住友軽金属技報一解… 第54巷第1号一説… (2013) 264-326

超々ジュラルミンと零戦 -超々ジュラルミン開発物語- (その2) *

雄権移 青 田 英

Sumitomo Light Metal Technical Reports, Vol. No. l (20 13), pp. 264. 326 54 Extra Super and Zero Fighter -History of Extra Super Duralumin- Part 2

Hideo Y oshida

The history of the development of the Extra 8uper Duralumin is divided in three stages; first pre-history before the invention of the E8D, next, the invention of the E8D and its commerCial production during World War!I, and finally, the development of high strength aluminum alloys after World War 1L The pr・e-history was summarized in a preceding issue. In this issue, the second and third stages are summarized. ln the second stage, aluminum was introduced into Japan in 1886 and 8umitomo began to produce aluminum sheets in 1898. 1n World War 1, 8umitomo received part of the frame of the Zeppelin airship from the Japanese Navy in 1916 and produced Duralumin in 1919. To produce the Duralumin, 8umitomo sent engineers to Dürener Metallwerke after the World War 1 as compensation for the war. Sumitomo also cooperated with Alcoa on manufactur ing equipment and it was possible to produce 8uper Duralumin (8D) , similar to 248, which was used in the Mitsubishi Navy Type 96 Carrier-Based Fighter. The Japanese Navy demanded a higher strength aluminum alloy than 248. Dr. 19arashi and his cooperators invented Extra Super Duralumin (E8D) with a tensile strength of 60kgfjmm ' within 1936 within a short time of period 1mmediately, this new alloy, E8D, was applied to the main wing of the Zero Fighter, which be­ came the main fighter for J apan in World War 1L To produce Duralumin, 8D and E8D in large amounts, Sumitomo developed a new continuous casting facility, and b山lt a new pl出1t in Nagoya and then introduced new rolling mills, new extruding presses, etc. E8D was invented by so1ving the problem of season cracking (now called stress corrosion cracking) , which was prevented by the ad dition of to the AI-Zn-Mg-Cu alloys. However, U8 forces found the secret of E8D by in­ vestigating a downed Zero Fighter. Based on E8D, Alcoa developed the 7075 alloy in 1943, which is even now a typical aluminum alloy for aircrafts and is available all over the world. After World War II, high strength aluminum alloys were needed for railway cars, motorcycles and automobiles instead of aircraft in Japan. 1n the railway cars, weldable Al-Zn-Mg alloys were noted in Europe and USA, which were already developed as good extruding alloys during the war and known as Honda Duralumin (HD) in Japan. 1n 8umitomo, Dr. Baba found through basic research that zir conium decreases the quench sensitivity compared to chromium in the AI- Zn-Mg alloys and pre­ vents the weld crack and stress corrosion cracking, and he and his coworker invented a new AI-Zn Mg alloy containing zirconium instead of chromium for the first time in the world. He then invented a new extruding AI-Zn-Mg alloy, 7003, with a good extrudability and medium strength the s田ne as the 6061 alloy by air cooling. These alloys were used for the body structure of railway 阻四回d rims, frames of motorcycles and the bumper reinforcement of automobiles. On the other hand, high strength aluminum alloys for aircrafts were used for the front fork of motorcycles and

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baseball bats. For airplanes, Dr. Baba and his coworkers invented the 7075 alloy sheet with fine grains for the taper-rolled stringer of the B767. Recently, the 2013 alloy with a good workability was invented in cooperation with Kawasaki Heavy Indus七ries. This alloy sheet is formed in T4 and it is possible to omit the quenching after forming and correction processinιMoreover it is possi­ ble to extrude hollow section and form integrated structures with this alloy. Therefore, this alloy has contributed to saving processing costs and reduce the weight. Hereafter, we are expected to de velop aluminum alloys av剖lable for the Japanese aircraft industries in cooperation with govern­ ment and academia, taking over the tradition of ESD.

きた。 彼は NPL (National Physical Laboratory) の 3. 超々ジュラルミンの開発 ローゼンハイ ン (W. Rosenhain) に 師事 していて英国 3. 1 アルミヱウムの日本への導入1,2,3) の7;レミニウ ム製造技術を把握していたことによる。 ホ ーノレとエノレーが7;レ ミニウムの霞解精錬法を発明 し 1922年1月から 8 ヶ月間, 住友伸鋼所に嘱託と して採 た1886 年の翌年には, 少量の アノレ ミニウ ムが陸軍砲兵 用され, 鋳造, 圧延, 押出, 抽伸の各部門 と波板と形材 工廠に輪入 され, 貴重品扱いで金庫に保管さ れたよ うで の製造方法について指導 した。 また, 初めて傾斜鋳造法 ある。 その後, 箪需用器物と して使用されたのは 1894 が紹介され, 従来造塊方法である 「平流 し法J あるいは 年か らである。 住友伸銅場は1897 年安治川 に関設され, 「縦流 し法」 が改め られた。 傾斜鋳造法は, ローゼンハ 翌年一 陸軍砲兵工廠から地金を受取 り, アノレミニウムを イン博士の考案によるもの で, Fig. 1に示すよ うに傾斜 圧延 して納入 した。 1913年7月, 住友伸鋼所 (同年 6 させた鋳塊をハ ンドノレ操作で機械的に立てながら鋳込む 月に伸銅場か ら仰鋼所と改称) は農商務省技師で金属製 方式である。 ベーガン氏はハンド ノレ操作の代わ りに鋳型 品の分析 ・ 試験に従事 し ていた杉浦湖三 (しげぞう) 氏 の下の隅をチ ェイ ンブロ ックで吊 り下げ, 鋳裂を傾斜さ を招いて試験係に任 じた。 1916 年には, 杉浦氏 は「自 せ, 格湯を注ぎ込みながら徐々 に鋳型を立ててい くよう 身で研究開発 しなければ, 何時ま でたっても外国の下位 に改良 した。 これによりジュラノレ ミ ン鋳塊は板用が厚さ . に立たねばな らないJ, , 工場に研究か専隠することによっ 2.25" (57mm), 捺用が直径 35"(89mm) となった。 焼 て, 官立の試験所では出来ないような工場規撲の研究が 入れにも彼の指導で硝石炉を使用するようになった。 行え る」 と発案し研究課が設けられた。 日本で工場に研 究課が設置されたのはこれが最初である。 1916 年末, この年の 4月中島式ブレゲー型飛行機の機体構造には 海軍艦政本部, 大阪海軍監督官長経由でツェッペリ ンの じめて伸鋼所製ジュラノレミ ンを使った。 「軽銀」 号と命 残骸が住友伸縮所に持ち込まれ, 翌年 この材料の調査を 名された。 ジュラノレミ ン使用 の全金属機が生産されたの 行ったのが研究課の杉浦氏であ った。 その分析結果や英 は1925年のことである。 Fig. 2は東京上野で開催され 罰金属学会誌 JIM (Journal Institute of Metals) の 文献を もとに, 工場における試作研究を開始 し, 1919

年工場試作が完了 L, 1住友軽銀J, .ラルミ ン (ジュラルミ ンとノレピ がふ ら れた) と命名された。 この当時のジュラノレミ ンの 』。百EO制宮古ωzc。ωbwoE苦ω』自主 成分 はCu 4 %, Mg 0.5%, Mn l.0%, Al 残である。 \ 海軍か ら住友伸鋼所にこの調査依頼 した経緯は明らかで ないが, 杉浦は「当時は金属に関する研究機関が少なし 住友伸銅所は一つの独立 し た金属専門の研究部門を持っ ていたためではないか」 と述べている。 1921 年伸鋼所 ‘、、 は初めて ジュ ラノレミ ンの工業生産を行い, 横須賀海軍工 廠において国産化 した英国 ピッカース社製SS型軟式飛 Shaft for opening mold 行船の 吊 り 船やそのほかの構造材料と し て板管棒計 1ト ン余り を受注した4,5 )。 当時のジュ ラノレミ ン製造技術はきわめて初歩的な もの であったため, 海軍は飛行艇を建造するため招轄 した技 術者の中で, ベーガン (Pagan) 氏を伸鋼所に推薦 して

本稿はア ルトピア, Vol.42 (201幻, No.12, Vol.43 (初回), No.1 � 7に掲載したものに加筆して転載したも白 日研究開発センター 顧問, 工学博士 Inclined Casting1) Fig.l

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L, この鋳塊を 1000 トン竪型水圧機で鍛造後, 帯状圧 延しようとする製造法である。 しかし, この計画は工場 移転の議が起こ り, 1928 年の桜島新工場移転まで持ち 越された。 この間, 1926 年住友合資会社よ り分離して 住友伸銅鋼管株式会社が設史され, アノレコア社との提携 が1928 年成立した。 7Jレコアネ土は地金販路拡大のため, 日本の加工会社と の提携を模索 しており, 1925 年株式 Fig.2 Breguet 14も ype aircraft, named "Keigin" 会社住友電線製造所 との提携が成立, この関係か ら{申銅 fabricated by Nakajima Aircraft Indus� 七n e喝ltd 鋼管 もアノレコアと提携し, 溶解炉とアノレミ板専用の圧延 (http : /fw ww.ne.j p/ asahif airpl田 e/ 工場を建設す る こととなった。 なお, アノレコ7は1928 museumjnakaj imajnakaj ima.html) 年5月, カ ナダ法人の アノレミニウム ・リミティッド (ア ノレキ ャン) を設立したため提携先も海外事業を主とする た平和博覧会に展示古れたジュラノレミ ンを使用した 「中 アノレキ ャンに変わ った。 1930 年, アノレキ ャンとの合弁 島式 B-6型 (ブレゲー 14 型) 軽銀号J である6)。 で桜島の板工場 と八尾の箔工場を母体に住友アル ミニウ ム株式会社 〔現, 東洋アルミ ニウム) が設立された。 同年, 第一次世界大戦が終わり, 日本は戦勝国 として 桜島移転に伴い, プロペラ麹素材やク ランクシャフ ト ドイ ツから賠償の lっとして何百台かの飛行機を受け取 などの大型鍛造品, 薄板を板曲げとダイ 拙伸で製造す る ることになっていたが, í飛行機を得るのは全く の一時 プロフィノレ品, また鋳造, 庄延, 押出ならびに抽伸に関 の利得であり, むしろ, その製作技術, 例えば機体の設 する設備の拡充と新技術の採用が行われた。 当時の飛行 計とか軽合金の製法を習得する方が国家百年の大計であ 船などの骨組みに使用されたのはジュ ラルミ ン板を曲げ る」 とされ, その結果ジュ ラノレミ ン製造技術習得団が派 加工 したプロ フィノレで, 押出形材の最小肉厚は3mm 遣される ことになったロ 1922年3月, 習得団は, 海軍 が限度であ ったため, 板か らのプロフィノレが用いられた。 造機大佐石川登喜治を団長 とし, 陸海軍それぞれ若干名 プロフィノレは厚さが 0.4-0.6mm 程度, 長さが4- 5m と住友伸鋼所の技術者 4名をもって組織 された。 住友伸 である。 1939 年頃になると押出最小肉厚は 1.2mm とな 鋼所か らは, 工作諜の藤井成美氏, 管棒工場の野本徳次 り, これよ り薄くする場合には圧延と抱伸で仕上げた。 郎氏, 小板工場の柴田吉三郎氏, 鋳造工場の山本正雄氏 (1) 鋳造技術 が参加 した。 1922年4月初 日出発, 7月下旬デュ レン この桜島新工場の鋳造設備は, 可傾炉 4基, t甘禍炉 に到着 し, 9月中旬まで, デュ レ ナ・メタノレヴェノレケ社 48 基であ る。 最初 は80kg 角型鋳塊, 直径 140mm の (Dürener Metallwerke A. G.) でジュラJレミ ン製造技 40kg 鋳塊が傾斜鋳造法で鋳込まれたが, 1931 年には, 術を実習, その後ドイツ, 英国の工場を見学して, 翌年 鍛造素材用 に11- 13" 角型鋳塊 (110- 120kg) が, 管 2月 23日帰国 した。 デュ レ ナ・メタノレヴェノレケ社では 用には直径 150mm の 30kg 鋳塊または直径 9 " の 50kg 「向社の作業員と同様に勤務して習得 した内容を毎週取 鋳塊が造塊され, 逐次大型化に移行した。 溶解炉はアノレ りまとめ, 同社提供の ジュラノレミ ン製造方法習得警 と照 キャンと 協議 した結果9 ト ン反射炉を初めて採用 した。 合検討のよ,疑問点は質問 し て技術の真髄を習得す るよ 反射炉の前には傾斜鋳造機が 4列, 計16基が配霞され, うに努めた」 とのことである。 なお,同社は ウイJレムの 朝8時半か ら鋳込み開始 し午後 3 時半鋳込み終了, 炉内 特許を工業化L, 当時, 英米仏等の諸国に特許を分譲 し 清掃 し, 夜間に 11 トン溶解する一日ー溶解方式であっ ていた関係か ら, 一行の技術習得に関 して住友の名にお た。 鋳型は ブッ クモール ドで, 鋳造方法は反射炉よ り 溶 いて有償契約の締結が要望され, その結果, 陸海軍関係 湯を取鍋に入れ, 60 度傾斜している鋳型に鋳込み始め, 者も形式上は住友派遣員 として実習した。 なお, ジュラ 鋳型を徐々に閉転させ垂直にな っ て鋳込みが終了する。 ノレ ミ ン製造技術習得団と ともに金属機体製造技術管得団 この当 時の板用鋳塊寸法は 4.5" (厚み) 11" 24" (約 x x も渡独している。 ジュラJレミ ンに関しては, 古河電工も 53kg) であった。 1931 年には反射炉を利用 してジュラ 1922 年研究を開始 し 1926 年陸軍か ら試作品の製造を命 ノレ ミ ンの祷解 ・ 鋳造の実験が行われた。 じられた。 1928 年, プロペラ麹素材の鍛造が始ま り, 大型鋳塊 の必要が生 じた。 プロペラ麹鍛造用鋳塊はバケ ツ型で, 3. 2 住友 におけるジュラルミン製造技術の確立 1931 年頃は上部直径 330mm, 下部直径 305mm, 高さ (桜 島新工場建設) 483mm, 110kg で, これが次第に大 きくなっ て, 1942 1,2,3) 1923 年, ベーガンの指導と 「ジュ ラノレミ ン製造技術 年頃には, 上部直径が 600mm, 下部直径が 800mm, 習得回」 によってもたらされた技術を組み合わせること 500kg 鋳塊が用 いられている。 材質は 25S(Al-4.5%Cu によって, 新しい製造設備を起業す る計画が立て られた。 0.8%Si-0.8%Mn) である。 圧風式可傾炉を用い 8 "角型鋳塊を傾斜鋳造機で造塊 1931- 1940 年, 鋳型を木炭で加熱後, 反射炉か ら注

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/易 L, 空タ ンク内に入れ, 鋳型の下部を周囲か ら放水し ここで特徴的なことは, 鋳塊を その厚吉の2/ 3程度 て冷却 し, 逐次, 放水を鋳裂上部に移して凝固させる方 に圧延 し,面自Ijし庇を除去後再加熱し, 通常の熱悶圧延 式を採用 しており, 水冷鋳型法と称した。 問題は鋳塊の を行う 押え圧延である。 押え圧延の考え方は, 戦後の高 中心に巨大金属関化合物が生じやすいことである。 こ れ 靭性高強度合金の開発の中で提唱された中間加工熱処理 を改良す るためにFig.3 に示すよ う な加熱水冷式鋳造 の考え方の原型となる もので, 鋳造組織を鍛錬によ って 法 (SKS- II式, SKS: Sumitomo Kinzoku Shindosho 如何に壊すかというこ とが課題であ る。 当時, 他社では の目的が開発された。 溶湯を入れた鉄製取鍛を木製水槽 熱間鍛造で行われていた。 クラッ ド材については, 鋳塊 の中に徐々に降下させ冷却 させるが, 水槽 に入 るまでを の両面に所定の厚さ に圧延 し た皮材を被捜 し, 鉄のバ ン ガスバーナーと水スプレ で冷却速度を調節す る方式で ドで締め付 けたあと熱悶圧延で圧着 したが, 後に鋳造時 ある。 に皮材を溶着させてか らは皮付 き鋳塊を用いて前述の工 (2)庄延技術 程で熱間庄延された。 な お新設の三段熱隠圧延機は主に 板工場の主要設備は三段熱間圧延機 1基, 大型二段圧 銅及び黄鋼板に用いられたが, プロ フィル用にも用いら 延機 10 基, 小型二段圧延機 12 基, 板引張矯正機 l基, れた。 石炭炉 10 基であ った。 内, 新設 したものは幅 4' 迄圧 冷問圧延では, 大板は 3'X6', 4'X8', 5'XlQ'な 延可能 なKrupp 社製三段熱間圧延機, 英国 Robertson らびに 1000 2000mm の4種類, 小板は 400 1200mm, x x 社製小稿用圧延機, 石炭炉は Rockwell 社か ら購入した 500X 1200mm の2種類が標準寸法で, 大板の最小板厚 特許に基づいて製作された炉であ った。 ジュラノレミ ン板 は0.5mm, 小板は0.3mm であ った。 大板の圧延にはこ の熱防圧延に使用 された二段圧延機はローノレ径 26" 段圧延機 (ローノレ径 26 ' X 66つ が用 い られ, 0.25" 熱悶 x 66" であっ たが, 1938 年には26" X80" となった。 鋳塊は 圧延板を焼鈍後圧延 し, 中間焼鈍を施 してか ら途中で すべて傾斜鋳造法によるものであり, 1931 -32年頃の 2枚合わせに し, 0.8mmま で圧延 した。 0.6mm, 0.5mm 60kg 鋳塊か ら 80kgへ, さらに鋳塊端面が丸型の 70kg, 板は 3枚震ねの圧延である。 焼入れ後は冷間スキンパス 90kg, 1939 年頃には 120kg 鋳塊が使用された。 熱間圧 上がり (T 3 ) が主で, 引張矯正は必要に応じて行っ た。 ' 延の工程は, ジュラノレミ ンの場合, 500 C, 8時間の均 板淳 1.0-1.5mm のものはすべてロ ール矯正である。 小 質化処理を施 したのちに, 440 'C で押え圧延を行い, 面 仮圧延には, Schmitz 社製 (1同長18ぺ 板椙400mm 周) 削したのちに再加熱 し, 同じく 440'C で熱問圧延する工 2 碁 とFarrel 社製 〔胴長 23 ぺ500mm 用) 1基の小型1 程である。 帯板圧延機を用いた。 プロフ ィ ノレ用禁板 には長さ 5000mm に切断後, 引張矯正したがコイルで出荷 した 鋳塊厚さ 120mm ->抑 え圧延 75mm →笛削→ ものもあった。 再加熱→熱問圧延 6.4mm (3) 押出技術 管・棒・線用と しては Krupp 社製 1000 トンの横型 水圧押出機が l基で, 1935 年頃に Schloemann 社製 2000 トンl基が設置された。 前者にはコ ンテナヒータ がな く, 薪を焚 いて暖 めた。 鋳塊 は直径 5.5'のものが 使用 された。 後者は複動型で, コンテ ナはガス パ ーナ一 方式で, 鋳塊は 7'のものが使用 された。 竪型水圧押出 機はHydraulik 社製 600 トン2基が設置 され, 小径管 の紫管の搾出に使用 された。 そのほか, 丸絡 の熱間圧延 と管の熱間マ ンドレノレ圧延用に3段溝口ーノレ圧延が 3基, 2段潜ロ ノレが 2基用いられた。 ジュラノレミ ン押出形材の製造に使用されたのは Krupp 社製の 1000 トン横型持出機で, 大まかな形状を 押出 し, 圧延と抽伸で仕上げた。 その後, Schloemann 社製 2000 トンも使用 された。 (4) 鍛造技術 鍛造には, プロベラ麹素材用として1930年6 トンエ アーハンマーが設置された。 その後, 1000 トンの竪型 市1(1 水庄機3基, スク リ ュープレス4基, 3トンエアーハン マーが 2基設霞された。

Fi g. 3 Casting Mould with controlling cooling rate by ga s burner and water sp悶.y1)

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3. 3 住友の材料開発, ジュラルミンから超ジュラル -ラウタJレLautal (Al- 4.06%Cu-1.88%8i-0.46%Fe, ミンへ ラウタヴェノレケネ土 (Lautawerk)), 住友軽金属 には住友伸銅所時代か ら の研究報告が保管 • 258 (Al-4.54%Cu-0.79%Mn-0.82%8i-0.44%Fe, 7 されており, 最も古いとこ ろで, ツェッペリ ンの残骸を Jレコ 71'土), 調査 し た杉浦氏が 1917 年に報 じた 「特殊合金に関する .y合金 (Al-4.04%Cu-1.58%Mg-2.14%Ni-0.46%Fe.0 研究報」 として報告書 3 通が保管されている。 その一つ 13%8i, NPL) が, î 軽禁素合金ニ就テ」 で, 1915 年の 8tahle und ・ザンダ- 8ander 合金 (Al-8.39%Zn- l.65%Mg-0.44 Eisen 誌と 1916 年の JIM 誌の 日. Schirmeister 論文の %Fe-0.ll%8i, ゴーノレドシュミット社 (Goldschmidt 概要 を報告 して, アノレミニウムにおける添加元素の効果 A. G.l を調べ, 銅が も っとも有効であり, 次いでマ グネ シウム が有効であ ることを述べている。 ほか二報は, î特殊合 これらの合金で, 引張強さ, 耐力及び硬度はスーパー ・ 金に関する研究J (第一報, 第二報〕 として, マグナ リ ジュ ラJレミ ン, ザンダ一合金がもっとも優良, 耐酸性で ウム (, Al- 6 �12%Mg) , Al-Cu 及び Al­ アノレデュ ノレが最も優れている, これに次いでジュラノレ Ni-Mg 合金に関するものである。 ミン系, ザ ンダー合金が最も劣ると報告されている。

杉浦氏を継いで, ジュラルミ ンや伸銅などの研究を行っ ザンダ一合金は Al-Zn-Mg 系合金で, ヱッセンのゴー てきたのが, 松 田孜(っとむ) 博士である。 松田博士 ノレ ドシュ ミット社の金属研究室で開発され, ドイ ツでは (1886・1966) は1914 年東北帝国大学工学部 (物理)卒 “ Constructal "と称されていたり凡 なかでも 業後, 住友総本店{申鋼所入所, 杉浦氏の試験係に配属, Constructal 8 (Al- 7 %Zn-2.5%Mg- 1 %Mn-0.2%8i) 1922 年, î真鍛青銅およびアルミニウ ム青銅に関する研 は引張強吉 60kg/mm 2,伸び9�10%である。 Al-Zn­ 究」で理学博士を取得 し, 1932 年伸鋼所研究部長, 1936 Mg 系の状態図は既に 1913 年 Eger によって発表され 年{ 申鋼所所長, 1937 年取締役, 1941 年住友金属工業株 ていたが10. 11), 1923 年頃, ザンダーとマイ スナーは, 式会社常務取締役, その後専務取締役, 副社長を歴任 し この三元系状態図を再検討 し, Al-MgZn2 が擬二元系を た。 この間, 1940 年, 勲四等瑞宝章を授与された。 研 つくり, しかも溶解度が温度と ともに減少 し, 4750 Cで 究所内の報告番以外に公開古れたデー タとしては当時の の最大国溶度28% から室温の 4�5%まで変化するこ 住友伸銅鋼管株式会社の製本さ れた研究報告がある。 こ とがわかった則。 そこでMgZn 2 を4�10% 含むアルミ の第 l号が 1932年3月である。 この研究報告の目次を ニウム合金をつ くって時効性を調べた ところ, 常混時効 みると当時の研究の全容がほぼ把握できるが, その一番 するととともに人工時効に よってさ らに強力なものが得 最初が松田博士 ら の論文, î鍛錬7 Jレ ミニウ ム合金の比 られる こ とがわかった則。 残念ながら当時は耐食性が 較試験」 である。 ここで比較 されている合金は, 1930 惑いとのことで実用化にはな らなかった。 この{牛 に関し 年頃の代表的な鍛錬用合金で, アノレコアのジェフリース て, gg村博士は 「随筆軽合金史」 の中で, 1927 年, 西 らの著書 "The Aluminum Industry, Aluminum Prod­ 原清氏の卒業論文の実験として MgZn2のアノレミニウ ucts and Their Fabrication" (1930, McGraw- Hill Book ムに於ける固溶度を調べるとともに, 時効硬化を調べて Company) にも掲載古れている。 成分値は実験に用い もらったが, 焼入れ した試料にプリ ネル硬度計で窪みを た試料の組成を示す7)。 造る と甚だしいときは直に, あるいは時間が経てから, その周辺に害lれ自が生 じて, 所謂時期割れの現象を認め, ジュラノレミ ン系では この合金は使用 し得ないとの結論になったと述べてい • 681A (Al-3.53%Cu-0.55%Mg-0.54%Mn- 0.46%Fe- る 12, 14 )。 0.30%8i, デュ レ ナ・メタノレヴェノレケネ土) , • B178 (Al-3.46%Cu-0.35%Mg-0.44%Fe- 0.30%8i, ア 鍛錬用のアノレ ミニウ ム合金の研究をもとに, 松田簿土 ノレ コ ア社), は, 1932年l月, 社内研究報告で超 「ジュラノレミ ン」 178 (Al- 3.99%Cu- 0.55%Mg-0.58%Mn.0.45%Fe- の研究 (第一報) を報告している則。調査した合金組 0.30%8i, アノレコア社, 681B と 同成分), 成は Al- 8.60%Zn-1.57%Mg- 1.41%Mn-0.34%Fe-0.14%8i • C178 (Al- 4.01%Cu-0.54%Mg-0.58%Mn-0.47%Fe- で, ザ ンダー合金である。 この合金の熱処理方法と して, 1.30%8i, アノレコ ア社, 含ケイ索裂スーパー ・ジュ ラノレ 4500 C水冷, 室温時効, 1000 C /日時間時効, 1200 C /22 ミン), 時間時効を選定 している。 1200C /22 時間時効では, 51 そのほか, 次の合金が比較されている。 張強さ 51- 55kg/mm2, 耐力 47kg/mm 2, 伸び 10- 14% • 7 Jレデュー ノレ Aldur (Al-0.99%8i- 0.65%Mg心 45% が得 られる。 この研究は翌年9月の第12報まで続く が, Fe, ジュ リ アーニ社 (Guilini Werke A. G.) , アノレコ 研究途中で伸 び, 反復屈曲目数,衝撃値が劣るため強度 7518 も同等), は犠牲に してこれらの特性を向上させるため Mgを

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6% に増や し た合金に転換した。 この間, 海軍 と の情報 AI-Cu タイプ, AI-Mg-Si タイプに分類される ことを, 交換があ ったかどうか不明であ るが, 海軍技術研究所の さらに 自身で開発 した合金 MC の特徴を述べている。 五百旗頭 (いおきベ) 中佐か らの依頼によ り住友とほぼ MC 合金は, 成分は Cu 0.5�2.5%, Mg 0.2�1.0% で, 同 じ合金, 技研式超 ジ ュラノレミ ンAl- 6 %Mg-3.5%Zn- 焼入れ後冷間加工を施 し, その後 100-170oC の低温で軟 1.2%Mn 合金の試作に携わった則。1933年7月五十嵐 化を特徴とする合金で, 特許 と陸海軍への報告書を添付 博士 もこの合金の加工性, 機械的性質を調査 した。 加工 している。 同時期に, ジュ ラJレミ ンに匹敵する合金と し 性は熱閣で衝撃 圧縮試験を行い, 割れが生 じるまでどの て新合金 C 6 (Al- 6 %Cu) の研究開発もいっている 程度圧縮で きるかで評価した。 この詳細は五十嵐博士の (1925.10)。 周年, 五十嵐勇氏 (注 1 ) は「シル ミンニ 学位論文に超ジュラノレミ ン に関する研究の一部と して掲 就テJ (1925. 7 ) で文献を レピューしている。 載されている16)。焼入れのままで引張強古 46kg/mmえ 伸び21% で, 1600Cで24時間 の焼戻 しで引張強さ (注 1 ) 五十嵐博士 (1892-1986)は1913年広島高等 54kg/mm', 耐力 41.5kg/mm九伸び8%で機械的性 師範学校卒業後, 台湾の中学で教鞭を執った後 1919 質は ジュラノレミ ンに比べて優秀で, しかも比重が小さい 年京都帝国大学に入学, 1922 年同大学理学部物理学 ので比強度を向上させるが, r然しなが ら本材質は加工 科を卒業後住友合資会社に入社 し, 同{申銅所に勤務 し 性甚だ困難にして非常な る手数を要するJo r 高温度に於 た。 同年 5月より翌年7月まで, 住友家が本多光太郎 いても尚25�40% 以上圧縮加工は不可能J, r従って本 博士の発明 したKS鏑や研究所設立を支援 した関係か 材質は試験的に非常な手数をかけて板棒を作ることは出 らか, 東北帝国大学金属材料研究所に留学 し, 所長の 来るが, i.l�価に多量に製造する ことは甚だ困難である。 本多博士に姉事した。 金属材料研究所は, 1922 年そ 之本材質が実用合金となり得ない現由である」 川と結 の前身の鉄鋼研究所が研究対象を鉄と鋼だけでな く銅 論付 けている。 合金や軽合金な どに も拡げるために改称さ れたもので 当時 (1929 年頃) の住友{申鋼所の ジュラノレミ ンを ある。 1924 年には月刊誌 「金属の研究Jが発刊さ れ, Table 1 に示す 1. \8}0 D 2 が一般にジュラルミ ンと称され その第一巻には五十嵐博士の 「焼入合金の時効に就てJ て, 引張強さ は42-45kg/mm'程度である。 この強度 レ や松田博士の 「青銅, アルミニウム青銅及び真織 の変 ベノレを超え る合金は合金系に拘らずどれも超ジュラノレミ 態に就てJ の論文が縄戦されている 則。住友金属か ン (Super Duralumin) と呼ばれた。 らも多くの研究者が派遣さ れた。 1939 年, r航空機用 材と しての軽合金の研究」で工学博士を授与され, 伸銅所では松田博士の後を受けて田法友次郎博士が登 1941 年名古屋製造所研究部長, 1943 年住友金属工業 場してく る 。 田遊友次郎博士 (1895-1957) は, 1919 年 株式会社金闘f究所長兼伸鋼所研究部長, 金属研制庁 九州帝国大学工学部応用化学科を出て, 住友伸鋼所に入 は伸鋼所と名古屋経合金製造所の研究技術部門を横断 り, 1927 年 「焼戻硬化性了ノレ ミニウ ム合金の研究」で 的に統括するために 1943 年設立, 1945 年技師長兼名 学位を取得, 1936 年研究部長, 1943 年取締役 ・伸鋼所 古屋製造部技術部長を歴任 し, 1946 年退社した。 そ 長, 1945 年常務となった。 復水器管用銅合金, 強力i耐 の後, 東北帝国大学に講師 として招I博 され, 翌年工学 食性合金 「アノレ プラ ックj の開発者と してもよく 知られ 部教授, 1951 年秋田大学鉱山学部教授を兼務, 1958 ている。 アノレミニウ ム関係では 1925年 (大正 14 年〉 年岩手大学教授, 1962 年定年によ り退職, 住友軽金 3月 27 日の社 内報告警に回遊友次郎研究課員翻訳の 属工業株式会社研究顧問, 1970 年顧問を退く。 こ の rr アノレデューノレ」 軽合金ノ 性質及用途ニ就テ (独文)J 間, 1968 年勲三等旭 日中授章, 1974 年公益財団法人 がある。 さらに由氏の 「最近の Duralumin 類似合金 本多記念会の本多記念賞が授与された。 と新軽合金 “MC" の特異点J (1925. 5 . 5 ) と題する報 告書で, 各社, 各研究機関の特許か ら見た合金特許を調 五十嵐博士は後述する ように超々ジュ ラノレミ ン の発明 査 し, 類似合金は, Duralumin タイプ (AI-Cu-Mg-Si), 者であ るが, 入社当時は, シル ミ ンなどの Al-Si, Al­ Si-Zn や Al-Si-Cu 系の鋳物材やザンダー (Sander) 合 金, Duralumin (Al-20%Zn- 3 %Cu) への Mg Tabl e Chemical composit ions (mass%) of Dural umin 1 も.ype al loys at Sumí tomo Cabout 1929) 1,18) 0�2.0% 添加の影響を調査している。 そのほか, 銅合 金, 鋳物用及び鍛錬用マグネシウム合金やその耐食性に All oy Cu Mn Mg Al 究 究報告書 日1 関する一連の研 も行っ ている。 社内研 を見る Do 4 0.30 0.50 0.30 remainder と, 多分実習 も含めてか AI-Cu-Mg-Ni-Fe 系Y合金

DI 4 0.55 0.53 0.30 remainder などのピス ト ン用鋳吻合金, ジュラノレミ ン, ラウタJレ合 金 71レデュ ーノレ合金, ザンダー合金, AI-Mn-Mg 系 D CDuralumin) 3.85 0.45 0.53 0.30 remainder

2 合金な どの各種7ノレミニウ ム合金の機械的性質や耐食性 D, 2.50 0.30 remainder も調査,研究 している。 こうした初期の幅広い調査研究

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究 が超々 ジュラノレミ ンの研 開発に役立つている と考え ら Table 2 Tensile properties in US alloys, 24ST 四d 24SRT2 2) れるロ Alloy and strength Tensile stren gth Elongation temper kg/mm2 kgf mm 2 % 軽金属に 「研究室の片隅か ら」 という随懇 を執筆 し, 研究を始めた頃の話が掲載されている 則。 24ST 30.1 45.5 20 「前々号か ら先霊長諸賢の翠やかな御話, 勇ま しい思い 24SRT 37 .1 47.6 13 出興味深 く 拝 此度は僕 に軽金属工 見していた。 ところが 24ST 28.0 42.0 18 業の回顧を替 く ようにとのことだが, 研究室の片隅にジ Alclad 24SRT 34.5 43.4 11 メジメ と一生をお くった僕にはそれ等と逆な想い出のみ Typical composition : Cu 4.2%, Mg 1.5%. Mn 0.6 %, 谷 山 に過ぎない。 だが然し があ っての山で皆が ならば山 (Fe 0.22%へ臼 0.16ヘ * Analy田 d value211 ) はな くなる。 勇ま しい御話の引立役に ジメ ジメ した回顧 Temper T : 500"Cquench四 g and natural aging ・ も一つ位あ ってもよかろう。 Temper RT 500�Cq uenching and natural aging followed by cold working 僕 は学校を卒業以来会社の研究室でずっ と軽金属を弄 っていた。 はじめはアルミ ニウムという事だったが丁度 日本に於けるアルミ 合金の勃興期で先輩諸賢が皆ア ルミ 工業 ・研究報告に記載されている米国 24ST, 24SRT の に手をつけられる ので大変気楽にボヤボヤ している こと 総成およ び機械的性質のデータである町。 が出来た。 やがてマグネ シウムを取扱わねばな ら ぬ時代が来た。 国秮 博士は 1933年8月から 1934年4月にかけて, 松 僕 はその方の手伝をする事になった。 マグネシウムは取 田博士も 1935年10月から 1936年4月欧米に相次いで 扱に く いので誰 も手を出さぬ。 不精な僕 も止むを得ずい 出張 し航空機用アルミニウ ム合金や銀合金の調査を行っ ろんな実験をや らねばな らなかった。J r先輩が夫々立身 た。 この背景と しては, 各国で航空機用の超 ジュ ラノレミ 出世さ れる と馬鹿な我躍も止むを得ず研究の凡てを見ね ンや ピス ト ン用合金の開発が しのぎを削っている ことに ばな らぬことになった。 丁度その頃デュ ラノレミ ンは板に よるもの と恩われる。 住友金属工業 ・研究報告に掲載さ つきSD, SDC も工業化出来てやれやれと思っていると れた回遊樽土の報告, r 欧米に於 ける航空機用非鉄合金 トム合金 と云う も のが華やかに宣伝さ れた。 第一次大戦 に就てj 叫では, 当時の状況を 「ご承知の如 く世界は 当時英国にはE合金というのがあ る。 其の後独乙に 其の何れの国たるを悶わずナショナリズムの波虋涛と し Sander 合金と云う のがある。 別にめずら しい合金で は て其岸を洗ひ, 工場見学は極めて困難で, 航空機に関し ないが時期割れがあ るので使い ものにならぬ。 学業成績 て殊に甚しい。 就中 ドイ ツに於てはゲー リングが航空相 は優秀で も Load がかけ られない秀才見た ようなもので として極度の秘密主義を採り 航空研究所の見学す ら恩ふ ある。 とはいつで も世間は うるさいし。 止むを得ず吾々 に任せぬ」 とある。 こうした状況の中, 精力的に欧米を は使い ものにするようにしようではないかと相談した。」 視察 してきた。 そのと きの出張記録が訪問先の会社案内 パンフ レ ットと一緒に今も研究所に保管されている。 こ 1931, 32 年頃になると飛行機の性能向上につれて, のときの手紙類を見ると, 大学や研究機関は東北大金研 材料の比強度の向上が要求された。 1933 年頃には米国 所長の本多数授らの紹介状で訪問している こ とがわかる。 の24S 合金の情報が入 ると, 松 田博士は海軍か らの N ew Kensington にあるアノレコアのAlumin um Re­ 「御注意j もあり, 9月にアノレ コ ア製の 24SRT 材を注文 田町ch Laboratories の研究所も訪問 し, 各種の試験機 して, 12 月には入手 しすぐに確性調査を行っている。 を見学 している。 応力腐食害Ijれ試験方法 も図示して紹介 12 月の 「米国製 “24SRT" 板 試験成綴 (第 1報)J されてお り, r Simple にて面白 し, 一考の価値あり」 と (研究報告 NO.2381 )では, 成分に関 して, r注意すべ コメ ントがついている。 研究所のパ ンフ レッ ト も保管さ き点は, 普通のジュラノレミ ンに比し, (1) Mg の盤の非 れてお り, 各種性能評価試験機が写真入で紹介され今で 常に大なること, (2) Si の量の小な ること, (3) Fe の は貴重な資料であ る。 なお, 当時の研究所の状況は, 参 蚤の小な ること, (4)各板の成分よ く一致せる こと, 等 考文献23にも詳 しく紹介されている。 で, Mg は焼入状態における引張強さ, 降伏点を増 L, 古て, ドイ ツ に於ける軽合金については, r之は独り 伸びをも増加する性質を有す る点よ り特にその援を増加 ドイ ツ のみではないが, 航空機用強力鍛錬アルミニウ ム したるもの…」 と記L, 24SRT 材は従来の超ジュラノレ 合金 としては依然と してジュラルミ ンが斯界の王座をす ミンよりも, Mg㗏が多 く, Si 量の少ないことが特徴 べっていない。 併しながら, 引張強さ 45kg/mm '以上, であ る21)。引張強さ は48kg/mm ', 耐力は 40kg/mm え 出来得べ くんば 50kg/mm '以上の ものを得んとする即 {申びは 16% であるが, 反復屈曲回数がかな り小さいこ ち超ジュラノレミ ンの研究が盛んであ る」 と 則。デュレ とが指摘されてい る。 こ れは焼入れ後常温圧延を行う こ ナ・メタノレヴェノレケ社では従来の超 ジュ ラノレミ ン とによるものと考えた。 Table 2は回議 博士の住友金属 681ZB (AI-4.2%Cu-0.9%Mg-0.6%Mn-0.5%Si) とその

270 VoL54 No.l 超々ジュラルミンと零戦一超々ジュラルミン開発物語 (その2) 271

Table 3 High sもrength aluminum alloys in USA and Europe22)

Cu Ni Mn Mg Fe Si Ti Cr YS TS E kg/mm2 kgjmm2 % 3.5-4.5 0.9-1.5 0.9-1.5 0.2-0.9 32-40 46-52 16-10 Germany DM31-1 ('1) 3.66 1.17 1.38 0.29 0.65 DM31-2 (' 2) 40-42 50-52 12喝10 Germany 681ZB-l ('1) 4.2 0.6 0.9 0.5 28-34 42-46 18-12 681ZB-2 (' 2) 36-38 46-48 12-10

USA 24ST C' 1) 4.2 0.6 1.5 30 45.5 20 24SRTσ2) 37 48 13 USA C17ST 4 0.5 0.5 1.25 35-38.5 44-49 14-8 Avial 1.5-3.5 0.5-1.5 0.25-1.0 0.5 0.5 44-54 20-10 France 30-38 1.0 UK DTD252 3.ι4.7 0.4-1.5 0.4-1.5 く0.7 0.7-1.5 34.5 >44 >10 Duralmin F UK RR56 1.5-3.0 。ι1.51 0.4-1.0 0.8-1.5 く1.0 く0.2 39-42.5 44-50 20-10 2 3 0.8 1.35 0.6 0.08

本1)ー1, 8T : Quenching and natural aging 」… , 2 )ω2. SRT : Quenching and natural aging followed by cold working

C 強度 10% 向上させた DM31 AI-4.2%Cu-1.2%Mg- Table 4 Japanese military specification for aircraft s 1.2%Mn心五%Si) と称する超ジュラノレミ ン合金を発売 Super Duralumin SD and SDC24) 00 している。 米国に於ける軽合金では, アノレコア社の発売 ( 1 mm thick sheet)

に係わる もので, í現今最も注目すべきは24ST 及び Alloyand Yield strength Tensile strength Elongation 248RTである。 その組成 は Al-4.2%Cu-1.5%Mg- temper kg/mm2 kg/mm2 % 0.6%Mn で, これらのク ラッ ド材もある」 と報告している。 SDH 28 15 英国ではRR56 や RR59のピス ト ン材を調査 している。 44 SDR 32 44 10 Table 3 は欧米各国の超強力鍛錬合金一覧を示す 22)。 Duralclad : SDCH 27 42 15 この当時の日本では, 1934 年, ドイツの681ZB や Duralclad : SDCR 31 43 10 DM31 合金 と類似な焼戻 し型超ジュラノレミ ン でSD! SD : Cu 3.8-4.8 Mn 0.4-1.0 Mg 1.2-1.8 Feく0.6 Siく0.6 CAl-4.2%Cu-0.75%Mg-0.7%Mn-0.7%Si) と称した超 SDC (Super-Duralclad) Cladding al10y CSA3) : Cu <0.25 Mn 1.0-2.0 MgO.4-1.0 ジュラノレミ ンが, またSAl CA1-1.2%Mn- O.8%Cu)を Feく 0.6 Siく 0.3 被覆 し た合わせ板も松田博士らによって開発されたが, Temper H : Quenching and natural aging この合金は焼戻後の耐食性に問題があり, また燐 戻に時 Temper R : Quenching and natural aging followed by cold working 閣を要 し て生産性が劣るため焼戻を必要と しない 248 に代わることとなった。 1935 年 24S '1盟超ジュ ラノレミ ンはSD CSuper Duralumin) , その合わせ板は SDC 皮践の状態が異なるため電位差が異な り, 純アノレミニウ CSuper Duralclad) と称され, 前述の SD! は廃止され ムでは超ジュラノレミ ンを保護で きず, SA3 のみが保護 た。 SDC の皮材は, 当初 SAl であ っ たが, のちには できることを明らかに し耐海水性に優れていることを実 SA3 CA1 -1.5%Mn- O.55%Mg) 合金 となり, 24SC より 証した。 古 らlこ心材の銅が皮材に拡散 し て皮材の耐食性 高強度の合わせ板となった。 この皮材については米国の を減じるため, 各国はJ容体化処理の加熱時閣を調整 して アノレク ラッ ド材では純アノレミニウ ムが, ドイ ツのデュ ラ 耐海水性を維持 していたが, 五十嵐博士は鈎の拡散紡止 ノレプラ ッ ト材に耐食性7Jレ ミニウ ム合金が被覆されてい のため, 皮材の耐食性を劣化させず銅の固溶度を減らす る。 五十嵐博士は学位論文で この皮材についての研究に 元素 としてCrに注目 し, CrO.3% 以上添加 した皮材を ついても触れ, 純アルミ ニウムとSA3 の表面研磨材 と 開発 し, クラーノレク ラッドと 称した。 Table 4は呂本の 焼入れ材について 3 %NaCl 液で電位の測定を行い, 表 超ジュラノレミ ンSDおよびSDC の海陸航空規格を示 面研磨材ではほぼ同 じ電位であるが, 焼入れ材では酸化 す制。

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3目 4 超ジュラルミンから超々ジュラルミンへ ると. r トム合金は喧伝されたが, 海外ま でそのニュ 一合金探索 スが伝わってドイツなどでも問題となった。 しか し応力 1935年8月 10日付 けの社内研究報告書 No.3326.五 割れの筒題が解決さ れてなかったので, 実用にならなかっ 十嵐 「超高力軽合金の探求 (No. 1)J (Fig. 4) がある。 た。 しかし, トム合金が ESD の誕生の動機を造 ったこ これが超々 ジュ ラノレミ ン開発の第一報である。 その第一 とは明白であるから, 日本火工株式会社 (臼本電工系, 章は しがき に五十嵐博士は こう述べている。 「最近, 日 現在の 日本冶金の前身〕 松永陽之助氏が昭和 10 年12月 本電工 75kg/mm 2経合金の声が高 い。 はたして, それ 13 臼 に特許出願 (特許第 133182 号, 登録 1939.11.13) が何物であるかは本年中頃に は自然とわかって来る。 が, したアルミニウ ム合金を葱 に紹介 したい。 これはMg 3 周囲の時勢は其余裕を許さ ない。 命を受けて, ここに強 � 6 %. Zn 6 �14%. Fe 0.1�0.5%. Si 0.1�0.7%. 力経合金の探求をはじめる。 幸な る哉, 時に北原五郎君 Mn 0.1�1.5%. Ti 0.1�0.5%. Ni 1 � 5 %を含むア (注 1 )の来援あり。 君は先に海軍技術研究所にあ りて, ノレ ミニウ ム合金で, 熱処理す ると引張強さ 80kg/mm ' 松山博士と共に超ジュ ラノレミ ンの発見あ り ((抗張)力 になるといふ」 合金で. r唯, 時期割れに関して注意の 54-58kg/mm ' . 伸び20-12%)。 五百旗頭博士 と共に, 払われていなかったことは, その記述から知る ことは出 所調, 技研式超ヂュ ラノレミ ンの発明があ る。 其途の先達 来るが, 惜しいことであった」 とある則。 である」 則。Fig. 5 に五十嵐博士と 北原氏の写真を示すロ ここで日本竜工(のちの昭和電工〕の75kg/mm 2軽 〔注 1) 北原五郎氏 (1892-1971) は秋田鉱専卒業後, 合金 (トムThom 合金) とは. fI:lï村教授の言葉を借 り 海軍技術研究所に入所。 20 数年勤務後. 1935年住友 {申鈎鋼管側入社。 名古屋工場誕生とともに研究課長と して名古屋に移り. 1945 年堅田鋳物製作所研究部長 となった。 22 歳年下で, 同時期に入社 し た住友軽金 d静 r “11毛色ラルミシ 属元常務取締役深井誠吉氏は. 当社が世界に誇る強 力合金 ESD の発明関発について五十嵐博士の片腕 と して, もっと端的にいえは, 五十嵐。北原両雄の名 コ ンビがあ ったからこそESD は誕生したと思います」。 さらに 「北原古んの人柄を語る ことは後輩の私には不 可能ですが, 非常に善良でま た性急な人で した。 私も よく聴きましたが『俺は兎に角実験するのだ, 考え る のはその後だ。 余り考えたり参考文献を調べると迷い が出る』 といった調子でいわゆる『手が早 く て』 しか も実験が上手で, 広範聞 にわたる実験をする人で した。 下 五十嵐 さんがアイ デアを出 し北原さんがそれを実験す 一 る, というこの組合せ は誠に絶妙であ ったと思いますム 一 「研究 とか開発には, 明断な頭脳 と立派な指導者は欠 … くことのできぬ要素であ りますが, もう一つスピード が必要だ と思います。 どんな優秀な発明 も他に先ん じ られて は影が薄くなります。 ESDのような大きな仕 Fig. 4 Research of Extra Super Duralumin 事が極 く短時日の聞に完成さ れたのは北原さんの『迅 ( 1 st Report)お〉 速なる手』が大きな要因であ ったか も知れません」 と 述べているm。

トム合金に関しては, 海軍 も相当気に していて, 松永 滋之助氏が海軍大学で講演を した後, 当時海軍航空本部 の材料主務者であ った大谷文太郎氏 は上層部か ら呼びつ けられ, こういう良い材料があ るのに何を しているのか と言われたことがある。 これに対 し大谷氏は 「これはす でにザンダーが 10 年前に発表したものである。 これが シーズンク ラックを何とか解決して実用に供したいと思っ て, すでに住友に指令 してお ります」 と回答した。 「住 究 進 Fig.5 Dr. Isamu Igarashi (left) 友と してはこの指令の前にどの程度研 が んで居った Mr. Goro Kit ahara (right)and かこの点は知り ませんけれどロ 共研究指令を出 した覚え

272 Vo1.54 No.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 超々 ジュラルミ ン開発物語ー (そ白 2) 273

があります。 それより前に陸軍と しては, このトム合金 要であ る が薄板及び裂材に製作可能 という事がその強力 の仮規定を採用しました。 海軍と し ては時期部れ防止の 材料を生か し使用する上にか く可らざる必要条件である。 解決研究なき トムは採用出来ぬとして住友の研究を待ち, 従って先づ此のS. D. 及びE,の三元系に於いて焼鈍状 この研究結果を航空廠の川村君と相談研究会を度々闘い 態に於いて最軟く 熱処理状態に於いて最も強い, 即加工 て検討 しであれを採用 した。 採用 する時は実に悲壮な決 性最大 にして熱処理効果最大なる点J 17) を見いだすこ 意を持って採用した。 但し, その採用 する時分には板は とで合金探索が行われた とある。 それぞれの合金成分は, いかん, まず押 出形材を特に採用 しま した。 華厳の滝か D : Al- 4 %Cu-1.5%Mg-0.5%Mn, ら飛んだよ うなつ もりであ った。 そ して規格に制定 して 8: Al- 8 %Zn-1.5%Mg-0.5%Mn, E8D を初めて世の中にだしたのである」 と回想してい E: Al-20%Zn- 2.5%Cu-0.5%Mg・0.5%Mn る問。 柳田邦男氏の 「零式戦間機J (文芸春秋社) では, である。 まず 1D-8 羽三元系の全系に渡 る金型鋳物を この開発研究を命 じたのは, 海軍航空廠発動機部員で材 鋳造 し 400'C, 450 'C, 500 'Cに各4時間保ち投水し7日 料研究者担当の川村宏失機関中佐とのこと則。この本 間時効 し後其ブ リネノレ硬度を測定 し, 尚此等を 150 'C に の中で, r 当時すでに45 キロ超ジュラノレミ ンが関発され 24 時間焼戻を行ひ再び其硬度を測定し, 次に 300 'C に ていま したが, 将来戦闘機を飛躍させるには, 悶じよう 5時間焼鈍 し炉冷 し て三度其硬度を測定 したj。 この結 に軽く, しかも もっと強力な, 一平方 ミリメ トル当た 果を Table5に示す。 次に 「焼鈍 した硬度を基礎と し之 り五十キ ロから六十キ ロ 位の張力にまで耐え られるよう と焼入焼漢により得られた硬度とを比較 して其硬化率 な軽合金が欲しいという ことになりま してね。 それで住 (注:硬化率口 (最高硬度ー焼鈍硬度) +焼鈍硬度) を求 友金属に対L, 海軍航空廠 として, 研究開発を要請 した める。 此硬化率 (H ardenability) の大な る 事は最高硬 のですよJ と川村氏は述べてい る。 残念ながら, 戦後す 度の高き害IJ合 に焼鈍状態に於いて欽 らかき材質なる事を ぐに焼却 され, これに関する公式記録は 残っていな 示す ものなるが放 に加工等も容易に出来得る筈であ 。 る」 別 との確信に基つ いての事であ る。 この結果, し、28) かく して, 先人たちの研究をベースに軽合金の探求が No.54, NO.61 が硬 く, r其成分 は亜鉛 8 及10% ,銅 開始された。 E合金, ザンダ一合金, ラウタノレ合金, 海 2.5% 前後であ る」 として, 三つの合金が選定されたと 軍技術研究所の松山合金, 五百旗頭合金, {i申鋼所の松田 ある11)。 合金な どのデー タをベ ースに, まずは強度と加工性か ら • Al-10%Zn-1.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn-0.01%Ti 合金系の予備検討がな された。 これはかつ て圧延加工で (E8D No. 1 合金) 大いに苦しんだことによるものであろう。 興味深い こと • Al- 8 %Zn-1.5%Mg- 2 %Cu-0.5%Mn-0.01%Ti にAl-Zn-Mg-Li も検討された。 ここでE合金 というの (E8D No. 2 合金) は, NPL のロ ゼンハイ ンらの開発合金Bで その組成 • Al- 8 %Zn-1.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn-0.01%Ti はAl-20%Zn-2.5%Cu-0.5%Mg但0.5%Mn, 並鉛を 20% これらの合金の板, 棒, 押出形材, 管について各 穏の まで含み Zinc Duralumin と して知 られていた。 圧延材 特性を調査 し, r 新強力緩合金 E. 8.D は耐力 の強度は 400'C で焼入れ後, 再圧延 し時効したときの引 36�65kg/mm 2 , 引張強さ 58�70kg/mm 2 ,伸び8� 張強さ 53kg/mm九耐力 45kg/mm九 伸び10% であっ 20%, 硬度 150�200 を有 し現在使用されつつある経合 た。 しか しながら, 亜鉛が高い合金は引張強さ に比べて 金に比 して著しく 優秀なる機械的性質を省 し航空機縞成 ト分小さい応力でも長時間の負荷で割れを生 じる応力腐 材料 として画期的な新材料 と恩わ れる。 然るに, 本合金 食害jれが問題であった。 腐食雰囲気で割れは促進された は或る特殊な状態の下に於て時刻の経過に従って亀裂を が, Mn 添加で結晶粒が伸長 して割れの感受性は低下 し 生ずるが如き致命 的な欠陥を有する。 独逸のザンダ一合 たと報告されている。 金及び英の E 合金が優秀なる機械的性質を有す るにか かわ らず実用化されざる所以の ものは, 主と して此の穫 川 最終的に はザンダーの Al-MgZn 2系合金, 超ジュラ の欠陥あるによ る」 として割れの対策の検討に入 る。 ルミ ン , そして英国の ロ ゼンハイ ンの E合金をベー 社内報告書で E. 8. D. 合金の名称が表題に出て く るの スに成分が検討された。 学位論文 には, r 第一の もの は, Table 6に超強力軽合金の研究報告書の一覧を示す (8) は Mg-Zn, 第二の もの (D) はCu-Mg, 第三の も ように, 研究報告 NO.3854 r 超強力軽合金の研究(第 の (E) は Cu-Zn-Mg を主成分とする7)レミニウム合 10- 5 ), E. 8. D 合金の 「ク ラッ ド」 材の機械的性質」 金であ る。 Zn, Mg およびCuはAgを除いては, Al と (1936. 6.30) からである。 多分この頃, 合金の方向性 最も多く 国溶体を作り,またその温度による溶解度の変 が決ま ったことによる ものと考え られる。 E. 8‘D. の各 化も最も多いものである。 従って最強力にして最熱処理 アノレファベ ットの後ろにピリオ ドがある表現になってい 効果大なる実用合金 (Ag の如 き 貴金属の添加は工業用 る。 この名称に決ま っ た背景については報告書 には特に 合金 と しては面白 くない) は此の系にあることが想像さ 記述がない。 深井誠吉氏によると超 々ジュラノレミ ンを れる。 航空機講成材料と しては強度の大なる事は勿論必 E8D (Extra-8uper-Duralumin) と名付 けたのは住友

273 27 4 住友軽金属技報 2013

Ta ble Ha rdness of combina tion alloys with D, S and E alloys30) 5

Allo y D E 400. C 4 hWQ 450.C 4hWQ 500"C4h WQ 300. C Hard enability s Numb er (%) (%) (%) RT 7days 150.C24h 旦T7days 150. C24h RT 7days 150. C24h 5hFC (財)

39 80 20 94.2 93.0 116.0 109.0 107 .0 113.0 52.8 120 40 60 40 。 96.8 99.2 110.0 108.2 98.4 105.0 63.0 75 41 40 60 。 102.0 132.4 109.0 131.2 95.0 126.4 56.2 136 42 20 80 。 114.0 140.0 101.0 137 .4 95.0 147 .2 62‘ 6 136 43 8日 20。 105. 8 104.0 121.0 118.0 108.0 120. 0 59.8 102 44 60 。 40 120.0 138. 8 130.0 153.2 107.4 145.8 83.6 74 45 40 。 60 130.0 154.8 140.2 161.2 120.0 147 .2 83.0 94 46 20 。 80 153.0 156.4 143.0 153.2 114.0 131.2 95. 4 64 47 80。 20 116.0 147. 2 125.2 158.0 110 日 158.0 76.4 107 48 。 60 40 134.8 162.7 140.2 161.2 127.6 158.0 83.6 89 49 。 40 60 134.8 158.0 140.0 151.6 130.0 144.4 94.8 67 5日 。 20 80 147 .2 161.2 141.6 159.6 118.0 138.8 95.4 69 51 80。 10 10 102. 0 97 .6 113.0 116.0 108. 0 113.0 57 .4 102 52 10 80 10 119.0 151.6 110.0 147.2 109.0 159.6 73.0 118 53 10 10 80 153.0 165.8 150.0 153.2 119.0 131.2 97 .6 116 54 60 20 20 109.0 119.0 115.0 130.0 117 .0 132.4 77 .6 74 55 20 60 20 117.0 150.0 122.0 154.8 109.0 153.2 67 .6 129 56 20 20 60 145.8 161.2 144.4 164.2 127 .6 145.8 86.6 137 57 40 30 30 126.4 156.4 125. 2 161.2 109.0 123.0 65.0 148 58 30 40 30 124.0 154.8 128.8 169.4 120.0 159. 6 73.8 129 59 30 3日 40 131.2 156.4 115.0 150.0 115.0 145.8 74.0 112 60 20 40 40 127 .6 153.2 131.2 161.2 103.0 140.2 75.8 113 61 40 20 40 122.0 150.0 130.0 167 .6 118.0 151.6 67 .6 148 62 40 40 20 113.0 115.0 116.0 162.7 116.0 148.6 71.2 128 63 10日 94.2 93.6 113.0 105.0 113.0 117.0 53.6 118 64 100。。 108.2 136.0 112.0 143.0 111.0 148.6 73.8 101 65 。 100。 158.0 161.0 145.8 144.4 124.0 124.0 89.8 79 。。

金属専務取締役で{申鏑所所長の古田俊之助氏で 1936 年 り性能を比較 していてE8D とほぼ同等の性能を示 して 5�6月頃とのことであるが, 住友軽金属年表では, いる。 r 1937 年, 研究の基礎となった百合金, 8合金, D合金 (超 ジュラノレミ ン) の頭文字を とってE8D と命名 した」 3. 5 時期部れ (応 力腐食害時れ〕 の評価方法の確立 とある。 さらに興味深い ことに, この年の 5, 9, 11 さて, こ こからが五十嵐,北原の コンビが本領を発揮 月の報告書では, rアノレミニウ ム軽合金界に一大セ ンセ した時期割れ対策である。 Table 7に時期割れに関する ショナノレを投げた」 引張強さ 75kgjmm 2 と称する 日本 報告書の一覧を示す。 1936年8月 20日の社内研究報告 電工製の トム合金板材, 棒材, 鍛造丸棒を入手 して性能 No.3939 rE. 8. D 新合金の 「割れ」 に就いて (第一報)J の確性調査を行 っている。 西村博士が先に述べたよ うに がその対策の第一報である31)。この報告書の概要を少々 如何に このニュースの衝撃が大きかったかを物語る もの 長いが重要なので引用する。 執筆者はその筆跡か らして である。 研究報告 No.3738 r Thom Alloy に就 いて」 北原氏によるものと思われる。 (1936.5.5) で, この入手した ト ム合金板材の組成は r E. 8. D 軽合金の残留内部応力の下に於ける害rJ れを AI-9.05%Zn-2.15%Mg-0.9%Cu-0.49%Mn-0.22%Fe- 発生す る特殊現象を調査 し且つ現象の紡止対策に就 き考 0.27%8ì で号l張強さは61.7kgjmm人 耐力 43.2kgj 究 した。 mm 2,伸びは 13% であった。 この合金は五十嵐博士 ら 1) 密lれの試験方法と しては下記三方法を使用 した。 の「研究 している r 60kgジュラルミ ンj と成分, 機械 1. 刻印法 2 圧搾法3屈曲法 的性質と もによく類似す」 と5月の報告書に はコメ ント 2) ì )銅を含む と 否 とに係らず本系合金は残留内部応 が付記されている。 このr 60kgジュラノレミ ン」 とはE 力の下に於いて自然に割れる傾向性を有す。 勿論 これは 8. Dのことであろう。 NO.3852 の本文中の T415 にE その成分又は状態の如何によりて多少の緩急の差はある 8. D と追記しているので, このE.8. D.の組成は研究報 もいずれ も割れる。 告No.3814, r超強力l窪合金 T418, T415 の機械的性質」 ü) 割れは静的外力を受けた場合よりも衝撃外力を受け から T415 =E. 8. D. : AI-10%Zn-1.5%Mg-2.5%Cu- 0.5 た場合が遥かに甚だ しい。 %Mn (1936‘6 .9)と考え られる。 この報告書 NO.3814 国) 割れjj1E は常に結晶境界線に沿っておるロ また故意に では ト ム合金と同じ成分を合金 T418 として押出棒を作 破壊せ し処も同様に概ね境界線に沿っ て割れる傾向にあ

274 Vol.54 NO.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 一超々 ジュラノレミ ン開発物語 (その2) 275

Tabl e 6 Technical reports in Sumitomo Metal on super high strength aluminum alloys

Report Creation Title and subtitle Content Number date No.3326 Research on super hl gh sも rength 1935. 8.10 Declaration of start in this study aluminum alloys (No I ) No.3363 ibid. CNo. 2) 1935. 8.29 Effect of MgZn2 an m日 chanical properties of Lautal alloys CAl・4%C u- 2 %8i-0.5%Mg) NO .3379 ibid. CNo. 3) 1935. 9 Effect of contents on hardness of E alloys CAI-2日%Zn-2.5%C u-0.5%Mg-0.5%Mn) No.3385 ibid. CNo. 4) 1935. 9 .10 Natural and artificÎal age hardening of Al-(A13 Zn6 Mg7) alloys and AI-(AIs Mg4C u) alloys NO .3427 ibid. CNo. 5 ) 1935.10 Estimation of properties in E alloys No.3479 ibid. CNo. 6 ) 1935.11. 5 Tensile properties ( 1 mm thick sheet) Tesile test about new kind of in Lautal alloys with 8 -- 10% (A1s Zns Mg7) and Al alloys with aluminum alloys 10-14% CA1,Zn6 Mg7) No.3538 ibid. CNo. 7) 1935.12.17 Examination in the optimum condition of heat もreatmenも on the Relaもionship between heat alloys in the prev ious report treatment and mechanical properties in No.23 and 24 alloys No.3586 ibid. CNo. 8 ) 1936. 2.4 Research by assuming that the optimum alloy exi sts in On the thernary alloys, based on AI-C u-Zn-Mg alloy system combined with D, S and E alloys D-S-E alloys No.3719 ibid. CN o. 9 ) 1936. 4 .25 Next four alloys were chosen based on the result in No. 8 Report and On thE mechanical pr perties of the mechanical property of them (lmm thick sho ed was examined, o 60kgf class Dura1 umYE IinI 1 sheet AI-9.6%Zn-l.2%Mg-2.0%C. 2.096 C u-0.5%Mn,u-0五 ! Al-lO%Zn-l.3%Mg-2.5%C u-0. 5%Mn, AI-6.5%Zn-3.0%Mg-0.5%Mn, AI-7.5%Zn-3.5%Mg-0.5%Mn No.3800 ibid. CNo. 10) 1936. 6 . 2 Next two alloys were extruded into round bar with 30mm diameter On the mechanical properb iE S of and examined the tension test. 60kgf class Duralumn lni n extruded bar Al-10%Zn-2.5%C u-l.5%Mg心5%Mn, AI-9.0%Zn-l.0%C u-2.0%Mg-0.5%Mn These bars quenched followed by ax tifIαal aging show yield 2� strength is more than 60kg/mmm , tentensi1ed e sstrengthtreng出 is more than 65kgJmm and e1 ongation is more than 8珂. The end of extrusion

is very hardZ and has remarkable high 坑rength compared with the top No.3810 ibid. CNo.10- 2) 1936. 6 . 8 Mechanical properties of sheets and extruded shapes were On the m田 hanical properties of inv estigated. Sheets show yield strength is 50...... 52kg/mm , tensile

60kgf class Duralumin strength is 60kg/mm and elongation is 10...... 15%. Extruded2 shapes hav e the same tensile Zprop 日 rties as bars. NO .3851 ibid. CNo.10- 3 ) 1936. 6 .26 Mechanical properties and corrosion resistance to sea water were Effe日 ct of additional elements on the mv田tIE atedln Al-10%ZE139 6ME -2 5%Cu-0 5%Mn and properties of super high strength Al- 8 %Zn-% Zn- 3 %Mg-O. 5%Mn alloys added with Ni, Fe, Cr, Ca, Ti, V aluminum al1 0ys and etc. The additions of Cr Cminor) and Ca, V and Ti did not reduce the these properties and increase corrosion resistance. No.3852 ibid. CNo. 10- 4) 1936. 6.26 Bending property by bendinE test of sheets was compared between On the workability of super high alloy T415T415 CE8D(ES D: Al-Al . 1 1O.l%Zn-1.61%Mg-2.3%C u-0.52%Mn-0.28%F e strength aluminum alloys 0 18%SOS and alloy T418 (Thom alloy A1 8 33%Zn 2 0%Mr 1.0%C u-0.53%Mn-0.28%F e-0.21%s o No.3854 ibid. CNo.10- 5 ) 1936. 6 .30 E S D C alloy WI th caddm g alloy contam m g cr was rolled Adhe51 021 Mechanical Property of E. S. D. C of clad is good and the diffusionability ofof CuC u bby y heatingheat m increase re- CExtra Super Duralclad) alloy markably in a long time, but it is not necessary to regard within the l' egulated time. NO .3859 ibid. CNo.10- 6) 1936. 7 . 4 Determination of op主 imum quenching匝mperature and artificial Heat treatment of E. S. D. alloy aging time No.3865 ibid. CNo.10- 7) 1936. 7 . 6 Measurement of the weight reduction and tensile test after dipping Corrosion resistance to sea water of int03珂bl 'ine water as testing method. 1nbare sheet, intergranular E. 8. D. alloy corrosion occurred since corrsion resistance to sea water was not good, while this property improv ed remarkably in the clad sheet with cladding alloy containing Cr No.3892 ibid. CNo.10-8) 1936. 7.18 Inv estigation of optimum artificial aging temperature and time Artificial aging temperature of E. S.D. alloy

275 276 住友軽金属技報 2013

Tabl e 7 Te

Reporも Create Title Content No date No.39 39 On the SE ason cracking of 19 36. 8.20 Inv estigation ab out吐1 e occurrence of special cracking under residual stress new E.S. D. alll oyoy CNo.(N 0 . 1 ) in E.S.D al loy and consideration to the prev ension of cracking No.3988 On the season cracking of 19 36.9 .19 Commercz al productz on of E D dloy W Ith low Zn E.S. D. al loy (N o. 2) (Al・ 4 %Zn- 3 %Mg-lor%Mp l or 2 %Cu)B , and E. S. D. No. 2 al loy (Al・ 8 %Zn-l 1.55%Mg-%h dz- 2 %Cu4 vO.5%Mn) is possibl e because of good artificial aging property No.4017 ib id. (N o. 3 ) 19 36.9 .30 E. S. D. No. 2 al loy is av ailable. Season cracking Îs prev ented by additi on of Ti, Mo No.4030 ib 泊。(No. 4) 19 36.10.12 Grain growth and season craking are prev ented by addition of Mn1.2 or 1.5%. The addition of Li was inv estigated E. S. D. No. 1 CAI-I 0%Zn-1.5%Mg-2.5%Cu), with more than No.4047 ib id. (No. 5 ) 19 36.10. 23 Mn1.2 % prevent season cracking remarkably. No.409 2 ib id. (No. 6 ) 19 36.11.18 Addition 0.5- 1.67%Mo to E.S. D. No. 2 The addition01 ofle ss than 1%Mo improv e remarkabl y the timeもo season cracking・ No.4099 ib id. (No. 7 ) 19 36.11.27 Addition of MO ,Cr,Co,Ti,Cu,Mg and Be to E.S .D. No. 1 (Al-10%Zn-1.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn) The additon of Co is effectiv e to tensil e strength and the addition of Cr is excell ent in prev enting season cracking. The addition of Mo is not effectiv e compared with No. 2 . The addition of Mn1.5% is too much No.4112 ib id. (No. 8 ) 19 36.12. 1 Addition of MnO .5, MoO .3, CrO .3, TiO .l and MoO .3, CrO .3, TiO .l to E.S. D. No. 2 al loy It is good to prevent season cracking. ( No.4113 ib id. No. 9 ) 19 36.12. 2 Addition of Mn, Cr separately or toge出er to E.S .D.No.l and E.S. D. No. 2 al loy. No. 2 al loy is superior No.4121 ib id. (N o.10) 19 36. 12. 5 Addition of Nito E.S. D. No. 1 al loy Tensil e strength increases. However it is not effectiv e to season cracking. No.4144 ib id. (No.11) 19 36.12.21 Addition of Ag,Ca, Si, Sn to E.S. D. No. 1 al loy The prev ention of se出on cracking is not improv ed No.4244 ib id. (N o.12) 19 37. 2 .24 Effect of addition of Cu, Zn, Cr, Bi, Sb to E.S. D. No. 2 al loy on season cracking・ The occurrence of season cracking is not changed within the r叩ge 0.1...... 0.35% Cr. Effect of addition of Sb , Bi on season c問 cking is small

る。 これは結品の大 きさに密接な関係があ ると思う。 4. 本系合金の割れの現象はその金相学的組成上 Al-Zn iv) 燐入時効せる も のは刻印法及び圧搾法では本試験の 系合金に於 けるT相 (注, 最近の状態図ではα相) の 期間内では庇を生じないが屈曲法では割れる。 存否に影響するところ多い という仮説にもとっ、き下記五 v) Al-Zn 二元合金で は Zn20% を含有するものが, そ 種合金につ き 試験 した。 の焼入れ時効せる もの 3000 C 脚tせる も のが割れを生じ, Al- 8 %Zn-1.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn (製飯失敗), Al 焼入焼戻せるもの 圧延せる ものは起こ らない。 勿論 8 %ZÍl-1.5%Mg- 2 %Cu-0.5%Mn, Al-7.5%Zn- 3 %Mg- 20% 以下の ものはいずれの状態においても庇を生せず 0.5%Mn, Al-7.0%Zn- 3 %Mg-0.5%Mn, Al-6.5%Zn (屈曲法〕。 3%Mg-0.5Mn vi) 本合金は 「ジュ ラルミ ン」 で 「リベッチングj せる 1) 銅の小量の添加は書lれを緩和する作用があ るらしい。 も割れを生 じない。 2)銅を含有せざ る三種は Cu 入に比して著しい 四) 本現象 は本系軽合金の本質的特性が所謂 Season 3) 之等合金中 Al- 8 %Zn-1.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn Cracking に類似せる物と考えるのが妥当である。 合金がもっとも良質で割れを生じ難く, 他の ものは焼入 3 本系合金の割れの現象は焼入及び焼戻温度の適当な 時効せるものも割れたるも, 之は割れず而もその抗張性 る調節により, 緩和する事を得, 例えばE.S.D 合金の はE.S.D. と伯仲である。 4300C焼入1000C焼戻せ るものは刻印法及び圧搾法で割 4) Al- 8 %Zn-1.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn 及び E.S.D れを生じない。 然し組曲法によれば時間の長短はあるが 合金の割れに及 ぼす焼戻混度の effect は1250C 最悪で 燐入時硬せん ものでさえも割れを生ずるに到る。 llP ち焼 それより高く も低 くも順次良好となる傾向を有す。 入及び焼戻温度の調節では割れを完全に防止す る事はで 5) Al- 8 %Zn-1.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn 合金は実用 きない。 上,下記程度の屈曲には十分堪え得るものと考えた。

276 Vo1.54 No.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 ー超々ジュラルミ ン開発物語- (その 2) 277

(実物写 しの図あ り ) 2) 圧搾法 5. 本系合金並びに Al- 4 %Zn- 3 %Mg- 1 � 2 %Cu­ エリキセン試験機により最大深度をそのエ リキセン値と O.5%Mn 合金は之 にTiO.l% 内外の添加によりて著し く し, 種々 の深度に圧搾 し放置せる に深度の甚だ しきもの 割れの減少を阻止し屈曲法実施後五 日後経過す るも猶割 は卜数時間後に早く も割れを生 じた。 圧搾度の少な きも れず, 先本問題を解決せらるるのではないかと思わる。 のは数 日後更に少な きものは数 ヵ月後を経過するも割れ 然し予断は許さ れない。 機械的性質は E. S.D に伯仲す。J を生 じない。 図〔絡) にその亀裂の一例告示す。 とあり, まずは実験方法を決めて, 実験結果を よく観察 3) 屈曲法 (湾曲法) していることがわかる。 実験方法を更に詳 しく見てみよ 幅25mm, 長さ 180mm の試片をFig.7に示すように両 う。 日本金属学会誌や住友金属研究報告 に報告されてい 端を以 っ て湾曲 し略両端よ り 15mm 内外の所でその間 るのでこれをもとに紹介する。 痛を色々 に変えて銅線にて束ね室内に放覆 し て害lれの発 生を調査 した,1)。 試験結果はその間隔が零の ものは言 時期割れの評価方法は 「元来時期割れと称せらるる現 い換えれば全 く密着せる ものは僅々数十分に して割れを 象は銅合金就中真鍛に特有な ものと して一般に は好 く知 生じ, その距離を次第に遠ざく るに従って割れるまでの られて居る。 これに関する研究論文は内外通 じて沢山に 経過時聞は大となり, 或る距離以上に達すると殆 ど割れ ある。 経合金に於いても亜鉛の多くを含むアノレミ合金の を生 じない。 換言 すれば湾曲試料片の頂部に於ける屈曲 時期割れを起こす傾向のある 事は相当古く か ら言われて 半径の大古に比例 して割れるまでの経過時間は増減する。 居る ものの研究文献に至っては内外国を通 じて全然、皆無 郎ち割れは一定以上の応力を必要 とする。 と言っても差 し支えないであろうJ 32)というこ とで, 4) 管の扇平試験 実験 ・ 評価方法の確立か ら始ま る。 勿論, 当時住友では 外径 20mm, 肉厚 lmm の所定熱処援を施せ る押出管 銅合金の復水器管の研究 も行な っており, 真織 の応力腐 を取り, 長さ 30mm の円筒試片を作りこれを小型万力 食割れは当然J知 られてお り, 銅合金の応力腐食割れの研 に挟み色々 の割合に圧縮 したる儲放霞 して試験せるに, 究 も当然参考に したもの と考え られる。 上記の研究報告 結性約変形を生ず るまで圧縮せるものは比較的短時間に にあった評価方法 も含めて少 し詳 しく述べる。 今では坓 して割れを生じたる も, 然か らざるものは遥かに長時間 たり前になっている方法 も, 過去には文献もな く, ーか を経過す るも割れを生じない。 臨 も書rJれは常に管紬に経 ら評価方法を確立 して材料開発 した先人の苦労を少 しだ 線的に起こる。 けでも理解 できればと思う。 Fig.6 に試験方法を示 4) 引張試験 す,2)。 時期割れの発生は複合応力の引張応力に依哲圧縮応力に 依 りでは絶対的に起こ ら ないと言われ文 は以上の議実験 r 1) 主rJ印法 に於ける害rJれが常に引張応力の働く側に限られて起る事 試料の表面に 7mm角大きさの英字又は数字の婆を持っ 実に線らしでも明らかな ことである。 然し均等な引張応 て刻印 し亀裂の生ずる状況を検するに図に示す様に概ね 力下における時期都れに隠しては嘗て試みられた事を聞 文字の角立てる部分に早きは刻印後数 時間に して割れを かない。 のって本合金に就いて応力 と時期割れとの関係 生じた。 を定量的に明らかにする と共に単純なる引張応力の下に 割れを生ずる ものかどうかを明らかにする為, 図 (略) に示す形状寸法の試片を作り, 水平型弾性率測定試験機 にて害i Jれを試験 した。 図 (略) は号!張応力 と 時期割れを 生ずる迄 の経過時間 との関係曲線を示す。 これに依れば 時期割れは応力の小な るに従って起り難く な り而も曲線 の傾向か ら判断 して大約 15kg/mm '以下の応力では害l れは起り得ないのではないかと思われる。 要す る に引張 応力は合金の時期割れに対 して少な くとも一つの重要な 因子で, 割れを生ずるに必要に して充分な る応力には自 ずか ら限度があ る。 而もその限度は周囲の状況そ の他色々 の条件に依 りて変化する事は言う迄もない事である。」 以上の実験方法を確立 し, r時期割れは結晶粒界に沿 うこと及び合金の引張強さよりも遥かに小な る応力でさ ) (c えも割れを生ずる ことの実験的事実か ら考えて応力が時 bending 期割れに対する充分にして満足な る条件と は考え られな

Estîmating method of season cracking い。 また金属の内部的変化に依 るが如 き本質的な例証も i F g. 6 Cstress corrosion cracking) 32 ) 認め られない。 さすれば応力 と外部的要因と の合成作用

277 278 住 友 軽 金 属 技 報 2013

→ 7我貴F緋匝2必t同草 一寸;由つi !幅祇"\,井4'府脅ド,附 需q判、uイr 㷝川1川州q引l卜琁 舛和、トドl 品三事fl、'l1"'r til'剃ν';V! I d化 時折必桝色'JVr,t午前副作: 持活亡 μ長耐えþl'1-" ,),れ時?νr-' ;-1 I哲夫、 伊�,:ドイ凶�を刻句 j ヤ榊1雇両日付IW1-i 1-<1 ft.i(.,�可制I判.",,->ì1"71i:v-<崎) i! __7-1.'"弌,-, l'(.�r作咋 i It>!乙촖j;wé J.'{)Ì!f-刊行晴℃ゆ/�]._.] 옎 ��,骨lた仏』日記1-tt吋1vl�i叉fTi 語頭f!tj,-ì明主可 j

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Fig. 7 Estimatîon of season cracking by bending test 毘曲試験による割れ評価31)

による ものと考えざるを得ない」 という ことで試験環境 の影響を検討した。 真銭 の時期割れは純粋な空気中や ほぼ成分も固ま り, いよいよ工業的試作の段階に入る。 Ni メッキ を施 した場合には生 じないとのことで, 大気 研究報告 No A241 IE. S, D 軽合金の研究, E. S, D,-No 中のいかなる要素がもっとも影響があ るものかを確かめ 2試作品の二三性能に就いてJ (1937 , 2 ,22) では, E. S, るために, 大気中, 乾燥空気, 㗏索, 窒素, 水素, 真空 D,No , 2 (Al- 8 %Zn- L 5%Mg- 2 %Cu-0,5%Mn) と E 中で湾曲法により試験 した。 この結果,水蒸気中に於け S,D, No , 2 十C rO ,3について工場試作 し, E. S, D,No, 2 る場合がもっとも激烈で大気中での約十分のーで割れた。 +CrO,3 は引張強さ 58�60kgjmm' , 耐力 なお特 に顕著な ことは大気中で は30 分内外で割れを生 48�52kgjmm' , 伸び 1O�16% で所定の規格 (引張強 じるものが真空中では割れを生じないことであった。 次 吉53kgjmm '以上, 耐力 45kgjmm'以上, {I申び8%以 。 に, 結晶粒界に沿って割れることから, 結晶潤腐食性を 上〕 を満足 し, 180 曲げ試験で半径3t と良好, 耐破壊 有する 水溶液も割れを促進すると考え, 各種水溶液で試 性で も二ヶ月以上経過 しでも割れないで極めて優良であ 験した所, 食海水及び塩酸水溶液中でその効果が甚だし る と結論づけている。 これ以降の E. S, D,No, 2 合金に いことが判明 した。 さらに真織や鋼は半田付 け時に応力 関しては0,2-0 ,3%Cr が添加されている。 ほぽ2 月の時 を負荷しながら行な うと容易に亀裂を生じることから, 点までには ESD の合金成分は固ま ったものと考え られ 800Cの低融点金属 (PbSn, BiCd) の溶液に浸すと 1� る。 日本金属学会誌には IESD No, 2に就いて」 を執 2分で割れた。 これも時期書jれの一種とみな しでもよい 筆し, 1936 年ESD を完成したとある剖 ので, 研究報 と考えた。 外部的要素をな くするために合わせ板で試験 告NoA241 執筆の数 ヶ月前に は成分は決ま ったものと した所全 く 時期割れを生じなかったと報告 している。 考え られる。 この日本金属学会誌は 1942 年9月号で, ESD の成分が学会誌で公に されたのはこれが初めてで, 3, 6 時期割れに及ぼす合金元ʞの影響 特許出願してから6年後であ る。 ち なみに真珠湾攻撃 は 前節の第ー報に引き続き, 8月から 12月まで集中 し その前年 1941 年12月 8日である。 なお 7'Jレ コアが て, 板厚 0,5mm 板を製作 しj自由曲 げによる時期割れの 7075 を完成す るのは 1943年であるから, 非常に微妙な 研究がな さ れた。 第11報 (1936 ,12,21) の最後に総括 タイ ミ ングである。 と して, I今, 超強力軽合金 (E. s, D J の化学成分を仮 定すれば次の如 し。 Al, Cu 2, MgZn, 11� 12, Mn 0,5, ESD の代表組成 Al- 8 %Zn- L 5%Mg- 2 %Cu- Cr 0,3, Cu, Cr, Mn の添加盛に関し ては更に研究を要 0,5%Mn-0 ,25%Cr す。 機械的性質は引張強さ 55kgjmm人耐力 45kgj 研究報告 No A352 I超強力軽合金 E. S, D,-No , 2 に就い mm人伸び8%以上」 とある。 て, E. S, D,-No, 2クラッ ド材の性能J (1937, 4 ,27) で

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は, 皮材に AI-2.5%Zn-0.5%Cr を用 いたク ラッ ド材の 日本火工松永氏の ト ム合金関係 13 件に比べて意外に少 性能調査を行 っている。 引張強さ は55kg/mm人 耐力 ないことに驚く。 それらの特許は関連のあるものも含め 49kg/mm 2, il申 び10% で裸材に匹敵 し, 耐破壊性, 耐 て出願順に表に示す。 なお, このESD 関連特許に関 し 食性は良好と の結果であ った。 このクラッ ド材に就 いて ては 1938 年頃か ら米国, 英国, ドイ ツ, フランス, イ はその年の 5月の時点で特許申請中とのことであった。 なお, 研究報告 No.4405 r E. S. D.-No. 2クラッド材の 確性試験J (1937. 5 .27) では 「ク ラッド皮材の拡散性は 相当著しきもののように恩われる」 とある。 これ以降の 研究報告書は一部なぜか欠溶 している。

3. 7 特許出願と論文発表 ESD に関する基本特許は, r鍛錬用強力軽合金」 とし て, 1936年6月 9日に 出願されている。 公告は 1939 年 10 月24日, 特許 と しては第 135036 号と して 1940 年2 月28 日成立。 発明者は五十嵐勇と北原五郎で, 特許権 者は住友金属工業株式会社である。 この特許の第一ペー ジを Fig. 8に示す制。 「発明の性質及び目的の要領J 本発明は亜鉛 3乃至 20%, r マグネ シウムJ 1乃至 10%, 銅1乃至 3%, r クロームJ 0.1 乃至2%を含み 「マ ンガ ンJ 0.1 乃至 2%を含み, 又は含まず残部 「アル ミ ニウ ム」 より成る ことを特徴とする鍛錬用強力総合金 に係り 其の 目的とする処は強力にしてl時期割性無き鍛錬用経合 金を得んとするにある。 1935ω1937 年か けて五十嵐博士に より出願された特許 はTable8 に示すよ うにAI-Zn-Mg 系に関する合金特 許は 5件で, それもCrに関する もの2件のみであ る。 Fig. 8 Patent of Extra Super Duralumin 34)

Table 8 Patents about Al�Zn-Mg alloys

Application (A) Patent Title Inventor Notîfication (N) Claims Registration (R) 114321 High hardened Igarashi A:1935. 4.5 Zn : 5 -25%, Mg 守 1ess than 5 %。 aluminum alloy N : 1935.10.25 Li : 1ess than 3珂 R:1936. 2.4 135036 I-ligh strength wrought Igar阻hi, A : 1936. 6.9 Zn 3~20963 Mg l~20%, Cu l~3%l aluminum al10y Kitahara N : 1939.10.24 Cr : 0.1- 2 %,, (Mn(h4 n : 0.1- 2 %) R : 1940. 2 .28 nQ season cracking

133183 High strength IEarashlj A : 1936. 9.9 Zn e 4~20%, Cu l~3%, ME ・1- 3%, aluminum alloy klta ahra N : 1939. 8.12 Ti : 0.01-0.5%, Mn : 1.2- 3 % R: 1939.11.13 145112 Igarashi, A: 1936. 9.19 CuAl, : 0五-10%, Mg2Si ・ 0.5- 5%, Aluminum al10y Kitahara N : 1941. 4 .30 MgZn2 ・ 2 -20%, Mn : 1.2-2.0, Kosaki R : 1941. 8 .22 Cr : 0.1-0.5%, Ti : 0.1-0.5, Mo : 0.1- 2 % Prevention of grain growth 133193 High har巴dened Igarashi, A : 1936.10.15 (Addit回nal invention to No. 114321) aluminum alloy Kitahara N : 1939. 8 .12 Zn 5~25%, ME el~5%,L1.less than 3%, R : 1939.11.13 Cu : less 七han 3 %,6 Supplement CBrinellP hardness : more than 150) 155806 High strength aluminum Koizumi A : 1939.10.14 Cladding sheet containing Zn : 0.5...... 1.5, al10y clad sheet with zinc N: 1942.12.26 Mn : 0"'-'2 % to aluminum alloy with Zn, R: 1943. 4.2 Corrosion resistance 161892 High strength wrought Kitahara A : 1942. 5 .29 Zn : 3 -20%, Mg : 1-10%, Cu : 1-3 %, light alloy for Kodama R : 1944. 2.19 Cr : 0.1- 2%,Bi ・ 0.01-0.2%, (Mn : 0.1-2%), no season cracking

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タリアに特許出願している。 成立 し た特許は, 米国特許 石田教授 らの特許は, 特許第 137117号 (出願 1938 第2166495 号(米国出願 1938. 6 .20, 特許 1939. 7.18), 4.15, 公告 1939. 8 .19, 特許 1940. 7.1) で, 五十嵐 ら 第2166496 号(米国出願 1938. 6 .20, 特許 1939. 7.18), より約2年遅れて出願され ている。 成分は Zn 第2208186 号〔米国出願 1938. 6.20, 特許 1940. 7.16), 6.0�10.0%, Mg 1.0�3.0%, Cu 1.5�4.5%, Mn 英国特許第 510483 号(英国出願 1938. 6.17, 特許 1939 0.5�1.5%, Sn 0.1�1.0%, Si 0.8% 以下, Fe 0.8% 以 8.2), 519160 号(英国出願 1938. 6.17, 特許 1940. 5. 下であ る。 古河電工の特許は特許第 147525 号(出願 19 19), 仏国特許第 855809 号(仏国出願 1939. 6.6, 特許 38.11.25, 公告 1941. 9 .30, 特許 1942. 1 .12) で, 成分 1940. 5 .21), イタリ ア特許番号不明, ドイ ツにも出願 はZn 4 �10%, Mg 0.5� 3 %, Cu 0.5� 4 %, Mn したが, なかなか承認しなく て最終的に成立 したか不 0.1�1.5%, Si 0.4� 1 %, Zr 0.05� 1 %である。 特に, 明 則。外国特許の請求項目には, 日本の特許になかっ ケイ索と ジノレコニウムの作用により時期割れが防止され た0.01-0.2%Ca の伺時添加が記載されている。 特許成 たとある。 最近の航空機用アルミニウ ム合金は焼入れ感 立させるための方策なのか理由は不明である。 受性等の理由か らクロム添加からジルコニウム添加を基 本とする合金に代わ ってきたが, この特許はその走りと ここで興味深い ことはESD の特許 「鍛錬用強力軽合 も言えよ う。 これに関して, 古河ス カイの小山克己博士 金」 の出願が 1936. 6 . 9であることだ。 この時点でどこ は「当時は十分な組織制御ができなかったためか, 実用 までCrによる時期割れ改善の問題を把握 していたかが イじに はいた らなかった」 と言己している則。 不明であ る。 Cr を添加 した合金について言及 し た報告 太平洋戦争以後, 航空機材料の生産は急を告げ, 陸軍 書は研究報告 NO.3851 ï.超強力軽合金の研究 (第十の三), ならびに海軍の各航空本部か ら, ESD の特許の実施権 超強力軽合金の性質に及ぼす他元素の影響J (1936 を倒神戸製鋼所と古河電気工業側へ委譲す る要請があ り, 6.26) まで見当た らない。 そこには ïCr (少蜜), Ca, 住友 はこれを許諾 した。 1943 年, 倒神戸製鋼所 は, 当 V及びTi の各元索添加は基定合金の性質を低下させる 社にアルミニウム合金に関する技術指導を要請 し, その ことなく, 而もその耐食性を改善す る効果あ り」 とある。 内容は溶解・鋳造・装置・図面・工場実習 ・ 特許を含む ここでいう耐食性とは3%食塩水中に於ける試験で, すべてであったが, 住友は承諾 し て技術指導等が名古屋 熱処理後 「その表面を木炭塊にて好 く 研廃洗浄に し「ア 軽合金製造所で行なわれた2)。 ノレ コーノレ」 中に浸漬乾燥秤掻 したる後, 腐食液 2 リット ノレを入れた る 「ビーカー」 中に硝子保持器にて吊 るし 論文に関 しては, 五十嵐と北原連名で, 1937年2月 300 時間経過したる時, とり出しその表面の付着物を, 発行の住友金属 ・ 研究報告第 2巻第日号 (1937) に「新 地質を筈 しない程度にかきとり水洗後秤蚤した。 耐食性 強力軽合金の研究 (其 1 )J を発表 している。 D, SとE は単位面積 (/cmり に於 ける滅失盈を以て現した」 と 合金を組み合わせて, 加工性の良い 70kg/mm2 の引張 あり, 時期割れのための試験で はない。 強古を持つ合金がで きることを述べてい る。 〔其 3) が 時期割れに及ぼす Cr 添加の影響については, 研究報 なくて, 同上第3巻第 1号 (1938) に 「新強力軽合金の 告 No.4099 ïE. S. D 合金の Cracking に就いて (第七 研究 (其 4)J 37) を, 向上第3巻第3号 (1938) に「新 報)J (1936.11.27) の報告書の中で, ESDNo. l (AI-I0 強力軽合金の研究 (其 5 )J 削を発表 している。 内容は %Zn-l.5%Mg-2.5%Cu-0.5%Mn) にMo, Cr, Co, Ti, 強度に及ぼす亜鉛, マグネシウム, 鏑の最適な成分範囲 Cu, Mg, Be 添加。 ヨ|張強さ は Co 添加が, 耐破壊性は を調べたものであるロ 河上第 3巻第3号 (1938) に「新 Cr 添加が優秀。 Mo はNo.2ほどでない。 Mn1.5% は 強力縫合金の研究 〔其 6) 新合金 RR77 に就て」 耐を 多過ぎと述べられている のが最初と思われる。 勿論, 実 発表 している。 RR77 は英国の規格 DTDNo.363 に記載 験結果と報告書執筆では現在で も数ヶ月のタイムラグの された High Duty Alloys 社の合金で. Ni が添加され ある場合もあるので, 実験結果は もっと早く 出ていただ ている。 其の 2 は少 し遅れて 1939年5月発行の第 3巻 ろうと推定されるが, 多分, ESD 合金の制定の 6月頃 第5号 (1939) に 「新強力軽合金の研究 〔其2 )超々ジュ には, 簡便な方法での時期割れの評価結果は出ていて, ラノレミ ン “ESD" 及び其のク ラッド 材 “ESDC" に就 この結果に基づいて特許が出願されたものと考え られる。 てJ 40) で, 次いで, 1939年9月発行の住友金属 ・研究 報告第 3巻第6号 (1939) に 「高力 Al 合金の時期書lれ 幸田教授によれば 「同 じ頃, 東京大学航空研究所石田 と其妨止に就 て」 が報告さ れている則。 其の 2では 四郎教授らによって, 通称航研超々 ジュラノレ ミンが発明 ESD (ピリオドはな く なっている) をExtra-Super­ され, ま た古河電気工業株式会社において SSD なる超々 Duralmin と呼び, ESDとそのク ラッ ド材 ESDC ジュ ラノレミ ンが発明された。 前者はSn添加によ り, 後 (Extra-Super-Duralclad) の皮材の成分が明らかにさ 者は Zr 添加に よって応力腐食感受性を防止 したもので れてお り, このためか, 発表時期が遅らされている と考 ある。 しか し, ESD ほと、効果的でなかったためか, 実 えられる。 住友金属 ・研究報告がどこまで配布されてい 用にはな らなかった」 とあるお〉。 たかは分からないが, 米軍がその気になれば, 1939 年5

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月の時点、で (の 2) を読めばESD の実態は把握で き ミニウ ム合金J のを執筆している制。 この本では, る状況であった。 いつ研究発表す るかの判断の難 しさは Fig. l0 に示すよ うに当時の軽金属に係わる大家が工学 後にならないと良く分からないのが実情である。 的な視点か ら執筆している。 学会誌関係では 「鉄 と鋼J 23 (1937) には. r新強力 軽合金の研究 (其 I)J が掲載さ れている制。 これは 3. 8 ESD と零戦 1936年10月の日本鉄鋼協会第 16 回講演大会で講演さ 1937年10月 6日, 三菱重工業名古屋航空機製作所の れたも のを論文化したものである。 住友金属 ・研究報告 堀越二郎氏 (Fig. 11) は課長からカナま じりの和文タ (其 1) とほぼ同じ内容であ る。 日本金属学会誌. 3 イプで打たれた一通の書類を受け取った。 それは. r十 (1939) には 「高力 Al 合金の時期割れ と其妨止に就て」 二試艦上戦闘機計酒要求書」 であ った。 円ー二試」 とは が掲載され犯人 住友金属 ・研究報告第 3巻第6号 昭和 12 年試作発令, 艦上戦闘機 とは航空母艦上か ら発 (1939) とほぼ同 じ内容である。 クロム添加が明 らかに 着する戦闘機のことである。 堀越氏は 「この要求書は, されたのは. ESD の基本特許である特許 135036 が公告 当時の航空界の常識ではとても考え られないことを要求 (1939年10月) と して公開された時期とほぼ重な って していた。 もし, こんな戦闘機がほんとうに実現す るの いることがわかる。 なお. ESD の成分が明 らかにされ なら, それはた しかに, 世界の レベルをはるかに抜く戦 たのは, 学会誌と しては前述したように日本金属学会誌 闘機になるだろ う」 川 と述べている。 その要求書は の1942 年9月号で, これらの動向を米軍が把握 してい Table 自に示すよ うな内容であ る。 こ の十二試艦上戦闘 たかどうか不明であるが, 真珠湾攻撃で撃墜された零戦 の残骸を調べれば, 日本のどこで生産 していたかは分か るはずで, きっと湖って調査したものと考え られる。 なお, 当時研究部長であった回選氏は戦後. rESD の 試作に懸命であった1940 年の秋 (?) 某日, 故山本元 帥が中将で海軍航空本部長に内定していた頃であ ったが, 工場に来 られ, 私が ESD の経過を話 した。 「・ー といっ た訳で某大要は学界に も発表J と言わせも果てず 「発表 等はどうでも宜しい。 一日も早く 実用に選進せよ りと の言葉が鋭い。 何奨 ! !という訳でク ロ ム添加に よる時 期割れ防止 も完成, 遂に今次大戦に間に合っ た次第であっ た。 往時五士々の如 し」 と凹怨している4l)。 五卜嵐博士は以上の研究論文と, これまでに発表して きたジュラルミ ン, 超ジュラノレミ ン. 4.5� 8%Mg を 含む などの耐食性合金. 3S や4Sなど のAl-Mn 系合金, ジュラノレミ ン系プロ ペラ用鍛造品, 鋲材, マグネ シウム合金の防食性についてまとめ. 1939 年4月学位論文と して大阪帝国大学工学部に提出 し工学 博士が授与された。 Fig. 9は生家に保管されていた学位 記であ る刷。 なお. 1937 年発行の共著 「軽金属及軽合 Fig. Cover of book titled Recent Progr巴田S on 10 Light Metals and Light Alloys 3)4 金最近の進歩J (工業図書株式会社) には 「耐食性アノレ

Fig. 9 Diploma of Dr.Igarashi 42) Fig. ll Mr. J. I-Iorikosi 48)

281 282 住友軽金属技報 2013

機はのちに太平洋戦争で空の王者と して君臨 した 「零戦」 定。 第二にプロペラの選択, 第三に霊童軽減対策, 第四 の試作段階の呼び名であった。 に空力設計, つま り機体の空気抵抗を少な くし, 問時に 理想的な安定性, 操縦性を実現する こ とであると。 第一 このよう な要求が出てき た背景には, 当時, 目撃事変 のエンジンは璽盤の軽い瑞星を使う ことに決め, 第二の の翠中戦線での戦闘機の護衛な しで裸同然、の出動 した日 プロベラは新式の定回転プロペラを使用 することになっ 本海軍自慢の新鋭攻撃機が, 予想に反して迎え撃つ敵の ていた。 このプロベラ製造に関しでも住友金属はj活躍す 戦闘機にばたばたと落とされる事態が起った。 その後, ることになるのであるが, これは�IJ途稿をあ らためるこ 攻撃機の護衛についた九六鑑戦が, 海軍の期待 したとお とにする。 最大の難関は第三の重量軽減対策であ った。 りの強古を発揮 した。 そこで, あ らためて戦闘機に よっ このため一律であった安全率の見直しゃ, グラム単位で て空の主導権を握ること, つま り制空権を確保す ること の重量軽減のために, I肉落と し」 と称して, 強度に関 が航空戦の基礎であ ることがはっ きりと実証されたため 係のないところをく りぬく ことも行われた。 重盠の軽減 である。 そこで大機を落とすために 20 ミ ワ機銃を持 には, このほか, どのような材料を使うかという ことも ち, 問時に, 攻撃機を談衛まで して敵地ま で長距離を往 おおいに関係がある。 復し, しかも, そこで待ち構えている敵の戦闘機に打ち 特に, 内部構造で最 も重要な主翼の桁につ いても, 可 勝つ空戦能力をもたせ たいという要求が出て きた叫。 能な限り軽く てしかも強い材料を使いたかっ た。 前の九 当時, 三菱の主任設計技師の堀越氏は, この機体の設 六式鑑戦のときは45キロ超ジュラルミ ン (SDH) が隠 計の問題点、を四つに整理 していた。 第一にエ ンジンの決 発され, その押出形材が生産されていたので, 認を溶 く

Table 9 Specifications for Experimental 12-shi Carrier-Based Fighter requested by Navy44 ) 卜二試艦上戦闘機計画要求謬

Item 8pecifícation

Mission A Fighter capable of intercepting and destroying enemy attack bombers, and of serving as an escort fighter with combat performance greater than that of enemy interceptors. 掩謎 (え んご)戦闘機として, 敵白戦隠機より もすぐれた空戦性能をそなえ,迎撃戦闘機 として, 敵目 攻撃機をと らえ, 撃滅できるも 白。

Dimensions Wingspan less th叩 12m 全幅, つまり主翼白はしからはしまで田長さが12 メートル以内。

Maximum Speed Maximum speed exceeding 270kt, 500km/h at 4000m in level flight‘ 高度 4000mで 270 ノット (500kmル) 以上

Climb Climb to 3000m within 3min30sec. 高度 3000m まで3分30秒以内で上昇でき ること

Endurance Normal flight duration of 1.2-1.5hr with normal rated power Cmaximum continuous) at 3000m fully loaded with auxiliary fuel tank; 1.2・1.5hr at 3000m using normal rated power, or 6-8hr at maximum crU1smg power 機体内 に備え付けられたタンク田燃料だげで, 高皮 切OOm を全馬力で飛んだ場合, 1.2 時間ないし1.5 時間。 増設燃料タンクをつけた過荷重状態で, 同じく 1.5 時間ないし2.0 時品も ふつ うの巡航速度で飛んだ場合, 6 時間ない し8時限。

Takeoff Less than 70m with head wind of 12mjsec and approximately 175m in calm win. Must be able to take off from a carrier deck 航空母艦上から発進できるよ うにするため, 向かい風秒速 12m 由とき70m 以下。 (無風な らこø2.5 倍 内外)

Maneuverability Equal or better than Type 96 FighterA5M 九六式艦上戦闘機 2号1型に劣 らないこと。

Two Oerlikon Type 99, 20mm machìne guns Mk.l, Model 3, and two Type 97, 7.7mm machin guns. Armament 20 ミリ機銃 2 挺。7.7ミリ機銃 2 挺。

Type 96�ku�1 airborne radio and Type Ku�3 radio homer Radio ふつうの無線機白ほかに, 鋻波によって帰。由方向を正確にさぐりあてる無線帰投方位測定器を積むこ と。

Mitsubìshi Zuisei 13 of 875hp at 3600mor Mitsubishi Kinsei 460f 1070hp at 4200m Engine 三菱瑞農13裂 (高度 3600mで最高875馬力) か, 三菱金星46 型〔高度 4200mで最高速度 1070 馬力) を 使用田 こと。

282 Vo1.54 No.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 超々 ジュ ラJレミン開発物語 (そ の2) 283

し, 重盛軽減に大いに役立った。 十二試鶴戦では, 機体 なった。 その後, 特に設計妥件の見直 しをする ことによ がさ らに大き くなる ため重量増加が避け られない。 九六 り操縦応答性の面で画期的な進歩を遂げた。 1940 年4 式緩戦と興じ超ジュラノレミ ンでは, 桁用の押出形材を分 月末までに十二試艦戦を前線に送ろ うとしていた矢先, 厚く しなければな らずその結果重蚤増加につながり, 桁 3月 11日, 十二試の 2 号機が横須賀で空中分解 して, の部分が分厚 く なると潔も厚く せざるをえなくなり, いっ パイ ロットが殉職 したとの連絡があり, この原因解明が そう惑く なると考え られた。 緊急に必要になった。 3 月16日, 検討会が開催され, 従来のジュラノレミ ンを更に改良したものか, あるいは, 機体強度研究の主任である山名正夫技師が, 十二試艦戦 別の もっとす ぐれた軽い金属はないだろ う かを堀越氏が で始めて採用 した超々 ジュラノレミ ンESD の主翼桁の疲 考えて いたところに次のような住友の ESD との出会い 労強度に疑わ しい点があ ることと, 外板打ち付 けのため があ った。 の沈頭鋲が外板に しわが寄る ほど強い力が加わ ったとき 「ある日, 会社の材料購入を関当 している木村技師が, に, 抜けるおそれがあ るのではないかといって, 主 lJii が 郷越氏の机にぶらりとやってきて, 次のよ う な話を して 単なる衝撃で折れたのか, ESD の時期割れか金属疲労 いった。 『堀越さん, い ま住友で非常に強い新しい合金 によるひびが入 っ て飛行中に折れたのか実験中であ ると ができかかっている らしい ですよ』 と。 話によれば,従 述べた則。 来の ジュ ラノレミ ンの成分を少 し変えて, 強度の高い材料 3月 18 日 の空技廠の事故調査委員会で, 折れていた を開発 し, 試験的に生産に入れる段階だという。 私はこ 主翼桁の破断面を観察 し た結果, 心配されていた超々 ジュ の話におおいに興味をそ そられた。 そこで, 住友金属に ラルミ ンの時期割れの現象は起っていなかったことが確 問い合わせる と, 担当者が直接私に説明しながら, 実物 認されたこと , さ らに疲労試験 も行な ったところ, 空中 を見せたいという返事がきた。 早速, 大阪の住友の工場 分解となるような疲労破壊 も起っていなかったこと, た に飛んでいって, 五十嵐博士 と小関技師か ら r60kg/ だし桁の削り落と し部分は, 段付 のシャープ コーナーに mm 2 の強度があることについては, 住友 と して任を なっているため耐用時間が予想よ りかなり短い こ とが明 持って保証で きます。 海軍の材料規格にはまだ採用 され らかとなった。 枕頭鋲 も今回の事故と関係がないことが ていませんが, I時期割れの問題は, j申出形材に関す る限 明らかとなった。 他に先駆けて採用 した超々 ジュラルミ りすでに技術的には解決 しています.JJ 15,46)との説明を聞 ンに濃厚な疑いをかけられたが, Iシロ」 という ことで き, 実物を見せてもらっているう ちに, 私は, これは使 落着した。 切り欠き疲労強度の低下はそれ以降のコーナー えるぞ, と判断した。 そして, この新材料を使用するに の形状変更となった則。この事故の原因は昇降舵マス あたって, 注意 しなければな らない点をよ く聞いてきた。 バラ ンスの横揺れ振動が繰り返し起り, 次第にその腕に 私は, さしあたり, 主認の桁だけに押出形材を使う とし 疲労破壊が生じてマ スパラ ン スが脱落 して, その後尾部 て, 大まかにm掻を討 算してみると, 30kg は軽 くなる でブラッターが起 り, 空中分解 したとの結論に逮 した。 ことがわかっ た。 そこで, 会社か らこの新しい金属の使 前述の空技廠の川村氏 も「主翼の破面が材木を折 ったよ 用を航空本部に願い出た。 すると, 航空木部で もすでに うな破蹾なんで, 飛行機の落ちた原因は ESD のシーズ この金属に注目 して おり, 許可す る 一歩手前ま で来てい ンク ラック (時期割れ) ではないかと随分突 っ込んで調 たとのことだった。 海軍側はむ しろ願い出を喜んで, こ 査した」 と述べている則。 の新材料の使用を認めてくれたJ 1940年7月, 十二試艦戦は制式機として採用 され, 29.44,45,刷。 第四の空力設計は, 胴体の形状, 主認の断面と面積, その年が 日本紀元 2600 年であ ったところから, その末

翼端の形状, 尾翼の大きさと形状などを検討し, 最適な 尾の零をとって, I零式艦上戦闘機一一型」レイクキ と名付けら 形状を決めていった。 空気抵抗を減 らすために, 引き込 れた。 「零戦」 とは 「零式艦上戦闘機」 の略称である。 み脚や沈liJj鋲が採用 された。 「ゼロ戦J というのは外国のパイ ロットから 「ゼ ロ・ファ かく して, 堀越氏の言によれば, 千篇一律的な安全率 イター (Zero Fighter) J Iジーク (Zeke) J と呼ばれ, の規定を洗い直 して, 新たな合理性の うえに設計方針 を 外国の評判などから戦後生ま れた零戦の愛称である。 一 立てるという冒険的方法にはじまって, 超々 ジュラノレ ミ 一型は零戦の改造の型式で, 数字はエ ンジンと機体の変 ンの採用という, 日本の航空機史上画期的な事件にいた 更(改修) 回数を表 l..,最初の数字 はエ ンジンが変更さ るまであらゆる手段を研究 し取り入れて, 1939. 3月試 れる と 「一号, 二号」 と数え, 二番目の数字は機体が変 作第一号機が完成 した。 試作機は数個の部分に分解され 更される と 「ー裂, 二型j と呼ばれ, I一一型」 は「一 梱包されて, 3月 23 日午後7時過ぎに, 牛車 2台に分 号一型」 のことである。 海軍航空本部は大陸での零戦の 載さ れて, 名古屋市の南はずれ, 港区大江町の工場を出 目覚ま し い活躍でその性能の優秀さを認め, 中島飛行機 発, 名古屋市内を夜の うちに通過 し. tj\t放, 犬山を経て, にも零戦を生産させる事を決めた。 これは, 三菱のf量産 まる一日がかりで, 約48km はなれた岐阜県各務原긻行 能力 に対 し, 当時最新鋭だ っ た新設の小泉製作所に, ア 場の片隅に或る三菱の格納庫に着いた。 初飛行は 4月1 メリカ流のオ トメーショ ン生産ライ ンを整えた中島飛 日で, ほぼ満足の いく結果も得たが, 問題点も明らかと 行機の蚤産能力が高 く評価されたためである 47)。こう

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いう場合, I製造権や特許権の問題は, 民間同土に於 け る場合とは遠い, 開発を担当 した会社に対して適当な額 の報償を支払い, 海軍が指定 した製造を受け持つ会社に いっさいの技術資料と技術援助を与え ること」 で決着が ついた。 第67号機以降は, 艦上で取り扱いやすいよ う に, 左右の認端を折 り 曲 げられるようにした零戦 21 裂 に変更された。 その後, 主�ll塁端の折り たたみ機構を廃 止し, 高高度で は回転数を高い方に切り替えができるこ 速過給器付 きの中島製栄 21型エンジンに替えた零戦三 二型となった。 1941 年12月太平洋戦争に突入 し, 真珠 湾攻撃やフィ リ ピン進攻, 翌年 3 月のジャ ワ 作戦, イン ド洋作戦に至る太平洋戦争中盤までは, その性能を発揮 し華々 しい成果を上げた。 1942年6月のミ ッ ドウェー c"銘'"陶n offront 叩"' 海戦での敗北が太平洋戦争の転回点となった。 伺時に行 F,副首 <'lJld rear spar われたア ザューシャン作戦で, 無人島に不時着 したほと Fig. Zero fighter, Model 52 (A6M5) and 12 んど無傷の零戦一機を アメ リカが手に入れた。 アメ リカ the structure of i回 mam wmg は, 真珠湾攻撃以来, 落ちた零戦の切れ端を集めてまで も, 謎の飛行機といわれる零戦の秘密を解き明かそ うと 航空機産業関係者の 目を覚ま させる一因となった」 則。 していた。 そして, こ の完全な零戦に飛行試験を含むあ 当然ESD が主׏桁材に用 いられ たことは1941�42 年 らゆる角度からの調査を施 し, その長所と短所を完全に にかけて撃墜さ れた零戦か らも把握 し, アノレコア社に伝 知る事ができた。 調査の結果は, 新戦闘機の設計の上で えられていたと考え られる。 も, 零戦と の戦術の上で も非常に大き な役割を果たす事 になったといわれている。 調査の結果, 零戦が優れた旋 3. 9 超ジュラルミン, 超々 ジュラルミンの増産1,2.3) 回性能と上昇性能, 航続性能を持つ一方で, 高速時の横 1935 年, 住友伸銅鋼管闘は附住友製鋼所と合併し, 転性能や急降下性能に問題があ ることや装甲板 ・ 防弾燃 住友金属工業側が設立された。 同年におけるアルミニウ 料タ ンク ・防弾ガラス ・ 自動消火装置な どが搭載されて ム合金の生産高は 1400 トンであったが, 後半か ら国際 おらず防御性能の弱いことが判明 し, 零戦と普通に戦っ 情勢の緊迫化による航空戦力の大幅増強の必要か ら飛行 ては勝 ち目のなかったF4Fワイノレドキャッ ト戦闘機は 機材料の増産が要求された。 1937年2月にはプロペラ 急降下 し接近 して銃撃し, 優位速度を維持したまま旋回・ 需要激増による鍛造工場拡充計画が立案された。 さらに, 離脱, 再度急上昇 し優位高度を回復す るー嫸離脱戦法と 陸・海軍による 3 回の増産計聞により, 陸軍 は 7418 ト 2機編隊を紐んで攻撃するサッチウィープなどの戦法を ン/年, 海軍は 4400 トン/年の目標が立て られ, 大阪桜 とって, 零戦に対 して優位に立った。 こ のため零戦の翼 島の伸銅所に飛行機材料専門の製板課第二工場, 管棒諜 幅を 11m に短縮 し, ロケッ ト排気管を採用 し最大速度 第二工場が建設 され, 1938�1939 年稼動を開始 した。 565km/h が出せる五二型に改良された。 1943年9月に 1938 年末に, 海軍航空本部か ら月産 1364 トンのアノレミ はアメ リカ海軍の新戦闘機グ ラマンF6F ヘノレキ ャッ ト ニウム合金生産の要請があ り, 既定の増産計 画の 3倍も が「打倒零戦」 のかけ声と ともに登場 してきた。 道動性 の要求で, 伸鍛所に は拡張の余裕がな く, 新工場の敷地 能に後れた F6F の出現で, 零戦の苦闘が始ま った。 こ が検討さ れた。 新工場敷地と しては, 空襲, 天災などの うした事態に対処するには, 質的にさ らに勝った新しい 危険 も考慮に入れて, 各地を物色 したが, 結局航空機製 戦闘機を投入す る必要があ ったが, 設計の人手不足な ど 造の中心地となってい る名古屋に決定 した。 で後継機をすぐにだすこ とができずに終戦と なった。 こ 敷地 は, 1939 年はじめ, 航空機事業を手がけていた の間, 零戦は各型合計すると約 10425 機生産された削。 愛知時計電機(閥青木鎌太郎社長の斡旋で, 名古屋市港区 Fig. 12 は零式艦上戦闘機五二型で, 主翼桁材に ESD 押 千年の水回に, 工場付属地として博覧会跡地 4万余坪を 出形材が用 いられた。 加えた約 四万坪を入手 した九 この地域は, 1937 年, 米軍は撃墜された機体の残骸の回収を行っており, 名古屋市長の大岩勇夫氏が名古屋開港 30 周年, 国際都 「真珠湾攻撃の際に撃墜された機体も数機分回収 されて 市と しての名古屋をアピーJレするため名古屋汎太平洋平 おり, まずそれらの分析が進め られた。 機体の構造や材 和博覧会を開催 した会場跡地になっていた則。 もとも 質については詳縮な デー タが取られた。 米軍を驚かせた とこの会場と なった南区熱田前新聞 (現在の名古屋市港 のは機体に使われた超々 ジュ ラノレミ ンの強度の高さであ っ 区港明 ・ 滋楽一帯〕 は, 1935 年に会場が決定 した当時 た。 それは当時, 日本の航空機関発技術に対 して 「欧米 は, 港北耕地整理組合が管理す る驚の茂る田んぼにすぎ に数年は遅れてい る」 と考えていたアメ リカの陸海軍や ない地域であった。 大岩氏には名古屋に自動車産業を誘

284 Vol.54 No.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 一超々 ジュラルミ ン開発物語ー (そ白 2) 285

致 して 「中京デトロイ 卜」 にする構想があ り, その一環 ためには, 高品質でかつ大型鋳塊の必要性が生 じてきた。 として, 交通網な どイ ンフラ整備のため博覧会が開催さ 1936 年春頃の外国雑誌に. rこれからは連続鋳造法に向 れた ものと考え られる。 名古屋汎太平洋平和博覧会 かわねばな らぬ」 というこ三行の記事があり, これに着 (Fig. 13 ) は1937年3月 15 Bから5月31 日まで開催 目したのが佐藤新治氏である。 1937 年彼は 「物事すべ され, 入場者数は 480 万人, 海外か らの参加は 29 カ国 て棋本は素質である。 素質のないものでも努力すれば上 であ った。 手の域に達するが, 努力 だけでは名人になれない い, し 1939 年7月杉浦調三氏を部長と し て臨時名古屋工場 かして, 素質のよい鋳塊吾作るには連続鋳造法以外にな 建設部が設置 され, 鋳造, 製仮, 管棒, 鍛造を持つ総合 い」 という趣旨の報告書を当時の製造部長である丸山五 的援合金専門工場の建設に あたった。 同時期に, 国家総 男氏に提出し, 許可を得て実験を関始した。 その後, 建 動員法の公布で{申鋼所騒合金関係工場, プロペラ製造所 設中の名古屋経合金製造所は米国の United Engineer­ 全工場な どが陸海軍共同管理工場となり, 管理官が派遣 mg社のス トリップ方式庄延設備を導入す ることとなり, され, 生産 または修理の業務に関 し, 陸海軍大臣の指揮 製板用角型大型鋳塊を必要と したため, 大型鋳塊連続鋳 監督を受けることになった。 1941 年9fl名古屋経合金 造技術の完成が必須となった。 これを担当 し た鹿子木立 製造所が設置された。 所長に杉浦稿三氏, 副所長に丸山 郎氏は銅製鋳型を用 い, 鋳型内面に塗池 L. 溶湯注入の 正男氏が웻し, 五十嵐博士もこのときに研究部長となっ 工夫や底板にダミーブロックをおくなどして. 1941 年日 た。 1942年2月名古屋軽合金製造所 も陸海軍共同管理 月, 長さ 1200mm. 約400kg の鋳塊を製造する SKS-V 工場となった。 この工場は, 当時伸鍋所で関発中であ っ 式と呼ぶ鋳造法を完成させた (Fig. 14 ) 1."0 1942 年 た連続鋳造法による大型鋳塊を用いることを前提と した には, 反射炉の前に深さ 5m余のピッ トを作り, 其の ストリップ方式圧延の製板工場を 目標と した。 中にダミーブロ ッテ付き降下装置を据え付け, 鋳裂を設 1943 年に入ってから工場の整備が急速に進み, 反射 置し, 二つ の取鍋で交互に鋳裂の中に槌を通 じて溶湯を 炉30基, わが国最初の連続鋳造設備, 可逆式二段熱問 流しこんで, 最大 1400kg. 厚さ 22日mm. 幅600 及び 圧延機な らびに凹段冷街圧延機, 大型押出形材生産用 800mm. 長さ 4000mm 程度の ものが造塊された。 実際 3600 トン横型水圧押出機, プロペラ麹索材生産用 の の圧延には 400kg. 600kg 鋳塊が用 いられたので, 一本 4000 トン竪裂水圧機. 35000kg-m エアーハ ンマ一等を のス ラブから 3枚取り または2枚取りされ た。 当初, 設備 し た総合軽合金工場となり, その生産量は最盛期に Vereinigte Leichtmetallwerke GmbH (VLW 社) の は月産 4000 トンであった。 なお, 鋳物J関係は 1943 年名 技術導入で製造す る予定であ ったが, 古河電工が先に交 古屋経合金製造所鳴海支所 と{申鋼所豊橋製作所, 伸鋼所 渉していたため技術導入はできなくなった。 このため箆 竪国製作所が設置され, そち らに移管された。 鋳造, 圧 子木氏は 1937年のドイツの 誌に掲載され 延, 管榛, 形材, 鍛造の技術の進歩を紹介する。 た連続鋳造法に関する記事や VLW社のイ タリア特許 を参考に, 大型鋳塊の製造の実験を行い, 鋳裂, 形状, (1) 鋳造技術 鋳込み法, 冷却法, 亀裂防止, 異常結品粒や発汗の防止 製板技術の発展に伴い, ストリップ方式で圧延を行う に独自の技術を確立し 3 件の特許を取得 し. 1942 年名

Fig. 13 Poster and site map of Nagoya Pan-Pacific Peace Exhibition Cwhite text shows the present place name) 切〉

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_.

CooUng water 十 日 Cooling +自 wat

a} Mold v。unng Fig. 15 Continuous casing mold for bil1et (Lefむ 18 cover for Duralumin or Super Duralu皿m, Right is for Extra Super Duralumin) 1)

たが, 12 日後, ドイ ツはソ連に対し宣戦布告を した。 7月にハノ ーパーに着き, 空襲の最中 VLW での研修, VLW の連続水冷鋳造法などの技術習得を行な った。 11 月にハノ ーパ を引 き上げたが, 日米開戦の危機 です ぐ に帰国する ことは難しくなったロ 購入機械類や 1fI10.15mm holes 技術資料は漏水艦で 日本に運ばれた。 1942年9月, 3 b) Nozzle c) Mold f1ange 帰国手続きをとったが, ソ速を通過す る ピザが取れず

Fig. 14 Continuous cas回g mold for slab 翌年まで持ち越された。 1943 年の春, 技術資料や駐 1) 在員 との連絡で 日光で は連続水冷鋳造設備を作 り上げ 古屋軽合金製造所にて量産化 した。 連続鋳造法の確立は た。 その結果, 24S はできたがESD は良品がで きな 製板工場のス トリップ方式圧延設備の生産性向上に大き かった。 1943 年10月ようやく ソ速道過 ピザがお りた く貢献した。 この連続鋳造法ではジュ ラJレミ ン , 超ジュ が, 一社 2名までということで北島にはピザは発給さ ラノレミ ンだけで, 超々 ジュ ラノレミ ンは鋳込んで放霞する れなかった。 一人残された北島はベル リンの空襲の中, と割れる といった問題があ り, Züblin 法 (SKS-VI式〕 I市をや ら れて闘病生活となり, 陸軍の計らいで ドイツ が適用 された。 Züblin 法は鋳型の一方の縁を解放 して 陸軍傷撰軍人療養所に入った。 戦況が悪化 し1945 年 おき, そこか ら水平な樋で溶湯を流 し込み, 鋳型を降下 1月にはスイスの結核療養所に移 ったが, 9月 18日 させてい くと同時に縁の解放さ れた部分を逐次塞いでい 39 歳で客死 した51)。 1. ) く方式である (Fig. 15 ) 2 0 Züblin 法による ESD 板 用鋳塊は, 厚さ 120mm X幅400mm X長さ 600mm (約 (2) 圧延技術 80kg) 程度の ものであ った。 a. {I申銅所製板第二工場 1935年ころから, 超ジュラノレミ ン が飛行機の外板材 (注〕 古河電工は 1937年目月の工場事業管理令に基 としてf量産 に入って多忙を極めた。 そこで桜島の伸鋼所 づいて, 日光と大阪の工場が陸海軍の管理を受けるよ に大板を専門とする製板課第二工場が建設される。 1938 うになった。 特に古河は陵軍か ら の要請で航空機用 ア 年頃か ら稼働 し, 主要設備 は圧延機 12 基である。 大板 ルミニウム合金の大盤生産のための新工場の建設が必 の生産には, 熱間圧延機として米国 Mesta 社製の三段 要にな った。 新工場建設に あったっては外国の最新の 圧延機((22', 30') X 66') 1基, 冷間圧延機には 技術導入することが不可欠であった。 当時, ALCOA United Engineering (U. E.) 社製の三段圧延機 ((20ヘ やVLW が第一級の技術を有 していた。 1938 年 VLW 30つ X 66つ l基と二段圧延機 (28' X 60つ 4基, 日立 から技術提携の話があ り, 鋳塊を作る技術では VLW 製作所製二段圧延機 2基 (28' X 61ぺ 28' X 66'), その が優れていると判断し, 1939年8月古河と VLW は 他U.E. 社製四段帯板圧延機 1基有していた。 製板第一 契約を結び, 溶解鋳造, 圧延, 鍛造, 押出, 研究に関 工場で押えEE延された熱問圧延板を用いて大板が製造さ して技術導入を行い, 技術習得の ために三ヵ年で技術 れた。 大板の圧延工程は次のようであった。 者を三回派適する こととなった。 派遣されたのは松尾 敏彦, 川村知, 北島正光の三名 で, 1941年5月シベ リア経由で ドイ ツに向か った。 6月にベルリ ンに着い

286 Vo1.54 No.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 超々 ジュラノレミ ン開発物語 (そ白2) 287

加熱→熱間圧延 (0.25")→焼鈍→両耳切断→ 地取切断→冷間圧延 (三段圧延機, 3mm) → 地取切断→焼鈍→{器取 り→冷関圧延 (1.5mm) →焼鈍→二枚合せ圧延→ 0.8mm →焼入れ→洗 浄→ス キンパス (→焼戻 し〕

熱間圧延での問題点と しては, 第ーに, 押え圧延では 端面割れが多かっ たが, 時折表面割れも発生し, この場 合は両面を 5�6mm面削した。 第二に, 三段圧延機 では軽圧減率の加工なのでク ロコダイJレを発生 しやすい ことや合せ板圧延開始時に上田j皮材が剥離 し飛ぶことが あった。 第三に, 熱陪圧延板の キャンパが不揃いであっ Fig. 16 Reversible 2 Hi hot rol1ing mill, Rl, restored たため, 圧延 ごとに冷却水蜜の調整が必要であった。 after World War II (from 100Yeαrs 01 Working 肌th and b名古屋軽合金製造所 Aliminum, 1897�1996, Sumitomo Light Metal, 1997) 名古屋軽合金製造所の熱間圧延では連続鋳造法 による 大型鋳塊をス トリップ方式で圧延する, 当時と しては世 界で も極めて新 し い試みで圧延が行われた。 この方式で は幅 1000mm板用ス ラブをU.E 社製可逆式二段圧延 機(Fig. 16 ) で厚さ 6mmまで熱間圧延後, コイノレア ッ プする。 焼鈍後, 冷問中且圧延は U.E 社製2スタンドタンデム 四段冷閲圧延機 (Fig. 17 )で3パス遜板し, 中間焼鈍 を入れて, その後シングJレの U. E. 社製 4 段冷間圧延機 で圧減率 50% の仕上圧延を行い, 板厚 0.5 ならびに 0.6mm とした。 ストザップ方式で庄延した板はジュラ ノレ ミン (D2) , 超ジュラノレミ ン とその合せ板 (SD, SDC) の3種類で, 板厚は 0.4�1.2mm , 幅1250mm Fig. 17 4 Hi-2 stands tandem cold rolling mill 以下であ る。 超々 ジュラノレミ ンESD と ESDC は従来の (pictured in 1958) 圧延方式であ った。 (from 100Years 01 Working with Cop 可逆式二段熱間圧延での超ジュラノレミ ン 合 せ板 per and Aliminum, 1897-1996, Sumitomo Light Metal, 1997) (SDC) の圧延工程は次のようである。

400kg スラプ→押え圧延 (厚 さ 135mmX 幅 焼入れに は硝石炉を使用 し, 大板はつ り下げ方式であ 850mm) →面削 (片逝 10mm) →洗浄→皮板 るが, 小板の場合には寸法によ ってコイル (最終単霊 付け→加熱→熱間圧延 (厚吉 6mmX 椙 40�50kg) のまま焼入れしたこともあった。 1l00mm) →両耳切断 (隠 1050mm) 現在行われて いるストリップ方式の圧延技術の基礎は, 小幅圧延か ら始ま り, 連続鋳造法の開発と棺侠って, 傾斜鋳造法による鋳塊の熱間圧延には, 日立製作所陱 1942 年以降, 名古屋軽合金製造所に よって完成された。 二段圧延機(30" X 70つ 2碁, 冷間圧延に はU.E 製三 これは, 戦後公表さ れた欧米各国の技術水準 と比較して 段圧延機 ((31ぺ 21') X 72つ l基, ならびに U.E 製 何等遜色がなか った。 二段圧延機 ((32ぺ 36つ X (66�96)つ 7基が用いられ 1944年における伸鋼所製板課第二工場の7ノレミニウ た。 小幅コイノレの冷問圧延には, Schmitz 社製 (500 X ム合金生産震は 500�600 トン/月 , 名古屋軽合金製造 800mm) 2基, Farrel 社製 (20' X 32つ l基の二段可 所製板工場は最盛期に は2000トン/月 (内, ストリッ 逆式圧延機があ り, そのコイ ル単霊は 50�60kg であっ プ方式が 1500 トン/月 ) である。 た。 その他, マグネ シウム合金庄延用 に日立製作所製二 段圧延機 (36' X 130") 4基, 復水器管板用 ネーパノレ黄 (3) 管棒技術 銅いた熱間圧延用に目立製作所製二段圧延機 (36" X a. {I申鋼所管棒課第二工場 130') 1基が据え付け られていた。 1939 年頃か ら稼働開始 し, 主要設備は横型水圧押出

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機4基, 竪型水圧押出機 2基, 製管製棒用 の二段溝 口 一 b名古屋軽合金製造所管棒工場 ノレ 2基, 鎖式拍伸機 18 基であ る。 横型水圧押出機は 押出形材生産用 に横裂水圧押出機が 7基設置 古れた。 Hydraulik 社製 1500 トン (鋳塊直径 6 " ) , その後増設 され, 計lUまとなった。 ESD は 2000 トン Schleomann 社製 3600 トン (10つ, 同2000 トン (7つ, 級以上の押出機で生産され, 最小肉厚は 4mm とした Southwork 社製 1000 トン (5つ の計 4基であ る。 前3 が, 主に 6mm以上の肉厚であ った。 押出速度は SDが 者は棒材に も使用されたが, 形材が主であった。 2 �2.5mfmin, ESD が1�1.5mfmin であ った。 Southwork 社製は主に棒材に用いられた。 竪型水圧押 ESD よりも押出性のよ い合金が要求され, Cu 翠2% 出機は Hydraulik 社製複動型 1000 トンが2基で, 管専 を1.1% に減らし. Mg, Zn :f置を少 し増や したNSD 合 用であった。 素管 はマンドレノレ押出方式で製造された。 金 (Table 10 ) 日が作られ, 押出速度が 3 mfmin とSD 材質 は ジュラノレミ ン, 超ジュ ラノレミ ン等で, ESD は比 より優れた ものができた。 合金の名前の NはNagoya 較的少なかった。 用途と しては飛行機の小骨その他の構 のNである。 合金成分が ESD の続格範囲内であ るので, 造材, 操縦梓, エンジ ン台底, 給油配管であ った。 鋲用 名古屋の海軍監督官が承認 し生産に踏み切った。 に線材が製造された。 線材は竪型水圧機で八角形断面に 鍛造後, 三段溝口ーノレと二段潜ローノレで縮径 した後, ド 当時の押出形材生産上の宿題は, 押出材尾部の結晶粒 ラム抽伸された。 粗大化, 押出性が形状寸法に依存す ること, 押出材尾部 のま くれ込みであ った。 押出形材の矯正方法は, 引張り b. 名古屋経合金製造所管捧工場 矯正, 叩き矯正, プレス矯正, ツイスタによる振り矯正 1941 年, 主要設備と して, 横型水圧押出機8, 竪 型水圧押出機およ び竪型水圧機 l基, プロペラ惣素材用 の圧延溝口ーノレ3基, 鎖式抽伸機 17 基, 20 ト ン及び 300 トン引張り矯正機各 1基, リーラ矯正機が設置され た。 Fig. 18 は 2000 ト ンの横型押出機である。 いずれの工場で も, ピレッ トの直径は 5ぺ 7 N, 9 N, 10" で, 傾斜鋳造法で製造され, 名古屋では連続鋳造法 も併用された。 焼入れは硝石炉が用いられた。 生産盛は 伸鋼所 (桜島), 名古震でいずれも管棒が 300 トン/月 であった。

(4) 形材押出技術 a. 伸鋼所管棒課第二工場 押出形材に使用されたのは, 横型水圧押出機は Hydraulik 社製 1500 トン (鋳塊直径 6 ' ) , Schleomann 社製 3600 トン (9', 10'), 同2000 トン (7')で , Schleomann 社製 3600 トンは当時と しては最 大級の もので, 主翼桁用 ESD 大型形材の生産に用いら れた。 大型の場合には10" に取 り替えた。 Schleomann 社製 2∞0 トンは中型形材の生産に使用 された。 肉厚は 1.2, 1.5mmであったが, 1.0mm の場合には, 1.2mm Fig. 18 Horizontal hydraulic pressure extrusion press for shapes で押出 した後に 4'ロールで圧延して lmmとした。 な (from 100YI曲目 。1I Working 勤 お, 1940�1941年頃ク ラッ ド形材やマンドレJレを摺 with Copper αnd Aliminum, させてテーパー形材の実験を している。 1897-1996, Sumitomo Light Meta!, 1997)

Table 10 Chemical co皿positions of ESD and NSD (mass%) 1)

Zn Cu Mg Mn Cr Si Fe A!

Spec. ..1) 7.0-9.0 0.8-1.7 1.2-1.8 0.3-1.0 0.1-0.4 く0.6 く0.6 残 ESD 8 2 1.5 0.45 0.2 (く0.5) (く0.6) 87.8

NSD 8.5 l.l 1.6 0.45 0.2 (く0.45) (く0.6) 88.15 噂1) Specification for aircrafts 7222 (Chi 263)

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である。 矯正は傷取り と同様, 非常に手数がかかり, 人 記念誌 (2000 年, p.112) で次のように誇っている。 海戦術であ った。 生産量は桜島と名古屋でそれぞれ 700 「五十嵐教授着任後のある 日 , アメ リ カの海軍研究所の トン/月 であ った。 名古屋では E8D の生産が 500 トン/ 高級技師と アルコ ア 研究所の人が突然や ってきた。 E8D 月であった。 のことについて質問があ り, 名古屋の住友金属 に伺 っ た ら此処に居る というので仙台まで来たという。 そして, (5) 鍛造技術 教授にす ぐにアメ リカに来ないかという。 先生の返事は a伸鋼所鍛造工場, 薬爽工場 唯一つ, r負 けた国の ものが勝った国へ行 って何かいい 1940 年頃, 米国 Eric 社製 30000lbs エアーハ ンマー, ことがあるか。 断る」。 その結果は毎月 1-2回, とき 1トンエアーハ ンマー, 1000 トントリミングハンマ 各 には3回必ず 2-3人の技術者が訪ねてきた。 ほぼ2年 l誌が導入さ れた。 薬英工場に は大阪鉄工所⧣ 2000 ト は続いたと思う。 先生 は自分のやっ た仕事だけに この次 ン竪型水圧機, 1∞0 ト ン竪型水圧押出機各 1基, 油伸 は多分これを聞きに来るだろ うと話 していたが, 大体そ ならびに口絞り用に 150 ト ン横型水圧機 l基が設置 され の予想通り になっていたのには敬服 した。 住友では 7- た。 ピス トンはドイツのワイ ンガJレテ ン社製 180 トン及 8人でしていた研究を海軍研究所と アルコ アでは 600 人 び700 トンスク リュー プレスで, クランクケースは でやってい たという」 問。 2000 ト ン笠裂水圧機で製造された。 1941 年まで研究部長を務めた国氏に よると 「戦争 の末期某米機の或震要部品の巨大な鍛造品が AI-Zn b名古屋軽合金製造所 Mg-Cu 系合金であ る事を知ったがE8D よりもZn少な 設備の大型化, 大型ク ランクプレ スの採用, 鍛造ロー く, Mg 多く確か, Cr の含入はなかった。 恩へば是が ノレ, アプセッタの使用, 黒皮を残す鍛造, 製製工場の設 758 或は其の初期の ものであ ったらしい。 敗戦後 Alcan 霞を基本に工場がで きた。 4000 ト ン竪型水圧機 2 基, (原文まま, Alcoa の間違いか ?) 社のカ タログに依り, 1000 ト ン横型水圧機 (アプセッタ) 1基, Beche 社製 758 の如何なる ものなりやをま日り, 更に Materials & 35000kg-mカウンタプローハンマ 1基, 鍛造 ローノレ 1 Methods 誌によって其詳細を知り得た。 Reynolds の 基が設置された。 小型鍛造品専用 にはピストン用スク リュー R303 も同種類のものであろう。 全く同系統であって其 プレス 4基, 1トン及ぶ 3 トンエア ハンマ各 1基設置, 性能 も大同小異であ り, 合せ板の表皮も落ちつ く 所に結 その後米国 National 社製 1500 トンクランクプレス 2 着しているのは愉快であ る。 私共はク ロ ム添加によ って 基, 国産の 700 ト ン3基, 200 トン2 ク ランクプレス 時期害[J れ を防止したが758 に於 いても恐ら く然りであ が増設された。 ろう」 と 41)。

3. 10 ESD とアルコ ア合金 7075 Table 11 に住友の E8D とアノレコ ア社の 7075 合金の 元住友i援金属常務取締役, 研究部長であった畑栄一博 成分比較を示す 41 )0 7ノレコ ア社の 7075 は当然のことな 士は住友軽金属技報の中で, 次のよ う に書いている。 がら E8D の米国特許の議求範囲に入る (Table 8のB 「戦後, 758 の inventor に会いたいという目的で, 米 本特許参照のこと)0 Mn は現在で は不純物元素扱いで 軍の将校が名古屋工場に現れたことがあった。 五ト嵐博 あるが, この当時, Mn は必須成分と して扱われている。 士はすでに東北大学に去 られたあとであった。 アメ リカ Cr 添加の合金が特許と してでてく る のは米国特許 は捕獲された零戦に E8D の使用されていることをま日 り 2240940 (出願 1940. 9 .28, 特許 1941. 5 . 6) 削で, そ 758をつく ったとの噂は劉いていたが, 五十嵐博士を の請求項は次のよ うである。 出願は住友の米国特許が成 758 の発明者と し て正式に認めていることは, その時初 立した後である。 めて知った」 とのことである則。 米軍は撃墜された零 1) Zn 4 - 6 %, Mg 0.75-2.5%, Cu 0.1- 2 %, Mn 0.1 戦の材料を分析 し, 758 を開発したことを証拠付ける 1%に, 少な くともTi 0.02-0.25%, B 0.005-0.1%, Zr 貴重な証言である。 0.01-0.15%, Mo 0.02-0.25%, W 0.02-0.2%, Co 0.02 大平五郎名誉教授は東北大学金属工学科創立 75 周年 0.2%, Cr 0.05-0.5%, V 0.02-0.2% を1種類以上添加

Table Comparison between ESD and 7075 al10ys 41) 11 Zn% Mg% Cu% Mn% Cr%

Sumitomo ESD 6.0-9.0 1.2-1.8 1.5-2.5 0.3-1.0 0.1-0.4

Coating alloy for Sumitomo ESD 0.5-3.0 く0.2 0.1-0.4

Alcoa 7075 5,1-6.1 2.1-2.9 1.2-2.0 0.1-0.20 0.15-0.40

Coating alloy for Alcoa 7075 0.75-1.25 0.10 く0.10 く0,10

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2) Zn 4 - 6 %, Mg 0.75-2.5%, Cu 0.1- 2 %, Mn 0.1- た。 1938年までにラボでは板での応力腐食割れの問題 1 %, Cr 0.05-0.5%, Ti 0.02-0.25%, は解決で きたので, X748 CAl-5.2Zn-2.1Mg-1.5Cu­ 3) Zn 4 - 6 %, Mg 0.75ω2.5%, Cu 0.1・ 2 %, Mn 0.1- O.4Mn) を主認の一部に用いたが, この合金板材は フィー 1 %, Ti 0.02-0.25% ノレ ド試験で, 時効材を加工 して用いる と応力腐食割れに 第二項が ほぼ7075 合金に相当する。 実施例としてCr 敏感 になることが判明 した。 このため, 高融点の微量添 を添加した合金 はなかった。 加元索の影響を調べ, クロムを0.2 から 0.35% 含む合 金が応力腐食割れに強い ことがわかった。 強度 も少し向 回;堂氏はさ らに続けて, I今両者の優劣を詳細に比較 上させて耐応力腐食割れ性に も良好な, 今日良く知られ し難いが, 758 の 5.5%Zn, E8D の8%Zn は種々 の点 ている 7075-T6 を1943 年開発 したと述べている。 そ の で前者に有利になるは否み難く, 我国で主と して実用 し 後に, “Interestingly, chemical analysis of shee七 た押出形材は規格と して引張強さ 58kg/mm 2以上を呼 from a downed Japanese Zero fighter aircraft dis 号したものであ っ たが, 758 の 54kg/mm 2 でも実用上 closed that the composition was almost the same as 何等差支えないであろう。 ここら当たり に徒に強力を求 that of 7075." と書いている。 この新合金はす ぐ に機体 める我国の通弊をみる。 我国では合せ板はほとんど実用 の設計に反映さ れ, 7075-T6 板は B-29 8uper Fortness されなかったが, 米国では必ずや相当に使われていると 後期モデノレの主翼上部のスキン材やス トリンガー材と し 思ふが, 其実態を知りたい ものである。 尚又米局では て用いられた。 アルコ アネ土の研究者が Zero Fighter に 0.3mm の板も規定されているが, 私共は之を0.5mm に ついて記述したのはこれが初めてではないかと推察され 止めた, 組成及製造方法の差異はあるが, 彼に一日の長 る問。 があろうJ 41)。 1930 年以来, 応力腐食割れについて研究を続け, ア E8D の総成は, 現在で も 鋳造での鋳塊寄lれや押出で ノレ コアの材料開発で中心的役割を巣た し たE. H. Dix は の押出性な ど生産性で非常に問題が多 く, 当時の技術で “Alcoa 758, after many years of research, was put よくこれだけ生産できたものと感心させられる。 米国は into commercial production for alc1ad sheet 田ld ex­ 鋳造性や圧延性, 押出性な どの生産性を重視 したのか, trusions in 1943 and later for nonclad sheet, wire, rod あるいは応力腐食割れを考慮したためか Zn :!歪を E8D and bar, and forgings." 耐 と述べている より大幅に減らしている。 また薄板の圧延についても, 同じく, 米国特許 2240940 の発明者で もあり 7075 の 米関か ら導入した圧延技術なので, こ の生産技術面では 開発に関係 したアノレコアの J. A. Nock, Jr. は, M. B 日本の技術は遅れていたといわざ るを得ない。 材料規格 W. Graham らの著書 “R 品Dlor Industry, A Century の件では, 当時の空技廠からの無理難題な要求に応えな 01 Technicα1 Innovαtz.on αt Alcoα" 57) で次のように紹 がら成分をi決めていかざるを得な い状況がよ く わかる。 介されている。 “Ultimately, Joseph Noclι working しか し, この要求がなければ世界に誇る材料もできなか っ with small DC ingots cast on the premises at Alcoa たであろう。 これは何時の時代も変わ らない。 Research Laborator田s, solved the problem empiri­ 「航空機工業禁止の現時日本ではこの穣優秀合金は恐 cally, demonstrating that small amounts of chro­ らく活用の道はなかろうけれど, 兎に角斯界の歴史に些 mium added to Al-Zn-Mg-Cu composition yielded 少な り と足跡を残 し得た事を五十嵐博士 ら欝同僚諸君等 resistance to 8CC that had long been sought." 。そ と共にー喜びたい。 尤も, E8D といえども全然新しいも の Nock Iはま丸, “This alloy is the c叩ulmina.叫.tion 0ぱf a num のではなく, 独の 8ander 合金, 英の E合金等先哲の業 be町r ࡱf y戸ea田Z四sぜr in凶te印ns田1V刊ek." wor 関附) と述摺, これはその 績を再検討 し, E-8-D 系を組織的に開拓 して生まれた 後の 194ω9 年A8M の単行本で も ものであるが, 少な くとも其耐時期害lれ性増進のためク laboratory investigation, including painstaking stud­ ロム添加の如きは, 五十嵐し 北原両氏の前人未踏の偉業 ies of susceptibility to stress corrosion cracking, fi­ なることを付記 して置くJ �l) と田趨氏は結んでいる。 nally terminated in the selection of the alloy 後述す るが, 戦後の航空機府高強度ア ノレ ミニウム合金材 composition designated 758." 59) 述べて いて, 758 の 料は E8D の成分と同じ方向に開発が進んでいる。 成分を決めたのは自分たちの研究の成果だ と述べている。 アノレコアの物理冶金部門の リーダーだったH. Y. 1960�1980 年代, アノレコ ア の航空機材料開発の中心 Hunsicker もまた然りで, “Continuing alloy develop 的役割を果た したJ. T. 8taley は1989 年, “History ment efforts led to the discovery that the addition of of Wrought- Aluminum-Alloy Development" の中で, a small amount of chromium greatly reduced the sen Al-Zn-Mg-Cu 合金について, アノレコ ア社は 1940 年 sitivity to stress corrosion." 制 と述べている。 7076 CAl-7.5Z正1.6Mg-0.7Cu心 6Mn) を鍛造用合金 と このように, 歴代のアノレコ ア の材料研究者が 日本の して開発し, 2025 合金 CAl-4.25Cu-0.88i心 75Mn) よ E8D につ いて敢えて触れて こなかったためか, 2008 年 り耐磨耗性や疲労が優れて いるのでプロ ベラの趨に用い ドイ ツの7ーへンで開催古れた7)レミニウ ム合金層際会

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ʞICAA11 の最初の基調講演, ヴァージニア大学の E ているので結果的に同 じ結論に達することはホーノレやヱ A. Starke, J r教授の “Precipitation Hardening ノレ ーの発明をみても理解できる。 しかしながらどのよう From Alfred Wilm to the Present" の講演で, AI-Zn な研究を してアルコアが7075 を開発 し たのか公表され Mg-Cu の開発の歴史が語 られたが, 彼の示したパワー たデ タはほとんどな いのが実情である。 勿論, 特許で ポイ ントの図の中には全く ESD が入っ ていないことに, のESD の優先性は明らかであ るが。 東京工業大学里教授や小職 も含めて日本か ら来た参加者 は驚いた。 同時に配布された本の中には "The ear匂 al 3. 11 軍官学共同研究による HD 合金と ND 合会 loY8 were susceptible to stress-corrosion crackìng but HD 合金 と ND 合金については, 西村教授が軽金属時 later examina七ion of small addition, of first Mn and 代に 「随筆懇合金史J (第 34, 35 回, 第38回, 1951 年) then Cr, proved that alloys containing 0.2 to 0.35% Cr として詳 しく奮いているので, それを紹介する則。 had high resistance to stress-corrosion. In 1940 1941 年11月下旬, 本多光太郎教授などが主宰者と し Sumitomo developed an AI-Zn-Mg alloy for the Mi­ て, 陸軍が後援で 日 本学術振興会の航空機に関する総合 tsubishi A6M2 (Zero) airframe. The chemical compo 研究をするための特別委員会の準備会合が東京の如水会 sition of the Sumitomo alloy was very similar to the 館で関かれた。 第3小委員会と し て強力軽合金に関する AI-Zn-Mg alloy 7075 developed by Alcoa and intro 研究部会が企画され, 本多博士が委員長と して, 大学側 duced in 1943." 61)と替かれているにも係 らず。 ここで から東北大大日 向一司教授, 早稲田大学石川登喜治教授, も住友の発明のプライオリティ については直接触れてい 京都大学西村秀雄教授, 製造業者は住友金属, 古河電工, ない。 神戸製鋼の三社であ った。 陸軍が主宰 したため海軍か ら これはESD について, 我々 日本人によるPRが足り は協力がなかったとのことである。 第一回の会合は ないのではないかということで, 2010 年横浜で関催さ 1942 年4月, 初空⳶の最中開催された。 西村教授によ れた ICAA12 では, Fig.19 に示すよ うにESD の開発 れば 「研究方針を定めることになり, どうするかと云っ の歴史と零戦残骸の展示とその材料調査結果を英文ポス て別に案がなかったから, 銅を用いないで超ジュ ラノレミ ターでPR l, そして実行委員長里教授の基誠講演 “In­ ンの代用になるような合金を造ってはどうかと提案した。 novative Development of Aluminium Research and 銅は軽合金に使用される援はさほど多く ないが, しかし Technologies in Japan" 館〉 や小臓の講演 “Alloy De句 我国の銅資源は必ず しも豊富 とは云えない, 少しでも節 velopment for Transportation in Sumitomo Light 減が出来る なら時局に役立つではないかという考えであ っ Meta!" 聞の中で, ESD 開発の先進性を世界の アノレミ たふ その結果, AI-Zn-Mg 系合金を取 り上げることと ニウム材料研究者に向かつてプレゼン した。 なった。 超ジュ ラノレミ ンと同等の強度で, 焼入れ して常 発明というのは, 大概同じ時期に同 じような研究を し 混で時効硬化を示す様な材料をこの系統の合金で造るこ

Fig. 19 Presentation of tWQ typical inventions before World War !I, Extra Super Duralumin (left) and Alumite technology at RIKEN in ICAA12 (12th InternationalConference of Aluminium Alloys) held a七 Yokohama in 2010

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とが出来るか検討した。 まず成分の目標を定め三社が試 こともなし また鉄も時効を阻止 しない浬由は不明のま 作してそれを検討することから始めた。 ま残っていてJ, 学術的な問題を提供 してく れたので, 住友金属か ら Zn 6 %, Mg 2 %, Mn 0.8%, Cr 無駄な研究ではなかったと述べている。 0.25% を目標と して造られた板は引張強さ 45kg/mm 九 伸び 18% を示 し, 超ジュ ラノレミ ンの規格鐘 (引張強さ 3. 12 なぜ ESD は短期間で開発できたのか? 43kg/mm 2以上, 伸び 14% 以上) を満た し たが, 焼鈍 五十嵐博士は, 戦後, E8D 開発当時を振 り返って, 材は規格値以上 となり加工性に問題があ ったので, 1も 次のように述べている則。 うこの研究はこれで打ち切って新しい方向に向か うこと 「先翠が夫々立身出世されると馬鹿な我躍も止むを得 にしょうかと考えたが, 折角研究を始めたのであ るから, ず研究の凡てを見ねばな らぬことになった。 丁度その頃 鍛造材 とか押出形材を造ってみてはということになって, テ〉 ラノレミ ン は板につ き 8D, 8DC も工業化出来てやれ その試作をする ことにした。 古河霞工での Al- 6 %Zn- 2 やれと思っているとトム合金 と云う ものが華やかに宣伝 %Mg-0.75%Mn-0.35%Cr 押出材の試作結果は非常に良 された。 第一次大戦当時英国に はE合金というのがあ 好で, 引張強吉 は 50�54kg/mm 2, {'中 びは 12�15%, る。 其の後独乙に 8ander 合金と云うのがある。 別にめ 超ジュ ラノレミ ンSDの規格値を十分満足 していた」。 こ づらしい合金で はないが時期割れがあるので使い ものに の時, 1押出が容易で, その速度を数倍に しても差支え ならぬ。 学業成績は優秀で もLoad がかけられな い秀才 ないことを知った。 これは予知 しなかった一つの発見で 見たよ うなものであ る。 とはいって も世間はうるさいし。 あった。 当時, 押出形材の製造が航空機製造の一つ の険 止むを得ず吾々 は使い ものにするようにしようではない 路となっていた。 急、 に押出機を製造す ることは囚灘であ っ かと相談 した。 たから, 若 し押出性能の良い材料があったならば, それ 書IJれるやつな ら大いに割って見ょ うと云うので最も時 だけ製造能力が増すことになる訳である」 から, 注目す 期割れの甚だしいのを作っ てそのよって来る原因をつか べき発見であ った。 押出性能に関 しては, 神戸製鋼で も もうとつとめた。 種々 の気体の中, 液体の中, 真空中, 実験を し, 超ジュ ラノレミ ンの2倍程度の速度が得 られた。 等で割らして晃た。 その結果か ら此の種の時期割れは水 この合金は 日Dということに話が陸軍か らの提案でま 分による結品粒界の局部腐蝕が重大なる原因をなすこと とまった。 こ れは本多博士が委員長であった隠係で H がわかった。 そこで腐る ものに腐るなとは無理な誌だか のイ ニシャノレを取ったものである。 こうしてHD ら腐りたければ大いに腐ら してやる う。 それも局部腐蝕 CHonda's Duralumin) という合金が生まれた。 化学成 などケチな事云わずに全面腐らすよ うにもって行こ う。 分は Zn 5 �5.8%, Mg 1.5�2.5%, Mn 0.3�0.8%, Cr それには全面に析出するMnを増して 1.2% にもって行 0.1�0.4%, Cu 0.8%以下, Fe 0.6% 以下, Si 0.5% 以 けば全面腐蝕になり時期割れはな くなる。 処が大物鋳塊 下, Al 残であ る。 この合金は, 後述するが, 戦後, 三 ではMn 化合物が大き く発達して物にならぬ。 そこで 元合金と し て新幹線や二輪車な どに適用され大き く発展 Mn を減 じてCrで補う ことにした。 そしてその limit することとなる。 がE8D の Mn, Cr の成分になった。 他の成分は痏産の 太平洋戦争も終わ りに近っ く につれて, アルミニウ ム 自的で最 も加工し易い点を とった。 量産を考えないなら 新地金が不足して, 航空機の解体盾やそのほかの返り材 ば80kg/mm2程度は出せる。 かくてE8D は出来上った (再生塊) を使用する率が多く なり. Fe, Si, Zn などの が素人はおそろしいもので “完全に時期書IJれはないか" 不純物の混入が増 してきて, 航空機に不可欠の品質の良 等と詰問さ れた ものである。 吾々 の見解か らすればデュ い超ジュラノレミ ンSDの生産が困難になってきた。 そこ ラノレミ ンでも時期都れをお こさせることが出来るのであ で, 上記の不純物の許容は範殴を拡げ, SD に匹敵する って絶対に割れないなどといい切る ことは出来ない。 実 機械的性質を有する材料の開発が要望さ れ軍富民で開発 用上差支え ないと答える以外に道はない。 大事な ことは した合金が ND である。 ND は Nippon Duralumin と 実用の限度と蚤産と力とのかねあいである。 それらは見 いう意味である。 その成分は, Cu 4.0�4.8%, Mg る人の心に まかせおくよりしかたがない。 そして少 し成 0.6�1.2%, MnO.6�1.0%, Fe 0.8% 以下, Si 0.3�1.0 分をいじれば注文通りのものがつくれる」 と。 %, Zn 1.0% 以下で, 機械的性質は焼入れ後常混時効 五十嵐博士か ら直接指導を受けた元常務取締役深井誠 で引張強さ 44kg/mm2以上, 耐力 32kg/mm 2以上, 伸 吉博士との対談節句は次のように次のよ うに語っている。 び10% 以上である。 西村教授は, 結果的には 17;レ コ 「今度は考え方を全 く変えて, どのように割れるかを アで 148 と して既に使用されていたものを多少変えた 研究する ことにした。 そこで, いろいろ研究 して, 一番 ものに過ぎず, 258 にマグネ シウムを加えたものになっ 割れやすいものを作った。 普通な ら時鶏割れは1カ 月か た。 ND と称した材料は軽合金と し ては止むを得ない事 ら2年ほどの聞に起るが, 曲げて 5 �10 分で割れるの 情か ら造られた ものであ って, 進歩 した材料とは云えな ができた。 割れ は結晶粒界で起こる。 こ こが腐って都れ い」 が, ND の研究から 「ケイ素が 0.8% も含まれてい るので, 酸, 7;レカ リにつ けて腐らせてみたらもっと害IJ ても焼入れ時効材の機械的性質が 8D のように低下する れやすくなると思った。 ところがよ り割れるはずなのが

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割れない。 人閣の考えがいかに馬鹿な ものであるか, こ (5) 創造に対する執念 れで明 らかである。 頭か ら割れる はずだ と思い込んでい 五十嵐博士は, I研究室で出来た も のが, 工場で出来 たものが割れな い。 ない筈がない。 必ず物にする という執念で事に当たれば, そこで別れの原因を調べてみると, 空気中でも割れる 自然、が, これでもか, これでもかと呼び掛けて くれるも ので, その因子を調べるために, 酸素, 索, いろいろ のだ。 こ の自然の呼び掛けを聞 く耳をもたねばな らない」 やってみたが, 一番影響す るのは水蒸気。 次に調べねば とよく言われていた。 ならないのは, 金属 それ自体が, 割れ るかということで (6) 俊れた協力者 すな。 そ こで真空中で調べた。 普通な ら4�5分で割れ E8D は工場生産技術者の協力なしでは, 工業製品と るのが 1 日たっても, 2日たっても割れない。 それでわ しては恐ら く開花しなかったであろう。 当時の生産技術 かった。 つま り水蒸気があ ると割れる。 純アノレ ミ で割れ は, 製造部長の丸山五男氏の献身的な協力に負う ところ ないのはわか っている。 そこで酸, アノレカ リにつけると が多かったと五 卜嵐博士は述懐 している。 全面が腐 るので割れな くなる。 こ こで問題が決ってく る わけですな。 時期割れの対策に関 しては 「逆転の発想J ということ 結局, 結品粒界と同じ速度で全面を腐 らせる。 全面が で寺井博士が紹介されたが, 同じく元社長で技術研究所 平均 して腐るためには微細な析出物を全面に作る。そう 長の佐藤史郎博士はセ レンディ ピィ ティの観点か ら次の すると全面の腐り方と結晶粒界の腐り方の歩調がそ ろう。 ように述べている 6"。 こうすれば割れない。 結局 1ミリ腐るのに, 何年 もかか るから, 金属の腐食が進む前に, 飛行機の方が駄 目にな 「五十嵐博士か ら, 我々研究に当たる物に対 して, 最 る。 研究は これで終 り。 後は何を何%. 何を何% と実 も心すべきこととして対象を徹底的に観察することの重 験すればす ぐでき る。 それか ら先は, アメ ザ カ流にサー ッ 要性を説かれた。 “ものをよ く 見よ。 理屈 (現論) は後 とやればよい。」 と。 からつけた らよい。 もし設かがつけてくれるならばそれ でよい。 とにかく , ものをよく見よ" Jと。 「応力腐食 同様に, 元専務取締役で技術研究所長であ っ た寺井士 割れに隠しては 「光学顕微鏡で応力腐食割れの組織を観 郎博士は E8D が開発できた要悶を次の六点にまとめて 察すると, 結晶粒界が割れている。 応力腐食割れに析出 いる66)。 物が関与 している ことは明白である。 そこで, 応力腐食 割れを徹底的に観察しようとい う魂胆もあった。 これら (1) 具体的なニーズ の合金の試験片の応力腐食劉れ試験を実施 し た結果, 意 1935 年当時は, 準戦時下であ り, 列国よ り後位な箪 外な ことに応力腐食割れが著しく改善 (抑制) されて い 事カ, 特に優秀な戦閣機の開発それに伴う機体構造材 と る合金があ った。 その添加元素が Cr であ り, Cr 添加 しての高力アルミニウ ム合金の強度向上に対する軍の要 が組織を微細化 し, 析出物の析出形態を粒界析出型か ら 求は切実であ った。 引�強さ 60kg/mm 2級の新強力軽 粒内均一析出型へ変えていた」 ことを見いだして E8D 合金の開発が海軍航空本部よ り要求された。 と の発明に繋げた。 すなわち, 入念な光学顕微鏡観察 と柔 (2) 非凡 なる発椋 軟な洞察ーセ レンディ ピテ ィ と言う に十分値す る によ 応力腐食害lれの解決の難 しさから, リスクの少ない り達成された ものであることは疑う余地がない」 と述べ Al-Cu-Mg 系合金を選択せずに, 強度的にはAl-Znふ19 ている。 系合金に勝る合金な し と考え, 応力腐食割れ防止によ っ て実用化せん とした積極的発想 と, アルミニウム合金の 小職は, 直接五十嵐博士にお会い したことはないのでp 応力腐食割れが局部的な結晶粒界での割れであることに 研究論文や五十嵐博士本人やその同僚あるいは議陶を受 着目 L, むしろ全面的に腐食さ せる ことで害IJれを防止 し けられた方々が書かれた内容や先輩か らの言い伝え しか ようとした, 逆転の発想は非凡である。 知らないので, それを基に判断するしかない。 寺井博士 (3) 的確な実験対象 や佐藤博士が述べて いるように研究者本人の資質の問題 実験対象と して, D合金, 8合金, E合金を選定 L, もあるが, やはり研究を支え る環境と研究に対する会社 それぞれの配合比率 と強度マ ッ プの関係か ら 的確な合金 の考え方かε重要で, それがま た研究所の風土とか姿勢と を選択したことと, 粒内に全面に析出させて全面腐食さ かが伝統となって受け継がれているように思われる。 小 せる微盤添加元素の選択が的確であったこと。 職な りにまとめてみる。 (4) 系統的な実験 (1) 研究開発目様が明確 応力腐食割れ防止について金属組織, 環境, 応力, 成 海軍より米国の 248 よりも高い号i張強度 (60kg/mm 2) 分及び熱処理に関し系統的な実験を短期間に実織 し, を有L, 応力腐食割れを生じない材料の開発の要請。 軍 Mn およびCr の微量添加が有効であ るとの結論を得て, 事がすべてに優先 した時代であ り, 目標達成の ために人 合金特許を取得 した。 も物も金も付いて きた。

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(2) 実験工場の存在 (6) 広範閣の材料の調査研究 杉様氏の先見の明で, 我国最初に実験工場を設立させ, 五十嵐博士は もとより, 当時の研究者はいろいろな材 工場に近い条件で鋳造, 圧延ができたこと。 これは現在 料, 銅合金や 7Jレミニウム合金の調査, 研究を手がけて でもできるだけ工場に近い条件で製造で きる実験工場は いた。 五十嵐博士は, 鋳物材, 展{申材な どほとんどのア 合金開発や製造条件確立に は不可欠である。 ノレ ミニウ ム合金, 銅合金, マグネシウム合金の材料とそ (3) 海外文献の豊富古 の防食の研究, 工場材ク レーム処理や他社材の調査を手 1910 年代か らの文献が揃っている こと。 当時か ら海 がけていて, 幅広い視野と観察力が出来ていた。 外の情報をいつ もウオッチングしていたことがわかる。 (7) 現場力, 生産技術力 世界的なレベルでものを考えていたことが重要である。 研究した物が形になるには優れた生産技術が不可欠で, 小職が入社 した頃, 英国の金属学会誌 Journal of the この協力な しではユーザーに受け入れ られる製品が出来 Institute of Metals はもとより米独仏の金属学会誌, ない。 生産技術者 と の信頼関係が震要で, 日頃から生産 さらにはNature や1930 年代の⷏子力学形成の頃の重 技術 と協力 し, ともに生産技術上の問題を解決 してい く 要な文献が掲載されていた Zeitschrift für Physik がこ ことが必要である。 五十嵐博士か ら直接指導を受けた深 の研究所に揃っていることに総きを覚えた (これらの文 井博士は五十嵐博士か ら, ['発明者は, 私ということに 献の一部は 1996 年産業技術記念館に寄贈古れた)。 海外 なっているが, その段階における北原吉ん達の ご苦労は の図警 も豊富で, 現在で も図書室は充実 していて, この 勿論, その工業化に際しでも当時の, 丸山副所長など随 執筆に当たってもそれほど不自由することなく過去の文 分頭を痛められま した。 すごい スクラッ7'の山で したか 献や著作を直接調べ ることが出来た。 ら。 五十嵐君, こりゃあ, {I申銅所が潰れ るよ。 といわれ (4) 研究成果の記録化, 特許化, 理論化 ましてね」 と聞きま した。 また岡村金次郎さん (鋳造工 研究 した内容を報告書と して記録と して残す風土, 必 場長〕 から 「決め られたこ とを忠実に実行 して, ものに 要に応じ て特許化する こと, ま た学会等で発表 し社外か するのが, 現場の使命ですロ 難しい事も毎日やっている らの評価 も受ける こと, 霊妥な内容は理論化 して論文 と と, 上達するものです」 と聞きま した刷。 して報告すること, そして学位論文と してま とめること, こうした研究習慣があった。 Fig. 20 は超々 ジュラノレミ 3. 13 五十嵐博士の人となり ンが開発された頃の研究報告替で ある。 五十嵐博士について直接お会い したことも指導を受け (5) スタップを支え る優秀な研究者, 技能者 たこともない世代なので, どこまで実像に迫れるかわか 五十嵐博士には北原氏というすばらしい研究者がつ い らないが, 記録からできるだけ探 ってみたい。 て実験を担当 した。 彼の存在な しではESD は発明でき まず五十嵐博士は, 生家が浄土真宗大谷派 (本山 ・東 なかったものと思われる。 技能者については記録がない 本願寺) に属 L, 東光明寺 (ひがしこうみよ うじ) (注) のでよ くわからないが, 小磯が入社した頃には多く の優 で長男と して出生 したこと, これは五十嵐博士の ものの 秀な技能者がいて, 鋳造, 圧延, 分析, 組織観察 に長け 考え方, 生き方に大き く反映されているように恩われる。 た方々が多く お られた。 現在では優秀な設備があるので, 当時ほど必要ではないかも しれないが, 研究内容を淫解 〔注) 京本願寺 (大谷派) の光明寺という意味。 近く し研究者の 目や耳となり, 手足と なるスタッフがいるこ に西光明寺もある。 現在の玉名市溝上 に意応3年 とは研究を早 く進め る上では重要であ る。 (1654 年) 開基。 現在は五十嵐勇博士の末弟秀雄氏の ご長男である五十嵐聖氏が第13世住職となられてい る。 五十嵐博士は三男限女の長男 として出生。 博士は 先妻い きとの問に一男三女を儲け られた。 先妻 は 1929 年, 33 歳で早世され, 後妻 シ ズ江を迎え られた。 晩年は熊本市島崎で余生をおく られた。 博士の長男の 全(たもつ) 氏は秋田大学鉱山学部講師と して研究を され, 1960年頃には 「軽金属」 にも勇氏と連名で論 文を執筆されていたが, 2003 年他界 された。 Fig. 21 は1928 年頃, 東光明寺本堂の前で損影された五十嵐 家の写真である。 詳細は文献 69 を参照の こと。

京都大学に入る前に広島高等師範学校を卒業後, 八代 中学 ・ 台湾中学で教鞭を とり, 再び京都大学理学部物理 Fig. 20 Technical reports (1935-1938) stored now 学科に入学さ れる。 なぜ教師を辞めて理学部物理学科に in R&D center of Sumitomo Light Metal 入学 したのか, 最初か ら金属を研究するつもりであった

294 Vol.54 No.l 超々 ジュラノレミ ンと零戦 ー超々 ジュラノレミ ン開発物語一 (そ白 2) 295

のかど うかわからないが, 本誌 15 周年記念号 (1975 年) が開 く。 に寄せた巻頭言で述べているように 「大自然の理法」 を リンゴや柿は熟すれば落ち る。 それは当 り前のことで 身につけたいとの気持ち はあったようだ。 当時の物理学 ある。 どんな当り前の小さ なことで もすべて大自然の理 は7イ ンシュタイ ンの相対性理論や光:滋子仮説の発表, 法に従って動いている。 その小さ いでき ごとの中に大自 f量子論か ら量子力学の確立に向けて大き く 変化を遂げて 然、 の理法を見る 目を養わねばな るまい。 ー木ー草こ とご いく段階で, 自然に対する価値観 も変わ っていく激動の とく大自然の理法のあらわれである。 時代ではなかっ たかと思う。 日本では長岡半太郎や本多 人間 15才と もなれは若い血潮のあふれでるときであ 光太郎が活躍 していた頃である。 7年ほど後にノ ーベノレ る。 「皆ん なついて来いJ と雄たけびをあげて もよかろ 賞を受賞 し た湯川秀樹や朝永振一郎が理学部物理学科に う。 大衆と ともに, ナポレオンはフラ ンス国民と ともに 入学 している。 五十嵐博士の求めた 「大自然の理法J は, ウオ タ ロ で戦 っ て一敗血にまみれた。 だが, 7ラ 万物は流転するといった古代ギ リシアのへラクレイトス ンス国民は今なお健在である。 の考え方や仏教の 「縁起の理法」 とも相通ずる ところが 理屈でな く, 実績を もとに立ちあがろ う。 雄たけびを あるように恩われる。 住友軽金属技報の巻頭言では次の あげよう。 それを我々皆ん な拍手を してたたえよ う」耐 ように警かれている。 と。 「すべての ものは時と ともに永遠に流れてやまない。 人聞はその流れに節をつ くり, 句切 りをつける。 昔は男 五十嵐博士 は生前に一冊の著書を執筆されている。 子生れて 15 年たては元服のお祝いを した。 一人前の男 Fig. 22 に示す鉄鋼新聞社発行の 「アル ミニウ ム技術入 と認め られる。 今でいえは成人式であ る。 これもひとつ 門J (1969年) である。 現在で も十分適用する入門書で, の勾切りである。 句切 りができれは, そこを元と して新 必要に して最小限の事柄について舎かれている。 ところ たに出発せねばな らぬ。 独立独歩, ヘピが出るか, ジャ どころ実際に経験していないとわからないようなことを が出るか, 大黒様がころげ出ぬとはかぎらぬ。 簡潔に書き, ハッ と気がつかされる ことが多い。 この本 世の中は非常な速度で変わ りつつある。 その変化を追っ の前書きでは執筆の動機について諮っている。 ていてはいつまでたっても追いつかぬo 15 年の経験実 「万物は生成流転す る。 瞬時もとどまることを知らない。 績, これが大 きな宝であ る。 その中にいろんな鍵が含ま アルミ ニウムについて も広範な新し い業績が山のよ うに れている。 鍵は小さい。 その小さ い鍵を押せば大きな扉 集め られつつある。 集りつつある新しい業績によって新 しい理論が組立て られ, ふるいものと代りつつある。 日 に月 に, しかも急速に。 戦後家庭の台所で黒い鉄は白いアノレミニウ ムに代った。 金と思った万年筆のキ ャップはアルミニウ ムだった。 ダ ラリの帯の金糸銀糸もアルミ ニウムと聞いて驚いた。 ピ

Fig. 21 Photograph of Igarashi Family taken before the main temple of Higashi-Koumyoji at about 1928. The back row ; Dr. 1 Igarashi(the second person from the left) and his tWQ younger brothers and sister The front row ; his father (the center) 叩d mother (the second from the 1eft). his for. Fig. 22 Introduction to Aluminum mer wife (the right end) and his son and Technology written by Dr three daughters42 ) Ig町田hi 7日

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ノレの塦壁はアノレミニウムのカーテンウォーノレとなった。 はお嫌いな五十嵐先生は例の調子で悠々 閑と構え られ, 時速 250km の新幹線の霞車は全アノレ ミニウ ムで計画さ 正に大人の風格がある。 他人に は寛容, 自己にはきわめ れつつある。 このときに当ってアルミニウムとはどんな て厳 しい御性格は普 も今も変らず, 朝9時から夕方4H寺 ものかを書いてみよう。 難か しい理屈や細かい数値は専 までキチ ン と勤務古れている。 もともと外国語に堪能な 門家におまかせ して, ここではアルミニウ ムの常識を, 五十嵐先生は内外の文献, 図書, あるいは社内の研究報 そして常識古えあれば必要に応 じて情報セ ンターは最新 告などは隅々 まで精読されて, 要点はメ モされ, それを の数値を引きだしてくれることにもなろう。 僅かの暇で 五卜嵐流に分析, 整理される。 したがってときどき 部屋 読め るような素人の常識, だれでもよめばわかる常識, へ伺 っ て無駄話を しているときでも鋭い閃きを感 じ思わ しかもそれは今日の常識であ って, 新 しい事実 はたえず ずハ ッとさ せられたり, また自分の文献調査が間に合わ この常識を穫 しつつ進歩するであろう。J ないときには五十嵐さんのものを利用させていただくが, 71) そのあとがき では, どのよ う に読むべきかの心構えが lllJに嫌な顔も古れない。 よ き時代, 明治に生を享け られ 警かれている。 科学技術に関す る五十嵐博士の思いが込 た五十嵐先生が, いま最大の関心を持っておられるのは められてい る。 日本の将来というか 文化国家 日本が世界の強豪を相手 「これからアノレミニウ ムの仕事にはいろ うとい う新人 に堂々 と太万打ちするにはどうするか, 科学技術の振興 にアルミニウムとはどんなものかを費目ってもらうために, も人作り も蜜の問題ではなくて質の問題であ る。 さらに アルミ ニウムの常識を書いてみた。 理屈めいたことはで 一歩を進める と良質の ものの協調だ, と考えてお られる きるだけ簡素化 した。 また実用に必要な綿々 と したデェ ようだ。」 問 タも2, 3例を示すにとどめた。 科学でもなく, 技術で もない, 常識である。 また五十嵐博士 と深井博士の対談町では, 科学技術振興が叫ばれている。 科学は自由な発想の下 1) 企業での研究のあり方について で何の㾡制 も受けないときにのみ, のびのびと発展する。 「技術者 は第一にその企業, 住友軽金属 なら住友軽金属 その前によこたわ る第一の障壁は官僚化であり第二の障 の技術を体得しなく てはいかん。 学校を 出たと, よその 壁は大衆化である。 技術は科学を基礎としな がらもプロ 会社で優秀だ ったとかいって, 偉そ うなことをいってい ゼク トが与え られて官僚化 し, できた結果は大衆化 して ても駄目。 また単に表向きだけ 「ああ, そうか」 と頭の その効果を増す。 呉越同舟ともいうべき揮沌たるなかに 中を素通り しただけでは駄芭。 学校の講義な らそれでい 常識 という鶴み たよ うなものをほり込んではどち らから いが, 物はとても作れない。 だか らまずその会業の技術 も叩かれるであろう。 だが文句な しに読んでみていただ を体得する。 これが第ーです。 次に, 少な くとも4�5 きたい。J rアノレミニウムカまできるまでj はス ッとよめる。 年や って, ここが割れた とか, ここが切れた とか, ここ 「アルミニウムの性質」 はすこ しでもややこ しいと思っ がどうなったとか, その技術自身にF付属して起こるいろ た場所は とばしてもよかろ う。 「アル ミニウムの合金」 んな問題を しっかり把握することです。 それで始めて技 はアルミニウ ム合金そのものの大要である。 「アルミニ 術が体得されたといえる。 ここでやっ と技術者の卵が生 ウムの加工」 はそれぞれ自分の行く道だけでよかろ う。 まれるわけですな。 ここまできて始めて, さっきお話し そうすれば数時間で済むはずであるロ ズブの素人はそれ たような建築の共同研究会等ができた際に, それをどの で大要がわかる。 専門家はおか しな点、 に気がつかれる は ように応用 していくかという市場の開拓がで きます。」 ずである。 どうか凝の目でその点を院みかえ していただ きたい。 そこには大穴がま ちかまえて新しい飛躍を待望 2) 基礎研究については, している。 そこに発展があ り進歩があ り流転してとどま 「技術を体得 してやっているうちにわからないところが るところを知らないであろう。」 川 生ま れてく る 。 それを解明するために暴礎研究が必要と なってく る。 だか ら基礎研究といっても常に企業と関連 戦後については, 深井誠吉博士が日本金属学会誌で のあるものです。 そして, そう した基礎研究を徹底さ せ 「名誉員の近況」 の中で次のように警かれている。 ることによって, 思いがけない結果がでて くる。 これが 「終戦直後の昭和 22 年暮, 扶桑金属工業株式会社 本当の創造であ り ,新しいアイディ ア, 新しい商品の生 〔占領軍の指令に より住友金属工業は数年間社名を変更 まれてく るゆえんです。 した) を停年退職された五十嵐先生は東北大学工学部, 今ま でできたものをよそに使う とか, よそと一緒にす 秋田大学鉱山, 岩手大学工学部教授と して数多 く の俊秀 るとかいうことに創造はあり得ま せん。 疑問を当 り前だ を育て られた。J r一応形は顧問とい うことで研究, 技術 と見通すようではI!Iります。 どう してだ, どう してこう 全般について, 敗戦 日本を救うものは若人であ り, その なんだ, と徹底的に突込んでいかな くては駄目です。 で 若人を指導, 数育す るのが自分の使命であるとの御蟵 きるか, できないかわか らないけれど, とにかく徹底さ に基づく ものであろうか。 とくに若い技術陣の指導をお せる。 そこからだけ新 しいものが生まれるのです。」 願い しているが, 現職のときでもいわゆる指示とか指導

296 Vo1.54 No.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 一超々 ジュラノレミ ン開発物語一 (その2) 297

3) 人っ くりについて かれなかったことである。 お聞きしても, くわえたタパ 「それは人によって違う。 最近人づく りの話がよ く出ま コを唾液でずチャクチャさせながら, ただ笑っていただ すが, 近頃の教育のよ うに, なるべく広く常識を養え と けかも しれないが, 何しろ, 自慢話は聞いた ことがない。」 いうのは, 一面ではいいが, 墜にぶつかったときは駄目 ム五十嵐博士は大変謙虚な方だったと飯島嘉明元岩手 ですね。 彼等は徹底させる ことを知らない。 アメ リカ式 大学教授は, I超々 ジュラノレミ ンと五十嵐勇」 町の中で の技術屋な らどんどん生まれますが, ぶつかった援をぷ 付け加えている。 ち抜いてゆ く だけの徹底 し た知識を持った人は生まれな 同様に 「総て物事は徹底す ること, 徹底すれば新事実 い。 ではどういうふうに教育するかという と, 教育で人 を見出すことができる, 真理は理屈ではない, 実験の結 がつ くれると思う こ とが間違いなんで, 本質的な問題で 果が真理であるJ (深井誠吉氏, 五十嵐博士への弔辞よ すな。(笑声)Hその辺の ところは非常に難 しいです な。 り〕 と まで言い切っている。 一般には, 今のよ うにアメ リ カ式の研究所を考えて, そ こで働く人をつくるということならいけますな。 しかし, 住友軽金属に顧問として戻って来られた頃について, その人がぶつかった援を切り開く ことができるかという 当時, 研究部経合金研究室にいた高島章氏は次のように と, 私はそれを望む方が間違っている と思う。J Iテーマ 語っている。 が大事だとか, そのテーマは誰が選ぶか とか, 結局その 日常は顧問室で研究報告書を丹念に見ておられてこと テーマが与え られた人は, 馬車馬のように走れというこ と思うが, ある日ちょっと来て くれとのこと。 今まで直 とですな。 そこでテーマを出す人, それは技師長です。J 接お話などしたことのない先生にお叱りでもあるのかと アメ リカ式というのは, 超々 ジュラノレミ ンの開発では住 思い, 直立不動で先生の前に立った。 「多 くのレポー ト 友では 7�8人で していた研究を海箪研究所とアノレコ ア を見ているが, 君の報告書が一番面 白い」 まさかどこが では 600 人でや っていたということを意識 しての発言か 面白いのかななどと失礼な ことは鴎けず, Iはあ」 とだ と思われる。 け言ったら, 次に 「最近の学会誌はあ まり面白 く ないな。 毘理屈が多すきる。 前 (軽金属学会の前身である軽金属 昭和 28 年卒業の奥田彰氏は東北大学金属工学科創立 研究会の ことか?) の方が面白かった」 75 周年記念誌 (2000 年, p.124) で, 五十嵐博士の思い 博士の持論の 「理屈は結果に対しての討論で, もっと 出を次のように諮っている。 「事気 事実が大切なんだ ! J。 現象と いうか過程をよ く 観て, これはと思う ことはす ぐ 「いろいろ理屈は言わな いこと。 質問は出るだろうが, やれJ と言いたかったのだと思う。 博士と の話は禅問答 何故なんて, 分かり も しない理屈は言わないこと。 こう のようでもあった73)。 やったら, こうなったとだけ言えばいいのだ」 これが, 卒業論文発表前 日の先生か らの訓示だったそうであり, 元副社長, 技術研究所長であ っ た永田公二博士は, 以 その年の春の学会発表当 Bも同じ注意をいただいたと の 上の五 ト嵐博士が諮った中か ら, いくつか選んで五十嵐 ことである。 いかに も五十嵐先生 らしい話であるJo I残 語録 (Tab!e 12) なるものを紹介して いる削。 念だったことは, 超々 ジュ ラルミ ンの体験談は一回 も聞

Table Sayings of Dr. Igarashi collected by Dr. Nagata 12 五十嵐語録 74)

1. 自社の歴史, ん技漏等由一切を体得する ことが第一。 4-5年はかかる。 学校の講義だけでは駄目。 At first, iも is necessary to master company's history, perSQns, technology and on entirely. It takes 4-5 years

to master them. It is insufficient to learn only school's lectures 50

2. 理論 も実験も 日に日に進んでこそ工業も発展する。 未熟な理論を絶対だと考えても らっては困る。 Industries develop by 出e progress of theory and experimental technology every day. 1も is not cor問ct to consider immature theory is absolute

3. 草案が大切なんだ 1 あれこれ理屈を言わないこと。 患った結果と矛盾した事実が示されたと きのみ進歩があ り, 発 展がある。 Fact is important! It is not to say various quibbles. Progression and development are generated when a new fact inconsistent wi仕1 expected results is found

4 疑問を生 じたとき, どう してだ, どう してこ うなるのかな と繰り返し, 徹底的に突 っ込んで調べな くては駄目だ。 When questions arise, it is necessary to consider repeatedly why they occur and investユgate them thoroughly

5. テーマが大事だが, 誰がテーマを決めるのか。 Theme is important. B叫 it is problem who decides the theme

297 298 {主 友 軽 金 属 技 報 2013

以上, 先輩諸氏が舎かれたものから, 五十嵐博士の人 無草 となりがわかる ところを引用 してきた。 ESD における (絶筆) 年とともに何もかも かなわな くなるが クロム の発見は偶然であるが, 時期割れを評価す るため 人聞のかな しさです の方法論がなければ発見はで きなかったという意味で必 然であ る。 方法論は対象をよ く観察することでできる。 しかし必ず解が存在するであろうという自信はどこから 4. 戦後の高強度アルミヱウム合金の開発 来るのであろうか。 これは幅広い視野で各種のアルミニ 4. 1 戦後の状況 ウム合金やマ グネ シウム合金の腐食の挙動をいつ も観察 敗戦とともにアルミニウ ム製錬は軍需産業であ ったた してきた結果ではなかろ うかと思う。 添加元索によ って め, 連合軍によ っ て生産停止を指令され, 製錬設備をカ 腐食の挙動が色々変化する。 それでも駄目なときは最終 リ肥料, 石灰窒素などの生産に転用 して細々 と経営をは 的にク ラッ ドがある と考えていたのではないかと個人的 かる事態に追い込ま れた。 一方, 加工企業は戦時中抑制 には考える。 クラッ ド材についてよ く研究して学位論文 されていた家庭用品の需要が顕在化 し, 異常な ブームを にも掲載 していたのだか ら。 あ る意味で壁を突破するに 迎えた。 加工企業の多く は航空機を解体したアルミニウ は何 らかの確信と楽観が必要であろ う。 ESD の発明は ム合金属を減蜜と して, 鍋・釜をはじめと した家庭用器 個人的な資質によることも多いが, 製品となると個人の 物の生産を再開 した。 しかし, これらの製品は耐食性の 手を離れてしまう。 自分ひとりの手で出来る ものではな 悪い ジュ ラノレミ ン系合金屑を原料と した粗悪品であった い。 発明における個人と会社組織の関係をよ く理解して ため, アルミニウム製器物は腐食しやすいという誤った いたため, 自分一人の手柄に したく ないとの思いがあ り, 印象を与え, その後の製品開発に大きな悪影響を与え 戦後は超々 ジュ ラルミ ンの発明についてあま り多く を語っ た 則。 ていないのではないかと考える。 む しろ若い人には, 上 の語録に示したような自分の経験か ら得られた教訓を雄 戦後復興と ジュ ラルミ ンの関係は, 東京駅にも見られ 弁に諮っている。 る行,78)。 東京駅丸の内駅舎は. 1945年 (昭和 20 年). 戦災により南北の ドームと屋根 ・ 内装を焼失した。 戦後, 最後に郷里熊本 (熊本市島崎) で悠々 自 適の生活を送 3階建ての駅舎を 2 階建て駅舎に復興した。 現在, ほほ られた五十嵐博士の日記から, 日頃の生活を詠んだ詩を 完成に近い 「保存 ・ 復原工事」 では, 鹿島建設が中心と 引用する。 Fig. 23 にその一部を示す (,五 卜嵐勇 年譜」 なり, 外観を創建時の姿に忠実に再現するのはもちろん より75))。 のこと, 古らに, 未来へ継承す るため, 鉄骨煉瓦造の下 に地下継体を新設 し, 巨大地震に も耐え うる建築 とする 陽炎や 姐(おうな) は見た り 花の精 ため. ,免震工法」 で施工している。 この戦後復興させ 紫陽花は 菅を今に 咲きにけり た駅舎天井の内面 (Fig. 24 ) には. Fig.25 に示すよう 野わ きして 百日紅 (さ るすべり) は倒れけ り ✫々 々 にアルミ製リベッ トで接合された 0.8mm 厚みの航空機 は奮したまま 用ジュラノレミ ン板と トタン板が塗装を施 して使用 されて 六尺の頬杖つ いて 立ちあがり 春に芽ばえよ 沢に いた。 この板の成分分析値 は AI-4.2%Cu-0.43%Mg 豊かに 0.79%Si-0.74%Fe-0.80Zn と鉄や麗鉛な ど の不純物が非 黙鼓子 は こすたく りんに 変わ りはて 常に多い ことがわか る。 このジュラノレミ ン板は戦争中に 大河を流れ 流れてよ しあ し の 茂みに霜を まっ根 製造さ れたもので, 終戦近く なるとスク ラップを多 く用 いていたことを裏付 けるものである。

終戦直後の状況を, 五十嵐博士は こう書き記してい る 79)。 「敗戦後早や 2年も退ぎよ うとして居るそのあいだに 金物屋は申すに及ばず, 百貨店 も雑貨屋 も電気器具屋 も, 人闘のかqtI zE《宮が ZEにft 果は露天商も, すべては白一色か と思はれる程の軽合金 の氾濫。 これまさ に軽金属時代である。 《逽まv 新憲法は発布され政治は民衆の ものになったとはいえ, 其の足どり は中々 だが, 戦時中鍋釜まで供出させられた 軽金属は, たちまちにして民衆の ものと変った。 今や大 衆は右向いても左向いても白く輝く軽金属にぶつかる。 Fig. 23 Poetries in the diary from chronological ないないづくめの此の世の中に, たYあるものは, 閣と record of Dr. Igarashi 75) 軽金属だと云ひたい位だ。 新日本の文化は軽金属の利用

298 Vo1.54 No.l 超々 ジュラノレミ ンと零戦 超々 ジュラルミ ン開発物語 (その2) 299

Fig. Exterior and interior of the dome in Tokyo Station before restoration 24

Fig. Photographs of the ceiling 25 から始ま る と云っても, 過言ではあるまい。 困難 と感じたのであるが, 加工が出来ればよろ しい, 物 敗戦後間 もない時であった。 軽金属を車問に使っ たら になり古へすればと云ふ事になれば, 少しぐらい不純物 どうかと推薦に出かけた。 早速試作す る事になって喜ん (主 と して鉄) が増加 しでも, 案外楽である (鉄に封 し で焼ださ れの仮寓 (木曾川べりの養鐙堂のー偶) に帰っ て夫々 淫索等を添加すれば尚優秀になる)。 て見れば, 塵取が買 って来てあった。 SDC と紫イ ンも だが先に も云った通り自然の勢と して流れて居る材料 あざやかに。 欧米では 10年も前からヂュ ラJレミ ン の高 は, こんな面倒な事は飛び越 して鋳物屋のノレツボの中に 級車は走って窟たが, ヂュラノレ ミ ンの腹取とは驚いた。 とけ込んで行く にきまって居る。 何もかも鋳物でつ くっ 然し考へ直 して見れば至極常然の事か もしれない。 なに て見る。 勿論常道で はない。 従って長続 きもすまい。 ひとつ無い焼け野原では自の前にあるものを何にでも流 製造を禁止される軽金属は輸入にまつより道はない。 用する。 勿論常道ではあるまい。 もったいないとも云へ 昔舶来 とは貴重品の代名詞だ った。 今後の軽金属は舶来 ょう。 だが自然の勢であ る。 かく て軽金属時代が出現, になる。 各々其の特性を十二分に発揮せ しめ得なければ, 諸種の笈際試験で体験されつつある。J 新しい軽金属は使へな くなる事は云ふまでもあるまい。」 「ヂュ ラノレミ ンDや超ヂュ ラノレミ ンSDは, 御承知 の通り構造用材料と しで少しでも強いよ うにと 苦労を し 一方, 西村教授は 「我が軽金属工業並に学界の進むべ た材料であるが, 各方面に流用する事になれば加工 し易 き道」 と題して以下のように書き記している印〉。 いと云ふ事が第ーとなる。 欽くせねばな らぬ。 焼鈍温度 「日華事変以釆 12 年に近くなるその間我が閣は戦争 や焼鈍時間が焼入温度や焼入時間に取って代らばな らぬ。 日的に供するため乏 し い鉱産資源を滋拐 し永年貯蔵 した ものにしようと云ふ人々 の一念はむづか しい事を云はな 資材を消費 し尽し, なほ都市を爆ᨻで失ってしまった。 くても, 夫々 しるるべく物になって行く。 然しそれは板 それに道義まで廃瀕 し て現在ではイ ンフ レに恨みつつ惨 や棒がある聞の事である。 屑を集めて板や棒につ くらふ めな姿を世界にさ らしている。 我々 はこの敗戦の苦難の と云ふ事になると, そう簡単にはまいらぬ。 然しこれも 生活を続けながら, 国家の再建を計るべき必要があ るが, 構造材料と して少しでも強く と考へればこそ, 苦心 もし 之は容易な業ではない。 殊に航空機工業の全般的の禁止

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は, 軽金属材料の工業の前途に全 く 光明を失はせ, その やうなものが是非望ま しい。 この他にも同様の例が多い 日暮しの個人と同じく街生活をな して, 唯戦時中に貯蔵 と考へる。」 した材料を喰ひっぷ しているに過ぎない現状である。 最近になり, 漸く貿易の再閲 と か講和会議の開催とか 零戦の設計の責任者であった堀越二郎氏も, 昭和 30 云ふ問題が新聞に見るやうになる, 幾分気分が明 くなっ 年頃, 住友金属に来て, 管棒工場にあったポー ト ホーノレ たゃうである。 しかし我が国の再建の 目途がつ いたとは ダイ スによる中空押出形材に目をとめられて 「こんな形 云へない。 恐らく自由な貿易が出来る 日 は遠い将来で, が出来る のですか。 戦争中, 我々 は削って削って, それ 当方は総て何事をなすに も指示を受けて初めて許される が作業の大半だったのです」 と, 感慨深く その場に立ち と云ふ状態がつ Yくのであ らう。 止ま られた。 「こんな ものが出来るなら」 と, また新し しかし悲観しては何日までも立ち あがれないから, 再 い構想が浮かんだので しょうかと元常務取締役の深井誠 起の努力を惜 しまないことが第ーであ り, またその時々 吉氏は述べている則。 ポー トホール押出が可能で 2024- に対処 して方策を樹て 〉進むと向時に, 恒久の策をも考 T3 材並みの強度を有する 2013 合金押出材は, この一言 へて置かねは'な ら ない。」 がきっかけとなって開発さ れた。 ⯺金属工業の進むべき道と して, 次の点を指摘 してい るが, 予想 はほぼ的中 したといえよ う。 東北大学に移 られた後の五十嵐博士については 「金属j 「地を走る もの〉軽金属化 それには古 しつめ地上の輸 に脅かれた元岩手大学教授飯島嘉明博士の 「超々 ジュラ 送機である。 鉄道, 車縞, トラック, オートパイなどに ルミ ンと五十嵐勇」 が詳 しい則。 出来るだけ利用の途を開いて欲しい。 これ等の輸送機を 「五十嵐勇博士は住友金属の研究所長を辞 して, 昭和 海外に輸出するとしても, 新しい進歩した設計でス マ ー 22年, 柳行李一つ下げて ザュック姿で燪然と仙台にやっ トな形状 とするためにも , 重要の軽減の点か らも, 軽金 てきた。 空襲で丸焼け後の仙台には下宿などない。 金属 属材料を使用する安があ ることは申すまでもない。 建築, 工学科 2 階の教授室 に登 2枚敷いて自炊生活を始めた。 家具な どにも現在既に利用や られているが, 之も出来る 当時は実験室や製図室に学生が寝泊ま り していたので特 だけ合理的な使用を考へねばな らない。 例へばデュ ラ ノレ に不自然でもなかった。H五十嵐博士 は, 夕方になると, ミンはその強さ に特徴があ る のだが, 耐蝕性は劣るから ちょうど, 入院患者の病室に回診にやってく る医者のよ 建築方面で も腐蝕が問題となる方面は耐蝕性合金 とか, うに, 実験室にお見え になって, テ' イ スカッショ ン を し 合せ枚 とかを用ひるやうにする。 かやう に考へる と相当 て, 今後の実験方向を指示 して下さ った。 なにしろ, 2 研究の余地が残されている。 な ほ一歩進んで希望を述べ 階の教授室に畳を 2枚持ち込んで寝泊ま りしていて, と ると, かや う な加工材も, その適合した製品 として, 海 きどき夜は 89寺頃になると, 1どう じゃ, いっぱいやら 外にまで輸出 したい。」 んか」 と, キングとかアイディ アノレとかいうウイスキー 我が軽金属学界の進むべき方向については, 1学徒に を欽ませ てくれたり したものだった。 なにしろ, 昭和 不動の{言念あれ」 として, 次のよ うに述べているが, 現 27 年の頃は, まだ電力事情が悪 く, 電圧は 93�98 ボノレ 在で も十分当てはま ることではなかろ うか。 トほどしかな く, しかも値は一定でな く, 絶えず上下 し 「元来学術の研究は流行を追ふべきものでない。 独自 ているので, 試料の溶解は 「徹夜してで も一気に作った の見地から民理の探究に孜々 と して進むべきであるから, ほうがよいJ と指示されていた時代であ る」。 戦後は, 時代が変わ ったからとて急に研究の対象を変更すべきで 主に純アル ミニウムやアルミニウ ム合金の再結晶挙動や ない。 状態図を研究するもよいし, 時効の現象を追究 し 鋳鉄の凝闘過程, 黒鉛化に関する研究を行な った。 ても差支へない。 唯, 現在禁止さ れいる方向にのみ触れ なければ差支へない。 幸い軽金属材料に関 しての研究は 4. 2 戦後の援金属学 一西村教授, 村上教授に 禁止されていないから, 知何な る方向に進出 しでもよい RP してー と店、ふ。 がしかし国力が甚 しく低下 し た現状で皆が同 じ 京都大学の冶金学教室金属材料学講座を率いてこられ 方面に集中したら, 無駄な仕事を しないこと, もっと独 た西村教授 とその後を継がれた村上陽太郎教授の執筆さ 自の立場で猿の人真似とならぬゃう心掛けて貰ひたい。 れた随想、や文献, 解説に即 し て戦後の研究の歩みをま と 外国の研究を見る と, 一人があ る題目で研究していると めてみたい。 き, 他の人がそれと争って同じ題目の研究を したりする ことは少いや うであるロ まず, 758 に対す る評価であるが, 西村教授は 「随筆 それにつけても唯是非とも研究 して置きたいことは, 軽合金史 (第 40 凹)J 町で, 1758 もHD も亜鉛が多い アルミニウ ム製錬で も軽金属材料に関しでも, 戦時中未 と応力害lれの危険があ るから, 強さを多少犠牲に して安 完成のま 〉残されたものはこの際解決 して学界に発表 し, 全な材料と して造られたものである。 また仏国で も 日本の研究成果の裏付けを して置きたいロ 例へば材料で 1933 年以来, d'Alais, Froges et Camargue 会社にて HD とかND, とか云ふや うなものに関する基礎研究の Gauthier とVacher 両氏によって研究さ れて Zicral と

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称しているものである。 亜鉛 8.5%, 銅1%, マグネシ な本が少な くなったことが残念であ る。 若く して聴覚 ウム 2.5%, マンガン0.75% の合金であ る。 いずれも E を失 っ たが故に, これをハ ンディ キャップとせず, 雑 8. D に類似 しているが, 亜鉛はやや低い ものが多い。 音に囚われずに熟考で きたのではないのか と失礼なが ミ ネソタ大学の Mackay と Dowdell 両氏が Metal Pro­ らつい思ってしまう。 Hume-Rothery の生涯につい gress (1949 年, 9月, p.331) 誌上に強力経合金の動向 ては小岩昌宏博士の 「金属学プロムナー という問題の下にこれ等の合金について論評し, その う ドJ 削に詳しし、。 ちにE.8.Dは耐食性が低 く圧延並びに押出が困難であ っ たと書いている。 恐ら く E. 8.Dについても試験 したの 〔注 2) 村上陽太郎教授は 1917 年4月生ま れで, であ ろう。 金属材料は一般に信頼性に乏しいものは避け 1942年9月京都帝国大学工学部冶金学科を卒業。 そ るべきである。 単に強力であ るという点から使用するの の後, 講師, 助教授を経て, 1953 年工学部教授 に昇 は危倹である。 殊に応力害1)れの生 じ易い もの, 或は焼戻 進された。 この栂 1952 年工学博士を授与 され, 1981 脆性の敏感な ものは避けなければな らない。 将来 もt." 年京都大学を退官 し京大名誉教授に, さらに関西大学 超強力軽合金の必要がある場合, E. 8.Dと758 と何れ 教授に着任 し 1988 年退職。 1986 年�1997 年(財) 大 を求めるべきかとの質問に対して, 758 と答えざるを得 阪科学技術セ ンター付属ニューマテ リ アルセYタ一所 ないであろう。 E. 8. D は我が国で生まれた材料ではあ 長, そのほか (財) 軽金属奨学会理事, 評議員, 軽金 るが製造の難易か らも, かく答えざるを得ないのではな 属学会部会長, 日本金属学会副会長を歴任された。 かろうか。J と率直に語っている。 これに対し, 小織は 1985 年第 26 回本多記念賞受賞, 1990 年第 35 回日本 こんなに製造が難 しい合金をよ く現場が協力 して作って 金属学会賞, 1991 年勲ニ瑞宝章受賞, 1998 年第 1閉 くれた ものだと感心している。 現場の製造技術の創窓工 軽金属学会賞を受賞さ れた。 村上教授は, ニューマテ 夫がな くてはとてもできる合金ではない。 戦時中だか ら リアルセ ンターの所長となられた後, 己の 22 年間, こそできた合金 といえよう。 平時に は現場か らこんな合 iNMCニュースレター」 に最新の トピックスを, 専門 金でき るかと怒られて考え直 して こいといわれるのが落 外の方々 にも読めるようにわかりやすく執筆され, 昨 ちである。 海軍の要求の引張強さ 60kg/mm'を満た し, 年「新素材 ・ 新技術, 第V集J (ニ ューマテ リ アルセ 応力腐食害1)れ防止のためには, ここまでの成分量が必要 ンター) 則を出版されている。 教授のE皇室罪、と歩かれ とされたのだ。 応力腐食害1)れの限界については, どこで るお姿とこの知的好奇心の旺盛さ にははなはだ総嘆す 線引きするか今でも難しい判断が要求される。 しかし戦 るものである。 Fig. 26, 27 の写真は 2009年8月, 名 後の米国の高強度7ノレ ミニウ ム合金開発の合金成分をみ 古屋で開催 し た東海水曜会 (東海地区の京都大学金属 ると間違いな く超々ジュラノレミ ンの成分に向か っている。 系, 資源系学会の悶窓会) での講演をされる村上教授 このことはE8D の先進性を示す ものといえよう。 とそのと きのテキス ト 削である。 2009 年には92歳と なられたど高齢の村上教授に東海水曜会にでご講演を 西村教授によると, 英国では Hume-Rothery 氏(注 お願い し た次第である。 これはこの前年に京都で閲 監 1 ) の指導で Raynor 等の諸氏が AI-Mg-Zn 系合金, そ された第 31 回軽金属学会セ ミナーで 「アル ミニウ ム れに Mn, Cu な どを加えた合金の状態殴の研究を発表 合金の時効折出にまつわる歴史と進歩」 削と題して していて基礎研究が続け られている。 「ここに研究を忘 村上教授が講演され, よく通る お芦でお話 しになる様 れないで着々 と成果を挙げて行く 英国の着実さ が見受け 子をみて, 是非東海地区で もど講演くださいとお願い られるようである」 削 と書いている。 日本では, 西村 したところ快く お引き受けいただき講演の運びとなっ 教授の下で村上競太郎教授 (注 2) がAI-Zn-Mg 合金 状態図の研究を続けていた。

(桟 1) Hume-Rothery (1899-1968) に関 し ては, 多 くの方々が述べてお られるので, 小職如 きが述べるの も気が引けるが, 学生時代, 指導教官の山本悟博士 と "The structure of Metals and Alloys, 4th editon" , (W. Hume-Rothery 阻d G. V. Raynor, The Insti tute of Metals, 1962)や 「鉄側助性工学入門J (W. ヒュー ム・ロザリ ー, 平野賢一訳, 共立出版, 1968) を読ん だ記憶をなつか しく思い出す。 「対話金属基礎論J (鈴 木平監訳, アグネ, 1971) ではYoung 8cientist と Fig. 26 Lecture of Prof. Murakami at Tok田 Suiyokai Old Metallurgist との対話形式で書かれ, 自分はどっ Cgraduate冶 association of Metallurgy and ちなのだろうかと思いながら読んだ。 最近, このよう Mining department, Kyoto University)

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Fig. 27 Cover 四d table of contents of the text lectured by Prof. Mur北町ni at Tokai Suiyokai 8�)

たものである。

村上教授は茨木中学, 第三高等学校と進学され, 旧制 第三高等学校の第三学年には, 大学準備を始めたが, 「よ く知っていた大学生の先輩か ら, 航空機や兵器に金 属材料が極めて重要であることを聞き, 冶金学科の内容 も教えても らい, 合金の開発の ような仕事をやってみた いという気持が強かったので, 隣の京都大学の冶金科 (当時の採鉱冶金学科は採鉱科 と冶金科に分かれていた〕 に進学する希望を決めていたJ とのことである 〔アルミ ニウム 5 (1998), 282) 1939 年京都大学 に入学 し, o+(loIr'll.)+(IoI,z.,) 0 扇面戸元石「一 在学中に発病 し一年の休学後復学 して 1942年9月繰上 玄 " げ卒業 した。 健康上の理由で兵役には関係がな くなり, F!c..Z�AI1'明白rlu 大学に残り西村教授の指導を受ける こととなった。 商村 教授か らは, 超々 ジュラJレミ ンの状態図と 時効硬化に関 するテーマが与え られ, A1-Zn-Mg-(Cu) 系状態図の研 究か ら始めた。 「当時の状態図の研究は, 多数の試料を 溶製 l, 丹念にデータを取る根気の いる仕事ですが, や れば必ず成果が出ますし, 金属組織学の多 くの実験手法 に習熟できる点で, 初心者には恰好のテーマで, 大変有 難か ったと思っていますJ と退官記念講演 (水曜会誌, 時"..,.,】封切,,㌌, 19 (1981), 495) 刊で諮っている。 実験手法は極めて 「ーで一一一--,�, シンプJレで, 示差熱分析. JiÇ差熱膨張, 硬さ測定, 光学 Fi,.l A' 顕微鏡観察などで, X線的手法はかな り高度なものと 15" 5..1・t 思われていた。 昭和 25 年工学部紀要に掲載さ れた状態 Fig. 28 Cross section of AI-Zn-Mg ternary phase diagram created by Prof. Nishimura 回d 図を Fig. 28 に示す則。 一方, 時効析出の研究では, 示 Prof. Murakami 84) 差熱膨張計で研究を行なってきたが, 海外に刺激 され

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1947�1948 年頃か ら島津製作所と 日立製作所で電子顕 ニュー ト ン以来の伝統が ものをい うのであろう, そして 微鏡の製造が始ま った。 1948 年島津製作所で 5 万ポノレ 英国人の もつ根気と いうか, とにかく学聞に誇り をもっ トの電子顕微鏡が試作され, これを用いてアノレミニウム て仕事をす る風が見える。 こ の点わが国での真の意味の の析出組織の研究を始めた。 当時, 薄膜透過法はまだ知 学聞の伝統を造って行く 必要があ る。 もっとも派閥を造 られてお らず, 酸化皮膜レプリ カ法で行な った。 この方 るのではないことを忘れてはなら ぬが」 と英国の研究を 法で, 1万倍程度で極めて明瞭な ミクロ組織が得 られ, 評価 している。 もっとも, 村上教授に よると後にな って 析出組織の観察には極めて有用なことが初めて判 り, こ 知ったとのことであるが, 日本においても 1929 年, 理 のことは当時と しては画期的なことであっ たと述べてい 化学研究所にいた山口珪次博士が世界に先駆けて転位の る。 ESD のCr の効果についても電子顕微鏡を用いて研 概念を発表されていたとのことである。 Al 単結晶の変 究を行な っている。 酸化 レプリ カ法の観察か ら, 微細な 形後の X線ラウエ斑点のぼやけの解析か ら, 結晶格子 粒界析出物が連続して析出していると, SCC 感受性が の湾曲がすべ り帯の先端に起こ って, それが加工硬化の 増すが, 析出処理混度を高く し粒界析出物が粗大化 し連 原因で あることと, 現在常識にな っている刃状転位の集 続性を失う ことで SCC 感受性が弱く なることが判った。 積によ って起こる結晶格子の湾曲を示す図と全く 同様な またCrを添加 し た合金で耐 SCC 性向上の顕著な効果 図を示されている。 今では, 加工硬化機構の論文には山 が得 られたのは, 粒界が湾曲 したり, 途中で途切れて不 口博士の論文が引用 されるとのことである針。問。 西村教 競別になることで割れが起りにく くなることが原因であ 授も山口博士の研究が転位論の発展の務芽となったこと ることを明らかに した。 これらは英文で発表 し海外で も を「続軽合金史 (第 11 回)J 削で述べてい るにもかか 高い評価を受けた とのこと。 わらず, その後の 日本金属学会の転位論の代表的な教科 X線回折法 も析出現象の解明には重要な手法であ っ 書, I転位論の金属学への応用J (日本金属学会金属結晶 た。 1942 年頃西村研究室 にも瓦斯イ オン管式 シー ラー 分科会編, 丸善, 1957), I新版転位論 ーその金属学への 管球が設置されていたが, 調援するのに手聞がかか り, 応用 J (日本金属学会編s 丸善, 1971), I結晶の塑性」 その後クーリ ッ ヂ管球を購入 したが事情で使用できなく 〔日本金属学会編, 金属物性基礎講座 8, 丸善, 1977) なった。 1953 年に教授に昇進 し, X線装置を充実させ, では山 口樽士の研究について触れていないのが不思議で 河野修博士 と一緒に, AI-Cu-Mg 系, AI-Mg-Si 系及び ある。 その後, 東京大学の鈴木秀次教授が, 日本金属学 ! AI-Zn-Mg 系合金の析出初期過程に及ぼす塑性変形な ら 会会報 (1984) で 「転位論発展の歴史と将来の展望J 90) びに添加元素の影響研究を始めた。 当初は X線ラ ウエ の中で, 山口博士について言及さ れてい るが, 教授の代 法で GPゾーンの研究を行 っていたが, 1961 年, ドイ 表的な教科書 「転位論入門J (7グネ, 1967) では述べ ツのマックス・プラ ンク金属研究所に短期間滞在 した時 られていなかった。 改めて, 閉村教授の畿般に感服 した。 に, V. Gerold 教授のところで時効初期の研究に X線 小角散乱法 (SASX法) が活用されて いることを知っ 1948 年, 西村教授は こ の転位の研究に対 し て電子顕 た。 その後河野博士が V. Gerold 教授の ところに留学 微鏡を利用することを同研究室の村上教授の弟弟子にあ して SASX 法を修得 し帰国 したが, 惜しいことに小職 たる高村仁一博士に指示 して, とり線が明瞭に観察でき の学生時代に亡く な られた。 河野修博士の研究について ることを明らかにした8同〕。 結晶の下部組織と して亜結 は, 本人の脅かれた 「析出に伴う結晶構造変化J (幸田 晶粒が存在す ることについて, Hultglen と Herrlander 成康編, I合金の析出J) 舶に詳しい。 その後の SASX が鋼で観察 した結果を 1946 年発表 したが, ア ルミニウ 法は村上先生の後任の長村光造教授に号|き継がれた。 ムでは 99.99% を用 いて, ラコンブ (P. Lacombe) と ボージャーノレ (L. Beaujard) 両氏が 1947 年発表 した。 加工硬化に関 しても戦争中, 外国では基礎研究がすす 1949 年には Castaing と Guinier が電子顕微鏡で見いだ んでいた。 金属結晶の本質を知るためには単結晶から始 している。 ポリゴニゼーショ ン (Polygoni阻むon) も める必要があ るが, 商村教授によるとアルミ ニウムの単 一種の亜粒界であ るが, わずかに変形 した結品は, X 結晶を造るのに初めて成功 したのは英国のカーベンタ一 線ではラウエ斑点が変形の ために伸びてアステ リズムを 博士で, 歪一焼鈍i法と云われている則。 この博士の講 示し, 加熱すると亜粒界が生 じ分裂 した斑点と なり, カー 演で 「単結晶 は極めて柔かい。 すなわち弾性限界が極め ン (R. W. Cahn) とオロワン (E. Orowan) 両氏は湾 て低い。 こ んな低い応力でどう して変形するのだろ う。 曲 した面が多角化 したと考え, ポリゴニゼーショ ン と名 金属結晶が一つ の面である方向に極めて容易にとり始め 付けた。 電子顕微鏡が発達してく るととり線以外に変形 るのは何故だろ う。 とりが進むにつれてとり抵抗が増す 帯の生成が知 られてきた。 変形帯については 1950 年頃 のは何故だ ろ う」 との疑問に対し, テーラ一氏らは から注目されたもので, Honeycomb, Cahn, Chen な 1934 年, 原子配列 に欠陥があ ってそ の欠絡が移動する どのよって研究さ れた。 これも高村教授によ っ て研究が との転位説を提唱した。 こうした粘り強い研究に対 して, なされ, ζ り方向に直角な [110J 方向に生じることが認 西村教授は 「英国における塑性変形の研究の伝統の強さ, められた。 西村教授等は 「変形帯と いう ものは単結晶の

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両端在国定 して引張る と所謂とりが一定のとり面でと り 1965年頃には, 各種の新 し い機器の利用 によって, 方向に生じるとすると, 試片がそのままではとり得ない 従来疑問視されていた種々 の現象が基礎的に究明される 状態に達する。 その無理を避けて変形するために生じる ようになってきた。 一方, 経済の拡大に よりアノレミニウ 一積のと り現象であ るJ と結論づけているω)。 ム合金の需要も盛んになり, 時効硬化性アノレ ミニウム合 金も Al-Mg-Si 系合金はサ ッシと して広く利用古れ, ま その後, 析出硬化機構について著しく進歩したが, そ たAl-Zn-Mg 系合金は各種の構造物の部材と しての用 の理由について, 村上先生は, 1956 年になって, W 途が拡大L, 実用 的に も種々 の問題がでてきた。 その一 Bollmann やP. B. Hirsch が, ステンレス鯛や Alの薄 つが 「ニ段時効J (two-step aging, split aging) 問題 膜試料を用いて, 転位, 格子欠陥ゃ内部組織の直接観察 で, 各国で研究された。 Al-Zn-Mg 系合金は室温で長 く を可能に したことを挙げている旬、 当時一般的であっ おけばおく ほ ど二段目の高温時効後の強度は高く なる。 た加速電圧 100kV の電子顕微鏡では, 約2000Âの摩さ これに対し, Al-Mg-Si 系合金は Mg,Si が多 いと室温 の薄膜にする必要があ る。 ボーノレマ ン法やジェ ッ ト・ポ で放置すればするほど, 二段目の高温時効後の強度は低 リッシング法が開発され, 電解研磨で作成できるように 下す る。 この現象に対して, 詳細は村上教授の執筆され なった。 その後, ダイ ヤモンド・カッ ターで も良質な薄 たレビュー 「アル ミニウ ム合金およ び銅合金の時効過 膜が得られるが加工歪みが問題となることがある。 現在 程」 叫や 「最近の非鉄合金の時効析出における問題 ではさ らにイオン ・ミリング法, 特にその一種である その 1 7ノレミニウ ム合金」 刊に譲る と して, 1967 年 FIB (Focused Ion Beam) 法では観察 したい場所を ピ 軽金属学会で白熱 し た議論がなされ, この問題は一応の ンポイ ントで薄くできる。「薄膜の透過電顕観察法が可 解決はなされた と先生は述べている判。 しかし, 未解 能にな ったことで, 微細な析出中目が観察で き, 制限視野 決の問題 もあり, 先の レビューでは IG. P ゾー ンが中 電子線回折法で, 析出相の構造や母相 と の方位関係を解 間相の核になることを完全に実証することはできないが, 析で きること, 更に高分解能分析霞顕では析出物の化学 G. Pゾー ンが漸次その構造を変えて中間相 に移行す る 組成が分析できること, 一方, 結晶中の種々 の格子欠陥 ことはありそうに恩われる。 {可が強化に寄与 しているか も直接観察で きて, 電顕中で加熱や引張応力を与え るこ も未だ十分明確で もないし, G. P ゾー ンそのものの定 とで格子欠陥の析出に及ぼす影響, 転位と析出物の相互 義やその構造自体も十分究明 されて, はじめてこれらの 作用や, 過飽和国溶体か らの析出過程や運動転位 と析出 問題がさ らに明確にな るもの と思われ, そのことが期待 物の相互作用が直接観察できるようになり X線, 電気 される」 と結んでいる。 この教授の述べ られた未解決の 抵抗, 比熱, 機械的性質の測定を併用する ことによって, 問題は今なお続いている課題でもあり, これらの陪題は 析出硬化機構が明 らかになってきた」 問。 私事で恐縮す 小職 も拘った 1990 年代の自動車板材のベー タハ ド性 るが, 小職 も学生時代 (1972�75 年頃), 山本悟博士の 向上の研究で再び顔を出 し てく る。 指導の もとで, 研究室の日本電子製 120kV 電子顕微鏡 を用いて, じっ く り観察がで き振動の少な い夜を選んで 4. 3 戦後のアルミニウム産業の動向 徹夜で卒業論文, 修土論文に取り組ん だことを思い出す。 アノレミニウムの需要は, 第二次世界大戦中では需要の 白銑中のセメ ンタイ トの生成機構ではセメ ンタイ トの構 大半を航空機用が占めていたが, 戦後は大幅に縮小 し, 造や母相と の方位関係を, セメ ンタイ トの黒鉛化や球状 まず家庭用器物, 日用品の需要が急速に伸 び, 続いて自 黒鉛鋳鉄中の黒鉛の生成綴瀧の研究では, 空洞の内壁面 動車, 車両, 機械な どの分野に新需要を開拓 した。 その の各所か ら黒鉛が双品関係で積臆 されて中心方向に成長 後, サッシ, ドア, カーテンウオーノレな どの建築部門, して球状黒鉛が出来ている こと, そしてその c紬が球の 自動車, トラック, トレーラー, 鉄道車両, 船舶などの 中心方向 に向いていることなどを明らかにして, 黒鉛化 輸送機関, テレビ, 電気洗濯機などの電機通信機器, 電 機構や球状黒鉛の形成機構を考え る上で電子顕微鏡が有 力の送電線, 包装容器などの一般民需市場が急速に拡大 効な手段であることを実感 した。 ただ し当時はウ インド した。 戦後か ら 1960 年代中頃ま でのアル ミニウム工業 ウ法やジェ ッ ト法による電解研磨 しかなかった時代で, の動向については, 佐藤良住, 藤井清隆著の 17ノレミニ また現在のように市販の装置 もないため, セメ ンタイ ト ウム工業J 76) に詳しいので, それに基づいてまとめた。 の観察では, 鋳鉄を研磨 して薄片と し, 高いところから ロシア, 中国, 豪州などについては別途稿を改め ること 液を流 してジェ ッ トを作ったことを覚えている。 黒鉛の にする。 観察結果は 「球状黒鉛鋳鉄一基礎・理論・応用ーJ 9l} の 本に掲載された。 こうした研究は, 入社後アルミ ニウム (1) 北米 中の球状の品出物の形成綴構を考える上で大いに役立つ 第二次世界大戦に よって, 戦争の被害を受けず, かっ たロ その成果は 「純アルミニウ ム中における α-A1FeSi 大戦に勝利したアメ リカの優位は圧倒的で, 1939 年に 晶出相の球状化機構J 92 ) の論文で報告さ れ, 平成 11 年 は年間地金生産約 15 万ト ンであ っ たが, 1943 年には 度の軽金属学会論文賞を頂いた。 7倍の83万ト ンに拡大 した。 軍需を中心と したアル ミ

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ニウムの需要により, アノレコアは自社工場のみな らず, キャン, ベシ不一 7ノレスイ ス三社の統合を受けて 7 政府の建設 した8つの7Jレミニウ ム工場の受託経営 も行 Jレ コアはAlumax, Reynolds, Howmet を買収 した。 うこととなり, アルコ アの独占は強化された。 しかし, 2004 年, アノレミニウ ム圧延の コモン ウエノレス社 (Com­ アノレコ 7の独占を恐れたアメ ワ カ政府は, 1940 年, 軽 monwealth Industries, Inc.) はリサイクルメ ーカーの 金属加工業者であ ったレイ ノ ノレズ社に地金生産の許可を IMCO Recycling Inc.と合併 してアノレミニウムのリサ 与え, 資金を融資 し, アメ リ カのアノレミニウム工業の第 イ クノレと圧延を手がけるアレリス社 (Aleris Interna 二の地位に育てた。 さらに, アメ リ カ政府は 1949 年カ tional, Inc.) を設立 した。 2日06 年, アレリス社は欽州 イザ一社への政府工場の払い下げを行った。 カイザ一社 圧延メ カーのコーラス社 (Corus Group plc) を翼収 が進出 した 1949 年のアメ リカに おけるアノレミ ニウム生 した。 産の シェアは, アルコ751%, レイ ノ ノレズ 29%, カイ ザー 20% となり, 戦前に比べて7ノレコ71'土の シェアは カナダにおいて もアノレキ ャンは朝鮮動乱を機に生産を 半減 した。 1950 年 アメ リカ連邦裁判所はアノレコ7社が 拡大 していった。 1951年にはケベック州の低擦な水力 カナダのアルミニウム ・リミ テッ ド (Aluminium Lim­ に依存した体制を一新 し, プリティ ッシュ・コロ ンピア ited) を通 じて7,レミニウムを独占して いると して, ア 州のキチマ ットに世界最大のアノレミニウム製錬工場の建 ノレコ アならびにアルミ ニウム・リミテッ ドの両社の株主 設に着手 した。 1956 年には, アノレキャ ンの独 占が崩れ, であるメロン, デピス, テュークの三大財閥に対 しいず 英国の ブリ ティ ッシA・7Jレミニウ ム系のカナテoィ アン・ れか一方の株式を売却すべき ことを命令 した。 これによ プリティッシュ・アノレミニウム社 (Canadian British りアノレ コ アとアルミニウム ・リミテッ ドは完全にB畑の Aluminium Co., Ltd., 後に レイ ノ ノレズの子会社となる) 企業体と し て活動することとなり, 北米は7Jレコア, レ が地元の企業との共同出資で設立された。 1966 年 イノノレズ, カイザー, アノレキ ャン (アノレ ミ ニウム・リミ Aluminium Limited はAlcan Aluminium Limited と テッ ド の子会社) という聞社の築占状態で発展 した。 改称 した。 1999 年, Alcan Aluminium Limited はスイ 1950 年勃発 した朝鮮動乱に より。 アノレミニウムの需要 スのAlgroup (Alusuiss Lonza Group) とフランスの は一層増しアルミ ニウムの拡張計 画が進み, 新規企業 と Pechiney の三社の統合を図ろ うとしたが, 欧州の独禁 してハーベイ社 (Harvey Machine Coふ アベッ クス 法の関係です ぐには実現せず, まず2000 年に Algroup 社 (Apex Smelting Co.) の参入が認め られた。 同時に を買収 l.. , 2001 年 Alcan Inc となった。 2003 年には 各企業はいずれも建設費の 85% の五ヵ年加速償却を認 Pechiney を買収 して三社は統合された。 2005 年には められた うえ, 新工場で生産されたもののうち商業ベー Alcan Inc から圧延部門が分離独立 し, ノベリス社 スで販売しえなかった売れ残りのアルミニウムを政府が (Novelis Inc.) となったが, ノベリス社は 2007 年 貰い上げる という優遇措鐙の恩窓を受けたので, 積極的 Hindalco Industries Limited に買収さ れた。 2007 年, に設備拡張を行なった。 その後, アベッ クス社は撤退 し Rio Tinto が Alcan Inc.を買収 し, 2009 年Rio Tinto たが, ハーベイ社はハーベイ ・アノレミニウム社 (Harvey Alcan と改称した。 加工部門の Alcan Packaging は, Aluminum Co.) をE ついで7ナコ ンダ社 (Anaconda 2010 年議州 の Amcor に買収さ れた。 さらに同 じく Copper Mining Co.) が参入 し 7ナコ ンダ・ アノレミニ Alcan Engineering Products は, 2011 年, Apollo ウム社 (Anaconda Aluminum Co.) を, オリン社 Global Management 等が資本参加 し, フランスに本社 (Olin Mathieson Chemical Corp.) とレベ ア・カッ パ一 を置 くコンステリウム社 (Constellium) となった。 社 (Revere Copper and Brass Co.) と共同でオ ーメ ッ ト社 (Ormet Corp.) を設立 した。 こうしてアノレコ ア社 (2) 欽州 のシェアは1949年の 51% から 1958 年の 38% へと大幅 戦前, 世界第一位を誇った ドイ ツは, 敗戦によって大 な低下を示 した。 しか し, アノレミニウムの生産震は拡大 きな打撃を受け地盤沈下は著 しかったが, 朝鮮動到しによっ の一途をたどり, 1955年の150万トンから 1960 年には て復興 し, 戦後 12年にして戦前の最高水準まで回復し 220万トン, 1965 年には250万ト ンへと拡大した。 アノレ た。 スイス・アノレミニウム (元 AIAG) 系のアノレミニ コ7社の売上高は 1960 年の約 8億ドノレから 1965 年には ウム ・ ヒュッテ・ ラインブェノレデンネ土 (Aluminium 約12億ドノレと延びた。 1960 年代においても新たな参入 Hutte Rheinfelden G.m.b.H) と国営企業のフェライニッ があ り, 1963 年スイス・アノレミ ニウム系のコンソ リデー ヒテ・アノレミニウム社 (VA W Vereinigte テッ ド ・アノレ ミニウム社 (Consolidated Aluminum Aluminiumwerke AG) の二社体制が続いた。 両社の Corp.) が, 1964 年にアマックス・ アノレミニウム社 地金生産の シェアは, フェライニッヒテ社が 80%, (Amax Aluminum Co.) とフランス, ベシネ一系の会 AIAG が20%であ る。 1965 年, アノレキ ャン社と VAW 社が株式参加したイ ンタノレコ ・アノレ ミニウム社 は合弁で アノレノ ノレ フ社 (Aluminium Norf G.m.b.H) (Intalco Aluminum Corp.) が設立された。 1970年代, を設立 し, アノレノ ノレフ社は世界最大の圧延工場 となった。 アノレコア は積極的に海外展開を図った。 2000 年s アノレ そのVAW は 2002 年, ノノレウェーのハイ ドロ社

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(Hydro Aluminium AS) に買収され, アノレノ ノレ フ社は, Norsk Hydro-Electrisk Kvaelstofakieselskab とハー 現在, ハイ ドロ社とアノレキ ャ ン社から出たノ ベリス社が ベイ ・ アノレミニウム社の合弁でできたが, 現在はハイ ド 運営 している。 1964 年, カイザーはドイ ツのコ プレン ロの子会社である。 同国企業六社がすべて外国資本との ツ (Koblenz) に圧延工場を建設 したが, 1987年オラン 合弁企業でできたが, 現在モスジョアン社以外はハイ ド ダの鉄鋼資本ホーゴベ ンス社 (Koninklijke ロ社に吸収古れた。 1969 年, ハイ ドロ社の前身である Hoogovens) の傘下に入っ た。 その後, 1999 年, ベ ル A/S Norsk Hydro-Electrisk Kvaelstofakieselskab は ギーのデュ ッフェル (Duffel) の圧延工場, 押出工場と ノノレス ク ・ハイ ドロ社 (Norsk Hydro A,S,) と改称し ともにコーラスグループ (Corus Group) に入っ たが, た。 1972年にはノ ノレウェ一政府はノ ノレス ク・ハイ ドロ アルミニウムの圧延押出事業は 2006 年に米国のア レリ 社の株の 51% を所有 し, 1980 年代, 軽合金部門を拡張 ス社に買収古れた。 した。 まず, アノレキャ ン・7/レ ミ ニウムリミテッドから 欧州の 5つの押出工場を寅収した。 次に 1986 年には国 フランス は終戦後の回復は ドイ ツより早く, 1950 年 営の アーダノレ ・ ベノレクネ土を合併 し, 1988 年 Hydro Alu には戦前の ピーク まで回復 し, アルミ ニウム生産量は minum AS と改称し, 自動車のエアコ ン配管材に焦点 1958 年には 16万ト ンに逮して, アメ リカ, カナダ, ソ をあて押出 ビジネスを拡大 した。 1998 年, ハイ ドロ社 速に次ぐ世界第四位となった。 1960 年代に入っても相 は石油とエヰノレギー, 農業, 軽金属 をコアビジネスと位 当発展を示 したが, ベシネ一社とユジーヌ社の戦前か ら 置づけて非コ アビジネスを売却 した。 2002 年, ドイツ のこ社独占体制は崩れなかった。 しかし, 1971 年, ベ のVAW を畏収 して板の圧延品に も進出 した。 2012 年 シネ一社とユジーヌ ・クーノレマンが合併 し, 持株会社ベ にはハイ ドロ社がオ ーク ラネ土 (Orkla ASA) の子会社 シネー ・ ユジーヌ ・クー ルマ ン (Pechiney-U gine­ でス ウェーデンのサパ社 (Sapa AB) と押出事業を統 Kuhlmann) となった。 電力条件の不利を克服すべく積 合することで合意 した。 極的に海外進出を図っ た。 オイ ル ショッ ク後, 1982 年, 化学 と 特殊鋼の分野を諦めて会社の名前を Pechiney と スイ スでは, スイス ・ アノレミニウ ム社は国内だけでな したが, 前述のよ うに2003 年 Alcan に買収され, その く, 海外に も進出 した。 1990 年には Alusuisse-Lonza 圧延加工部門 Alcan Engineered Products は, 2011 年 Holdings AG と名称を変更 し, さらに1998 年には Constellium と名前を変えた。 Algroup となったが, 2000 年には Alcan に買収された イギリスには1894 年設立されたプザティッシュ・アル ノノレウェーは西欧で はフラ ンスに次ぐ生産国で, 1962 ミニウム (British Aluminium Ltd,) があ るが, 1959 年には 20万ト ン台の水準に達した。 最大の アーダJレ ・ 年, レイ ノJレズと TI Group が質収 したo その後 1982 ベノレク社 (A/S Árdel og Sunndal Verk) は 1948 年ノ 年7/レキ ャンに 買収古れ, プリティ シュ ・アルキ ャン ノレ ウェー医会の決定で設立された 国営企業である。 (British Alcan Ltd) と改称した。 アノレキ ャ ンは 1996 1966年にはアノレキ ャンと提携 したが, 1986 年ハイ ドロ 年に投資会社に売り, 再び British Aluminium Ltd, と 社に吸収された。 第二位のモス ジョアン社 (A/S Mosj­ なり, これをアノレコアが買収する といったM&A の対 øen Aluminium Verk) はノ ルウ ェ ー最大の電気化学メ ー 象となった。 カ のエ レク トロ・ケミ スクネ土 (Elektrokemisk S, A のちの Elkem 社) と7/レコア社の合弁と してできた企 (3) 日本削 業であるが, 現在はアノレコア社の子会社であ る。 同国で 戦前 は, アノレミナの製造と電解の一貫メ ーカ が10 最も古い企業であ るデッ 卜・ノノレス ク ・ニトリダクテー 社, アノレミナ専業メ ーカーが7社, 電解事業メ ーカーが ゼルス カ ブ社 (Det Norske Nitridaktieselskap, DNN) 3社あり, その生産能力 は7/レ ミナ年産 48万トン, ア の株式はアノレキャンとプリティ ッシュ・7/レ ミニウムが ノレ ミニウ ム地金年産 20万ト ンであった。 日本経金属, 折半 し て所有 していたが, 1976 年その一部は国営化さ 昭和電ヱ, 住友アノレ ミ 三社が全体の 55% を占めていた。 れた。 ノノレ スク ・ アノレミニウム社 (A/S Norsk 戦後は軍の需要を失い, 多く の製錬企業は震を断念 し, Aluminium Co,) もナコ一社 (De Norsk N aco司 戦後は先の三社が生き残り寡占状態となった。 その後, AktierA/S) とアルキ ャ ンが折半で株式を保有 してい アノレミニウムの大幅な需要で, 新規メ ーカーの参入がで たが, 1986 年ハイ ドロの子会社となった。 1965 年稼働 てきた。 1960 年三菱化成を中心とする三菱グループは したソーノレ・ノノレジュ社 (Sør-Norge Aluminium 直江津にアルミニウム製錬工場の建設を発表 し, 1963 A/S) はスイス・アノレミニウム社と フランスの金融会社 年操業を開始し, 第四の製録企業と して登場 した。 三井 が株式の 75%, 地元資本が 25% を保有す る合弁企業で グループも 1968 年三井アルミ ニウムを設立 して, 第五 あったが, 現在はアノレキャンとハイ ドロの合弁会社であ 勢力 として受場 した。 この間, 八幡製綴もカイザーと組 る。 1964 年設立されたアルノ ーノレ社 (A/S Alnor­ んで, 製錬加工の一貫工場を作ろ うとしたが, 既存庄延 Aluminium Norway) もノルウェーの 電力会社 A/S 業界の猛反対に会い, 製錬部門は断念し, 加工だけの

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「スカイアノレミニウム」 が1967年操業を開始した。 その を確保 し, 新需要の開拓を はかる ため, 三次加工企業を 後, 住友軽金属 は製錬加工の一貫工場を目指して, 1973 育成 し, 系列支配を強化した。 1965 年頃の 日本のアノレ 年71レミニウ ム製錬を行 う 「住軽アノレミニウム工業」 を ミニウム産業の系列図を Fig. 29 に示す則。 その後古湾 設立 した。 アノレミ ニウムは古河電工に, 昭和アノレミ ニウムは昭和電 第一次石油危機のあとアルミニウム製錬業界は, 電力 工に吸収された。 また東洋71レミ ニウムは臼本軽金属 と コス ト の上昇に伴う 国際競争力の喪失, 内需の急冷と輸 合併 した。 2003 年に古河電工とスカイアルミ ニウム両 入地金の急増による大幅な需給ギ ャIノ プの発生で深刻な 社のアルミニウ ム事業が統合され, 古河ス カイが設立さ 不況に見舞われた。 これに対し, 通産省は, 1975 年産 れた。 さらに住友軽金属 と古河ス カイは今後 「グロ ーパ 業構造審議会を凋き, 製錬 と圧廷の問の垂直統合を実施 ノレマ ーケッ トで確固たる存在感を持つ世界的な競争力を する一方で, 海外製錬を推進する こ とで, 危機を打開 し 持つ アノレミ ニウムメ ジャー会社となることを目指す」 た ようとした。 その結果, 1975 年以降相次いだ石油化学 めに, 2013年10月に統合され, 株式会社 UACJ メーカーからの製錬部門の切 り離しで, 三菱軽金属, 住 (United Aluminum Company of Japan の頭文字) が 友アノレミニウ ム製錬, 昭和軽金属が分離独立 したが, 歪 設立さ れる。 直統合は製錬, 加工メ ーカー何れも累積赤字の ため不調 に終わ った。 海外製錬は水力発電が使え電力コス トの安 4. 4 住友の生康再開と生産設備の拡充 1,2,3) い海外で製録する という もので, それな り の前進があ っ (1) 鋳造 た。 その第一号は 1971年操業開始 した昭和電工 と住友 1945年8月の終戦により, 名古屋経合金製造所で働 化学の共同投資の エンザスプロジェク トである。 続いて いていた1万 30∞ 人が動員解除や希望退職で 1000 人以 カナダでの 7ノレパック, インド 不シアでのアサハ ン, ブ 下となった。 10 月には名古屋製造所 と改称 (1947 年再 ラジノレのアマゾン, ベネズエラのベノレナ ムなと酔のプロ ジェ び{申鋼所 と改称) L, 連合国総司令部か ら民需転換の許 クトが稼動 した。 しか しながら, 園内での各製錬メ ーカー 可が出て, 銅合金とアノレミニウ ム合金の生産を隠始 した。 は, 累積赤字が膨 らむ中で, 全面停止に追い込まれた。 圧延は 1946年1月から再稼働 したが, 鋳造の反射炉が 1981. 9三菱軽金属, 直江津工場を全面停止, 1982. 5 再開 したのは試験記録か ら 1948 年頃と考え られる。 こ 住軽 アルミ ニウム, 沼田工場アルミ製錬全面停止, の頃の板製品の主力 はR, (プロペラ材, Al-4.5%Cu- 1982. 6昭和軽金属, 大町工場ア ノレ ミ 製錬全面停止, 0.8%8i-0.8%Mn) とND合金 (ジュ ラノレミ ンD2 の屑 1983. 5 7ノレミ製錬業, 特定産業構造改善臨時処置法の を用いた合金, Al-4.5%Cu-0.8%Mg-0.8%Mn) でいず 対象業種に指定, 1984.12 住友7ノレミニウ ム製錬, 東予 れも傾斜鋳造法の ブッ クモーノレ ドで造塊 していた。 1949 ヱ場閉鎖, 1988 年アノレミ製録業の設置縮小処理終わ っ 年頃よ り耐食性の良い純アノレミ ニウム系, 38 (3003), fこ 。 528, 568 となり, 合金呼称や成分もアノレキ ャ ン社や 7 ノレ コ ア社式に変わ っていった。 1950 年の伸鋼所副所長 一方, 圧延加工などの二次加工部門では, 原料供給の 深田彰逸氏の訪米でE カイザ一社や71レコ7社の連続鋳 関係か ら企業系列化が進んだ。 1950 年那須アルミ ニウ 造方式, 炉が溶解炉と保混炉で構成古れ, それらを交互 ムが日本経金属の系列に入り, 日軽アノレミニウム工業に, に使用していることを見学 してその生産性の高さに驚き, 1953 年高田アルミ ニウムが昭和電工の傘下に入り, 昭 早速, 従来の反射炉の操業方式一日 1チャージ方式を見 和アノレミニウ ム工業に, 1954 年, 日本アル ミニウム工 直して, 一日 8回チャージの連続操業に変わ っ た。 業が住友軽金属の系列に, 大阪アルミニウムが日本軽金 1950 年頃, 朝鮮動乱 と関連して米国極東空軍か らの 属の傘下に入った 発注で 248, 758, 618 航空機用合金が生産されるよう 北米の アノレコア, レイ ノノレズ, カイザー, アノレキャン になった。 鋳込み方式は, 総て傾斜鋳造で, 板用 は60 はイギリス, ドイ ツ, ベネノレックスなどの地金輸入が増 キロスラプ, 棒・形材用 は径 170 ミリビ レッ ト が多か っ 加の傾向をみせ, これにともなって資本進出 したが, 日 た。 1951 年頃か ら連続鋳造法による 200 キロ鋳塊の試 本市場の高い成長性に も注目 して, 積極的に進出を図っ 験が始ま った。 758 については E8D と悶様なツープリ てきた。 カナダの7ノレキ ャンは, 日本経金属および東洋 ン法で鋳込んだ。 鋳塊の均質化処理や鋳造組織の微細化 71レミ ニウムと資本・技術提携を行ったほか, 神戸製鋼 などの研究 も1954 年頃か ら始まった。 1961 年には当時 および住友軽金属に技術援助を行い, 系列化を押 しすす の技術課長で後の社長, 大柏英雄氏の アノレキ ャ ン社での めた。 1952 年アノレキ ャンは日本軽金属 と資本提携 し, 見学と実習で, アノレキ ャ ン社の連続鋳造技術の詳細, 保 1959 年アノレコア は古河電工, 日本軽金属 と 合弁で古河 持炉か らの樋の構造と 溶湯の流れ, 溶湯議過用のグラス アノレミニウ ム工業を, 1964年レイ ノ ノレズ は三菱化成と ウーノレの詳細 i湯 面 自動調節用の フロート , モーノレ殿構 合弁で三菱レイ ノノレズアルミ ニウムを, 1964 年カ イザー 造な どが明 らかとなった。 これらはすぐに現場の炉に適 は昭和電工, 八幡製鉄 と合弁でスカイアルミニウムを設 用され生産性の向上, 鋳塊品質の向上に寄与 した。この 立した。 こう したこ次加工メ ーカーは, 二次製品の市場 時の出張報告書は, しばらくの問, 鋳造課のパイ プノレに

307 308 住友軽金属技報 2013 一 外国企草 製蝿企業 二次加工業 ニ次加工輩 博物 ・ 再生章 アルキャ シ 宿本経金属 目軽アルミペ 輯アルミ 三次 製作所 ー臼大 アルミ <::: ・ ).)� Jll፿材図烏金属 㨀一ー一一一ー{外資50%) ⎈ 田㑅証 」 ←太臣陽アルミ ( 11 アルミ 控桑輯合金大畑帳金属 トー ホグセイアルミ(11 , ). 理研 アヌマヱ柚 守ルイ会属 �a本7""、ーフ 〈外夫20珂〉 '"島アル ミ 回本アル ミ歐 古河定エ 軍帯 ȀȀȀ アルコア 古河アルミ 古閑鱒進 {外資33.33忽J 周匝也Z担、 웍プνス 田本アルス唖金属、 県崎製作所 住友化学 住友電Zヶ一一.L-一Ȁ一 日本バVデイ 〈持決33.目指。 軒豆陽金属 一回巴---r-一} 曲:IC恒金属ȋ一関本アル ミ、 立担金属 【ニ・三古) r アJレ��ン ⃼日輯アルミ、 グイ ケンサヲシ 」閥名金属 トー三協アルし 近畿車両 【住友晶学今一一京都ダイ カス ト ⃼ユユテ、 日本�ルミシサッシ 【住友商事Ӽーー関西輯金属 㘀日本争 νール宅ピ-)1; (㞶系 9社合.'1>) {外主扇面I 東樽アルミ 回本跏、 中安特畢包韓 神戸製鋼 ーー一一一ー*同居金属、 神得"齢者 下闘再生 Ȁ一ーマー-⃼平和アル ミ、 歩調a車 ト4昭和銅圏、 主購傘属<:::武〉 ⃼神鋼ノースロップ 〈外挺柑叫 ト東京ハイ ウ品イ 〈金担車禽ミ 岡野自動車と樟〉 スイ ス・アルミ ー,一一一」司司サνアルミ品ウム 昭和電工 r目立金属 東京アル ミ線材 , 」滑資金属 協同担金属トー一 大永アルミ 昭和アル ←一ー- 一昭. 和アル ミ 〈エ ・ 三次九 京葉アルミ ト古記アルミ 愈4主ザ トー 昭和容倍、 来黛防護加工 γ【 帝国ダイ カスト il ∀昭朝?ヅ夕方、 血㒨滋 I I l トー昭和アル ミパウダー、 昭和ポール 」齚アルミ I -一昭和ョー品ア スガイアルミ t相場L 目 糞伯アルミ加エ 也成 直江梅 ド前回担金属 イ ルズ L三田 発νイ ノルズアルミ ー「ー 立措均金属 (::: . '"次れ 玉川l揖揖 〈三糞商事〉 骨原䧏権 I外 則論了一 〈三菱金属〉 三玄仲畑 ( , >. 触即所 レ ノ ト ー」ー ト一 日本福民一清水サッシ 東樺サ ザシ '-持品ーピ7J!-,!

〈注) 外資提僚は 㣈焚 %) とꄺしたものにかぎる. I2 は隿提E轄のみを示す. 園内の系..uヒは資本健 機のみを示し. i医科供給関係は含まない. 3 Affiliation of Japanese aluminum industry in about Fig. 29 196576)

なったとのことである。 鋳塊の化学分析についても, 従 の浄化装置 も設置された。 その後, 溶解炉 60 トン, 保 来成分の化学分析に再分析 も含めると約一週間 もかかっ 持炉 55 ト ンの世界最大級の反射炉 (F31) が設置され ていたが, 1955 年, 米国7プライ ド・ リサー チ・ラボ ι。 F ラトリ (ARL) 社のカントメーター (PCQ) が日本で 1989 年頃か ら缶材等の需要の大幅な{申びを予怨 して, 最初に研究部に設霞古れ, オンライ ン分析によ り成分調 月産能力1万トンの鋳造工場の建設に取り掛かった。 8 整が容易にな った。 トンスラブから20トン スラプにして生産性を挙げるた 1958 年頃からスタートした第一期長期計画により, め, 国内最大級の 95 ト ン溶解炉2基と 100 ト ン保持炉, 反射炉の増設 ・ 大型化がすすんだ。 月産1800 トンの生 最新式の溶湯処理装霞, 最大 2100mm 幅, 500mm 厚の 産計画に対し, 格解炉 20 トン, 保持炉 15 トン炉 (F24) 鋳塊を同時に 7枚鋳造でき, 最大長さ 10mスラプ, 最 が設置された。 溶解鋳造に対L, 炉温, 炉圧, 冷却水量 大震髭 28 トンスラプが鋳造で きる設備を導入 した則。 等に計器制御技術が取 り入れられているのが特徴であ る。 導入された溶解炉をFig. 30 に示す。 その後, 同様な形式の炉が増設さ れた。 1961 年か ら の 第二期長期計画では, 日本で最初 のホ ットチャージ式の (2) 圧延 純アノレミ溶湯の反射炉受け入れが行われた。 住友化学工 戦後の圧延は三設冷間圧延機よ るジュラノレミ ン ND 業は, 伸鋼所の増設計画に対 し, 隣接地に アノレミナ電解 から始まるロ 当時は, 物資不足で航空機材料の ジュラノレ 工場を建設 し, ホッ トアノレ ミ を供給す ることとした。 ホッ ミンか ら鍋釜や弁当籍用の板を生産 した。 圧延方式は戦 トアルミの受入れは月 2900 トンであ った。 またイ ンラ 争中の伸鋼所製板第二工場 (桜島) 方式 とほぼ同 じであ っ イン脱ガス処理を保温炉内で送湯時に行うことや排ガス たが, 1947 年頃は被爆 し た可逆式二段熱間圧延機 (R1)

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が復旧 していないためにシー ト パー圧延方式が一時期 第一期長期計画 として板 1800 ト ン生産設備起業が決定 採用 されたこともある。 これは幅 150ミリ, 厚吉 25 ミ された。 板用鋳塊は 1トンと大型化 L. 両国面詰IJ機, 均 リで押出 したNDパーを長さ 1メートノレに切断 し, こ 質化熱処理用の ピッ ト製加熱炉が新設された。 可逆式二 れをこ段熱間圧延機で6 ミリまで幅出 し圧延した。 圧延 段熱問圧延機では熱延テー ブノレの延長, モーターの更新, 特にパーがローノレとテーブノレに落下しないように行う た クーラントシステムの改造のほかに, コイ リ ング方式が め危険な作業であった。 朝鮮動乱での 758. 248. 618 大き く変化した。 従来 はス リーロ ノレ方式によるガサ巻 合金 ク ラッ ド材の大誘発注では, 米軍の連邦規格 と軍用 きだったが, アッヘンパッハ社製のホットコ イラ を設 規格が導入され, その品質管理の厳 しさが製品の レベル 置することで タイ トコイノレとなり, 板面の傷防止が可能 アップに貢献した。 このときのクラッド板用鋳塊はブッ となった。 四段冷間圧延機で は, 入側ア ンコイ ラーと出 クモーノレ ド鋳型の内側に皮材を貼付けその中に鋳込む方 側リ コイラーの大型化, 圧延制御の更新, クーラントシ 式で作 られた。 ステムのノ ズル毎の電磁弁によるオンオ フ制御への変更 可逆式二段熱間圧延機 (R 1) (Fig. 16 )が復旧され などが行われた。 1957 年頃か ら家電製品, アルマイ ト たのは 1952 年であ る。 純アノレミニウムの200 キロ鋳塊 服装飾品の材料開発では表面品質が重要で, これは製造 が最初であ る。 その後鋳塊は 400 キロ. 500キロと大き 工程と関連していたため. A1TiB 添加による鋳造組織 くなるが, コイノレはス リーローノレに よるガサ巻きだった の微細化や熱延温度の管理が重要となった。 ので, 傷防止と してコイル巻きの際に径 6. 7ミリの木 1961 年か ら五カ年にわたる第二期長期計 闘が立案さ 綿の紐をニ列に入れて面と面の接触を防ぐ工夫を した。 れ, 月産3600 ト ン生産が目標とされた。 新四段冷間圧 最終圧延は二!段冷間圧延機で圧延し, 厚吉 1ミリ前後で, 延機が設置 され, 板厚制御方式の採用, 板形状制御の た 幅1220 ミリ長古 2440 ミリの薄板製品と した。 1953 年 めのワークローノレ・ベンディ ング装霞. X線仮厚計, 米軍極東空軍の意向 もあり, 航空機材の順調な生産のた 圧延荷重言1等の各種計出IJ器の設霞などが導入され, 製品 めに, カナダのアルミニウム ・リミティ ッ ドの研究所か の形状寸法 ・品質の飛躍的向上を狙った。 第二期長期計 ら住軽, 神鋼, 古河三社に技術指導に来た。 その板材生 画の途中か ら板月産 6000 トン, 付帯設備の増強で 産での質疑応答には, 鋳塊切削iîîîの状態, 皮付け板の洗 10000 トンまで可能という計画を達成するため新熱延が 浄, ふくれ対策, 熱聞及び冷閉圧延油, 二段冷間圧延で 検討 さ れ, 粗圧延機 (R100) (Fig. 31 ) と仕上圧延機 の問題が取 り上げられていた。 (R101) (Fig. 32 ) が新設さ れた。 いずれも四段圧延機 1959 年, この年は伊勢湾台風が麹ってきて大きな被 でR100 はローノレ幅3メートノレ余. R101は3タンデム 害を被ったが, 住友軽金属が住友金属か ら独立した年で, でローノレ箔 2.3 メートJレ弱である。 本格稼働は 1966 年4 月からである。 アルミ ニウムの需要は器物, 家電製品, 装飾品か ら車 両, 建築な ど構造用の分野へ と著しい発展を遂げていた が, 日本は技術革新で欧米より遅れていたため, 住友は カナダの7Jレキ ャン社 と技術援助契約を 1961年結んだ。 技術援助の内容は, アノレミニウムとその合金について, 鋳造, 圧延. j申出. I由伸等の製造技術並びに建築, 連輸, 電気, 包装等の関連産業分野におけるアノレミニウ ム使用

Fig. 31 Single stand hot roughing reversible mill. Fig. 30 Large melting furnace R100 (1966) 3)

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についての一般的技術援助であった。 この援助期間は調 ハイ ドロプレス社製の 2000 トンプレスでピレッ ト径は 印発効後 15 年間で 1978 年まで続いた。 缶エ ン ド材のア 7インチであ った。 この押出機には自動搬送 (ク ーリン ルミ化では需要の拡大を見越 してその表面処理のために グテープノレ, 搬送テ プノレ), 引張り矯正, 切断と連続 1969 年連続仕上げラ イン (SH80) が導入さ れた。 表面 的に作業がで きる付帯設備があ り, サッ シ用6063 合金 処理ライ ンと伺じく, 連続加熱式 コイル焼鈍炉 (F80) 押出形材の生産に効果的であ った。 その後需要に応 じて も1969年設置された。 1989年から始ま っ た板の近代化 複動式を含む横型油圧押出機が 8機導入された。 1962 では仕上げ圧延機のス タンドを増設して 4スタンド化し, 年頃からヒル用サッ シのブ ムが訪れ, 月あたりの片材 既設ス タンドの主モ タ を含む電気設備一式の更新, 生産蚤は 1964 年が 470 トンであったが, 1968 年には プロセスコンピュータおよび制御装置の吏新, さらに面 2000 トンに達した。 ソリッド材の生産で はフ ラットダ 削機, 加熱炉の新設を実施 し, 全面的な改造を行っ イスが主流で現在のよ うなフローガイ ドは使用 されてい た問。 Fig. 33は4スタンド化された仕上げ熱閉圧延機 なかった。 ホロー材についてはスパイ ダー ダイスかブザ ッ R101 である。 ジダイ スが主であ っ たが, 薄肉化に伴いポー トホー ノレ ダ イスに移行 していった。 ダイ スの製作には 1958 年放電 (3) 管・棒・形材 加工機が導入 され, 1970年にはコ ンピュータ制御の ワ 1958 年頃のアノレミニウム管・棒・形材の生産蜜は月 イヤカッ f 放電加工機が 日本で最初に導入された。 小物 100 ト ン程度で, 様が主であった。 ピノレ用サッ シの需要 多孔品の押出にはプラーが 1966 年頃設置された。 継目 が徐々に出始めたのが 1959 年過ぎで, 建築業界が一般 無し管の製造には従来の横型水圧押出機方式で は篇平率 の7Jレミサッ シに注目するのは 1961 年頃か らといわれ が問題で, 扇平率5%以下の婆求を 目指すために 2660 ている。 このような需要に対応するために横型単動式油 トン横型複動式油圧押出機が設置された。 19ω 年には 圧押出機が設讃されたのは 1959 年である。 米国ロ ーウィ・ 千葉製作所での生産が始ま り油圧プレスが導入 された。 また同年, 軽金属押出開発会社 (KOK) への出資がな された。 また棒の押出では, コンテナとの摩擦がな く, 低温で高速押出が可能な 3000 ト ン単動式油圧間接押出 機が 1973 年設置古れた。 そ の後加工品への展開が行わ れ, 千葉 7Jレマイ ト工場や加工品工場がで きた。 1985 年バブル景気の最中, 持出設備の近代化, 大型化が計画 され, 5600 トンの鹿間兼用大型複動押出機 (Fig. 34 ) や大型ブノレプロ ッ ク 抽伸機, 縦型焼入れ炉 (Fig. 35 ) などが導入された則。 自動車材の海外展開に伴い, 2003 年チ ェコに, 2012年タイに自 動車熱交換器用多穴管の 押出工場が設霞 された。

4. 5 鉄道車両屑材料 7N01, 7003, 6N01 の開発ー Fig. 32 Three stands tanclem hot finishing mil1, 日本の鉄道車両の車体に7Jレミニ ウ ム合金が用いられ R!Ol (1966) 目 たのは, 1945 年, 終戦直後の物資不足か ら航空機の ジュ ラノレミ ンが転用 されたのが最初であったが, 腐食が激 し く改造された。 本格的な鉄道車両への採用 は, 1962 年 にデビューした山陽電鉄 2000 形電車に始ま る。 当時, 初めてアノレミニ ウ ム合金をわが国の過酷な使用条件の通

Fig. 33 Four st曲ds tandem hot finishíng mill added Fig. 34 Direct and indirect 5600ton extrusion a new stand. RI01 machine with double action

310 Vo!.54 NO.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 一超々 ジュラJレミ ン開発物語一 (その2) 311

勤電車に適用 l... 数年閣の使用実績を見守 った結果, 実 用上の問題は皆無であ ることがわかった。 しかも予定通 りの経済性が確認されたので, 大都市の地下鉄を中心に アルミ車両を採用する鉄道が相次いだ。 アノレミニウム合金製車体の構造の変遷を Fig. 36 にま と める98,則。 山陽電鉄 2000 形霞車に代表される第 l世代 では, 当初, 鋼製車体の外板の霞換えに始まったが, そ の後, 台枠に溶接性の劣る 6061 合金を用いたため, ブ ロックごとに務接さ れ, ブロ ッ ク相互 はリベッ トで結合 された車体 と なった。 第2世代では. 60 年代中期 に溶 接が可能な AI-Zn-Mg 系の高強度 7NOl 合金が開発され, 骨組み, 外板はもとより台枠も含めた全溶接構造の アル ミニウ ム合金製車体となった。 骨組み, 台枠の張 りには 押出形材が多用 され, 従来の銅製体の霊彊に比較 して 1/2以下となった。 Cu の添加されない AI-Zn・Mg 系合金には, 戦前開発 された HD合金 (ホ ンダジュラルミ :.-'. AI-5.4Zn-2.0 Mg-0.55Mn-0.25Cr) があ り. ESD より強度は低いが押 出性に優れているために, 形材と して利用されていた。 接合に関 しては, 戦前は溶接技術の未熟さ もあり リベッ Fig.35 Vertical furnace with quenching equipment 卜接合が主体であ ったが, 戦後は, 第二世界大戦中に米 国で高純度ガス生産ができるようになった結果, アルゴ ンアーク祷按i法が研究さ れ. TIG. MIG 法が関発され

(a) Kyoto subωay 10series (genoratîon 2) East 200serÎes (ganeration 2.5) (b) JR

Central West 300serÎes (generation 3) (d) Central West 700series (next generation) (c) JR & JR & Fig. 36 Trend of the body structures of aluminum railways 回rs 9則 98,

311 312 住友軽金属技報 2013

た皿、 これに伴 って, 欧米では AI-Zn・Mg 系格接構造 しては, 0,15% 前後の微㱾の Cu 添加が有効であること 用材料の研究が盛んになり, AIZnMg 1, AIZnMg 2 , が明 ら かとなり1叫111}),住友会金 ZK141 が制定され 7004, 7005 などが関発された。 この系の合金は, 溶接 たlll)。世界各国 と住友の AI-Zn-Mg 系合金の成分を 後も自然、時効にて強度が増加 し, 引張強さ は母材強度に Table 13 に示す附,田〉。 そのほか, クロムやジノレ コニウ 近い ところまで到達するため, 継手効率は高い特徴があ ム添加については鋳塊の均質化処理条件の影響の大きい る 101)。 ことも明 らかにした106.1凹〉。 日本においても, 住友軽金属の馬場義雄博士 らはいち 早く Mn, Cr, Zr の添加の影響を調べ Cr 添加が最も (注) 馬場義雄博士は 1935 年生まれ, 1958 年京都大 焼入れ性を低下さ せることを明らかにし102), 1965 年, 学工学部冶金学科を卒業, 村上陽太郎研究室の出身で, Cr は添加せず Zr を必須とする住友合金 ZK41 を開発 し チタンの研究開発に従事したく て住友金属に入社した た瑚〉。 その後欧米で もZrを必須 と するようになった。 とのこと 。 入社の翌年, 住友軽金属が独立するととも ここにも住友の合金開発における先進性を見る こ とがで に第一期生となり, アノレミニウ ム合金の研究開発に取 きる山!阻" Fig. 37 は焼入れ性と擦接書IJれ感受性に及ぼ り組んだ。 1969 年, 京都大学か ら工学博士を授与さ す微量元素の影響を示す 肌即,1儲〉。 この系の合金は押出 れる。 1972 年, 住友軽金属工業側 主任研究員。 小 後も空冷で強度が得 られ, 冷却による歪も少な く て生産 職が入社時 (1975 年) は主任研究員であり直接の上 性がよいため, 各社 も開発し, 1970 年JIS A7NOl 司であ り, まずAI-Zn-Mg 系三元合金の溶接部の応 (2005 年, The Aluminum Association (AA) にも登 力腐食割れの研究のテーマが, その後, AI-Zn-Mg 録され, AA7204 と呼称) が制定された。 しかしながら, (Cu) 系合金の機械的性質, 応力腐食害!れに及ぼす Zr 腐食潔境によ っ ては, 剥離腐食や応力腐食割れ性を生 じ 添加の影響の研究 テーマが与え られた。 1985 年, 同 ることがあるため, 前述の過時効処理や微鼠添加元素が 社取締役, 1992年, 豊橋技術科学大学客員教授兼任( 検討 された。 特に, 肉厚方向での応力腐食割れ抑制に対 3年間), 1999 年, 間社専務取締役退任, 顧問。 1963

(渓) 。ovuA '"。田曲四 (σミ己〉工 (Uuh) 〉エ 曲

50 0 Additional0.01 element 0.030.05 (al %)0.1 0.20.3 0.5 Addìtional element (mass %)

a) Quench sensitivity of a、 AI-6%Z作1,8%初旬 alto't' b) Weld cracks by Fish-bone cracking test in an 剤 師もZn-2市Mg alloy

Fig. 37 Effects additional elements on quench sensitivity and weld cracks by fish-hone cracking test in AI-Zn-Mg a110Y8 101.10Z} 99,

Table 13 Chemical compositions of AI-Zn-Mg alloys in the world (mass%) 問。 間)

Zn Mg Mn Cr Zr Ti Cu Fe Si

AIZnMg l Germany 4,0-5,0 1.0-1.4 0,1-0,5 0,1-0_25 0,[-0,2 く0,1 く0,5 く0,5

AIZnMg 2 Germany 4,2-5,3 2,0-3,5 0,1-0,6 0_1-0,3 く0,2 く0,10 く0,7 く0,7

7004 USA 4,0-4,6 1.0-2,0 0,2-0.4 日1-0,3 一 〔勺 く0,15 く_0,2 く0.4 く0,25

7005 USA 4,2-5,0 1.0-1.8 0,20心 70 0,06-0,20 ーの 0,01-0,06 く0,10 く0,35 く0.35

ZK41 Sumitomo 3,5-4,5 1.5-2.5 0,2-0,5 く0,10 0.1-0,2 く0,10 く自 10 く0,25 く0,20

ZK141 Sumitomo 3,8-5,0 1.0-2.2 0,2-0,9 く0,30 く0,30 く0,20 く0,30 く0.40 く0,30

7N01, 7204 Japan 4,0-5,0 1.0-2,0 0,2ι0,7 く0,30 く0,25 く0,20 く0,20 く0,35 く0,30

ZK60, 7003 日umiもomo 5,0-6,5 0.5-1.0 く0,30 く0,20 0,05-0,25 く0,20 く0,20 く0,35 く0,30 (勺 Afterwards, 0.10-0.20% zirconium w田 added to 7∞4 and 0,08-0.20% Zr was to 7∞5

312 Vol.54 No.1 超々 ジュラルミ ンと零戦 超々 ジ ュラルミ ン潟発物語 (そø 2) 313

年, 軽金属学会, 軽金属論文賞'受賞, 1968 年, 第8 イツ・アノレミニウムのP. Benner が, 同社が 1958 年頃 回日本金属学会ジェフリース 賞受賞, 1974 年, r新 し から製品化している溶接構造用三元 Al-Zn一Mg 合金, いAl-Zn-Mg 系三元合金の研究開発」 で第 9 回小山 Konstruktal 21/51 (Al-Zn3.5�4.8, MgO.5�1.2, 田記念賞受賞, 1978 年, 第36回日本金属学会功績賞 MnO.l � 1.0, CrO.l �0.3) の優れた溶接性と応用例を発 (金属材料部門) 受賞, 1980 年, r焼入れ性の優れた 表した。 屋外に特設さ れたテ ント張りの展示場にはこの 溶接構造用強力 Al-Zn-Mg 系合金の製造法」 で全国 合金の種々 の溶接構造物が陳列 されていた状況が今で も 発明表彰, 1996 年, r航空機テーパー ・ストザンガー 想いだすことができる。 この合金の最大のメ リットは捺 用高力アルミニウム合金板材およびそ の加工技術の調 接部の強度が, 溶接後室温で徐々に回復 し, 約3ヶ月後 発」 で第 9田中日産業技術賞受賞, 2000 年, 第3田 には, その強度が母材と間程度に回復することで, こ の 軽金属学会2主受賞。 2012 年惜しくも77 歳で逝去。 図をみて感動 し た記憶がある」 と述べてい る84.幻)。これも DNA の為せる技かな と思ってしまう。 馬場博士は住友縫金属技報 50 周年記念号の随想 山〉 の中で, r1961年にドイツのP. Brenner がAluminium A7NOl のMgf量を減らし, Zn 蚤を増加させて, さら 誌 に欧州における漆接構造材と しての Al-Zn-Mg 系合 に押出性を高めた合金 も, 1967 年馬場博士 らによ って 金の利用について発表 した。 Al-Zn-Mg 系合金は我が国 開発され113 山115〉, その後, 日本か ら初めて AA に 7003 ではHD合金と して, Al-Zn-Mg-Cu 系の ESD 合金, 合金として国際資録された。 Fig. 38 は7003 合金 〔住友 超々 ジュラノレミ ンより も押出加工性が良く , 強度 もかな ZK60) と住友 ZK61 合金の成分範囲 と強度, 押出性を り強い合金と して知 られていたが, 一般に溶接性に劣る 示す則。 7003 合金 により広幅の大型形材の製作が可能 ため, Al-Mg 系の非熱処理型合金に比べて溶接構造材 となった。 1969年には四日市市に圧延業界, 精鋭業界 としての利用は少なかった。 上司か らの勧め もあり本格 が共同出資の軽金属押出開発 (KOK) が設立 され, わ 的に Al-Zn-Mg 系合金の研究開発を進める ことと した。 が国最大の 9500 トン押出機が設置された。 最大幅 当時, 研究開発の中心は頭鉛 3�5%, マグネシウム 520mm の形材が押出可能 となり, 新幹線車両軒桁に 1�3%を含む Al-Zn-Mg 系合金に応力腐食割れ防止 7003 合金広幅大型形材が採用 された。 これが第 2.5 世 にクロムとマンガンを 0.2�0.6% 添加 し た材料の実用 代といわれた車両構体 (Fig. 36 参照) である。 その後 化であった。 ESD の応力腐食部 れ防止にク ロムが 床板, 側構な ど に大量に使用 された。 この 7003 合金は, 0.2�0.3% 添加さ れて以来 Al-Zn-Mg 系合金に もクロム 鉄道車両 は もとより, コンテナー, パンおよび トレーラ一 を添加する こ とが当たり前のように恩われていたが, 空 等の強度メ ンパー, また中空押出 も可能でオ ートパイ や 冷での押出加工性を重視 した場合, クロムは焼入れ性に 自転車の リム, 自動車のパ ンバーなどにも広く利用され 悪い影響を与え るので好ま しくない。 基礎研究の結果, ている。 4000C 以上の高温での不溶性析出粒子が より微細なジル アノレミ合金製車両は鋼製車両に比べてイニシャノレ コス コニウムの微量添加, 0.15�0.2% が応力腐食害rJ れ防止 トが高いため, さ らに押出性, 溶接性, 耐食性に優れた も含めて極めて有効であることを見出 した1刷。 亜鉛と 合金が求め られていた。 欧州では Al-Mg-Si 系の 6005A マグネ シウム最も見直 し, 各種徴議添加元素の役割を時 が開発さ れ, 車両に使われていた。 この合金 は, 効現象と格子欠陥に関連 して詳しく調べたJo rその結果 Mn+Cr を 0.12-0.5% 含むが, 添加鐙や押出条件次第で を住友軽金属技報 と金属学会誌に発表 し, 金属学会第 B は結晶粒が粗大化 したり, Mg とSi の盤比如何で は, 問ジェアリース 賞受賞となったJ。 これは 「住友軽金属 靭性が劣 ったり, 溶接でミ クロフィ シ ャ などの割れが発 技報で論文の書き方を学ぷとともにレベルア ッ プ図った 生しやすいこ とがわかった。 各社は成分等の最適化を図 成果が集大成さ れたものと思っている」 と書いている。 り, 1980 年, それらを集約してJIS 6NOl 合金が制定 パラ ンスのとれた基礎研究 と開発研究, 論文投稿による された則。 こ の合金は薄肉で中空の押出形材が製造可 レベルアップなど, 我々 はこれら住友のよき伝統, 能で, 構体がすべて押出形材で構成さ れるようになった。 DNA を受げ継いでい く 必要がある。 これが第 3 世代の車両構体である。 強度が必要 とされる VAW の Brenner の発表について, 西村教授の DNA 台枠の枕はり ・機はり等については 7NOl が依然 として を引き 継いだ村上教授 も次のように書いている。 「この 使用 された。 1990 年代に入ってからは, 次世代車両機 合金 (HD 合金) は戦後わが国では顧みられることはな 体といわれる, 中空 トラス断面押出形材に よるダプノレ ・ かったが, 1960 年前後に, ヨーロッ バで溶接構造用三 スキンタイプの機体構造が主流 と なり, さらに枕は りや 元合金と して研究されていた。 筆者が 1961 年当時の西 績はりも6NOl 合金に置き換え られている。 また新技術 ドイ ツのマックス ・プランク金属研究所に滞在 していた として, ろう付 けハニカムパネノレ116) や摩擦後持接合 際に, オース トリ7 , レオーベン市で開催された第 4回 (FSW) 111) も利用されるようになってい る。 軽金属国際会議 ( 4 . Internationale Leicht­ metalltagung, Leoben, 1961) に出席 した。 その節, ド

313 314 住友軽金属技報 2013

{詰) CN

合 Pre-aging at to followed a代間cial aging RT 1 QOoC by Alloy I凶ibrFiiiZ雨Bi--

ZK 60 I 21 3.5-4 ZK 61 I 28 2.5-3 ZK160 I 14 4.5-5 JIS 7N01 I 14 4.5-5 1 担3 4 Mg (%) 11' wide shape 350-450mm Fig. 38 Development of AI-Zn-Mg alloys CSumitomo alloys ZK60, ZK61) with high extrudability 99, 113. 114)

4. 6 二輪車用材料 し加工を行ってか ら焼入れをする。 最近では, 銅が多 く 一高強度高靭性 m∞ 系合金の開発ー 添加された AI-Zn-Mg-Cu 系合金も用い られている。 二輪車 (モー タ サイ クJレ, オー トパイ) も戦後大き Fig. 39 は高強度 7000 系押出材が用 いられている二輪車 く発展した分野で, 戦前からのメ ーカー 〔建玉, みずほ, の部位を示す則。 宮田) 以外に戦前の航空機メ ーカー 〔中島, 三菱, 川西〕 溶体化処理時の結品粒組大化はその後の表面研磨, ア や本田技研な ど100 社以上の メーカ ーが製造に乗り出し ルマイ ト処理した後の外観品質に影響を及ぼすため, 押 た。 生産台数が伸 びるに従いスポーツと しての使われ方 出材の組織制御 も重要な課題であった。 一般に高力系合 がされるようになった。 レースでは性能の差が成綴となっ 金押出材は強度, 靭性, 耐応力腐食書店れ等の観点か ら て表れるので, 各社の技術競争が始ま り, それによって Mn, Cr, Zr な どが微㗏添加されるた め繊維状組織を有 性能向上が もたらされた。 レースによって震かれた技術 するが, 押出表層は ダイ スとのせん断加工を受け再結品 は市販車にもフィードパックされ, 1960 年頃か ら市販 組織 となりやすい。 溶体化処理で再結品紹織は厚くなる 車の性能や品質が向上 した。 その後世界グ ランプワへ進 が, この後の研磨, アルマイ ト加工で再結晶組織 と繊維 出し欧州車を圧倒 して世界のナンパーワ ンとなり, ホン 状組織が混在すると, 光沢の違いで斑が生じるため, 外 ダ, ヤマハ, スズキ, カ ワサキが競う オー トパイ王国へ 観上どち らかの組織に制御する必要がある。 と成長を遂げた則。 フレームのメイ ンパイ プ部やスイングアームのアーム 二輪車も航空機に次いでアノレミニウムの使用蚤の多い 部には 7NOl, 7003 押出形材が用いられ, ヘッ ドパイ プ 輸送機器で, オフロ ドレーサーでは7;レミニウム材料 やブラケッ ト 部の鋳造品や鍛造品と溶接で接合古れた。 は重量の約 3害Ijを占めているといわれている。 二輪車は また一部のプレス成形タイプでは溶接性の良好な 5083 軽盤高性能化への ニーズが高く, 早く からアノレミニウ ム 合金板材が採用 された。 部品の採用に は積極的であ り, シリ ン ダーヘッ ド・ケー フロントフォークは車体 とフロントタイヤを繋ぐサス スなどエンジンの外郭となる部品は当初よ りアルミ合金 ペンショ ンで, 操舵 と 緩衝およ び懸架の役割があ り, 衝 で設計されてきた。 撃を吸収す るため二重管で構成され, インナーチュープ 1980 年ごろより, スポーツ車において軽掻化とデザ には高張力鋼が, アウターチューブに はアルミ ニウム合 インニーズが高まり, ホイーノレ, フレーム, スイ ングアー 金鋳物材が用いられてきた。 1990 年頃, モトクロスな ム, ラジエータなどアノレミ化が進んだ。 比較的早か った どのオフロード レーサーではジャ ンプ着地時に大きな衝 のはホイーJレで, スポークホイーノレのリムにAI-Zn-Mg 撃力が加わ るため, 鋳物材よ り も高強度高靭性合金が必 系合金 7003 合金が用い られ始めた。 これは高強度で溶 妥とされ, 航空機用 Al-Zn-Mg-Cu 系合金が注目された。 接性が良好なためである。 通常 O材で曲 げ加工後, フ この中でも, Zr添加合金は, 間接押出後の表鼠結晶粒 ラッシュパッ ト溶接を行い, その後スポーク穴用に張出 粗大化を抑制でき, ま た焼入れ感受性が鈍感 (焼入れ性

314 Vo1.54 No.1 超々 ジュラルミ ンと零戦 超々 ジュ ラルミ ン開発物語ー (そ白 2 ) 315

が良好) になるため, 水冷に替わりポリアルキ レングリ ノレ開発に移り, 航空機も またジェ ッ ト機, 大型旅客機へ コーノレを用いた縦型焼入れ炉 (図 5) を用いるこ とで不 の転換期を迎えていた。 日本の航空機メ ーカ は米国の 均一な残留応力を低減できた。 現在で はアノレミ ニウム合 航空機のライセンス生産で基盤技術を築き, YSll など 金で最も 高強度高靭性材料が, フロントフォークのアウ の航空機が生まれたが, 価格の面で欧米機に比べて不利 ターチューブに実用化されて いる国〉。戦前の航空機用 で, 少量生産で終わ った。 その後, ボーイ ング機の機体 材料開発の伝統が二輪車用材料の開発に生きている例と 生産を通して復活してきた。 いえよう。 なお, 製管の技術は高校の硬式野球パッ ト に ボーイ ングの B767 機体の製造では, 従来. 7075 押出 も活かされている。 春夏の甲子園の高校野球大会で用 い 形材を用いたス トリンガー (縦通 し材) の重f遣を軽減す られている硬式野球パ ットの半数以上は住友軽金属の高 るため, Fig.41 に示すよ うに, 板材を圧延によ り長手 強度 AI-Zn-Mg-Cu 系合金の搾出で製造された ものであ 方向で肉厚を変動させ, 継手部分のみを厚 くしたテーパ る。 アノレミニウム製野球パッ ト の例を Fig. 40 に示す。 ストリンガーを全面的に用いようとした。 しか しながら, 従来の 7075 板材では, 圧延で弱加工 し た部分はその後 4. 7 航空機用材料 の溶体化処理で結品粒粗大化が生 じて, その後工程のハッ 戦後, 一時期, 航空機の研究開発, 製造は禁止されて ト型加工で割れが生 じて, 疲労強度の低下する 問題が発 いたが, 朝鮮戦争特需で復活 し, 1957 年には開発が解 生した。 このため弱加工で も結晶粒粗大化 しない材料の 禁された。 しかしながら, 戦争中, 航空機に携わってい 開発が求め られた。 馬場博士, 宇野照生博士, 小職は連 た研究者や技術者は自動車, 鉄道車両 やモーターサイ ク 続焼鈍炉を用い急速加熱, 急速冷却処理で結晶粒を 50

Fig. 39 Motor cycle parts using high strength wrought Fig. 40 BasebaU bats made of Sumitomo's high aluminum alloys in a motocrosser9叫 strength aluminum alloys

(inch) 1.11"

差穿霊長 ,.1.�" Jogglel 22" L!9"at-Crush CFabrication pr目闇〕 ȀȀ ȀȀ Ȁ 竺竺さH型竺虫 b o 帯二 。i 骨011 験Die�轄と::; Ier ll � �多 4夕、dヂ

Fig. 41 Manufacturing process of a taper-rolled stringer for airplanesss, 104)

315 316 住友軽金属技報 2013

μm 以下に微細化L. その後適正な析出処理によ り 軟化 (1993�96 年) 121. 128). 2013 合金持出材, 板材の開発と 古せる ことで, 弱加工 ・ 溶体化処理で結品粒粗大化が生 適用研究 (2004�05 年. 2007�08 年) 129,1則 あるいは熊 じない加工熱処浬法を関発 した119)。三菱重工はこの加 谷正樹博士と ともに三菱重工業 と摩擦撹枠接合による 主 工熱処理を施 し た板材をハ ット裂に成形 し, ボーイ ング 裂の製造法開発 (2000�01 年) を共同研究131) してきた。 B767 . B777のストリンがーに用いる こ とができ こうした基礎研究は, 航空機以外でモ ターサイ クノレの た刷出国'0 Fig. 42 は B767 機の胴体部で, ハッ ト裂に リム用 押出形材やフロンフォーク用管材の開 成形されたテーパ ース トリンガーと湾曲したフ レームと 発出九 自動車 (ホ ンダ〕 のフェンダ などの超塑性成 外板がリベッ ト で組み合わさ れて様子がわかる。 早速, 形用材料開発舶 に波及効果を もたらした。 1979年12月には í75S 系合金の結晶粒径 四日μm以下 のス トリンガー材およびその製造方法」 で特許出願さ れ た。 この技術開発に対し. 1996 年, 三菱重工 と共同で 中日産業技術通商産業大臣賞を受賞 している。

航空機材料の研究は日本航空宇宙工業会の委託研究を 受け, 小職 らは高靭性アル ミニウム合金の関発研究 (1980�82 年) 7475 合金. Al-Li 合金超塑性材開発 と超塑性加工法の開発12". (1983�88 年) 1即応) の研究を実 施した。 この 7075 合金は, 熱延板に対し適切な析出処 理(過時効処理) を施 L. その後温情圧延ないしは冷問 庄延と急速加熱処理を行う加工熱処理法を用 いると. 10 μm 程度ま で結品粒は徴純化する。 こ の材料を高温で引 張変形させると超塑性が得られる ことから. Fig. 43 に 示すようなドアパ不Jレ等に成形さ れた。 この超塑性成形 法により, 図3に示したパ不 ノレでは, 従来方法で は45 個のパーツ. 400 偲のリベッ トで加工されたパネルに対 して. 3個のパーツと80個のリベッ トで総立てがで き, コス トで30%. 室�で 15% 軽減さ れる こ とがわかっ た 126)。 その後, 筆者 と 内田秀俊博士や佐野秀男博士 らによっ て川崎重工業 と2024 合金 と同等の強度を有する高強度 高成形 6000 系板材 の開発および薄肉ホ ロ 形材の開発 Fig. 42 B767's fuselage constructed with frames, skins and taper-rolled stringers 9悶,104)

Conventional Structure一一_一一一一一一一一一一一一一一-;l'"日ー一一一 入 SPF Structuげe Par1s, 400 Rivets) (3 Pa rts, Rivets) (45 Cost Savlng 30弘 80 Weight Reduction 15%

New designilntegroted door model with beom ond sti子fenerSPF

Conventional design

Fig. 43 Door panel model formed superplastically usìng a 7475 alloy sheet with fine grains compared with a conventional structure鈎,

316 Vo1.54 No.1 超々 ジュラルミ ンと零戦 超々 ジュラルミ ン開発物語 (そ白2) 317

合金開発では, 7075 合金は航空機用材料の代表とし 用されている。 これは製造技術の進歩と もに, 材料学的 て, 現在で も世界中で多 く使用されている。 1950 年代, にも, 強度, 靭性, 疲労, 応力腐食割れに関する多くの 米国で ESD に近い Zn 量を有する 7178, 7001 合金が開 知見が得られ, 特性を向上させるための手法も見出され 発されたが, 破壊靭性, 損傷許容, 応力腐食割れの観点、 た結果である。 Table 14 に戦後開発さ れた航空機用 から次第に使われな くなった。 その後, 破壊靭性や疲労 7000 系合金の成分の代表値を示す。 住友軽金属におい 特性を向上させるために, 不純物の FeやSiを減ら し ても高強度高靭性合金である高Zn合金の ZC88 が開発 た7475合金が開発された。 特に厚板材の靭性, 疲労強 されている。 Zn の レベノレでは世界的に もようやく超々 度等を改善す るために各種の加工熱処理法 CTMT : Tb ジュラノレミ ンのところまで来たといえる出}。 ermomechanical Treatment) が開発された。 中間加工 熱処理 Clntermediate TMT) と して, 鋳造時の品出物 1980 年代に は航空機の燃費向上のため, 一層の軽盛 を熱間加工で徴締再結品 させることで微恵国に分散させる 化が要求古れ, 低密度で高剛性の Al-Li 合金が注目され 方法が開発されたzuh これをFig. 44 に示す。 この方 た リチウムを 1%添加す ると, 密度は 3%低下し, 法は, 戦前, ESD を圧延するために用いた 「押え圧延J 弾性率は 6%増加し, 2024 や 7075 合金並みに高強度が (本稿 3. 9参照) とほぼ同 じ方法であ り, ["押え圧延」 得られる。 このため, 欧米で は次世代の航空機用合金 と は製造現場が経験的に工夫発明 した方法であ る。 ここに して注EI L, リチウム2�3%含む8090, 8091, 2090, も先人たちの先進性を見ることが出来る。 また剥離腐食 2091 合金な どが開発されたi則。 こ の合金系 は焼入れ感 や応力腐食割lれを抑制す る方法と して, 通常の熱処理条 受性が鈍感で, 空冷で もーー分な強度が得られ, 高温で趨 件よ り高温長時間側で行 う 過特効処理 CT 7) が開発さ 塑性を示 し 7075 合金よ りも速い成形が可能であるなど れた。 さらに, 最近ではRRA法と称して, 通常の T6 の興味ある特徴があ り, 著者 ら も基礎研究を行 ってき 処理 した後に, 170�260oC の復元温度まで加熱してそ た皿137)。 しか しながら, 製造の面では溶解鋳造が非常 の後再び 120'C で熱処理する方法である。 これをT77 に困難で, 通常の大気溶解で は酸化反応が激 しく酸化物 処理と表記している。 こ れは粒界の連続 した析出物を高 が形成吉れやすい, 熱延で は圧延割れが生じやすい, 溶 温に加熱する ことで凝集化古せ, 粒内は若子復元状態と 体化処理では表面酸化で脱 リチウムが生 じるといった問 なる。 その後の熱処理で析出 して強度は T6並で耐応力 題がでできて, 従来の技術では容易に製造できないこと 腐食割れ性は T7相当になる優れた熱処理法で ある叫〉。 がわか ってきた。 こ のため日本で も, 欧米の開発競争に 1970 年以降は焼入れ性の観点から, Cr の替わりにZr 遅れないために, 軽圧各社が集ま り, 通産省の支援の も を微遜添加 した7050, 7150 合金な どが開発された。 さ とでア リシウムという研究会社を設立 し, 1990 年度か らに最近では Zn も多 く添加されるようになり, ESD ら7年間, 製造およ び材料開発に取り組んだ。 しかしな と同じ8%添加された 7055 といった合金も開発され使 がら, 欧米 も含めて, この合金の課題である破壊籾性, og - og 帥M LH1LI 疲労亀裂伝播性な どで大きな改善がで きず, また製造コ ml 晶H z m ストも高いためほとんど実用化に は到 らなかった。 しか S 阿弥 } g g し, 最近, 欧米ではLd置を減 らした合金が開発され復 引 〈h 8765 g} 8765 0000 00川崎 X 日 活の兆 しがあ る 1則。 E22aaE@ト

最近の航空機材開発の流れは, 従来か ら の高強度高靭 499K Aglng 性材料の開発ともう一つ は航空機製造の コス ト低減化に 380K XSh X16h 400 寄与で きる材料, 技術開発がある。 材料開発では, 耐食 性で優れている 6000 系合金が注目され, 米国では 6013 合金が開発された。 2024 合金に比べ耐食性が優れるた 1000 (a) ISMLωITMT めク ラッ ド材を用いる必要がなく, 古らに腐食環境に酒 g8 岡田叩 " Z叩門 町創 羽引 山 ) (廷をz ー SHT 古れた後の疲労強度は 2024 合金と同等であ る悶。日本 水h 755K X3h においても, 前述 したように川崎重工と住友軽金属 は日 765 765 X6 ehEEβ 本航空宇宙工業会の委託研究 として, 2024 合金 T3材 曲凹 に匹敵する耐食性に優れた高強度 6000 系板材を隠発 し, 航空機に適用する検討を行った。 この板材を用いる と , 従来 2024-0 材で成形 し, 焼入れ していた工法が, T4 で成形 し, 成形後人工時効する工程が可能となり, 焼入 (b ) れによるひずみ矯正が不要で製造コスト低減となる1制。 FA斗TMT Intermediate Thermomechanical Treatment この合金 はまた, Fig. 45 に示すよ うに, 従来の 2000 系 Fig. 44 for thick plates of airplanes 132) 合金ではできなかった中空簿肉 ホロー形材が押出可能で,

317 318 住友軽金属技報 2013

4獄屋 な形状の航空機部品の一体化成形ができ, 従来 リベッ 6000 系合金は 2013 合金として, Aluminum Associa­ ト接合が不安になり, 低コ ストで製造で き ることが明ら tion に国際登録さ れ, そ の持出材は米国の航空機続格 かとなった瑚〉。 佐野秀男博士の努力で, 高強度高成形 MMPDS を取得している。 接合の分野では, 従来, リ

Table 14 Aluminum al10ys for aircraf恒

Alloy Year Country Zn Mg Gu Mn Gr Zr Ti Fe Si

2024 1954 USA 0.25 1.2-1.8 3.8-4.9 0.30-0.9 0.10 0.15 0.5日 0.5日

2324 1978 USA 0.25 1.2-1.8 3.8-4.4 0.30-0.9 日10 0.15 0.12 0.10

2524 1995 USA 0.15 1.2-1.6 4.0-4.5 0.45-0.7 0.05 0.10 0.12 0.06

2026 1999 USA 0.10 1.0-1.6 3.6-4.3 0.30-0.8 0.05-0.25 0.06 0.07 0.05

2027 2001 France 0.20 1.0-1.5 3.9-4.9 0.50-1.2 0.05-0.15 0.08 0.15 0.12

7075 1954 USA 5.1-6.1 2.1-2.9 1.2-2.0 0.30 0.18-0.28 0.20 0.50 0.40

7475 1969 USA 5.2-6.2 1.9-2.6 1.2-1.9 0.06 0.18-0.25 0.06 0.12 0.10

7050 1971 USA 5.7ω6.9 1.9-2.6 2.0-2.6 0.10 0.04 0.08-0.15 0.06 0.15 0.12

7150 1978 USA 5.9-6.9 2.0-2.7 1.9-2.5 0.10 0.04 0.08-0.15 0.06 0.15 0.12

7055 1991 USA 7.6-8.4 1.8-2.3 2.0-2.6 0.05 0.04 0.08-0.25 0.06 0.15 0.10

7349 1994 France 7.5-8.7 1.8-2.7 1.4-2.1 0.20 0.10-0.22 Zr+TiO.25 0.15 0.12

7449 1994 France 7.5-8.7 1.8-2.7 1.4-2.1 0.20 Zr+TiO.25 0.15 0.12

7040 1996 France 5.7-6.7 1. 7-2.4 1.5-2.3 0.04 0.04 0.05-0.12 0.06 0.13 0.10

7085 2002 USA 7日-8.0 1.2伺1.8 1.3-2.0 0.04 0.04 0.08-0.15 0.06 0.08 0.06

7056 2004 France 8.5-9.7 1.5-2.3 1.2-1.9 0.20 0.05-0.15 0.08 0.12 0.10

7140 2日05 France 6.2-7.0 1.5-2.4 1.3-2.3 0.04 0.04 0.0ι0.12 0.06 0.13 。‘10

ESD 1936 Japan 1.5 2 0.50 0.25 日 ZG88 1999 Sumitomo 8.8 1.7 2.3 0.15

町四s\lro deck beam

7075-T6511 extrusíon 官" qhN 1202,1.T3 sheet jゆ 1 lnteg回tíon of 幽l!.. 1111鴨 parts

202H筒11 extl11sìon

Wìndow frame

A f" Q ぷ国酬� [nteg悶lìon of ・ 剖x parts 2024-T42 日trusion

7015.T sh""t (mm)

Fig. 45 Application of new alloy 2013 extrusions to integrated structures in a pressure deck beam and a window frame 128, 129, 140)

318 Vo1.54 NO.l 超々 ジュラルミ ンと零戦 超々 ジュラルミ ン開発物語… (その2) 319

ベッ ト接合で しか接合できなった 2024, 7075 合金が摩 口調で 「アノレミ ニウム合金の時効析出にまつわる歴史と 擦撹持接合 (FSW) でき, Fig. 46 に示すような三菱重 進歩」 を講演された刷。 そのテキス トに 「筆者の卒業 工と共同で 7050 合金押出形材を FSW で接合 して隠の 論文のテーマは高カ AI-Zn-Mg 合金の SCCであった。 広い主翼が製造できることを明らかにした141hこれも 当時か ら SCC は高力アルミ ニウム合金の最大と も言う 従来厚板か ら大半切削加工 して製造 していた認の材料歩 べき課題であ った。 双結晶試料を調整し, ブリ ネJレ硬度 留をあげ, 航空機製造の低 コス ト化に寄与で きる開発で 計の圧痕で応力を与えて, 3 %NaCl 中で浸演 して, 害j ある。 れの時間と組織の様相を調べるのに種々苦労した思いが 強く残っている。 その後も研究室で, 黄銅の SCC を含 高強度高靭性合金の開発では, 従来の ESD の強度を めて多くの研究を行な った。 SCC は黄銅では古 くから 凌駕する合金の開発が求め られている。 最近, 三菱重工 知られているが, アノレミニウ ム合金では必ず粒界か ら起 業が小型近距離旅客機 MRJ (Milsubishi Regional ることが特徴であ ることはすでに レプリカ法電顕の筆者 Jel) の開発, 生産, 販売を始め る とのことで, 再び日 の研究で も述べた。 SCC は特定の腐食環境 と引張応力 本の航空機産業が活性化 し始めた。 70 年前, 名古屋の が問時に作用 した場合に著 し い脆性破壊を起 こす現象で, 地に生産拠点を移 して航空機材料を製造 してきた住友が それらが別々 に作用した場合に は決 して起らない」 とあ この地の利を活か して, これを ビジ不スチャンスとして る。 村上教授が卒業された 1942年9月頃は西村教授 ら 捉え, これまでの航空機材料開発の研究成果を もとに, が主導された HD 合金の研究開発が真っ只中であ った 再び航空機材を本格的に製造することはその伝統を引継 ことがわかる。 応力腐食割れの研究が村上教授の学生時 ぎ, さらに発展をさせるためには必姿な ことであろう。 代か らのテーマであったことはこのとき初めて知 った。 航空機材料を開発するには, 材料面での高度な研究開発 さて, AI-Zn-Mg 系合金の応力腐食割れに関しては, 力が問われ, 製造窃で も通常の材料に比べて非常に難し 1974年5月の 「軽金属J の ïAトZn-Mg 系合金の応力 いので新たな技術開発力が求め られている。 住友の 腐食割れ」 と越して, 馬場義雄博士が まとめたシンポジ DNA を活か して, 研究 と 製造の協力体制が不可欠であ ウムの報告書があ る叫l削。 このシンポジウ ムの背景に る。 このような研究開発は当然のことながら, そのほか ついて 「こ こ数年のあいだにわが国でも急速に車両構造 の一般材への性能向上, 品質向上への波及効果が期待で 体の強度メ ンパーと して使用 さ れるようになってきたこ きる。 のAI-Zn-Mg 系合金も, アルミニウム合金中で は比較 的応力腐食割れ感受性が強い ために, その実用化に際し 4. 8 最近の研究 応力腐食割れはどこまで て非常に数多く の研究と努力がな されてきた。 現状では 解明できたか? 一応問題な く使われているものの, 熱処理などで故窓に 2008 年京都で開催された軽金属学会軽金属セ ミナ 強度を下げる場合もあ り, 材料的には決して十分に完成 の特別講演で, 92 歳になられた村上教授は盟と した されたものとはいえない。 このシンポジウムではAl-

抌 �t. 0- Machining [1] CanvantionaJ A〆多多安ラア 4金倉金ヂ 。Extrusion (2)New jd微妙

Fig. 46 Large integral wing panel made by friction stir welding 117, 131)

319 320 住友軽金属技報 2013

Zn-Mg 系合金の応力腐食割れに関する現象と機構を多 界に PFZ が生じる。 PFZ は強化に寄与す る析出粒子が 面的に検討 して, 今後の新しい合金材料開発の指針をつ なくて弱いので応力集中が起こ り, メカノケミカノレな優 くるこ とがねらいであったJ とあり, シ ン ポジウム最後 先的陽極溶解が起こり, クラックが形成 され, その成長 ・ に村上博士が全体の問題点を総括 している。 この報告書 伝播で割れに至るという ものである。 したがって, PFZ のむすびで, 馬場博士は 「応力腐食割れに影響す る鴎子 の幅, 粒界および粒内析出粒子の種類と分布などの因子 としては, 合金組成, 微量添加元素, 鋳塊の健全性, 均 が考え られていた。 1963 年頃, ドイ ツVAW のW 質化処理, 鍛錬加工法, 焼入れ速度, 時効熱処理, 結晶 Gruhl が水素脆性説を提唱 し始めると, この説が支持 組織と方向性, 粒界構造, 無析出帯, 粒内析出相の整合 を拡げ, 現在では陽極溶解説に替わ っ て水素脆性説が一 と非整合性な どきわめて多い。 さらに単一の因子が影響 般に受け入れられている」 と水素脆性説が有力になって するのか, 多数の悶子の複合効果が大きいのか, とくに いることを述べている。 この水素脆性説を裏付ける もの これらに対 して定性的でな くより定盤的な議論がで きる として, rあ らかじめ, 湿度の高い雰囲気で均一化熱処 ことが望ま しい。 今後さ らに深く検討されることを期待 理を行う と, SCC を生 じるが, 真空処理を したり, 室 したい」 と結んでいる。 混で長時間放置す る と, 耐 SCC 性が回復す る こと, こ 1981 年に, 村上教授が 「軽金属」 に「アルミ ニウム の過程が可逆的であること, 変形の様式ではモー ドIが 合金の応力腐食割れ」 のレビュ ーを執筆している144)。 モー ドIIIよりも著しいSCC を生 じること, 水素添加 この中で, rアルミニウム合金は合金の強度が高 く なる によってSCC が生じること, SCC 破壊面で析出物の溶 ほど, SCC の感受性が著 しくなる ので工業的にも極め 解による破壊がみられないことなどによ って, Al-Zn­ て重要視古れ, 基礎的 にも実用 的にも多くの研究が行わ Mg 系およびAl-Mg 系の SCC中のク ラッデの進展は陽 れ, 実用合金ではSCC 防止の効果的な対策が判明 して 極溶解によるのではなく, 水素脆性に よるものと考え ら いるので, 正しい状態で使用する限りでは, 大きい問題 れているJ。 を起 こすこと はないJ と述べ, むしろSCC のメ カニズ この水素が SCC とどのように関わっているかそのメ ムに掬して陽極溶解機構説 と水素脆化機構説の大きな対 カニズムについてまだ不十分であるが, 村上教授による 立があることを明らかに した。 こ こで従来か らいわれて とオージェ電子分光法を用いて粒界での溶質原子の偏析 きた鴎極溶解説について, 村上博士 は次のようにまとめ について測定することにより, Mg とZn は粒界に偏析 ている。 「一般に, SCC は不働態皮膜などの保護皮膜の し, Zn の大部分は MgZn2 析出棺を形成す るが, かな 形成されやすい合金に起こ り, 局部腐食が重要な悶子と りのMg 原子は原子状態で存在する ことなどが明らか 考え られている。 不働態皮膜が形成される場合に, 機械 になっている。 この原子状 Mg と, Mg のHに対す る 的な引張応力は表面保護皮膜を破壊す る作用を与え, そ 大きな親和力によって, Mg-H 相互作用が生じること の下か ら露出 し た金属 は適当な電気化学的条件下で陽極 や「表面酸化膜は粗大粒子の近傍で H20の侵入を許す。 として作用 し, そこに優先的な溶解が起こ り, クラック Cl ーがあればさ らに容易 になる。 酸化膜が破れ, ミクロ の形成が起こる。 低温時効で はGPゾー ンで強化されて クラックが形成されると, H20によって粒界領域に溶 いるような場合には, GP ゾー ンは転位によって奥断さ 解が起こり, クラックの先端の pH は�3.5 程度である れやすいので転位は平面的な配列を して表面に大 きいす ので, 日+イ→日が生成 し粒界に吸着する。 Mg はH べりのステップを生 じ保護皮膜を局部的に破壊する。 号| を粒界に引留める役目をし, 三軸応力場では Hはクラッ 張り応力が引 き 続いて作用する と皮膜の修復作用が起 こっ ク先端に濃縮 して, ヲラックを進展古 せ水素脆性を引き てもすく にまた破壊 されるので, 常に露出状態を生じ, 起こす。 も し粒界に粗大 な粒子が存在 していると,H 優先的な腐食反応が促進されて破壊が起こる」 という説 を再結合させH2 ガス として放出する」 といったメ カニ である。 「ク ラック先端に溶解が集中的に起こ り, 害IJ れ ズムが現症のところ考え られて いるとのことである。 の伝播が電気化学的な溶解によ って起こ るという考え方 小職は日本金属学会会報に馬場博士と連名で 「アノレミ であるが, このような腐食作用だけでは, 実際の SCC ニウム合金の粒界破壊」 と題して, アルミニウム合金の の際のク ラックの速い伝揺速度を説明する ことに無理が 粒界破壊に及ぼす要因 とその防止法についてま とめ あった」 ので, これを補足す るために機械化学的陽極モ た1刷。 その中で, 最後に 「合金系に よっては水素が粒 デノレも提唱されている。 連続的な応力集中による塑性変 界で トラップ され金属原子と結合するために, 結晶粒界 形が直接的に陽極溶解を助ける, すなわち, 局部的な塑 での塑性変形能を失ったり, あるいは結合エ ネルギーの 性変形が局部的な溶解を加速 して, 溶解が急速に進行す 低下 となって, 応力腐食割れの原因と もなっている」 と るという モデJレで、あ る。 書き, アルミニウ ム中の水素の役割を 「塑性変形を担っ ている金属結合あ るいは他の結合も含めた化学結合の観 2008 年 のセ ミ ナーのテキス ト 酎では, 村上教授は 点にまで遡る ことが必要であろう」 と述べた。 この視点 rAl-Zn-Mg 系合金の SCC の機構に関する初期の研究で は現在でも変わっていない。 は, 陽極溶解説が主流であ った。 時効熱処理によ って粒

320 Vo1.54 No.l 超々 ジ ュラルミ ンと零戦 ー超々 ジュラJレミ ン開発物語 (そø 2) 321

最近, 水素を直接観察しようとする流れは強ま ってい 推定 された。 なお亜結晶粒を構成す る転位や析出相 と母 る。 1990 年頃, 東京大学生産技術研究所の斉藤秀雄博 栢の界記のミスフィ ッ ト転位は水素のトラップサイ トと 士と 蜘 石田洋一樹受は薄膜電顕謝花用 いて霞解チ ャ して働く と考え ら れた。 ジにより ト リチウムを導入 して, 加熱中の放出特性や試 このような水素透過性は堀川敬太郎准教授 らによって 料表面にオー トラジオグラフィ用の写真入膜剤を塗布 し, 高圧水素貯蔵用 アル ミニウム合金と して 7000 系合金が トリチ ウムから放出されたβ『 線が照射された塗撲中の 適正かどうか出) また大崎修平教授 らによって水素脆 臭化銀と反応し, 現像処理で銀粒子となり, この現像銀 化特性すなわち応力腐食害IJれ感受性 との関連で議論され 位子を電子顕微鏡で観察する手法を確立 した146)。この ている 出〉。 大崎教授 らの議論で興味深い ことは低ひず 手法を用いて鉄や鋼, AI-Li 合金などの水素の存在状態 み速度法試験で, 7003-T 6合金のほうが7NOI-T 6合金 を検出 した。 同じく東京大学の岡田浩博士 (現 日本軽金 よりも水素脆化感受性が高い という結果になったことで 属), 伊藤吾朗博士 (現茨城大学教授),菅野幹宏教授 ら ある。 ここでいう水素感受性指数というのは, 乾燥窒索 の研究グ ノレ プは同じく トリチウムオー トラジオグラフィ ガス (25'C) 雰閉気で引張試験での伸 び(Xo) から相 を用いて水素の挙動を調べよ うとしたが, 電解 〔陰極〕 対湿度 目0% の湿潤空気 (30'C) で引張試験での伸 び チャージ法ではチ ャ ジ後室温大気中に数日間放置 し, (X) を引いた数{直を Xoで割った値 (1) (1= (X o-X) 応力腐食割れ性に関与す る 可能性の高い拡散性の トリチ jXo) をいう。 この原因と して, 7NOl 合金 にはMn系 ウムを試料外に放出古せた後に露出を行な う必要がある 分散物が平均粧径 82nm となり大 きく, また7003 系合 ため, 応力腐食割れと直接関係す る結果は得られにくい 金に比べ面積率で 2 倍以上存在 していたことを挙げてい と考え, 溶湯 と トリチウム水蒸気との反応によ って直接 る。 これらの化合物が水素パブノレの核発生サイ トとして トリチウムを添加する溶湯反応法を考案 した147)。これ も十分なサイ ズで あり, 水素の トラップ, 再結合サイ ト によって鋳造で混入する水素の影響がわかる。 としてこれらが粒内に水素を停留させる寄与を巣た した AI- 3 %以 合金を溶湯反応法で ト リチウムを導入 し通常 ものと推定している。 表面に露出 し た第二相粒子は水素 の圧延, 焼入れ, 時効処理を行な っ た試料をオー トラジ の優先的な侵入サイ ト であ る可能性が高いばかりでなく, オグラフィで観察すると, 粒界に析出 した占 棺の界面 同時にその母相界面は水素再結合サイ ト にもなると考え 付近に水素が存在することがわかった。 茨城大の伊原智 ている。 7NOl 合金の高い水素脆性の害lれ抵抗は表面に 章氏h 泉孝裕氏h 伊藤吾朗教授は, オ トラジオグラフィ おける水素侵入お よび粒内での水素 トラップあるいは再 はトリチウムの取り扱いが危険で特殊な設備を有 したと 結合による水素輸送がそれぞれ抑制古れることで粒界割 ころで しか実験がで きないため, 水Iマイクロプリ ント れの進行が遅れたためと結論付けている。 法を用い水素の存在状態を把握しようとした。 水素マイ 九州大学 (2013年3月まで豊橋技術科学大学〕 の戸 クロプリ ント法は写真用乳剤を試料の片面に被覆す るこ 田裕之教授のグループは精力的に Spring- 8 での放射光 とで, 材料中か ら放出される原子状水素を可視化す る手 を用 いX線トモグ ラブィの手法で3D, 4D観察を行 っ 法であ る。 材料中か ら放出される水素は臭化銀を還元 し て, Fig. 47 に示すよ うにポアの発生, 成長を可視化 し て金属銀と なる。 こ の銀粒子を SEM で観察す ることで ている 153,1則。 ポアの大半は図溶限を超え た大量の水素 水素の存在位置を知る こ とができる148, 1制。 この手法で, が様々 な水禁トラップサイ ト に集積 し分子状水ʞとなり 片面に乳化剤を被磁 l.., もう一方の片面か ら水素ガ ス圧 形成さ れたものである。 これらのポ7は鋳塊の熱処理, 0.2MPa で30 分負荷 l.. , 7075, 7475 合金の水素透過能 加工で成長, 合体, 消滅と変化す るので, こうした水素 を調査 した朋)。 この結果, 水素透過遼は, 再結晶組織 ミクロポアの制御が今後室嬰となってく る。 また元豊田 のほうが未再結晶組織よ りも多く, T6材のほうがT7 工業大学の上田一之教授は電子励起イ オ ン脱離i法を応用 材よ りも多く, また不純物援が増す と多く なることを明 して走査型水素検出顕微鏡を開発 し 1町た。 その結果, らかに した。 水素の放出サイ トはAl,Cu2Fe のよ うな �泊分解能 500nm で水素の二次元分布を可視化で きる 晶出物であった。 このことは侵入サ イ トも向じ晶出物と ようになった。 教授によると, 今後, パノレク 試料の結晶

Fig. 47 Growth, coagulation and annihilation of hydrogen micro-po回s during heat treatment of Al- %Mg Cast Material 1臼〉 5

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粒界での水素の状態分析や可視化も可能になるとのこと ジュラノレミ ンに対していつから始めたのか, ESD のネー である。 ミングの経緯は, 応力腐食割れはどのようにして解決で 以上の最近の研究で, 水素の可視化やその存在状態が きたのか」 というこ とを解明するため に図脅館の奥深 く 明らかになりつつある。 これらの結果は従来か らの応力 入って調査され, 軽金属に 「わが国アルミニウム産業の 腐食割れの原因解明につながっているかどうかが問題で 明るい未来を拓 く ためにー温故知新 hack to the Futu­ ある。 五十嵐博士は, クロム添加で害IJ れ寿命が長く なっ re-J 7り を発表さ れて, その思いは一層強 くなった。 たのは, クロム添加で局部腐食か ら全面腐食に変わ っ た 先酷方の熱き恩いを引き継いで後酷たちに伝え るために からと考えた。 戦後はク ロム添加で結晶粒界が盟結晶粒 も, ESD 関発 とその後の歴史をまとめることは航空機 界となったために割れに くくな ったと考えられた。 では 材料の開発に携わ った小職の使命だ と考え, I超々 ジュ 同じように亜結晶粒界を形成す る 微量添加元索 Mn, ラノレミ yと零戦」 というタイ トルで, アノレミニウ ムの歴 Cr, Zr に関して, その違いはあるのかどうか, あると 史および住友軽金属 の膝史を書いてきた。 ただ戦後の住 すれば何が効いているのか, クロム添加では Al-Zn-Mg 友軽金属の発展は建材, 缶材, 熱交換器材, 自動車材に 系は Al-Zn-Mg-Cu 系よ り も応力腐食割れに敏感だ とい 支え られていてこれらの発展の歴史 も脅かねば片手落ち われているがそれはなぜか, また微量 Cu 添加すると肉 のそ しりも免れないが, ご容赦願いたい。 ま た材料開発 厚方向の耐応力腐食割れ性はなぜ向上するのか, まだま にはそれが実現するためには製造技術の発展がないとで だ疑問が多い。 負荷応力をかけると一定時間後に割れが きない。 製造技術の発展では, 竹内勝治博士の著書がな 生じるので, その時間は何に支配されているのか, 化学 ければ本稿はとてもまとめることはできなかった。 それ 反応 と の関連で議論を進め る必要がある。 また水素 との とともに, 大いに参考になったのが京都大学西村秀雄教 関係では, 水素 ミクロポ7と応力腐食割れの関係はどう 授の 「軽金属研究雑話j と称する軽金属研究に関する膨 か, また内在 した水素 と環境か ら侵入 し た水素の区別は 大な腿想録は教授の考え方が反映古れ, その時代の学問 つくのか, 内在 した水索は応力腐食害lれには関係しない の雰囲気を感じることができ, 今でも十分適用できる生 のか, さ らに粒内あ るいは粒界を拡散す る水素は水素イ きた教科書である。 このDNA は村上陽太郎教授の著書 オンなのか原子状水素であるのかどうか, Mg-H結合 「新素材 ・ 新技術J (I �V) の中にも引き継がれている。 が生 じるとした場合, どの程度の結合力か, どの程度上 このアノレトピア に連載中に二つの大きな出来事に遊過 述の結合が生成 したら粒界の結合力は弱 くなるのか, 化 した。 一つ は, 住友軽金属 と古河スカイ と の経営統合で 学結合論的な検討が必要である。 応力腐食割れは材料を あり, 二つ 自は馬場義雄博士の逝去であ った。 一つ 目の 高強度化しよう とすると必ず直面す る課題であるが, こ 古河スカイとの統合は, いずれと、こかとの統合は予想さ れを完全に妨止す ることは出来ていない。 未だ実用的に れたが意外 と早く訪れた。 小磯は直接経営に携わってい 問題と ならない範囲で用いているだけである。 化学反応, ないのでどの時点か ら統合の話になったかは詳 らかでは 化学結合の面か ら の解明が急がれる。 こうした現状を踏 ない。 古河スカイ と はほぼ同 じ分野で競合 していただけ まえ, 軽金属学会研究委員会では 「アルミ ニウム合金中 に競っていた担当者には複雑な思いがあ ったようである。 の水素」 部会を立ち上げた。 総合的な検討を加え, その しか し 日本でのアルミ の歴史から見ると戦前は航空機の 水素の制御法が明 らかになれば材料開発 も新たな発展を 分野でジュラノレミ ン, 超ジュラノレミ ン, 超々 ジュ ラノレミ 向かえるであろう。 ンを同様に製造し, 戦後 も分野は違うが同じユーザーで 競っていたので, 実際やっていることは蓋を開けてみれ ばほぼ同じであることはほぼ推測できる。 お客が同 じで 5. おわ りに あれば同 じ要求に応えるために同じように必死になるこ 本稿を執筆 した直接の動機は, 既に述べたが, ICAA とは当然である。 今後は世界にでて外国勢と戦う ことが 国際会議で ESD について世界ではあまり知られていな 必要になるので, 小職にとって同じことを研究 ・製造し くて, これは我々のPRが足り ないのではないかと思っ ている商社の統合は当然の成り行きだと考えている。 お たことである。 も ちろん先輩諸氏がい ろんなところで書 互いの文化の違いを乗り越えてお互いの強みを活か して かれた ものはあるがま とまったものが少ないのが現状か 1 1が3以上になるよう発展してい く こ とを期待す る + と思う。 小職 としては以前か ら 自分の研究の位置つ、けを ものである。 本稿は自分にとっても節目であっ たが, 会 するためにも, 何らかのアノレミニウ ム合金の発展史が必 社にと っても節目にあたり, 住友軽金属の名前がな くな 要だ と思い, 古くから神田の古本屋街でアノレ ミニウムに る直前でその歴史をま とめることができたことは偶然 と 関する古蓄を漁っていたことも背景にあった。 さらに竹 はいえ感慨深い ものがある。 二つ 目は馬場博士の 77 歳 内勝治博士がすでにこの住友の 「技術の歩みJ 2}や「ア での惜しまれる逝去であ る。 こ の原稿に最初に眼を通 し ルミニウ ム合金展伸材 その誕生か ら の半世紀一」 日を ていただいたのが馬場博士である。 小職に とって直接の まとめ られてお り, これを材料屋の観点か らまとめてみ 上司で もあったが, 何よ り も五十嵐博士の材料開発を継 たいとの思いもあった。 この思いは永田公二博士が 「超々 いだのが戦後は馬場博士 との思いが小織に はあるからで

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ある。 博士は戦後の住友軽金属の材料開発の ほとんどを ある。 機器分析が発展 してきて, いずれ見えてく ること 手がけたといえよう。 馬場博士か らの感想は一言五十嵐 を想定してそれに耐え られる考え方が重要である。 技術 博士をあま り神格化するなよと言われたよ うに記憶 して 力においても, 日頃研究者は生産現場と接触していると, いる。 いつ もながらクールな馬場博士の言葉であ る。 馬 自分たちの製造で きる技術の枠の中で しかものを考えな 場博士には昨年小磯か ら是非若い研究者に開発初期の苦 くなる。 日本にある圧延技術はほとんどアルコ7やアノレ 労話をお願い しますと申しあげたところ, 久々 に住友軽 キャンから習得したものである。 同じ技術であれば基本 金属か ら配当がでたのでお礼に講演を しようということ 約に同じものしか出来ないであろう。 過去の研究や鉄鋼 になった。 博士が退社して 10 年振 り の講演であ る。 過 などの製造技術も学びそれらの技術 も取り込みながら, 去のヱ ピソードを交えた貴重な講演であったが, 最後に, 従来 と違った発想で製造することを考え る ことも重要で 締め く くりと して開発に成功するためにはということで, ある。 材料震は何が したいのかしっかり とメッセージを 第一に, (最近の TPP を摂 られたのか, )新製品開発の だせば製造現場 も協力 してくれるはずであ る。 「決め ら 基本はTP'であ り, TP 'とは(j)Timely, ②Professiona れたことを忠実に実行 して, ものにするのが, 現場の使 L ③Production Process and Price (Cost), ④Patent 命です。 難しい事も毎日やっていると, 上達する もので (Key Technology) が重要 と考えている。 第二に, す」 という先人の言葉に励ま される。 技術 も難しい材料 Seeds 研究は成功す るのは難しく, 10-20 年要す る。 をやればや るほど創意工夫が必要である。 その点, 航空 Needs 研究の方が効率がよ い。 第三に, ゃるからには 機材料は最 も難しい材料の一つで, 高性能で高品質が要 Topを狙う こ とであって欲しい。 第四に, 最低一回は 求される。 逆に航空機材料を製造していますということ 成功体験が必要である。 しかし, 成功体験は捨て ること はユーザーの高い信頼を勝ち取る ことにも繋がる。 原理 が重要であ る。 第五に, 努力なく して将来な し。 最後に, を追求 し て最短の コースで製造す る技術を確立していく 開発をしっかりやって, 中国に真似のできないよ うなも ことは商品化していく上でとても重要である。 どんなに のを作ってい ってほしいと述べられた。 これが奇しく も いい材料で も商品化で きなければ企業の研究と しては成 最後のメ ッセージ, 遺言と なった。 我々は, 馬場博士の 功したとはいえないであろう。 先人のいい所を学び, そ 巡言を日干に銘 じながら, グローパノレで戦う準備を してい のDNA を引き継いで新材料 ・ 新製品を開発し, 世界の く必要があろう。 企業 として飛躍してくれることを期待 したい。 最後に受け継 くべき住友の DNA は何であるのか, 材 料展の立場か ら考えてみる。 我々 はいつ もユーザーの 参考文献 「無理難題 に応え る」 ことで材料開発をお こなってきた 1) 竹内勝治 アルミニウム合金展{申材ーその誕生から半世 ことである。 戦前は海軍の要求に応え ることでESD を 紀一, 軽金属溶接構造協会, 1986 2) 竹内勝治 技術の歩み, 住友軽金属工業株式会社, 1995 開発 してきた。 戦後は缶, 印刷板, 熱交換器, 自動車, (非売品) 二輪車, 鉄道な どのユーザーの要求に応えることで, ユー 3) 住友軽金属年表 (平成元年版) , 住友軽金属工業株式会社, ザーの信頼を勝ち取り,生き残ってきたと言えよ う。 こ 1989 年 のことは住友だけとは思えないが, むしろ難題に応え ら 4) 牧野光雄 飛行船の歴史と技術, 成山裳替店, (2010) れるだけの研究力や技術力をB頃から培 っていることが 5) 秋本 実.日本飛行船物語, 光入社, (2日日7). 重要であ ろう。 研究力は優れた観察力 とそれを理解す る 6) http : / jwww.ne.jpjasahijairplanejmuseumjnakajima jnakajima.html 能力であろう。 ものを見る というのはある程度予測す る 7) 松田 孜, 東尾伸吉, 田村正郎 . 研究報告, 住友伸銅鱗管 能力がな いと見えるものも見えてこない。 折角の宝物 も 株式会社, 1 (1932), 1 ゴミ に しか見えない。 大学出たての新人が大学で習 って 8) W. Sander : Z. Metallkunde, 19 (1927), 21. きた理屈で現象を説明しようとするが, それででき るほ 9) A. von Zeerleder The Technolo.互'Y 0/ Alumin山m αnd ど現象は単純ではない。 五 卜嵐博士の言葉を借 りるのな Its Light Alloys, :Nordemann Publishing Company, ら, I自社の歴史, 人, 技術等の一切を体得す ることが Amsterdan, (1936), 26 10) G. Eger : Inten. Z. Metallog., (1913), 29 第一。 4-5年はかかる。 学校の講義だ けでは駄目」 で, 4 11) 西村秀雄 随筆 ・ 軽合金史 (其 14), 軽金属時代, NO.185 やはり実際に生じている現象を良く観察して, Iどう し (1949), 9. てだ, どう してこうなるのかなと繰り返し, 街{底的に突っ 12) W. Sander and K. L. Meissner : Z. Metallkunde, 15 込んで」 そこから理論を組み立てて行 く能力が求め られ (1923), 180., 16 (1924), 12 る。 「理論 も実験も日に日に進んでこそ工業も発展する。 13) 西村秀雄 随筆 ・ 軽合金史 (其 15) , 悶上, NO.186 未熟な理論を絶対だ と考え てもらっては困るJo I思った (1950), 2 結果と矛盾した事実が示されたときのみ進歩があ り, 発 14) 西村秀雄 。 随筆 ・ 軽合金史 (其 25) , 同上, NO.196 (1950), 2 展があ る」 と考え, 現象と合わない理論にいつまでも拘 15)松田孜超「ヂュ ラルミ ン」 由研究 〈第一報), 研究報 泥す る必要はない。 見えているものだけで説明しようと 告〔社内), デュ ラルミ ン, NO.1576 しないことも重要で, 見えないもの も見る能力が必要で

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16) 五十嵐 美 五百旗頭式超 Duralumin 製作に関して海軍 44) 堀越二郎 . 零戦, その誕生と栄光の記録, カッパブッ クス 技術研究所へ出張報告, 研究報告 (社内), デι ラルミ ン, 光文字土, (1970) ., 角川文庫, (加12) NO.2167. 45) 堀越二郎, 奥富正武 零戦 (文庫版), 朝日ソノ ラマ, 17) 五十嵐 勇 航空機用材と して由経合金の研究 (学位論文), (1982), 学研 M 文庫(2013) (1939), 37 46) 吉村 昭 零式戦闘機 (新潮文庫), 新潮社, (1978) 18) 山本正雄 ー Duralumin製造の憶ひ出, 軽金属時代, 198 47) 零戦の しくみ, 新星出版社, (2011) (1951), 5. 48) 堀越二郎 零戦の遺産 (光入社 NF 文庫) ,光入社, 19) 平林 良縞 . 本多光太郎ーマテ リ アルサイヱンスの先駆 (1995) 者一, 本多記念会監修, アク'不技術セ ンタヘ (2004), 11 49) おちあい熊一 : 零戦激闘伝説 謎101, 学研パプ')ッシン 20) 五十嵐 勇。研究室田片隅か ら, 軽金属, 5 (1952), 29 グ, (2009) . 21) 松田 孜米国製 ι'24SRT" 板試験成綴 (第l報), 研究 50) 特集, 汎太平洋平和博覧会, ニュース レター, 報告 (社内), デュラルミ ン, No.2381 Vol.62 (2004) , 財団法人名古屋都市セ ンタヘ 22) 回選友次郎 住友金属工業 ・研究報告, 第2巻第2号 http : /jwww.nui.or.jpjnews .匂letter!16!pdf!voI62-1.pdf, (1934) p.147 他に http : //underzero.net/html/tz/tz_213_1.htm,

23) M. B. W. Graham and B. H. Pruitt : R品D for Industry, http : //network2010.org/article/147参照 A Century 01 Technicαl In novαtion at Alcoα , 51) 北島正和 ‘ベルリ ンからの手紙, 第二次世界大戦, 大空襲 Cambridge, (1990), 183 下のー技術者, 中央公論事業出版, (2005). 24) 困惑友次郎 日本金属学会誌, 1 (1937), 107 52) 畑 栄一 ESD と割れ, 本誌, 29 (1988), 91 25) 五十嵐 勇 超高力騒合金の探求 (No.1), 社内研究報告 53) 飯島嘉明:超々ジュラルミ ンと五十嵐勇, 金属, 76 (20日6), 脅, No.3326, (1935)ー 1132 26) 西村秀雄 随筆 ・ 軽合金史 (其 29) ,軽金属時代, 54) US Patent 2,240,940. Aluminum Alloy, J. A. Nock, Jr., No.200(1951), 10 ALCOA, Application Sept. 28, 1940. Patented May 6, 27) 深井誠吉 北原五郎氏の逝去を悼む, 住友軽金属 ・社内期比 1941 No.144, 11 月 (1971), 9 55) J. T. Staley : History of Wrought-Aluminum-Alloy 28) 軽金属工業発達史 (其由一), 航空機用軽金属材料につい Development, Aluminum Alloys-Contemporary て, 第一回軽金腐座談会記録, 軽金属, 6 (1953), 103 Reseαrch αnd Applicat凹ns, Edited by A. K. Vasudevann 29) 柳田邦男 零式戦闘機, (文春文庫) ,文芸春秋社, (1980), and R. D. Doherty, Treatise on Materials Science and 288 Technology, Vo1.31, Academic Press, Inc., (1989), 3 30) 五十嵐 男, 北原五郎 : 新強力軽合金の研究 (其 1), 鉄 56) E. H. Dix, Jr. : Aluminum Alloys-1940 to 1950, Metal と鏑, 23(1937), 447. , 住友金属 ・ 研究報告, 第2巻, Progress, (1950), 484 第9号 (1937), 883. 57) M. B. W. Graham : R品D for Industry, A Century of 31) 五十嵐, 北原 ーE.S.D 新合金ノ 「割レ」 ニ就テ (第一報) , TechnicαIInnovαtion αt Alcoa, Cambridge University 社内研究報告審, デュ ラルミ ン, No.3939, (1936). Press, (1990), 263 32) 五十嵐 勇, 北原五郎 高力 Al 合金由時期割れと其防止 58) J. A. Nock, Jr. : 75S-Alcoa's New High-Strength に就て, 日本金属学会誌, 3 (1939), 66. . 住友金属研究 Aluminum Alloy, Me七als and Alloys, (1944), 922 報告, 第3巻, 第6号 (1939), 531. 59) J. A. Nock, Jr. : Commercial Wrought Aluminum 33) 五十嵐 勇 . 臼本金属学会誌, 6 (1942), 316. Alloys, Physicα1 Metallur互y 01 Aluminum Alloys, 34) 特許第 135036 号, 鍛錬用強力軽合金, 五十嵐 勇, 北原 ASM, (1949), 167 五郎, 昭和 15年2月 28日 60) H. Y. Hunsicker : History of Precipitation Hardening, 35) 幸回成康 : 時間J硬化研究由歩み, 合金の析出 (幸田成康監 The Sorby CentenníαI 砂mposium on the History 0/ 修), 丸善, (1973), 42., 金属学への招待, アグネ技術セ Metαllurgy , ed. by C. S. Smith, Gordon and Breach ンター, (1998), 135 Science Publishers, (1963), 271 36) 小山克己 高強度 ・ 耐熱性ア ルミ ニウム合金. Furukawa� 61) E. A. Starke, Jr : Precipitation Hardening : From Sky Review, 6 (2010), 7. Alfred Wilm to the Present, Aluminium Alloys, Their 37) 五十嵐 勇, 北原五郎 新強力軽合金の研究 (菜の 心, Physicαl αnd Mechαnical Properties, (ICAAll in 住友金属 ・ 研究報告, 第3巻, 第1号 (1938), 1 Aachen) V01. 1 Ed比ed by J. Hirsch, B. S. Skrotzki and 38) 五十嵐 勇, 北原五郎 . 新強力軽合金の研究 〔其白 5), G. Got旬tein, DGM, Wiley-VCH, (2008), 3 向上, 第3巻, 第3号 (1938), 232 62) T. Sato : Innovative Development of Aluminium 39) 五十嵐 勇, 北原五郎 新強力軽合金の研究 (其田 6) 軽 Research and Technologies in J apan, Proceedings of the 合金 RR77 に就て, 向上, 第3巻, 第3号 (1938), 247. 12 International Conference on Aluminium Alloys, 40) 五十嵐 勇, 北原五郎 : 新強力韓合金由研究 (其ノ 2) 超々 Editedth by S. Kumai and etc. The Japan Institute of ジュラJレミ ン “ESD" 及其ノ クラッ ド材 “ESDC" ニ就テ, Light Metals, (2010), 1 同上, 第3巻, 第5号 (1938), 455 63) H. Yoshida : Alloy Development for Transportation in 41) 回遜友次郎 軽合金雑筆 追想と見透ー, 軽金属時代, Sumitomo Light Metal, Proceedings of the 12 186 (1950), 5 International Conference on Aluminium Alloysth , Edited 42) 告回英雄 : 五十嵐博士の生家を訪ねて, 軽金属 by S. Kumai 叩d etc. ibid., (2010), 54 43) 五十嵐 莞:耐食性アルミ ニウム合金, 軽金属及軽合金最 64) 西村秀雄 ・髄翠・軽合金史 (第 34, 35, 38 回), 軽金属時 近の進歩, 工業図審株式会社, (1937), 182 代, No.205(1951), 6., No.206 (1951), 2., No.209(1951),

324 Vo1.54 No.l 超々 ジュラ ルミ ンと零戦 超々 ジュラルミ ン開発物語 (そ の2) 325

11 95) 高井美樹, 足立俊輔, 上原敏彦, 正木克明, 氏家隆之 名 65) 五十嵐 勇, 深井誠吉 (対談〕研究白今昔とそ白ありかた, 古屋製造所白近代化, その し 新鋳造設備の紹介, 本誌, 住友軽金属(社内報). 68 (1965). 34 (1993). 253. 66) 寺井士郎: ジュラJレミ ンとESD 開発における創造性, 本 96) 上野順一郎, 藤本隆行, 杉江明士, 星野郁弥, 橋爪雅紀, 誌. 29 (1988). 93. 今西由幸, 岡村議英 名古屋製造所田近代化, その2. 熱 67) 佐藤史郎 :最近, 想う こと 「セ レンディ ピィティについ 間圧延 ライ ン白紹介, 向上. 36 (1995). 53 てJ. アルミニウム 11 (2004). 38. 97) 疋聞達也, 佐野秀男, 毛利英一, 安保満夫 名古屋製造所 68) 深井誠吉 ESD について四思い出, 本誌. 29 (1988). 87. 自近代化, その3. 押出製品目新製造設俄紹介, 向上. 36 69) 音田英雄 :超々ジュラルミ ン白発明者, 五十嵐 勇博士の (1995). 60. 生家を訪ねて, ⯺金鴎. 62 (2012). 502 98) 原 純 アルミ ニウ ム合金製鉄道車両の動向, アルミニウ 70) 五十嵐 勇.住友軽金属技報第 15 居年を迎えて, 本誌, ム. 11巻. 25 号 (2∞4). 23 16 (1975). 1 99) 吉田英雄 : 輸送機器向け展伸用 アル ミニウ ム合金の開発白 71) 五十嵐 勇 アルミニウム技術入門, 鉄鋼新聞社. (1969) 歩み, 本誌. 46 (2005). 99 72) 深井誠吉 ・ 名誉員五 卜嵐勇先生白御近況, 日本金属学会誌, 1日0)小林藤次郎 :アルミ ニウムおよびその合金の加工技術, ア (1963 年). 149. ルミニウムおよびそむ合金白 アルゴン・アーク溶接 (1). 73) 高島 章 奪戦 あれこれ, 軽金属. 60 (2010). 475 河上. 1 (1960). 129 74) 永田公二 :わが国アル ミニウ ム産業の明るい未来を拓 くた 101)寺井士郎, 馬場義雄 溶接構造用 Al-Zn品19 系合金につ めにー温故知新, Back to the Future ー, 軽金属. 60 いて, 同上. 10 (1969). 42 (2010). 192. 102)馬場義雄 ・ Al-Zn品位 合金の焼入感受性お よび析出物自核 75) 五十嵐 露年譜, 非売品. (1987) 形成に対する添北口元紫田影響, 向上. 9 (1968). 24 76) 佐藤良住, 藤井清隆 ー 現在の産業, アルミニウム産業, 東 Y. Baba : Tran. JIM.. 7 (1966). 224 洋経済新報社. (1968). 27 103)寺井士郎, 竹内勝治, 田中英司, 馬場義雄, 中村 授溶 77)林 章 東京駅はこう して誕生した (ウ エッジ選書 24). 接構造用アルミニウム合金ZK41 の機械的性質について, ウエッジ. (2007). 249 向上. 8 (1967). 52 78) JR 東日本パンフ レッ ト, 東京駅丸の内訳舎保存, 復元 104)馬場義雄 アル ミニウ ム技術開発の回顧と展, 悶上. 41 ~いま. る赤レンガ駅舎�. (2007). (2000). 91. 79) 五十嵐 勇:圧延材の関所, 鋳物 の奔流, 軽金属時代, 105)馬場義雄 企業におげる研究開発 私の体験より, アルミ 160 (1947). 7. ニウム. 7巻. 35 号 (2日00). 80 80) 西村秀雄 我が軽金属工業並に学界の進むべ き道, 向上, 106)馬場義雄, 高島 章クロ ムを含む Al-Zn-Mg お よびAlω 160 (1947). 4 Zn占19-Cu 合金の時効特性と応力腐食割れにおよぽす鋳塊 81) 西村秀雄 随筆 ・ 軽合金史 (第 40 回). 向上, 均質化熱処理の影嫸, 本誌. 15 (1974). 287 No.211 (1952). 3 107)音田英雄, 馬場義雄 : Al-Zn-Mg およびAl-ZrトMg-Cu 合 82) 小岩昌宏 金属学プロムナ- i'. アグネ技事情セ ンター, 金の強度と応力腐食抵抗の改善に及ぼす ジルコニウムの役 (2日04). 127 書1). 同上. 22 (1981). 42 83) 村上陽太郎 '新素材 ・ 新技術 ~第V築 .大阪科学技術 108)寺井士郎, 杉山禎彦, 馬場義雄, 福井利安 : 構造用 Al-Zn­ センター付属ニューマテワアルセ ン タ . (2012). Mg合金ZQ50 の溶接性について, 向上. 7 (1966). 197. 84) 村上限太郎 金属科学者由回想ー, 平成 21年度東海水 109)馬場義雄, 高島 章:徴盤白銅を含む溶接構造用 Al-Zn­ i寝会談演会. (2010) Mg 系合金白応力腐食割れと機械的性質, 向上. 17 (1976). 85) 村上熔太郎 アルミニウ ム合金の時効析出にまつわる歴史 28 と進歩, 第31 回軽金属セ ミ ナー. (2008). 110)音図英雄, 福井利安, 馬場義雄 すみ肉溶接古 れた実用 86) 河野 修 析出に伴う結品構造変化, 合金の析出, 幸田成 Al-Zn-Mg 系合金厚板端面白応力腐食割れに関する研究, llIi編. 1972. 55. 向上. 19 (1978). 95. 87) 村上陽太郎 金属学とその研究手法白進歩一研究生活を鼠 111)Technical Data Sheet. 構造用 Al-Zn-Mg 合金 ZK141 白 みて (ll). 水i盟会誌. 23 (2004). 600. 諸性質, 向上. 17 (1976). 165 88) 西村秀雄 続軽合金史 (第 10 回) . 軽金属時代. No.231 112)馬場義雄 ー 住友軽金属技報発刊初期 11960 年代」 白盟、い (1953). 10 出, 向上. 51 (2010). 185 89) 西村秀雄 . 続軽合金史 (第 11 回). 向上. No.232 (1953). 113)馬場義雄, 福井利安, 高島 章・マグネ シウム白少ない 2. Al-Zn-Mg系合金白実用化, 河上. 15 (1974). 117 90) 鈴木秀次 転位論発展の歴史と将来由展望, 日本金属学会 114)馬場義雄, 音田英磁 ・押出性にす ぐれた Al-Zn-Mg 系三 会報. 23 (1984). 445 元合金, 河上. 18 (1977). 68. 91) 告回英雄 球状黒鉛鋳鉄一基礎・理論・応用ー, 張博, 明智 115)Technical Data Sheet. 構造用 Al-Zn-Mg 合金 ZK60 の 清明, 塙健三共編, アグネ. (1983). 24 諾性質, 向上. 10 (1969). 49 92) 本居徹也, 福岡 潔, 告田英雄 . 軽金属. 48 (1998). 624 116)伊藤泰永, 難波圭三 . ろう付けハニカ ムパネルの開発とそ 93) 村上陽太郎 アルミ ニウム合金および銅合金の時効過程, の応用, 向上. 39 (1998). 130 合金の時効過程とその解釈, 日本金属学会. 1968. 74 117)熊谷正樹 :FSW の実用化と展望, 向上. 52 (2011). 107. 94) 村上陽太郎 最近由非鉄合金白時効析出における隠題, そ 118)告回英Mt. 毛利英一, 平野清一, 箕田 正, 日比野壮美, 由1. アノレミニウ ム合金, 合金の析出, 幸田成康縞. 1972. 岡島賢三, 伊藤田出国, 塚本銀正 オートパイフロントフォ ー 403 ク用高力 アルミニウ ム合金管白開発と実用化, 向上. 37

325 326 住友軽金属技報 2013

(1996), 185., ⿺金構, 46 (1996), 89 136)平野清一, 音田英雄, 字野照 Al-Li-(Zr, Cr) 合金目 1l9)T. Uno, H. Yoshida and Y. Baba : Aluminum Alloys; 焼入れ感受性, 向上, 30 (1989), 59‘ Their Physical and Mechanical Properties, Vol. 1 . ed. by 137)田中宏樹, 音田英雄, 土田 信:Al-Li合金の超塑性に及 E. A. Stark, Jr. and T. H. Sanders, Jr., EMAS, 371 ぼす熱間加工条件の影響, 向上, 30 (1989), 169. 120)馬場義雄 .航空機用アルミニウム合金の進歩, 本誌, 29 138)航空機国際共同開発促進基金 (IADF) 解説概要 17-5-7 (1988), 29 「航空機に於けるアルミ リ チウム合金の開発動向J (2005) 121)馬場義雄 最近の アル ミニュウム展伸材の用途と特性, 同 139)小関好和, 岩村信吾, 上向賢一, 山田悦子 ㋘成形合金 上, 31 (1990), 65 2013 板材の開発および低コ スト檎造への適用研究, 本誌, 122)新製品紹介, 航空機ス トリンガ 用微細結晶粒 7075 合金 51 (2010), 61 板:向上, 23 (1982), 120 140)H. Sano, S. Tani, T. Minoda, T. Iwakami and 123) 日本航空宇宙工業会 革新航空機技術開発に関する研究調 Y. Yoshino ・ Properties of Hollow Extrusion of High 査, 高靭性アル ミニウ ム合金自開発白研究, 神戸製鋼所, Strength AI-Mg-Si-Cu Alloy for Aircraft, Sumitomo 住友軽金属工業, 古河アル ミニウ ム工業, 成果報告審 Light Meもal Technical Reports" 39 (1998), 31 NO.506 (1981), NO.603 (1982), No.702 (1983) 141)熊谷正樹 ,航空宇宙分野への FSW 田適用, 本誌, 44 124) 日本航空宇宙工業会, 革新航空機技術開発セ ン タ 革新 (2003), 142 航空機技術開発に関する研究調査, 超塑性高力アルミニウ 142)馬場義雄 AI-Zn-Mg 系合金の応力腐食事IJれ, 軽金属, 24 ム合金白開発および一体化加工法の研究, 住友軽金属工業, (1974), 227 三愛重工業, NO.802 (1984), No.901 (1985), No.6001 143)馬場義雄, 高島 章:Al-Zn-Mg 系合金の応力腐食割れE (1986) 本誌, 16 (1975), 60 125) 日本航空宇宙工業会 航空機部品・索材産業振興に関する 144)村上陽太郎 アルミ ニウム合金の応力腐食割れ, 軽金属, 研究調査, Al-Li 合金白超塑性材料開発, 超塑性加工法の 31 (1981), 748 研究, 三菱重工業, 住友軽金属工業, 成果報告審, No 145)馬場義雄, 音岡英雄。アルミ ニウム合金の粒界破壊, 日本 105 (1987), No.205 (1988), NO.307 (1989). 金属学会会報, 22 (1983), 115.. 本誌, 24 (1983), 141 126)H. Yoshida, M. Kumagai and Shin-ichi Matsuda : 146)材料工学領域における最新オー トラジオグラフィの解析と Superplasticity of Aluminum Alloys, Sumitomo Light その応用, 斉藤秀雄編築, うらべ警房, (2008) . Metal Technical Reports, 31 (1990), 203 147) 向田 浩, 伊藤吾朗, 菅野幹宏 トリチ ウムオー トラジオ 127) 日 本航空宇宙工業会 航空機部品・紫材産業振興に隠する グラフィによ る水素白微視的解析, 軽金属, 42 (1992), 調査研究, 高強度高成形 6000 系新合金の研究, 住友軽金 112 属工業, )11崎重工業, 成果報告書, NO.806 (1994) , 148)伊原智, 伊藤吾朗 水索マイ クロプザ ン ト法によるAl No.904 (1995). Mg系合金中白水索の挙動解析, 同上, 53 (2003), 575 128) 日 本航空宇宙工業会 航空機部品・索材産業振興に隠する 149)泉 孝裕, 伊藤吾朗 水索 マイ クロプリ ン ト法による高機 調査研究, 新 6000 系合金の航空機用鍛造/押 出材田開発, 度AI-Mg 系合金中田環境水索の挙動解, 同上, 56 (2006), 住友軽金属工業, 川崎重工業, 成果報告審, No.1004 478 (1996), No.1102 (1997) 150)伊藤吾朗, 泉 孝裕, 遠山拓史 : 7075 系アルミニウム合 129) 日本航空宇宙工業会 。 環境調和型航空機技術に関する調査 金における水素挙動に及ぼす ミクロ組織の影轡, 向上, 58 研究 (CD 版), 複雑形状由押出可能な高強度合金 2013 白 (2008), 15. 一次構造体への適用研究, 住友軽金属工業, 川崎重工業, 151)堀川敬太郎 : 高圧水索貯蔵用 アルミ ニウム合金田研究動向, 成果報告審, NO.1615 (2005), NO.1705 (2006). 向上, 60 (2010) ,542 130) 日 本航空宇宙工業会 環境調和型航空機技術に隠する調査 152)大崎修平, 前田悦宏, 森田 到, 中井 学, 薮田 均:高 研究(CD 版) , 高成形合金 2013 板材由開発及び低コ ス ト 湿度空気中における中強度 7000 系ア ルミニウ ム合金白水 構造への適用研究, 住友軽金属工業, 川崎重工業, 成果報 素脆化特性, 向上, 60 (2010), 19 告審, No.1914 (2008), No.2006 (20目的. 153)戸田裕之, 小林正和, 鈴木芳生, 竹内晃久, 上杉健太郎 ー 131) 日本航空宇宙工業会 :先端航空機部品・索材技術に関する 3D・4Dマテ リアルサイ エンス そ由現状と展望, 非破壊 調査研究, 摩擦接合を用いたアルミ 合金製大型押出部材白 検査, 58 (20日9), 433 航空機へ白適用化研究, 三菱重工業, 住友軽金属工業, 成 154)H. Toda, K. Minami, K. Koyama, K. lch比四" 果報告審, NO.1405 (1999), NO.1502 (20日0). M. Kobayashi, K. Uesugi and Y. Suzuki : Healing 132)音田英雄 .高強度アルミ ニウム合金白加工熱\Ilil理法 とそ白 behavior of preexisting hydrogen microporesin 応用, 本誌, 36 (1995), 37 aluminum alloys during plastic deformation, Acta 133)音田英雄, 内田秀俊 . 最近の航空機用 アルミニウム合金白 Materialia, 57 (2009), 4391 開発動向, 向上, 34 (1仰の, 87 155)上回一之 走査型水'*検出顕微鏡による水素の 2 次元分布, 134)新製品紹介, 高強度アルミ ニウム合金 ZC88, 向上, 40 金属, 72 (2002), 628 電子励起を応用 した水素顕微鏡, (1999), 168 顕微鏡, 40 (2日05), 105 135)宇野照生, 平野清一 航空機用アルミニウ ム合金の研究 そ四 1, アル ミニワム ーリチウム合金, 向上, 29 (1988), 47.

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