会報 Groovy 51号 2011年 6月25日発行
Total Page:16
File Type:pdf, Size:1020Kb
KJFC(九谷ジャズファンクラブ)会報www.kjfc.info GROOVY VOL.51 2011.6.25 ハービー・ハンコック研究 ライブレポート 例会レポート他 CONTENTS 〔連載〕 Y‘s ROOM No.24・・・Y.S.1 (ライブレポート) オリヴィエ・アントゥネス・ジャズピアノトリオ・・・石井宏一 2 第8回草加 JAZZ IN・・・紅 我蘭堂 4 ハービー・ハンコック研究・第 18 回・・・高木 信哉(評論家) 5 楽曲分析~解説・・・田中裕士(ピアニスト)11 気まぐれジャズマン第 31 回・・・水戸守敬一郎 14 〔例会レポート〕 15 JOANIE-S.T. H.I. T.Y. KJFC 2ndAlt 紅 我蘭堂 他 KJFC 会員 表紙及び本文中イラスト制作(一部ロゴマーク除く)・・・・・水戸守敬一郎 ※ 無断転載はかたくお断りいたします。 印刷・製本:文京堂 東京都文京区本駒込 1-10-4 電話03-3941-4508 「Y’s ROOM No.24」 2011.1 Y.S. 「Y 都電に乗る」 Y の部屋にあるエアコンのリモコンが急に壊れてしまった。 メーカーに問い合わせると、既に製造中止になっているが代替のリ モコンならあるという。 家から最寄のサービス・ステーションに行けば手に入るとの事な ので、都電荒川線の「宮ノ前」駅から歩いて数分の所のあるサービ ス・ステーション(荒川区)に行く事にした。 都電は昔都内のそこいらじゅうに走っていて、Y も中学・高校の 通学に使っていたが、現在は荒川線しか残っていない。 この線は以前何回か乗った事があるが、ここ20年以上乗っていな かった。 1月某日、久し振りの都電なので1日乗車券(400円)を買い、つ いでに途中下車しながら趣味のカメラで都電の写真でも撮ろうと出 掛けた。 「三ノ輪橋」から乗って「宮ノ前」で降りリモコンを購入した後、「庚申 塚」に向かった。 「庚申塚」からは隣の「巣鴨新田」まで線路際を歩いて、都電の写真 をモノクロで撮った。 Y はここで帰ろうかと考えたが、折角なので終点まで行ってみようと、 再び都電に乗り「早稲田」に向かった。 「早稲田」に着く頃には日が傾きかけてだいぶ冷え込んできたので(出来れば早稲田大学周辺を散策しようと思っていたが)、急 に温かい紅茶でも飲みたくなった。 何処か気の利いた喫茶店でもないかと、駅から歩き出して1分も経たないうちにその店はあった。 都内に新しいジャズ喫茶が開店したとの話を聞くと飛んで行く Y ではあるが、久し振りにそれも全く偶然にジャズ喫茶に行き当たっ た。 なにか「都電の小さなブラリ旅」の最後に、とても大きな幸福感を得る事が出来た。その店の名は「JAZZ NUTTY」。 小さなお店だが、お洒落で温かみある店内入り口付近にはJBL4331 B が置かれ、アナログと CD をマッキントッシュのアンプで鳴 らしていた。 ドリンクは全て¥500とリーズナブルで、温和そうな顔のマスターのいれてくれた紅茶(チョコレート付き)も美味しく、直ぐ出る予定 が居心地の良さにアルバム3枚も聴いてしまった。また是非行きたいお店である。 「JAZZ NUTTY」 新宿区西早稲田1-17-4 Tel.03-3200-3730 営業時間 平日11:00~22:00 土日祭11:00~18:00 (火曜日定休) 1 ライブレポート オリヴィエ・アントゥネス ジャズピアノトリオ 2010 年 11 月 5 日 at 磯子区民文化センター杉田劇場 Olivier Antunes(p) 、 Jesper Bodilsen(b) 、Morten Lund(ds) 、 増田 ひろみ(as、ゲスト) by 石井宏一 2010年 11 月初め、マシュマロレコードの上不氏のご招待で、KJFC のメンバーと共にデンマークのメンバーによるピ アノ・トリオを聴きに。若い日にアルバイトをしながら北欧のライブハウスに毎夜出かけていたという上不氏だけあって、 レーベルではデンマークのプレイヤーのアルバムも数多い。今回は、オリヴィエ・アントゥネスをリーダーにイェスパー・ ボディルセン(b)、モーテン・ルンド(ds)のピアノ・トリオに増田 ひろみ(as)がゲスト出演。確かなテクニックに裏付けら れた軽快なステージを堪能した。 デンマークのジャズ 『Live At Montmartre』(SCCD31001)だが、このライ 北欧といっても、遠い日本からはそれぞれの国の特質 ブハウスは、コペンハーゲンに 1959 年に開業した当時 が今ひとつ分かりにくい。『後世への最大遺物・デンマ は Cafe Montmartre と称していたが、1993 年に一度 ルク国の話 』(内村鑑三著) という明治時代に書かれた 閉店して、2010 年 5 月に営業を再開、現在は Jazzhus 書名を思い出す。まったく読んではいないが、確かドイ Montmartre という名称になっている。わが日本のマシ ツとの戦争に敗北して豊かな農地を奪われたが、荒れ ュマロレーベルも負けてはいない。若き日にアルバイト 地を辛抱強く開墾して再び豊かな農業国になったという をしながら北欧のライブハウスに毎夜出入りしていたと 内容だったと思う。この書に引きずられるわけでもない いう上不オーナーは、レーベルの看板スターのヤン・ラ が、日本から見るとデンマークは農産国というイメージが ングレンをはじめ、カーステン・ダール、ホッカン・ルディ 強い。領土は大陸に接しているが首都のコペンハーゲ ーン、キャスパー・ヴィヨームといった優れた北欧のミュ ンはシェラン島に置かれている。果たしてこの地のジャ ージシャンだけでなく、晩年はコペンハーゲンに居を構 ズとはどんなものなのか、と思ってしまう人も少なくはな えて二十年以上を過ごしたデューク・ジョーダンなどの いのではないだろう。 アルバムも制作してきた。 ところが、北欧には昔からジャズが根付いていた。デン さて、当日のオリヴィエ・アントゥネス。生まれは 1973 年、 マークについても 1930 年代にはビッグバンドがレギュラ ファーストネームがラテン風だが、その背景は母がポル ー出演する大ホールが存在し、アメリカのミュージシャン トガルの人でパリに生まれてデンマークで育ったためだ も出演していたようだ。世界の西側先進国の多くがそう そうだ。初来日は 2001 年の横浜ジャズプロムナード、 であるように、1960 年代を迎える頃にはモダン・ジャズ 今回で三度めとなる。マシュマロレーベルからはすでに のブームがやってくる。やがて本場アメリカで 1970 年代 2003 年 02 月に初リーダー作『Introducing Olivier に入ってジャズの人気に陰りが出ると、録音の機会が減 Antunes』(MYCJ30182)を Alex Riel (ds)と Mads ったミュージシャンがこぞってヨーロッパを訪れるように Vinding (b)のトリオで、次いで なる。もはやスタンダードナンバーとも言える Dear Old 2008 年 9 月には『Alice In Stockholm は多くのジャズプレーヤーによって演奏さ Wonderland(不思議の国のア れているように、北欧にも多くのミュージシャンが足跡を リス)』(MMEX-122)、2009 年 6 残している。1972 年には北欧を代表するレーベル 月に『Live In Japan 』 Steeple Chase Records がコペンハーゲンに設立され (MMEX-129)をいずれも今回 る。このレーベルの第一作はジャッキー・マクリーンの オリヴィエ・アントゥネス と同じ 、 のマシュマロデビュー作 Jesper Bodilsen(b) (MYCJ-30182) 2 Morten Lund(ds)のメンバーでリリースしている。今回 ないが、聞かせるところではしっかりしたセンスと技術を のメンバーは、ベースのイェスパー・ボディルセンが 発揮していた。第一部の終了は Just One Of Those 1970 年、ドラムスのモーテン・ルンドは 197 年と、いず Things。 れも活きのいいトリオだ。 さて、ここで参加メンバーのあいだでちょっとした議論に、 I Loves You Porgy は明らかに文法ミスで一人称なの それは、あのメロディーから始まった に三人称単数の s はつかないだろうと。この曲はジョー いよいよステージに上がったトリオのメンバー、出だしは ジ・ガーシュウィンの最晩年 1935 年の作だが、1920 年 オリヴィエがうねるような長めのイントロでスタート、いっ 代初めの南部の貧しいアフリカ系アメリカ人を題材にし たい何が始まるのかと期待が盛り上がったところで、「タ ているので、しっかり英語が身に付いていないことを強 ッタタララタッター」、そうおなじみの Moanin'。ボビー・ 調するため、わざと文法ミスの曲名にしたとか、正しくは ティモンズの作曲によるこの曲は、日本のジャズファン やはり s は付かないのだとか、侃々諤々の議論になった。 にとって格別の意味をもつ、と言ったのは誰だか忘れた 確かに、あまり英語に精通していない日本人でもすぐに が、来日したアメリカのミュージシャンだった。 間違いと気づくほどで、まともなアメリカ人がこんな初歩 昨年末のジャズカントリーの例会にも石原康行氏の追 的なミスを犯すわけもない。そこで出てきた説は、どうも 悼に持参した A Day With Art Blakey 1961、日本の 原題には s があったようなのだが、座りが悪いし歌うのに モダンジャズのブームは、初来日したジャズ・メッセンジ 不自然ということで、歌詞は sなしになって曲名の表記も ャーによって点火たといっても過言ではない。1958 年 変化したのではないか、ということだった。後で調べてみ にリリースされたブルーノート盤『Moanin'』の 1 曲目で ると、どちらの曲名も使われているようだ。たった一文字 ある。元の盤はボビー・ティモンズが印象的なピアノソロ でもずいぶんと意味がある解釈が成り立つところもジャ でイントロを奏で、リー・モーガンが煽るようにトランペット ズの面白さか。 で続いて、ベニー・ゴルソンのテナーサックスとコール・ アンド・レスポンスを繰り広げながら、コントラストの強い 増田ひろみ登場 演奏を展開していくのだが、そこは北欧流なのか、必要 さて、一息入れて第二部のスタート。軽快にステージに 以上にエキサイトせずにトリオのバランスを程よく保ちな 登場してきたのは、アルトサックスの増田ひろみ。すで がら交互にソロを展開していく。 にマシュマロレーベルから 2010 年 04 月に初リーダー オープニングに続いてディジー・ガレスピー作の Con 作『Maybe September』(MMEX-138) をリリース、同 Aloma、How Deep The Ocean、ルイ・アームストロン 8 月には秋満義孝トリオとの共演で『Melodies In My グの歌唱で知られる This Wonderful World と続いて Mind』(MMEX-141)も発売している。 いく。 最初は I'll Remember You、ほかに 2 曲ほど演奏。フ ァーストレコーディングからは明らかな進境をみせ、アル 明らかに文法ミスだが… トでありながら、耳には一瞬テナーかと聞こえるほど、低 曲想がしっとりとしたおなじみガーシュインの I Loves 域の響きを豊かにした演奏、独自の世界を気づきつつ You Porgy に変わる。アントゥネスのピアノソロで始まり、 あるのか。 ベースとドラムが加わり、やがてベースが切々と訴える 再びトリオに、アンコールは、全員そ かのようにソロをとる。このイェスパー・ボディルセンとい ろって There Will Never Be うベーシストは、上不氏の解説によると、ジャズベース大 Another You で幕を閉じた。 国のデンマークでも屈指の存在だそうだ。確かに惜しく も 2005 年の春に他界したニールス・ペデルセン ( )を輩出した国な 増田ひろみのデビ Niels-Henning Ørsted Pedersen ューCD のである。客席の視線を集めるような派手なところは少 (MMEX-138) 3 中川 武カルテット(第8回草加 JAZZIN) 2011年1月23日 紅 我蘭堂 埼玉県草加市にある「NPO 法人冒険あそび場ネットワ タ・オディやペギー・リーの伴奏者としても活躍。1994 年 ーク草加」は子どもが自由に遊べる場を作る事を目的に から活動の場所を日本に移し現在に至っています。 して平成14年(2002年)5月に発足し、その後平成16 ベースの山村隆一は 1965 年生まれ。日野皓正、田村 年に NPO 法人格を取得して現在まで盛んな活動を行 翼など内外多くのプレイヤーと共演。 なってきました。この法人の中心的人物のひとりが、我 ドラムスの八木秀樹は 1958 年富山生まれ。猪俣 猛に が KJFC が誇る歌姫のひ 師事し東京ユニオンなどで活躍、その後やはり多くのプ とりである桑谷栄美子さん レイヤーと共演し です。そして「NPO 法人 ています。 冒険あそび場ネットワーク 草加」は平成1 5 年から毎 演奏はこれらのベ 年「草加 JAZZIN」と称す テランの安定した るジャズ・ライブを開催して ジャズをたっぷりと いて、今年で8回目となりました。 聴かせてもらえま した。ちなみに当日の演奏曲目を一部紹介させていた 実は個人的に毎年このライブコンサートを楽しみにし だくと、デューク・エリントン作曲の「PERDID」をはじめ ています。それは、やはり桑谷さんたち関係者のおもて 「ALMOST LIKE BEING LOVE」「シェルブール なしの気持ちが会場内の隅々に行き渡っているアットホ の雨傘」「I'll REMEMBER APRIL」。ボーカルをフ ームな暖かい雰囲気があるからです。それに応えるミュ ューチャーした「CHEEK TO CHEEK」。ドラムスを ージシャン達の演奏が、手を抜かない真摯なプレイの フューチャーした「CARAVAN」、そしてアンコール曲は 連続で、初めてジャズを聴く人にもジャズを楽しんでもら 「THE DAY OF WINE AND ROSES」でした。 おうという気持ちが清々しいライブだからです。また KJFC の渋谷秀夫氏がプロデューサー的なお立場で 協力されていることも親近感があります。 平成 15 年に行なわれた 1 回目のライブのときにまだま だ小さかったお子様が、今回は立派に成長して会場作 今回のメンバーは中川 武(クラリネット)、デビット・シ りのお手伝いしていたのは、微笑ましい光景でした。本 ルバーマン(ピア 当に心温まるライブでした。この活動が持続することを ノ)、山村隆一(ベ 切に祈ります。 ―ス)、八木秀樹 ドラムス というメ ( ) ンバーでした。 中川 武さんは KJFC のライブ コンサートにも出 演していただいたことがあるベテランで、現在は山梨県 石和を活動の中心にしていて、後進の指導にも力を入 れているそうです。ピ アノと一部の曲でボ ーカルを担当したデ ビット・シルバーマン は 1955 年ロスアンジ ェルス生まれ。アニ 4 ハービー・ハンコック研究・第 18 回 (“Retrospective of The Music of Herbie Hancock”) 高木信哉 (1978:ハービーとチックがデュオで武道館公演実施) HERBIE 1978 録音日 タイトル 演奏者 (レーベル名) An Evening With Herbie Hancock 1978.2 (Columbia)(23 作目) & Chick Corea In Concert 1978.2 Corea ~ Hancock (Polydor)(24 作目) 1978.5-6 Round And Round Kimiko Kasai(CBS/Sony) 1977.8-1978.5 Sunlight Herbie Hancock (Columbia) (22 作目) 1978.7.29 1+3 Ron Carter(JVC) 1978.10,17&18 Direct Step Herbie Hancock (CBS/Sony)(25 作目) 1978.10.25 Black Octopus Paul Jackson (CBS/Sony) 1978.10.25&26 The Piano Herbie Hancock (CBS/Sony)(26 作目) 1978.12 That’s In The Rainbow Michel Paulo (Trio) 1978 Mahal Eddie Henderson (Capital) 1978 Michel Colombier (Chrysalis) 1978 Feets Don’t Fail Me Now Herbie Hancock (Columbia)(27 作目) 1978 Sounds…And Stuff Like That!! Quincy Jones (A&M) 1978 Everyday,Everynight Flora Purim (Milestone) 1978 Night Dancing Joe Farrell (Warner) 1978 The Joy Of Flying Tony Willams(Columbia) 1978年は、3月にイタリアのモロ前首相が極左集団 「赤い旅団」に誘拐され、5月に遺体が発見された。9月 1978年のハービー・ハンコックの活動は、チック・ にローマ法王ヨハネ・パウロ1世が急死し、ポーランド人 コリアのデュオ・コンサートから幕を開ける。V.S.O.P. のパウロ2世が即位した。 クインテットがアコースティック・ジャズの復権に火を 1月、独フォルクスワーゲン社は、1938年から生産し つけたとしたら、ハービーとチックのデュオ・ツアーがそ ていた“ビートル”の生産を中止して、世界中の車ファン れを決定的なものにした。この歴史的コンサートは、19 を嘆かせた。また1972年、ユネスコで「世界遺産条約」 78年1月25日にワシントンDCのコンスティテュー が採択されたのを受け、1978年、7カ国12件が初登 ション・ホールからスタートする。サンフランシスコ、ロ 録された。それは、米国のイエローストーン国立公園、エ サンゼルスなどを廻り、2月15日には東京の日本武道館 クアドルのガラパゴス諸島などである。 で1万人を超える聴衆を集めてコンサートが行われた。 日本では、インベーダー・ゲームが登場し、総理府が初 ステージには、2台のフル・コンサート・ピアノが置かれた の『婦人白書』を発表したが、女性の平均賃金は男性の5 だけ。静寂に包まれた空間で、二人はお互いのオリジナル 5.8%と指摘された。また成田国際空港が、遂に開港し を弾きながら、ジャズという音楽の奥深さ、素晴らしさを た。 聞かせてくれた。演奏された曲は、ハービーの「処女航海」、 ジャズ・シーンでは、1978年は、6月にウェザー・ 「フェブラリー・モーメント」、チックの「ホームカミン リポートが3度目の来日をした。ここにベーシストのジャ グ」、「ラ・フィエスタ」、二人の共作の「ザ・フック」 コ・パストリアスが初参加していた。ジャコの登場は、聴 などである。チックは、日本武道館が満員になったことに 衆の度肝を抜いた。また9月には、ピアノのビル・エバン 物凄く驚いた。「たった二人のコンサートに1万人以上の スが来日をした。これがビルの最後の来日で、翌々198 人が集まるなんて前代未聞だ。日本は特別だ」と語った。 0年9月15日に亡くなった。また同月、NYオールスタ しかしハービーは、以前のヘッドハンターズや V.S.O.P. ーズで、デビッド・サンボーンが初来日した。 クインテットの歓迎と熱狂振りを体感していたので、大観 5 衆を集めることは何の問題もないと確信していた。米国で トリオは、7月31日にスタジオ録音で『ザ・グレイト・ 行われたコンサートは、幸い2枚のアルバムに分けて発表 トーキョー・ミーティング』を録っている。 された。 「トニー・ウイリアムス・ナイト」からは1曲が、『ジ チック・コリアは、30年後の2008年4月30日に、 ョイ・オブ・フライング/トニー・ウイリアムス』に収録 日本武道館で上原ひろみとのデュオ・コンサートを実現さ されている。 せた。上原ひろみとブルーノート東京で共演した際、チッ 以上のように、凄まじいレコーディングが「第2回ライブ・ クの頭にはハービーとの武道館公演が脳裏によぎり、武道 アンダー・ザ・スカイ」では行われていた。 館でのひろみとのデュオ公演を真剣に検討した。さすがに チックは、商売人である。 9月下旬、ハービーは1978年の3度目の来日を果た す。今度はヘッドハンターズを伴っていた。メンバーは、 1978年のハービーは、3度も来日している。2度目 ベニー・モウピン(sax),ウェブスター・ルイス は、7月27日~30日に田園コロシアムで行われた「第 (keyboard),ポール・ジャクソン(b)、アルフォンス・ 2回ライブ・アンダー・ザ・スカイ」である。前年は V.S.O.P. ムゾーン(ds),レイ・オビエド(g),ビル・サマーズ(perc) クインテットを目玉にして大成功を収めた。第2回は、ロ である。全国ツアーの合間を縫って、ハービーは3度のス ン・カーター・ナイト、トニー・ウイリアムス・ナイト、マ タジオ入り(録音)をした。まずは、10月17日&18 ッコイ・タイナー・ナイト、ギャラクシー・ナイトといずれ 日、ヘッドハンターズのメンバーと、ダイレクト・カッテ もロン・カーターとトニー・ウイリアムスをメインにフィ ィング録音で『ダイレクト・ステップ』を録った。「バタ ーチャーしたプログラムが組まれた。 フライ」、「シフトレス・シャフル」、「アイ・ソウト・ 7月29日のライブは、『1+3 / ロン・カーター』と イット・ワズ・ユー」の3曲である。 してレコーディングされた。4曲収録されており、最初の 次いで10月25日、メンバーのベーシスト、ポール・ 2曲はロン・カーター+ハンク・ジョーンズ+トニー・ウ ジャクソンのリーダー作『ブラック・オクトパス』を録音 イリアムスのトリオ(つまりグレイト・ジャズ・トリオ)。 した。さらに日が重なるが、10月25日&26日に、ソ 後半の2曲(「マフィン」、「ミスター.T.W.」)は、ロ