スリナムの政党システムに関する研究 ―多極共存型民主主義から競合的政党システムへ― a Study on Suriname’S Party System: from Consociationalism to a Competitive Party System
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〈研究ノート〉 スリナムの政党システムに関する研究 ―多極共存型民主主義から競合的政党システムへ― A Study on Suriname’s Party System: From Consociationalism to a Competitive Party System 亜細亜大学非常勤講師・上智大学非常勤講師 松本 八重子 Yaeko MATSUMOTO(Asia University/Sophia University) Abstract: During decolonization, from 1958 to 1967, Suriname experienced consociational grand coalition governments, which were formed by the three ethnic groups: Creole, East Indian (Hindustani) and Javanese. After the turbulent times characterized by the military regime and the civil war in the 1980s, the fourth ethnic group, who were descendants of Maroons, became integrated into Suriname’s plural political system. Since the country’s democratization in 1988, Suriname’s party system has changed into a competitive system. This paper aims to systematically examine the historical changes in the party system of Suriname. After surveying previous studies conducted in this field, this study conceptualizes the categories “ethnic parties,” composed of the four major ethnic groups, and “non-ethnic parties,” composed of developmental, left-wing, and civic groups. Based on the analytical framework, this paper describes the historical development of Suriname party politics from the 1940s to the 2015 general election, and analyzes the formation and reorganization of party alliances after democratization. The results of analysis indicate that during the period between democratization and the 2015 election, Suriname’s party system satisfied the four lenient conditions for twopartism, in which the “governing alone” clause of twopartism was relaxed by G. Sartori himself. Therefore, it could be concluded that the New Front alliances̶ descended from the grand-coalition̶and the developmental National Democratic Party̶with its origins in the military regime̶played roles as the two major parties. Meanwhile, each Javanese party tended to seek its political orientation and interests separately, by shifting its allegiance one way or the other in the bipolar system. はじめに 本研究の目的は、スリナムの政党システムが多極共存型システムから競合的政党シ ―69― スリナムの政党システムに関する研究 ―多極共存型民主主義から競合的政党システムへ― ステムへ変化していった過程を体系的に明らかにすることである。独立前の 1958 年 から 1967 年まで、スリナムではレイプハルトの多極共存型民主主義がクレオール系、 インド系、ジャワ系政党により展開されていた。この時期のスリナム政治を、レイプ ハルトはオランダ統治時代の遺産としての多極共存型民主主義の事例として扱って いる。しかし 1975 年の独立後、政権は安定せず、1980 年代にスリナムは軍政と内戦 を経験した。民政移管後、同国の政党政治は民主主義の強化を目指す勢力(独立前に 大連合政権を構成していた勢力)と、開発主義の立場を取る勢力(旧軍事政権)との 間で競合的政党政治が展開されるようになった。そして本研究の課題は、民政移管後 のスリナムの政党システムがエスニック政党による大連合政治ではなく、二党制ルー ルに基づく競合的システムであることを論証することである。 本論全体の構成は、次のようなものである。第一に、先行研究をレイプハルトやサ ルトーリの比較政治学の分野と、スリナム政治の分野に分けて整理した上で、本研究 の理論的分析枠組みを設定する。第二に、スリナムの政党システムの歴史的変化を、 上記の理論的枠組みに基づき分析する。分析対象時期は脱植民地化期から 2015 年の 総選挙までとし、①脱植民地化から国民党連合政権期まで(1940 年代~ 1980 年 )、 ② 軍事政権期(1980 ~ 1988 年)、③民政移管から 2015 年 の 総 選 挙 ま で( 1988 ~ 2015 年 )、 の三つの時期に分けて論じる。尚、スリナムの軍事政権は主要政党の指導者も意思決 定に組み込む統治方法を模索しており、軍事政権期も分析期間に含めることにする。 最後に分析結果に基づき、民政移管後のスリナムの政党システムが、サルトーリが提 示した「単独政権条項を緩和した二党制ルール」の条件を満たしていることを検証する。 Ⅰ 理論的枠組みの設定 1 比較政治学分野の先行研究 (1)レイプハルトの多極共存型民主主義モデル レイプハルト(1979、原書の出版は 1977 年)は多元社会における民主主義の一つ のモデルとして、多極共存型民主主義を提起した。レイプハルトは「多極共存型民主 主義」の四つの要素を次のように定義している(レイプハルト 1979:43)。 ① 多元社会のあらゆる重大な区画の政治指導者たちの大連合(grand coalition) による統治(議院内閣制における大連立政権、大統領制におけるキャビネット などの大統領顧問団・重要な諮問機関などを想定している。) ② 重大な少数者の利益を守る追加手段として役立つ、相互拒否権ないし「全会一 致の多数決制」 ③政治的代表・官吏任命・公共の基金の配分の基本的基準としての比例制原理 ④各区画がその内部問題を管理するための高度な自律性 ―70― このうち、第一の要素が最も重要な要素であり、他の三つは「基本的要素」であると レイプハルトは位置付けている。 レイプハルト(1979: 71-72)は、多極共存型民主主義と民主主義的安定との関係 について議論しており、その内容を次のように要約することができる。多極共存型モ デルでは、政府とそれを支える政治システムが一体となっているため、多くの有権者 が政府に不満を持った場合、民主主義体制自体が崩れる危険性がある。他方競合的民 主主義システムでは、政府に不満を持つ有権者が選挙により政権交代を実現し、民主 主義体制自体は維持されていく。そしてレイプハルトは 1960 年代末にオランダ政党 政治が多極共存型から競合型へ移行した例を取り上げ、「多極共存主義は比較的容易 に放棄できるのであって、その容易さが、民主主義体制の維持の可能性を大きくす る・・・。」と指摘している。そして、「こうした(多極共存型は政権交代を前提として いない点も含めた)弱点が次第に厄介だと思われるようになる場合、・・・、多極共存型 からより競合的な民主主義体制に移行することは、むずかしくはないのである。」と 言及している。 レイプハルトは多極共存型民主主義に適した政党システムとして、どのようなもの を想定しているのであろうか。レイプハルトは、多元社会において社会的亀裂は政党 の組織的な亀裂と重なっていると考えており(レイプハルト 1979:86)、従って、例 えば四つ以上のエスニック集団が社会的亀裂を形成する社会では、多党制が形成され ることになる。他方、二大政党制は多元社会よりむしろ、同質的社会に適したシステ ムであると捉えている(レイプハルト 1979: 88)。さらにレイプハルトは、「区画政党 を擁する多元社会では、穏健な多党制は――サルトーリの考え方にしたがえば――、 多極共存型デモクラシーにとってもっとも有利な条件を提出しているのである。」と 指摘している(レイプハルト 1979: 88)。 サルトーリは『現代政党学』(2000:296‐297、原著の出版は 1976 年)において、「穏 健な多党制の顕著な性質は連合政権である。」と論じており、「絶対多数を獲得してい る政党は一般に存在しない。」と指摘している。そして、西ドイツの大連合政権(1966 ~ 69)もこのシステムのもとに形成されたと論じている。さらに、穏健な多党制の 構造は二党制に似て二極構造であると分析しており、穏健な多党制の特徴として、「① レリヴァントな政党間のイデオロギー距離が比較的小さい、②二極化した連合政権 指向型政党配置、③求心的競合」、の 3 点を提起している(サルトーリ 2000:298 - 299)。このシステムでは「反体制政党が存在せず」、「すべての政党が・・・政権連合(に 参加する)準備ができた政党」であると論じている。以上により、「穏健な多党制」では、 多極共存型民主主義にとり最も重要な要素である「大連合」が成立する可能性がある と考えられるのである。 またレイプハルトは、多極共存型民主主義モデルは第一世界にも第三世界にも当て ―71― スリナムの政党システムに関する研究 ―多極共存型民主主義から競合的政党システムへ― はまると考えており、第 6 章「植民地の遺産としての多極共存型の実例」の中で、ス リナムを多極共存型に近い連合内閣が成立した事例として扱っている 1(レイプハル ト 1979: 236-237; 249-250)。 (2)サルトーリの政党システム論 それでは、レイプハルト(1979: 72)が言及した「競合的な民主主義体制」とはど のようなものなのであろうか。次にサルトーリ(2000)の政党システム論を取り上げ、 競合的政党システムをどのように体系的に分類しているのか、を考察することにした い。サルトーリの政党システムに関する分類方法は、政党システムを競合的システム と非競合的システムにまず二分する。非競合的システムには「一党制」と「ヘゲモニー 政党制(ヘゲモニー政党が権力を掌握し続け、政権交代の可能性がないシステム)」 が属する。そして競合的システムには、「分極的多党制」、「穏健な多党制」、「二党制」、 「一党優位政党制」がある。このような政党数に着目した政党システムの分類方法を、 サルトーリは「フォーマット」と呼んでいる。さらに政党システムが内包する機能的 特性や、政党システムが政治システム全体の機能特性に与える影響を「メカニックス」 と呼び、政党システムをフォーマットとメカニックスの両面から特徴づけている(サ ルトーリ 2000: 223-224; 314-315)。サルトーリの分析枠組みでは、各国の政党システ ムは必ずしも恒久的に特定の分類カテゴリーに位置付けられるのではなく、歴史的に 変化していくものと捉えられている(サルトーリ 2000: 451-458; 465-482)。そのよう な変化は、フォーマットの領域でも起こりうるし、あるいは、メカニックスの領域に おいても起こりうると考えられる。 サルトーリ(2000: 311)は、「二党制の特徴となっている属性」とは「単一の政党 が単独で政権を担当すること」であり、「二党制のメカニックスの顕著な特徴は〈政 権の交代〉であると言い換えても同じである。」と論じている。有力な国家が競合的 政党システムのなかで「二党制」を採用しているため、中心的なモデルとして認識さ れているが、フォーマットの分類により二党制が成立する国の数は多くはないと指摘 している。(サルトーリ 2000: 309-310)。それに反して、政党システムが二党制のメ カニックスに基づき機能している国の数はもっと多くなる。フォーマットとメカニッ クスが一致しない政党システムをどのように理解すればよいか、という問題を解決す る上で、サルトーリ(2000: 314)が「単独政権条項を緩和した二党制ルール」と呼 ぶ分析概念が有効であると考えられる。 サルトーリは政党連合間でも二党制が機能する可能性を認めており、「二つの政党 が単なる連合の域を出て、一種の合同体になっている場合には、一党対二党という関 係で政権交代が行われても二党制下の政権交代と考える。」と論じている。政党連合 にも適用できる「緩和された二党制」の条件として、サルトーリが提起したのは、下 ―72― 記の 4 つである(サルトーリ 2000:314)。 ①二つの政党(連合)が絶対多数議席の獲得を目指して競合している。 ②二党のうちどちらか一方が実際に議会内過半数勢力を獲得するのに成功する。 ③過半数を得た政党は進んで単独政権を形成しようとする。 ④政権交代が行われる確かな可能性がある。(必ずしも定期的交代ではない。) さらにサルトーリ(2000)は、「どのような空間で政党は競合しているのか」とい う問題も考察している。左右のイデオロギーに関する競合空間は重要な空間であり、 権威主義と民主主義との競合、国民統合と種族重視(分裂)との競合、あるいは宗教 と非宗教との競合などもこの左右競合空間の中で表現することができると考えてい る(サルトーリ 2000 :552-556)。このような競合空間は、保守と革新の競合、中道右 派と中道左派の競合、政策維持と政策変更の競合などに応用できるものである。 2 スリナム政治分野の先行研究 スリナム政治の専門家のデュー(Dew 1978)は、1940 年代から 1975 年の独立に 至るまでのスリナム政治史を五つの時期に分けて、総選挙毎に丁寧に分析している。 同書(Dew 1978; 201-206)は、独立前のスリナムでレイプハルトの多極共存型民主 主義が成立していたとの立場をとっており 2、カリブ政治研究者のレジスターもデュー の立場を踏襲している(Ledgister 1998: 161-165 )。しかし独立後間もなく、スリナム は軍事政権へと移行する。デュー(Dew 1994)は 1975 年から 1993 年までのスリナ ム政治の展開を、内政と第三世界外交との両面から詳細に分析している。デュー(Dew 1994)はまたデュー(Dew 1978)の続編としての観点も維持している。軍事政権発足後、 主要エスニック政党の指導者達が相互に、あるいはボータッセ(Dési Bouterse)を 中心とする軍事政権とどのように利害調整を図ろうとしたかも、デュー(Dew 1994) は分析視野に納めている。さらにスリナム軍事政権に関する論文として、ソーンダイ ク(Thorndike 1990)、メル(Meel 1993)がある。 スリナム史・スリナム政治史の分野では、ホーフト(Hoefte 2014)が 20 世紀の スリナム史を移民やエスニック集団に焦点を当てつつ論じており、最終章で、21 世 紀のスリナム政治や経済発展について言及している。またホーフトとメルの共編著 (Hoefte & Meel eds. 2018)はアジア、中東などに在住するジャワ系移民とディアスポ ラをテーマとしている。最終章(Meel 2018)はスリナムのジャワ系に関する章となっ ており、スリナムのジャワ系政党の発展を知る上でも貴重な論文である。ラムソー ド(Ramsoedh 2017)はスリナム政党政治とエスニック集団との関係を、独立前から 2015 年の総選挙まで簡潔に論じている。ビセッサー(Bissessar 2017)はエスニック 集団間の対立と政党政治の関係に関して、トリニダード・トバゴ、ガイアナ、フィー ジー、スリナムの事例研究を行っている。またホーフト・ビショップ・クレッグの共 ―73― スリナムの政党システムに関する研究 ―多極共存型民主主義から競合的政党システムへ― 編著(Hoefte, Bishop & Clegg, eds. 2017)はガイアナ、スリナム、仏領ギアナの国内 政治及び国際関係を分析することにより、ギアナ地域の域内、域外からの移民の動き を分析し、この地域の開発のあり方を明らかにしている。 近年では、エスニック・アイデンティティがスリナムの有権者の投票行動を決定 する上で最重要な要因なのか否かをめぐり、様々な学術的議論が展開されている。 この問題とも関連のある社会学・世論調査分野の研究として、2012 年に米国ヴァン ダービルト大学が実施した「ラテンアメリカ世論調査プロジェクト(Latin American Public Opinion Project, LAPOP)」が出版されている(Menke et al. 2013: 167-169)。 LAPOP 世論調査で「特定政党に対する帰属意識があるか」という質問にイエスと答 えた回答者はサンプル全体の 34% であった。表 1 は、特定政党に帰属意識があると 回答した人々が、次の「どの政党に帰属意識を持っているか」という質問に回答した 結果である。本表より、先住民、クレオールの回答者のそれぞれ 90%、72% がマル チ・エスニック政党の国民民主党(Nationale Democratische Partij: NDP)に対して政 党帰属意識があると回答している 3。意外なことに、クレオール系の 12% の回答者し か、伝統的クレオール系政党の NPS に帰属意識があると回答していない。 ヒンドゥー系の場合は、NDP とヒンドゥー系政党「進歩的改革党(Vooruitstrevende Hervormings Partij: VHP)」に対して、43%、40%の回答者がそれぞれ帰属意識があ ると答えている。同様にジャワ系の場合も、NDP とジャワ系政党「確かな信頼(Pertjajah Luhur: PL) 4」に対して、42%、36%の回答者がそれぞれ帰属意識があると回答してい る。マルーン系の場合は「政治における友愛と統一(Broederschap en Eenheid in de Politiek: BEP)」と「全国民の解放と発展党(Algemene Bevrijdings en Ontwikkelings Partij:ABOP)」がマルーン系政党である。両政党のどちらかに帰属意識があるとい う回答は併せて 43%、NDP に対して帰属意識があるとの回答が 36%であった。この ようにヒンドゥー系、ジャワ系、マルーン系の場合、NDP に対して帰属意識がある という回答が占める比率と、所属するエスニック集団の政党に対して帰属意識がある という回答が占める比率がほぼ均衡している。 ―74― VHP、PL、BEP、ABOP の場合、エスニック・アイデンティティに基づいて帰属 意識があると回答した回答者が大多数を占めているように見えるが、政党の方針や政 策などを合理的に評価して支持政党を決めている場合も含まれている。これらの数字 の解釈には注意を要すると言える。エスニック政治は現在でもスリナム政治を動かす 主要な要因の一つであるが(Menke et al. 2013: 167)、実際にどの程度作用してきた のか、その実態を 2012 年のこの調査のみから掴むことはできないのである。 3 本研究の理論的枠組み 以上により、近年、エスニック・アイデンティティと支持政党との関係は、流動的 な部分が大きくなってきているという見解を本論は取ることにする。一部の有権者は エスニック・アイデンティティに基づきエスニック政党への強い帰属意識を維持し続 けており、他方、社会のかなりの部分の有権者は特定の政党に帰属意識を持たなく なってきているとの観点に立つ。そして無党派層の投票行動と、選挙前後の政党連合 の形成のあり方が、政権を規定する重要な要因になってきていると考えられる。 本研究では政党連合や連合政権を分析するための概念として、「エスニック政党」 と「非エスニック政党」の二つを用いることにする。「エスニック政党」とは、特定 のエスニック集団の利害を代表するために設立された政党であると定義する。さらに クレオール系、インド系、ジャワ系、マルーン系の四つの主要エスニック集団を支持 基盤とする政党に分類する。人種(出身地)という観点から見ると、クレオール系と マルーン系はともにアフリカ系であるが、文化や居住区域が異なっている。また宗教 はエスニック集団を特徴づける主要な要素の一つである。アフロ・クレオール系にと りキリスト教が、インド系にとりヒンドゥー教あるいはイスラム教が、ジャワ系にと りイスラム教が中心的な宗教となっている。マルーン系は、独自の宗教かキリスト教 徒が多い。またキリスト教はプロテスタント、カトリックにほぼ二分され、人口の 4 ~ 5 割程度がキリスト教徒である。言語もエスニックな社会的亀裂を形成する一因と なるが、スリナムの公用語はオランダ語に統一されている。 他方、「非エスニック政党」はエスニック政党以外の政党を指し、開発主義系、左 派系、市民派系の三つに分類する。開発主義系とは、国民経済全体を視野に入れた観 点から、国家が中心となり経済開発を促進しようとする立場を取る政党である。開発