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CONTENTS

New York, New York, New York 前編 A.T.....1 ハービー・ハンコック研究・第1回 高木 信哉....4 「追悼 エルビン・ジョーンズ」 H.S.....9 Japan Junction ....11 「映画館」Live 開催 .....11 ライブレポート〈森山威男2デイズ-ジャズ・スポット「ドルフィー」 11 本 12 ご隠居と熊さん 14 Y' s ROOM NO.12 Y.S........18 カドやんのジャズ教室 vol.20 門倉洸太郎...20 レッド・ガーランドの魅力について 第18 回 紅 我蘭堂...21 RECORD CONCERT REPORT 25 M.S. T.S. H.S. 紅 我蘭堂

表紙及び本文中イラスト制作・・・・・水戸守敬一郎

このPDF版 GROOVY-34 は、印刷物として発行したものを基に新たにレイアウトしています。 したがって、一部印刷物とは異なる部分があります。 New York,New York,New York 前編 A.T. わたしがNYにはまり始めたのはいつのころだろう。 初めはカナダのトロントに留学していたこ ろ日本とカナダを行き来するのに直行便がなくて、NY経由でトロントに入った時、冬のNYで日暮れ も早く、乗り継ぎ便のトロント行きに乗ったときにはすでに真っ暗で空から本当にものすごい光の渦 と浮き上がるマンハッタンが目に飛び込んできた。座席から眼下を見下ろし後ろに遠のいていくその 光をずっと目で追っていた。 そのとき、この夜景を見るためだけにもう一度来たいと本当に心底思っ た。そして、今、NY に行き始めて7 ~8年になる。

年に何回かは突発的に行きたくなって自然と格安の航空券を探している自分がいる。このごろでは 上司からまで “昨日、通った旅行代理店で29000円って言うのを見たぞ” なんていわれる。 そこで わたしは“えっ、じゃあ行っていいってことかしら”と都合がいいほうに解釈し、早速行動に移すと いうわけである。 これだけ行っていれば当然いろんなことに出くわす。私としてはふーん、と思ったり、変なの、と 思ったりするだけのことだが、話すと皆さん驚いてくださるので、ちょっとだけご紹介することとし ます。 最初にNY に降り立ったとき、留学の帰り道だったので当然ながらお金がない。 泊まるのもすべてユースホステル。上限は一泊15ドルに設定していた。当時のユー スといえば、ピストルの音と、強盗にレイプ、トイレに行くときも命がけと言われ ていたところである。特に場所を選ばないとかなり危険なところに在ったりするの で行き帰りも注意を要した。あのころはジュリアーノが市長になるかならないか、 とりあえず、拳銃所持は認められていたと思う。ユースの定員ぎりぎりで漏れてし まった私はNY University の大学生でもあった管理人の取り計らいで管理人室の二 段ベッドの上段を貸してもらい、彼女と部屋をShareさせてもらったのであるが、 寝るとき念入りに拳銃の手入れをする彼女の姿に目が釘付けになった。じーーーっ と見ていると、“触ったことないの?”といわれたのでぶんぶんとかぶりを振ると “じゃ、触ってみる?”といわれ、安全装置をかけてもらって恐る恐る手に取っ た。冬のど真ん中ということもあるだろうが、あの冷たい感触、ずっしりと重い感じは本当に忘れら れない。シェルも見せてもらったが、こんな重いものが飛ぶのか?というのと、これを飛ばすことの できるほどの衝撃を作り出す拳銃って化け物だと思った。

とはいっても、私がじっとしているはずもなく、同じユースに宿泊していた子が、NY University に 受かり、アパートが決まったと聞き、深夜の地下鉄に乗り、同行していた友人と二人ブルックリンま で出かけて行き、朝方4時の地下鉄で帰ってきた。深夜の地下鉄にはDesignated Area という警官が 始終目を光らせている安全地帯があるのだが、そこにいる警官に_ なんだ、お前たちみたいなひよっ こがこんな時間に何している!!” なんていわれたり、親が聞いたら卒倒しそうなことをたくさんした。

3 一度、ユースに帰る途中に、後ろを私と同じ歩幅でつけてくる人がいることに気づいたときはどきど きした。テレビ同様、スピードを変えたりしたが、向こうも同じスタンスでついてくる。ユースのド アが見えたとき頭をよぎったのが、ドアの暗証番号を押して中からアンロックしてもらっている時間 があるか、ということ。 しかし、運良くすぐ前に入った人がいたのであろう、ドアのオートロック が開いていた。すばやく滑り込んだ後ドアを閉めてのぞき穴から外を見ると、フードをすっぽりかぶっ た背の高い人がすぐドアの下の階段のところに立ってい て、忘れもしない、はそれにあまりある魅力があるので ある。アートにしても音楽にしてもものすごく身近にい ろんなものがあり、とっても敷居が低い。あえて行こう としなくてもそこにあるという感じだ。

もともとミュージカルやクラシックが好きだったの でとりあえず、はまったのが劇場めぐり。皆さんがご存 知であろうTIKETS という半額チケットを取り扱ってい る店を皮切りに一日をスタートする。そのとき半額で出 ているミュージカルの中で面白そうなものを見る。特に こだわりはない。みてみなくちゃわからないから。そして、見てみて面白かったら今 度は高くてもいいからよい席を獲得する。英語ということもあり一本につき何回かは 見る。わかるまで見る。ブロードウェイ、オフブロードウェイ、オフオフブロードウェ イ、それぞれの作品を見て回る。ものすごい本数で、その上毎年新 しいものが出るので、見切れるものではない。だから毎年行くんだ ろうが。

そろそろ、ジュリアーノ政権下、安全性も確立しだしたころ、行 動範囲も広くなり、JAZZ Bar にも足を踏み入れだした。その、プ レイヤーとの近さ、音の鋭さに感動し、また一つ行く場所が増えた。ブルーノートで はChick Coreaに会い、気さくにもたわいもない話を話してくれ、一生懸命漢字で私 の名前をサインに加えてくれた。しかも、Blue Noteのペーパーナプキンに。そのときは娘さんも奥さ んも会場に来ていてその後のステージでは三人でセッション をしていた。 このプレイヤーと楽しく過ごす空間、それを 共有することさほど難しくないという感覚を教えてくれたの が NY という場所だった。そこで一緒に音を楽しんで空間を 共有することがどんなに敷居を低くしてくれるか、何の知識 もなかったがとにかく楽しかった。 この間Birdlandにいっ て、ここを拠点に活動していたToshiko Akiyoshi にあった が、演奏の合間、ちょっと雑談をした。レコードを差し出し、 サインをお願いすると、“また、よくこんなものを”言いつつ、 差し出されたレコードにだんな様のLew Tabackinと一緒にサインをしてくれた。特別なんだけど、ど こか普通な、この距離の近さが私を JAZZ に近づけ、好きになるきっかけをくれた。NY には Village Vanguard、Blue Note、Birdland, のほかにも小さなJAZZ Barがたくさんあるし、突然、飛び込む のはやっぱりどきどきするが、一度入ってしまえば面白い。ちゃんと気を張ってないと危ないけどね。 ぼーっとすると、何でも起こりえるのがNY。どんなに慣れたと思ってても身の回りのものケアや自分 の身を守り気は許さないのが鉄則、自分の身を守るのは自分の責任だ。だけど、 それを守っている間は楽しむことができる。 “お、また来たな!”なんていわれ るとへへへぇと自然と笑顔になる。

4 昼間のNYで次に楽しいのはCentral Parkだ。よく、本を持ってウォーキングシューズをはき、59TH Streetの入り口から入り、後は110th street まで歩き回るが途中にいろんなものが見える。まっすぐ行 けば 3 時間くらいの距離だがいろいろと立ち寄るものだから、その倍くらいはかかる。Strawberry Fields も通り、Metropolitan Museum や Museum of Natural History、The Cloisters を通り過ぎ、いろ いろなレストランも中にあるし、森の中には野生動物もいる。

110thまで行けばそこもうはハーレムの入り口だが、疲れたらプレッエルを買ったり、飲み物を買っ て、その辺の芝生に寝転がり気がすむまで本を読んでぼーっとする。大学生やらカップルやらみんな 思い思いの格好でリラックスしているし、他人がどんなことをしていてもじっと見られることはない ので気持ちがいい。犬好き猫好きの私としては岩場に陣取り、下を見てそこを通る動物たちを見る のも楽しい。さすがNY というやたらにゴージャスな洋服をしているのもいれば、めちゃくちゃ親近 感を持つ風貌のただ人が良いと言うか猫が良いという顔のやつもいる。アメリカ に住んでいるくせに言語を超えて仲良くなったとき、おお、心が通じたじゃん、 なんて思ったりする。

また歩くとそこはそれぞれのミュージッシャンの練習場だったりもする。駆け 出しの人もいればそれなりに出演している人もいる。そこで腕を磨いて将来は ビックステージでと考えているのだろう。NY は冷たい。実力がなければ人は立 ち止まらない。お金も投げ入れてくれない。山ほどいるからだ。同じサックスの ストリートミュージッシャンが並んでいるのに片方は腕を組んで聞き入っている 人がいてその周りには人が群がっているが、片方にはだれもいない、お金を入れ る箱代わりになっているケースにはわずかにペニーやクウォーターが入っている のみの人もいる。他人事ながら厳しいよな、と思う。電車の中 でも演奏は行われる。駅から駅のたかだか2分くらいの中、突 然彼らはやってきてちょうど次の駅に着くまでに終わる程度の アレンジで曲をひく。これがなかなかなんですよね。メキシカ ンだったり、アカペラだったり、サックスだったり、ペット だったり、バイオリンだったり、もうありとあらゆるものが演 奏される。もちろん演奏が終わっても1セントもくれない人が ほとんど。ここでも厳しい。それでも思わず拍手してしまいた くなるほどうまい人もいてそういう人には人々はポケットから あるだけの小銭を出してバサッと帽子の中や袋に入れてやる。 生活のためにやっている人もいれば将来を夢見てやっている人 もいるだろうが、それぞれが真剣である。だけど、ちゃんと2 分以内に曲をまとめて演奏するって言うだけでもすごいと思う んですが。 (以下次号へ続く)

5 ハービー・ハンコック研究・第 1 回 (“Retrospective of The Music of Herbie Hancock”) 高木信哉

ハービー・ハンコックは、1960 年、20 歳でデビュー以来、どんなに時代が変わっても常にクリエイ ティブな音楽を創造し、世界中の人々を魅了し続けている。ハービーは、現在 64 歳だが、その才能 と若々しさはまったく変わらず、新鮮な感動を提供し続けている。この連載は、ハービーの栄光の 軌跡と音楽を完全ディスコグラフィとともに、振り返るものだ。 (1940-1961) 2000 年 12 月、ハービー・ハンコックは、妻のジジと一人娘のジェシカを伴い、故郷のシカゴを 訪れていた。それはハービーの父親の90 歳の誕生日を、ハンコック・ファミリーで祝うためであ る。両親を大切にするハービーの姿は、95 年 10 月に日本でも見られた。その時、ハービーの両親が 初めて日本の地を踏んでいた。ハービーの父親は、ブルーノートに出演する息子の姿をビデオ・カ メラで熱心に取っていた。ブルーノート大阪出演前の昼下り、両親に大阪城を案内するハービーの 姿はとてもうれしそうだった。天ぷらに舌づつみを打ち、日本酒をおいしいと喜ぶハービーの両親 とハービーを見ていて、本当に素晴らしいファミリーだと私は思った。 ------ハービー・ハンコックは、1940年4月12日(金)、イリノイ州シカゴで生まれた。ハービーは、4 人兄弟で、兄と姉と妹がいる。妹のジーンは、ハンコック家の天才で、IQがすごく高かった。後にIBM 社に就職して大活躍した。銀行の有名な「ATMシステム」は、IBMの3人の女傑が開発したと言われ ているが、その一人がハービーの妹ジーンだった。残念ながら飛行機事故で1985年に亡くなった。 両親ともに音楽好きで父親は家でよく唄っており(ハービーは、お風呂でよく歌を唄っていた父親の ことをバスタブ・シンガーと呼んでいる)、母親もピアノを弾いていた。幼い時からいつも音楽に興味 を持っていたハービーは、7歳でピアノを習い始める。習い始めて4 年後の 11 歳の時、シカゴ交響楽 団と共にコンサートを行い、モーツアルトの「D メジャー・ピアノ・コンチェルト」バッハの「ブラ

6 ンデンブルグ・コンチェルトNO.2」を演奏したのだからものすごい。ハイド・パーク高校に入った ハービーは、自分のバンドを作り、よくジャム・セッションをやった。大学は、シカゴの左隣にある アイオワ州ハートランドにあるグルネル大学に進んだ。専攻は電子工学を選んだが、音楽好きのハー ビーはやがて音楽に専攻を変え、1960年 6 月卒業し、故郷のシカゴに20歳の時、戻った。 1960年当時のシカゴは全米第2位の大都市だった(現在は3番目)。シカゴは「ウインディ・シティ」 (風の町)と呼ばれてきた。しかし、この呼び名は、風の強い気候からきているのでなく、ニューヨー ク・サン紙の編集者チャールズ・デーナがシカゴの政治家を「Long Winded」(息の長い)と形容し たことから始まった。今日のシカゴを見て、ミシガン湖のほとりに、かつてイリノイ・インディアン が住んでいたことを想像するのは難しい。シカゴは、インディアンの言葉で「パワフル」、「ストロン グ」を意味する説と「スカンク」とか「臭い」という意味だったという両方の説がある。それはこの 地域に昔から野生のネギが多く、それが強烈な匂いの源になっていたからだ。1770年代にフランス人 が入植した。そして1837年に市政がしかれ、エキサイティングでダイナミックな街に成長した。現在 の人口は、700万人以上である。 シカゴは、音楽の都でもある。シカゴは、ニューヨークやロサンゼルスやニューオーリンズと違 う独特の磁場を形成し、命脈を伝えてきた。戦前にはスイング・ジャズやアイリッシュ・トラッドの 大きなシーンを作り出し、50年代にはモダン・ブルースのメッカだった。 1960年という年は、世界各地が騒然としていた。日本は、1月に日米新安保条約が強行採決さ れ、デモ中、樺美智子さんが死亡した。またお正月にアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャー ズが初来日して一大ファンキー・ジャズ・ブームが到来した。メンバーには、若きリー・モーガン(tp) とウェイン・ショーター(ts)が参加しており、彼らは日本のジャズメンに「モード」を教示していっ た。 海外では米ソ関係が悪化する中、11月、ジョン・F・ケネディが史上最年少の43歳で、第35 代米大統領に就任した。 1960年のシカゴのジャズ・シーンは大きくはなかったが、しっかりと街に根付いていた。夜毎、 色んなクラブでジャム・セッションが行われていた。 60年6月、グリネル大学を卒業し、シカゴに戻ったハービーは何と郵便局で働いていたが、すぐ辞 め、ジャズ・ピアニストとして働き始めた。1960年9月、「バード・ハウス」というジャズ・クラ ブで、コールマン・ホーキンス(ts、1904年生まれ、1969年死去)のグループで、2週間働い たのが最初の仕事だったと、ハービーは父親に語っている。 翌10月、ニューヨークからトランペッターのドナルド・バード・クインテット(ピアノは、デュー ク・ピアソン)がシカゴを訪れ、「バード・ハウス」に出演した。しかし、この時はまだドナルドとハー ビーは出会っていない。 1960年12月の初め、再びドナルド・バードに、シカゴの「バード・ハウス」の仕事が入った。 ところが、ピアニストのデューク・ピアソンが急にホームシックとなり、故郷のジョージア州アトラ ンタに一人帰ってしまった。困ったドナルドは「バード・ハウス」のオーナー、ジョン・コートに 相談した。ジョンはドナルドに2人のピアニストを推薦した。一人はノースウエスタン大学の学生の ダニー・ズイットリン、そしてもう一人はハービー・ハンコックだった。オーナーのジョンから2人 のピアニストの説明を聞いたドナルド・バードが選んだのはハービー・ハンコックの方だった。 この時、ドナルド・バード・クインテットに参加したハービーのフレッシュな演奏は素晴らしく、ド ナルドはすっかりハービーが気に入ってしまった。翌1961年1月、ドナルド・バードは3度シカ ゴの「バード・ハウス」を訪れた。再びドナルドは、ハービーを指名し、ハービーとなら新しい自分の 音がきっと出来ると確信した。そこでドナルドは、「ハービー、デューク・ピアソンを首にするから、 俺のバンドに入るため、ニューヨークに一緒に来てくれ!」と、頼んだ。正規ピアニストとして迎え 入れると言われたハービーは、ニューヨークへ行く決心をした。この時の演奏は、いきなり「ダウン ビート」誌のライブ・レポートで絶賛されている。

7 1961年1月、ハービーは厳冬の中、故郷のシカゴからニューヨークのブロンクスに引越しした。 ブロンクスにはドナルド・バードが住んでいたからだ。まずはドナルドの世話になり、ドナルドのア パートに住むようになった。 早速録音したのが、『アウト・オブ・ディス・ワールド/ ドナルド・バード~ペッパーアダムス・ク インテット』である。レコードには、録音日の記載がないが、61年の1月~2月頃と推定する。ハー ビーの初吹込みである。ドラムはジミー・コブであった。 ドナルド・バードはニューヨークのジャズ・シーンにハービーを紹介し、早速フィル・ウッズと「ハー フ・ノート」で共演した。また、ドナルドのサジェスチョンにより、マンハッタン・スクール・オブ・ ミュージックに入学した。 さらに1961年には、スタジオに4回入り、ドナルド・バードのリーダー作『チャント』(4月)、 『ヒップ・インタータインタインメントVol.1』(6月)、『ロイヤル・フラッシュ』(9月)、『フリー・フォー ム』(12月)に参加する。 ハービーの BlueNote における最初の録音は、長らくドナルド・バードの『ロイヤル・フラッシュ』 (61年9月)だと思われていたが、80年代にBlueNoteのLT seriesから『チャント』(61年4月) が発表され、その5ヶ月に録音があったことが判明した。 『ロイヤル・フラッシュ』には、ハービーの初オリジナル作「レクイエム」が収められている。『フ リー・フォーム』の録音時にも、ハービーのオリジナル「スリー・ウイシュズ」が録音された。しか しこの曲は、アルバム『フリー・フォーム』には収録されなかったが、1979年に再発されたアルバ ムに追加され、遂に陽の目を見た。また、この『フリー・フォーム』の録音時、ハービーは将来盟友 となるウェイン・ショーターと初めて出会う。「何て新鮮なピアノだろう」と思ったと、ウェインは語っ ている。ウェインはこの頃、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに入って2年目で、2 8歳だった。ハービーをバックにしたウェインのテナーはとても美しい。

HERBIE 1961 (5枚) 録音日 / タイトル / 演奏者 (レーベル名)

1961.(1月~2月頃) (1)Out Of This World/Pepper Adams~Donald Byrd Quintet (Warwick) 1961. 4.17 (2)Chant / Donald Byrd (Blue Note) 1961. 6.24 (3)HIP-INTERTAINMENT Vol.1 / Donald Byrd/Pepper Adams(VGM) 1961. 9.21 (4) Royal Flush/ Donald Byrd(Blue Note) 1961.12.11 (5)Free Form/ Donald Byrd(Blue Note)

8 『Out Of This World PepperAdams̃Donald Byrd Quintet』 1. Byrd House 2. Mr. Lucky 3. Day Dream 4. I'm An Old Cowhand 5. Curro's 6. It's A Beautiful Evening 7. Out Of This World Donald Byrd(tp),Pepper Adams(bs),Herbie Hancock(p) ,Laymon Jackson(b), Jimmy Cobb(ds),Teddy Charles(vib,6のみに参加) 記念すべきハービー(当時20歳)の初吹き込みである。録音日の記載はなくただ1961年とある が、ライナーノーツをダウンビート誌のライターが3月2日に書いているので、ハービーのニューヨー ク進出直後の61年1月~2月の録音とみて間違いはないだろう。 ドナルド・バード(tp,1932 年生まれ、28歳)は、58年12月、BlueNoteでの初リーダー作『アウ ト・トゥ・ザ・レイシズ』を吹き込んで以来、BlueNote と契約し、年に2~3枚のリーダー作をコン スタントに録音してきた。従って単独の自己名義のリーダー作は、他のレーベルに録音できないため、 盟友のペッパー・アダムス(bs,1930 年生まれ、当時30 歳、1986 年に死去)との合同名義にして本作 の録音を行ったようである。 ハービーの演奏を聞くと、完璧なピアノ・プレイが既に行える実力の持ち主であることがよくわ かる。バラードもアップ・テンポも大変達者な演奏だが、一聴して「あっ、ハービーの音だ」とわか るほどの個性はない。しかし、ビル・エバンス風とか誰々風というようには聞こえてこない。既にピ アノに非凡の才があることが十分に聞き取れる。 聞き所は、3~7での演奏である。ハービーは、3のバラードの解釈は美しい!この曲は、ペッ パー・アダムスのショウケースになっており、ペッパーの個性がよく活きている。音色の美しさ、フ レージングなど見事である。5は、ドナルドのオリジナルで、アップ・テンポのテーマ・メロディが 印象的な曲である。アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズが演奏するとピッタリとくるよ うな曲である。ここではドナルドが緩急を取り混ぜた素晴らしいトランペットを披露する。ペッパー に続くハービーのソロは、畳み掛けてくるような勢いのある素晴らしい演奏で、当時としてはかなり 新鮮に聞こえたはずだ。 6は、ドナルドのまろやかなトランペットが聞けるバラード。ドナルドのプレイの後、流れるよ うに入るハービーの限りなく美しいピアノが素敵だ。非凡の才を感じる。 7は標題曲。何か録音状態がこの曲だけ違って聞こえる。マイルスを彷彿とさせるドナルドの哀 愁のペット、説得力のあるペッパー、流麗なハービーの鮮やかなピアノ。 またこの音源は、様々につまみ食いされしまい、『JAMMIN'』、『Takin'Care Of Business 』、『Hot And Heavy』、『Herbie's Blues』、『Hancock Alley』などとタイトルを変え、一部分が適当に使用され発売さ れているのが、絶対に買わないように充分気をつけて欲しい!

9 『Free Form /Donald Byrd』 1. Pentacostal Feelin' 2. Night Flower 3. Nai Nai 4. French Spice 5. Free Form 6. Three Wishes Donald Byrd(tp),Wayne Shorter(ts),Herbie Hancock(p),Butch Warren(b), Billy Higgins(ds) 将来大親友となるハービー・ハンコック(21歳)とウェイ ン・ショーター(28歳)の記念すべき初共演作品。ウェイン の話によると、録音当時、ハービーの名は、既にニューヨーク のジャズ・シーンでかなり有名になっていたそうだ。ウェインのハービーを見た初印象は、「まだ学 生のようにみえた。雰囲気がとても良い家庭の出身に思えた」という。 このアルバムは、ハービー、ウェインそしてビリー・ヒギンズ(25歳)の参加を得て、数あるド ナルド・バード(29歳)の作品の中でも忘れられない傑作になったと思う。 1~5まで全てドナルドのオリジナルだ。6のハービーのオリジナルをオリジナル盤から外した理 由は、演奏の出来でなく、ドナルドのオリジナルで統一したかったためと考察する。当時のハービー は、ニューヨークに出てきて、11ヶ月経ったところだが、数多くのセッションに参加してすっかり 腕を上げている。数音聞いただけで、ハービーが弾いていることがわかるぐらいの個性を持った。恐 るべきスピードでハービーは進化している。 ウェインとハービーの二人を参加させるということは、萎縮するか気合が入るかの二つに一つしか ないと思うが、ドナルドは気合を入れ、素晴らしい演奏を披露する。 1は、所謂ジャズ・ロック。但しリー・モーガンが「サイドワインダー」を吹き込む2年前、ハー ビーが「ウォーターメロン・マン」を吹き込む半年前の演奏ということを知って聞くと驚嘆するだろ う。2は、珠玉のバラードで、ドナルド→ハービー→ウェインの3人が美しいモーダルな演奏を聞か せる。3は、ハードバップの典型的なナンバー。 4の「フレンチ・スパイス」は、ハービーの初吹き込みの『アウト・オブ・ディス・ワールド』の 5曲目に入っている「キュロス」と実は異名同曲(まったく同じ曲)である。11ヶ月経った演奏は、 恐るべき進化を遂げた演奏で、ウェインのミステリアスなソロ。輝くばかりのドナルド。静かに入り、 スインギーなハービー。三者三様に素晴らしい!5は、標題曲で文字通り、ドナルドがフリー・ジャズ に挑戦した曲。ウェイン→ドナルド→再びウェイン→ハービーと続くが、特にウェインのソロは、ハー ビーをバックに後年の黄金のマイルス・デイビス・クインテットを髣髴とさせるすごい演奏。ハービー も“飛んでる”演奏。恐るべし!ハービー、まだデビュー1年でここまで演奏するとは!6は、オリ ジナル盤から外されていたハービーのオリジナル。3人が短く簡潔なソロを聞かせる。

―了―

10 「追悼 エルビン・ジョーンズ」 H.S.

その日は、緑の美しさが朝からの小雨でより鮮やかになって、再生の季節をより色彩感豊かに演出 ていた。5月19日、エルビン・ジョーンズの訃報を知った。 18日に亡くなったのだと言う。1927年9月9日生まれだから今年77歳になるはずであつた。 思えばジャズに興味を持った当初からそのリズムには他と異なる迫真性を感じていた。そして、ジョ ン・コルトレーンの諸作を次々と聴くに及んでリズムの生々しさ、ドラマチックな展開、アグレッシィ ブに鼓舞するドラミングに驚嘆させられた。

親日家であつたエルビン・ジョーンズは1966年11月「ドラム合戦」で初来日以降しばしば訪 れているが、何と言ってもその時の印象が一際鮮烈である。コンサートも盛りあがったが、新宿伊勢 丹の裏にあつた開店間もない「ピットイン」で渡辺貞夫、山下洋輔その他若手のミュジシャン達とジャ ムセッションが頻繁に行われ、日本のミュジシャン達に大きな影響を与えたのだった。数ヶ月に及ん だ主な滞在先は、なんと小西徹宅であつた。 小西徹はドラムに関して極めてシビアで、フェバリットドラマーは一も二もなくエルビン・ジョー ンズだつた。エルビンが数ヶ月の滞在を余儀なくされた機会に自宅に招いたのである。当時、氏は積 極的にライブシーンで活躍しており、ピットインやタローで盛んにセッションを重ねていた。 恐らく小西徹が中心となってコーディネイトしたのではないかと思われるが、エルビンを迎えて 「ピットイン」の出演がきまる。12月9日から31日までの20日間、毎週金土日の夜と言う日程で 金曜日渡辺貞夫カルテット、土曜日小西徹トリオ、日曜日山下洋輔―武田和命と言うセッティングで あつた。取り分け小西徹とのセッションが大変興味深い。最も好きな世界のトップドラマーと夢のよ うなセッションであつたに違いない。ベーシストは寺川正興だった。また自宅ではジャズを介しての 楽しい語らい、午後には近くの銭湯に諸々配慮して一番風呂に入っていたと言う。正に、裸の付き合 いといつた感じだがこうした事に依って二人の関係は伴に“ソウルブラザー“と呼び合う間柄になっ ていった。その後も関係は継続し82年神保町”響“で久々に旧交を温めた。(この時のレポートは KJFC 佐藤氏がGROOVY 6 号で紹介されている)エルビンが一番困っていた時に育まれた小西徹との 関係は本人にとつて忘れられない事であつたに違いない。 近年、世代交代の時期と言う事もありジャズの巨人達が相次いで他界、淋しい限りだがエルビン・ ジョーンズの訃報は自分にとっても近しい気がして本当に残念な気持ちで一杯である。

11 過日、好きなアルバムを聴いてエルビン・ジョーンズを偲んだ。 <1> 「AND THEN AGAIN / ELVIN JONES」ATLANTIC SD-1443 REC.1965 ジョン・コルトレーングループ独立前年に吹き込まれたエルビンの意欲作。 才人メルバ・リストンの秀逸な作編曲、ハンク、サッド、エルビンの3兄弟の共演 と聴き所も多い。取り分けアート・デイヴィスの素晴らしいベースラインに乗って

3兄弟が緊張感のあるソロを展開させるタイトル曲が好きだ。

<2> 「HERE COMES EARL HINES TRIO」CONTACT CM-6 REC,1966 復活したハインズが当時最高のリズムマンと共演したアルバム。エルビンの 伝統に根ざした革新性というドラミング、そのレンジの広さを聴くことが出来 る。何時もの様に"BYE BYE BABY"を筆頭にブラシの素晴らしさに耳を傾けた。

<3> 「I WANT TO HOLD YOUR HAND / GRANT GREEN」BLUE NOTE 4202 「STREET OF DREANS / GRANT GREEN」BLUE NOTE 4253 後期ブルーノート、グラント・グリーン名義によるこの2作のアルバムはポッ プシリーズと呼ばれる一連の作品。伴にエルビンの参加を得て引き締まり且つ リラックスした好セッション。ゆったりとした解放感に浸った。

日本と関係が深かったエルビン・ジョーンズ、様々な状況の中で色々なエピソードがあるだろう、そ の一齣一齣はエルビン無き現在どれもが掛け替えの無いものであるに違いない。 私も前記小西徹との係わりを通じていつまでもエルビン・ジョーンズを忘れる事ができない。ご 冥福をお祈りします。 合掌

12 J.J.J. Japan Jazz Junction 「映画館」Live 開催 !

KJFC 例会で、毎月第三金曜日お世話になっています、白山のJAZZ 喫茶『映画館』で、勤 労感謝の日(本来は新嘗祭)にライブが開催されました。

開催:2004 年 11 月 23 日(火曜、祝日) 開場:17:00 開演:18:00 ミュージックチャージ:¥2,500 会場:JAZZ喫茶「映画館」(文京区白山 5-33-19) (都営三田線「白山」(I-13)A-3出口、東洋大学側エレベーター正面) phone:03-3811-8932 電子メール:[email protected]

ホームページ(http://www6.ocn.ne.jp/̃eigakan/)のClipboardコーナーをご覧ください。 電子メールで案内をご希望の方は、下記アドレスに「ライブ情報希望」のタイトルでご送信ください。

出演メンバー 中山英二(bass)Eiji Nakayama http://www.h3.dion.ne.jp/~eijin/ 北海道札幌市出身。 1982年デビューアルバム「北の大地」で一躍脚光を浴びて以来、海外のビッグアー ティスト、エルビン・ジョーンズ(ds)、ドン・フリードマン(p)、そしてローラン ド・ハナ(p)などと共演。1990年にニューヨークのミュージシャンをメンバーに 従え「中山英二ニューヨークカルテット」を結成、不動のメンバーにて6年間活動。 1998年秋には、ヨーロッパのミュージシャンを招いて「中山英二 ヨーロピアンコ ネクション」と題してツアーを行うなど国内だけでなく海外でも、日本を代表する 孤高のベーシストとして高い評価を受けている。 リーダーアルバム13作を発表、自叙伝「北の大地から」を10月上旬に出版する。 2003年3月30日24ビットダイレクトカッティングCDにてデビューアルバム「北 の大地」(TBM-XR-5044)が復活される。 4月23日にはピアノの巨匠、ローランド・ハナとの最後の演奏を収録した「ラスト コンサート」がローランド・ハナの追悼アルバムとして発売される。 2004年3月、ピーター・マドソン(p)とのデュオアルバム「エイジズムード」(ENC- 1002)を発売。

山口友生(guitar) Tomoo Yamaguchi h t t p : / / w w w . j a z z - m u s i c i a n . j p / ~yamaguchi/index.html 東京都出身。 大学在学中、ジョージ大塚バンドで演奏活動を開始。 その後、山口真文バンド、小島のり子バンド等に参 加、また多くのボーカリストの伴奏を行う。 1990頃から、アコースティックギターを手がけここ 数年はアコースティクギター主体に活動している。 2002年7月より中山英二とのライブツアーを行な う。 最近の参加CD・・木原健太郎「Inner Voice」 「Sessions #1」EAST「農夫の喜び」 ■問い合わせ先 JAZZ 喫茶『映画館』/ phone:03-3811-8932 電子メール:[email protected] ホームページ:http://www6.ocn.ne.jp/~eigakan/ 13 J.J.J. <森山威男2デイズ-ジヤズ・スポット「ドルフィー」2004 ,4 ,9 /10>

H.S. 森山威男は「ドルフィー」出演二回目である。以前、音川英二のCD 発表記念ライブで訪れた事が あった。その時の好印象が今回のスペシャルセッションを含む2デイズに発展した経過がある。初日 の 4 月 9 日は森山威男レギュラーカルテット、メンバーは音川英二 (TS、SS)田中信正(P)、望月英明(B)、森山威男(D)その活動及び音楽はFレーベルの諸 作を通じて既に我々の認知するところであるが、ライブは隔絶を極めていた。最も録音に収まりきれ ない音楽と言う気がした。森山威男のドラミング際立った特色は、音量の大きさ、波動的展開の中で 随所に日本的な間を感じさせるアクセントがメンバーを鼓舞するもので、特に音川,田中のソロパー トでのバッキングは、二人のアドリブ表現の窮極を垣間見せるだけでなくその高揚感の持続によって、 異様なサウンドテクスチャーを生み出し迫真の演奏展開と成って聴き手を圧倒するものであつた。 ファーストセットはコルトレーンに縁のある「インプレッションズ」、「アフロブルー」,バラード「コー トにすみれの花を」、音川のオリジナル「サウンドリバー」いずれもコルトレーンの音楽的遺産を継承 しつつ“今”を表現する内容であった。後半は嘗ての森山バンドのオリジナルが中心だった。「サンラ イズ」や「ハッシャバイ」その他、森山威男が統合するレギュラーカルテットの強靭な表現が横溢して いた。

二日目4 月 10 日は最も興味をひくスペシャルセッション。メンバーは井上淑彦(TS)、 田中信正(P)、坂井紅介(B)、森山威男(D)、井上淑彦FUSEドラムスが入れ替わっただけの V.S.O.P。結果として森山威男VS 井上淑彦FUSE 的様相を帯び興味深々のライブだった。森山威男グ ループでの井上淑彦は80年代中旬旺盛な活動を展開、国内に留まらずドイツにも赴き録音もある。こ のグループで井上淑彦は実に沢山のオリジナルを書いておりミュージカルデレクター的な存在であつ た。近年名古屋で共演があつた様に記憶しているが、久振りのセッションである事には違いない。オー プニングは[バース・オフ・ライフ]、続いて「グラスホッパー」、この日の為に井上淑彦が書いたオリ ジナル「ワルツ・フォー・フォーレスト」、バラード「グラティチュ-ド」、「芳ヶ平」後半は森山威男 のオリジナルも取り上げられた。森山威男の送り出すリズムが何時ものFUSEと異なる事が、セッショ ンを追う毎によりアグレッシィブな展開となって各人を鼓舞し,アドリブ表現の深淵を抉る事により、 森山威男を更なる高次元で刺激する,その循環は恐ろしく挑発的かつ刺激に満ちていた。パートパー トではレギュラーカルテットと異なり静と動を顧慮したバッキングであつた。各人の瞬間の意識が音 として表現され、それがカルテットのサウンドとして生生しく形成される。こうした 4 人の創造力が 十分発揮されたセッションだった。 アフターアワー凄まじいドラミングとは相対する、さりげないユーモアを含んだ静かな語り口が 森山威男の人間性を強く感じさせた。来月もここ「ドルフィー」でのセッションが決まっている。従 来東京へ訪れた折の出演は、「ピット・イン」、「アケタ」の二店だったが横浜/ 桜木町「ドルフィー」 もここで新たに加わった。 この2日間連日沢山のファンが集った「ドルフィー」、何かリアルなものがここから始まったと感 じさせる充実ぶり。再会セッションを期して待つことにしょう。

この二日間ここ「ドルフィー」でのセッションはこの様にミュージシャンの創造性と聴手の熱意 に依って稀に見る充実したライブであった。

14 J.J.J. 本 「超ブルーノート入門」中山康樹著(集英社新書 税込み 735 円) 「超ブルーノート入門 完結編」中山康樹著(集英社新書 税込み 735 円)

世の中にはブルーノートレコードの本が数多くあるけれど、今回その決定版とのいえる本があったの でご紹介します。 著者の中山康樹さんはご存知の方もたくさんいると思いますが、元スイングジャーナルの編集長を務 め、現在はフリーの評論家として著作もたくさん発表している人です。独自の取材やインタビューに基 づく新しい切り口を持っている人ですし、その語り口も新鮮で、時にはギャグとも言えるユーモアある 文章は好きです。ただどうしてもマイルス・ディビスに偏りがちなところがあるのが、欠点かといえば欠 点でしょうが。

この本はブルーノートレコード入門と銘打ってあるものの、初心者だけでなく幅広いジャズファンの 方が楽しめるようになっている。それはどういうことかといえば、それぞれ1500番台の98枚と4000番 台の97枚の紹介をしているのだが、単にレコードの解説にとどまらず、そのレコードが誕生した背景を、 これまであまり表に出てこなかった裏話しや挿話を交えて興味あるように描かれていることと、時には ブルーノートレコードのオーナーでありプロデューサーでもあるアルフレッド・ライオンや個々のプレ イヤーの心情を推察している点も目新しい点だった。

レコード1枚につき1000字あまりの文章なので読みやすいこともあった。そしてそれは超短編小説を 読むように面白く、また納得させられるものでもあった。何故小説かというと、出だしと最後の1行 にすごくこだわりを持っていると感じたからだ。また著者独特のユーモアある文章は、思わずニンマ リしてしまう。それ自体が良質のエンターテイメントに感じた。 でも面白いだけではない。今まで知らなかったことも随分をあった。例えば、私が錯覚していたの はブルーノートのレコードが番号順に発売されたわけではなく、アルフレッド・ライオンの意向によっ て多い番号から発売されたこともあるし、時には番号もジャケットのデザインも決まっていながら、敢 えて発売されなかったレコードもあるということの真相に迫っていることだ。

ご存知の通りブルーノートの1500番台と4000番台のレコードといえば、泣く子も黙り、わがままやノ ウガキをわめき散らすコレクターもピタリと黙るモダンジャズ史上に輝く名物シリーズだが、この2冊 の本は単に1枚1枚のレコード解説ではなく、そのシリーズがどういう経緯と流れの中で創作されて、世 の中に残されたかが、これまでの解説書と異なった観点で描かれている。 例えば1500番台といえば、ちょいとしたレコードコレクターだったら1501番からタイトルとプレイ ヤーを暗記しているものです。コレクターどうしの会話で、「誰々が 1568 のオリを買ったってさ」 「ひぇー。どうせガタじゃないの」「いやバンもジャケもピカだ。なんでもリャンピンはしたらしい」な んて会話がある。これを翻訳すると「誰々がブルーノートのハンク・モブレー(1568番)のオリジナル 盤を買った」「へえ、どうせあまりコンディションが良くないじゃないか」「いや盤質もジャケットも良 好だ。なんでも 20 万円はしたらしい」となる。 ジャズは読むものではなく、聴くものだということは百も承知なのですが、この本だけは繰り返し 読みたくなります。 はっ!! それはもしかして私って、ブルーノートおたく指向なのかな。 繰り返しになるが、ブルーノー トが好きな人も嫌いな人も、そして初心者だけでなく多くにファンの人に読んでもらいたい本です。 (我蘭堂)

15 J.J.J. ご隠居と熊さん 東芝のアナログ・ブルーノート盤は、女房を質屋にいれても買え!? モダン亭バプ太郎 「てえへんだ~、てえへんだっ。ご隠居、ご隠居さんはいますか!」 「何だ、何だ。どうも騒がしいと思ったら、熊さんじゃないか。お~い、熊さん、そこは隣りの家だ よ。私のうちはこっちだよ。相変わらずそそっかしいね、お前さんは。どうしたんだい、汗をかいて、 息を切らせちゃってさ。おやおやどうしたんだい、顔中引っ掻き傷だらけじゃないの。たんこぶやア ザまで作っちゃてさ。ははあ、さてはまたかみさんと派手な喧嘩をやらかしたね。それで逃げ出して きたって訳かい」 「はぁはぁ。どうもこうもねえや、ご隠居。そうなんでさ、かみさんとやらかしちまってね。顔は引っ 掛かれるわ、ケツは蹴られるわで、ここまで吹っ飛んできちまったんでさ」 「なんだか情けないけど、今度の喧嘩の原因はなんだい。またいつものように仲裁に行けばいいのか い」 「まあご隠居、このレコードを見ておくんなさい。喧嘩の原因はこいつなんでさぁ」 「おや、また買ってきたのかえ。好きだねえ、お前さんも。仕事をほっ ぽらかして、皿屋(レコード屋)回りばかりしてちゃ、いけませんよ。そん なことをしていると本当にそのうち、おまんま食えなくなりますよ。かみ さんに本当に愛想を尽かされてしまいますよ。まあいいや。どんな珍しい レコードを買ってきたか見せてごらん。どれどれ、何だえ、これは。ジョ ン・コルトレーンの《ブルートレイン》じゃないの。昔は『青列車夜更暴 走怒涛末脚(あおれっしゃよふけのぼうそう どとうのすえあし)』という 邦題がついて、そりゃたいした人気盤だったな。当時のジャズ喫茶じゃこ のレコードが掛からなかった日はなかったくらいでの、わしも随分と聴き 込んだものだわ」 「本当ですか? その邦題は、なんか嘘っぽいな」 「まあ、よろしぃ。でも随分ときれいなジャケットじゃの。ただこのレコードのどこが大変なんだえ」 「そうそう、そこですよ。いいですか、よーく聞いておくんなさい。このレコードはね、そんじょそ こいらにある《ブルートレイン》とは訳が違うんでさ。なんたってね、ご隠居、ルビーがバーンと爆 発してゲロ出したんで、そこのマスターがリングに上がったとたんに、虎鉄という刀でばっさり切ら れて、ジャケットとコートをいっしょに着た重量挙げの選手が180キロ持ち上げちまったっていう 優れものなんでさ」 「...? ちょいとお前さん、落ち着きなさいよ。どうもお前さんの言っていることは訳が分からない ね」 「いえ、ですからねご隠居、ルビーがバーンと爆発した店が・・・」 「お待ち。慌てないで最初から順番に話してごらん」 「いえね、昨日の昼間ちょいとひまな時間ができちまったもんで、内藤新宿のへ寄ったら、顔見知り の店員がね『ちょいと熊のダンナ。ダンナは根っからのブルーノートっ子だってね』て言いやがるか ら『あたぼうよ、自慢じゃねえけど、レキシントンの生れよ。ハドソン川で産湯を使って、バードラ ンドの子守唄で育ったんでい。ピアノはシルバー、クラーク。テナーはモブレイ、アルトはルーにマ クリーン、ペットはモーガン、ドラムはブレイキーで、ついでにオルガンはジミ-・スミスしか聴か ねいやい。おっとギターのグリーンとバレルを忘れるところだったぜい』って啖呵きってやったんで さ。そしたら野郎はへらへら愛想笑いしながら『偉い!! そうこなくっちゃいけねえや。やっぱ熊さん は粋でイナセなブルーノートっ子だね。だったら熊さん、このレコードは是非買いなよ』って取り出 してきたのが、このレコードなんでさ。『なんでいこいつは』って聞いたら、『これは究極のアナログ レコードで、熊さんのようなブルーノートっ子のために作られたもんでさ』って言って、さっきのル ビーがバーンて教えてくれたんでさ」

16 J.J.J. 「まあまあ、お待ちよ。どれどれ貸してごらん。ふむふむ、なんだ熊さん、こういうことだよ。いい か、まずルビーがバーンと爆発してゲロ出したんじゃない。ルディ・ヴァン・ゲルダ-という人がマ スタリングしたんじゃな。この方はそりゃ立派なレコード・エンジニアでな、お前さんもブルーノー トっ子とエバルくらいなら名前ぐらい覚えておかなきゃいけない。50年代・60年代の全盛時代の録音 からスタンパーの作成までをほぼひとりでやった人なんじゃ。ふつうはな、録音とマスタリング、カッ ティングは別々の人がやるんじゃが、この人はあくまでも自分の音にこだわりがあったせいか、結構 最後までひとりでやっていたようじゃ。例えば、そうだな。ほれこのレコードの内周、音楽が終わっ たところのレーベルに近いところを見てごらん。ここに“RVG”と刻印が打ってあるじゃろ。これ がヴァン・ゲルダ-さんが自分でカッティングした証拠のレコードなんじゃ」 「そ、そのスタンパーとかカッティングてなんなんですか?」 「うむ、いい質問じゃな。一般的に録音したばかりのオリジナルテープはマルチチャンネルで録音さ れているので、これを2チャンネルのステレオテープにしなければならない。このときに音質補正を したり、エコーを加えたり加工したものがマスターテープと呼ばれるものなのじゃ。このテープをコ ピーして、カッティングに必要な基準信号や、テープレコーダーのヘッドの傾きを調整するための信 号を付け加えたものがカッティング・マスターテープと呼ばれるものじゃ。カッティングに回された テープは、ここでも加工が加わる。音の高域や低域を補正したりして金属ベースにラッカーを均一に 塗布したラッカー盤にカッティングされる。これが原盤と呼ばれるものじゃ。このラッカー盤は銀鏡 処理し、ニッケルメッキされたネガが作られる。これが実際のレコードを作るメタルマスターになり、 このメタルマスターからメタルマザー(ポジ)が作られ、このメタルマザーから、実際の量産用のス タンパー(ネガ)が作られ、このスタンパーからレコードがプレスされることになる。どうだ分かっ たか」 「・・・わかんない」 「まあいいさ。とにかくヴァン・ゲルダ-さんはこの聞くだけでもしち面倒くさい作業を自分ひとり で、やっちまった人なんだ。ブルーノートだけじゃなく、プレスティッジやサボイ、アトランティッ クやインパルスなどのレーベルでも数多く活躍したな」 「へえ、そんなに偉いお方だったんですかい。またひとつ勉強になりました」 「うむ、それでな、マスターがリングに上がったんじゃない。このヴァン・ゲルダ-さんが録音され たテープからもう一度マスタリング・テープを作ったてのが、このレコードの特長の一番目なのじゃ。 次に、こてつが切ったんじゃない。新撰組の近藤勇じゃない。これは小鐵 徹さんといって我が国で 一番有名なカッティング技師の人のことじゃ」 「なんでい、刀じゃないんですかい」 「おうさ、小鐵さんといえば、この名を聞けば泣く子も黙り、ダダやわがままをこねくり回すレコー ドマニアもピタリと静まるという、エレえお方よ」 「本当にねえ、おかっねえ名前だものね」 「うむ。で、この小鐵さんがヴァン・ゲルダ-さんのマスタリング・テープを受け取ってだな、誠 心誠意気持ちを込めてカッティングしたというのがこのレコードの2 番目の特長なんだな」 「へえへえ」

「ジャケットとコートをいっしょに着た重量挙げの選手じゃない。まずこのレコードのジャケットが コーティングされているということだ」 「コーティング?」 「うむ。ジャケットを印刷することはお前さんでも分かるだろうが、その印刷した表面にポリプロピ レンという樹脂を塗布するのだな。こうすると印刷された表面に艶が出てきてきれいになるし、また ジャケットそのものを保護するのにもよいのじゃ。次に重量挙げの選手じゃない。このレコードじた いが180グラムという最近では厚い盤でできておるのじゃ。いわば重量盤という奴じゃな」 「なーるへそ。それで合点がいきやした」

17 J.J.J. 「なにをいってるんだい。お前さんの早とちりは相変わらずだね。よくそれで生きていられるね」 「まあまあ、ご隠居。いいじゃありませんか。それより咽が乾いちまって仕方ありませんや。ビール でもご馳走してくださいな」 「ふ-ん、それでいったい全体どうしてこのレコードでオカミさんと喧嘩しちまったんだえ」 「いや、それがね。由仁音堂には全部で20枚くらいあったんですが、ちょうど懐が淋しくてね、1枚 分しか買えなっかたんで、この《ブルートレイン》を買ったんでさ。そいでもって、さっそく小石川 白山村のに持っていって、掛けてもらったんでさぁ」 「おう栄華庵か。久しく伺っていないが、庵主の吉田円盤斎殿はお達者かの。相変わらずオーディオ は進化し続けておるかの」 「へい、多少ひげは白くなりやしたがね。まあそんなことはどうでもいいや。とにかく聴いたとたん にみんな、びっくり仰天したんでさ。ジャケットがいい上に、音が良くてね。店にあった、今まで国 内盤じゃ一番音がいいって言われていたキング盤と聴き比べてみたんでさ。厚みっていうにか延びっ ていうのか、結構差があってね」 「ほうほう、それで」 「庵主はくやしまぎれに『モノラルじゃないから』なんて言ってましたが、あっしにはこれで充分で さ」 「ふーん、そんなことがあったのかい。それじゃまあ、とにかく聴いてみようじゃないの」 (パパパッパ~、ジャーン・ジャーン パパパッパ~、ジャーン・ジャーン パパパッパ~、ジャー ン・ジャーン) 「おや本当だね、何だか今まで聴いた事もないようにきれいだね。それに音も分厚い感じがするね」 「でしょぅ~。へへへ」 「いいね。おーいバアサン、この間もらったカステイラがあったろう。熊さんに出しておあげ」 「へへへ、いつもすいませんね」 「でも本当にいい音だねぇ。コルトレーンのテナーも力強いし、モーガンのペットもつややかだね」 「こんなオモチャみたいな蓄音機でもよく分かりやすね」 「なんだい、オモチャだって! おーい、バアサン、カステイラはしまっときな。出さなくていい よ!」 「ちょっと、ご隠居。それはないでしょ」

「それでね。常連のひとりが、『こいつはイイね。女房を質屋に入れても20枚全部買わなくっちゃい けねえや』なんてぬかしやがるんですよ。そいでもってあっしも、ついその気になって家に帰って、か みさんに『やい、レコード全部買うから、てめえはおとなしく質屋に行きやがれ』って言ったんでさ。 そしたらかみさんの野郎『なに抜かしやがる、この甲斐性なしめ。あたしこそたまにはヴィトンのバッ グでも欲しいからてめえが質屋に入りやがれ』って言われて、このざまなんでさ」 「ああ~、本当にお前さんは底無しで、果てしない太平洋のような、どこまでいってもお馬鹿さんだ ね。当たり前でしょ。そんなことは。それはおかみさんが怒るのも無理はありませんよ。いったいど この世界に自分の女房を質屋に入れてまでもレコードを買うアンポンタンがいるの。今度ばかりはア タシもおかみさんの味方だね。仲裁はしませんよ」 「そんな冷たいこと言わないで、何とかしてくださいよ、ご隠居...」

「だいいちお前さん、アナログ盤を聴くプレイヤーを持っていないでしょ。これからの時代はシー デー(CD)だシ-デーって威張りまくってさ、ご隠居はアナログ盤しか聴かないからアナグロだ、アナ グロだってさんざんバカにしてくれたのを、よく覚えていますよ」 「てっ、年寄りは執念深いね」 「それが年寄りのいいところじゃないの」 「でね、仕方ないからご隠居のこのガラクタプレイヤーを今日持っていっちまおうかと考えていたん でさ」 「なに言ってるんだい。なにがガラクタだよ。冗談じゃありませんよ。まだまだ充分使えるんですか

18 J.J.J. らね。そんな簡単にお前さんにあげるわけには行きませんよ」 「まあ、そう依怙地にならずに、どうせご隠居さんだって長くはないんだし、ここはひとつ生きてい るうちの形見分けということで...」 「バカ言ってるんじゃありませんよ。縁起でもないね。まあお前さんの口が悪いのは承知の上だから、 いいけどさ。まあ物置に使っていないプレイヤーがあるから、それを上げてもいいけどさ」 「げっ、ちゃんと動くんですかい」 「ああ、大丈夫だ。それよりもお前さんはね、身の程しらずもいいトコだよ。ジャズはあくまでも趣 味の世界なんだから背伸びをして無理して全部レコードを買うことはないんだよ。ましてプレイヤー も持っていないアナログ盤を全部買おうなんて100 年早いもいいとこだよ。本当にお前さんはねネチ ネチ...、だからいつも言っているようにねクドクド...、まったくもうガミガミ...、ガミガミネチネチク ドクド、ネチクド・クドネチ」(こうしてご隠居の説教は一刻《2時間》も続きました。ただし、これ はいつものことで、この間にも熊さんにはビールはでるわ、カツ丼は振舞われるわという、はた目か ら見ると変な関係なふたりでした)

「熊さんはカツ丼を美味そうに食って、ほろ酔い加減で帰って行ったな。でも少しは反省もしてくれ たじゃろ。まあ何だかんだ言ってみても、おかみさんに黙って頭を 下げれば済む話しじゃ。今日のところはワシがわざわざ出向かなく てもええじゃろ。おやチラシを忘れていきおったわい。ふーん、ア ナログ盤か。おっ、ソニー・クラークの「黄昏街角艶姿気取歩行《た そがれのまちかど きどりあるきのあですがた》=“クール・スト ラッティン”も出ているのか。そう言えばこの数年聴いていないが、 このレコードには想い出があるな。忘れもしない、まだわしが二十 歳前のことじゃった。友人に連れていかれた神田・神保町のジャズ 茶店“響庵”で、今のバアサンと初めて出会った時に、このレコー ドが掛かっておったの。あのころのバアサンは本当に可憐での、今 では見る影もないわ。でもあの時のバアサンの足は本当に魅力的 だった。このジャケットのようじゃ。このレコードもユナイテッド・ アーティスト盤を持っておるが、うーん、ジャケットが綺麗で音が いいのか。重量盤か…。ヴァン・ゲルダーか…。う~んなんか変な気持ちになってきちゃったね。さっ きは熊さんに偉そうに説教してしまったが、何だかワシも欲しくなっちゃったな。 ...今、なん時 だえ。 まだこんな時間か。 神田駿河台下の大久保彦左衛門様お屋敷近くのはまだ開いておるな。よ し、おーいバアサン、ちょいと出かけてくるよ」

《KJFC例会 今後の予定》 ジャズスポット「映画館」 電話03-3811-8932 2004年12月17日(金)午後7時~午後10時 2005年1月17日(金)午後7時~午後10時 2005年2月14日(金)午後7時~午後10時 「JAZZ COUNTRY」電話03-3572-7684 2004年11月27日(土)午後7時~午後10時 特集:女性ヴォーカル 2004年12月25日 (土) 午後7時~午後10時 前半 特集:今年亡くなった演奏家 後半 忘年会 2005年1月25日(土)午後7時~午後10時 特集:スタン・ゲッツ 2005年2月26日(土)午後7時~午後10時 特集:フランス盤 特集は変更になる場合があります。 19 「Y 's ROOM No.1 2」 「Y念願の大阪のジャズ喫茶に行く」 Yの趣味はジャズを聴く事ですが、それ以上に好きな事がそのジャズの聴ける全国のジャズ喫茶、 ジャズ・バーを巡りマッチを収集する事です。 今まで北は北海道、南は沖縄県まで200軒以上のお店を廻りましたが、その Y が最近どうしても 行きたいと思っていたジャズ喫茶が、今年の5月に朝日新聞で紹介された大阪の「ブルーライツ」で す。 記事には『元国鉄マンのジャズ喫茶』と云うタイトルで「極上の音 存分に」「まるでライブ、手作 りホーン」と書かれてあり、写真も3枚掲載され、お店の歴史からオーディオまで詳しく紹介されて いました。 その「ブルーライツ」に7月18日に行ってきました。 http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaamd908/

前日の17日の夜に大阪入り、その晩は曽根崎新地の「Jazz On Top」と「Wishy-Washy」に行きジャ ズを満喫しました。 そしていよいよ18日、午後一時からの開店と聞いていたので午前中は時間をつぶし、昼過ぎに京 阪電車に乗り香里園駅で降りました。そこからさらにバスで10分「東香里病院前」で下車、そこは 閑静な住宅街でした。

バス停から3分、お店の前に立った時は久し振りに感動しました。蔦の絡まる教会風の白い建物で 入り口に「Jazz spot BLUE LIGHT」、その外観を見ただけで趣味の良さが分かります。 ドアを開けようとすると開かないので、インター・ホーンを押すとすぐにマスターの奥様と思われ る女性が顔を出し、お店の中に入りました。 広さは小学校の教室位ですが、何といっても目立つのが正面に据え付けられた二つの手作りの大型 コンクリートホーンです。一つが高さ1.8m幅2.7mで中にアルテックの38cmウーハーが4つ正方形 に埋められており、その他高音、中音、中低音用のスピーカーが配置された巨大なスピーカー・シス テムになっています。 20

BUD POWELL の「THE SCENE CHANGES」の A 面の演奏が終わったところで、マスターの奥村 繁太郎氏が出てこられました。東京から来た旨を話すと、オーディオ・ルームを拝見する事が出来、使 用している真空管アプンやプレーヤーの説明を受けました。 「ジャズは30年も前に終わっており、その当時の音が録音されたアナログ・レコードをいかに良い 音で聴くかを追求した結果、こういうシステムになった。」との言葉には非常に重みがありました。Y が全国のジャズ喫茶巡りをしていると話すと、他に何処のお店の音が印象に残ったかを尋ねられたの で、一関の「ベーシー」の名をあげると、よく比較されるとの事でした。Yの感想は「べーシー」は確 かに音は良いですが、音量も大きく迫力がありハードな音で、「ブルーライツ」の音は音量も適度で、 疲れないソフトな音でした。 その後COUNT BASIEの「BASIE IN LONDON」と DAVE BRUBECKの「TIME OUT」がかかりま したが、いずれも他のジャズ喫茶はなかなか味わえない素晴らしい音でした。勿論低音の凄さは格別 ですが、シンバルの音が非常にクリアに出ており、貴重な時間を過ごす事が出来ました。 マスターは82歳との事、いつまでもお元気でこの素敵なお店がこれからもずっと続く事を願いな がらお店をあとにしました。 これだからジャズ喫茶巡りは止められません! 2004. 7 . Y . S .

21 カドやんのジャズ教室 vol.20 門倉洸太郎 EMBRANCEABLE YOU あなたを抱きしめて

Embrace me, my sweet embraceble you 愛しいあなたを抱きしめて

Embrace me, you, irreplaceble you わたしと抱き合って、かけがえのないあなた。

Just one look at you, my heart grew tipsy and weak ひとめ見るだけでわたしのこころはメロメロに なる

You, and you alone, bring out the gypsy in my heart あなた、あなただけが、わたしのさまよえるここ ろを導くの

I love all the many charms about you ほんとにすてきなあなた

Above all, I love my arms about you とりわけ あなたを抱く私の腕が愛しい

Don't be a naughty, naughty baby 聞き分けのいい子でいてね

Come to nmama, do さあ わたしのいうことを聞いて

My sweet embraceble you 愛しいあなたを抱きしめて

My sweet embraceble you 愛しいあなたを抱きしめて

22 レッド・ガーランドの魅力について 第1 8 回 紅 我蘭堂

さてガーランドは1957年にコルトレーンを擁したクインテットでの自己名義のレコーディングを行 ないました。“擁する”...古臭い言い回しです。よく「好投手松坂を擁した横浜高校が夏の甲子園大会 を制しました」というような言いかたをします。そう、絶対的なエース・切り札を抱えている場合な のですが、まさしくコルトレーンにはそういう印象があります。 結論から言いますと、これまでホーン陣との競演においてはどうもイマイチだったと私が感じて いるガーランドですが、この4 枚ではリーダーということもあって、その持ち味をいかんなく発揮し ています。おおげさな言いかたをすれば、それこそガーランド一世一代の名演であり、代表作です。そ してコルトレーンのプレイも聴きどころがある好盤であるといえます。4枚まとめてという条件はあ りますが、クリフォード・ブラウン&マックス・ローチクインテットやジャズ・メッセンジャーズ、マ イルス・デイビスクインテットの諸作に劣らない50年代ハードバップ・ジャズ史上に残る好盤です。 これらのアルバムをじっくり聴いていただければ「カクテル・ピアニスト」だの「男が真面目にスピー カーに対峙して聴くプレイヤーではない」などの言葉は出てこないと思います。

第16回にも書いたように、麻薬癖のためにマイルス・ディビス・クインテットを一時的にしろ解雇 されたコルトレーンに救いの手をのべたのはガーランドでした。プレスティッジとの契約を仲介し、ま がりなりにもコルトレーンがアルバムを出したり、他のミュージシャンのレコーディングに参加する 機会を作ったのでした。そしてこの57年の11月15日と12月13日に同じメンバーで録音をしました。 これが本日ご紹介する 4 作です。 世間では、ガーランドの“クインテット4 部作”などと呼ばれているらしいのですが、そもそも ガーランドにしても、プレスティッジのプロデューサーであるボブ・ワインストックにしても、ご大 層な“4部作”など創ろうなどという気は、さらさらなかったと思います。何回も、いくら聴いても内 容に一貫するコンセプトなどないし、またレコードの発売もとてものんびりしていました。この 4 作 がすべて続けて発売されたわけではなく、録音月日とレコード番号を信用するならば、最後の「DI G IT!」が発売されたのはレコーディングから5年もたった1962 年の半ばだったようです。これ はよくこのプレスティッジという会社がやった手で、あのマイルスのING4部作も1956年の吹込み 以来、1 年に 1 枚の割合で小出しに発売され、最後の「STEAMIN '」が発売されたのは、どうや ら 1961 年になってからのようでした。 この4 枚・全17 曲のうち10 曲が1957 年11 月15 日に録音されています。残りのうち5 曲は12 月13 日、他は57 年 3 月22 日の1曲と 58 年2 月に録音された曲から構成されています。同じメンバーで録 音された11月と12月の演奏では、うがった見かたをすれば、マイルス・ディビスに逃げられたレコー ド会社が、マイルスクインテットの主力二人を中心としたこのメンバーで、恒久的なグループを結成 して、レコードの売り出しを計っていたのではないだろうかとも思えます。ドナルド・バードには失 礼ですが編成もマイルスクインテットと同じです。ただしこのメンバーがレギュラー活動をしたとい う記録はありませんし、マイルス・デイビスの自叙伝によると57年のクリスマス以降キャノンボール・ アダレイを加えて再結成されたセクステット編成でツアーに出たとなっています。あくまでもレコー ディング用の臨時に集められたメンバーだったのです。 何故グループとして活動出来なかったかというと、様々な事情があるでしょうが、やはりマイルス・ ディビスがヨーロッパから帰国して自分のグループを再結成したことが大きな要因となっているでしょ う。ただ最後にも書きますがガーランドとコルトレーンの競演は無理だったと思います。 それではこの 4 枚を、一応レコード番号順にご紹介いたしましょう。

23 ALL MORNING LONG(PRESTIGE 7130) RED GARLAND(p), JOHN COLTRANE(ts), DONALD BYRD(tp), GEORGE JOYNER(b), ART TAYLOR(ds) 1957 年 11 月 15 日録音 SIDE A 1.ALL MORNING LONG SIDE B 1.THEY CAN'T TAKE THAT AWAY FROM ME 2.OUR DELIGHT

プレスティッジには「ALL NIGHT LONG」(7073・56 年 12 月録音)と 「ALL DAY LONG」(7081・57年1月録音)という誰がリーダーだか分から ない、いわゆるジャム・セッション的なアルバムがあります。このアルバムはタイトルだけ見るとそ の 2 枚とのシリーズ物か、関連があるように見えますが、内容には、一貫したコンセプトを感じるこ とができません。何ともまぎらわしいタイトルですが、一応別物と考えたほうがいいでしょう。しい て言えばドナルド・バードがその全てに参加していることですが、深く追求しないほうがいいと思い ます。 さて、それはともかくガーランド作曲とクレジットされている冒頭のタイトル曲では、簡単なメロ ディの後にコルトレーンのソロが颯爽と飛び出してきます。そうです、確かにそれは颯爽と形容する にふさわしいソロフレーズです。誰が聴いてもコルトレーンとすぐに分かりますし、その気迫あるプ レイは、ただただ傾聴するしかありません。続くバードのソロも艶やかで瑞々しいです。そして満を 持してガーランドのアドリブになりますが、これがまた堪らないほどスイングしていて、聴いている 私は“たてノリ・横ノリ”の連続です。お得意のフレーズの連発でガーランド節が満喫できます。そ う、このノリの良さこそガーランドの魅力であり、セロニアス・モンクやバド・パウエル、はたまた ビル・エバンスなど後輩ピアニストに多大な影響を与えたビッグネームにも真似できない独自性なの です。ワン・アンド・オンリーというか「ああガーランドのファンでよかったなぁ」という至福の旋 律です。 B面に収録されているガーシュウインとタッド・ダメロンの2曲はスタンダードではありますが、全 員が乗りまくっていて典型的なハード・バッププレイを聴かせてくれます。

SOUL JUNCTION(PRESTIGE 7181) RED GARLAND(p), JOHN COLTRANE(ts), DONALD BYRD(tp), GEORGE JOYNER(b), ART TAYLOR(ds) 1957 年 11 月 15 日録音 SIDE A 1.SOUL JUNCTION 2.WOODY'N YOU SIDE B 1.BIRK'S WORKS 2.I'VE GOT IT BAD 3.HALLELUJAH

冒頭のやはりガーランド作曲とされているSOUL JUNCTIONにおける8 分にも及ぶガーランドのソロ・プレイは、スロー・ブルースのソロとしては ジャズ史上最高傑作のひとつだと思っています。それこそレイジーでアーシーでファンキーでグルー ビーに縦横なソロを繰り広げるガーランド節を堪能できます。これもガーランドファンには悦楽のフ レーズです。次に 8 分以上もじっと待たされていたコルトレーンが、満を持して続きますが、これも 独自性があるプレイで、彼が只者ではないという証しになっています。続くバードも二人に比べれば 短いながらも気合いが入ったアドリブです。バックのジョイナーとテイラーも申し分ありません。特 にジョイナーがいいです。この一曲は50年代ハードバップが生んだ名演に数えられるでしょう。まさ にSOUL(魂)のJUNCTION(交差点)です。A―2はハードバップ定番の曲です。ことガーランドのプレ イだけに絞ればB―1のアドリブも、ノリノリで私は好きです。B-2は、ちょっと休憩という趣き があるミディアム・バラード。これまたガーランドお得意の美しい旋律で盛り上げながらバードとコ ルトレーンへ受け渡すところが聴きどころですが、各人のバラードプレイの素晴らしさに、ただただ 聴き惚れると同時に、それぞれのソロにさりげなく、そして巧みにバッキングしているガーランドの 職人芸ともいうべき“技”を満喫できる1 曲です。

24 HIGH PRESSURE(PRESTIGE 7209) RED GARLAND(p), JOHN COLTRANE(ts), DONALD BYRD(tp), GEORGE JOYNER(b), ART TAYLOR(ds) 1957 年 11 月 15 日 , 12 月 13 日録音 SIDE A 1.SOFT WINDS 2.SOLITUDE SIDE B 1.UNDECIDED 2.WHAT IS THERE TO STAY 3.TWO BASS HIT 3枚目はメンバーのオリジナル曲でなく他人が作曲した曲ばかりで構成 されています。A-1のテーマの後に、これまた延々と続くガーランドの ソロはスインギ-でよく歌っていて、楽しさにあふれています。次のコル トレーンは堂々とした個性的なアドリブを展開していて、早くも“貫禄” を感じさせます。バードのトランペットは艶やかで“うまいっ!”と感じます。ここでもジョイナー の地味だけど随所に光るベースやテイラーのバックアップも聴き逃せません。A-2はおなじみのエ リントンナンバー。ガーランド18 番の情感たっぷりのピアノから入ります。120%以上のムーディー な雰囲気でバードのソロを促しますが、ロマンティックなプレイです。これに対してコルトレーンの ソロはいかにも男性的なプレイで、曲にアクセントを加えています。そして締めはベースの短いソロ を挟んで、やはりガーランドの完璧と言えるプレイがあります。 B面の3 曲も悪くありません。1と3はスインギ- でガーランドのピアノは本当に素晴らしいです。

DIG IT!(PRESTIGE 7229) RED GARLAND(p), JOHN COLTRANE(ts), DONALD BYRD(tp), GEORGE JOYNER(b), ART TAYLOR(ds) PAUL CHAMBERS(b) SIDE A 2,3 SIDE A 3 1957 年 3 月 22 日録音。SIDE A 2 1958 年 2 月 7 日録音。他は1957 年 12 月 13 日録音。 SIDE A 1.BILLIE'S BOUNCE 2.CRAZY RHYTHM 3.C.T.A. SIDE B 1.LAZY MAE

以下は想像と仮定の話しです。これまでの3 枚をほぼ1年に1枚の割合でリリースしてきたプレス ティッジですが、その 3 枚はセールス成績もそんなに悪くなかった、いやコルトレーンが参加してい るということで比較的人気があったのかもしれません。またガーランドもトリオ・アルバムをコンス タントにリリースして結構プレスティッジの人気アーティストになっていたのでしょう。62年になっ てから、レコード会社の首脳陣は考えました。当時コルトレーンはインパルスと契約してバンバン吹 込みをしていました。またガーランドもそこそこ人気があったようなので「何とかコルトレーンとガー ランドのレコードを出したいな。何かテープは残っていないのか」と探したところ、57年12月の録音 が 2 曲残っていました。ただこれでは時間が短くてLPは出来ません。そこで首脳陣は「サービスに ガーランドのピアノ・トリオ演奏も入れよう」と58 年2月の録音からA-2を採用しました。それは まあ許せます。でもそれでもLPは埋まり切りません。そこであろうことか首脳陣は、何と57年3月 に録音され、アート・テイラーのリーダー・アルバム「TAYLOR'S WAILERS」(7117)に収録されてい たA―3を1曲引っこ抜いてきて、このレコードに収録してしまったのです。「ドナルド・バードは 入っていないけれど、他のメンバーはいっしょだからいいじゃん」とでも思ったのか、あるいは前記 のアート・テイラーのアルバムが発売されてから数年たっているので、みんなが忘れているとでも思っ たのでしょうか。1枚のレコードとしての完成度を高めようとか、プレイヤーの未知の音楽を聴いて もらおうとかのポリシーもコンセプトも何も感じることができない、ある意味ではファンをバカにし た暴挙です。ジャケットもこれ見よがしにガーランドとコルトレーンの名前を強調していることから も、二人のネームバリューだけで売ろうとしていたことが見え見えです。こういう事をするから、こ の会社はハードバップの御三家などといっても、ブルーノートにはるかに及ばないのでしょう。

25 さてここからは現実の話しですが、この哀れな寄せ集め的なアルバムでも、A-1におけるコルト レーンのソロや、B-1の体がとろけそうになる超ブルージーなガーランドの演奏など、結構聴きど ころがあり、私としてはレコード会社の愚挙に怒りながらも楽しんでいるアルバムです。

こうしてガーランドの代表作をご紹介してきました。確かにガーランドにとっては一世一代の渾身 の傑作だったのですが、やはりコルトレーンとは合わなかったと感じます。なんと言ったらいいか分 からないのですが、例えば自動車にしてみるとガーランドは街中を走るファミリータイプの車である のに対して、コルトレーンはサーキットを爆走するレーシングカーだったと言えば、ご理解いただけ るでしょうか。 またガーランドはお聴きいただければどなたでも理解していただけるはずですが、単 にピアノを弾くのが楽しくて楽しくて仕方ない、作曲なんて面倒くさいものはやらないよ、スタンダー ドのブルースでもバラードでも気持ち良く演奏して、みんなご機嫌になればいいじゃない。というよ うな演奏ですが、コルトレーンは武芸者のような求道的な演奏をした人です。合うわけがないのです。 私にしても、ガーランドとコルトレーンの競演アルバムをもっともっと聴きたい気持ちはありますが、 コルトレーンの方が付き合いきれないなっていたのではないでしょうか。

またこの4枚を振り返ってみると、オリジナル曲はわずかしかなく、あとはいわゆるスタンダードな 曲やエリントンナンバーなどが多いことに気付きます。恐らく 2 日で 15 曲も録音したということは、 ろくにリハーサルもせずにぶっつけ本番といったところなのでしょう。それが証拠に別テイクや収録 されなかった曲が発見されてCD化された時に追加したという話しは聞いたことがありません。随分 と乱暴な話しのようですが、それでも完成度が高いということは、スタイルなどが異なってもガーラ ンドとコルトレーンを初めとするメンバー個々の充実ぶりが素晴らしかったからだと言えます。

ホームページ www6.ocn.ne.jp/~eigakan/

26 2004年4月24日KJFC Jazz Country レコードコンサート ポール・デスモンド特集 担当 M.S.

ポール・デスモンド 1924年サンフランシスコ生まれ、1977年ニューヨークで癌の為逝去。1946年から50年のデイブ・ブルーベッ クのオクテットに参加。 1951年ブルーベック・カルテットが誕生、1967年まで16年間続いた。55年から67年までダウンビート誌の 人気投票のアルト部門で 一度殆ど1位を獲得した。 アルト・サックス奏者としては珍しくチャーリー・パーカーからはもっとも遠い存在でレスター・ヤングの影響をうけ ているといわれています。 暖かい、エレガントな音色で天才的に美しいメロディーをアドリブで作り出していく。 聴けばすぐデスモンドと分か るユニークな音色で、 この特徴に私は魅力を感じています。 ブルーベック・カルテットのコンサートのライブ録音等を聴くとブルーベックがきれいなメロディーを台無しにするよ うにやたらにピアノで ブロックコードをガンガンたたき、会場がそれによって盛り上がっている状況が聴かれますが、ブルーベックとの音楽 の相性はどんな ものだったのか。 16年間続いた上に75年には再結成してまた一緒に演奏したのが不思議に思われます。ブルーベック・カルテットに 所属する間にも ピアノ抜きのグループでトランペットのドン・エリオットやジェリー・マリガンやジム・ホールと組んで主にRCAから 数々のアルバムを出 している。 1968年からは主にA&M,CTI、Horizonから色々な形態のアルバムを出した。71年にはMJQのコンサート にゲスト出演したライブ盤 がある。最後のリーダー・アルバムとしてはカナダのライブハウスで演奏した「ポールデスモンド・カルテット・ライ ブ」と同日の演奏で 「ポール・デスモンド」が残されている。

1977年なくなる前、最後の演奏はチェット・ベイカーのアルバムにゲスト参加したものが2枚出ていますが、残念 ながら未入手です。

本日は、デーブ・ブルーベック・カルテットのカーネギー・ホールコンサートを除いて全て、ブルーベック・カルテッ ト以外のアルバムを録音年順に紹介して行きたいと思います。

27 Discography と演奏曲目 ALBUM TYTLE (Dave Burubeck カルテット以外) LABEL Recording 1 Gerry Mulligun And Paul Desmond Fantasy 1954年10月 Barque But Happy, Garden In the Rain Desmond, Dick Collins(tp), Dave Van Kriedt(ts), Barney Kessel(g), Bob Bates(b), Joe Dodge(dr), Bill Bates Singers(vo) 2 Paul Desmond Quartet featuring Don Elliott Fantasy 1956年 Line For Lyons Desmond, Don Elliot(mellophone), Norm Bates(b), Joe Dodge(dr) 3 Verve 1957年8月 Fall Out(Let's Falling Love) Desmond, Gerry Mulligan(Bs), Joe Benjamin(b), Dave Bailey(dr) Warner 4 Bros. 1959年9月 I Get A Kick Out Of You Desmond, (g), (b), (dr) 5 RCA 1961年9月 My Funny Valentine Desmond, Jim Hall, Gene Cherico(b), Connie Kay(dr) Albert Richiman(Frh)+Woodwinds, Harp, Strings, (Arr)Bob Prince 6 (With Gerry Mulligan) RCA 1962年2月 Star Dust Desmond, Gerry Mulligan(bs), Wendel Marshal(b), Connie Kay(dr) /Joe Benjamin(b), Mel Lewis(dr)/Jhon Beal(b), Connie Kay 録音日の都合で曲によってリズム隊が替わる 7 RCA 1963年6月 Alone Together Desmond, Jim Hall(g), Gene Cherico(b), Connie Kay(dr) (Take Ten のみGene Chericoに替わってGene Wright) 8 Glad To Be Unhappy RCA 1963年9月 Angel Ayes Desmond, Jim Hal(g)l, Gene Wright(b), Connie Kay(dr) 9 Easy Living 未入手 RCA 1963年9月 Desmond, Jim Hal(g)l, Gene Wright(b), Connie Kay(dr) 10 RCA 1964年7月 Bosa Antigua Desmond, Jim Hal(g)l, Gene Wright(b), Connie Kay(dr) 11 Bridge Over Troubled Water A&M 1968年10月 Cesilia Desmond, Herbie Hancock(p), Ron Carter(b), Bill Lavogna(dr) Sam Brown, Gene Bertoncini(g), (perc)他 12 Summer Time A&M 1968年10月 Summer Time Desmond, Herbie Hancock(p), Ron Carter(b), Urbie Green(tb), Kai Winding(tb)J.J.Jhonson(tb)他 13 A&M 1969年6月 From the Hot Afternoon Desmond、Ron Carter(b), Airto Moreira(perc) 他 Finesse 14 MJQ With Paul Desmond Records 1971年12月 Green Sleeves, Blue Dove MJQ ,Desmond Jhon Lewis(p), Milt Jackson(vib), Percy Heath(b), Connie Kay(dr) 28 Paul Desmond Discography と演奏曲目 ALBUM TYTLE (Dave Burubeck カルテット以外) LABEL Recording 15 Sky Lark(禁じられた遊び) CTI 1973年11月 Romance DE Amor Desmond, Gene Bertoncini(g)Gabor Szabo(g), Bob James(p) Ron Carter(b), Jack Dejhonette(dr)他 (arr) 16 CTI 1974年9月 Desmond,EdI'm Old Fashoned Bickert(g), Ron Carter(b), Connie Kay(dr) 17 Concierto CTI 1975年4月 Concierto Desmond, Jim Hall(g), Chet Baker(tp), Roland Hanna(p), Ron Carter(b), Steve Gadd(dr), Don Sebesky(arr) 18 Duets Horizon 1975年9月 Stardust Brubeck (p), Desmond Artist 19 Paul Desmond House 1975年11月 Audrey Desmond, Ed Bickert(g), Don Thompson(b), Jerry Fuller(dr) 20 Paul Desmond Quartet Live Horizon 1975年11月 Manha De Carnival Desmond, Ed Bickert(g), Don Thompson(b), Jerry Fuller(dr) 21 You Can't Go Home Again(未入手) Horizon 1977年 Chet Baker リーダー 22 The Best Things for You(未入手) A&M 1977年 Chet Baker リーダー 23 At Carnegie Hall CBS 1963年2月 Blue Rond A La Turk, Dave Brubeck Quartet(これだけブルーベック・カルテッ トです) 2004年5月21日「映画館」ア・ラ・カルト ・矢野沙織 ・HUM1970他 2004年5月22日「ジャズ・カントリー」 特集:レーベル特集第 2 弾「STEEPLECHASE」 担当:T.S. レーベル特集第2弾は、YS氏の要望によりSteepleChaseを取り上げることにした。JAZZを聴き始めた70年代半ば頃 にこのレーベルがジワジワと出てきて、Duke JordanのFlight to Denmarkをはじめ、Kenny DrewのDark BeautyやJohnny Griffin のblues for Hervey etc、どこのJAZZ喫茶でもよくかかってた。そんな中、当時、専らハードバップにはまってい たので3大レーベル(Blue Note ,Prestige,Riverside)に夢中で、SteepleChaseには全然関心を示さなかった。とはいっても、 前述したように、このレーベルには Duke Jordan、Johnny Griffin、Kenny Drew をはじめ、Dexter Gordon,Jackie McLean,Horace Parlan,Clifford Jordan etc ,Blue Noteで活躍した錚々たるハードバッパーが多数参加している。当時、50 ~60年代のJAZZしか頭になかったので、SteepleChaseに手をつけなかったわけだが、70~80年以降の新しいものにも 目を向けるようになった最近、このレーベルを追ってみると、無名でありながら才能がある人も多く、意外と受け入れや すいものがあることが分かった。 今回も思い浮かんだものを15枚引っぱり出した。本当なら取り上げるべきTete Montolui,Horace Parlan,Merry Lou Wil- liams ,Walter Davis etc、ピアノトリオで優れたいいものはたくさんあるが、なるべく定番的なものは避けて比較的マイ 29 ナーなものにした。が、Teteは、珍しくKenny Dorhamのサイドで参加しているのがあるので、それを選んだ。また、Horace Parlan もHoward McGhee やBernt Rosengren のサイドで聴くことができる。 15枚のうち一番のお気に入りは最後のJoe Bonnerである。すべてBonnerのオリジナルで、どの曲も親しみのある聴 きやすいものばかりだ。 なお、Bent AxenはDEBUTの焼き直しで、こういった再発でしか聴く機会がないと思いセレクトしてみた。 【アルバム】 (1) Wind of charge/Jim McNeely(piano) Mike Richmond(bass),Kenny Washington(drums) (1989) (2)Now is the time/Idrees Sulieman(), Cider Walton(piano),Som Jones(bass),Billy Higgins(drums) (1976) (3)Swingin' Till The Girls/Eddie Lockjaw Davis(tenorsax) Thomas Clausen(piano),Bo Stiff(bass), Alex Riel(drums) (1976) (4)Just Be There/Howard McGhee(trumpet) Per Goldschmidt(baritonsax),Horace Parlan(piano),Mads Vinding(bass),Kenny Clark(drums) (1976) (5)Remember Me/Frank Strozier(altsax,) Danny Moore(),Howard Johnson(tuba), Harold Mabern(piano), Lisle Atkinson(bass) ,MichaelCarvin(drums) (1976) (6)New York Hilton/Hilton Ruiz(piano) Hakim Jami(bass),Steve Solder(drums) (1977) (7)Light And Lovery/Louis Hayes(drums) Charles Tolliver(trumpet),Bobby Watson(altosax), Kenny Barron(piano),Clint Houston(bass) (1989) (8)Frozen Music/Andy LaVern(piano) Rick Margitza(sax),Mark Johnson(bass), Danny Gottlied(drums) (1989) (9)Scope/Buck Hill(tenorsax) Kenny Barron(piano),Buster Williams(bass), Billy Hart(drums) (1979) (10)Axen/Bent Axen(piano) Bent Jaedig(tenorsax),Allan Botschinsky(trumpet), Oleo Laumann(bass),Finn Fredertksen(drums) (1959,1961) (11)Short Story/Kenny Dorham(trumpet) Allan Botschinsky(fluegelhorn),Tete Montolui(piano), Niels-Henning Orsted Pedersen(bass) (1963) (12)Bernt Rosengren Quartet/Quintet(tenorsax) Doug Raney(guitar),Horace Parlan(piano), Jesper Lundgard(bass),Aage Tanggaard(drums) (1983) (13)Out of This World/Teddy Edwards(tenorsax) Kenny Drew(piano),Jesper Lundgard(bass), BillyHart(drums)(1980) (14)Europe/Jack Walrath(trumpet) Glenn Ferris(trombone),Michael Cochran(piano), Anthony Cox(bass),Jimmy Madison(drums)(1982) (15)Suite for Chocolate/Joe Bonner(piano) Khan Jamal(vibes),Jesper Lundaard(bass), Leroy Lowe(drums) (1985) 【演奏曲目】 (1)Jim McNeely:B1 Quietude (2)Idrees Sulieman:A2 Misty Thursday、 A4 A Theme For Ahmad (3)Eddie Davis:B2 Wave、 B3 Indiana (4)Howard McGhee:A2 You're Something (5)Frank Strozier:A3 Neicy (6)Hilton Ruiz:A1 Blues For Mary Lou、 A3 Midtown Madness (7)Luis Hayes:B2 Darian (8)Andy LaVern:B1 Decorative Trends (9)Buck Hill:A2 Ballad Repter、 A3 Little Bossa (10)Bent Axen:A3 Message From Oscar、B2 Haig's、B3 More Peace (11)Kenny Dorham:B1 Bye Bye Blackbird

30 (12)Bernt Rosengren:B1 I Should Care (13)Teddy Edwards:A2 April Love (14)Jack Walrath:A2 Where Have I Been Here Before (15)Joe Bonner:A3 Chocolate、B2 Peace Carmella、B3 Where Did I Go?

2004年6月26日 特集『JAPANESE TRADITIONALJAZZ』 H.S. 日本のトラッドジャズは数少ないプロとアマチュアの良好な関係が熱心な人達によって形成され、一般リスナーも加わっ てしっかりと根付いた活動を行なっている。 関西で末広光夫氏が主宰する「神戸ジャズ・ストリート」と東京新宿三丁目にある飲食店「銅鑼」のオーナー永谷正嗣 氏が中心となって開催している「新宿トラッドジャズフェスティバル」、この二つの活動の反響は大きく潜在しているファ ン達を活気付けている。 過日「銅鑼」に伺った折、中川武さんを始めとするプロのミュージシャンも散見され、全国から三々五々集まったアマ チュアのミュージシャン達と様々なセッションを楽しんでいた。現在、ジャズ100 年の歴史過程で生まれた様々なスタイ ルのジャズが共存しており、色々なテイストが楽しめる。トラッドの分野でも現況がどうであれ、熱心にジャズを追求し ているのが垣間見えてきた。今日はジャズ初期のスタイルであるニュー・オリンズ・ジャズ(デキシーランド・ジャズ)か らビバップ前スイングまでの所謂トラディショナルジャズが日本にどのような音楽として根付いたかをアナログによって 辿ってみたい。 何時ものように独断と偏見に依る極めて概略的な内容であることを予めお断りしておきたいと思う。 1)「南里文雄&宮間利之とニュー・ハード」(東芝EMI ETP―8095)REC.1970年代 *スターダスト、月光値千金 2)「森寿男とブルーコーツ/サテン・ドール」(SMS SE25-5004)REC.1982年 *エリントン メドレー(ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモアー、イン・ア・センチメンタル・ムード、ソ フィスティケイテッド・レディ) 3)「高橋達也と東京ユニオン/チェイシン・ザ・デューク」(RVC.RJL―8063)REC.1983年 *コットン・テイル 4)「岡本章生とゲイ・スターズ/八季」(東芝EMI EWJ―90003)REC.1981年 *ジョイ・スプリング 5)「デニ-白川/原 信夫とシャープ&フラッツ」(DENON YF-7094)REC.1984年 *エアメイル・スペシャル 6)「園田憲一とデキシーキングス&原 信夫とシャープ&フラッツ」(東芝EMI ETJ-85010)REC.1980年 *サウス・ランパート・ストリート・パレード 7)「秋満義孝/マイ・メランコリー・ベイビー」(東芝EMI TP-72342)REC.1980年 *オー・レディー・ビー・グッド 8)「西代宗良ミーツ八城一夫トリオ」(AUDIOLAB ALJ―1082)REC.1975年 *ドゥ・ユー・ノー・ホワット・イット・ミーンズ・トゥ・ミス・ニューオリーンズ 9)「鈴木章二とリズムエース/鈴懸の径」(RCA SX―245)REC.1957年 *鈴懸の径、アイ・サレンダー・ディア 10)「藤家虹ニプレイズ・ベニー・グッドマン」(RCA RHL-3057/8)REC.1987年頃 *ボレロ、ブルー・ルー 11)北村英治音楽生活30周年」(東芝EMI LF-95012)REC.1977年 *ローズ・ルーム 12)「エイプリル・デイト/北村英治」(CBSSONY 25AP1035)REC.1979年 *キャヴェンディッシュ 13)「フル・スイング/杉村 淳とカンサス・シティ・バンド」(東芝EMI ETJ―85021)REC.1981年 *A列車で行こう 14)「尾田 悟ライブ・アット・ニューファイブスポット」(東宝 YX-6103)REC.1976年 *イクザクトリー・ライク・ユー 15)「ザ・セインツ/外山喜雄&デキシ-ランド・セインツ」(RVC RVL―8503)REC.1977年 *ビル/ベイリー 16)「ドン・ユール&外山喜雄/デュエット」(テイチク ULX-76-V)REC.1975年 *ラップ・ユア・トラブルズ・イン・ドリーム、ボディ・アンド・ソウル 17)「ニュー・オリンズ・ラスカルズ&アルトン・パーネル」(PHILIPS FS-9013/14)REC.1976年 * オーバー・ザ・ウェイブス、チャイムス・ブルース、世界は日の出を待っている

31 2004年7月16日「映画館」ア・ラ・カルト 2004年7月24日「ジャズ・カントリー」 特集? 私の好きな曲 担当:紅 我蘭堂 以前から1回やってみたかった企画が、この私の“好きな曲”を皆さんに聴いていただくということでした。第4週ジャ ズカンの例会で通常行なっているアカデミックな特集も良いが、たまにはレコードを掛ける方も聴く方も自由にのびのび とやってみては、どうかと思っていた。レジュメも解説もノウガキもない。聴く方も大声をだしたりして他の方の迷惑に ならなければ何をしていても構わない。サロン風にジャズを楽しむひとときを過ごしていただければと思う。また最近入 会された方は分からないでしょうが、好きな曲から“私”といういちジャズファンの傾向を知っていただければとも思っ た。ではこの曲から始めましょう。 1. LOVE YOUR SPELL IS EVERYWHERE/CURTIS FULLER アルバム“BLUES‐ETTE” (SAVOY)より 2. SOFTRY AS MORNING SUNRISE/SONNY CLARK アルバム“SONNY CLARK TRIO”(BLUE NOTE)より 3. AUTUMN LEAVES/JOHNNY GRIFFIN アルバム "RETURN OF THE GRIFFIN" (GALAXY)より 4. IT MIGHT AS WELL BE SPRING/JULIAN PRIESTER アルバム“SPIRTSVILLE" (RIVERSIDE)より 5. IT MIGHT AS WELL BE SPRING/IKE QUEBEC 同名アルバム(BLUE NOTE)より この曲は澤村さんのリクエスト。本当はイリノイ・ジャケーの演奏がご希望だったが、持っていなかったのでトロンボー ンとテナーで2 曲続けてサービスさせていただいた。カウンターにいると八木さんが来られて「私もこの曲が好きです。 ボーカルで聴くといいですよ。トロンボーンの演奏は初めて聴きました」とのこと。なるほど、八木さん今度はボーカル を聴かせてください。 6. I CAN DREAM,CAN'T I? 7. I REMEMBER CLIFORD/以上2曲RICHARD WILLIAMS アルバム“NEW HORN IN TOWN”(CANDID)より 8. I REMEMBER CLIFORD/J.R.MONTEROSE アルバム“THE MESSAGE”(JARO)より 9. THE BEST THING IS FREE 10. LOU‘S BLUES 11. CHEEK TO CHEEK/以上3曲LOU DONALDSON アルバム“QUARTET, QUINTET, SEXTET”(BLUE NOTE) より 12.HUSH-A-BYE/JOHNNY GRIFFIN アルバム“THE KERRY DANCERS”(RIVERSIDE)より この曲が掛かった時に、渋谷秀夫さんが本当にうれしそうな声で「我蘭堂ちゃんの好きそうな曲ばっかりだね」と言っ ている声が聞こえた。どうやら作戦通りに私の好みが伝わっているようだ。 13.BESAME MUCHO/DAVE PIKE アルバム“PIKE'S PEAK"より 14.BESAME MUCHO/ 15.TIME AFTER TIME/ 以上2曲THE THREE SOUNDS アルバム“BOTTOMS UP”(BLUE NOTE)より 16.EASY LIVING 17.CHEROKY/以上2 曲CLIFFORD BROWN アルバム“CLIFFORD BROWN MEMORIAL"(BLUE NOTE)より 18.SMILE/KENNY DORHAM アルバム“MATADOR”(UNITED ARTISTS)より 19.SMILE/DEXTER GORDON アルバム“DEXTER CALLING"(BLUE NOTE)より 20.FOR ALL WE KNOW/綾戸智絵 アルバム“FOR ALL WE KNOW”(EAST WORKS)より 21.FOR ALL WE KNOW/GILD MAHONESS アルバム“FOR ALL WE KNOW"(INTERPLAY)より 22.AFFAIR IN HAVANA/DEXTER GORDON アルバム“THE RESURGENCE OF DEXTER GPRDON" (JAZZLAND/RIVERSIDE)より 23.CHEESE CAKE/DEXTER GORDON アルバム“GO"(BLUE NOTE)より 24.SAMBA DE ORFEU/CHAILIE ROUSE アルバム“BOSSA NOVABACCHANAL"より 25.OLD FISHERMAN'S DAGHTOR/DASKO GOYKOVICHE アルバム“TEN TO TWO BLUES"より 26.CHERRY PINK AND APPLE BLOSSOM WHITE/LOU DONALDSON アルバム“MUSTY RUSTY”(ARGO) より 26曲も次々に掛けて、正直に言ってレコードを取り替えるだけでも疲れた。掛け残したレコード(曲)も数多くあった。ま たもう一度チャレンジしてみたい。心配していた以上に皆さん一生懸命に聴いてくれたようだ。例会が終わったあとに「楽 しかった。面白かった。こういう雰囲気の例会を増やしたい」という言葉も数人の方から聞いた。しめた!ジャズ喫茶の マスター冥利に尽きるというものだ。

誌面の都合により今後の例会予定は19 ページに移動いたしました。

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