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四 日 市 大学論集 第 4 巻 第 2 号 (The Joumal of Yokkaichi University, Vol.4No ,2,1992 .}

The = Pirelli Union の 結 成 と解 体

川 手 恒 忠

ま え が き

ス い ー イ ギ リ の タ イ ヤ 産 業 に お て ガ リ バ 的 な を っ た 支配 力 誇 Dunlop 社 と , 同 じ く ー イ タ リ ア の タ イ ヤ 市 場 に お い て ガ リ バ 的 な 地 位 を しめ て き た Pirelli社 の 1970−

1981年 間 の 11年 に わ た る 国境 を こ え た Union (連 合) の 結 成 と解体 は ,世界 の タ イ ヤ

産 の の い 業 再 編 成 歴 史 流 れ を変 え る 契 機 と な っ た と う意 味 に お い て 産 業 史上 重 要 な 出

来 で あ っ た ま た の い ー 事 。 国 際 間 Union 結 成 と う資 本 結 合 形 態 も き わ め て ユ ニ ク な

の で ロ ・ = ー も あ り, 当時 そ れ は 1907年 の イ ヤ ル ダ ッ チ シ ェ ル グ ル プ 結 成 に 比 す る こ

と が で き る と の 評価 が 盛 ん に お こ な わ れ た よ に う , 経 営 史上 み お とす こ と の で き な い

つ い 意 義 を も も の と え る 。

本 稿 は 世 界 タ イ ヤ 産 業 に お け る 個 別 企 業 の 競 争 戦略 が , タ イ ヤ 産 業 組 織 に い か な る

を た え そ の と して タ イ ヤ い 変動 あ , 帰結 産 業 史 形成 過 程 に か な る 影 響 をお よ ぼ し た か ,

す な わ ち個 別 企 業 の 内部 管 理 組 織 → 競 争 戦 略 → 産 業 組 織 → 産 業 史 と い う い わ ば ミ ク ロ 一 か ら マ ク ロ へ の 連 の つ な が る い は の の マ ロ ロ り, あ そ 逆 ク (企 業 環 境 )か ら ミ ク (個 ー 別 企 業) へ の 反 作用 を タ イ ヤ 産 業 を ケ ス と して 分 析 す る と い う筆 者 の 産 業 史研 究 の 一 部 を な す も の で あ る 。

1 The Dunlop = Pirelli Union 糸吉成 に い た る 経 過

1970年 3 月 イ ギ リ ス の タ , 最 大 イ ヤ 会 社 Dunlop Company Limited (以 下 ダ ン ロ ッ ー プ社 と記 す) と イ タ リ ア 最 大 の タ イ ヤ 会社 Pirelli S. p. A .を傘 下 に も つ Pirelliグ ル ー 一 プ (以 下 ピ レ リ 社 と 記 す ) の Union (連 合 以 下 ユ ニ オ ン と記 す)結 成 が 公 表 さ れ ,

界 タ イ ヤ の の で 世 産業 再 編成 歴 史 う え お お き な 画期 を な す こ と と な っ た ぎ当時 , 世 界

タ の モ ー ー イ ヤ 企 業 再 編 成 は , タ リ ゼ シ ョ ン 先 進 国 の 米 国 の タ イ ヤ 5 社 , す な わ ち Goodyear Firestone ー , , Goodrich Uniroyal ル , , Generalを 先頭 グ プ と し, こ れ を 追

ス の ン ロ ッ の ー う か た ち で イ ギ リ ダ プ (1968 年 国 内 シ ェ ア 41 % ), フ ラ ン ス の Miche −

lin (同 50% イ タ リ ア の ピ レ ー ), リ 同48 %) 日 本 の ブ リ ヂ ス ト ン ( , (同50 %), ドイ

一 一 ユ09

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= The Dun 且op Pirelli Union の 結成 と 解 体

ー ツ の Continenta1(同32% ) の 各 社 が , そ れ ぞ れ 自国 内 で の ガ リ バ 的 , な い し そ れ

に い の ほ ぼ の 近 産 業 組 織 形成 を 完 了 し, 米 国 勢 を追 う形 雁 行 状 態 に あ っ た 。 そ し て 世

こ い い 界 タ イ ヤ 市 場 は の 10大 企 業 に よ っ て ほ ぼ 80%支 配 さ れ る に た っ て た 。

の の は の と 国 内 寡 占的 状 況 成 立 , 次 段 階 し て 世 界 市 場 に お け る 寡 占化 を め ざ す 各社

の 生 き残 り を か け た 世 界 戦略 へ と 発 展 し つ つ あ り, そ の 国 際 競 争 は よ う や く激 化 の 度

を め て た に み る よ に タ ビ の 強 き 。 表 1 う イ ヤ ッ ク10社 順 位 も毎年入 れ 替 わ り , 各杜 は

ー い − − に して シ ェ ア を を と っ て た 。 え ば 2 1 2 2 に 相 手市 場 参入 奪 う戦 略 例 表 , 表

み よ に 1960 は ス ア こ の る う 年 代 に イ ギ リ , イ タ リ 市場 に 外国 勢 が 激 し く侵 入 し , た め ー ー ダ ン ロ ッ プ の シ ェ ア は か ら へ ピ レ は へ 社 50 % 41 % , リ 社 70% か ら48 % 大 幅 な低 下

を し め て い る 。

ー ー 表 1 世 界 タ イヤ メ カ の 売 上 高川頁位 変動 (売上 単位 100 万 ド ル )

1968年 1970年 1971年

附 会 社 名 売 上 高 会社 名 売 上 高 会 社 名 売 上 高 Goodyear 2 ,926 Goodyear 3 ,195 Goodyear 3 ,6022 Firestone 2 ,13ユ Firestone 2 ,335 Firestonc ,483 Uniroyal 1 ,429Uniroyal 1 ,556DunloP =Pirelli2 ,365

Goodrich 1,140DunlOP 1 , 298Uniroyal L678 DunlOPGeneral LO80Goodrich 1,205Michehn 1,500 LO39Pireili L203Goodrich 1β00 PirelliMichehn 950Michelin 1 ,152General 994 910General 981 ブ リ ヂ ス ト ン 509 ブ リヂ ス ト ン 292 ブ リ ヂ ス ト ン 441Continental 432 Continental 276Continental 415

(資料 :Fortune誌 .各年 に よ る )

− 表 2 1 1960年代 イ ギ リ ス に お け る タ イ ヤ 会社 別 市場 ー シ ェ ア . % .一一(単位 ) 丁 1960年 1964年 1968年 Dun10P 50 45 41 Goodyear 18 20 20 Firestone 15 15 ll Michelin 10 12 16

(資料);Economist Intelligence Unit, Rubber Trend Rubber & Plastics News , Rubber World な ど

一 110 一

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− . 表 2 2 1960 年 代 イ タ リ ア に お け る タ イ ヤ 会 社 別市 場 シ ェ ア ー 陣 位 %) 1960− 621964 − 651968

PirelliCEATMIchelin 7020 602015 48202012 弱 10弱

Go 。 dyear, Firestone 0 0 − 〔資 料 ) :表 2 1 と 同 じ

− 1 1 ダ ン ロ ッ プ 社 の 概 況 − − 1 1 1 ダ ン ロ ッ プ 社 の 発 展 過 程

ス コ ン 1888年 ッ トラ ド生 れ の も と 軍 の 獣 医 だ っ た John Boyd Dunlop が 空 気 入 りタ

イ ヤ の 特 許 出願 を お こ な い そ の 流 し は じ め た の 20 に は い て ? 頃 行 自転 車 , 世 紀 っ 自動

の タ イ ヤ を る こ と に よ て の の 車 製造 す っ , そ 産業成 立 基 礎 を作 り 出 し た 、 ’ こ の に し た の 1889年 特 許 注 目 Irish CyclistsAssociation 会 長 だ っ た William Harvey

と の の い が あ に よ っ て du Cros 宿 命 出 会 り, 両 者 Pneumatic Tyer Company が 設 立 さ

こ → れ た 。 の 会 社 は そ の 後 Dunlop Pneumatic Tyer Company Company 一 (1990) と 名 称 が つ ぎ つ ぎ と 変 わ り, ま た Dunlop 自身 も 時 会 社 を や め た り し て 会

の は du Cros が ち Dunlop は の つ こ 祉 実 権 も , 彼 名前 が 会社 に け ら れ る と に よ っ て 歴

こ 史 に 名 を残 す栄 誉 を え た と に な る 。 ー ー 戦 前 の 同 社 の 発 は こ こ に は れ な い が モ タ リ ゼ シ ョ ン の と と に 展 触 , 発 展 も 同社

が ス の と ス の い − イ ギ リ 有 数 大企 業 な り, イ ギ リ 国民 誇 り と も な っ て た 。 1939 1945年

の ン ロ 戦 時 は と く に ダ ッ プ社 に と っ て 最 高 の 時期 だ っ た 。 自動 車 タ イ ヤ や 航 空 機 タ イ

ゴ ヤ が 軍 需物 資 と し て 戦 争 に 不 可 欠 で あ っ た ば か り で な く, そ の 他 の ム 製 品 も こ の 間 “ ” い に 大 発 展 し た 。 Whatever is right for Britainis right forDunlop と う言 葉 が 同 社 ー ’ の 会 社 精 神 を表 す モ ッ ト に な っ た i

二 大 に よ る は な の が た が の は て い の で 第 次 戦 被 害 甚 大 も あ っ , 戦 後 状 況 け っ し 悪 も

’ ニ ー は な か っ た は し い を し ズ に に よ で 。 同杜 新 技 術 開発 t社会 的 柔軟 , り長 期 的視 野

こ い い た え る 堂 々 た る 経 営 を お こ な っ て た 。 会 長 に は 思 慮 の 深 Sir George Beharrell

が し て お で の ん の の 就 任 り , 軍 隊 指揮 経 験 を積 だ お お く 若者が 同 杜 経 営者 訓 練 制 度 に

ン ス ー つ つ 協力 した 。 フ ラ , ドイ ツ , 日本 に あ る 海外 工 場 が ふ た た び グ ル プ に も ど り ー ー マ レ の ゴ ム ン ン つ あ っ た 、 天 然 プ ラ テ シ ョ も.整 備 さ れ て き た 。 同 社 は 輸 出志 向 が

よ い ン く , す ぐ れ た 労使 関係 を も ち , す ぐ れ た訓 練 体 系 を 開発 して た 。 1945年 当 時 ダ

ロ ッ プ社 は イ ギ リ ス の 大 企 業 の な か で も と く に 優 良会 社 と み ら れ て い た 。

の い い 当 時 経 営 環 境 も恵 ま れ て た 。 ClementAttiec 率 る 労 働 党 政 権下 で あ っ た が ,

ダ ン ロ ッ は と プ 社 官 僚 親 密 な 関 係 を維持 し, 食料 , 衣 類 , 石 油 の 配 給 で も , 原料 の 配

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= The Duniop Pirelli Union の 結成 と 解体

給 で も, ま た 労働 者 の 時 に は 強制 的 な分 野 調整 に お い て も 同社 は思 い 通 りに す る こ と

で と の の べ て の と の 心 の じ あ っ た 関 が き た 。 官僚 密接 な 関 係 , 自動 車 産 業 す 会 社 気 通

係 は 同社 の 繁 栄 に 役 立 っ た 。

い い こ て み る しか し こ れ らが 競 争 の き び し 現 実 を お お か くす と に な っ た 。 後 に な っ

と政府 の 手厚 い 保護 は 企 業 を育 て る よ り も,企 業 を窒 息 させ る 結果 と な っ た こ と が わ

る に ン ロ ッ い の は は 1946 6 フ ラ か 。 保護 な れ た ダ プ社 に た す る 最初 警告 , や く も 年 月 ー ン ス い に い る レ ン ジ は い か ら や っ て きた 。 国 内 の 保 護 を享受 して る 企 業 た す チ ャ ャ

つ も海外 か らや っ て くる 。 ー ・ ・ ・ フ ラ ン ス の タ イ ヤ 会 社 ミ シ ュ ラ ン (Michelin) が ス チ ル ラ ジ ア ル プ ラ イ タ

こ の ミ ュ ラ ン イ ヤ の 特 許 申請 を お な っ た で あ る 。 伝説 的 と な っ た 優 良 タ イ ヤ 〔 シ X 〕 一 の に の 誕 生 で あ る 。 そ の 革命 的 な タ イ ヤ の 構 造 に よ っ て タ イ ヤ 対 磨 耗 性 能 を 挙 2 倍

め た て タ イ ヤ の を 2 に め は の プ ラ イ タ イ ヤ の 命 に 高 , し が っ 寿命 倍 高 実際 従来 寿

の マ ル た い し マ ル ま で つ よ に な は と い わ れ た 12,000 イ に 50 , 000 イ も う り寿 命 4 倍

れ だ タ イ ヤ を さ せ る と い う に と っ て 力 を も っ た 製 品 の 出 , そ け 市場 縮小 他社 破壊

現 で あ っ たぎ

ダ ン ロ ッ プ 社 は し か し こ の 技術 革 新 を認 め よ う とせ ず, こ れ は 値段 が 高 くな る ば か ー ) ー ー りで コ ス ト パ フ ォ マ ン ス は 悪 くな る と 評価 し て い た が ?実 際 は 耐 久性 と ロ ドホ

ル デ ィ ン グ の 優 秀性 は 値段 の 高 さ を お ぎ な っ て あ ま りあ る こ と が 次 第 に 実 証 さ れ る に

つ と い っ た も に お く れ , 1953年 以 WaJaguar, Rover, Triumph , Austin 英 国 車 大 陸 車

い こ こ い れ る こ と数年 な が ら,こ の ラ ジ ア ル タ イ ヤ の 採 用 に 踏 み 切 る に た っ た 。 に た っ

ロ ル の い て ょ ど の て ダ ン ッ プ社 の 重 役 た ち は ラ ジ ア タ イヤ 重 要性 に 気 付 き た 。 ち う そ

「 ー ピ レ 頃 MichelinX 」 に 対 抗 し て , た だ ス チ ル の 代 わ りに 繊 維 を 帯 と し て 使 用 し た

ー へ リ 社 と の 運 命的 な結 合 の 最初 の 誘 因 と な る 。

− − 1 1 2 ダ ン ロ ッ プ 社 の 組 織 と 企業 構 造

1960 の イ ギ リ ス に お い て お お く の 企 業 の 経 営 戦 略 の 中心 課 題 は 大 年代 , 1970年代 ,

い メ カ よ に 西 洋 を こ え た ア メ リ カ 企 業 の 脅威 と う要 素 で あ っ た 。 も し ア リ 人 に る 買 収

対 抗 す べ きで あ る な ら ば , ア メ リ カ 流 の や り方 を採 用 す る こ と が も っ と も よ い こ と だ

い こ に マ ー テ ィ ン ン ロ ッ の と う と な る 。 ケ グ 戦 略 , 成 長戦 略 , 多角化 戦略 が ダ プ社 明

ス ロ ー ン 1963 の に の 日 に む か っ て の ガ に な り , 1953年 か ら 年 10年 間 同 社 驚 異 的 な積 極

政 策が 以 下 み る よ う に 展 開 さ れ た 。

: で の タ 工 タ イ ヤ 生 1953年 Brazil,Campinas イ ヤ 場 操 業 , TyresolesLtd ( 更 業 者 )買

1954年 :Canada, whitby で の タ イ ヤ 工 業操 業開始 ー 1955年 :Nigeriaに お ける 天 然 ゴ ム プ ラ ン テ シ ョ ン 作 業再 開

一 112 一

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ー 1956年 :Gateshead に お け る ホ ス 事 業工 場操 業 開始

1957年 : に お け る 合 成 ゴ ム 工 場 操 業 開始

Birmingha皿 に 化 学 製 品工 場 操 業開 始

Dunlop Footwear Ltd 開設

John Letters of (ゴ ル フ ク ラ ブ 製 造業 者 ) 買 収

1958 年 :John Bull Rubber Co .(ゴ ム と 金 属 の 接 着材 料 , カ ッ プ リ ン グ )買収

1959年 : Bulawago (Rhodesia), Ambattar (イ ン ド), Amiens (フ ラ ン ス )で タ イヤ 工 場操業 開始 ー ー ー (ス ポ ッ 用 品 メ カ ) 買 収

1960 年 : ブ レ ー キ 事 業部 設 置

1961年 :Edgar Sealey Ltd 買 収

1962年 : 日 本 , 名古 屋 の タ イ ヤ 工 場操 業 開始

1963 :Malaysia Nigeria Uganda の タ イ ヤ 工 場 操 業 開 始 年 , ,

一 タ イ ヤ 工 場 だ け で 海 外 9 工 場 の 操 業 を 開始 し て 挙 に 国 際化戦 略 を 推 し進 め る と 同 ー ー ー に ス ポ ツ の の ゴ ム メ カ の を お こ な っ た の 時 , 用 品 , そ 他 製 品 買収 水平 的 多角 化 ・ ー ゴ ム 工 の ゴ ム プ ラ ン テ シ ョ ン の に み ら 展開 , ま た 合成 , 化 学 品 場 建 設 , 天 然 操 業

れ る 川 上 へ の 展 開 な ど , こ の 時期 に お け る ダ ン ロ ッ プ 社 の 積 極 経営 の 激 し さ を み る こ

と が で き る 。

こ の よ うな 多角 化 戦 略 の 実 施 に と もな い 1960年後 期 の 同社 の 事業部組 織 は 次 の よ う

に な っ た 。

航 空 機 事業部 (Coventry )

ベ ル ト事 業 部 (Speke, Liverpool) ー ブ レ キ 事 業 部 (Coventry)

化 学 製 品事 業 部 (Castle Bromwich ) Dunlopillo事業 部 (Harrogate) ・ ー リ ム ホ イ ル 事 業部 (Coventry )

Semtex 事 業 部 (Brynmawr , Wales ) 一 般 ゴ ム 製 品 事 業 部 (Manchester ) ー ホ ス 事 業 部 (Gateshead) 海 外 事業 部 (London )

タ イ ヤ事 業部 (Fort Dunlop , Speke, Leicester) ー ス ポ ッ 事 業部 (Waltham Abbey )

一 113 一

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二 The Dunlop Pirelli Union の 結成 と解 体

海 外子 会 社 は 以 下 の 12力 国 に あ っ た 。 ー ー ー フ ラ ン ス ドイ ツ カ ナ ダ ブ ラ ジ ル マ レ シ ア ニ ュ ジ ラ ン , , , , , ド, ナ イ ジ ェ ー リ ア ロ デ シ ア ン ア メ , , イ ド, 日本, 南 リ カ , 米 国

の 海 外 販 売 会 社 は 以 下 11力 国 に あ っ た 。

ベ ー マ ー ー ー ル ギ デ ン ク イ タ リ ア オ ラ ン ダ ス ウ ェ デ ン ス ス ペ ル セ , , , , , イ , ,

イ ロ ン ス リ ラ ン カ ン シ パ ス ン ( ), 中国 , イ ドネ ア , キ タ

ダ ン ロ ッ プ 社 は 世 界 22力 国 に 130の 工 場 を も ち , 従 業 員数 は 10万 8000人 (う ち 半 数

が イ ギ リ ス の は 12 1960 の ン 内 雇 用 ),株 主 数 万 人 , 年 総 産 は 1 9400万 ポ ドで 々 資 億 , 堂

の 大 艦 隊 をみ る 感が あ る 。

− − 1 1 3 ダ ン ロ ッ プ杜 の 意思 決 定方式

ン ロ ン バ ー ダ ッ プ社 の 取締 役 会 の メ は 以 下 の と お り で あ っ た (1960年代 後 期 )

Chairman ; Sir Edward (Ted )Beharrell

Managing Director: Sir Reay Geddes

President (honorary title for former chairman ): Lord Baillieu

Executive Directors : David T . . D , W . Hawkins . Wright Collet, E Peppercorn, , J ,John Lord − Non executive Director : Sir David Bowes Lyon, Sir Alex Aikman , Sir Archie

Forbes , Lord Weir , Lord Robertson

は に 1 の こ 取 締役 会 月 度 開 催 さ れ , 大 き な 案 件 を 審 議 し , 政策 決定 を お な う 。 内 部 ー 一 組 織 は 大 き く分 け て 2 つ の カ テ ゴ リ で 構 成 さ れ る 。 つ は イ ギ リ ス 内 の 子 会社 ・製

造事 業部 の 支配 人 や 海外諸会社 の 社 長 ,彼 ら は そ れ ぞ れ 本社 の 常 務 取 締 役 に 報 告 し,

また そ れ ぞ れ の の で 事 業 利 益 責 任 者 も あ る 。 す な わ ち事 業部 制 の 組 織 原 理 で あ る 。 も 一 ー う つ の 組 織 カ テ ゴ リ は 生 ど の の 研 究 , 産技 術 ,財 務 , 広 報 , 購 買 な 職 能 別 責任 者

で あ り こ れ は ロ ン ド ン の に る こ の で マ ー ー 組 織 , 本社 あ 。 な か 上 級 ネ ジ ャ を総括 す る

の は の で に の MD Reay Geddes あ り , 取 締 役 会 本 当 影 響力 を も ち, 会 社 の 基 本 計 画 ー ー を つ くる 人 物 と み ら れ て い た 2会 長 の Ted Beharrell は イ ギ リ ス 自動 車 メ カ へ の

タ イヤ 納 入 で 同社 を ほ ぼ 独 占的 な 地 位 に まで 築 きあ げ, ま た 合 成 ゴ ム で の ア メ リ カ の

独 占 を打 破 す る た め Hythe に 合 成 ゴ ム 工 場 を建 設 した 功 を り に し て い た が 績 誇 , 実

の の は っ は 際 業 務 執 行 影響 力 Reay Geddes に お よ ば な か た 。 非常 勤取締 役 そ れ ぞ れ

と か ら の を い い に の 専 門知 識 大 所 高 所 意 見 , 必 要 お う じ て 政 策 変 更 を も と め る 役 割 を

て い も っ た 。 し か し実 情 は あ ま りに Reay Geddes 寄 りで 独 自 の 意 見 を 主 張 す る こ と ) い は あ ま り な か っ た と み ら れ て た 9 非 常 勤 取 締 役 の 肩 書 き に す べ て Sir,Lord な ど の ) が つ い て い る こ と が だ こ は 爵位 印 象 的 が , れ 前 世 紀末以 来 の 同社 の 伝 統 で あ る 9

こ れ ら の ダ ン ロ ッ プ 社 に お ける 組 織 が そ の 意 思 決 定 に お よ ぼ し た は の , 影響 , 同杜

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ー 組 織 規 定 が い う よ う に の を も ち コ ミ ュ ニ シ ョ ン よ ア 解 説 書 2 倍 効 率 , ケ を く し , イ

デ ア 2 に い を 倍 す る , す な わ ち 柔 軟性 と効 率 を追 求 した 組 織 と は 言 が た か っ た 。 事

と の 二 チ ェ ッ ク シ ス ム は い 業 部 制 職 能 別 機 能 組 織 重 テ 動 脈硬 化現 象 が 始 ま る と , し だ

に は こ い 官僚 的形式主 義が び っ て く 原 因 と な っ た 。 ま た 取締 役会 に お け る 意思 決定 に

も が っ た ユ ニ オ ン に 問 題 あ 。 結 成 時 常 務 取 締 役 だ っ た J.Sinlonは 後 に , 1988年 7 月 7 ー の の ン ビ こ ユ ニ べ 日 J.MeMillan と イ タ ュ で , の オ ン に 反 対 だ っ た と 述 た と き ,

で の の い McMillan が は な ぜ そ 時, 反 対 投 票 し な か っ た か と う 質問 に 対 す る 答 え が 印 ー 象 的 で あ る 。 彼 (Simon が ダ ン ロ ッ プ の の メ ン バ っ た と ) 社 取 締 役会 にな き , 当 時

の の 「 会 長 Beharrellが 彼 に む か っ て 取 締 役 会 の 決定 は 決 し て 投票 に 持 ち 込 ま な い の ー ン ロ ッ の が ダ プ 社 の 伝 統 だ 。 取 締 役 会 ム ド を 察 知 し て , そ の と お り確 認 す る の が 会

1°1 の だ い の で は こ い 長 仕 事 。 そ う う雰 囲 気 な か 投 票 な ど不必 要 な と だ 」 と っ た 。 会 長

は の つ こ 自 分 方針 が 株 主 総 会で 勝 と を 保 証 す る の に 充 分 な 株 主 か ら の 委 任状 を ポ ケ ッ

の こ と い い ト な か に あ る を確 か め れ ば よ と うわ け で あ る 。

そ れ ま で だ た Reay に 1968年 , MD っ Geddes が 会 長 就 任 し た 。 彼 は 常 務 取 締 役 に

マ ン ロ P .R と して 業績 を あ げ て き た Campbell Fraser と 日本 ダ ン ッ プ の 業務 関 連 で 手

に シ ョ ン 一 腕 を し め し た John Simon 重 要 な ポ ジ を え た 。 Reay Geddes は ま 与 ず 消 火 器 , ー ー ホ ス ベ ル ト メ カ ー の , George Angus 社 を 強 引 な M & A で 合 併 し た 。 後 に Simon

が .an に っ た と こ ろ に よ れ ば の の ン McMill 語 , そ 買収 価 格 3 , 400万 ポ ド は正 味資 産 価

の の 「 格 2 倍 に も な る も で , 実 務 を知 る も の に 何 の 相 談 も な か っ た と し, 私 が わ が 社 ID の ロ セ ス の こ い 意 思 決 定 プ 効 力 に 疑 問 を抱 き始 め た れ が 最 初 で あ っ た 」 と っ て い

る D 一 ー 般 に ダ ン ロ ッ プ社 の 社 風 は フ レ ン ド リ で , 家族 的 な 雰 囲 気 を 持 つ と い わ れ て い

た が そ こ に は の と の ル ー ル の , 組 織 重 複 , 集団 的 な 意思 決 定 欠 如 が うか が わ れ る の で

あ る 。

− − 1 1 4 ユ ニ オ ン 結 成 へ の 誘 因

に は い て Reay は ス 1960年 代 っ , Geddes イ ギ リ を と り囲 む 経 済情 勢 が 急 速 に 変化 し ー て た こ と に つ い ヨ ロ パ へ き 気が た 。 そ れ は 広 域 ッ 実現 の 動 き が あ わ た だ し くな っ て

こ ー パ きた と で あ る 。 が 45 歳 で MD に な っ た ヨ ロ ッ EEC る 彼 年 , 経 済 共 同 体 ( ), あ ー い は 共 同 市 場 (Common Market) を結 成 す る た め の ロ マ 条 が さ れ 1957 約 署 名 ( ),

米 国市場 に 匹 敵す る 2 億 人 の 人 口 を 擁 す る 大 市 場 が イ ギ リ ス の 目 の 前 に あ ら わ れ る こ ’ ー パ ー と に っ た 。 ヨ ロ ッ の つ パ な が Reay Geddes 考 え を よ く捉 え た 。 彼 は ヨ ロ ッ 指 ー ・ ー の マ ケ ッ ト フ ィ ロ ソ フ ィ の つ 向 を頭 な か に く り あ げ た 。

し か し当 時 の 英 国 政 府 を 担 当 し て い た Harold MacMillan 内 閣 は 苦 悩 に 動 揺 し て い

バ コ エ た 。 そ れ は 副 首 相 で ラ イ ル の R ,A ,Butler が 安 価 な モ ン ウ ル ス か ら の 食 料 輸 入

一 115 一

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The Dunlop ; Pirelli Union の 結 成 と 解 体

ー に っ て い た イ ギ リ ス の シ ス テ ム こ の ヨ m パ の 頼 が , ッ 共 通 農業政 策 に よ っ て 破 壊 さ

れ る の で は な い か の は の い , 高価 格 食料 保 守党 票 を減 ら す の で は な か と 危惧 し て い た。

Common Wealth を と る か , Common Market を と る か , そ の 後約 10年 間 イ ギ リ ス 政

つ づ 界 は 動 揺 を け る 。 し か し Reay Geddes に と て ま た ン ロ っ っ も , ダ ッ プ社 に と て ー ヨ ロ ッ パ も が 目標 地域 で あ る こ と は 変 わ ら な か っ た 。 一 方 イ ギ リ ス 国 内 の 政 治 経 済 境 の も し て い た マ ー , 環 悪 化 進 行 。 階 級 支配 , 怠惰 な ネ

ジ メ ン ト お れ の と い , 時 代 く 考 え方 職 人 的伝統 を 固執 す る 労 働 組 合 な ど , わ ゆ る イ ギ

ス の で ン ロ ッ の リ 病 蔓延 あ る 。 ダ プ社 も こ 風 潮 を ま ぬ か れ な か っ た 。 Reay Geddes は

ア メ リ カ の コ ン サ ル タ ン ト会社 の を ま た Mackinsey 診 断 受 け , 新 製品開 発 を強 化 し, ー ハ イ ド ロ プ レ イ ン グ の パ ン つ 対 策 テ トを も SP68 タ イ ヤ を発 表 し た 。

こ の の ン ロ よ う な雰 囲 気 な か で ダ ッ プ 社 は Argus の 買 収 の ほ か 完 全 な 拡 大 主 義 の

を つ づ 1970 路 線 走 り け た 。 年 6 月 Edward Heath の 勝 利 に よ っ て 保 守 党 政 府 に よ る ー ヨ ロ ッ パ へ の の 参加 見 込 み は急 速 に 確 実性 を もち は じ め た 。 Reay Geddes の こ の き

べ ー た る き新 し い 事 態 を賛 美 す る 1970年 9 月 の 自動 車工 業協 会宛 の メ ッ セ ジ は 彼 の 心

「 境 を端 的 に あ ら わ す も の で あ る で の べ て の は 。 EEC 内部 す 関 税 撤 廃 , わ れ わ れ の 成

る い は の い で 功 あ 失 敗 結 果 を ま ま よ り早 く, 直接 的 に わ か らせ る も の で あ る 。 こ れ が

競 の 意 す る も の で あ を は さ せ て の ヨ ー ロ パ 争 味 り, 現 実 っ き り くれ る も で あ る 。 ッ は … … ー イ ギ リ ス が 必 要 とす る 競 争 そ の もの を約 束 して い る ヨ ロ ッ パ は 口 。 人 ,想 像 力 , ) て 一 い い 教 育 , 熟練 , そ し 般 的 に え ば働 く意 志 を も っ て る 12」

て は ン ロ ヨ ー ロ パ 一 か く Reay Geddes ダ ッ プ社 自体 が ッ と 体 に な る と い う彼 の 理

想 を させ る た め の プ ロ ジ ェ ク の に こ 実現 ト 実行 着手 す る と に な る 。 彼 の 批 判 者 失

の て の い べ 敗 結 果 が み え き て か ら 批 判 者 と う き だ が の い う ダ ン ロ ッ プ社 の 歴 史 に

お る ま ン ル の へ け っ た く乱 暴 な ギ ャ ブ 実行 。

− − 1 1 5 ユ ニ オ ン 結成 前 の ダ ン ロ ッ プ社 の 経営状 況 − 1965 1970年 間 の ダ ン ロ ッ プ 社 の 売 上 高 の 成 長 率 は 年 率 9 .8 % で み か け は 悪 くな い

が 益 は 2 % 2 〜 3 い − ,利 水 準 台 , 総 資 本 利 益 率 も % 台 を低 迷 し て た (表 3 1 )。 ま

ン ロ ッ の ン ロ ・ ー た ダ プ 社 Annual Report に よ る ダ ッ プ グ ル プ の 売 上 高 お よ び製 品部

上 み と − の 門売 構 成 を る , 表 3 2 よ う に タ イ ヤ の 構 成 比 率 は 62.7% を し め ,依 然 タ イ

の こ い ヤ が 同 社 主 力 事業 で あ る と を し め し て る 。

は こ の タ イ ヤ に っ た の て タ の 問題 部 門 あ 。 タ イ ヤ 技 術 革新 に よ っ イ ヤ 寿 命 が 長 く な

り, タ イ ヤ 市場 の 縮小 が 避 け ら れ な い の な か で の で の タ シ 情勢 , 同 社 国 内 イ ヤ 市場 ェ ー − ー ー ア が 表 2 1 の よ う に 1960年 の 50% か ら 1968 年 の 41 % へ と 外 国 タ イ ヤ メ カ に

よ っ つ づ い こ て 蚕食 さ れ けて る と で あ っ た 。 さ ら に 同 社 は新興 開発 途 上 国 に 多 くの 工

を っ て い た た め こ の の い 場 持 , れ ら 国 で 国 有 化 の 要 求 を し だ に の ま ざ る を え な くな っ

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て い た さ ら に ス の 。 イ ギ リ 国 内 景 気 の 後 退 , Fort Dunlop の タ イヤ 工 場 に お け る 6 週 ー ・ に お よ ぶ ス トの ロ ル ス ロ ス の ス 間 長期 発 生 , イ 倒 産 に み ら れ る よ う な イ ギ リ 自動

産 の え タ イ ヤ の ン フ レ の コ 車 業 不振 , 取 り替 需 要 不 振 , イ 昂 進 に と も な う ス トの 上 昇 ,

の ど っ い 金 利 負 担 増 大 な 悪 条件 が か さ な た 。 Reay Geddes は 新 し 発 展 の た め の 戦 略 を

急 が ね ば な ら な か っ た 。

− 表 3 1 ダ ン ロ ッ プ社 の 業績推移 (金 額 単 位100万 ポ ン ド,率 %)

(資料 ):Fortune 誌 発 表 数 値 よ り

− ・ ー 表 3 2 ダ ン ロ ッ プ グ ル プ の 製 品 部 門 別 業績 (1970) (金 額単位 100万 ポ ン ド,率 %)

構 成 比 法 人 所得 税 ・金 構成 比 売上 高 (%) 費 用 引 当 前 利 (%)

イ ヤ 353,5 62 .7 27 .3 71 .5 術 ・機械 部 品 36 .9 6 .6 1.5 3.910 業 用 品 71 .6 12 .7 4 .0 .510 費 財 92 .8 16.5 3.9 .2

材 料 8 .6 1 .5 1.5 3 .9100 合 計 563.4 100.0 38 .2 .0

(資 料 ): Dunlop Annual Report 1971

− 1 2 ピ レ リー ・グ ル ー プの 概 況 − − ー ・ ー 1 2 1 ピ レ リ グ ル プ の 歴 史 と組 織 ー レ エ ニ ピ リ 社 は 25歳 の イ タ リ ア の 若 き ン ジ ア GiovanniBasttistaPirelliに よ っ て

1872年 Milano 中央 駅 の 近 く で 産 用 ・ の ゴ ム ・ ー ル 業 技 術 用 製 品 , 電 気 電 信 用 ケ ブ お

よ び エ ボ ナ イ ト な ど を る 工 ス ー バ ロ 製 造 す 小 場 か ら タ ト し た 。 そ の 2 年 後 に は 早 く も ー ー セ ロ ナ に ケ ブ ル 工 を っ た が こ れ は の ピ レ の ン 場 作 , 現 在 リ ブ ラ ドで 操 業 を お こ

な て い る 力 の の っ 30 国 ,34二ll場 最初 海 外 Jll場 で あ る 。

1890年 に 最 初 の タ イ ヤ 製 造 を お こ な い , 従 業 員数 1 ,000人 の 会社 に 発 展 す る 。 最 初

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The Dunlop =Pirelli Union の 結 成 と 解 体

ン ロ は ダ ッ プ社 と 同 じ く 自転車 タ イ ヤ が 有名 だ っ た が , 自動 車 の 急 速 な 発 展 に よ る 自 ー 動 車 タ イ ヤ 需要 の 増 加 に と もな い ピ レ リ 社 も成 長 を と げ る 。 第二 次 大 戦 後 同 社 は イ

タ ア の ガ バ ー − リ 国 内 自動車 タ イ ヤ 市場 で リ 的 な独 占的 地位 を確 定 す る (表 2 2 )。

et Cie が ピ レ ー ・グ ル ー プ の で の Pirelli リ 中 核 , そ 傘下 に お お く の 会 社 の 株 式 を持

こ つ の ち , れ ら を総 括 す る 2 持 株 親 会社 , す な わ ち SocieteInternationale PirelliS.A .

と Pirelli S. . A .が あ る 。 Pirelli et Cie は こ の に し れ 18 18 8 p 両 社 対 そ ぞ れ % , , % (後

の は . の て い る こ の は 者 1970年 7 2 %) 株 を持 っ が 比 率 時 に よ っ て 変 わ る よ うで あ る 。 ー ー 1960年代 末, ユ ニ オ ン 結 成 前 に お い て ピ レ リ ・グ ル プ は イ タ リ ア 内 に 約 5 万 人 の

で ユ ニ ン 株 主 , 51 工 , 3 万 5300 人 あ っ た 。 オ の 1960 の 場 従業員数 形成 前 年 代 , 結 成 後

し て ユ ニ ン の 1980 ピ レ ー ・ ル ー 1970年代 , そ オ 解体後 年 代以 降 と リ グ プ の 組 織 構 造 は ー か な る が の パ タ ン は わ ら い こ で と の り変 動 す , そ 基 本 変 な 。 れ を略 図 示 す 次 よ うに

な る Q

(1) Soci6tξ Internationale Pirelli S. A .

ブ ラ ッ セ ル に 立 et の に て の 1920年 , 設 。 Pirelli Cie 支 配 下 あ っ , 海外 会 社 持株 会社

に な バ ー ゼ ル に い ま の に の り, 1937年 移 り 名称 な っ た 。 過 半 数 株 式 所 有 を原 則 と し て

ス ペ イ ン ス シ ル コ カ メ コ ル ル ン , イギ リ , ギ リ ャ , ト , ナ ダ , キ シ , ブ ラ ジ , ア ゼ チ ー ー ン お よ び ペ ル の 9 力 国 に ケ ブ ル , タ イ ヤ , そ の 他 の ゴ ム 製 品 の 現 地 生 産 工 場 を も

つ ー ォ ー へ 。 同社 の ポ ト フ リ オ は Pirellis .p.A .と 同 じ く グ ル プ 企 業 の 投 資 が 大 部分

い こ ピ ー ・ ー を構 成 し て る 。 の よ うに 同社 は レ リ グ ル プ の 海 外 の 持 株 を継 承 し た だ け ー で へ の セ ス こ い ル の つ な く, 国 際 金 融 市 場 ア ク をお な ,グ プ 発 展 を助 け る 機 能 を も 。 ー ー ー の は バ ゼ ル ュ ヒ 同社 株 式 , 社 債 , ジ ネ ブ , チ ュ リ ッ の 株 式 取 引所 に 上 場 さ れ て

い ユ ニ ン い べ ー ・ ー る 。 1971 の オ に さ し て と で る よ に ピ レ ル 年 結 成 も , あ 述 う リ グ プ

の と し て ユ ニ ン い 持 株 会 社 何 ら組 織 を変 更 せ ず オ に 出 資 す る 形 で 参 加 し て る 。

(2) Pirelli s, P . A .

こ ユ ニ ン の 会 社 が オ の イ タ リ ア 側 の 中心 に な っ た 。 同社 は 1920年, ミ ラ ノ に 設 立 さ

れ の タ ア お の . ユ ニ ン , Pirelliet Cie イ リ に け る 全 産 業 面 事 業 を 継 承 し た 。 1971 年 の オ ー ー 結 成 後 は イ タ リ ア を含 む EC 6 力 国 に あ る ピ レ リ ・グ ル プ の 純 粋 持 株 会 社 と な

り, 従 来 の 業務 を イ タ リ ア に 新 た に 設 立 し た Industrie Pirelli S. p. A 、に 移す こ と に な る 。

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以 上 に み た Pirelli et Cie と い う 同 族 型 親 会 社 の も と , Societe lnternationalePirelli

S.A .と Pirelli S. p. A .の 3 社 が 子 会 に た い 社 す る 複雑 な共 同 出資 の 形 態 を と っ て い る ー が の パ ン , そ 基 本 タ を図示 す る と 1 の よ に つ 図 う 5 に な る 。 こ れ は イ タ リ ア お よ び

海 外 の 不 安 定 な 政 情 の な か で 出 の 資 安 定 化 と 親会 社 の リ ス ク 回 避 の た め に 多 国 籍 企 業 と し て え られ た 知 恵 と い こ と 考 う が で き よ う。

ー ー 図 1 ピ レ リ 親会社 の 持 株 パ タ ン

〔1) イ タ リ ア

INDUSTR 【E PlREU 」 5 、P .▲ .

]COtS

SOC 田 「A P 闘 巴 UMATK :I SOC 【 CAVI P 「 町 A OIHER COMPAN 匝 S P1盟 LLls r」 P 咄 置s A COORDIN ▲ MEN τ O ., .P ,. DIVERSMED Produαion d 5 副 e PrOdvdion 跖d 蜘 e PNEU 旧 AncI s.PA . ’ of 匸yre5 orc8b 」e5 詈跚

(2 } ドイ ツ

PI既 LLl s ,卩・A ,

98,9th (3) イ ギ リ ス

SOC ■臚 P 夏RELu 躙NTE 剛 NATlONALE H 昭 LL 巳S ,.A 、 卩 DEUTSCtllAND AG H 魍 LuS 、A . Holdin宦

4L47 ● 100啄0 5 菖 6 鴨 100吼 98 鴨 、

PMELLl ME τ ZELEn HR 肌 LlUKp ■【 P且RELL ■UK pk REI 『ENWERKE GmhH XXVTsc 旧 UK Gm 臨H コh訂¢遭A 5b 訂c5Ba “dC Productien nd le P OdtaCtion a 祠 sal 墜阻 「 己 〔t 猟 の @ blc5 霸nddi 》じ「5 ppduc 匸9 of lytes 巳nd o 「しy階 and diversified prOduc【s divo隅 ified produc【s

(51 ト ル コ 〔4 ) ギ リ シ ャ

13.9 恥 i5 .9馬

P 匚RELL ■HELLAS S,A . PTQdUC 匸bn aロd 5ak o 「 tyres

・ 資料 : Pirelli S p .A .]lllun, Finaeial Highlights 1985/86

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== The DunLop Pirelli Uni(,n の 結 成 と 解 体

− − ー 1 2 2 ピ レ リ 社 の 売上 構 成 ー ー 1971年 の ピ レ リ 社 の 売 上 成 を み る と ケ ブ ル が の 構 , お よ び 関連 機 器 44 % (そ 法 ・ 一 人所 得税 金 融 費用 引 当前 利 益 に し め る 割 合 は 145 % こ れ は タ イ ヤ 部 門 , 工 業 用 品

一 い ・ ー 部 門 , 般 消 費 財部 門 が ず れ も赤 字 だ っ た た め ) タ イ ヤ チ ュ ブ が % マ , 37 , (同

イ ナ ス 16 工 12 マ ス 一 % ), 業 用 品 が % イ ナ 15 マ ス (同 %), 般 消費財 が 7 % (同 イ ナ 17% )

ー ル 一 「 と な っ て お り,ケ ブ が 唯 の 益 と な っ て い る 収 源 。 PirelliS.p .A .は 1969年 の 熱

い 秋 」 に 端 を発 した 労働 攻 勢 の 先 鋭化 に よ る経 済停 滞 の 影 響 で 同 年23億 リ ラ の 赤 字 を

だ し そ の 翌 年 の 1970 に は 7 リ ラ と い , 年 億 小 幅 な 黒 字 に と ど ま っ て る 。 ー ダ ン ロ ッ プ と ピ レ の ー 社 リ 社 売上 を地 域 構 成 で み る と , ダ ン ロ ッ プ社 は ヨ ロ ッ パ ・ 市 場 が 全 売 上 高 の 67% (法 人 所 得 税 金 融 費用 引 当 前 利 益 に し め る 50 割合 % ), 北 米

市 場 12% (同 16% ア ジ ア 10% 16 フ ヨ ー ), 市場 (同 %), ア リ カ 市 場 8 % (同 14 %), で

ロ パ ・ 一 ー ッ 以 外 で は ア ジ ア ア フ リ カ が に っ て い ピ レ ヨ ー 中心 市 場 な る 。 方 リ 社 は

ロ ッ パ 市 75% 16% 22 場 (司 , 中 南 % 85 1 ) 米市場 (同 % ), 北 米 市場 3 % (同 7 % )と な っ

て お り 中 南 が 主 な に い ン ロ ー , 米市 場 要 収 益 源 な っ て る 。 ダ ッ プ 社 と ピ レ リ 社 の タ イ ) ヤ工 場 が 重 複 し て い る 国 は 英 国 と西 ドイ ツ の 2 力 国 に す ぎ な い 13

− − ー 1 2 3 ピ レ リ 社 の 意 思 決定 方 式 ー ・ ー ー … こ の ピ レ リ グ ル プ に 対 し て ピ レ リ が 11 % の を 族 株 所 有 し , 取 締 役 会 長 の

Leopold Pirelliが 取 締 役 会 を 全 に し い ユ ニ 完 支 配 , 金 権 を掌 握 し て た 。 オ ン の 話 し合

い 「 に 関 係 し て い る ダ ン ロ ッ プ社 役 員 に 対 す る 秘 密 報 告 は 4 人 の 常務 取 締 役 と 9 人 の ー 非 常 勤 取 締 役 で 構 成 さ れ る ピ レ リ 社 の 取 締 役 会 は 噂話 の よ うな 雑 談 に な りが ち で ,

取 締 会 は Leopold の の い い い 役 ( 会 長 )政 策 決 定 に 大 き な 助 け に な っ て な と う印 象 を 14)

う け た 」 と 書 い て い る 。

2 ユ ニ オ ン の 結 成 と運 営

− 2 1 ユ ニ オ ン 結成 ま で の 経 過 − − 2 1 1 ダ ン ロ ッ プ社 の 提 案

Reay Geddes 会 長 率 い る ダ ン ロ ッ プ社 の 経営 も 1960 年台 後 半 に 低 収益 に停 滞 し て い − た こ と は す で に の べ た が 3 1 は (表 参 照 ), 同社 さ ら に 香 港 , 台 湾 , 韓 国 な ど 新 し

く成 長 を 始 め た 地 域 で の 事 業 拡 大 に の りお く れ , ま た ラ テ ン ア メ リ カ で も事業 が 失敗 − し打 撃 を受 け た (表 3 3 。 は EEC の に っ い ロ ) 彼 可能 性 あ せ て た 。 ダ ン ッ プ社 は 新

し い 金 融市場 へ の ア ク セ ス を 含 む経 営 資 源 を も と め 1968 年 か ら 1969年 に か け て 資 源 ー プ ル の の 相 手 探 しに り だ し た 。

は じ め に Uniroyal Goodrich 米 国 , , GeneralTire な どが 候 補 に あ が っ た が , 米 国 の

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ス は こ い ロ バ ー 反 トラ ト法 米 国 で 事 業 を お な っ て る ダ ン ッ プ 社 ( ッ フ ァ ロ ) に よ る 競

の は め ら れ い と い 争 会 社 買 収 認 な だ ろ う う理 由 で 問 題 外 と され た 。 そ の あ と英 国 の 国 際 鉱 山 会社 Rio Tinto Zine (Rhodesia), BICC (British Insulated Calender)な ど の 名 ー ー が で た が こ れ ら は パ の の の る の で , トナ 選 定 を急 ぐあ ま り 同社 混乱 を 象徴 す も あ

ろ 。 と っ つ う く に 後 者 は Reay Geddcs に と て 致 命 的 な 欠 点 が あ っ た 。 ま り こ の 会 社 ー は英 国 の で あ っ て ヨ ロ ッ パ の で は い と い こ ン ス 会 社 会 社 な , う と だ っ た 。 フ ラ de

Gaulle大 統 領 引 退 の 1969 に は イ ギ リ ス の ヨ ー ロ パ ー バ ー 後 , 1970年 政 界 , 実業界 ッ フ ィ

は い ま す ま す 高 ま っ て た 。

− ・ ー 表 3 3 ダ ン ロ ッ プ グ ル プ の 地 域 別 業績 (1970) (.単位 : 100万 ポ ン ド)

構 成 比 法 人 所得税 ・金 融 構 成比 売 上 高 (%) 費 用 引 当 前 利 益 (%) .一 ゴ EEC 109.8 19 .5 9 .3 24.4 1 EFTA 245 .7 43 .6 5.3 13 .9 1 そ の 他 欧州 8 .6 1.51 0 .7 1.8 」 北 米 74 .2 13.2 1 6 ,7 17 .5 中南 米 7 .8 L4 i 0 .6 1 .6 ア フ リ カ 49.3 8.71 6 .6 17 .3 ア ジ ア 57 .4 1。.2 [ 8 .0 20.9 「 大 洋 州 10 .6 1.g l 1 .0 2 .6 亅 合 計 563.4 100.0 38.2 一 里璽 」 − (資 料 ) : 表 3 2 と 同 じ

“ ” Pirelliと い を だ し た の は の Rcay っ の う答 会 長 Geddes だ た 。 そ れ は 取 締 役 会 前 昼 「 ピ ー 食 時 だ っ た 。 彼 は皆 に む か っ て レ リ 社 は わ が 社 の 人 々 と 同 類 で あ り,経 営 の ス 15〕 タ イ ル お だ と い も な じ 」 っ た 。

以 の ユ ニ ン の つ い 下 Reay Geddes オ 形 態 ア イ デ ア に て 検 討 し て み よ う 。 − 彼 に よ れ ば take over と か merger は 1960年代 の 流 行 だ っ た が , め ざ ま し い 成 功 を

め の は と ん い い い − 収 た も ほ ど な と う。 1969年 Harvard Business Review で JohnKitch “ ” ing が の 4 つ の の ち し た の は 1 つ と 米国 合 併 う 成 功 推 定 し, ま た Multinationalsを

い 書 た Christopher Tugendhat に よ る イ ギ リ ス の は も っ と く て つ の の 事例 暗 , 9 合併

の つ い い う ち 成 功 し た は 1 の 割 合 だ と う 。 そ し て Reay Geddes に わ せ る と 成 功 例 は

つ つ の ス い 2 あ る 。 1 は 1907年 イ ギ リ は Samuel 率 る Shell Transport Trading と オ ラ

ン ダ は Deterding 率 い る Royal Dutch の 連 合 (amalgamation ) に よ る Royal Dutch =

Shell の で つ ス ー Company 成 立 あ り , も う 1 は イ ギ リ の Lever グ ル プ と オ ラ ン ダ の

の で で た で ン ロ ピ ー Von Den Bergh 連 合 き Unilever あ る 。 も し ダ ッ プ 社 と レ リ 社 の

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The Dunlop − Pirelli Union の 結 成 と 解 体

連 合 が で き た な ら 80 90 に お い て こ の 2 と よ に は ゴ ム 年代 , 年代 , 社 同 じ う , 今 度 事 業

で る こ とが で き る と い の が の で 成 功 す , う Reay Geddes 考 え あ っ た 。 ー ダ ン ロ ッ プ社 も ピ レ リ 社 も規 模 , 利 益率 も似 た よ うな も の で あ り, 両 社 は 連 合 す 一 れ ば に み る よ に い 3 の の 表 1 う 躍 , 世 界 2 位 な し 位 タ イ ヤ 会社 誕 生 と な る 。

ユ ニ オ ン は に よ れ ば の よ メ ッ Reay Geddes 次 う な リ トが 考 え ら れ た 。 − 1 は と っ つ い − 第 , take over 違 て 国民 感 情 を傷 け な で す む 。 と く に 国 際的 な take ) over の こ の こ と は い 場 合 , 重 要 な 問 題 と え る16

2 は こ の に よ っ て の さ た は の 第 , 連合 , そ 集約 化 れ 研 究 開発 投資 節 約 と効 率 を 高 め

る こ と で が き,技術進 歩 を促進 す る で あ ろ う。

第 3 は 両 社 と も お お く の を っ て い る の で に よ て い の , 多角化製 品 持 , 連 合 っ っ そ う

の の ー い 多角化 事 業 展 開 が 可 能 に な り , そ シ ナ ジ 効果 は 大 き だ ろ う 。

4 は に よ っ て は に こ と こ 第 ,連 合 両 社 地 域 的 補完 す る が で き る と に な る 。 す な わ ち ー ダ ン ロ ッ は ヨ ロ ッ パ ア ジ ア ア フ リ カ ど プ社 北 , , , 北 米 , 旧英 領 な で 勢力が あ り, ー ピ レ リ は ラ テ ン ・ア メ カ ヨ ー ロ パ 社 リ , 南 ッ に 勢力 が あ る 。

= い 要 す る に 2 十 2 5 に な る と う こ と だ 。

の ン ロ 1969年 3 月 13 日, St.James Ryder Streetに あ る ダ ッ プ 社 の 本 社 に お い て ー Reay Geddes 会 長 は ピ レ リ 社 の Leopoldo Pirelliに 対 し て こ の 両 社 の 利 害 を 統 一 す

っ い こ る 試 み を や て み よ うで は な か と提 案 した 。 れ に 対 し て Leopoldo は 受 け 入 れ た

い と 返 答 し た が , こ の 時 , 同 時 に ス イ ス に あ る 別 会 杜 の Societe lnternationale Pirelli

S.A .は の の 一 , 管理 上 観点 か ら も , Pirelli家 族 の 事情 か ら も現 状 の 組 織 を 維 持 す る

ユ ニ 必 要 が あ る と の 答 え だ っ た 。 同 年 5 月 8 日 , Leopoldo は あ ら た め て 対 等 の オ ン

が 好 ま し い こ と そ し て の の を と し て い い , 両 社 取 締 役 会 承認 前提 話 し合 を始 め た , と ) の こ 最終 回 答 を お な っ た 17

一一 Reay Geddes と Leopoldo Pirelliの 両 首 脳 の 意 見 が 致 し な か っ た ら ダ ン ロ ッ プ 社

と ピ レ ー は ユ ニ ン リ 社 オ を組 ま な か っ た だ ろ う 。 二 人 の 尊敬 と 親愛感 が 両社 の 取 締 役

と び こ て ユ ニ ン コ ミ い い つ 会 を え オ に ッ トし て た と う批 判 が 後 に お きて くる 。 ま り こ

の の 時 Reay Geddes は 期 待 の あ ま り恍 惚 状 態 に あ っ て , 他 の 取 締 役 の 意 見 に 耳 を傾 ) る こ と が で と い け き な か っ た うIS

− − ー 2 1 2 ピ レ リ 社 の 賛 成 の 背 景

Leopoldo Pirelliが Reay の つ Geddes 提 案 を受 け 入 れ た 理 由 は 二 考 え ら れ る 。 そ の 第 1 は 当 時 の イ タ リ ア の 企 業 が お か れ て い た 政 治 的 ・経 済 的 環 境 で あ り, 第 2 は

の Pirelli家 利 害 で あ る 。 ー ム ッ ソ 二 の リ 時代 以 来 イ タ リ ア 産 業 は 国 家 の 大 幅 な 監 督 を受 け 入 れ て き た 。 国 家

の 持 株 会 社 IR【 (lnstituto per la Riconstruzione Industreale産 業 復 興 公 社 ) が 「公 共

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の 利益 の 保 証人 」 で あ り, 監 督者 で あ り, お そ ら くイ タ リ ア の 企 業 が 少 し で も そ の 主

権 を減 じる よ うな こ と に は 非 難 の 目を む け る こ と は 確実 で あ り, と くに外 国 企 業 と の

, ユ ニ ン 場 合 は そ の 恐 れ が あ っ た L9 オ 形 態 は こ の 非難 を和 ら げ る 効果 が あ っ た ろ う と

思 わ れ る ま た 大 な 企 え ば て ピ レ ー 。 巨 私 業, 例 Montedison , Ohveti ,Fiat, そ し リ 社

は タ ア 2 の こ い イ リ 第 党 共 産 党 か ら絶 え ず 攻 撃 さ れ て き た 、, れ ら 民 間 企 業 は ま や 共 同 ー て い ン ロ ッ の は レ 市 場 に 目 を向 け 始 め た 。 ダ プ 社 と 提 携 ピ リ 社 に と っ て 国 家 , お よ 一 び共 産 党 か ら の うる さ い 干 渉 や 攻 撃 を ま ぬ か れ る 方便 に な る つ の 可 能性 を も た ら す

戦 略 た り え た 。

一 つ ま た の で い ン ロ ッ の も う 理 由 あ る が , Leopoldo Pirelliが 会 社 内 に お て ダ プ 社 .・ 一 Reay Geddes よ り強 力 な 地 盤 に 立 っ て い ら れ た の は , そ の 族 の 結 合 と, 族 の 持 株

: に っ の て は の あ た 。 Leopoldo Pirelli J.McMillan 宛 書簡 (1988年 12 月 12 日 ) 次 よ うに

の の メ つ い べ い 「 そ 同族 会 社 リ ッ トに て 述 て る 。 (同 族 会社 で あ る こ と の ) 真 の 優 位性

は の お よ び の ー ー 会社 株 主 , 取 締 役 会 , 管 理 者 層 行 動 に 影響 を あ た え る リ ダ シ ッ プ や 一 2〔}〕 方針 の 貫 性 に あ る 」 と 。

− − 2 1 3 ユ ニ オ ン 結 成 ま で の 経 過

ユ ニ オ ン 結 成 の 公 表 ま で に 両 社 は 課 税 対 策 や 会 計 原 則 の 調整 と い う 困難 な 問 題 を 解.

ロ つ 決 し な け れ ば な ら な か っ た 。 例 え ば ダ ン ッ プ 社 は 海外 に お い て も英 国 流 を らぬ く 一 ピ レ ー ヨ ー ロ パ 慣 習 が あ る 。 方 , リ 社 は 南 ッ や 南 ア フ リ カ 諸 国 で 事 業 を お こ な っ て . い た が , そ れ ら の 国 で は 民 間企 業 に 対 す る 法 律 の 要 件 は 先 進 国 に く ら べ て は る か に 緩

や か で ,会 計 は 租 税 負 担 を 最 小 に す る よ うに 作 ら れ て い る 場 合 が お お か っ た 。 例 え ば ー “ ” ピ レ リ 杜 は ラ テ ン ア メ リ カ で は 棚 卸 し の 評 価 に Last in, First out (後 入 先 出法 ) ー を と し て い た こ は ン フ レ シ ョ ン い 基 本 が , れ 猛 烈 な イ に よ る 価 格 上 昇 期 に お て 利 益

を圧 縮 す る な で あ り 地 の も こ の や を し て い た し し 有効 手 段 , 現 税 務 当局 り方 奨励 。 か “ ” こ れ は First in, First out (先 入 先 出法 ) に よ る 棚 卸 し評価 を 基 本 と す る イ ギ リ ス の

方 法 と 対立 す る も の で あ っ た 。

ま た イ タ リ ア の 主 は へ の が ピ レ ー は に の 株 配 当 期待 強 く , リ 社 不 況 期 も そ 配 当 を維

持 す る た め に ,好 況期 に 減 価 償 却 や 利 益 剰余 金 の 積 み 増 し を や ら な け れ ば な ら な か っ

た 。

こ れ ら の 問 題 を解 決 す る た め に 両 社 は 1970年 1 月 27 日 の ミ ラ ノ で の 会 議 に お い て

「 の ロ ッ 対 等 結 婚 」 を実現 す る た め の 共 通 規 則 の 確 立 を は か り , 両社 の 監 査 法 人 (ダ ン

プ 社 は Whinney Murray , ピ レ リ r 社 は Fides) と協 力 し て 作 業 を お こ な う独 立 の 評

と の ス 価 者 し て PriceWaterhouse 起 用 を 決 定 し た 。 ま た イ ギ リ 政 府 お よ び 大 蔵 省 の

ユ ニ ン SirDouglas Allen ら が オ の 設 立 の た め に 財 務 規 則 の 修 正 ま で お こ な っ た 。

P 1970 ll の ラ こ ン ロ 年 月 両社 ト ッ を含 む 最 終協議会が お な わ れ た 。 出席 者 は ダ ッ プ 社

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= The Dunlop Pirelli Union の 結成 と 解体

ー が 以 ピ レ リ が Reay Geddes 下 7 名 , 社 Leopoldo Pirelli以 下 7 名 で あ っ た 。 ー ピ レ の タ ユ ニ 1970年 12月21 日 , リ 社 イ リ ア 側 株 主 が オ ン を し た 12 承 認 。 同 月30 日 , ー ダ ン ロ ッ プ の の メ ッ セ 社 臨 時株 主 総 会 ジ で Geddes は 雄 弁 に 語 る 。

「 わ わ は の い い い れ れ 変 化 時代 に 生 き て る 。 変 化が 日常 に な っ て る 市 場 に お て ば か

りで な く く の に い ン ロ , 広 国 際 関 係 領域 お て も 。 ダ ッ プ 社 の 姿 勢 は 変 化 を歓 迎 し, そ

れ か ら び と い こ … … 学 取 り,利 益 を得 る う とで あ る 。 変化 が は っ き り現 わ れ て い る 地 一 ー ー の つ は ヨ ロ ッ パ ヨ ロ ッ パ 域 で あ る 。 西 の 広 い 地 域 で 密 接 な 経 済 統 合 が 行 な わ れ … よ う と し て い る わ れ わ れ は を る の に は い い 。 事態 静 観 す も 明 日 な と信 じ て る 。 成功 一 は イ ニ シ ア チ ブ を 発 揮 し, お お き な 資 源 を 支 配 す る 者 に あ た え ら れ よ う… 方が 他方

の 援 を必 と し て い る ダ ン ロ ッ プ で は の ニ い 助 要 。 社 単独 そ イ シ ア チ ブ に ふ さ わ し 報酬

い こ ー を手 に れ る と は 不 可 能 だ 。 わ れ わ れ と じ を ち ま の マ 同 哲 学 も , た 同 様 組 織 と ネ

ジ メ ン トの を つ ピ レ リ ー ま 方 法 も 社 も た単独 で は そ れ は 不 可能 だ 。 わ れ わ れ は双 方 に ー ー と っ て こ の パ トナ シ ッ プ の は で つ の 選 択 自然 あ り, か 共 通 利 害 で もあ る 。 」 ー の メ ッ セ ジ は の よ 彼 次 う な高 揚 し た 言 葉 で 結 ば れ る 。

「 わ れ わ れ は 現在 を 見 よ うと し て い る も の で も な け れ ば 近 い 将 来 を見 よ う と し て い

る の で も な い わ れ わ れ の 望 は こ の で は て い 。 展 数年 な く ,数 十 年 先 を見 て る の で あ る 。

は い ま わ れ て い る ぜ い 決 定 行 。 な な ら ま や 機 会 が お とず れ た か ら で あ る 。 そ れ は 判 断

ン ロ ー 力 と信 念 を 必 要 とす る 歴 史 的 な 決 断 で あ る 。 提 案 さ れ た ダ ッ プ社 と ピ レ リ 社 の ー ユ ニ オ ン は こ の 二 つ の グ ル プ の 事 業 を統 合 す る た め に 両社 の 経 営 責 任 を果 た す こ と

い ユ ニ に な る と う判 断 。 そ し て オ ン の 成 功 こ そ が 偉 大 な前 進 を達 成 で きる の だ と い う

21) 信 念 。」

− − 2 1 4 ユ ニ オ ン の 形 態

(1) 業務 提 携 の 骨 子 と 組 織

ン ロ ピ ー = ダ ッ プ 社 と レ リ 社 は 1971年 1 月 1 日 を期 し て Dunlop Pirelli Uion を糸吉成

し た 。

ま ず ユ ニ オ ン 結 成 に あ た り親 会 社 の Dunlop Co . Ltd .と Pirelli S. p. A .両 社 は 純粋 の

持 株 会 社 と し て 発 足 す る 。 ・ こ の た め Dunlop Co . Ltd.の タ イ ヤ ゴ ム 製 品 そ の の ・ お , 他 製 品 製 造 販 売 業務 , ー よ び そ れ に 関 す る 英 国 お よ び ヨ ロ ッ パ に あ る 子 会 社 9 社 , 孫 会 社 5 社 な ど を新 た に

設 立 さ れ た Dunlop Ltd,に 引 ぎ らは ]op Ltd.と こ 継 , 自 Dun Holdings 社 名変更 を お な っ た 。

イ タ リ ア に あ っ た 来 の . . ,は タ ゴ ム の 従 親 会社 Pirellis p A , イ ヤ , 製 品 , そ 他 製 品

の ・ 製造 販 売 業 務 , お よ び そ れ に 関連 す る イ タ リ ア を む EC 6 力 に る を 含 国 あ 子 会 社 ,

新 設 し た (1970. 12.31 Industrie Pirelli S. . A .に ら は ) 引 継 ぎ , 自 社 名 を 更 せ ず p 変 ,

と し て し た lndustrie ヨ ー ロ パ 純粋持 株 会 社 発 足 。 ( PiretliS.p .A .に は ッ の 子 会 社 23

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一 NII-ElectronicN 工 工 Eleotronlo LibraryLlbrary Service YokkaichiYokkaiohi University

・・ い っ つ 社 が 傘 下 に は た )。 な お ス イ ス に あ る も う の 親 会 社 Societe Internationale ー Pirelli S, A .は な ん ら組 織 変 更 を お こ な わ ず EC 6 力 国以 外 の 同 グ ル プ の 持 株 会 社

ユ ニ ン と し て オ に 参 加 した 。 ・ こ の 英 国 イ タ リ ア の 二 つ の 持 株 会 社 の も と に 統 合 さ れ る 子 会社 へ の 持 比 は 株 率 ,

ま ず EC 諸 国 に あ る 子 会 社 に つ い て は そ の 株 式 の 49 % を, そ れ 以 外 の 国 に あ る 子 会 杜

図 2 The Dunlop = Pirelli Union の 組 織 図

〔1:149 DunloPLimitedBritaln 51 % %

{2) PirelliS D しmloPInternationftc 60 % [ 40 % .P. A . Limited

40 % 60 % DunlopCanndaLimited

Dunlop 40% 60 % 〔New Zealand Ho 【ding)Ltd.

PirelliLimited . 51 % 49 % − 」. −. (Britain} .− ’ (3 ] 且ndustrie Pirelli 49 % 51 % S.P.A . Italy

49 % PirelliFranceS 51 % 、A .

49 % PirelliSacic 51 % S . A . (Betgium)

Veith Pirelli 49% 51% A .G . (Germany )

OtherPirelliCompany 6 % 40 %

ー パ (注 〉:Cl) ヨ ロ ッ に 主 要子 会 社 9 杜,同孫 会社 5 社保 有,旧 Dunlep Co、 Ltd の 業務 引 き 継 い だ 新会 社 ヨ ーロ パ C2} ッ 以 外 に 主 要 子 会社 11社所 有 (3) 旧 Pirelli s. p . A .の 事 業 を 引 き継 い だ 新 会 社

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一 NII-ElectronicN 工 工 Eleotronio Library Service YokkaichiYokkalohl UniversityUnlverslty

The Dunlop =Pirelli Union の 結成 と 解体

つ い の の こ の の に て は そ 株 式 40 % を そ れ ぞ れ 相手側 に 譲 渡す る 。 株 式 交換 は 1971年 6

ユ ニ 月 末 に 完 r す る 。 か く し て で きあ が っ た オ ン の 組 織 は 図 2 に し め し た よ う に な る 。 ・ (2 )ユ ニ オ ン の 管理 運 営 ー 22) 両 グ ル プ は 同 数 の 役 員 代 表 (各 4 名 ) で 構 成 す る 中 央 経 営 調 整 委員 会 Central

_ こ の ユ ニ ン Co ordinating Committee を設 置 す る 。 委 員 会 は 定 期 的 に 会 合 を も ち オ の

ら び に に る に つ い て ル ー プ の 運 営 な 経 営 戦 略 関 す 事項 , 両 グ 持株 会 社 取 締 役 会 に 勧

・ こ こ の の ル ー で こ 告 助 言 を お な う 。 委 員会 会長 は 両 グ プ か ら交 替 選 出 す る と と し,

の 当 初 3 年 間 は Dunlop HoldingsLtd. Reay Geddes が 就任 す る 。

ル ー の の の の メ ン バ ー 両 グ プ 会 長 は , そ れ ぞ れ 相手 親会社 取 締 役 会 に 加 わ る 。 両 グ

ー ユ ニ い ル プ は , オ ン に 加 わ っ て る相 手 方 の 子 会 社 の 取 締 役会 に 取 締 役 を 送 る こ と と

る た だ し の は 以 か ら の ( が こ れ を す 。 当該 子 会社 経 営 責 任 , 前 親 会 社 持 株 会社 ) 負 う 。 “ ” “ ” ル ー ン 両 グ プ の ブ ラ ド名 Dunlop , Pirelliは , そ れ ぞ れ 従 来 ど お り存 続 さ せ る 。

「 対 等 の 結 婚 」 形 態 を と っ た ユ ニ オ ン は ,英 国 と イ タ リ ア , そ し て ス イ ス の 各国 間

の の い が し て い る と い を ふ ん ま え て 上 会社 法 , 税 法 , 会 計 規 則 違 存 在 う現 実 , 法律 ,

財 務 上 そ の 他 で 複 雑 な 改 正 手 続 き を お こ な わ な け れ ば な ら な い 完 全 提 携 を避 け る 新 し

い の の し た と い こ と で こ は 国 際 間 業 務 提 携 形 を作 り 出 う が き る 。 同時 に れ 後 に な っ て

い こ い い え る と だ が , 財 産 問 題 な ど に 面倒 な 手続 き の ら な 簡 単 に 離 婚 で き る 結 婚 の 形

い こ い 態 と も え る の で は な か ろ う か 。 事 実 の 結 婚 は 最 初 か ら 本心 を 明 か さ な 同床 異 夢

の 共 同生 活の 感 が あ っ た 。

3 ユ ニ オ ン の 解 体 とそ の 原 因

− 3 1 ユ ニ オ ン の 解 体 − − ー 3 1 1 ピ レ リ 社 の 経 営 不振

ニ ー ユ オ ン は そ の 準 備 の た め 慎 重 に 2 年 問 の 調 整 を お こ な っ て 1971 年 1 月 に ス タ ト

の こ した に も か か わ ら ず ,初年度 か ら 当初 期待 を 裏切 る 結果 に 苦 しむ とに な る 。 す な ・ ー わ ち 表 4 に み る よ う に 1971年 の 純 利益 は 前 年 比 (70年 数値 は ユ ニ オ ン ベ ス に 修 正

し た もの だ が ) 実 に 86 .5 % の マ イ ナ ス の 130万 ポ ン ド, 1972年 は や や 回復 し て 370万 ポ

ン ド 。 こ れ を 5 の Dunlop の と る と で は 1971 1 159 ポ 表 社 単 独 業 績 比 較 す , 単 独 年 , 万 一 ン ド 72 1 342 ポ ン ドで あ り こ れ は ら か に も う の の Pirelli に , 年 , 万 , 明 方 相 手 社 , 特

の の こ IndustriePirelliS.p.A . 業 績 悪 化 影 響 と推 定 す る とが で き る 。 事実 同社 は 1971

の ラ は ラ の だ し て い は − 年 売 上 高 3 ,100億 リ , 利 益 149億 リ 赤 字 を る 。 実 Industrie Pirel

い lis.p.A .の 経 営 不 振 は 1970年 の 合 併 前 に 明 ら か に な っ て た 。

こ の Industrie Pirelli S. p . A .の 経 営 不 振 が ダ ン ロ ッ プ社 側 に 脅 威 と感 じ ら れ た こ と

ユ ニ は 当然 で , 同社 の 内部 で は 早 く も オ ン 解 消 論 も出 始 め て き た 。 契 約 で は 株 式 交 換

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ー は 1971年 6 月 ま で は し な い め で っ た の で と ピ レ 完 了 取 り決 あ , 少 な く も リ 側 の 事 態 が 改 善 さ れ る ま で は 名 目 的 に 5 % ぐ ら い の 株 式 交 換 で 抑 え て お く こ と が 可 能 か ど う 3〕 か , 法律 面 の 調 査 が 秘 か に お こ な わ れ た 葦

表 4 Dunlop = Pirelli Union の 業 績 推移 (金 額 単位 100万 ポ ン ド,率 % ) . 売上 高 (前 年 比 ) 純 利 益 (前年比 ) 1970a ) 950 10 ,0 の1971 970 (2.1) L3 (− 86 .5) 1972 1,098 (13 .2) 3.7 (175 .2) 1973 1,336 (21 .7) 17 .3 (373.7) 1974 1 ,595 (19 .4) 8 .5 (− 49 .1) ・ ー a ) は 比 較 の た め ユ ニ オ ン ベ ス で 算 出 さ れ た 参 考値 (資料 ) :Dunbp Annual Report、1971 ,1972 ,1973 ,1974

ー 表 5 Dunlop グ ル プ の 業績 推 移 金 100万 ポ ン ド 一. ( 額 単位 ) . 売上 高 (前 年比)

1970a ) 563585636 19711972 (3 .7) (8.7) ・ ー a ) は 比 較の た め ユ ニ オ ン ベ ス で 算 出 さ れ た 参 考値 (資料 ) :表 3 と 同 じ

ー 「 」.Simon の 側 近 メ モ リ に よ れ ば Dunlop Holding は 親会社 と し て の 配 当 を確保 す

る め の い ー た 基 本 収益 源 を Duniop Ltd に 依 存 し て る 。 しか し ピ レ リ 社 は Dunlop Ltd

の 株 式 を49%所 有 し て い る の で ,Dunlop Holding に 供 給 す る た め に つ く ら れ る Dun −

lop の は に ピ レ リ ー の ー Ltd 利益 , 自動 的 社 懐 に 入 っ て し ま う。 そ の た め ピ レ リ 杜 は

自分 自身 で 利 益 を 作 り出 し た か か に か か わ ら こ と 一 否 ず , 収益 を確 保 す る が で き, 方 24 〕 Dunlop Hording は 結 局 Dunlop Ltd か ら 生 まれ た 利 益 の 半 分 を得 る に す ぎ な い 」 と し

て ユ ニ ン の い オ 解 消 を強 く主張 す る に た っ た 。 一 しか し 的 に ユ ニ オ ン を に る こ と は で 法 方 的 破 棄 す き な か っ た 。 Reay Geddes も

Leopoldo Pirelli 「 の も 離 婚 話 を し な が ら 結 婚 に 踏 み 切 っ た の で は な い 」 と い う こ と 一 で は し て い の 致 た . 結 局 ,解 決 策 は 次 よ う な も の で あ っ た 。

Dunlop Holdingが も っ て い る Industrie . . .の % の を PirelliS p A 49 株 式 全 部 , 優 先株

に る い 変 更 す 。 同 じ く PirelllS.p .A .が 持 っ て る Dunlop Ltd の 49 % の 株 式 も 全 部 ,

ー べ つ 優 先 株 に 変 更 す る 。 こ の こ と に よ っ て ピ レ リ 社 の 赤 字 は す て 普 通 株 を持 イ タ リ

ア の 主 に か ぶ せ だ を て お こ い の 株 , 財 産 処 分権 け 確保 し う と う も で あ る 。 両 社 は こ の

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The Dunlop − Pirelli Union の 結 成 と 解 体

1 1 こ 措置 を 1971年 月 日 に 遡 っ て 実 施 す る とに し た 。

と こ ろ が 1972年 の Industrie Pirelli S. p . A .の 赤 字 は 450億 リ ラ に な り, 2 年 間 の 累

は 1 270 ラ の の 600 ピ レ 積赤 字 資 本 金 , 億 リ 半 分 近 く 億 リ ラ に な っ た 。 Dunlop Holding は ー リ 社 の 累 積赤 字 の 影響 を遮 断 し て お く た め , 1973年 に 入 っ て か ら Industrie Pirelli

へ の ポ ン こ 一 出資 額 (簿 価) 金 額4 , 510万 ドを剰 余 金 を 取 り崩 す と に よ っ て 挙 に 償 却

ア の の に し す る 方針 を 決定 し た 。 な お イ タ リ で は 累積 赤 字 が 資本 金 3 分 1 以 上 達 , そ

の 翌 年 に そ の 累積赤字 を資本金 の 3 分 の 1 以 下 に 減 らす こ とが で きな い 場 合 に は 当 該

企 業 は 減 資 す る こ と を 義 務 づ け ら れ て い る た め , 今度 は 親 会杜 の Pirelli s. p . A .が

IndustriePirelliの 面 倒 を み な け れ ば な ら な くな る 事 態 に な っ た 。 ー ピ レ リ 社 の 経 営 悪 化 の 大 き な 要 因 は い わ ゆ る 赤 軍 が 資 本 家 の 暗 殺 を 図 る な ど イ タ

リ ア の の で い の ス ー ル ル へ の の 政治 情 勢 悪 化 も勿 論 無 視 き な が , 同 社 チ ラ ジ ア 化 移 行 ー 一 れ で フ ラ ン ス の ミ シ ュ ラ ン の タ ア で の シ ェ ア と 遅 イ リ 国 内 拡 大 , 般 タ イ ヤ で は ア ー ー メ リ カ 勢 の イ タ リ ア 参入 で 1960年 台 始 め に 70 % の マ ケ ッ ト シ ェ ア を誇 っ て い た ピ ー ー レ リ は 1960 に は の の 35 で シ ェ の い 年代 末 そ 半 分 % 前 後 に ま ア が 落 ち , そ 傾 向が 続

て い た か ら で あ る (表 6 )。

ー 表 6 イ タ リ ア に お け る タ イ ヤ 会 社 別市 場 シ ェ ア (単位 %)

国籍 1970 1978

PirelliMichelin イ タ リ ア 3730 3135

フ ラ ン ス

Goodyear ア メ リ カ 6 9 Firestone ア メ リ カ 4 6

(資料 ):表 1 と 同 じ

ー こ れ に 決 定 的 な打 撃 を あ た え た の は こ れ ま で ピ レ リ 社 が 独 占 的 に 新 車 用 タ イ ヤ を

ー 「 ッ へ の ュ ン い ピ い 納入 して きた フ ィ ア ト ミ シ ラ の 食 込 み と , レ リ 社 内 で も 災 の タ

ー つ イ ヤ 」 と い わ れ た CN51 シ リ ズ の まづ きで あ っ た 。 ー ・ ー な お Industrie Pirelli S . p . A .を の ぞ い た 他 の ピ レ リ グ ル プ の 業績 は お お む ね

良好 で , と くに ス イ ス の Societe Internationale Pirelli S. A .傘 下 に あ る (す な わ ち EC ー 6 力 国 以外 の ) グ ル プ各社 の 業 績 は , 全般 的 に 好 調 な推 移 を み せ て い る が , こ れ は ー ケ ブ ル が に は が に な て い る グ ル ー プ の の 部 門 , 地 域 的 中南 米 収 益 源 っ 。 全 売上 高 約

3 分 の 1 を し め る イ タ リ ア の Industrie Pirelliは 皮 肉 な こ と に ユ ニ オ ン 解 体 の 気 運 の

で て き た 1980年度 に 10年 ぶ り に 黒 字 に な る 。

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− − 3 1 2 ダ ン ロ ッ プ社 の 経営 悪 化 と Geddes 会 長 の 退 任 ー ユ ニ オ ン は 1975 に を だ が ダ ン ロ ッ プ の は ピ レ リ の 年 も赤 字 す , 英 国 社 経 営 社 赤 字

わ の の わ る に み ら る に か か りな く, 国 内 経 済情 勢 悪 化 , す な ち深 刻 化 す 労 働 争 議 れ イ ー ギ リ ス 病 の 蔓 延 , こ れ に と も な う 自杜 の 競 争力 の 低 下 に よ る タ イ ヤ 市場 シ ェ ア の 喪

失 (表 7 )な ど に よ る 営業悪 化 の た め の 影響 を う け た 。東欧 か ら の 廉 価 タ イ ヤ の 輸入 , ー ・ ・ 高級 市 場 で は フ ラ ン ス の ミ シ ュ ラ ン の ス チ ル ラ ジ ア ル タ イ ヤ が い ま や OE (新 ー だ け で な く REP ( え用 で も シ ェ ア を 大 させ 英 国 人 車用 )市場 , 取 替 )市場 増 , 所有

へ ン ロ こ い ン ロ 車 の タ イ ヤ供 給 で も ダ ッ プ を え る と う事 態 に な っ て き た 。 ダ ッ プ社 の

対 抗 技 術 は 1973 年 に Automobile Association か ら 金 メ ダ ル を受 賞 した run flat タ イ ヤ

パ ン ク し て ロ の が で き る の Denovo が っ た が こ れ に ( も 数 キ 走 行 ) あ , 結 局 も商業 化

失 敗 し, 国際 的 に み て そ の 技 術 的 劣 勢 は は っ き り し て き た 。

ー 表 7 イギ リ ス の タ イヤ 会 社 別市 場 シ ェ ア 推 移値 (、単位 : % )

DunlopMichelin

Goodyear Firestone Uniroyal

そ の 他計

(注 )1 そ の 他 に は 輸 入 晶 を 含 む 。 (資料):表 2 − 1 と同 じ

1976年 ,執 行 役 員 の ト ッ プ に 就任 し, 従 業 員 に た い し 初 め て お こ な っ た Campbell

の メ セ ー は の て い の ン は ン フ レ Fraser ッ ジ 次 よ う に 訴 え る 。 同年 利 益 1930 万 ポ ド イ

に よ る 調 整 を お こ な う と実 質700万 ポ ン ドに な り 「全 世 界 で の わ が 社 の 売 上 高 は 12億

ン マ ー ン 8900 ポ ン で た 。 で は 工ポ ド た の ジ は 6.25% に 万 ド あ っ 英 国 内 売 上 あ り す ぎず , ー こ の ン フ レ シ ョ ン と わ れ は 税 引前 , 借 入 金 利 支 払前 数字 で あ る 。 も し イ を考慮 す る

ペ が 社 の 利 益 は 1 ポ ン ドあ た り0.5 ン ス 以 下 に な り下 が っ て し ま う 。 実 質 価 格 で 適 正

を る こ と が の の た め に で あ り い い か え れ ば 用 を な利益 確保 す 将 来 投 資 不 可 欠 , 雇 維 持

24 ) い 一 す る 上 で 必 要 で あ り,新 し 職 場 を作 り 出 す 唯 の み ち で あ る 。 」

1979 ダ ン ロ ッ プ は の タ ヤ の 工 の 工 を 年 , 社 同 社 イ 大 場 Speke 場 (Liverpoo1) 閉鎖

の は の の た し た 。 工 場 閉鎖 主 な 理 由 労働 者 極 端 な 生 産性 悪 さ に あ っ 。 夜 勤 労 働 者 が 夜 “ ” い こ 勤 時 間 に 眠 る な ん て in皿 oral だ と う批 判 が あ っ た と を み れ ば 事 態 は 理 解 で き よ

「 い い い い の い う。 こ う し た 事 態 に 対 し て 悪 兵 隊 な ん て な 。 悪 は 指揮 者 だ 」 と う経営

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一 NII-ElectronicN 工 工 Eleotronio Library Service YokkaichiYokkalohl UniversityUnlverslty

= The Dunlop Pirelli Union の 結成 と 解体

の は て の は こ 学 正 統 的理 論 あ る に し も , 英 国 労使 関係 す で に指揮官 の 問 題 に 帰 す る と

で 解 決 で き な い 社 会 性 を も っ て い た と い うべ きで あ ろ う。 (後 の こ と に な る が 1981年

に は Ichinnan い 工 場 も閉 鎖 さ れ て る 。 )

に こ の 1979年 総 選 挙 が お な わ れ , 保 守 党 Margaret Thatcher が 勝 利 を お さ め た 。 だ

の の こ が ま だ そ 時 に Fraser社 長 で き る と は cut ,cut ,cut あ る の み だ っ た 。 1978 年 に か

れ が 社 長 に 就 任 し た の に お け る の は 4 3000 だ た が こ 2 時 英 国 同 社 従 業員 万 人 っ , れ が

ル ー の 万 2000人 ま で 削 減 さ れ た 。 世 界 に お け る グ プ 従 業員 は 同 じ時 期 に 10万8000人 か

の ら半 分 に さ れ た 。 Cork 工 ナ イ ジ ェ リ ア の の フ ラ ン ス の 削減 場 閉 鎖 , 事 業 縮 小 , 営

ラ マ ッ ン ロ ッ の 業 も ド チ ク に 縮 小 さ れ た 。 ダ プ 社 損益 計算書 に よ れ ば , 1979年 は 2600

ン ポ ドの 1980 に は 4200 ポ ン の に 。 万 赤 字 , 年 万 ド 赤 字 達 した ー Dunlop Ltd.の ヨ ロ ッ パ で し て い る 主 は で た が 操 業 要 子 会 社 赤 字 経 営 あ っ , 1981

ー 「 に っ た Fraser の レ は い 。 年 会 長 な 株 主 宛 タ う , Dunl p Ltd.の 赤 字 の 大部 分 は 今 日

ピ ー い ま で レ リ 社 の せ で あ る 。 Dunlop Ltd .は そ の 操 業 維持 の た め に 追 加 的 な 投 資 を

と し て い ピ レ ー い い い 必 要 る が , リ 社 は か な る必 要 資 金 の 調 達 に も反 対 し て る 。 ま や

ピ レ ー の こ い 状 況 は Dunlop Ltd ,に 対 す る リ 社 投 資 が 廃 止 さ れ る と ろ ま で き て る 。

1980 の 公 さ れ た は ダ ン ロ ッ プ の に わ べ は 年 表 会 計 報 告 , 株 主 負 さ れ る き 連 結 赤 字

1 500 ポ ン ド に し て い る , 万 達 。 ー ・ ー こ の 数 年 ピ レ リ 社 は Dunlop Ltd .か ら よ り も, む し ろ ダ ン ロ ッ プ グ ル プ の 諸

か ら ま す ま くの を し て き た の は の ス ペ 会社 す多 利 益 吸 収 。 そ 収 益 , 同 社 , イ タ リ ア ,

ン ア ル ゼ ン ン の ピ レ ー イ , チ そ れ ぞ れ に あ る リ の 子 会 社 の 赤 字 を埋 合 せ る た め に 使 わ ー れ た 。 現 金 の 流 れ で い え ば ダ ン ロ ッ プ は ピ レ リ か ら っ た の よ , 社 社 受 取 も り , ず っ

い ー と多 く を投 資 お よ び 配 当 と う形 で ピ レ リ 社 に 支払 っ て お り, 過 去 5 年 間 で , こ の

ユ ニ ン の ン ロ オ お か げ で , ダ ッ プ は 重 大 な現 金流 出 を経 験 し て き た 。 こ れ ら は 協 定 解 25) 消 に よ っ て 終 る こ と に な る だ ろ う。」

− 3 2 ユ ニ オ ン 解体 の 原 因 ー ダ ン ロ ッ プ 社 の 経 営 悪 化 は ピ レ リ 社 の み に そ の 責 任 を負 わ せ る こ とで す む も の で

は っ ン ロ ッ い い な か た 。 ダ プ 社 の 経 営 の 根 幹 が す で に世 界 の 厳 し 競 争 に 耐 え ら れ な も

ロ ー の に な っ て い た 。 ダ ン ッ プ社 側 に は ピ レ リ に う ま く騙. さ れ た か の よ う な意 見 も あ ー る が , ピ レ リ 社 と 資 本 関係 を解 消 す れ ば ダ ン ロ ッ プ 社 の 経 営 が 立 直 る と い うわ け に

は い っ ユ ニ ン ン ロ ッ つ い か な か た 。 事実 , オ 解 消 後 も ダ プ 社 の 経 営 は 改 善 を み せ ず ,

に 1985 は ゴ ム っ こ 年 , 同社 わ が 住 友 に よ て 買収 さ れ , の 歴 史 ある 企業 の 幕 を と じ る こ ー と に な る し か し こ の テ マ は に ゆ る と し て い ま は ユ ニ ン 。 別 稿 ず , 何 故 オ が 失 敗 し た

か を検討 す る 。

Leopold Pirelliは こ の 事 件 の 18年 後 に J, McMillan 宛 書 簡 の な か で 次 の よ う に ユ ニ

一 130 一

一 NII-ElectronicN 工 工 Eleotronlo LibraryLlbrary Service YokkaichiYokkaiohi University

オ ン 失 敗 の 理 由 を の べ て い る 「い ま か ら ば わ 。 思 え , れ わ れ が 最 上 の 構 築 物 を 選 択 し

た と は い つ 一一 信 じ ら れ な 。 実 際 の と こ ろ % の を が の つ , 51 株 も 人 , も う 人 51% を も 人

に 管 理 さ れ る 残 りの 49% ぶ ん に つ い て も 同等 の 責 任 を負 わ な け れ ば な ら な い と 思 う の

は 違 い だ た ぶ ん わ れ わ れ は か ら ヨ ー ロ パ べ 間 。 最 初 ッ お よ び 海 外 で の す て の タ イ ヤ 事

業 を 共 同 所 有 で あ る の は よ い が ユ ニ オ ン の な か の タ イ ヤ 分 野 で の 最 も 優 れ た ー 人 物 に よ っ て マ ネ ジ さ れ る 立 の に べ 独 別 会礼 集 中 さ せ る きだ っ た 。 ま た そ れ と は 別 26/・ に 製 で の を る の べ 多角化 品 分野 共 同事 業 束 ね 共 同 所 有 別 会 社 を設 立 す きで あ っ た 。 」

ユ ニ ン の の ・・つ オ な か 最 も優 れ た 人 物 を ト ッ プ に す る の タ イヤ 会社 を つ くる 必 要 に

つ い て の Leopoldo の は っ = 主 張 ま た く正 当 で あ っ た 。 RQyal Dutch Shellの 成 功 は 両

社 の 合 併 交 渉 の 最 後 の 段 階 で 対 等 を 主張 す る Samue1 に た い し Deterdingが 厳 し く拒 一 し の の 否 , 新 会 社 経 営 を Deterding 人 に ま か せ る 協 定 を締 結 し た こ とが そ 後 の 同社

の を い た こ と は の こ つ つ 成功 導 経 営 史 証 明 す る と ろ で あ る 。 ま た こ の 二 の 資 本 の 結 び 一 き を金 属 の 化 合 を連 想 さ せ る Amalgamation と い っ て い る よ に の う , 混 血 よ う な 体

性 を め ざ し て い た も の で , Reay Geddes が 理 想 と し た ユ ニ オ ン と は か な り性 格 が 異

な っ て い た ユ ニ ン は の い 誓 オ む し ろ 最 近 新 し 企 業 間 の 協力 形 態 で あ る 企 業 間 ネ ッ ト

ワ ー い の い ー ク に 近 も で あ っ た と る 。 こ の ッ の え 国 際 的 な ネ ト ワ ク な か で , そ れ に 対

し た こ の 応 管 理 組 織 が 未 開 発 だ っ た と ろ に 失 敗 原 因 が あ っ た と い う こ と が で き る か も

い し れ な 。

「 . は し か し ユ ニ オ ン の い ユ ニ J McMillan , , 失 敗 原 因 を他 に 求 め て る 。 何 故 オ ン は “ ” 失敗 した の か た ぶ ん そ れ は − モ ル い 」。 Anglo Italian デ だ っ た か ら だ ろ う と 。 彼 は

「 ス と ラ ン い う, イ ギ リ オ ダ は 共 通 点 が お お 。 両 国 は 17世 紀 の プ ロ テ ス タ ン 倫 理 か ら 一 お よ び 上 の の ヨ ー 資 本 家 商業 発 展 を実 現 した だ 。 時 期 に は 両国 は 同 じ William III ( . ロ ッ パ に お る プ ロ ス タ ン の ャ ン ピ ン い け テ ト チ オ ) を 戴 た 。 両 国 は 広 大 な 海 .E帝 国 と

に み る よ と 世 界貿 易 う な , 征 服 欲 冒 険 的 な 性 格 を発揮 し て きた 。 両 国 と も北 方 人 で あ … … い い る 。 事業 に お て 経 験 の 分 有 を基 礎 と し た 共 通 の 考 え 方 を も っ て る こ と は た い

せ つ な 資産 で あ る 。 Samuel Oil関 係 者 と Royal Dutch あ る い は Van der Bergh と Lev−

er の 相 互 に 実 りお お い と い う に し て は な ん ら の 協 力 点 関 , 政 治 的気 兼ね も存在 し な

か っ た 。 」

「 ー ダ ン ロ ッ プ杜 と ピ レ リ の 主 た ち の と は 社 要 人物 善 意 真 剣 さ を疑 う 余地 な か っ た 。

し か し北 と 南 Anglo − と の の い は べ い , Saxon Latin 気 質 違 , 過 小 評 価 す き で は な 」 と

い 「 − 彼 は う。 そ れ ら は Anglo の に く ら べ て と こ Dutch 連携 , ず っ 達成 が 困 難 だ っ た と

は た し か で あ っ た の い ス ス 」 。 会 計 方 法 違 , 同 族 財 産 を守 る 機 能 を も っ た イ の 持 株 会

Pirelli A の ン ロ い 社 s. . 存 在 な ど ダ ッ プ 側 に は や り に く 問 題 が あ っ た か も し れ な い

「 が に お い て ヨ ー ロ パ , 1970年 ,西 ッ は 北 海 と 地 中 海 を取 り組 ませ る 用 意 が ま だ な か っ

た と思 う」 と 主 張 す る

一 131 一

一 NII-ElectronicN 工 工 Eleotronio Library Service YokkaichiYokkalohl UniversityUnlverslty

= The Dunlop Pirelli Union の 結成 と 解体

こ こ に は た し か に な が る と い わ ば い こ 重 要 問題提 起 あ な け れ な ら な 。 わ れ わ れ は ん ー ー に ち 多 国 籍 企 業 が ボ ダ レ ス に 活 躍 す る 現 実 の み を 多数 み て い る が , McMillan の

主 す る の み わ せ の が の と い 張 民 族 間 組 合 適 , 不 適 事 業 展 開 成 否 密接 な 関 係 を も っ て る

ま た お お の ー ス で こ と 事 実 も く ケ み る が で き る 。 し か し McMillan の 理 論 に は 南 国 イ

タ リ ア 人 に た い す る 北 国 イ ギ リ ス 人 の 違 い を強 調 しす ぎ る , そ の 差 異 に 原 因 を強 調 し

い と い い こ て に す ぎ る き ら が あ る わ な け れ ば な ら な 。 現 代 は れ を 地域 戦 略 と し 地 域 適

し た の で い い ー ス 合 個 別 戦 略 策定 対 応 す る , と う 方 向 で 対 処 し よ う と し て る ケ が 増 え

い こ て き て る と に 留意 す る 必 要 が あ る で あ ろ う。 しか し McMillan の い っ て い る 問題

は そ れ と も や や 違 う 思 の の の パ ー ー の , 最 高意 決 定 者 哲 学 , 価 値 観 違 う場合 トナ 選 択

で と い こ の つ い こ こ い ロ 問 題 あ る え る が , 点 に て は で は 検 討 の 余 裕 が な 。 た だ ダ ン ッ ー プ社 と ピ レ リ 社 の ユ ニ オ ン の 場合 , そ の 多国籍企 業 と し て の 管理 方式 や 共通 政 策 の

に お い て ま だ の い い べ 決 定 方 式 , 時 代 制約 を脱 し きれ な 限 界 が あ っ た と う きで あ ろ う 。

経 営 学 的 な 視 点 か ら こ の ユ ニ オ ン の 失 敗 の 経 過 を考 え て み る と , ダ ン ロ ッ プ社 に は

も っ と 大 き な 要 因 が 存 在 し て い た こ と が 指 摘 で き る 。 す で に 述 べ て き た よ に う , 同社

の も を わ な い や や の に 誰 責 任 負 意 思 決 定方 式 , Sir ナ イ ト 称 号 満足 す る 経 営 層 に 表 れ

て い る 社 会 的階 層 主 義 な ど 旧 い 思 想 の 存在 , あ る い は 新 製 品 開発 に た い す る 決 定 の 遅

れ に さ れ た の と モ ラ ー ル の ど の , 労 働 運 動 振 り回 労使 協 力 不 備 従業員 低 下 な お お く 企

の の を で し の い ユ ニ ン い 業 内 欠点 改善 , 国 際 的 な業 務 提 携 , か も問題 お お オ と う形態

い こ い い ・ で 補 お う と した 。 また の よ な に お て Sir Reay 甘 経 営 態度 う 廿 戦 略 決 定 , Ged

マ des の ワ ン ン 的 な 意思 決定 を 許 し た よ うな 同社 の 意思 決 定 シ ス テ ム に 欠 陥 が あ っ た

こ と は 歴 史 の 証 明 す る と こ ろ で あ る 。

結 語

ー ユ ニ オ ン は そ れ ぞ れ の グ ル プ で は の と を し つ つ 二 内 従 来 権 力 構造 管理組織 維持 ,

つ の の の パ ー ー 企 業 が 支 配 , 非 支 配 関係 を排 除 し た 同等 トナ シ ッ プ を組 む 共 同 経 営 で

あ そ れ は 二 つ の の の よ の で こ の ー り, 主権 国 家 連 合 う な も あ っ た 。 れ は 最 近 ネ ッ ト ワ

の い い い い パ ー ク 経 営 国際 版 と え な く も な , う な れ ば 資 本 結 合 の 新 し タ ン を先 駆 的 に

実 現 した と い う こ と もで き よ う だ が あ ま に も そ れ は 主 だ た と の 。 り 理 想 義 的 っ , 批 判

ぬ こ ー パ を ま か れ る と は で き な か っ た 。 た し か に Reay Geddes は 統 合 ヨ ロ ッ に お け

る タ の と い い イ ヤ 事業 大 連 合 う理想 に 向 か っ て す す ん だ 。 し か し現 実 か ら遊 離 し て た

こ で い の の と も否 定 き な 。 そ 理 由 を経 営 学 視 点 か ら要 約 す る と次 の 問 題 点 を あげ る こ

と が で き よ う 。 一 に そ れ は あ い ま い な の 上 に さ れ た の で つ 第 , 基礎 構 造 構 築 も , 完 全 な統 合体 を く

つ りあ げ る こ と に 失 敗 し た こ と で ある 。 中央 経 営 調 整 委員 会 が くら れ , そ れ ぞ れ の 取

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一 NII-ElectronicN 工 工 Eleotronlo LibraryLlbrary Service YokkaichiYokkaiohi University

い ・ 締 役会 に た し て 経 営 方 針 の 勧 告 助 言 を お こ な う こ と に な っ て は い た が , 実 際 は ユ

ニ オ ン を る つ の に 運 営 す 実 行 力 を も 者 は お らず , そ れ ぞ れ は 全 立 を 親会社 完 独 性 保 ち ,

の に ば こ ニ 独 自 問 題解 決 力 を そ そ ぐ か りで あ っ た 。 の よ うな 独 自性 は ユ オ ン の 目指 し

た も の か も し れ な い が そ の と し て ン ロ ユ , 帰 結 利 己 主 義 が 生 ま れ て く る 。 ダ ッ プ 社 は ー ニ オ ン 結 成 と 同 時 に 業績 の 悪 化 し た ピ レ リ 社 へ の を こ れ を に ピ 支援 断 り, 根 も っ た ー レ リ は の へ 社 1970年 台 後 半 に 両 杜 業 績 が 逆 転 し た 際 に ダ ン ロ ッ プ 社 の 支 援 を断 っ . ユ ニ た 。 オ ン 解 消 の 話 し合 い は か ら め ら れ た が こ の の 1978年 始 , 年か ら 両 社 営 業 報 告

ニ に ユ オ ン の っ ン ロ ッ ユ 書 損 益 計 算 書 が 記 載 さ れ な く な た 。 ダ プ 社 側 の 発 表 に よ れ ば ー ニ オ ン 結 成 以 来 の 資 本 移 動 の 差 額 と し て ピ レ リ 社 か ら約 2 、200万 ポ ン ドが 支 払 わ れ

る こ と に な っ た と い う。

二 は の い い で ユ ニ ン ー ロ パ 第 , 目標 あ ま 性 あ る 。 オ の 目的 が ヨ ッ 市 場 に あ る の か ,

世 を 目 す も の な の か で た ヨ ー ロ パ ロ ー バ 界市場 指 不 明 確 あ っ 。 ッ 以 外 に グ ル な 範囲 に

お い て の い を た は ん の ユ ニ ン 株 持 合 広 げ 理 由 な だ っ た か 。 オ の 目的 が 世 界 タ イ ヤ 産 業 ー い ッ の ス ル に お て の ト プ 規 模 を達 成 し, そ の ケ メ リ ッ トに よ っ て 競 争 力 を増 大 さ せ ー る こ と に っ の ン ロ ッ ユ ニ ン あ た か 。 ダ プ社 に し て も, ピ レ リ 社 に し て も オ を決 意 し

た の は Michelin の ル 当 初 理 由 ラ ジ ア タ イ ヤ に よ る 攻 勢 に 耐 え ら れ な く な っ た た め で

は な か っ た か ば こ 。 そ れ な ら れ に 対抗 で き る タ イ ヤ の 開 発 こ そ 両 社 の 最優 先 さ れ な け

れ ば な ら な い 目 で あ っ た は だ し の の 戦 略 標 ず 。 か し そ た め 両 杜 の 共 同 開発 の 事 実 は 明

.で は な く な を み る に い て い い 確 ,現 実 的 成 果 た っ な 。

第 三 に 戦 お よ び そ の シ ス テ ム の で , 略策定 実 施 不備 あ る 。 す で に み た よ うに 両 杜 の

会 長 の 地 位 が 強 す ぎ て 取 締 役 会 に お け る 戦 の が で た と ば 略 討 議 慣 習 不 十 分 あ り , え ダ

ン ロ の ユ ニ ッ プ 社 重 役 陣 の な か に オ ン 反 対 の 意 見 が あ っ た の に , ま っ た く無 視 さ れ て . し ま っ た こ と で こ の ユ ニ ン あ る 。 た め オ 発足 後 も こ れ ら 重役 の 面従腹背 が あ っ た こ と

の が 測 さ れ る で あ る 。 1988 の に ユ ニ ン の 推 年 Reay Geddes 会 長 引退 後 , 直 ち オ 解 消

い 話 合 が 始 ま っ て い る こ と を み る と こ の こ と が わ か る 。 ユ ニ オ ン は 数 十年 先 を考 え た

戦 略 だ と元 会 長 が い っ て い た の に そ の の が ぜ , 当 初 戦略 な 簡単 に 修正 さ れ て し ま っ た

の い ユ ニ か 。 歴 史 に も し は ゆ る さ れ な が , も し オ ン を る の で の プ ロ 解 消 す な く , 当初

ム ユ ニ ン い グ ラ ど お り に 長 期 的 視 野 で こ の オ を 育 て て っ た な ら の と く に ダ ン ロ ッ , 別 ,

プ 社 に と っ て 別 の が あ っ た か も し れ な い ぜ ら 展 開 。 な な 1980年代 , と く に そ の 中期 以 ー ・ 降 イ ギ リ ス で は サ ッ チ ャ の 経済改革 が 進 み , ま た イ タ リ ア で は 政 治 経済が 安 定 化 ー の に 進 み , と くに 1985年 以 降 は イ ン フ レ シ ョ ン も と ま 方向 り, 経 済 成 長 も 3 %台 を

維 持 し , イ タ リ ア の エ コ ノ ミ ス ト の Giuseppe Turani に よ れ ば ll secondo miracolo ー economico italiano(第 二 の イ タ リア 経 済 の 奇跡 )の 時 代 を む か え ,こ の な か で ピ レ リ

社 も 跡 の を し め の で る 8 こ の こ ユ ニ ン 奇 回復 す あ (表 参 照 )。 と を考 え る と オ 失 敗 の

最 大 の 要 因 は こ の よ う な 企 業 を取 り囲 む 環境 を正 し く予 測 で きず , ユ ニ オ ン を つ くる

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− The Dunlop Pirelli Union の 結 成 と 解体

ー 環境 で な い タ イ ミ ン グ で ス タ ト し , ユ ニ オ ン を解 消 す べ き 時 で は な い タ イ ミ ン グ で ー 解 消 の 決 定 を した こ と い う な れ ば 境 の マ ネ ジ メ ン トに し た こ と に あ る と , 環 失敗 , ’ い う こ と が で きる の で は な い だ ろ うか f/

表 8 Pirelli s. p . A .の 経 常 利益 の 推 移 Lit/niillion .一 一 . (単位 ) 総資 産(A) 経 常 利 益個 総 資本 利 益率 (B / A ) 一一 1976/77 295,570 11 ,821 4 ,0 % 1977/78 325 ,589 10 ,138 3 .1 1978/79 327 ,255 6 ,891 2.1 1979/80 335,002 7 ,614 2.3 1980/81 425 ,815 15 ,980 3.8 1881/82 578 ,482 25 ,656 4 .4 1982/83 800 ,856 21 ,lll 2.6 1983/84 919 ,224 32 ,688 3.6

l l984/85 1045 ,339 47 .955 4 .6 1985/86 1274 ,398 50 472 4 .0 , 一 (注 ):1983年 度 よ り決算期 が 4 月 末 か ら 6 月 末 に 変 更 〔資料〉 :Pirelli S. p 、 A 、 Milan , Financial High lights、1986

〈注>

こ ユ ニ つ い 「 ー 1 ) の オ ン に て の わ が 国 最 初 の 公 表 さ れ た 研究 は 関根次郎 論文 ダ ン ロ ッ プ と ピ レ リ 一 ’ の 業 務 提 携 そ の 意 図 と 「 を え た 一 the Dun − 背景 」 ,化学経 済誌1970年 8 月 弓, 国 境 越 企 業 合 併

= 一 lop PirelliUnion の 事例 」 ,WEIS 資 料 が あ る 。

2 ) 1888.10.31付 特 許 出願 ,、し か し John Boyd Dunlop が 空 気 入 り タ イ ヤ の 最初 の 発 明者 で は な

っ ス コ ッ ラ ン の か た 。 ト ド 人 Robcrt William Thomson (1822 生 れ ) が , 1846年 6 月 最 初 空 気 入

− い り タ イ ヤ の 特 許 を取 得 (No ,10980 ) し て た 。会杜 設 立 後10 カ 月 た っ た と き, Dunlop 特 許 に

つ こ と 43 に Thomson こ い の ス 先立 年前 特 許 が あ る と が 判 明 し た 。 長 審判 結果 1902年 イ ギ リ に お

い て Dunlop は の い も 特 許 無 効 審 決 が あ っ た 。 た だ Thomson 特 許 は 馬車 用 タ イ ヤ に 限 定 し て た

ャ ン ス っ た め ,Dunlop に チ が あ た 。 “ ” 3 )James McMillan Dunlop Story , George Weldenfeld & Nicolson Limited .1989 , p .81 − 4 ) ダ ン ロ ッ プ 社 の Run Flat Tyre の 発 明 な ど

「 ー ー ー 5 ) 車 を カ ブ さ せ る た め の コ ナ リ ン グ パ ワ を生 み 出 す た め タ イ ヤ は 斜 め の 状 態 で 走 行 し な ー け れ ば な ら な い 。 こ の た め 磨耗 す る わ け だ が ,そ の 斜 め の 程 度 を よ り 少 な く し て 同 じ コ ナ リ

ン パ ワ ー み こ と で タ つ ば こ こ い グ を生 出 す が き る イ ヤ を く れ 磨耗 は 少 な く て す む 。 で 用 ら れ.た . ー ・ ー 構造 は きわ め て 独創性 に と ん だ も の で ,そ の 効果 的 部 分 は ,ト レ ッ ドの す ぐ ドの ス チ ル コ

つ ・ ド の 層 に よ っ て く り だ さ れ た 構 造 に あ る 。 こ の 構 造 が タ イ ヤ ト レ ッ ドの 走 行 保 持 に 最 大 の ・ ー 効果 を生 み 出 す た め に (桶 を)締 め 付 け る タ ガ の 役割 を は た す の で あ り ,そ の 下 の タ イ ヤ ケ ー ー ス は タ イ ヤ の 回 転 方 向 に 対 し て 直 角 に ,す な わ ち ビ トか ら ビ トへ 直線 的 に 走 り , そ れ は あ ー ー つ の レ ヨ ン コ っ て た か も 馬 蹄 形 に な る よ う に く ら れ た ,放 射状 ド に よ 成 形 さ れ た , 柔 軟 な

ー ス こ 一 ・ ー ス ケ で あ る 。 の よ う な タ イ ヤ は 般 に ラ ジ ア ル ケ の 名 に よ っ て よ ば れ る が , こ れ に “ の レ ー ー の 耐久 性 を付 与 す る が 堅 く 締 め 付 け る ブ カ 構造 で あ る 。 」 Eric Tompkins ,History of

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” ヒhe Pneumatic Tyre , Dun 且op Archive Project,1981

ン ロ ニ ル ス 「 6 ) ダ ッ プ杜 の テ ク カ タ ッ フ の AlbertHealey は 人 冖を ひ く た め の か ら くりだ 」 と 非

い 難 し て た 。 J.McMillan ,op .cit .,p .89

7 ) Ibid., p.114

8 ) Ibid., p.197

9 ) 1896 年 Dunl p Pneumatic Tyre Company Ltd の 設 立 ,株 式 公 募 を 請 け 負 っ た 投 機 家 の Erne .一 Terah Hoo且ey は 同 社 を イ ギ リ ス 貴 族 の 団 に よ っ て ド レ ス ア ッ プす る こ と を考 え, こ の た め 非

つ こ ン 常 勤 取締 役 に 貴族 名 を らね る と を考 えた 。 彼 の 相場 は duke 2 万 5000ポ ド,earl 1 万 5000

ポ ン ド,simple baronet 5000ポ ン ド と い う も の で ,1896年 5 月 の 目 論 見 書 に あ る ダ ン ロ ッ プ 社

o of の の 取締役 名 に は Duke 正Somerset,Earlde laWarr ,the Earl Albermarle 名 が あ る 。 Ibid.,p 、

1510

) Ibid., p .159 − 11) Ibid., pp .142 143

12) Ibid. p .144

13) Rubber World ,1970 .5

・ ー. ダ ン ロ ッ プ ピ レ リ 両社 の タ イ ヤ 工 場 (1969 年末現 在) ・ ー ー ・ ー ダ ン ロ ッ プ グ ル プ ピ レ リ グ ル プ

(資料 ): Rubber World ,1970 、5 − 14)亅.McMillan, op , cit. pp ,152 153 15) Ibid.、 p.150 . 16)例 え ば 1986年米 Goodyear 社 の T ,0 . B .を め ぐ る 事件 17)J,McMillan, Ibid., p.152 「 ー ー 18)常務取締役 の J.Simon は 結 婚 と 同 じ で ,二 人 の う ち ど ち ら か が 強 い 支配力 を も つ パ ト ナ

で い に の い い る な け れ ば な ら な 」 と Geddes 反 対 意 見 を っ た が ,拒 否 さ れ た と う証 言 が あ 。

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; The Dunlop Pirelli Union の 結 成 と 解体

Ibid., p.150

イ タ リ ア の キ リ ス ト の で の 19) 与 党 , 教 民主 党 総 選挙 得 票率 は ,1953年以 降 40 %前 後 の 横 這 い 状

態 で ,過 半数 に 達 す る こ とな く,常 に 連立 政 権 を余儀 な く さ れ て い た 。 そ う し た 状 況 下 で 支 配

「 ・ 政 党 と し て の 地 位 を 維 持 す る に あ た っ て は 隠 れ た 政府 」 (ソ ッ ト ゴ ベ ル ノ ) の 方式 が 重要 な

「 い の は の の 機能 を は た し た 。 隠 れ た 政 府 」 と う 政 府 管理 も と に ,社 会福 祉 や 特定 の 産 業 に か か

わ る 事 業 の た め の 公 社 ,公 団 ,事 業 団 を積 極 的 に 設 立 し て , そ れ ら の 公 社,公 団 を 通 じ て 各 職

や の に や サ ー ビ ス を シ ス ム い 種 各地 住民 補 助 施す 政 治 テ を 指 し て る 。

タ ア は 当時 イ リ 民 間 企 業 と国 家 持 株 会 社 の 混合経 済体制 を と っ て い た が ,国 家 持 株 会 社 も こ の 「 の シ ス テ ム の の に み ま れ て い た は 隠 れ た政 府 」 脈絡 中 組 込 。 政 府 1956 年 に 国 家 持 株 省 を設 立 し ,

の 「 コ さ ら に 国 家 持 株会社 経 営者達 を 工 業総 連 盟 」 ( ン フ ィ ン ド ゥ ス ト リ ア ) か ら 切 り離 し て 独

自 の に さ せ = リ ス ト の の の つ 団体 結集 ,政府 キ 教 民 主党 管 理 下 に 経済 国家介入 を よ め た 。 (清水 一 ・ 「 タ ア − 広 郎 北 原 敦 編 概 説 イ リ 史 」,有斐 閣選書 ,昭和63年 ,pp.209 210> 20>J、McMillan , op . clL , pp 、153 − 154

21) Ibid、, p.157 ー 22) 中 央 経 営 調 整 委員会 メ ン バ

ダ ン ロ ッ プ社側

Sir Reay Geddes , M . L . Bexon , J. Campbell Fraser , J. M . Simon ピ レ リ ー社側

Leopold Pirelli, F . Bellorini, F . BrambiHa , E . Dubini

23 )J.,McMillan. op 、 cit . p.161 “ ” 24)Chambell Fraser in a booklet Report to Dunlop Employees 1976

25)亅.McMillan , op . cit . pp .164 − 165

26) Ibid., pp .159− 160 “ ” 27) History of the Royal Dutch , Dr. F . C . Gerretson, Vol, II, pp .298 − 303 − 28) Ibid., pp .165 166 “ − ” ’ 29)Giuseppe Turani ,1985 199511 secondo miracolo economico italiano, Istruzioni per l uso , Sperhng & Kupfer Editori S. p 、 A .,1986

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