, , Gloria, , んでおり,その行為の強さが適切な音楽的環境によって Sanctusにおけるc.f.が,その元となっている旋律の音 高揚されるのである」。 [Long:1989:2]教会という神聖 価とそこでc.f.として用いられる音価との比率を示すため な空間によって強化される信仰は,視覚的聴覚的或いは に一組のサイコロの図がc.f.声部の前に置かれているので 嘆覚的な要素によって達成されることになるのである。 ある。そして,そこに描かれた一組のサイコロの目がまさ 中でも,音楽的に伝えられる典礼的メッセージは,大聖 にその比率を表しているのである。 [Tablelを参照] 堂の空間に満ち,神の言葉が響きとなって聖職者や信徒 Table 1. に浸透していくのである。ミサ曲のこのような宗教的意 Kyrie[ W^m *こ- 由 4:l P3m 缶 6;I 味は, c.f.がいかに世俗的なものであったとしても,輿 e tF 義i 礼的テキストと音楽のみを考れば決して失われるもので はないであろう。 Kyric, ℡ 1=tQuitolーjS 由 8:Jcm血S 宙 一案 〟 漢, このような視点からJosquinのこの-'Missa di dadi'.

乍Inm 甘 : :, ] に立ち返ると, c.f.となっているMoutonのロンド一に ^打、 表されている古くからあるフランスの愛の歌が,宗教的 教訓的な象徴的隠職へと変容させるべくJosquinが意 O u nn* 一一一 Agnuり 図的に採用したということを想定することが可能であろ [Long: 1989:4] う。しかし,先の「サイコロ」の表示との関係を考える 例えば, KyrieIとKyrieHの前に置かれているサイコ と,単にそれがc.f.の比率を示す奇をてらったアイデア ロの目は,巨]巨]となっており, c.f.の置かれるテノ ではなく,そこには当時の世俗世界に悉く運命に対する ル声部の旋律の音価が元の旋律の音価の2倍になること 不確実性へのパ-スペクティヴが考えられるのである。 を示しているのである。 [Ex.1] 当時の人々の精神構造にうかがえる表層の宗教世界と深 Ex.1: 層の世俗世界という対照性が,ミサ曲という装置の中に Moutonのオリジナル¢凝律JosquinのKyrie Iのc.f.冒頭部分。 巧妙に隠されており, Josquinが指示したかどうかは不 .il二・・-二∵ 'J一三・・日13'、.、 II = e" * -- 詳であるが, 「サイコロ」の図像は,それを読み解く N'aray Kyru ための重要な手掛かりとなっていると考えられるのであ [MissenXVより] る。 Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 135

Ⅲ. とは,必ずしもみられない。緊張がとける,すると,ほ Josquinのこのミサ曲が何らかの「世俗的」隠境を内 んらいの霊の意識を刺激するはずのものが,すべてその 包しているとしても,それは常にキリスト教的世界との 力を失い,恐るべき日常卑俗事に堕し,彼岸のふうをよ 深い結びっきから決して逸脱するものではなかった。こ そおいながら,その実,おどろくほど現世的なものになっ の時期の宗教的な在り方について, J.Huizingaは,次 てしまう」 [Huizinga:ibid.:302f.]のである。 のように述べている。 ミサは,周知のようにキリスト教世界においては極め て重要な儀式であるが, 2つの大きな部分に分けること 「中世キリスト教社会にあっては,生活のあらゆる場面に,宗教的概念 ができる。つまり「朗読と祈りによる典礼と,パンとぶ がしみとおり,いわば飽和していた。すべての事物,すべての行為が,辛 どう酒を祝福して割き,感謝を捧げる典礼」 [Harper: リストに関連し,信仰に関わっていたのである。く中略>事物のすべての ibid.:35]である。そしてそれを執り行うのは,司式者と 宗教的意味を問う姿勢がみられ,かくて,内面の信仰はひらかれて,おど しての司祭であった。では,ジョスカンの時代頃までの ろくはどゆたかな表現を展開する」。 一般信徒たちは,この儀式にどのように関わってきたの [Huizinga:訳書1976:302] であろうか。 Harperはこの点に関して次のように述べている。す このように生活世界に浸透した宗教的意味は,逆に宗教 なわち, 「一般信徒がおかれた状況は今日とは大いに異 的な象徴を日常の中に見出そうとする傾向を生み出す。 なっていた」とし, 「中世の典礼には,彼らが主体的に それ故に, 「うっかりすると,聖と俗との境界のみうし 参加する余地はほとんどなかった」と断じている。彼ら なわれる危険が」あり, 「ある場合には,宗教がすべて は「受け身であり,ただ祈るけだった。小さい小教区教 をっっみこみ,日常生活がそっくりそのまま,聖性の高 会においてさえ,司祭は会衆から遠く離れて, [教会の] みにまで」高揚されるのであるが, 「ある場合には,堊 東端に位置していた。典礼の主要な儀式はスクリーン なる事物が,日常生活と分かちがたく結びついて,日ご (十五世紀までどの教会にもあった)の向こう側で行われ ろみなれた事物の領域へと押し下げられ」さえするので ており,まったくでないにせよ,よく見えなかったので ある[ibid.:313] ある。使徒書簡や福音書は,そうしたスクリーンの上か このような状況は,宗教音楽においても少なからず記 ら朗々と唱えられることもあっただろう。しかし聖別の 録されている。アメリカの音楽学者であるP.Nebleは, ようなミサの重要な箇所は,司式者たちの内輪で行われ, Josquinの宗教的モテトの当時における機能についての なにも聞こえてこなかった。そこでミサ典文が始まって 研究の中で,その宗教的役割から逸脱した演奏について いること,続いて司祭がパンとぶどう酒を祝福したこと, の例を幾つか示している。彼によれば,その頃ローマに あるいは(十三世紀以降の習慣で)司祭が聖別されたパン 在住していたフェッラーラの大使がその主人である男爵 を高く挙げて皆に顕示していること(聖体奉挙)を人々に に宛てた報告書の中で, 「サン・タンジェロ城で彼が教 告げ知らせるために,ベルが必要だった」のである。 皇レオ十世によって催された晩餐に出席し,教皇がまだ ([ ]内筆者の補足)[ibid.:63]しかし,一般信徒にはそこ テーブルについている時に, Josquinの"Salve regina で歌われる音楽に関しては聞くことができたであろう。 が演奏された」 [Noble:1985:9]と伝えている。これはま そして, SanctusとBenedictusの歌われた後に行われ さに典礼的な場とはかけ離れており,バロック音楽の る聖体奉挙(Elevatio)は,一般信徒が一連のミサという 「食卓の音楽」を妨裸とさせる場面である。また,この 劇的空間の中で最も実感できるクライマックスであった ような晩餐の音楽,或いは晩餐後の音楽として教皇庁で と考えられるのである。なお, Harperによれば, 「十 は頻繁に宗教的なモテトが演奏されていた事実を, Nob 五世紀後期までに,聖体奉挙のために多声モテトゥスを leは当時の年代記や日記から検証している。特に注目 ベネディクトゥスに代わって用いることも行われるよう すべきことは,感謝の祈りである奉献唱が歌われている に」なる。まさにこの瞬間に向けてすべてが収赦してい 間に聖体拝領の準備が行われ,撒番と司式者の洗手と続 くと言えるだろう。 き,次に密唱が沈黙の内に唱えられるのであるが, 16 そのようなミサの一連の経過とJosquinのミサ曲に 世紀初頭には,この部分での沈黙が長く続くことを避け 描かれている「サイコロ」の図像との問には,どのよう るために,モテトが挿入され歌われたのである。 [ibid.: な関連性があるのだろうか。 10]ここにおいてミサは,聖職者を含めた信徒たちにとっ て一種のスペクタクル的場となっていったことが伺われ Ⅳ. る。まさにLong-がいうように「公開演奏」としての傾 Josquinの作品に隠された数的な象徴に対する研究は, 向を持ってくるのである。 「この信仰の飽和状態にあっ 近年様々な方法によって解明されてきている。須貝は, ては,霊の緊張,真正の超越,現世からの解脱というこ Josquinの20曲のミサの分析に際して,作曲の方法に 136

よって三つのタイプに分類している。つまり長い音価に あるが,音楽そのものの構成よりも数的なものに固執す よるほぼ同じ音型のc.f.がテノル声部に置かれているも ることにより,若干の窓意的な読み取りも垣間見ること の,第二に,当時の作曲法の一つであるパロディー風の ができるが,それぞれがなんらかの象徴的な数を持って 手法を用いたミサ,最後に,パラフレーズされたc.f.を いることから考えれば,やはり, Josquinが自由な楽想 用いたミサの三種である。その中で,最初の手法である を駆使した結果,このような数的な枠組みを生み出し c.f.をテノル声部においた作品について須員は, 「テノー たとするには,あまりに整然とした数による支配は, ル・ミサ曲における定旋律は,あたかも建築物の土台や Josquin自身が意識的に数を考慮しながら音楽を構築し 柱のようなものとして考えられている」とし, 「他声部 ていったことを伺わせる。 の動きを規定しながらも,最終的にはそれらの旋律によっ このような数的な象徴性を中世やルネサンスの音楽の て覆い隠されてしまう」ことから, Josquinが定旋律を 中に求める努力は,近年多くの研究者によってなされて 選択するために明確な基準を持っていたとは考えられず, おり, J.S.Bachの作品の中にさえ明確に数の象徴が存 むしろ単なる昔のつながりとして捉えていたと須貝は捉 在していることが指摘されている。ここには,古代ギ えている。しかし,このタイプのミサで用いられている リシャのピュタゴラス以来の数に潜む神秘主義的な姿勢 c.f.が世俗的なものに限られていることに彼は注目し, が中世キリスト教においても継承されSeptem artes 「純粋に音楽的な理由のみでなく,何か他の特別な意図 liberatesの必須科目であるQuadriviumの中に音楽が位 があったのではないか」とも推測している。そして, 置づけられてきたことと決して不可分なことではないで

"Missa Faisant regretz''の''Kyne I /Christe/Kyrie H一 あろう。また,視覚芸術においてもキリスト教的象徴と に現れるc.f.の短いモティーフ(8音から成る)の反復の して様々な事物が意図的に描かれることによって,キリ 回数がこの三つの部分で8回,というように「8」とい スト教的なコンテキストの中で読み解かれていったこと う数が,以後のこのミサ曲の中で大きな意味を持ってい に似ているかもしれない。しかし,このような隠された ることを指摘している。 「Gloria章以後のテノールにお 数の秩序と象徴をもっJosquinのミサ曲は,実際にそれ いて,このモティーフは40回うたわれるが,そのうち が鳴り響く時には決してそれが顕在化するものではない。 39回はKyrie章のように8が三つのセットになった形 一般信徒の場合にとってそれは,教会において体験する で扱われ」ているとし,さらに「音楽的必然性やsection 清澄な響きの現象としてしか知覚されることはないので 数と関係ないところでさえ, 8,8,8という数的構造が意 ある。それ故に,このような数象徴は, Josquin自身の 識されている」と述べている。 [須貝:1984:2f.1さらに須貝 作曲技法の超越性と,隠された信仰告白的な意味をも は, D.HeikampによるJosquinの有名なミサ曲の一 っていたのであろう。しかし,既にArsnovaの時代から, つである''Missa L'homme arme"の分析を引用しなが このような数的秩序と支配による音楽が伝統的に行わ ら,さらにJosquinの数に対する隠された仕組みに言及 れてきていたことは, Philippe de Vitry(1291-1361), している。この作品のc.f.をbrevisを時間単位として計 Guillaume de Machaut(1304?-1377),さらに次の世代の 算した時に, 「6+8+8-22になっていること,更に核音 Guillaume Dufy(1400頃-1474), Johannes Ockeghem Grundtonの数も8+8+6-22であること」にHeikamp (14307-1495)等の作品においても,多くの研究者が数的 が気づいたことを指摘し,さらに彼が「この3種類の数 象徴が鮮やかに読み取れることを指摘していることを考 は中世のゲマトリアにならって意識されたものであり, えれば,中世的世界において音楽がその根底に常に数的 6は人間を, 8はイエスを, 22は十字架を象徴する数 な調和を意識して創造されるという伝統があったと考え として考えられてい」たことを紹介している。 [ibid.:3月 られるのである。言い換えれば,音の鳴り響きの現象を また, Neuwirthは, Josquinの"Missa ad fugam 成立させる数学的音響学的なコンテキストの中で,数の の分析の中で,最初の4声部のKyrieのテノル声部に 持っ神秘的で象徴的な魅力が,キリスト教という絶対的 置かれたc.f.の最初のフレーズを取り上げ,各声部の音 な宗教的世界の中で大きな意味を獲得していたことを思 符数c.f.の構成音,さらに大きな音価と小さな音価の わせるのである。 それぞれの音符数を数え上げ,アルト声部の中間部分に 数によって読み解かれることが当時の音楽の伝統的 おける現代譜での3連符を中心とした数的シンメトリー な作曲作法であるとすれば,では何故Josquinのこの の構成を明らかにし,さらに各声部の音符数, c.f.の主 "Missa di Dadi"のc.f.の比率を示すために一組の「サ 要音に当てられた音符数など,幾っかの基本的な構成と イコロ」の図像が必要であったのだろうか。おそらく, なる部分を結びつけることによって, 「53」という数字 訓練された音楽家であれば,別の指示によっても,また がキーとなっていること,そしてそのフレーズが全体的 c.f.を提示するだけでも十分にその意図を知らせること にその倍数「106」になることを具体的に示している。 は可能であったであろう。この図像をあえて付けること [Neuwirth:1982:8ff.]数的な構造分析にみられることで を果たしてJosquinが意図したのか,或いは彼の指 Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 137

示によってPetrucciがそれを挿入したのか,或いは るという迷信や伝説は,中世においてもさかんに繰り返 Petrucciの独断でそれを寓意的に入れたのかは,現在 され広められていた。宗教的権威が支配していて奇蹟が 不明である。しかし,これが出版された1500年初頭に 重要な意味をもっていた時代には,さいころも特殊な力 は未だJosquinは存命中であり,このミサ曲の印刷楽 をもっものとして,古代よりもむしろその神性が強調さ 譜を見ていることは十分可能であり,もし彼がその図像 れたかもしれない」 [ibid.:94]のである。その反面,辛 を気に入らなければ,削除させていたと考えられる。あ リスト教世界が緊張を失っていく14-15世紀には, 「サ えてそれを付した印刷楽譜が販売されることを許した背 イコロ」を媒体とするギャンブルが横行することになる。 景には,ミサと「サイコロ」の図像との関係に彼独自の 確かに, Huizingaが言うように, 「妻子遊びというも 意図があったからであろう。しかし,実際にはPetrucci のは,それだけ取り出してみれば注目されてよい文化現 版の第三巻という最後のミサ曲集に収められていること 象だが,ただ文化そのもののためには,非生産的と呼ば を考慮すると,それが出版されるまでに何らかの経緯が ざるをえない」 [Huizinga:訳書;1973:114]のであるが,そ あったことも考えられる。また,キリスト教の重要な典 れを行う人々にとっては,その瞬間に感じ取られる緊張 礼音楽に対して,この一組の「サイコロ」の図像は, や報奨の愉悦をみれば, 「精神や人生に何ひとつもたら 実際の鳴り響く音楽を聴くものにとって何も意味しない さない」 [ibid.]とする彼の見解は,あまりに高踏的である が,その楽譜に接した者がそれを見た時に,その奇想の といわざるをえないのである。それに対して, Cailloisま, 意味が理解できるかどうかは別として,そこに何らかの より積極的にこの「サイコロ」の意味と役割を捉えてい Josquinの企みが隠されていることは明確に予想できた る。彼はラテン語で「サイコロ遊び」を意味する「アレ であろう。では, Josquinは,この「サイコロ」の図像 ア(Alea)」という言葉を用い, 「アレアは運命の恩恵を において何を隠し伝えようとしていたのであろうか。そ 現し,明らかにする」 [Caillois:訳書;1990:50]とし, 「神と して, 「サイコロ」がこの当時どのようなものとして人々 神秘な力とが希望か脅威かの決定権を握る」 [ibid∴4f.1 に捉えられていたのであろうか。 まさに大智を越えたものとして位置づけているのである。 しかし,現実的には「即座にひと財産ができるかのよう Ⅴ. な幻想や,余暇と富と賀沢の思いもかけぬ可能性を与え 「サイコロ」は,極めて偶然的な結果を生み出すこと てくれる」 [ibid.:236]魅力は,中世から近世へと変動し によって,単に遊具としてばかりでなく,素朴な運命論 ていくヨーロッパにあっては重要な娯楽,さらには現世 を内在して宗教的な意味をも持っようになる。また,そ 逃避的なものとして「サイコロ」ゲームが大いに広まっ れが投榔されることによって表す数字が運命を決定する ていったのである。特に, 「十五世紀の賭博禁止令は多 ことを考えれば,そこに数に対する関心を醸成したこと 数列挙することができるが,十五世紀の賭博禁止の特徴 も予想される。増川宏一は,古代におけるサイコロの在 は,聖職者たちによる賭博への非難,悪罵がいくつかの り方について言及しているが,そこにおいて彼は, 「神 都市の禁令強化に影響をあたえたかもしれない。それと の啓示を知るための儀式は厳粛に催され犠牲を捧げ,各 ともに,賭博を愛好したのも聖職者たちであり,このな 種の祭具が用いられた… (中略)祭具の一つはさいころ かから最も先鋭な賭博非難がおこなわれたのもきわめて 様の道具で,神の判断を表すものとして大切な役割を果 皮肉な現象」であったと,増川は述べている。 [増川:ibid∴

たしていた」と述べ,その理由として, 「さいころをぶっ 108] た時に出る目は,人智によって決めることができず,大 宗教的立場から考えれば,一種の高利貸しと同様に, 智を越えた神の意思によって定められると信じられてい ギャンブラーが現世的な労働による努力なしで利益を獲 た」からだとしている。 [増川:1992:32]このようなサイ 得するという行為は,中世キリスト教における道徳観と コロのもつ「大智を越えた」偶然性に基づく属性は,当 は相いれないものであった。また, 「サイコロ」という 然「神の意思」を知るための占いに使用されることにな 言葉が, 『マタイによる福音書』第27章35節や『ヨ- る。その時には,サイコロが示す日,即ち,その数と現 ネによる福音書』第19章23, 24節に記されているよう 実の出来事,或いは事物との象徴的関係性が成立してい に,キリストが十字架にかけられた時に,その衣を賭け なければならない。呪術的世界にあっては,サイコロは て四人の兵士たちがくじをひいたとされているが,その ある意味で人間の行動を決定するほどの威力を持ってい 時のくじが「サイコロ」の投輝であったとされている。 たことは容易に想像できるであろう。 福音書において最も劇的なキリストの犠牲の場面ととも このような「サイコロ」の持っ魔力ともいえる神秘的 に,最も世俗的な功利的運を求める行為は,敬度なキリ な力は, Josquinの時代を問わずすでにヨーロッパにお スト教徒にとって重要なイメージを刻印することになる. いて遊具として,特にギャンブルの一つとして一般に広 中世フランスにおいては,そのイメージがさらに深刻に く浸透していた。 「さいころが超自然な魔力を持ってい なり,キリストの死後における辱めによる冒涜として捉 138

えられるようになり, 「サイコロ」を生み出し,兵士た 「サイコロ」ゲームとどのように関連しているのかを次 ちを唆して聖衣を賭けるギャンブルに誘う者として, に見てみたい。 「悪魔」と結びつけられ, 「サイコロ」は, 「悪魔の道具」 とみなされるようになるのである[Semrau:1910:24] Ⅵ. Fergusonによれば,このことから「サイコロ」が「受 既に述べたように,ミサは二つの部分から構成されて 難の象徴」として使われる場合があることを指摘してい いるとHarperは指摘した。甥代ではそのように捉えら る。 [Ferguson:1966:173]このような宗教的に負のイメー れている。しかし, 1487-88年頃に編纂されたと考えら ジをもった「サイコロ」が宗教的道徳観から,それを用 れている''Expositio"という,当時のミサについての最 いたギャンブルが禁止の対象になることは当然のことで も理論的な注釈書を著したGabriel Bielfca.1412-1495) あった。 は,ミサを三っの部分に分けている。第一部は信仰への準 さらに, 「サイコロ」の目が示す1-6までの数は, 備,第二部は聖体の聖別と犠牲(Canon)そして第三部に キリスト教約数象徴に示された意味をも悪魔による軽蔑 聖餐式と最後の儀式である[Oberman & Courtenay:1963: の対象として捉えられるのである。例えば, 「1」は, 1:126]既に述べたようにこの集会において,最も重要 唯一の神を, 「2」は,神と聖母マリアを, 「3」は,聖 な瞬間は,司式者が「これは我が体なり`'Hocest(enim) 三位一体を, 「4」は, 4人の福音史家を, 「5」は,辛 corpus meum-'」と語り,秘蹟を奉挙する時である。当 リストが十字架上で受けた5つの傷を, 「6」は,神の 時,会衆が聖体拝領に預かる機会が極めてまれであった 天地創造の6日間を表わす,とするキリスト教的な数の ことを考えると,ホスチアが奉挙されることは,一般会 象徴は, 「サイコロ」が悪魔の道具であるとされている 衆が客観的にキリストの存在を知覚できる唯一の機会で ために,それらの数がそのまま悪魔によって侮蔑される あったのである。それゆえに,ここでのパンは,もはや ものと考えられたのである。そして,この悪魔の道具に 会衆にとっては日常のものではなく,まさにキリストの 耽ることによって,自らの運を賭ける行為は,現世的な 肉として信仰の対象になるのである。それ故に, 「13世 はかない報酬を求めるものであり,宗教的な救済を犠牲に 紀の終わりから,儀式の視覚的要素は,しばしば聴覚的 することに繋がるのである。しかし, Josquinの.-Missa di なものによって強化され…<中略>特別のオルガン曲, Dadi''は,一組の「サイコロ」という点で, 「サイコロ」 或いはモテトの演奏が,その荘厳さと緊張の時を特徴付 そのものの象徴性を秘めているというよりは,むしろ けた」 [Long:ibid∴5]のである。実際に,ミサ曲では, 「サイコロ」を使ったゲームを象徴していると考えられ SanctusとBenedictusの間にそれが行われていたので る。即ち,サイコロを使ったゲームの進行とその結果得 ある。実際に, Josquinのモテド'Tu solus qui facis られる世俗的な富への追求と宗教的救済への人間の希求 mirabilia"は, Petrucciの印刷本の中で,彼のミサ曲で との関係をアレゴリカルに示そうとしているのが,この ある''Missa D'ung aultre amer"のBenedictusの場所に ミサ曲の隠された意味なのではないだろうか。 印刷されている。また, Cummingsによれば, 1560年 Huizingaは「賓子遊びが祭紀のなかに位置を占めて (Josquinの死後約40年もたっているが)のシスティー いるということは,峯子遊びが真の遊びの性格をもって ナの年代記の冒頭には, Josquinのモテトと同じテキス いるからである」 [Huizinga:ibid.:134]と一つの結論を トのモテトが''in elevatione corporis Cristi'.で歌われ 導き出しているが,彼自身が一方で, 「音楽するという たと記されている。 [Cummings:1981:52]これに関して, ことは,最初から,本当の意味での遊びがもっているす Nobleは,このモテトがJosquinのものであったとし, べての形式的特徴を帯びた行為」 [ibid∴103]として音楽 Petrucciがまさにこのモテトの機能をはっきりと理解した をみていることから, 「サイコロ遊び」と「音楽」とが 上で印刷していたとしている。さらに彼は, 「Josquinの 「Homo Ludens」において一つの共通の基盤をもって モテトが,単純なホモフォニーによるテクスチュア-を いることが読み取れるかもしれない。 持ちながらも,まさに典礼的な奉挙のモテトの性格をもっ 15世紀における「サイコロ」の意味は,当時の賭博禁 ている」としている。 [Nobleubid∴12] Nobleの意見に 止と聖職者によるそれの愛好という社会的矛盾の中にあっ 従えば,本来はポリフォニーによるBenedictusによっ て,遊具であると同時に遺棄されるべきものとして存在 て聖餐式のパンが奉挙されるのであるが, Josquinの頃 していたことが理解できるのである。 Petrucci にはホモフォニーによる,ミサ曲とは別の奉挙のための があえてそれをc.f.の比率を示すために用い,それを モテトが挿入されていたということである。ミサ曲とし Josquinが容認していたという事実は,単に音楽的な問 て一連の流れが,ある意味でこの奉挙という劇的な場面 題としてのみならず,より深層に別の企みがあったこと で一度途切れることによって,この場面のもっ特殊な時 が理解できるのである。では,その企みとはどのような 間が強調されることになるのである。では,その直前の ものであったのだろうか。そして,ミサという儀礼が Sanctusとの関係は,この儀式の中でどのように位置づ Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 139

けられるのであろうか。 いて彼は説明している。 Bielによれば, "''"Benedictus"を含む)は二つ 先ず最初に「賭け金(couche)」が求められる。二人の の構造から成り立っている。以下に,テキストを示して 競技者が交互にサイコロを投脚する。それぞれ相手の出

蝣M す二つのサイコロの目の合計の数を越えようとして投櫛 Sanctus, sanctus, sanctus, dominus deus sabaoth. を続けるのである。先ず最初の競技者が投榔するがその Pleni sunt caeli et terra gloria tua. 日は回H (KyneI)で,合計が「3」,次にその相手が Osanna in excelsis. 投榔すると,同じ目]H(Kyrien;で勝負がつかない Benedictus qui venit in nomine domini. (このような勝負のつかない状況を,当時のフランスで Osanna m excelsis. は'rencontre'lと呼ばれていた)。当然次の回へと進む。 最初の二つの詩行(Sanctus/Pleni)は,天使の合唱(vox ここでもHH(Et in terra)と困H(Qui tollis)でそれぞ angelica)を表しており,その後の三つの詩行(Osanna/ れ同じ「5」となり,さらに次の回へと続く。ここでの Benedictus/Osanna)は,信仰する人々の声vox huma- 二人の競技者の投沸したサイコロの目は(Patrem) na)を表している。後者はさらにこっに分けることがで と田H(crucifixus)とで,同じ「7」となっている.数 き,二つのOsannaは,祈りを捧げる者(oratio)を,中間 象徴的に言えば,ここまで投沸されたサイコロの目の合 部のBenedictusは感謝の表明(gratiarum actionem)杏 計「3」,「5」,「7」は,それぞれ「聖三位一体」, 「キ 表している。 [Oberman & Courtenay:ibid.:l:163-67] リストの5つの傷」, 「聖霊と秘蹟」を象徴しており,意 つまり, Sanctusは,キリストの犠牲による救済の祈り 図的に選ばれた数であるかもしれない。同じ数が両者の であり,後者は,奉挙され顕現したホスチアによる救済 問で出され,決着がつかないが,ついにSanctusのとこ への感謝であり,キリストの神秘の表明であると考えら ろで因E]という目が出たところで図像が終わり,次の れるのである。 [ibid∴167ff.] Osannaにはもはやサイコロの図像は描かれていないので このように15世紀におけるミサの注釈は,当時の ある。既に述べたように, Sanctusが大きく"Sanctus/ 音楽家にも大きな影響を与えたと考えられる。そして, Pleni''ど'Osanna/Benedictus/Osanna''とに内容的に分 "Missa di Dadil'には, Bielの注釈による奉挙の在り方 けられることを考えると,ここで最初の競技者が勝利を との関連性がはっきりと読み取れるのである。即ち,こ 収めたために,この図像がなくなったと考えられるので のミサ曲独特の「サイコロ」の図像は, Sanctusで終わっ あるOつまり,当時のフランスの「サイコロ」ゲームに ている。つまり, Bielの注釈から,まさに神の救済へ おいて,合計が「6」又は「12」は'hazart''と呼ばれ, の感謝が表明された時にこの図像が消えているのである。 勝利の数とされていた。現在のゲームに当てはめれば, 視覚的な図像と聴覚的なc.f.がミサの一点に向かって, カード・ゲームにおけるブラックジャックの「21」と同 まさに収赦していくように意図されているかのような印 じ絶対的勝利の数であった。ここにおいて,このゲーム 象を与える。その収赦点こそ,キリストの顕現の象徴と が終わったのである。このことは,どのようなことを意 してのホスチアの奉挙という劇的な場面なのである。そ 味しているのであろうか。 して,サイコロに焦点を当てると,そのギャンブル性か ミサにおけるSanctusは,既に述べたように,一般会 ら何らかの決着がここで付けられたことを想像させる。 衆が信仰の心構えを確認し,キリストの神秘に触れる重 そこで,ここに描かれた図像を手掛かりに,当時の「サ 要な儀式の瞬間である。キリストの体を象徴するホスチ イコロ遊び」のルールについてみてみなければならない アを奉挙することでキリストの存在を確認し,救済者と だろう。 して会衆が実感することのできる時なのである。言い換 この頃のフランスにおいて行われた「サイコロ」を使 えれば,敬度な宗教的信仰がこの場面において,実感で うゲームとその規則について, Semrauは,当時のフラ きる救済という報酬を獲得することができるのである。 ンスの文学の中から幾っかを確認している。数人でサイ "Sanctus/Pleni"の後で行われる救済者の存在の確認に コロを投沸しあって,その数の大きさによって勝者を決 よる購いへの意味深い報いは,そこで勝者が決定し,報 めるものや,サイコロを三つ使うものまで多様なゲーム 酬を獲得するという隠職と深く結びっいているのである。 の存在を伝えている[Semrau:ibid∴42-60]しかし,こ Josquin自身が「サイコロ」ゲームに興じていたかどう のミサ曲の図像から判断すれば,恐らく二人で交互にサ かは確認されてはいないが, 「報酬」の獲得という側面 イコロを投耕しあって,ある特定の数字が出ることで勝 から考えた場合に,彼がそれに通じていたことは事実で 者が決定されるゲームであったとLongは指摘している。 あろうと思われる。そのような意図がこのサイコロの図 [Long:ibid.:9]中世の特殊なサイコロを使ったゲームの 像から読み解かれるとすれば,世俗的な旋律がミサ曲の 詳細については不明であるとしながらも,当時フランス c.f.として用いられているという以上に,いかに隠喰的 で行われていた「サイコロ」ゲームの基本的な原則につ であっても神-の冒涜的な仕儀ではないかと思われる。 140

しかし, 14世紀頃からすでにお金に関わる宗教的報酬 のもつ豊かなエスプリを感じさせるものであろう。 との類似性については,神学的にも議論されてきている。 このような極めて巧妙に隠職が込められ, Josquinの つまり,ホスチアとしてのパンは,所謂種なしパンであ 才知に長けたエスプリを考えると,このミサ曲には,さ り,平たくて円形をしており,例えば, 14世紀頃のフ らに世俗的なc.f.においても「サイコロ」をキー・ワー ランスで用いられていたドニエ貨幣との類似性から,ア ドとした何らかの仕掛けがそこに施されていることが考 レゴリカルに或いはシンボリックに取り上げられること えられよう。 が多かったのである。 Kantorowiezは,この事に関し そこで,このミサ曲で使用されているc.f.のオリジナ て,オータンのHonoriusの記録を引用している。 Ho- ルであるMoutonの世俗的なロンド-のテノル声部の normsは次のように書いている。 旋律を次に示しておく。 (Ex.2) 「キリスト,つまり命のパンがわずかな貨幣の値で裏切られたこ このテキストの第一詩行は,この頃の愛の歌に良く見 とから,聖餐式のそれは貨幣の形をしており,彼ら,つまりブドウ 出される,憂響な恋する者の常なる哀しみを表している。 園で働く者たちには本当のドニエ貨幣が与えられることになるであ 「私が今持っている以上のよいものを決して持たないの ろう。」 でしょうか」という詩句は, Moutonの脈絡から考えれ

[Kantorowiez: 1946:8] Ex.2 Robert Mouton: N'aray je jamais mieulx", 日常的に常に使われる貨幣と聖餐式に使われるパンのも Tenor声部の最初のフレーズ。 つ類似性は,さらにHonoriusによって具体的に述べら れている。 「皇帝のイメージと名前が彫られているドニエ貨幣のように,様々 [MissenXVより] な性格と共に,主のイメージはパンの中に込められているo」 [ibid.] このMoutonの作品は,次のようなテキストをもっ ここに言われているように,現世的な皇帝と宗教的な ている。 キリストとの類似性は,まさに「勝利を得る」というこ とにおいて共通しており,それはまたギャンブルにおけ Naray ie iamais mieulx que jay? 私が今持っている以上の良いものを決して る-穫千金の勝利とも相似しているのである。この「勝 持たないのでしょうか? 利」によって宗教的には救済され,世俗的には富を得る Suy ie la ou de demeur, 私がいっもいた場所には, ことによって現世の苦から救済されるのである。さらに, Mamour et toutte ma plaisance? おお,私の愛とあらゆる私の喜びはあるの でしょうか? この両者において共通するものは,まさに「祈り」の行 Nars vous jamais cognoissance あなたには,決してわからないでしょう? 為なのである。 Que je suy vostre et demouray? 私があなたのもので,そうあり続けるだろ さて, 「サイコロ」ゲームが隠喰的に宗教的な儀式の うということを。 背後に隠されていることを見てきたのであるが, Josquin ば,当然恋に悩む者の愛を求める嘆きなのであるが, はさらにもう一つの仕掛けをここに隠しているのである。 「サイコロ」ゲームの視点からみれば,ギャンブルへと ミサにおいて聖餐式に用いられる聖別される前のホス 駆り立てる現状への不満の表明とも読み替えられ,そこ チアとしてのパンを示す言葉として,フランス語では から逃れるために救済を求める声とも解釈できる。この 'oublie-'という語が使われている。この言葉の語源は, 詩句に当てられた旋律を用いたc.f.が, Josquinのこの Semrauによれば, "oublirurs"であり,この言葉は,こ ミサ曲のSanctusの後半部分であるOsannaの直前まで の時代に存在していた円錐形のゴーフル菓子を売る人を に, KyrieIから数えて7回用いられている。この「7」 指している。彼らは,夕刻になると街の通りを通ってこ という数字は,まさに秘蹟の数を象徴している。つまり, の菓子を売り歩くのであるが,聖体用のパンをも運んで ここでは, 「現世の生と結びつけられ,救済を求める人 いたのである。そして,彼らは同時にサイコロも携えて 間の魂の嘆願」 [Long:ibid∴12]を示しており,ホスチア いた。商品を買ってくれそうな人を見っけると,サイコ の奉挙を待ち焦がれている場面なのである。ここにおい ロを取り出し,そこで聖体用のパンを賭けて勝負をする て,キリストの肉であるホステアにまみえることができ のである[Semrau:ibid.:21f.1サイコロ賭博の禁止令 るのである。これは,ギャンブラーが自らの運を試すこ が数多く布告されているにもかかわらず,このoublieurs とによって勝ちを得ることを熱望している状態を象徴し は取り締まりの対象になっていなかったようである。そ ているとも言える。そして,ここでサイコロの図像が消 れは,あくまで商品を賭けていたのであって,金銭を賭 えているということは,その祈りが通じ,勝利を得たこ けていなかったためであったからであるかもしれない とを示している。その報酬こそがまさにホスチアとして が,彼らの「サイコロ」ゲームは当時の市井にあってか のパンであり,ドニエ貨幣なのである。音楽についてみ なり流行していたことは事実であや。いずれにしても, ると, c.f.は,サイコロの図像の消えた後のOsannaでは, Josquinがそのような事実を考慮していたとすれば,彼 本来のMoutonの音価のままc.f.が用いられるが,最後 Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 it'll

のAgnusでは,もはや「サイコロ」の図像はないが, を示す例として, ''di Dadi''の2声(Tenor & Bassus)に 元の音価との比率が2:1となっており,暗黙の内に合計 よるBenedictusと"Pange lingua"の同じ2声(Superius 数「 3」が象徴する聖三位一体の栄光の中に平安を得て, & Altus)のAgnus deiを取り上げている。音域的には このミサを終えるのである。 異なるものの音楽的な構成には共通する一貫した手法が このミサ曲の全体を通じてc.f.の在り方を中心にそ 見出せ,曲の長さもほぼ同じである。しかし,音楽的に の意味を見てきたのであるが, 「サイコロ」の隠職をさ は,後者に洗練された技巧が豊かに用いられており, らに考慮した場合に, Moutonのテキストのもつ本来の Josquinの成長を見ることができると, Longは見てい 素朴な愛の歌は,一方で宗教的な救済を求める意味を与 る。そして,彼はこの2曲を比較しながら以下のように えられ,他方で,極めて世俗的なギャンブラーの運に賭 その類似部分を表にしている(Table 2) ける心情を伝えるものに意味転換されているのである。 これは,まさに先にHuizingaが指摘した「聖と俗それ Table 2. ぞれの領域」の相互浸透的な状況を見せているのである。 Missa di DadiとMissa Pange linguaとの問の音楽的な一致

このように,当時のミサの儀礼において注目される Di Dadi Pange lingua Osannaとそれに伴う聖餐式,そしてホスチアとの関係

は,このミサ曲において明確に意識され強調されている Glona,mm.89-97 Kyne.mm. 17-36 のである。このような手法は,決してJosquinに限ら Gloria,mm. 137-42 Glona,mm.48-55

れたことではなく,典礼の一連の儀式の流れを考慮し, Glona,mm.143-52; 154-57 Glona,mm.67-73; 74-76 「奉挙」を重要な頂点として音楽を構成しているPierre Gloria,mm. 153-92 Benedictus.mm. l-13 de la Rue(ca.1460-1518)の作品にも見出せると, Long Sanctus.mm.47-55 Sanctus.mm. 78-85

は指摘している。彼の''Missa de Sancta Anna'.は,世 Benedictus.mm.l-W; 27-34 Agnus,mm.44-74

俗的な愛のシャンソンをc.f.に用いているが,ここでは, Agnus,mm. loo-109 Agnus.mm. 17-24

特に二回目のOsanna部分が奉挙のための聖歌である Agnus,mm.166-69 Agnus,mm.121-28 ''O salutaris hostia"に基づいたポリフォニックな手法 [ここで示されている小節の表示は現代譜に直されたものに基づいている]

が用いられており, 「奉挙」の持っ意味を明確に示して [Long:ibid.: 18f.] いるのである。 このように「奉挙」という劇的な場面は,また,ホス Longが指摘しているような"Pange lingua''との関係 チアを持ち上げる(elevatio)という行為が十字架に架け が,全く妥当するのかどうかは今後の課題であろうが, られるキリストをも連想させる。その意味で,中世後期 彼の創作の背後に秘められた様々なメタファーや数象徴 には,神学者たちによってキリストの苦痛を隈想する重 への豊かで柔軟な知識は,当然年輪を重ねる中でさらに 要な機会として考えられるようになっている。そのため 洗練されていったことは十分に理解できることであり, に,本来は隈想のための沈黙の時であったのであるが, そこ故に,その時代において最も優れた音楽家としての 先に述べたように, 15世紀後半になると,そこに音楽 同時代の,さらにそれに続く時代の音楽家たちによって が取り入れられるようになったのである。確かに,その 称賛されたのであろう。 ようなキリストの礎刑との関連から,もう一度サイコロ の目を考えると,最後の臣∃[∃に表された「5」の点 むすび が表す図像は,まさに「Ⅹ」を想起させ,ギリシャ語の 1552年に出版された''Compendium misices"において キリストを示す最初の文字と関連していること,さらに Adorian Petit Coclico(1490/1500-1562)は,自らをJos- キリストの5つの傷をも連想させるのである。 qumの弟子であったとして,彼について次のように述 Josquinの''Missa di Dadi''の印刷楽譜に見られた べている。 「サイコロ」の図像が意味している内容は,これまで述 「我が師であるJosquinは,決して音楽についての講義をされず,理論書 べてきたように宗教的にも世俗的にも極めて重要な意味 を書くこともされなかったが,短い時間で完全な音楽家を養成されたので を持っことが理解できた。しかし,この作品がJosquin す.その理由は,長く無益な指導で弟子たちを妨げることをなされず,歌 のフランスで活動していた比較的若い時期の作品である う訓練の中での実践的に役立っことを通じて,僅かな言糞で様々な規則を とされているが,以後の彼の優れたミサ曲への萌芽は既 彼らに教えられたのです。そして,弟子たちが歌う基礎を十分に備え,良 にこの中に垣間見ることができるのである。それについ い発声を習得し,旋律を装飾する方法と音楽にテキストをうまくつける方 てLongは,特に彼の後期のミサ曲である"Missa Pange 法を知ったと判断されるとすぐに,次の完全音程と不完全音程さらに単旋 lingua"との強い関連性を指摘している。 聖歌に対する対位法の創意工夫の様々な方法を教えられたのです。く中略>し 彼の指摘する最も顕著にこれら2曲の結びつきの強さ かしながら, Josquinは,すべての人が作曲術を学ぶのに適しているとは考 IE革

えられておられませんでした。生来の特別な強い欲求によってこの喜ばし の見解は非常に意味深い。 い技術に魅了された人のみが教えられるべきだと,彼は判断されていたの です。」 「十五世紀までには,歌い手は,職業的な,多くは俗人の歌手になり, [Reese:1954:230より訳出] 音楽も次第にポリフォニーが標準になっていった0 16世紀までに教皇庁の システィナ礼拝堂の歌手たちは,聖堂の中心部ではなく,片隅のギャラリー 16世紀になると音楽家たちは,自らの時代と過去の で歌うようになった。こうして典礼を司る行為からの分離が明白になった 時代とを常に比較することによって分類し, 「今,ここ のである。」 に」いる自らの音楽の現代性を強く意識することになる。 田arpen i bid J 65] 例えば,先にあげたCoclicoは,音楽家たちを次のよう に4つのグループに分けている。 Josquinの「サイコロ」付きのこのミサ曲が当時どれ Theorici一諸声部での最小限の調和を達成した革新者たち。 ほどの人にその本質を理解されたかは,現在詳らかでは Mathematici一記譜法上の,そして技術的な難しさのために,柔軟さを ない。改革への道へと引きづられて行くカトリック教会 欠いている複雑にされた対位法の推進者。 は, Houzingaの言う「キリスト教の象徴主義は,俗世 Prestantissimi-その甘美で情緒豊かな音楽がかつてなし遂げられた最 の事物,地上の歴史を,神性の表徴,神の国の予示と解 も優雅な様式として非常に賛美されている音楽の王たち する」 [Huizinga:訳書1976:315]従来の絶対的権威が失墜 仲でもJosquinがその第一人者である) し,もはやそれらの象徴主義が世俗的出来事に読み替え Poetici-その甘美さが万人を喜ばす適切な歌唱技法と同様に,記譜され られて行くのである。確かに,このミサ曲は, Josquin たかつ即興的な対位法の第一人者たち。 の比較的若い時代の作品であるとされており,後期の音 [Mamates: 1979:1 19] 楽的に洗練された作品への道程の一つとして考えられて いるが,よりダイナミックな視点から見た時に,この作 その他にも16世紀の多くの音楽家が,自らの時代の位 品の持っ意味は時代の在り方を明確に伝えるものである 置づけを行っているが,そこには常にJosquinの音楽 と考えられる。しかし,実際に音楽として聴かれるもの が「典拠」として取り上げられているのである。人文主 としてのみ捉えられるとすれば,その深奥に潜むJosq 義の影響を受け,古代ギリシャの音楽への研究が盛んに uinの企みを聞き逃すことになるのではないだろうか。 行われ,複雑な数の操作によって音程論が展開されてい 彼の作品の多くに隠された数の意味を読み解くことは, くのであるが, Josquinが彼の音楽にメタファーとして 単に音楽の構成ばかりではなく,時代を読み解く手掛か 忍ばせた様々な試みに対して考察したものは現れていな りになると考えられるのである。 い。 15世紀末から16世紀初頭にかけて宗教的激動のうね 引用・参考文献 りの中に,宗教的には言うまでもなく,政治的社会的そ Allende-Blin, Juan.:1982: Beobachtungen iiber die して文化的にもヨーロッパは翻弄される。このような情 Missa Pange Lingua. , "Josquin 勢の中で,一人Josquinのみが,音楽の世界に耽って des Pres [Musik-Konzepte, いたのではない。彼の音楽作品に込められた様々な仕掛 26/271." herg. Hemz-Klaus Met- けを読み解く時に,当時のヨーロッパの置かれている状 zgerand Ramer Riehn), Musik 況の一端が明らかになると考えられるのである。その意 Hug Verlage, Munchen, pp.70-84. 味で, "Missa di Dadi'.において秘められた「俗」なる Brown, Howard M‥:1994: 『ルネサンスの音楽[プレン ものと「聖」なるものとは,どちらもその時代の一つの ティスホール音楽史シリーズ2]』 局面を表していると考えられ,それ故にこそ,極めてア (藤江効子・村井範子訳),音楽 レゴリカルに,そしてシンボリックに記譜された暗号と 之友社,東京。 して書かれ,出版されたのである。果たして, Petrucci [1976:"Music in the Ronai- がどの程度Josquinの意図を知っていたかは不明であ ssance. , Prentice-Hall, Inc.] るが,聖俗の両面からの解釈が可能であり,一方で聖職 Cummings,Anthony.:1981: Toward an Interpretation 者の堕落の象徴としてのギャンブル,他方でミサのもっ of the Sixteenth-Century Motet. , 本来的な意義への音楽的な注釈として,このミサ曲を考 "Journal of American Musico- 察する時, Josquinという音楽家の現世世界の出来事に logical Society , Vol.34, pp.43-59. 対する批判的桐眼を知ることができるのである。教会の Dill.Charles W..:1982: Non-Cadential Articulation of 刷新が急務である一方で,様々な世俗化-の傾向を教会 Structure in Some Motets by

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`Secular in the Masses by Josquin des Prez

Key words : Josqum des Prez, Dice, Symbol

Yoshito NAGAO

'Missa di Dadi'', Josquin's earliest Masses, was composed on a tenor drawn from Robert Mouton's rondeau, ''N'aray je jamais mieulx qui j'ay''This work was survived only in Petrucci's third book of Josqum Masses. But it is distinguished by its use of pictures of dice as proportional canons in the Tenor voice. In this study, the author examines what the dice image and the original chanson text associated with the cantus firmus tune mean and what a metaphorical ground plan for the composition informs us. And thus it is indicated that its image and text are linked to contemporary liturgical ritual and to fifteen- th century readings of the Mass text. From this examination, one could find the ''Sacred''in this work and the Secular" concealed in it. And one might gain a clue for interpreting the age of Josquin.