Josquin Des Prezのミサにおける「世俗性」 Secular in the Masses by Josquin Des Prez

Josquin Des Prezのミサにおける「世俗性」 Secular in the Masses by Josquin Des Prez

133 Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 Secular in the Masses by Josquin des Prez キーワード:JosquindesPrez,ミサ,サイコロ,キリスト教的数象徴 長尾義人* (平成12年9月20日受理) はじめに [Harper:ibid.:37月この背景には,印刷術の発明が大き キリスト教的理念が西欧世界のあらゆる場面に浸透し, く寄与していたことも事実である。即ち,手写本によるそ 信仰が日常生活の中で確固として機能していた時代は, れまでの同一性の確保の困難さが克服され,同一性の保証 14世紀に至った時にその背後にあった様々な矛盾が現 される印刷によって様々な思想がそのまま伝播されたので 実のものとして現れてくる。しかし,一方で文化史的視 ある。しかし,この印刷術のもっ特性は,宗教的理念の調 点において見る時には,新しい知と感性の枠組みが華や 和と徹底化の手段として有用であったのと同時に,教会批 かに形成される「ルネサンス(Renaissence)」と呼ばれ 判への統一された反駁を可能にしたことも事実である。 る時代として捉えられてきているJ.Harperは, 「ルネ 一方,視点を音楽の分野の向けると,ここでも印刷術 サンスの知的,芸術的改革を生むことになった世俗社会 は,従来の筆写による誤記や改宜を避けることができ, の思想や哲学」について, 「これらの宗教的,世俗的知 貴重な手写本がかなり高価であったのに対して,それよ の流れは,中世後期の教会にとって大きな脅威」であっ りは安価であったことから音楽家の作曲作品の正確な記 たとしている[Harper:訳書2000:37]では,このような 譜に基づく伝播のために大きく貢献したのである。印刷 「教会にとって大きな脅威」,宗教的混乱による信仰意識 された楽譜自体は, 15世紀には既に存在していたので への疑念,そしてそれを覆い隠すような絃いばかりの知 あるが,移動植字法による画期的な多声音楽の楽譜印刷 性的美的文化活動の中にあって,音楽家たちはどのよう は,ヴェネ-ツイアのPetrucci(Ottaviano [dei]:1466- な創造的世界を鳴り響かせたのであろうか。ここでは, 1539)よって行われた。彼は, 1523年までに多声音楽(当 15世紀末から16世紀初頭に活躍し, D.J.Groutの言を 時は,スコアではなく声部本part-bookであったが)や 借りれば, 「あらゆる時代を通じてもっとも偉大な人の 器楽作品の曲集を再版を含め59巻出版した。その中で ひとりで」あり, 「存命中に彼はど高い名声を得ていた もJosquinのミサ曲集が彼によって3巻(1502年, 1505 音楽家は少ないし,あとに続く音楽家たちに」, 「深くか 年, 1514年)も出版されている。 H.M.Brownによれば, つ永続的な影響を及ぼした」 [Grout:訳書1974:230]フラン 「ペトルッチはたったひとりの作曲家の作品だけを収め ス北東部出身のJosquin des Prezの初期のミサ曲であ た曲集をほとんど出版しなかった」のであるが, 「その る.'Missa di dadi'一に注目し,そこに見出される「世俗 ような曲集を1巻以上捧げた音楽家はジョスカン以外に 的(secular)」表徴を考察する。つまり,この考察によっ は」いなかったのである。 [Brown:訳書1976:177]このこ て,宗教音楽という形式が隠職として用いられ,それを とからも,当時のJosquinの音楽が広く受容されてい 読み解くことによって彼の時代の信仰の現実が浮かび上 たことがわかるのである。 がるのではないかと考えるからである。 このPetrucciによって出版されたJosquinのミサ曲 集の中で,特に目を引く奇想を持っミサがある。それが I. ''Missa di Dadi'.と呼ばれる作品である。彼の作品の多 Josquinが登場する直前に生じた教会の状況に関して, くが年代を確定することが難しく,幾っかの作品では彼 Harperは, 「中世の教会は,組織として他に例をみな の作品かどうかも議論されているのであるが,この作品 いほど巨大で複雑であった」としながらも, 「そこには, は,彼によるものであることが確認されており,その作 芸術,知性,祈りの栄光と共に,論争,堕落,宗教戦争, 曲様式から彼の比較的初期の作品であるとされている。 そして十四世紀の教会分裂(ローマとアヴィニョンに対 では,このPtrucci版におけるこの作品に施された奇想 立教皇の宮廷がおかれた)の醜聞」があったとし,さら とはどのようなものなのであろうか。 に続けて「新しい思想,改革,再評価が対立し,それ は,教会の安定した生活に健全なものではあったが混乱 Ⅱ. をもたらし」,その結果「不満は広がり,十五世紀末ま このミサ曲は,彼以前の作曲様式であるcantus firmus でに辛殊な批判が激しさを増していった」としている。 (定旋律:以後C.f.と表記する)に基づいて作曲されてい ・兵庫教育大学第4部(芸術系教育講座) 134 る。ここで彼が採用したc.f.は,イングランドの作曲家 この例でわかるように, Moutonの最初のsemibrevis Robert Mouton(1430頃-1476以降)の世俗的な三声部の は,この曲のc.f.の最初の音が2倍のbrevisになってい ロンド一一IN'aray je jamais mieulx que j'ay?''のテノ るが,それぞれ次の音に関しては,両者とも完全tempus ル声部の旋律である。既に, 14世紀以降にみられるミ であるため,後者は符点付のsemibrevisのためにbrevis サ曲において,世俗的な旋律がc.f.として用いられてい の本来の音価ではなく, 1/3の時価が削られ,不完全 ることを考慮すれば, Josquinもこの様式に通じており, brevisとなっており,厳密に言えば,数学的に一律に それ自体は決して珍しいものではなかった。また,世俗 2倍化されているわけではない。しかし,視覚的には音 的な音楽が教会の重要なミサという神聖な場で歌われる 符の形状から2倍化されていると捉えられるのである。 ことに対しても, P.H.Langによれば,このような世俗 このように当時の白符定量記譜法においては,現在のよ 的な「旋律は,けっして元のままの歌詞と形で用いられ うに各音符が機械的に二分割されずに,三分割と使い分 はしなかった」ので, 「それらはテノール声部の中に組 けられており,そのために音符の分割には複雑な規則が み込まれ,結果的には,他の諸声部にすっかり覆い隠さ 存在していたのである。ここでは,それについて詳細に れ」, 「リズムが変えられ,あいまいにされた」 [Lang:釈 述べることはできないが,上記のように記された音符の 書1975:224f.]のである。それ故に,当時このような状況 時価がある条件下で柔軟に変化することによってリズム は,決して神への冒涜とは捉えられず,むしろ世俗音楽 自体に変化が生じてくるのである。そのために,中世に がミサ曲に用いられることによって聖別されたと考えら おける数的象徴理念が確固として通底していたことを十 れていたのであるOしかし, Langの言うようにc.f.に 分に認識しておく必要があるだろう。では, Josquinの おける世俗音楽が巧妙にパラフレーズされていることを このミサ曲において,幾っかのc.f.の前に描かれた「サ 考えると,その出典を知ることができたのは,おそらく イコロ」はどのような意味をもっていたのであろうか。 当時の優れた音楽家に限られており,それ故に,ミサ曲 ミサは,当然キリスト教世界においては最も重要な儀 に隠された意味は極めて暗号化されたものであったとも 礼であり,それを聴覚的に修飾するものとしての音楽は, 言えるであろう。 「親しみのある意味深い言葉の朗涌のみから構成されて さて, Josquinのこのミサ曲に再び視点を向けると, いる」のではなく, 「一連の劇的な行為の公開演奏を含 それを構成する4つの章,即ち, Kyrie, Gloria, Credo, んでおり,その行為の強さが適切な音楽的環境によって Sanctusにおけるc.f.が,その元となっている旋律の音 高揚されるのである」。 [Long:1989:2]教会という神聖 価とそこでc.f.として用いられる音価との比率を示すため な空間によって強化される信仰は,視覚的聴覚的或いは に一組のサイコロの図がc.f.声部の前に置かれているので 嘆覚的な要素によって達成されることになるのである。 ある。そして,そこに描かれた一組のサイコロの目がまさ 中でも,音楽的に伝えられる典礼的メッセージは,大聖 にその比率を表しているのである。 [Tablelを参照] 堂の空間に満ち,神の言葉が響きとなって聖職者や信徒 Table 1. に浸透していくのである。ミサ曲のこのような宗教的意 Kyrie[ W^m *こ- 由 4:l P3m 缶 6;I 味は, c.f.がいかに世俗的なものであったとしても,輿 e tF 義i 礼的テキストと音楽のみを考れば決して失われるもので はないであろう。 Kyric, ℡ 1=tQuitolーjS 由 8:Jcm血S 宙 一案 〟 漢, このような視点からJosquinのこの-'Missa di dadi'. 乍Inm 甘 : :, ] に立ち返ると, c.f.となっているMoutonのロンド一に ^打、 表されている古くからあるフランスの愛の歌が,宗教的 教訓的な象徴的隠職へと変容させるべくJosquinが意 O u nn* 一一一 Agnuり 図的に採用したということを想定することが可能であろ [Long: 1989:4] う。しかし,先の「サイコロ」の表示との関係を考える 例えば, KyrieIとKyrieHの前に置かれているサイコ と,単にそれがc.f.の比率を示す奇をてらったアイデア ロの目は,巨]巨]となっており, c.f.の置かれるテノ ではなく,そこには当時の世俗世界に悉く運命に対する ル声部の旋律の音価が元の旋律の音価の2倍になること 不確実性へのパ-スペクティヴが考えられるのである。 を示しているのである。 [Ex.1] 当時の人々の精神構造にうかがえる表層の宗教世界と深 Ex.1: 層の世俗世界という対照性が,ミサ曲という装置の中に Moutonのオリジナル¢凝律JosquinのKyrie Iのc.f.冒頭部分。 巧妙に隠されており, Josquinが指示したかどうかは不 .il二・・-二∵ 'J一三・・日13'、.、 II = e" * -- 詳であるが, 「サイコロ」の図像は,それを読み解く N'aray Kyru ための重要な手掛かりとなっていると考えられるのであ [MissenXVより] る。 Josquin des Prezのミサにおける「世俗性」 135 Ⅲ. とは,必ずしもみられない。緊張がとける,すると,ほ Josquinのこのミサ曲が何らかの「世俗的」隠境を内 んらいの霊の意識を刺激するはずのものが,すべてその 包しているとしても,それは常にキリスト教的世界との 力を失い,恐るべき日常卑俗事に堕し,彼岸のふうをよ 深い結びっきから決して逸脱するものではなかった。こ そおいながら,その実,おどろくほど現世的なものになっ の時期の宗教的な在り方について, J.Huizingaは,次 てしまう」 [Huizinga:ibid.:302f.]のである。 のように述べている。 ミサは,周知のようにキリスト教世界においては極め て重要な儀式であるが, 2つの大きな部分に分けること 「中世キリスト教社会にあっては,生活のあらゆる場面に,宗教的概念 ができる。つまり「朗読と祈りによる典礼と,パンとぶ がしみとおり,いわば飽和していた。すべての事物,すべての行為が,辛 どう酒を祝福して割き,感謝を捧げる典礼」 [Harper: リストに関連し,信仰に関わっていたのである。く中略>事物のすべての ibid.:35]である。そしてそれを執り行うのは,司式者と 宗教的意味を問う姿勢がみられ,かくて,内面の信仰はひらかれて,おど しての司祭であった。では,ジョスカンの時代頃までの ろくはどゆたかな表現を展開する」。 一般信徒たちは,この儀式にどのように関わってきたの [Huizinga:訳書1976:302] であろうか。 Harperはこの点に関して次のように述べている。す このように生活世界に浸透した宗教的意味は,逆に宗教 なわち, 「一般信徒がおかれた状況は今日とは大いに異 的な象徴を日常の中に見出そうとする傾向を生み出す。 なっていた」とし, 「中世の典礼には,彼らが主体的に それ故に, 「うっかりすると,聖と俗との境界のみうし 参加する余地はほとんどなかった」と断じている。彼ら なわれる危険が」あり, 「ある場合には,宗教がすべて は「受け身であり,ただ祈るけだった。小さい小教区教 をっっみこみ,日常生活がそっくりそのまま,聖性の高 会においてさえ,司祭は会衆から遠く離れて, [教会の] みにまで」高揚されるのであるが, 「ある場合には,堊 東端に位置していた。典礼の主要な儀式はスクリーン なる事物が,日常生活と分かちがたく結びついて,日ご (十五世紀までどの教会にもあった)の向こう側で行われ ろみなれた事物の領域へと押し下げられ」さえするので ており,まったくでないにせよ,よく見えなかったので ある[ibid.:313] ある。使徒書簡や福音書は,そうしたスクリーンの上か このような状況は,宗教音楽においても少なからず記 ら朗々と唱えられることもあっただろう。しかし聖別の 録されている。アメリカの音楽学者であるP.Nebleは, ようなミサの重要な箇所は,司式者たちの内輪で行われ, Josquinの宗教的モテトの当時における機能についての なにも聞こえてこなかった。そこでミサ典文が始まって 研究の中で,その宗教的役割から逸脱した演奏について いること,続いて司祭がパンとぶどう酒を祝福したこと, の例を幾つか示している。彼によれば,その頃ローマに あるいは(十三世紀以降の習慣で)司祭が聖別されたパン 在住していたフェッラーラの大使がその主人である男爵 を高く挙げて皆に顕示していること(聖体奉挙)を人々に に宛てた報告書の中で, 「サン・タンジェロ城で彼が教 告げ知らせるために,ベルが必要だった」のである。 皇レオ十世によって催された晩餐に出席し,教皇がまだ ([ ]内筆者の補足)[ibid.:63]しかし,一般信徒にはそこ テーブルについている時に, Josquinの"Salve regina で歌われる音楽に関しては聞くことができたであろう。 が演奏された」 [Noble:1985:9]と伝えている。これはま そして, SanctusとBenedictusの歌われた後に行われ さに典礼的な場とはかけ離れており,バロック音楽の る聖体奉挙(Elevatio)は,一般信徒が一連のミサという 「食卓の音楽」を妨裸とさせる場面である。また,この 劇的空間の中で最も実感できるクライマックスであった ような晩餐の音楽,或いは晩餐後の音楽として教皇庁で と考えられるのである。なお, Harperによれば, 「十 は頻繁に宗教的なモテトが演奏されていた事実を, Nob 五世紀後期までに,聖体奉挙のために多声モテトゥスを leは当時の年代記や日記から検証している。特に注目 ベネディクトゥスに代わって用いることも行われるよう すべきことは,感謝の祈りである奉献唱が歌われている に」なる。まさにこの瞬間に向けてすべてが収赦してい 間に聖体拝領の準備が行われ,撒番と司式者の洗手と続 くと言えるだろう。 き,次に密唱が沈黙の内に唱えられるのであるが, 16 そのようなミサの一連の経過とJosquinのミサ曲に 世紀初頭には,この部分での沈黙が長く続くことを避け 描かれている「サイコロ」の図像との問には,どのよう るために,モテトが挿入され歌われたのである。 [ibid.: な関連性があるのだろうか。 10]ここにおいてミサは,聖職者を含めた信徒たちにとっ て一種のスペクタクル的場となっていったことが伺われ Ⅳ. る。まさにLong-がいうように「公開演奏」としての傾 Josquinの作品に隠された数的な象徴に対する研究は, 向を持ってくるのである。 「この信仰の飽和状態にあっ 近年様々な方法によって解明されてきている。須貝は, ては,霊の緊張,真正の超越,現世からの解脱というこ Josquinの20曲のミサの分析に際して,作曲の方法に 136 よって三つのタイプに分類している。つまり長い音価に あるが,音楽そのものの構成よりも数的なものに固執す よるほぼ同じ音型のc.f.がテノル声部に置かれているも ることにより,若干の窓意的な読み取りも垣間見ること の,第二に,当時の作曲法の一つであるパロディー風の ができるが,それぞれがなんらかの象徴的な数を持って 手法を用いたミサ,最後に,パラフレーズされたc.f.を いることから考えれば,やはり, Josquinが自由な楽想 用いたミサの三種である。その中で,最初の手法である を駆使した結果,このような数的な枠組みを生み出し c.f.をテノル声部においた作品について須員は, 「テノー たとするには,あまりに整然とした数による支配は, ル・ミサ曲における定旋律は,あたかも建築物の土台や Josquin自身が意識的に数を考慮しながら音楽を構築し 柱のようなものとして考えられている」とし, 「他声部 ていったことを伺わせる。 の動きを規定しながらも,最終的にはそれらの旋律によっ このような数的な象徴性を中世やルネサンスの音楽の て覆い隠されてしまう」ことから, Josquinが定旋律を 中に求める努力は,近年多くの研究者によってなされて 選択するために明確な基準を持っていたとは考えられず, おり, J.S.Bachの作品の中にさえ明確に数の象徴が存 むしろ単なる昔のつながりとして捉えていたと須貝は捉 在していることが指摘されている。ここには,古代ギ えている。しかし,このタイプのミサで用いられている リシャのピュタゴラス以来の数に潜む神秘主義的な姿勢 c.f.が世俗的なものに限られていることに彼は注目し, が中世キリスト教においても継承されSeptem artes 「純粋に音楽的な理由のみでなく,何か他の特別な意図 liberatesの必須科目であるQuadriviumの中に音楽が位 があったのではないか」とも推測している。そして, 置づけられてきたことと決して不可分なことではないで "Missa Faisant regretz''の''Kyne I /Christe/Kyrie H一 あろう。また,視覚芸術においてもキリスト教的象徴と に現れるc.f.の短いモティーフ(8音から成る)の反復の して様々な事物が意図的に描かれることによって,キリ 回数がこの三つの部分で8回,というように「8」とい スト教的なコンテキストの中で読み解かれていったこと う数が,以後のこのミサ曲の中で大きな意味を持ってい に似ているかもしれない。しかし,このような隠された ることを指摘している。 「Gloria章以後のテノールにお 数の秩序と象徴をもっJosquinのミサ曲は,実際にそれ いて,このモティーフは40回うたわれるが,そのうち が鳴り響く時には決してそれが顕在化するものではない。 39回はKyrie章のように8が三つのセットになった形 一般信徒の場合にとってそれは,教会において体験する で扱われ」ているとし,さらに「音楽的必然性やsection 清澄な響きの現象としてしか知覚されることはないので 数と関係ないところでさえ, 8,8,8という数的構造が意 ある。それ故に,このような数象徴は, Josquin自身の 識されている」と述べている。 [須貝:1984:2f.1さらに須貝 作曲技法の超越性と,隠された信仰告白的な意味をも は, D.HeikampによるJosquinの有名なミサ曲の一 っていたのであろう。しかし,既にArsnovaの時代から, つである''Missa L'homme arme"の分析を引用しなが このような数的秩序と支配による音楽が伝統的に行わ ら,さらにJosquinの数に対する隠された仕組みに言及 れてきていたことは, Philippe de Vitry(1291-1361), している。この作品のc.f.をbrevisを時間単位として計 Guillaume de Machaut(1304?-1377),さらに次の世代の 算した時に, 「6+8+8-22になっていること,更に核音 Guillaume Dufy(1400頃-1474), Johannes Ockeghem Grundtonの数も8+8+6-22であること」にHeikamp (14307-1495)等の作品においても,多くの研究者が数的 が気づいたことを指摘し,さらに彼が「この3種類の数 象徴が鮮やかに読み取れることを指摘していることを考 は中世のゲマトリアにならって意識されたものであり, えれば,中世的世界において音楽がその根底に常に数的 6は人間を, 8はイエスを, 22は十字架を象徴する数 な調和を意識して創造されるという伝統があったと考え として考えられてい」たことを紹介している。 [ibid.:3月 られるのである。言い換えれば,音の鳴り響きの現象を また, Neuwirthは, Josquinの"Missa ad fugam 成立させる数学的音響学的なコンテキストの中で,数の の分析の中で,最初の4声部のKyrieのテノル声部に 持っ神秘的で象徴的な魅力が,キリスト教という絶対的 置かれたc.f.の最初のフレーズを取り上げ,各声部の音 な宗教的世界の中で大きな意味を獲得していたことを思 符数c.f.の構成音,さらに大きな音価と小さな音価の わせるのである。 それぞれの音符数を数え上げ,アルト声部の中間部分に 数によって読み解かれることが当時の音楽の伝統的 おける現代譜での3連符を中心とした数的シンメトリー な作曲作法であるとすれば,では何故Josquinのこの の構成を明らかにし,さらに各声部の音符数, c.f.の主 "Missa di Dadi"のc.f.の比率を示すために一組の「サ 要音に当てられた音符数など,幾っかの基本的な構成と イコロ」の図像が必要であったのだろうか。おそらく, なる部分を結びつけることによって,

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