KJFC (九谷ジャズファンクラブ )会報 www.kjfc.info

GROOVY VOL. 46 2008.8.30

ラララララライイイイイイブブブブブブののののののおおおおおお知知知知知知ららららららせせせせせせ

CONTENTS

〔ライブのお知らせ〕 1 〔連載〕 ハービー・ハンコック研究・第 131313 回回回 高木 信哉 4 曲解説・楽曲解説 遠藤律子 ハービー・ハンコック研究 第 3 回補足-Ⅱ 唐沢 寧 YYY'Y'''ssss Room NoNoNo .21 YYY テナー・バトルに興奮する Y.S. 8 SOUL TLAIN Vol. 888 M.T 12 気まぐれジャズマン第 262626 回回回 水戸守敬一郎 13 RED GARLANDの魅力について 第第第 272727 回回回 紅 我蘭堂 14 〔〔〔KJFC〔KJFC TOPICSTOPICS〕〕〕〕 10 例会レポート 16 T.Y. Y.S. M.S. M.T. 他 表紙及び本文中イラスト制作(一部ロゴマーク除く)・・・・・水戸守敬一郎 ※無断転載はかたくお断りいたします。 印刷・製本:文京堂 東京都文京区本駒込 111-1---10101010----4444 電話 030303-03 ---394139413941----45084508 本 PDF 版は、冊子版を元に作成されていますが、一部異なる部分があります。 ライブのお知らせ!! 10 月 5 日TOKYO TUCにて 宮之上貴昭(g) SUPER QURTET

KJFCは今年 10 月に活動再開 10 周年を迎えますが記 ブと数多くの接点をKJFCと持っていただき、その卓越 念するかのように素晴らしいライブを行なうことになり したテクニックと唄心に溢れた独自のフレーズを印象付 ました。今回は、東京神田にある名ライブハウス「TOK けてくれました。 YO TUC」の田中紳介氏のご尽力で素晴らしいゲスト 吉岡秀晃さんは後述するプロフィールでもお分かりの を迎えることになりました。 ように、名実とも日本ジャズ界を代表するピアニストの一 宮之上貴昭さんは、KJFCともゆかりが深いプレイヤ 人であり、その演奏スタイルは本格派ハードバップで、乗 ーです。 り乗りのゴキゲンなプレイを聞かせてくれます。今回は僚 2001 年 12 月 16 日六本木『リラキシン』での伊藤 潮(b) 友ともいえる宮之上貴昭さんとの念願の顔合わせとなり さんとのデュオ・ライブ。2002 年 12 月に当時宮之上さん ました。 が経営されていた国分寺『キリキリブラウン』でのライブ。 お二人は連日ともいえるライブ活動の中で多忙を極めて そして記憶に新しいところでは 2005 年 11 月 20 日にジャ いて、なかなか共演する機会がありませんでしたが、今回 ズ・スポット『映画館』で行われた伊藤 潮(b)とのライ は特にプレイヤー自身が望む共演となりました。

日時:2008年10月5日(日) 午後 3 時開場 午後 3 時 30 分開演 午後 6 時終演

場所:TOKYO TUC

出演:宮之上貴昭(g) 吉岡秀晃(p) 稲垣 護(b) 太田耕平(ds)

〈プロフィール〉 宮之上貴昭(よしあき) 東京都世田谷区出身。米軍横田基地の『N・C・O』クラブで、ジョー・デイビ ス(org)、ジェリー・エディ(ds)のトリオ「ニュー・グルーブ」で 3 年間演奏。同 時に自己のバンドで都内のライブハウス等に出演し、1977 年に渡米。ニューヨー クで武者修業の後帰国し、コジマ録音から処女アルバム「WHAT'S HAPP ENED? MIYA」を自費制作。79 年には来日中のフィリー・ジョー・ジョ ーンズ(ds)をゲストに「ソング・フォー・ウェス」(キングレコード)をリリース してメジャー・デビュー。これを機に毎年リーダー・アルバムを発表。オルガン

1 の第一人者ジミー・スミスをゲストに迎えた「タッチ・オブ・ラブ」(バップレコード)や、〈日本のジャズ 100 選〉にも なったライブ録音の「ウェス・モンゴメリーに捧ぐ」(キングレコード)、ストリングス・オーケストラを加えた「フォク シー・アイズ」(東芝EMI)、アンディ・シンプキンス(b)のプロデュースによる初の海外録音「L.A.コネクション」 (キングレコード)も話題となる。現在は都内のライブハウスや全国でのコンサート、テレビやラジオの出演をはじめ、海 外のジャズ・フェスティバルやコンサートで演奏活動を続けている。 ピックを一切用いず、親指を中心とする独特の奏法は、ウェス・モンゴメリーの流れの中にあって更に発展させ、着々と 自己のスタイルを確立している。比類のないテクニック、歌心とその音楽性は、全国的に熱狂的な信奉者が多く、わが国 を代表するギターリスト。

《リーダー作品》 ① ② WHAT'S HAPPENED? MIYA(ALMコジマ録音)1978 年① SONG FOR WES(キングレコード)1979 年 MELLOW AROUND(キングレコード)1980 年 RIVIERA(日本コロムビア)1981 年 TOUCH OF LOVE(バップレコード)1981 年② NATHALIE(バップレコード)1983 年 DEDICATED TO WES MONTGOMERY(キングレコード)1985 年

FOXY EYES(東芝EMI)1988 年 ③ ④ SMOKIN'(キングレコード)1991 年 BLUESLAND(キングレコード)1993 年 THE THUMB(キングレコード)1995 年 L.A.CONNECTION(キングレコード)1997 年④ ME,MYSELF&I(キングレコード)1999 年 LIVE!(SFCレコード)2000 年③ LIVE AT THE KITTY KITTY BROWN(SFCレコード)2002 年

JAZZ GUITAR PERFORMANCE〔DVD〕(B-2) ⑤ ⑥ SPIRITS(SFCレコード)2006 年⑤ SUNSET STREET(SFCレコード)2007 年⑥ 《双頭作品》 EIJI MEETS SMOKIN'/北村英治(イエローキャブ)1996 年 YOSHIAKI/岡安芳明(キングレコード)1996 年 SWEET & LOVELY/熱田修二(ATUTAプランニング)2000 年 DELIVERY/北村英治(JAZZ COOK)2000 年

AUTUMN NOCTURNE/伊藤 潮(WOODY CREEK)2001 年 (以上宮之上さんのホームページより抜粋)

吉岡秀晃(p) 1960 年 2 月 1 日宮崎県延岡市出身。8 歳の時にピアノとバイオリンに出会う。 高校在学中、キース・エマーソンに魅せられ、プログレッシブロックの洗礼を 受けると同時にジャズに興味を抱く。1979 年、来日したレッド・ガーランド・ トリオのジャミル・ナッサー、ジミー・コブと共演しレッド・ガーランドに絶 賛される。1981 年 21 歳の時プロを目指し上京。1990 年初リーダー作 「H ERE WE GO」を発表 。1991 年セカンドアルバム「ANYTIME A NYWAY」を発表。スイングジャーナル選定ゴールドディスクを邦人ジャズ メンの新録音作品としては史上初の獲得という快挙を成し遂げる。1992 年日野元彦(ds) 、坂井紅介(b) による最強のリズ ム陣と共にサードアルバム「ALWAYS」を発表 。1994 年初めてのソロ作品集「STRONGMAN」を発表 。1994 年 10 年メキシコで開催された国際親善ジャズ・フェスティバルに出演 。1996 年 2 月ロサンゼルスで開催されたインタ ーナショナル・ジャズ・パーティでアンドリュー・シンプキンス、ルー-タバキン、シャーマン・ファーガソン、ジェフ・ ハミルトン他多数と共演,親交を深める。1999 年 8 月待望のライブアルバム「DOIN ' IT RIGHT 」を発表 。

2 ② 2000 年 2 月インターナショナル・ジャズ・パーテイに出演。ロサンゼルスタイムズでは『日本 が生んだファンキージャズの達人』として評価確定。 2000 年 5 月ニューヨークのルデイ・バンゲルダースタジオでジャミル・ナッサー(b)ジミ ー・コブ(ds) との共演でトリオの初の海外レコーディング。7 月「MOMENT TO MO

MENT」をヴィーナスレコードより発表。(以上ホームページより抜粋)

《リーダー作品》 ① HERE WE GO(ファンハウス)1990 年① ANYTIME ANYWAY(ファンハウス)1991 年② ALWAYS(ファンハウス)1992 年③ STRONG MAN(ファンハウス)1994 年④ DOIN’ IT RIGHT(BROWNY)1999 年⑤

MOMENT TO MOMENT(ヴィーナス)2000 年 ③ 《主な参加アルバム》 ④ ⑤ MASATO/今津雅仁(ファンハウス)1989 年⑥ WHAT’S A MELODY?/今津雅仁(ファンハウス)1990 年⑦ “HE SAID...”/今津雅仁(ファンハウス)1990 年⑧ HARD TIMES/今津雅仁(ファンハウス)1991 年⑨ THE RETURN OF MASATO/今津雅仁(SKIP)2000 年⑩ LIVE!/宮之上貴昭(SFCレコード)2000 年 TIME FOR LOVE/MONK’S TRIO Ⅱ(WHAT'S NEW レコード)2005 年 ON THE ROA/大隈寿男(M & I レコード)2005 年

⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

稲垣 護(b) 1955 年、愛知県名古屋市生まれ。両親や兄弟のほとんどが音楽家という環境で育つ。高校生 の時よりプロとして活動を開始。上京後、田村翼トリオ、大隅寿男トリオに参加した後、ニュ ーヨークに渡る。リチャード・デイビスに師事し、ケニー・バロン、ローランド・ハナ、ベニ 一・グリーン等のピアニストと共演。自己のトリオでブルーノートに出演する。コンサートや ライブ、レコーディング等を続ける一方、ベースの教則本を出版する。強力なビートと重厚な 音色が確実にバンドの柱となっています。現在は 20 年以上付き合っている宮之上貴昭バンド の他に、今田勝(p) トリオなどでも活動を続けているベテランベーシスト。

太田耕平(ds) 1980 年、東京生まれ。高校生の頃からドラムを始め、早稲田大学在学中にジャズのドラミン グに興味を示す。宮之上貴昭率いる名門バンド「SMOKIN' 」のレギュラー・ドラマーの座を 獲得し、早稲田大学を中退して、2002 年から正式に宮之上貴昭バンドのレギュラーとなり、 CD や DVD など、数々のレコーディングに参加する。厳しい練習に裏打ちされた確かなテク ニックとタイトなリズム。少なくなった正統派モダンドラミングの期待の新鋭。

(以上宮之上さんのホームページより) 3 ハービー・ハンコック研究・第 13 回

(“Retrospective of The Music of Herbie Hancock”) 高木信哉 (((1973:“Head(1973:“Head Hunters”の誕生! ))) HERBIE 1973 録音日 /タイトル /演奏者 (レーベル名)

1973.Jan-Feb Sextant /// Herbie Hancock (Columbia) (((11 (111111作目) 1973. 2.27&2.28 Realization / Eddie Henderson (Capricorn) 1973. 3.3&3.4 Freddie Hubbard,Stanley Turrentine In Concert (CTI) 1973. 3.3&3.4 Freddie Hubbard,Stanley Turrentine In Concert Vol.2 (CTI) 1973.10 Penny Arcade / Joe Farrell (CTI) 1973.10 Inside Out / Eddie Henderson (Capricorn) 1973.10 Love From The Sun / Norman Conners(Buddah) 1973.12 Good Bye / Milt Jackson (CTI) 1973 Head Hunters /// Herbie Hancock (Columbia)((Columbia)(12 121212作目) 1973 That’s A Plenty / The Pointer Sisters (Blue Thumb) 1973 San Francisco Giants / Greg Errico (LA Records) 1973 The Spook Who Sat ByByBy The Door / Original Motion Sound Picture Soundtrack /// Herbie Hancock

1973年は、ベトナム和平協定が1月に調印され、9月に 成果を踏まえ、同年5月、新バンドを正式に“リターン・トゥ・フ は日本とベトナムに国交が樹立された。米国では、4月にウォ ォーエバー”と名乗って活動を開始した。そして1973年1月、 ーターゲート事件が勃発した。日本では、1月1日、70歳以上 “リターン・トゥ・フォーエバー”は初来日を果たした。 の老人医療の無料化が実施された。8月に金大中事件が起 帝王マイルス・デイビスは、1972年春、1年半ぶりにレコー こり、9月にはOPECの原油価格21%引き上げを受け、第1 ディング・スタジオに足を踏み入れ、問題作『オン・ザ・コーナ 次オイル・ショックが起きた。政府は、石油・電気供給の20% ー』を吹き込んだ。ハービー・ハンコックは、マイルスから命じ 削減を決定した。10月には、巨人軍の栄光のV9が達成され、 られ、録音に参加した。翌1973年6月12日、午後7時 20 分、 王貞治は三冠王に輝いた。 マイルス・デイビスは9年ぶり2度目の来日を果たした。マイ ルスは、予定より2日も早く羽田空港に到着した。翌 13 日は、 さて1973年の日本のジャズ・シーンは、フュージョン旋風 NHK のスタジオで、4時間ノンストップのリハーサルを行った。 が巻き起こった年だ。1973年は、チック・コリアの“リターン・ そしてマイルスは、東京で最終公演を終えた6月 22 日深夜、 トゥ・フォーエバー”の初来日から始まった。そしてマイルス・ 折しも来日中で、『ピープル・イン・ミー』(Philips)を東京で録音 バンドの卒業生たちが、目覚しい音楽活動を行っていた。 中だったアビー・リンカーンのスタジオを電撃訪問した。 ウェイン・ショーターとジョー・ザビヌルは、1970年12月に 1973年8月には、“CTI Jazz In Japan”と称し、CTI オー “ウェザー・リポート”を結成し、1972年1月には早速初来日 ルスターズが初来日を果たした。メンバーには、マイルス一家 を果たした。1月13日に行われた渋谷公会堂のライブは、『ラ のロン・カーター(b)とジャック・ディジョネット(ds)が参加。他 イブ・イン・トーキョー』と題しアルバム化された。翌1973年7 にはジョージ・ベンソン(g),フレディ・ハバード(tp),ヒューバー 月、“ウェザー・リポート”は、2度目の来日公演を行った。ウェ ト・ロウズ(fl),スタンリー・タレンタイン(ts),ジョーニー・ハモン イン・ショーターは、この夏の日本の滞在が「最高のときだっ ド(p),アイアート・モレイラ(perc)と超豪華布陣が揃っていた。 た」と感激している。 チック・コリアは、難解だった“サークル”を解散し、1972年 つまり1973年という年は、チック・コリアの“リターン・トゥ・ 2月、アルバム『リターン・トゥ・フォーエバー』を録音した。その フォーエバー”の初来日、“ウェザー・リポート”の2度目の来 4 日公演(2年連続)、マイルス・デイビスの9年ぶりの来日公演、 ーヤーにかけてくれるような音楽を目指した。それまでの音楽 CTI オールスターズの初来日公演が行われた年だ。フュージ とまったく違う演奏をすれば、今までのファンは離れるかもし ョン旋風の真っ只中、マイルス一家で来日してないのは、ハ れない。でも新しいファンも生まれる。マイルスは、どんなとき ービー・ハンコックだけだった。 でも新しい音楽にチャレンジしてきた。そんなマイルスを深く 尊敬している。だから新しい音楽をやることに対し、興奮はあ そんな中、ハービー・ハンコックは、所属レコード会社をワー っても不安なんて感じなかった」と語っている。その言葉通り、 ナーからコロンビアに移籍した。 このアルバムは「カメレオン」(シングル・カットされた)、「ウォ 1973年1月~2月、1年ぶり11作目のリーダー作『セクスタ ーターメロン・マン」(斬新なアレンジによる再演)という大ヒット ント』を吹き込んだ。 曲を生み出した。 これは、“ムワンディシ”セクステットの最終作(3作目)となっ た。まるで抽象画のような作品で、商業的には成功しなかっ 1973年10月13日に発売されたアルバム『ヘッド・ハンタ た。ハービーのオリジナルが3曲収録されている。1曲目の ーズ』は、1974年1月12日付 Billbord Top 200に初登場した。 「レイン・ダンス」は、前作『クロッシングス』に続きシンセサイ そして Top 500 には、47週間にわたりチャートインを続けた。 ザー奏者のパトリック・グリーソンが参加しており、シンセで遊 一方別のチャートである Cash Box Top175 には、 1974年1 んでいるように感じる。途中でハービーのフェンダー・ローズ 月26日に初登場し、36週間にわたりチャートインを続けた。 のソロが聴ける。2曲目の「ヒドゥン・シャドウズ」は、19拍子 最高位は、10位だった。 の変拍子パターンが繰り返され、真ん中ではハービーの生ピ シングル・カットされた「カメレオン」は、Billbord のに、1974年2月23日に初登場し、16週 ターンが繰り返され、黒っぽいグルーブ感がずっと漂う。 間にわたりチャートインを続け、最高位18位にあがった。また この「ホーネッツ」は、1973年3月3日~4日に行われた 3月23日付で、Billbord の<Hot100>に初登場し、11週間に CTIレーベルのライブ録音作『フレディ・ハバード&スタンリー・ わたりチャートインを続け、最高位42位を記録した。Billbord タレンタイン/イン・コンサート Vol.2』で、全面的にフューチャ のリサーチャー、ジョエル・ホイットバーンは、ハービー・ハンコ ーされている。LP の A 面冒頭に当る1曲目には3月3日に行 ックを史上251位のアルバム売上アーティストに評価した。 われたシカゴのオペラ・ハウスでの「ホーネッツ」のライブ、LP の B 面冒頭に当る3曲目には3月4日に行われたデトロイトの アルバム『ヘッド・ハンターズ』は、発売から4ヵ月経った19 フォード・オーディトリアムでの「ホーネッツ」のライブが収録さ 74年2月23日に売上が、50万枚を突破した(ゴールド・ディ れている。このコンサートの録音は、ブルーノートで有名なル スク認定)。それから12年後の1986年12月21日、100万 ディ・バンゲルダーである。そして出演メンバーが素晴らし 枚を突破した(プラチナ・アルバム認定)。この数字とスピード い!フレディ・ハバード(tp),スタンリー・タレンタイン(ts),ハービ は、ジャズでは桁外れの数字である。 ー・ハンコック(p),ロン・カーター(b),ジャック・ディジョネット(ds), 比較としてマイルス・デイビスの1959年に録音された傑作 エリック・ゲイル(g)の6人である。まるで V.S.O.P.のようである。 『カインド・オブ・ブルー』が、ゴールド・ディスク認定を受けた V.S.O.P.の誕生が1976年だから、これはその3年前の出来 のは、1993年10月18日のこと。 事である。V.S.O.P.以前のもう一つの V.S.O.P.といっても過言 またマイルス・デイビスの1969年に録音された問題作『ビッ ではないだろう。このライブで、ハービーはフェンダー・ローズ チェーズ・ブリュー』が、ゴールド・ディスク認定を受けたのは、 を徹底的に縦横無尽に弾き捲る。スタジオ録音でなくまた自 1976年5月13日のことだった。 分のリーダー作でないため、逆に自由を解き放たれたハービ さてこの成功によって、ハービーはジャズの一流ミュージシ ーのアドリブ演奏は物凄い。特に Vol.2 の3曲目の「ホーネッ ャンから世界の超一流アーティストへ評価が高まった。『ヘッ ツ」のローズの演奏は、実に見事である。 ド・ハンターズ』は、近年においてもたびたび取り上げられ、ク ハービーは、『セクスタント』を録音後、“ムワンディシ”セクス ラブ・シーンでもいまだにターンテーブルに乗せられることが テットを解散した。そしてサックス奏者のベニー・マウピンだけ 多い傑作である! を残し、新バンドを結成した。メンバーは、ハービー、ベニー・ それから1973年のハービーは、2度目の映画音楽の作曲 マウピンにポール・ジャクソン(e.b)、ハービー・メイソン(ds)、 を担当した。日本では未公開だが、サントラ盤は発売された。 ビル・サマーズ(perc)である。彼らは、新作『ヘッド・ハンター アイヴァン・ディクソン監督、ローレンス・クック主演の『ザ・ス ズ』(ハービーの通算12作目のリーダー作)を1973年(夏と プーク・フー・サット・バイ・ザ・ドア』である。映画は、1973年 思われる)に録音し、1973年10月3日に発売された。この 9月21日に封切られた。人気小説の映画化である。ストーリ 作品について、ハービーは「一般大衆が気軽にレコード・プレ ーは、選挙のとき、黒人の票集めをするために、CIA が初め 5 て黒人を雇うことになった。選ばれたのが、ダン・フリーマン かりだった。そんな CIA の態度に嫌気がさしたフリーマンは、 (ローレンス・クック演じる)ただ一人だった。優秀な成績で、 CIA で学んだ技術を使って、黒人組織「ブラック・コブラ」を地 CIA に入ったのに重要な仕事はさせてもらえずいつも雑用ば 元のシカゴで結成する・・・・・。

【「【「【「HIDDEN【「 HIDDEN SHADOWSSHADOWS」楽曲解説」楽曲解説 by 遠藤律子】 1973年にコロンビアから発表されたアルバム「SEXTANT」 F の F イオニアンスケールのメロディが、A♭m のベース は、ワーナー時代のメンバーと同じ編成で、名前のクレジット パターンの上に乗る。 もスワヒリ語で同じく表示されていて、一連のアフリカ、ファン フリューゲルホーンの A♭m1発アドリブソロがしばらく続 クリズム、エレクトロニクス、フリージャズの混合サウンドの流 く。 れを組むものである。 ソロの盛り上がりにキーボードの色付けが伴って、管のモ LP では A 面の 2 曲目に収録されたこの曲は、多彩に使用さ チーフの提示。 れているエフェクトのかかったキーボードサウンドの分厚い渦 4) ピアノアドリブソロ。フリーに盛り上がる。ここが曲の目 にかき回されているような混沌の中にジャズのアドリブの熱い 玉となり、ジャズの真髄的な熱いソロが展開される。 「一山作り」が盛り込まれている。 管のモチーフの提示で終了する。 一連のシリーズの曲の中でも一際熱いハービーのソロがジャ 5) エンディング。ドラムのフィルインを合図に音の層が薄く ズっぽい。 なって終わる。 * 曲進行 * リズム 1) 19/8の変拍子パターンが提示されて、曲を通してず ファンクのリズムだが、4で割れない19拍子を一つの固ま っと演奏される。 りにして、大きなグルーブで曲を通して演奏される。 ベースとシンセが交互にリズムを刻む。 ベースとドラムスのフィルインはそれまでのジャズのテイス キーは A♭を中心とするマイナーキーであり、ペンタト トにあふれたものだ。ドラムの音色もジャズドラムそのもの ニック使用のファンク、ブルースサウンドだ。 で、転がるような滑らかさではなく一節一節こだわった「オ 2) メロトロン、エレピ、シンセ、クラビネット等のキーボード カズ」が入り込む。 にたっぷりワウ、ファズ等のエフェクターをかけたサウ * ハービーはこの曲では、リズムを刻まず様々なひずんだ ンドの洪水で色彩がつく。 音色、にごる複数の音の交じりあいでスペーシーな音の広 3) フリューゲルホーン、バスクラリネット、トロンボーンの3 がりを演出して、そこにアコースティックピアノの熱いソロを 菅ソリのテーマ的モチーフが提示される。 盛り込んで、ピアノの硬いサウンドとくっきりしたリズムを効 A♭、B♭、C、D、E♭の A♭リディアンと、A、A、G、G、 果的に際立たせて、ジャズ演奏の極みを作り出している。

【「【「【「CHAMELEON【「 CHAMELEONCHAMELEON」」」」 楽曲解説 by 遠藤律子】 * 曲説明 していた。 この曲は、1973年に発表された「HEAD HUNTERS」のオー このアルバムで始めてシンセサイザーを取り入れたハービー プニングナンバー。ジャズ界を飛び出て、ディスコ業界でも大 は、クラビネット、シンセ、シンセベースそしてローズとエレクト ヒットになったエポックメイキングな曲だ。70年代のアメリカは、 リック楽器を重ねて使ってエレクトリックサウンドの世界に遊 ディスコ旋風が吹き荒れ、私もプロとしての最初の仕事はディ んでいるのだが、ベニー・モウピンのあかぬけないディスコバ スコバンドのキーボード奏者であった。 ンド風テナーサックスの音色と、ジャズ乗りしながら懸命にデ クール&ザ・ギャング、コモドアーズなどがロックのドタドタリズ ィスコ16ビートを刻むハービー・メイソンの軽いスネアとバスド ムをファンクに取り入れたファンクロックの世界を作り上げた ラのコンビネーションが、この時代の生の魅力を懐かしく感じ 時代だったが、ハービー・ハンコックのこの「カメレオン」は洗 させる。 練されたジャジーなソロをファンクのリズムに載せた、バラン テンポも段々上がって来て、非常に人間味あふれる70年代 スの良い、ジャズ界からのダンサブルサウンドへのアプロー の軌跡だ。 チとして、広くアピールしたものだ。 シンセベースから入るイントロは長く続き、段々楽器が重ねら 70年代のディスコテューンといえば、まだ、一つのキーボード れて厚みをましていよいよ待っていましたサックスのテーマが ですべての音を作ってしまえる今のエレクトリック業界とは違 始まる。 って、今から聴けば各々が生っぽい素朴な音のローズ、クラ アドリブソロは、最初シンセで、シンセではこんなことが出来る ビネットが使われて、少しウェットでブルーなサウンドを作り出 んだ、こんな音も出せるんだ、と遊んでいるような楽しいソロ 6 で始まり、次に出て来るローズのソロは一転、モダンジャズの B♭m7/D♭7/B♭m7/D♭7/(最後の D♭7は7/8 都会的サウンド全開のジャズピアノトリオ演奏的展開を見せ 拍子)/B・D・C・A♭・B♭・B・D/(ここまで6/8) て盛り上がって行く。 D♭7(8/8)/ * 曲進行 Rhodes Solo2-2 イントロ:ミディアムテンポのファンクフレーズ B♭m7/D♭7/B♭m7/D♭7/(最後の D♭7は7/8 B♭m7/E♭7/×2(Syn・Bass) 拍子)/ B♭m7/E♭7/×4(Drs 入る) B・D・C・A♭・B♭・B・D/(ここまで6/8) B♭m7/E♭7/×4(E・Bass 入る) D♭7(8/8)/ B♭m7/E♭7/×4(Clavinet1入る) Rhodes Solo2-3 B♭m7/E♭7/×4(Clavinet2入る) B♭m7/D♭7/B♭m7/D♭7/(最後の D♭7は7/8 (A) Theme1:B♭、D♭、E♭、F、A♭の5音ペンタトニックで 拍子) 出来たいかにもファンキーなテーマ B・D・C・A♭・B♭・B・D/(ここまで6/8) B♭m7/E♭7/ B♭m7/E♭7/×4(sax メロディ) Sax B♭m7/B♭m7/B♭m7テンポフェルマータ(ここで B♭m7/E♭7/B♭m7/E♭7/(リズム) 一旦演奏はブレークする)ピアノソロの余韻を味わいながら、 B♭m7/E♭7/B♭m7/E♭7/×4(sax メロディ) イントロに戻って行く。 (B)Theme2:動きが出るがやはりペンタトニックメロディ Drs /×2 B♭m7/E♭7/ B♭m7/E♭7/×3 B♭m7/E♭7/×4(Syn.入る) B♭m7/A♭sus4・B♭susu4/Drs fill in solo/×2 B♭m7/E♭7/×6(Clavi.入る) アドリブソロへの導入パート イントロのままいつの間にか sax ソロへ移行、リズムに溶け B♭m7/E♭7/×2(Syn・Bass) 込むソロを聞かせつつ遠くへ消えて行く。 B♭m7/E♭7/×2(Clavinet2入る) B♭m7/E♭7/×48(sax Solo〜Fade out) B♭m7/E♭7/×2(Clavinet1入る) * 楽器パート説明 B♭m7/E♭7/×2(E・Bass 入る) エレクトリックベース:この曲では、メインのビートを作らず、 (B) Syn. Solo:シンプルな音使いで、音色のバリエイションを ギターのような軽い音作りでファンキーな刻みを加えてい 次々に提示 る。 B♭m7/E♭7/×41 ドラムス:リズムはファンクなのだが、モダンジャズのドラム (C) Theme3:sax (B)のメロディを進化させてキーからアウトす セット的サウンドでフィルインもジャズドラムのアプローチを るコードを使っている。 残している。 B♭m7/E♭7/D♭・E♭/A・B/×3 後半のローズのアドリブソロでは、2倍テンポ刻みに発展、 B♭m7/B♭m7/B♭m7/drs fill in solo/×2 シェイクのリズムを出しつつピアノソロにジャジ−に絡んで S.Bass/×12 行く。 (D) Rhodes Solo1:ところどころシンセのバックメロディが入る サックス:キーボードがアドリブソロを展開するので、サック が、基本的にはジャズのピアノトリオの熱い盛り上がりの スはメインのメロディと、ソロ間に入る部分のメロディを担 演奏になっている。 当。 B♭m7では、わりと普通なマイナーの調整感でメロディ テナーの音色がワイルドかつ素朴な味わいを加えて懐かし を作り、D♭7では、基本的には G♭のⅤ度としてとらえ いサウンドだ。 て、半音のダブルクロマティックアプローチを用いたり、ア キーボード:この曲では、アコースティックピアノは使われて ウトしてテンション感を上げている。 いない。エレピの方が独特のスピード感があるのだが、ロ B♭m7/D♭7/×48 ーズのソロではそれが最大限に効果を上げている。 (C)’ sax:ローズのソロの盛り上がりを受けて(C)のメロディが シンセベースには、Odyssey と Modular Moog の2種を重ね 提示されるが 最後のところは7/8拍子が入って、テン て、Clavinet2台、 ション感が上がりつつソロの総仕上げが展開される。 シンセ2台とかなりの数の楽器を重複録音しているのだが、 B♭m7/E♭7/D♭・E♭/A・B/ 最初のテンポからえらく早くなっているのが、人間味あふれ B♭m7/E♭7/D♭・E♭/A・B/(最後の A・B は7/8 て興味深い。 拍子)/G♭・A・E♭・D・A♭/(各々6/8拍子) エレクトリック創成期ならではの魅力に満ちた名作だ。 Rhodes Solo2-1 7 <アルバム解説 bybyby 高木信哉> 『Head Hunters /// Herbie Hancock 』』』 1. Chameleon 2. Watermelon Man 3. Sly 4. Vein Melter Herbie Hancock(Fender Rohdes Electric Piano, Hohner D6 Clavinet, ARP Odyssey Synthesizer, Pipes), Benny Maupin(ss,ts, bass clarinet, alto flute), Paul Jackson(electric bass, marimbula), Harvey Mason(ds), Bill Summers(perc)

ハービー(当時34歳)の12作目のリーダー作。ハービーの まさに“ハン 名前を一躍世界中に知らしめた「ブラック・ファンクの金字塔」 コ ッ ク ・ サ ウ と呼ばれる一大傑作である。冒頭の「カメレオン」が大人気と ンド”である。この『ヘッド・ハンターズ』は、ハービーが初めて なった。 生ピアノを弾いてない作品だ。2曲目は、ハービーの最初のヒ 始めのとても印象的なリズム・パターンはベースではなく、 ット曲「ウォーターメロン・マン」をファンク・アレンジに変えてい ハービーのシンセベースである。発売当初(1974年初頭)は、 る。笛と声によるコール・アンド・レスポンスがアフリカを想起さ この音がポール・ジャクソンによるエレクトリック・ベースだとず せ、そこへハービー・メイソンとポール・ジャクソンのタイトなリ っと思われていた。1974年7月の初来日公演で、演奏する ズム・パターンが入る。そしてハービーのクラビネット、ローズ ステージを見て、聴衆はやっとハービーのシンセベースであ が加わり、ベニー・マウピンのソプラノのテーマになる。楽器 ることが判明し納得した。さてハービーのシンセベースが忘れ が積みかねられ厚みを増したサウンドが心地好い。しかしこ られないリズム・パターンを刻む。そこへ名手ハービー・メイソ の曲は、一聴では「ウォーターメロン・マン」とは思えない。3曲 ンの抜群のドラムが乗り、やがて幾つものの楽器が重なって 目は「スライ」。「スライ」とは、マイルス・デイビスにも大きな影 いく。印象的なテーマの後、16ビートのリズムに乗って先発 響を与えたスライ(スライ&ザ・ファミリー・ストーンのリーダ するソロはハービーのシンセサイザーである。ここで今までハ ー)のことである。映画『ウッドストック』を見ると、スライのライ ービーが研究してきたシンセのテクニックがしっかりと披露さ ブの素晴らしさ&聴衆の熱狂ぶりがよくわかる。この曲も格好 れ、「シンセでこんなソロ演奏が出来ますよ」という感じで、と いい。2分経ったところから、高速テンポに変貌し、全員が一 ても楽しく聴かせてくれる。シンセのソロの次に一呼吸おいて 丸となって火の玉のように疾走する。そのアドリブも、とてもジ 雰囲気が変わり、ハービーのフェンダー・ローズのソロが現わ ャズっぽい。4曲目「ベイン・メルター」は、ベニー・マウピンの れる。まずクールな都会的な響きが漂う。そして徐々にヒート・ バスクラが独特の音色で不思議な音空間を描く。本作は、何 アップしていく。生ピアノは使われてないが思い切りジャズの 度も繰り返し聴きたくなる衝動に駆られる作品である。巧みな 音がする。このローズの流れるようなソロは、いつ聴いても素 構成で、まったく飽きさせない。見事である。 晴らしいの一語に尽きる。時を超え、普遍的な価値がある。ロ 以上 ーズ使いの世界のキーボード奏者たちに大きな影響を与えた

ハービー・ハンコック研究・第3回補足---Ⅱ(1963年分) 【「SuccotashSuccotash」楽曲解説」楽曲解説 by 唐沢 寧】 ■録音DATA ・コーラス 1963年8月30日、 |B ♭sus 28 小節|Gsus 8 小節| アルバム名『 Inventions And Dimensions』の 1 曲目 |B ♭sus 28 小節|Gsus 8 小節| |B ♭sus サイズ free | ■コード進行 ・イントロ ■構成 |B ♭sus 8 小節| リズムは 6/8 が基本で、イントロは 8 小節。最初の 4 小節が ドラムのみ、後半 4 小節にベースとパーカッションが加わる。 8 コーラスはピアノが入る所から B♭sus のみで 28 小節の後、 その他、パターンを意図的に半拍遅らせて始め、繰り返した Gsus が 8 小節。これで1つのコーラスとなっている。 後、元に戻すという、時空を歪めるようなアイディアもある。 Gsus の部分ではベースがメトリックモジュレーションにより 4/4 に変形する。 2)フレーズ このコーラスを 2 回繰り返した後は、 B♭sus のみで、サイズ 主な scale は、 bluenote 、combination dominish 、alterd 、 もフリーとなりエンディングを迎える。 lydian7th 等。その他、 4 度・ 5 度のインターバルを多く活用し 曲全体の構造では、この2コーラスより後の方が長い事から ている。 も、これはコーラスと言うよりは「最初の決め事」という解釈を 同じフレーズの反復も特徴の 1 つだが、よく聴くと少しずつ した方が良さそうだ。 変化させており、ただ同じ事を繰り返している訳ではない事が また、決まったテーマメロディがあるわけでもない。あえて言 わかる。 うならば、最初のピアノのパターンをこの曲のテーマリフとでも 後半、両手で高速フレーズを弾いてみせる場面もあるが、 言うべきかも知れない。 次から次へと湧き出るアイディア、テクニックは圧巻である。 コーラスを 2 回繰り返した後、暫らくインプロヴィゼーション その他、既成の Jazz には存在しないフレーズのアイディア で展開したところで、テーマリフを繰り返しながらピアノとベー も多く、例えば、2コーラス終了後の部分で展開される 6 拍フ スはフェードアウト。そして、ドラム・パーカッションのみとなっ レーズのパズルのようなパターンは、 Jazz のみに精通してい た後、再びピアノとベースがフェードイン。 たところで到底生み出せる内容ではない。そのアイディア、ダ その後、さらにインプロヴィゼーションが続き、最後は再びリ イナミックな構築力には驚かされ、同時に不思議な独特の雰 フに戻って終わる。 囲気に魅了される。 テーマのメロディは無いものの、リフに始まり、ソロの後、ド ラムソロになり、再びリフが現われるという構造は、 The 3)ハーモニー Dave Brubeck Quartet 「Time Out 」の"take5" の構造と共 フレーズの組み立て方と表裏一体の部分も多々あるもので、 通点があるようにも感じられる。 完全に分け隔てて考えるものでもないが、想定したスケール 内での4度ハーモニー構成を基本に、旋律に沿って順番にス ■インプロヴィゼーション(ピアノソロ) ライドさせたり、短 3 度、長 3 度、 4 度上へスライドさせていく この曲でハービーが弾いているインプロヴィゼーションの内 方法を多様している。 容は多種多様のアイディアに満ち溢れており、既成の Jazz その他、 augument の活用、ダイアトニック進行や、ハーモ の語法では生み出すことの出来ないフレーズも多々見られる。 ニーの平行移調も特徴的だ。後半では 2 度下に平行移調して、 基本の Jazz アンサンブルフォーマットを保ちつつも、従来の また戻るというパターンもある。 jazz の既成概念から逸脱し、より抽象的で、開放された、新し ドラムソロの前では、コンピングによるハーモニー。ドラムソ く、自由な内容を目指している。 ロの後から、ハーモニー自体をモチーフとした内容が目立つ ように見受けられる。 見受けられる主な特徴を1)リズム 2)フレーズ 3)ハーモ 以上、主な特徴を挙げてみた。 ニーに分けて挙げてみた。 ただし、1)~3)の要素もインプロヴィゼーションの中で行わ インプロヴィゼーションの発展のさせ方としては、上記に列 れている一部の主だったアイディアを列挙したものであり、勿 挙したような様々なアイディアを提示し、その要素を繰り返し 論これで全てというわけではない。 ながら、ドラム・パーカッションとの兼ね合いにより、リズムや 音形、転調など、徐々に変形・発展させ、元に戻す・・・という 1)リズム 事を繰り返している。 ポリリズムでフレーズを繰り返す事が多いのが印象的だ。 アイディアの提示の度に(リズム面でもハーモニー面でも) 基本的には 6/8 を 3/4 や 4/4 として大きく捉えており、そこから 基本から離れる(ずらす)ものの、離れすぎず、再び元に戻る、 3 連や 16 分のフレーズを生み出している。更に 3 連の羅列も という過程を繰り返し、緊張感とともに輪郭のぼやけた不思 4 で区切るというように、常に元のリズムに立体感を与えてい 議な雰囲気が常に漂う。 る。 以上

9 KJFC TOPICS ○M.O.さんライブ・デビュー ○M.O.さんがかねて活動していたアマチュア・バンドN JSSのライブがあり、M さんがライブ・デビューしました。 同バンドは『光が丘ジャズ・セッション・スクール』として 普段は練馬区光が丘の公共施設で練習している。真理さんは 参加してから 1 年練習を積み、満を持してのデビューでした。 4 月 26 日(土)、場所は新宿アコースティックアートという ライブハウスでした。 午後 3 時開演、スタートは軽快な『NOW THE TIM E』続いて『EVERYTHING HAPPENS TO ME』、『THERE WILL NEVER BE ANO THER YOU』、『BEUTIFUL LOVE』、『CONFIRMATIO N』、『THE DAY OF WINE AND ROSES』と一気に 6 曲を 演奏。 この後、M さんは他のピア ニストに代って休憩。 11 曲目の『WORK SON G』から再び演奏しました。 12 曲目は『BILLIE ' S BOUNCE』,13 曲 目は真理さんを大きくフューチャーしての『MY FOOLI SH HERAT』でした。15 曲目『MY ROMANCE』 は女性トランペッターとギターとのクインテット編成で、甘く ロマンティックな演奏でした。

○6 月 22 日(日)富田正敏さんが今年もアルトサックスを習っている「メイト音楽学院」の STUDY CONCERT に出演しまし た。 ○〔喫茶茶会記での活動〕 5 月 11 日(日)『デューク・エリントン特集』M.T.氏 6 月 1 日(日)『我が青春のセル・メン』JOANE-S.T.氏 7 月 27 日(日)『スタン・ゲッツ特集』M.T.氏 以上 3 回の特集が行なわれました。

ジャズ評論家、高木信哉氏が NHK 文化センターでジャズ講座 本誌 GROOVY への執筆や『東京 JAZZ』、『ドクターJAZZ』などの著作でお馴染みのジャズ評論家、高木信哉氏が、NHK 文化センター 青山教室にてジャズ講座を行います。 「東京 JAZZ 講座~やさしいジャズ入門~」と題し、10 月から毎月第 2 日曜日 13:00~15:00、合計 6 回行われる予 定。初心者の方にもわかりやすく構成してあり、ジャズの楽しみ方を毎回優しく解説します。人気アーティストの意外 な素顔、名盤誕生の秘話などをお伝えします。 内容は、10/12 ジャズ入門と楽しみ方、11/9 世界に飛躍する日本の女性ジャズ・アーティストたち、12/14 ジャ ズの帝王マイルス・デイビスと彼の仲間たち、 1/11 和ジャズ入門、2/8 ジャズとボサノバの優しい関係、3/8 ハ ービー・ハンコックの冒険。特別ゲストして、10 月 12 日はピアニストの斉藤真理子、11 月 9 日は、ピアニストの松 本茜、2 月 8 日はフルート奏者の Miya が登場予定。申込みは、8 月 26 日から受付開始します。 この講座で、人生が楽しくなること間違いナシ! [問い合せ・申込みは、NHK 文化センター 青山教室:TEL 03-3475-1151]

10 「「「Y「YYY''''ss ROOM No.No.21 21」」」

2008.6 Y.S. 「Y テナー・バトルに興奮する」 ジャズ界で「テナー・バトル」というと、古くはデクスター・ゴードンvsワーデル・グレーや、ジョニー・グリフィンvsエデ ィ・ロックジョウ・ディヴィス等数々の名バトルがありますが、現在最もスリリングなバトルを聴かせてくれる二人が、エリッ ク・アレキサンダーvsグラント・スチュワートだと思います。 特にエリック・アレキサンダーは、Yが2006年の大晦日にNYの「SMOKE」でライブを見てから大ファンになったテ ナーマンで、 グラント・スチュワートは昨年発売された「SHADOW OF YOUR SMILE 」が愛聴盤になって います。 この二人の演奏を日本で見る事が出来る喜びを胸に、6月7日会場の「TOKYO TUC」に友人5人と行って来まし た。

今回の来日メンバーはエリック・アレキサンダー(ts)、グラント・スチュワート(ts)、ハロルド・メイバーン(p)、ナット・リ ーブス(b)、ジョー・ファンズワース(ds)の5人です。 このメンバーはハロルド・メイバーンのアルバム「KISS OF FIRE」にグラントが加わったもので、このアルバムから も2曲演奏されました。

1stステージはスタンダード・ナンバー「Speak Low」から始まり、ナット・アダレイの名曲「Work Song」までの4曲、 この中では二人のテナーもさることながら「Work Song」のハロルドのピアノが光りました。ハロルドはリー・モーガンの お気に入りだったベテラン・ピアニストですが、ティモンズ顔負けのファンキー・ピアノが炸裂していました。 2ndステージはデクスター・ゴードンの「Cheese Cake」「Smoke Gets In Your Eyes」等4曲で、アンコールは ステージ後ろから5人が「Brazil」を演奏しながら列を作って入場しそのまま演奏に入り、大喝采のもと終了しました。

Yはジャズライブを数多く見てきましたが、 正直テナー・バトルは初めての体験でした。 エリック39歳、グラント37歳二人とも丁度油 の乗り切った年頃で、初体験でこういう素晴 らしいテナー・バトルを目の前で見られる事 が出来、本当に幸せでした。 演奏の後にサイン会があったのですが、Y はNYのライブの時に撮ったエリックのスナッ プ写真を手に、色紙にサインをしてもらいま した。 その時、写真を渡しながら「SMOKEのライ ブも良かったです。」と話をすると、色紙に 「Thanks So Much!」のコメントを書いてくれま した。

11 SOUL TRAIN Vol.8 撮影:M.T. 12 気まぐれジャズマン 第 26回 水戸守敬一郎

〈CDジャケットのイラストを描いたぞ、の巻〉

二〇〇二年の九月十九日、とつぜん画廊、出版社から電話が入り、僕の絵を気に入っているミュージシャンがいて、 新しいCDのジャケットに使いたいと言ってきた。 するとたて続けに、キングレコードのデザイングループ長という方から連絡が来た。 一週間後に僕に会いに来るという。めんどうくさいなァと思った。(僕の経験から、そんな始まり方がいい仕事ががで きるようだ。やります。やります。と力が入りすぎるのが一番よくないようだ。) 一週間後、デザイナーと二人でやってきた。デザイナーは僕の画集、KJFCのホームページから、イラストを用い、 かんたんなCDジャケットのラフを作ってきた。 ジャケットは紙ジャケットでクリスマスへむけての、ミニアルバムになるそうだ。

イラストレーターになりたいと思って、絵を描いて、何年たったのか。やっと思いがかなった、レコード・ジャケッ トの仕事。 今はCDになってしまったが、とにかく僕の夢の一つであった、音楽とのコラボレーションであるレコード・ジャケット の仕事が来たのだった。 それは、イラストレーターをやっていて、一番うれしかったかもしれない。 赤坂の画商があずかっている『モセット』という絵と、お茶の水の画廊で発表した『ある王の話2』と、新しく描き 下ろす絵の三点の作品からCDジャケットに使うという事になった。 帰りに、デザイナーは僕の他の作品も、じっくり見てくれた。 デザイングループ長は、ミュージシャンのCDを一枚僕にくれた。 ミュージシャンの名は奥井雅美さんという女性だ。癒し系ロック・ミュージックということだそうだ。 二人が帰った後、二~三時間で作品を描き上げてしまった。 仕事が終って、ふとんに入った時、まるで自分が空中に浮かんでいるような気分だった。寝ている自分が、空中に浮か んでいる自分を感じている。ワクワクしている。 ギャランティーの方も出版の仕事とは桁が違っていた。 翌々日は、ジャズカントリーでのKJFCの例会があった。 銀座のHMVによって奥井雅美さんのCDを調べてみた。 彼女はアニメの音楽なども、やっている人らしかった。 少し後で彼女が、ラジオ日本で、週一回番組をやっているのもわかった。 どうも、アニメ音楽のファンの中では、アネゴ肌のような女性らしかった。 信者のような、熱狂的なファンもいるようだ。 十月四日、イラストは、自らキングレコードに納品することにした。 キングレコードのデザイン室というのも見てみたかったのだ。 出版物で使っているイラストのファイルを作って、デザイナーに売り込んできた。 十一月には奥井雅美さんのCDが市場に出た。 横浜のHMVで彼女のならんでいるCDを見た時の、はずかしい、うれしい、なんだかよくない、どうしよう、どうし ようと照れてしまう感じ。・・・結局、自分で全部買いしめたいという気分はいまでもわすれない。 こういう仕事をもっとやりたい。 ギャラリーで個展をやるより、僕は、こういう仕事が基本なのだと思うし、好きだ。 イラストレーターやっててよかったと、本当に思った仕事だった。

13 RED GARLANDの魅力について 第27回 キーストーン・コーナーのガーランド 紅紅紅 我蘭堂

前回の終わりに、ファンとしての愚痴や泣き言として ダニエル・ユメールのドラムスなどという夢のようなトリ 《たら、れば》論でしたが、MPSの関係者がガーランド オで演奏したり、また既にヨーロッパに移住したアメリカ を強引に拉致してヨーロッパに連れて行き、ガンガン録音 のミュージシャンと共演してアルバムを沢山発売してい を残していてくれたら、もっと状況は変わっていたでしょ たら、来日ももっと早まったのではないかと想像します。 う、と書きました。もう少し詳しく書きます。 ちょっとふざけた言い方をすると、「ニッポンよいとこ一 ガーランドという人は本当に“間”が悪いプレイヤーで 度はおいで、ギャラは高いしネーチャンはきれいだ。ファ した。確かに 69 年のマイルス・デイビスによる『ビッチ ンも熱いしお酒も美味いぞ」ということになるのでしょう ェス・ブリュー』の録音以来、71 年のウェザーリポート か。もっと早く来日して暖かいファンに接していれば、考 の『ウェザーリポート』、ハービー・ハンコックの『クロ え方も積極的になりテキサス州ダラスに引っ込んでいる ッシングス』、キース・ジャレットの『フェイシング・ユ よりは、いっそのこと日本に住もうかということになった ー』、72 年のチック・コリアの『リターン・トゥー・フォ かもしれません。そうすればレコーディングの機会も増え ーエバー』などを初めとして、ジャズ界は大きく変化して たでしょうし、長生きできたかもしれません。誰がとは言 いました。ある意味では混沌とした“何でもあり”の状態 いませんが、それこそ日本に永住していたようなプレイヤ でした。ただしジャズ喫茶などで、それこそ固唾を呑んで ーも数人いました。 見守っている私たちファンにとっては、次に何が飛び出す か分からないで興味深く、面白い時期でもありました。50 前書きが長くなりました。今日はひとつの店とそのオー 年代後半から 60 年代前半にかけて主流だったハードバッ ナーに愛されたガーランドという話をさせていただきま プが完全に死滅したかと思われた時代でした。おもだった す。今回紹介させていただく 2 枚組み 2 セットのアルバム プレイヤーはヨーロッパに逃げ出していた時でもありま は、この稿の第 8 回(GROOVY VOL.14 2000 年 4 した。 月 22 日発行)にも紹介しました。その時は《枯葉》という ところがどっこい、ハードバップはしぶとく生き続けて 曲に的を絞った話しでしたし、今は時系列にそって進めて いました。72 年に録音されたソニー・スティットの『チ いますので、あえて再度紹介させていただきます。 ューン・アップ』あたりが初めかと思いますが、デクスタ ー・ゴードンはデンマークとアメリカを行ったり来たりし はっきり言いますが、これはガーランドの“隠れ名盤” ながら録音をしていました。そしてアメリカでもヨーロッ です。 パでもハードバップを主体とする 4 ビート・ジャズが復活 何がいいかと言いますと、まずライブということもあっ しました。その原動力のひとつとなったのはヨーロッパの て1曲1曲の演奏時間が長く、ソロもたっぷり聴けます。 新興レーベルで、受け入れたのは日本のファンでした。 前回紹介したMPS録音の 2 枚から、77 年にGALA その一例はデューク・ジョーダン(p)で、1973 年録音の XYに録音されたアルバムまで、ガーランドはレコードを 『フライト・トゥ・デンマーク』(STEEPLE CHASE)で一躍 残していません。ガーランドの第 2 の引退時期と言われて ジャズ喫茶の人気ジャズマンになりました。74 年頃のジ いました。当時の日本のジャズ・ジャーナリスト界は、レ ャズ喫茶では一日数回もこのアルバムが掛かっていた記 コードでしか判断できないので、少しでもレコードが発売 憶があります。そして 76 年に来日した時はブームの絶頂 されていないと引退扱いされてしまったのでしょう。やむ でした。私も東京・芝の郵便貯金ホールに聴きに行きまし を得ないと思いますが、もう少し調べてほしかったもので たが素晴らしく興奮したコンサートでした。何せこの来日 す。 した時の模様が 5 枚のライブ盤になったほどの人気でし とにかくこのCDがガーランドの死後 7 年経った 1991 た。 年に発売されて以来、ガーランド引退説はなくなったと思 それ以来、デューク・ジョーダンは数多く来日していま います。 す。ケニー・ドリュー(p)も STEEPLE CHASE などで録音し 前回に書いたように 71 年にニューヨークでMPSに 2 て人気を不動のものにしました。70 年代前半は、ある意 枚の録音と若干のライブ演奏を残して、テキサス州ダラス 味でジャズメンの来日ラッシュであったかと記憶してい に戻ってしまいました。地元のクラブでの演奏がたまには ます。 あったようですが、暇を持て余していたようなことをガー ガーランドも 71 年にヨーロッパに渡り、それこそニー ランドは後のインタビューで語っています。しかしながら、 ルス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンのベースに、 このサンフランシスコにあった『キーストーン・コーナー』

14 には度々出演していたような形跡があります。詳細は分か シャル(ds)も素晴らしいプレイをしています。よく分から りませんが、オーナーであるトッド・バルカンという人が ないのですが、リアリーはアール・ハインズ(p)トリオや ガーランドのファンであったのでしょう。年に一度はわざ カウント・ベイシー楽団にもいたようですし、エディ・マ わざサンフランシスコまでガーランドを呼寄せていたよ ーシャルも穐吉敏子さんなどと共演しているベテランら うです。 しいです。ふたりとも見事なサポートを聴かせてくれてい さて細かい曲のレポートはしませんが、ガーランドの様 ます。 子は比較的元気です。内容も悪くありません。実は私がこ う書くのも変な話ですが、最晩年のガーランドのアルバム 約 80 曲も残したのですから、もっとCD化してほしい は、結構ボロボロで、かなりやばいという状況でした。こ のですが、残りの曲は、恐らく好不調の波が大きくて、と の 50 歳のガーランドの演奏は、確かに「あっ、はずした ても発表できるしろものではないのかもしれません。また な」というミスタッチや時折たどたどしくなるフレーズ回 演奏曲というのか、レパートリーの偏りがあるのかもしれ しはあるものの、元気に弾き切っています。ライブ演奏と ません。毎晩毎晩同じような曲ばかりを演奏していたので いうこともありますが、一曲一曲の演奏時間が 10 分前後 しょう。ガーランドはこの後、晩年亡くなるまで数枚のレ と結構長いのですが、少しもだれるというシーンがありま コードを残していますが、演奏曲はほぼ同じようなもので せん。中には 15 分を超える熱演もあります。 す。機会があれば次回以降にご紹介したいと思います。 4 日間に約 80 曲残したそうです。この 2 組のCDセッ トには、その中から厳選された 24 曲が収録されています。 サイドメンのジェームス・リアリー(b)とエディ・マー

GROOVIN' LIVE(ALFA ALCR-98) RED GARLAND(p) JAMES LEARY(b) EDDIE MARSHALL(ds) 1974年3月7日8日11日12日録音 CD-1 1.AUTUMN LEAVES 2.WILL YOU STILL BE MINE? 3.SATIN DOLL 4.YOU STEPPED OUT OF A DREAM 5.VIOLETS FOR YOUR FURS 6.“C” JAM BLUES

CD-2 1.IT'S ALL RIGHT WITH ME 2.ON A CLEAR DAY 3.MY FUNNY VALENTINE 4.JUST SQUEEZE ME 5.HERE'S THAT RAINY DAY 6.LOVE FOR SALE

GROOVIN' LIVE Ⅱ(ALFA ALCR-98) RED GARLAND(p) JAMES LEARY(b) EDDIE MARSHALL(ds) 1974年3月7日8日11日12日録音 CD-1 1.BAG'S GROOVE 2.WHEN I FALL IN LOVE 3.HAVE YOU MET MISS JONES 4.WHEN SUNNY GETS BLUE 5.DESAFINADO 6.OVER THE RAINBOW

CD-2 1.BLUES IN THE CLOSET 2.I SEE YOUR FACE BEFORE ME 3.CHEROKEE 4.SECOND TIME AROUND 5.BILLY BOY 6.LITTLE GIRL BLUE 7.AUTUME LEAVES

蛇足です。詳しい記録は残っていないのですガーランド 少なくとも以下の 4 枚が発売されました。いずれも録音状 自身がよほどこの『キーストーン・コーナー』を気に入っ 態は良くありませんが、ガーランドの貴重な記録としてフ ていたのか、あるいは前述したようにオーナーのトッド・ ァンとしてはありがたいものです。何よりもトッド・バル バルカンという人がガーランドを好きで毎年のように呼 カンを初めとする店の愛情を感じます。ガーランドは本当 んだのか定かではありませんが、ガーランドはこの店に数 にプレイヤー冥利に尽きる人です。これらのアルバムも、 多く出演し、また録音テープも残っていました。ガーラン 次回以降に機会があればご紹介させていただきます。 ドの死後、それらが本日ご紹介した 2 組のアルバムの他に、

「GROOVIN' RED」(KEY'STONE VACY-1005) 1977 年 5 月録音(1995 年発売) 「KEYSTONES!」(XANADU 日本クラウン CRCJ-5009) 1977 年 5 月 12 日録音(1991 年発売) 「FEATURING LEO WRIGHT I LEFT MY HEART...」(MUSE MR-5311) 1978 年 5 月録音(1985 年発売) 「THE LAST RECORDING~MY FUNNY VALENTINE~」(MELDAC MECJ-30004) 1983 年 2 月録音(1995 年発売) (続く)

15 RECORD CONCERT(例会)REPORT

[2008年2月23日「ジャズ・カントリー」]

特集:女性ヴォーカル スタンダード・ナンバー聴き比べ Vol,6

担当:T.Y.

111.1...WHEREWHERE OR WHENWHEN(1937(1937 年年年 L.HARTL.HART----R.RODGERS)R.RODGERS) ① Etta JonesJones:アルバム「Don't Go To Strangers」(Prestige)1960 年よ り Frank Wess(fl) Richard Wyands(p) Skeeter Best(g) George Duvivier(b) Roy Haynes(ds) ② Peggy LeeLee:アルバム「Benny Goodman With Peggy Lee」(Columbia)1941 年より Benny Goodman(cl)Sextet-Lou McGarity,Cutty Cutshall(tb) Mel Powell(p) Tom Morgan(g) Sid Weiss(b) Ralph Collier(ds) ③ Julie LondonLondon:アルバム「Lonely Girl」(Liberty)1956 年より Al Viola(g) ④ Patti PagePage:アルバム「Page Ⅲ」(Mercury)1956 年より Jack Rael & his orch ⑤ Dinah ShoreShore:アルバム「Dinah, Yes Indeed!」(Capitol)1959 年より Nelson Riddle(arr,cond)Orch 2. DAY DREAM(1940 年年年 S.Strayhorn J.Latouche D.Ellington) ① Ernestine AndersonAnderson:アルバム「Hot Cargo」(Mercury)1956 年より ② June Christy:Christy:アルバム「The Misty Miss Christy」(Capitol)1956 年より ③ Chris Connor:Connor:アルバム「Free Spirits」(Atlantic)1961 年より ④ Helen Merrill:Merrill:アルバム「The Feeling Is Mutual」(Milestone)1965 年より ⑤ Jo Stafford:Stafford:アルバム「Jo + jazz」(Columbia)1960 年より 3.NICE WORK IF YOU CAN GET IT(1937 年年年 I.GersI.Gershwin hwin G.Gershwin) ① Chris Connor: ア ル バ ム 「 Sings George Gerhwin 」 (Clarion)1957 年より ② Billie Holiday:Holiday:アルバム「Velvet Mood」(Verve)1955 年より ③ Carmen McRae:McRae:アルバム「After Glow」(Decca)1957 年よ り ④ Patti Page:Page:アルバム「The West Side」(Mercury)1959 年 より ⑤ Dinah Shore:Shore:アルバム「Holding Hands At Midnight」 (RCA)1955 年より 4.BLUE MOON(1934 年年年 L.HART G.RODGERS) ① June Christy: ア ル バ ム 「 June's Got Rhythm 」 (Capitol)1958 年より ② Billie Holiday:Holiday:アルバム「ladylove」(United Artists)1954 年より ③ Julie London:London:アルバム「Julie Is Her Name」(Liverty)1958 年より ④ Carmen McRae:McRae:アルバム「Blue Moon」(Decca)1956 年より ⑤ Jo StaStafford:fford:fford:アルバム「In The Mood For Love」(Columbia)1952 年より

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5.WHAT IS THIS THING CALLED LOVE(1929 年年年 C.PORTER) ① Lorez Alexandria:Alexandria:アルバム「The Band Swings-Lorez Sings」(King)1959 年より ② Ella Fitzgerald:Fitzgerald:アルバム「Sings The Cole Porter Songbook」(Verve)1956 年より ③ Lena HorneHorne::::アルバム「This Is Lena Horne」(RCA)1941 年より ④ Anita O'Day:O'Day:アルバム「Swings Cole Porter」(Verve)1959 年より ⑤ Keely Smith:Smith:アルバム「Swingin' Pretty」(Capitol)1959 年より 6.THIS CAN'T BE LOVE(1938 年年年 L.Hart R.Rodgers) ① Rosemary Clooney:Clooney:アルバム「Swing Around Rosie」(Coral)1958 年より ② Ella Fitzgerald:Fitzgerald:アルバム「Sings The Rodgers And Hart Song Book」(Verve)1956 年より ③ Beverly kenney:kenney:アルバム「Come Swing With Me」(Roost)1956 年より ④ Dinah Washington:Washington:アルバム「For Those In Love」(Mercury)1955 年より ⑤ Pinky Winters:Winters:アルバム「Pinky」(Vantage)1954 年より 7.BABY,WON'T YOU PLEASE COME HOME(1919 年年年 C.Warfield C.WilliamsC.Williams)))) ① Helen Forrest:Forrest:アルバム「On the Sunny Side Of The Street」(Audiophile)1949 年より ② Lena Horne:Horne:アルバム「Stormy Weather」(RCA)1956 年より ③ Brenda Lee:Lee:アルバム「Reflections In Blue」(Decca)1967 年より ④ Sarah Vaughan:Vaughan:アルバム「Sarah Sings Soulfully」(Roulette)1963 年より ⑤ Dinah Washington:Washington:アルバム「Drinking Again」(Roulette)1962 年より 〔アンケート結果〕 1.WHERE OR WHEN(14 名中) ①Etta Jones:1 名 ②Peggy Lee:2 名 ③Julie London:8 名 ④Patti Page:1 名 ⑤Dinah Shore:3 名 2. DAY DREAM(14 名中) ①Ernestine Anderson:1 名 ②June Christy:2 名 ③Chris Connor:2 名 ④Helen Merrill:2 名 ⑤Jo Stafford:8 名 3.NICE WORK IF YOU CAN GET IT(14 名中) ①Chris Connor:1 名 ②Billie Holiday:3 名 ③Carmen McRae:5 名 ④Patti Page:1 名 ⑤Dinah Shore:6 名 4.BLUE MOON(14 名中) ①June Christy:1 名 ②Billie Holiday:1 名 ③Julie London:3 名 ④Carmen McRae:5 名 ⑤Jo Stafford:7 名 5.WHAT IS THIS THING CALLED LOVE(15 名中) ①Lorez Alexandria:2 名 ②Ella Fitzgerald(③Lena Horne):9 名 ④ Anita O'Day:5 名 ⑤Keely Smith:3 名 6.THIS CAN'T BE LOVE(15 名中) ① Rosemary Clooney:2 名 ② Ella Fitzgerald:2 名 ③ Beverly kenney:3 名 ④Dinah Washington:10 名 ⑤Pinky Winters:1 名 7.BABY,WON'T YOU PLEASE COME HOME(15 名中) ①Helen Forrest:なし ②Lena Horne:5 名 ③Brenda Lee:3 名 ④ Sarah Vaughan:5 名 ⑤Dinah Washington:4 名

アナログにこだわる、銀座の老舗 「JAZZ COUNTRY 」

東京都中央区銀座6-2-6 TEL.03-3572-7684 営業時間:コーヒータイム PM0:00~5:00(土曜日のみPM2:00~) バータイム PM7:00~11:00 休み:日曜祝日(バータイムは土曜日も) 交通:営団銀座線、丸の内線、日比谷線「銀座」駅、JR「有楽町」駅他

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メニュー:コーヒータイム 珈琲・紅茶 500 円、ビール 700 円 バータイム ボトル 8000 円(チャージ 3000 円) [2008年3月14日「映画館」] 特集:テーマ都市名シリーズ第 222弾「アメリカ (((北中米(北中米)))の都市名」)の都市名」

今回は 1.St.Louis Blues/Duke Ellington & Johny Hodges(アルバム Back To Back より) 2.On The Alamo/Stan Gets(アルバム The Complete 1946-1951Quartet Session より) 3.St.Louis Blues/Gil Evans 4.Davenport Blues/Gil Evans 5.San.Francisco Beat/Kenny Dorham 6.New York Standard Time/Ron Carter 7.Las Vegas Blues/Illinois Jacquet 8.La Habana Sol/McCoy Tyner 9.Born in Chicago/Natasha 10.Boy from New Orleans/Clark Terry 11.Do You Know The Way To San Jose(サン・ホセへの道) /アルバム Blue note Play Burt Bacharach より 12.Chicago/Carol Slone(アルバム Live At Street より) 13.Chicago/ Benny Golson & The Philadelphians(アルバ ム The Philadephians より) 14.I left My Heart in San Francisco/Julie London(アルバム The Good Life より) 15.I left My Heart in San Francisco/Count Basie(アルバム This Time By Basie より) 16.East DALLAS Special 17.Salt Lake City / 18.Do You Know What It Means To Miss New Orleans / 19. L.A. After Dark / 以上 4 曲 BOOKER ERVIN(アルバ ム Booker 'n' Brass より) 20 . Moonlight In Vermont/Ella Fitzgerald & Louis Armstrong 21.Stars Fell On Alabama/同上『ELLA & LOUIS』(VERVE MG V4003)より 22.Stars Fell On Alabama /Stan Getz『STAN GETZ PLAYS』 (VERVE) 23.Do You Know What It Means To Miss New Orleans /Q いしかわ『IN MY LIFE』(WHAT'S NEW WNCJ-2176) より 24.Harlem Blues/吉岡秀晃『MOMENT TO MOMENT』(VENUS TKCV35089)より 25.Tompkins Square Park Serenade/竹内 直(OFF NOTE )『THOMPKINS SQUARE PARK SERENADE』 (OFF NOTE ON-37)より

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[2008年3月22日「ジャズ・カントリー」] 『知られざる ピアニスト達 Vol.2』 担当:Y...S.SSS.... PAUL SMITH & FATHER TOM VVAUGHNAUGHN

【はじめに】

第一回目の『知られざる ピアニスト達 Vol.1 』では、「二人のジョン」と題し て JOHN YOUNG と JOHN WRIGHT を取り上げました。(03年11月例会) 二人ともファンキーでソウルフルな黒人ピアニストですが、今回はうって変わって楽 しい演奏が持ち味の二人の白人ピアニストを紹介します。

PAUL SMITH との出会いは、20年程前ある中古レコード屋で「HEAVY JAZZ 」 を手に取った時が最初でした。そのアルバム・ジャケットは大きく書かれた PAUL SMITH の名前の下に 冬景色と思わ れる印象的な絵画がプリントされた物でした。 それまでジャズ LP のジャケットを数多く見てきましたが、あまりにもその絵が気に入ったので内容も分からず購入(所 謂ジャケ買い)してしまいました。 早速家に帰って聴いたのですが、全7曲はスタンダードばかりで、オーソドックスなとても楽しい演奏でした。サイドメ ンもレイ・ブラウン(b) 、ルイ・ベルソン(ds) と申し分なく、ジャケットだけでなく内容もお気に入りのアルバムになりま した。 その後、この OUTSTANDING には他にも「絵画シリーズ(勝手に銘々)」があると分かり集めだした次第です。

FATHER TOM VAUGHN との出会いは、これも20年以上前のことですが、 銀座の JAZZ 喫茶[ジャズ・カントリー]で「JOYFUL JAZZ 」を聴いたのが初 めてでした。 一曲目の「MISTY 」から「FLY ME TO THE MOON 」 ~ 「 ON GREEN DOLPHIN 」 と、これまた楽しい演奏が続き、それま で黒人ピアニストを中心に聴いて来たのですが、白人ピアニストを見直すきっか けになりました。キャリアを調べるとなんと本職は「神父さん」との事、驚いて 19

しまいました。

私はピアノ・トリオの演奏が好きで、購入もどうしてもトリオ物中心になってしまいます。 これは全くの個人的見解ですが、最近の CD で発売しているアルバム、特に白人ピアニストの演奏は(一部の例外を除い て)どれを聴いても同じような演奏で、楽しさが伝わって来ません。 ジャズに求めるのは勿論楽しさばかりではありませんが、1950~70年代にはこんな楽しい、心をハッピーにしてく れる演奏をしていたピアニスト達がいた事を紹介したくて特集を組みました。 今夜はほとんどがスタンダード・ナンバーばかりなので、堅苦しい解説はなくして BGM 代わりにかけますので、どうか JOYFUL JAZZ を堪能して下さい。 Y.S.

【Paul Thatcher Smith 】 「略暦」 1922年4月17日カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。 父親はトランペット奏者、母親はヴォードビルのスターという芸能一家に育つ。 41年にジョニー・リチャーズ楽団に参加。46~47年にレスポール、47~4 8年にハリウッドに移り、50年代には CAPITOL に「リキッド・サウンド」と呼 ばれるフルートやクラリネットをフィーチャアしたお洒落なイージー・リスニン グ・ジャズを録音。 60~64年はエラ・フィッツジェラルドの伴奏者として活躍。 64年にはパット・ブーンの伴奏で来日。 以後歌手の伴奏者として活動。ハリウッドの NBC のスタッフ・ピアニストとなった。パット・ブーンやサミー・ディビ ス jr の TV ショウを担当した。 70年代後半より、自己のレーベル OUTSTANDING よりソロ及びトリオによる数多くの作品を発表。スタジオ・ミュ ージシャンとして活躍。

【Father Tom Wade Vaughn 】 「略歴」 1936年10月24日ケンタッキー州ベントン生まれ。 10才の時にミシガン州ポンティアックに移住し、同地のハンク、サド、 エルビン・ジョーンズ兄弟との近所付き合いが縁でプロ入り。 デトロイトのミュージカル・アーツ音楽院に進み、更にユーレカ・カレ ッジとエール大学で7年間神父になるための学業を積む。 ジャズ・ピアノは趣味で弾いていたが、64年にジーン・クルーパーと 共演した際、同席していたジョージ・ウェインに認められ66年のニュ ーポート・ジャズ際に出演。

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[2008年4月18日「映画館」] 特集:朝から夕方まで 1.Morning Tide/峰 厚介(TBM CD-2501) 2.Forest Flower-Sunrise 3.Forest Flower-Sunset/以上 2 曲 アルバム「Forest Flower」/Charles Lloyd(ATLANTIC SD-1473) 4.One Morning In May/Herbie Stewart(MARSHMALLOW) 5.New Morning/Johnny Coles(CRISSCLOSS 1005) 6.Sunset 7.Afternoon In Paris / 以 上 2 曲 ア ル バ ム 「Stitt,Powell,J.J.Johnson」(PRESTIGE) 8.All Morning Long/Red Garland(PRESTIGE) 9.Morning After/峰 厚介(VERVE POCJ-1195) 10.Softly As Morning Sunrise/ 大 井 貴 司 (DENON COCY-6566) 11.Softly As Morning Sunrise / 菅 野 邦 彦 (VENUS TKCZ-79522) 12.Good Morning Heartache/赤坂由香利(J-MIND JM-0002) 13. Good Morning Heartache/大森明(DENON 30CY-1379) 14.Sunday Morning/太田 剣(VERVE UCCJ-9076) 15.One Morning In May/EDDIE THOMPSON(HEP CD-2002) 16.朝の光の中で/遠藤律子(DENON COCY-80657) 17.Morning Blues/中牟礼貞則 18.3:00 O'clock In The Morning/Dexter Gordon(Blue Note) 19.Morning Glory/John Surman

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[2008年4月26日「ジャズ・カントリー」]

「「「Oscar Peterson 追悼特集 」」」 担当 M.S.

1.1.1. Montreal Jazz Festival 2004(NHK TV) Oscar Peterson (p) Ulf Wakenius (g) Niels-Henning Orsted Pedersen (b) Alvin Queen (d) "Montreal Canada 2004 NHK で放映されたので DVD に撮って CD にしました。 この前年2003年に東京ブルーノートに出演したので、生で聴けるのは最後 と思って行ってきました。 この放送と同じような内容のプログラムだったと思います。 演奏曲目は Reunion Blues, Night Time, When Summer Comes, Cakewalk, Requiem Wheatland, Backyard Blues, You Look Good To Me, Sushi, Satin Doll でした。 93年に脳梗塞で倒れましたが、(90年4月から94年3月の 間CDが出ていません)リハビリの後、間もなく演奏に復帰しま した。ディスコグラフィーを見ると94年4月に録音したものがあ ります。 2004年の映像で見ると左手がかなり不自由な演奏に見えます。この年78歳です。 また、96年以後は CD が出ていない様なので貴重な録音だと思います。 「「「Reunion Blues 」」」 他の3人が演奏を始める中にゆっくりと登場してきて大きな拍手を受けながら演奏を始めます。 ミルト・ジャクソンの曲ですが、気に入ってMJQより数多く録音しているようです。 「「「Requiem」」」 近年亡くなったレイ・ブラウン(2002年)やノーマン・グランツ(2001年)に捧げるということで、 ジョン・ルイスが亡くなった時(2001年)に作ったという、この曲を演奏しました。 本日はピーターソンの追悼ということで、しんみりしますがこの曲を聴いて下さい。

2.2.2. Freedom Song ---Big 4 In Japan ’82 (Pablo) Oscar Peterson (p) Joe Pass (g) Niels-Henning Orsted Pedersen (b) Martin Drew (d) "Tikyo Koseinenkin Kaikan", "Shibuya Public Hall", Tokyo, Japan, February 20 & 21, 1982 「Missisauga Rattler 」 トロントの Missisauga はピーターソンの故郷で、亡くなった場所でもあります。 Rattler とは早口でお喋りする人のことで、自分自身のことを曲にしたようです。 ペデルセンとは73年に共演して以来彼が亡くなるまで30年にわたって度々一緒 に演奏してきました。レイ・ブラウンと同様にピーターソンにとっては欠かせないベ ーシストでした。 「Round Midnight 」(Solo ) このコンサートの直前にモンクが亡くなったのでコンサートの1曲目にこの曲を取り 上げたそうです。 コンサートでは彼が尊敬する音楽家に捧げる曲を演奏する事が多いようです。

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3.3.3. Live In Tokyo 1972 (((FM Tokyo Air Check ))) Oscar Peterson (p) Michel Donato(b) Louis Haynes(dr) Tokyo Kouseinenkin Kaikan 35年ほど前にFM放送を録音したカセットテープをCD化したものです。 この来日時にパレスホテルでのコンサートがLPで出ていますが、私はこの厚生年金会館の演 奏の方が好きです。 「On The Trail 」 やはりこのコンサートの2,3ヶ月前に亡くなったアメリカの作曲家グローフェのメモリーということ で「グランド・キャニオン」から1曲「山道にて」を演奏しました。 「You Look Good To Me 」 ベーシストのフューチャー曲としてピーターソンのレパートリーとして人気のある曲です。

4.4.4. The Trio (Verve) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d) "London House", Chicago, IL, July 28, 1961 「Chicago 」 大学生の頃から特に気に入って良く聴いてきた演奏です。後半のテンポが上がった所にしびれ ました。 この頃のロンドンハウスでの演奏は4枚のアルバムとなって出ています。

5.5.5. Something Warm (Verve) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d) "London House", Chicago, IL, September 27, 1962 「Autumn Leaves 」 やはり人気のある「枯葉」も聴かなければと思って入れました。これもロンドン・ハウスの演奏で す。 他の2枚は「 The Sound of The Trio 」と「 Put On A Happy Face 」です。

6.6.6. Live In Tokyo 1964 (Pablo) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d) "Ohte-machi Sankei Hall", Tokyo, Japan, June 2, 1964 TBSがラジオで放送する為に録音したコンサートです。LPとしては10年くらい後に発売されまし た。 「I Remember Clifford 」 「Yours is My Heart Alone 」 「Hymn To Freedom」

7.7.7. At The Stratford Shakespearean Festival (Verve) Oscar Peterson (p) Herb Ellis (g) Ray Brown (b) 'Stratford Shakespearean Festival', Ontario, Canada, August 8, 1956 この頃の演奏が一番良かったとピーターソン、レイ・ブラウン共に言っているという事です。 NHK FMで児山紀芳さんがピーターソン追悼番組を放送していましたが、この2曲も取り上げて いました。 「How High The Moon 」

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「52525252 nd Street 」 セロニアス・モンクの曲とは思えない最高速の演奏です。ハーブ・エリスのギターも聴きものです。

Stratford とはこんな所だそうです。 世界の演劇界をリードするシェイクスピア劇一色のトロント近くの町。イギリスのシェイクスピア生誕の地を名前にした宿を中心に 作られた街であることから、ストラトフォードと名づけられました。毎年春から秋にかけて行われるシェイクスピア・フェスティバルに は、50 万人もの観光客が集まります。

休憩

8.8.8. With Respect To Nat (Limelight) Oscar Peterson (p, vo) Herb Ellis (g) Ray Brown (b) Hollywood, Los Angeles, October 28, 1965 「Orange Colored Sky 」、「 It’s Only A paper Moon 」 ナットが亡くなったその年にこのLPを出しました。一説によるとあまりスタイルが似ているので話し合って、ナットが歌を取ると言っ たので、ピーターソンがピアノに専念する事にしたといわれています。彼がいなければ歌ももっと唄ったかもしれません。ボーカル アルバムはもう一枚あります。

9.9.9. Nat King Cole Nat King Cole(p, vo) 「Surrey With Fringe On Top 」 /Live AtAtAt Sands Hotel Las Vegas on January 14, 1960 . 意外な事に彼のステージのライブ・アルバムはこれだけだそうです。ピーターソンと聴き比べて見ましょう。 「It’s Only A paper Moon 」 /Vocal Classics Oscar Moore(g) Johnny Miller(b) 1943

10.Canadiana Suite (Limelight) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d) NYC, September 9, 1964

「Wheatland 」

カナダは彼の生まれ故郷なのでこのアルバムは代表作といえるでしょう。

***************** このあとはピアノ・トリオ以外に他のプレイヤーが加わった演奏を少しお聴き下さい。

11. Louis Armstrong Meets Oscar Peterson (Verve) Louis Armstrong (tp, vo) Oscar Peterson (p) Herb Ellis (g) Ray Brown (b) Louis Bellson (d) Chicago, IL, October 14, 1957 「Blues In The Night 」別名( My Mama Done Told Me ) 歌の内容は「ママが良く言ったもんさ、女は二つの顔をもったやっかいなもの、 その内お前をおいてどっかへ行ってしまって、夜に一人残されたお前はブルースを歌う事になるんだ よ」 昨年私達のオーケストラで演奏した事があり、面白い曲なので選びました。

12. Sonny Stitt Sits In With The Oscar Peterson Trio (Verve) Sonny Stitt (as, ts) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d)

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Paris, France, May 18, 1959 「Au Preverv 」(チャーリー・パーカー作曲) A 面はチャーリー・パーカーとルイ・アームストロングに捧げるということでアルトを吹いて、 B 面はカウント・ベイシー楽団に捧げるということで選曲しテナーを吹いています。

1113.13.3.3. Very Tall/ The Peterson Trio With Milt Jackson(Verve) Milt Jackson (vib) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d) NYC, September 15, 1961 「Reunion Blues 」 ミルト・ジャクソンの曲です。1曲目と同じですが、もう一度作曲者の演奏で聴いて下さい。

14. Oscar Peterson Trio + One, Clark Terry (Mercury) Clark Terry (flh, tp vo) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d) NYC, August 17, 1964 「Mack The Knife 」 ピーターソンはこのLPのライナーノートで「クラーク・テリーのメロディー・ラインに対するアプロ ーチは実に粋(Tasty)である。私がどんなミュージシャンに対しても求めて已まない事だけに 余計嬉しい。」と書いていますが、ピーターソンのアドリブには私も「粋」だと感じるところがあり ます。(「粋」が同じ事を意味するかどうか分かりませんが) Mack The Knife はピーターソンがこのアルバムで一番気に入っている演奏だと書いていま す。

15.Ella Fitzgerald/Louis Armstrong – Ella And Louis (Verve) Louis Armstrong (tp, vo) Oscar Peterson (p) Herb Ellis (g) Ray Brown (b) Buddy Rich (d) Ella Fitzgerald (vo) Los Angeles, CA, August 16, 1956 「Tenderly 」 日本では57年録音のElla And Louis Againと合せて3枚組で発売されて います。

16. West Side Story (Verve) Oscar Peterson (p) Ray Brown (b) Ed Thigpen (d) NYC, January 24 & 25, 1962 「Tonight 」 一番好きなミュージカルなので1曲入れました。「 My Fair Lady 」も録音していま す。

17. My Favorite Instrument (MPS) Oscar Peterson (p) Hans Georg Brunner-Schwer Studio, Villingen, West Germany, April, 1968 「Perdido 」 ソロで1曲エリントンナンバーをお聴き下さい。 私が4年前にサックスを始めた時の最初の練習曲でしたが、今もこの曲でアドリブの初歩を練習 中です。

18. Mellow Mood (MPS) Oscar Peterson (p) Sam Jones (b) Bobby Durham (d) Hans Georg Brunner-Schwer Studio, Villingen, West Germany, April, 1968 「Who Can I Turn To 」 69年にはこのグループでの来日コンサートに行ってきました。

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そのころ買ったピーターソンの2枚目の Lp です。この頃の MPS 録音は低音が特に力強く感じます。

19. Montreal Jazz Festival 2004(NHK TV) 「「「Satin Doll 」」」 最後にもう一度 Montreal Jazz Festival の録音からピーターソン最後の演奏を聴いてくださ い。 尊敬するエリントンの曲ということで Satin Doll は度々演奏しています。 エンディングの曲で、演奏が終ってから長いスタンディング・オベーションを受けていました。

オスカー・ピーターソンオスカー・ピーターソン(OscarOscar PetersonPeterson) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア』 1925年8月13日ケベック州モントリオール生まれ。 スイング期の流れを汲む奏法にモダンな和声感覚を取り入れたスタイルで、ジャズ界きっての超絶技巧を誇り、88 鍵をフルに使 いこなすダイナミックな演奏と流麗なアドリブから、「鍵盤の皇帝」の異名をとる。ミスタッチのほとんど無い極めて強靭なタッチと明 快でハッピーな演奏が身上。

ベーゼン・ドルファー製のピアノを好む。 5 歳より父からピアノとトランペットを習い始める。しかし 7 歳の時結核にかかり、ピアノに専念するようになる。アート・テイタムやナ ット・キング・コール等の影響を受ける。 1949年に、ノーマン・グランツの手により、カーネギー・ホールにてアメリカに進出する。1959 年にグランツが創設したヴァーヴ・ レコードに籍を置き、彼は重要なキャリアを築く。1965 年~ 1971 年にはドイツのMPSに籍を置き、彼の経歴の中でも 一際モダンな作風に挑戦している。1973 年にはグランツは パブロ・レコードを創設し、このレーベルにおいても幾つか の名盤を残している。 1993年に脳梗塞で倒れ、歩く事が出来なくなるもリハビリ を重ねた。 その後、まだ左手が不自由ではあったが再び ピアノを弾けるようになった。 2005年8月15日に 80 歳の誕生日を迎え、トロントのHM Vにおいて祝賀会を開かれた。 2007年12月23日夜、腎不全にてトロント郊外のミシソー ガの自宅で死去した。享年 82 才。

本日はコンサートにおいで頂き有難うございました。

ご冥福をお祈りします。

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[2008年5月16日「映画館」]

都市名シリーズ第 3 弾「アジア・アフリカ・オセアニア・その他編」 1.Nigerian Market Place/OSCAR PETERSON(アルバム Freedom Song より) 2.As Time Goes By/CARMEN McCLEY 3.Tokyo Air Shaft/宮之上貴昭(アルバム Touch Of Love より) 4.Night In TUNISIA/大隈寿男(M&I MYCJ-30336)吉岡秀晃(p)、古野光昭(b) 5.The Moon In RIO/MONK'S TRIO(WHAT'S NEW WNCJ-2144) 吉岡秀晃(p)、小林陽一(ds)、ETHAM 吉 岡(b) 6.MOZAMBIQUE/DANIEL HUMAIR(LABEL BLEU LBLC-6545 HM83) 7.ISRAEL/川嶋哲郎(KING KICJ-364) 8.CHINA Remembered/穐吉敏子(BMG ビクター BVCJ-638) 9.Ebony Queen/McCOY TYNER《SAHARA》(MILESTONE MSP-9039) 10.Filles De KILIMANJARO/MILES DAVIS(SME SRCS-9712) 11.As Time Goes By/BARNEY WILEN(BMG 74321544222) 12.CORCOVADO/CANNONBALL ADDERLEY & SERGIO MENDES & THE BOSSA RIO SEXTET 13.TOKYO Dating/渡辺貞夫 & CHARLIE MARIANO 14.CARIOKA/GERRY MULLIGAN & CHET BAKER 15.CARIOKA/COUNT BASIE 16.BORIVIA/MILT JACKSON 17.アラビアの酋長/TOMMY DORSEY 18.インドの歌/ TOMMY DORSEY 19.On The GINEA/ART BLAKEY(アルバム「UGETU」) 20.MONBASA/渡辺貞夫 21.BASRA/PETE LAROCA(BLUENOTE 4205)

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[2008年5月24日「ジャズ・カントリー」]

特集「リー・コニッツとレニー・トリスターノ」 M.T. 1. This Is Called Love 0.はじめに from 'Lennie 今回は「リー・コニッツとレニー・トリスターノ」でやらせていた Tristano Quintet だく。 Live At Birdland コニッツは 1927 年生まれで、今も現役である。レコーディン 1949' (Jazz グ・デビューが 1940 年代の終わり頃だったことを考えると、彼 Records) Lennie のキャリアは実に 60 年ということになる。ただし、私個人とし Tristano(p). 1945 or ては 1960 年代までの比較的若い頃の録音に魅力を感じるの 1946?, Chicago で、本日はその年代を中心に構成することにする。 まず最も早い時 一方トリスターノの方は録音が少ないので、取捨選択の余 期のソロ・ピアノか 地が少ない。ただ 1950 年前後の「オールスターズ」ものは客 ら聴いていただく。 演で、彼の目指した音楽とは違っているような気がするので、 正式録音でなく、プ 今回は取り上げない。ところでジャズ・ファンに彼のことを尋ね ライベートに録音したものを、後年になって遺族が出版したも たらどんな答えが返って来るだろうか。「知らない」は除くとし のである。この頃のトリスターノはアート・テイタムを目標とし て、「コニッツがらみで名前を聞いたことはあるが、聴いたこと ていたとか。当時としては抜群の(今日でも相当な)テクニック はない」、「コニッツは聴くけどトリスターノまではちょっと・・・」、 がうかがえる。 あたりが大多数ではないだろうか。実際にはトリスターノは、 今日の耳で聴いてもなかなかモダンで緊張感のある演奏を 2. Supersonic 残している。これを機会に関心を持っていただければ幸いで from 'The Jazz Keyboards' (Savoy) ある。 Lennie Tristano(p), Billy Bauer(g), John Levy(b). 1947.10.23, NYC 次はピアノ・トリオ。当時はやりの p-g-b の編成で演じられ Ⅰ.レニー・トリスターノ (1919-1978) ている。この頃のレコードが評論化筋に大絶賛され、世に知 まずはトリスターノからご紹介する。ジャズ史における彼の られることになった。この後(48年秋?)リー・コニッツが加わり、 位置は、既に「アダ花だった、本流にはなれなかった」とする トリスターノ・ミュージックは一気に花開く。 見方が定着しているようだ。が本流でなかったとしても、ビル・ エバンスをはじめとする多くの後輩ピアニストや、先輩格のバ 3. SubSub----ConsciousConscious Lee ド・パウエル(年齢はバドの方が若いが)にも多大な影響を与 from ' / Subconscious-Lee' (Prestige) えた偉大なスタイリストであった。フレーズを4小節単位や8小 Lee Konitz(as), Lennie Tristano(p), Billy Bauer(g), Arnold 節で構成するのでなく、長いメロディ・ラインで1コーラス単位 Fishkin(b), Shelly Manne(ds). 1949.1.11, NYC で構成する、という行きかたは、後に続く者たちに大きな示唆 まずは絶頂期の演奏として、プレスティッジ社の記念すべき を与えている。 初録音となった 49 年1月のセッションをお聴きいただく。この 経歴を紹介する。出身地はシカゴ、出生年は 1919 年である。 頃ビバップは既にややマンネリの色が見え、時代はクール・ アート・ブレイキーと同年、チャーリー・パーカーより一つ年上 ジャズに移行しつつあった。クールの一方の旗頭はスタン・ゲ にあたる。生まれつき弱視で 10 歳頃完全に失明したが、年少 ッツをはじめとする白人サックス陣、そしてもう一方がこのトリ 時から音楽に才能を発揮し、盲学校の 10 年でピアノ、サック スターノ派で、人気投票の上位は彼らが占めたという。(現在 スなど 10 指に余る楽器を演奏できたという。周囲の反対を押 ではやや想像しにくいが・・・。) し切って入学した音楽大学ではさらに才能を発揮し、卒業に 名目上はコニッツがリーダーだが、トリスターノがリーダー 必要な単位をとって退学した。(経済的事情で学位取得は断 シップを握っているのは一聴して明らかである。この緊張感と 念したとか。)当時では稀な高学歴を引っさげてジャズ界に入 躍動感はジャズ史上でも有数のものだろう。ただ、意外なこと ったので、早くから信奉者が周囲に現れ、トリスターノ・スクー にリズム・セクション、特にドラムには極端に制限をかけ、前 ル(「トリスターノ派」、学校ではない!)が形成されたという。 面に出ることを許さなかったと言われている。ベーシストは「ピ

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アノの存在にとらわれず、基本コードを良い音で弾くこと」のみ ん)が興した超マイナー・レーベルが最初に出版したもので、 を望み、ドラマーには「終始同じアタックで、スネアをブラッシ 入手に苦労した思い出がある。 ュで叩く」ことを求めたと言われている 私事ながら、私のジャズ歴中、最大の衝撃がこれであっ 先にトリスターノがリズム・セクション、特にドラムに対して た。 異常に制約をかけたことを述べたが、コニッツに去られた後エ スカレートし、遂には「私は 25 年間も演奏してきたが、きちん 4. MMarionettearionette とタイムをキープできる男に出会ったことがない。どうやら演 5. Intuition れたとしても2コーラスが関の山だ」とまで言ったと伝えられる。 from Capitol Session. ここまで行くと孤立してしまうのも止むを得ない。 Lee Konitz(as), Warne Marsh(ts), Lennie Tristano(p), Billy Bauer(g), Arnold Fishkin(b), Denzil Best(ds). 1949.5.16, NYC 8. East 32rd 次は同じく 49 年のキャピトル・セッションから。これもトリスタ from 'Lennie Tristan' (Atlantic) ーノ・スクールの最高の瞬間と捉えたものとして有名。4 は「普 Lennie Tristano(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds). 1954-55, 通の」演奏。5 は「フリー・ジャズ」である。後者が当時のジャズ Tristano's home studio, NYC 界に投じた波紋は大きかった。こちらの演奏が有名になり、 これは多重録音による問題作。(1)ベース+ドラムスを普通 「トリスターノのジャズは難解」の印象を与えてしまったのは皮 に録音、(2)ゆっくり再生し、ピアノを合わせて録音、(3)ベース 肉である。 等が元のスピードになるように再生、のやり方で作ったという。 ピアノだけが早回しされることで、異様なドライブ感を伴なって 6. Sax of a Kind 聴こえるようになり、当時のファンに衝撃を与えた。ただしトリ Lee Konitz(as), Warne Marsh(ts), Lennie Tristano(p), Billy スターノは晩年に、児山紀芳氏のインタビューに「多重録音は Bauer(g), Joe Shulman(b), Jeff Morton(ds). 1949.12.24, 'Voice したが、速度を変えることはしていない」と答えている。私もこ Of America' broadcast, "Carnegie Hall", NYC のくらいのテンポなら、トリスターノの実力で十分対応できるよ 次は 1949 年のクリスマス・イブに、カーネギー・ホールから うに思うのだが。 放送されたエアチェックをお聞かせする。カーネギー・ホール での演奏ということで、彼らの人気が頂点に達していたことが 9. You Go to MMyy Head 分る。一時は「これこそトリスターノの最高の姿」とする人もい from 'Lennie Tristan' (Atlantic) た。 Lee Konitz(as), Lennie Tristano(p), Gene Ramey(b), Art Taylor(ds). 1955.6.11, "The Sing-Song Room, Confucius 7. Lennie's Pennies Restaurant", NYC from 'Lennie Tristano Quintet Live In Toronto 1952' (Jazz 前出のトロント・コンサートの3年後のトリスターノ=コニッツ Records) 共演がアトランティックから発売されている。このころ彼らは既 Lee Konitz(as), Warne Marsh(ts), Lennie Tristano(p), Peter に袂を分っていたが、それを反映してか、前記トロント・コンサ Ind(b), Al Levitt(ds). 1952.7.17, "UJPO (United Jewish ートとはうって変って、穏やかな演奏に終止している。あるい People's Order) Hall", Toronto, Canada は気乗りのしないセッションだったのかも知れない。 コニッツはトリスターノの弟子中最高の実力者だったが、次 第にトリスターノとは別の世界(チャーリー・パーカーとか)に 10. You Don't Know What Love Is 目を向けるようになっていった。トリスターノはそれを望まなか from 'The New Tristan' (Atlantic) ったが、思惑外に踏み出すことが徐々に増えていったようで Lennie Tristano(p). 1960-62, Tristano's home studio, NYC ある。そして、トリスターノと組んでいると仕事がなかなか来な コニッツと袂を分かってからのトリスターノは急速に録音が いのに音を上げたコニッツが、彼の実力に目をつけたスタン・ 少なくなっていった。1955-6 年にアトランティック社に吹き込ん ケントン楽団に入団したことで、遂に別れの時を迎える。その だ後(前曲、前々曲はそのアルバムから)、彼の正式な録音 別れの直前に、カナダのトロントで行なったコンサートのライ は、60-62 年に同じアトランティックに録音したソロ・ピアノ・ア ブ音源が残されていた。ホーン・ソロイストのバックにつけるト ルバムが1枚あるだけである。そこから1曲をご紹介する。緊 リスターノのバッキングが、ジャズ史にも稀な激しいものなの 張感ある名演として、絶賛する人も多い。 は、愛弟子の離脱に対する怒りなのだろうか。 本作品は 80 年代半ばにトリスターノの遺族(娘、キャロルさ

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11. Momentam ころまで達していた。 from 'New York Improvisation' (Elektra) 13. Yardbird Suite Lennie Tristano(p), Peter Ind(b), Tom Weyburn(ds). 1955-56, from 'The Real Birth of the Cool' (Columbia) Lennie Tristano's Manhattan Studio, NYC Claude Thornhill Orchestra 1947.12.17, NYC トリスターノの死後、未発表録音がいくつも LP/CD 化されて 彼の最初のメイジャーな経歴は、クロード・ソーンヒル楽団 いる。音が悪いものが多いのが残念だが、彼のようにその才 への加入である。元々のソーンヒル楽団はソフトな演奏が得 能に対してあまりにも録音が少ない人の場合、音が聞けるよ 意なダンス・バンドだったのだが、コニッツが加入する前後は うになっただけでも感謝せねばならないのかも知れない。これ ビバップに相当傾いていた。これは当時専属アレンジャーだ はベース、ドラムスを加えた「普通の」ピアノトリオで、比較的 ったギル・エバンスによるところ大で、この時期に加入したこと 音が良い。これもリズム・セクションとの絡みは少ない感じが は、コニッツにはかなりラッキーだったと言える。まず彼がソロ する。 をとったソーンヒル楽団の演奏をお聴かせする。1947 年録音 なのに、チャーリー・パーカーからあまり影響を受けていない 12. SubSub----ConsciousConscious Lee 点に注目されたい。 from 'Continuity' (Jazz Records) Lee Konitz(as), Warne Marsh(ts), Lennie Tristano(p), Sonny 14. Move Dallas(b), Nick Stabulas(ds). 1964.6, "Look Up & Live" TV from 'Birth of the Cool' (Capitol) broadcast, "The Half Note", NYC Miles Davis(tp), Kai Winding(tb), Junior Collins(frh), Bill これは 1964 年に久しぶりに(?)コニッツ~マーシュと共演し Barber(tu), Lee Konitz(as), Gerry Mulligan(bars), Al Haig(p), た記録である。かつての全員一丸となって疾走する感じはす Joe Schulman(b), Max Roach(ds), John Lewis (arr). 1949.1.21, でにないが、3者が実力者だけに「普通のジャズ」としての良 NYC さは十分感じられる。トリスターノとしては珍しく(?)、ドラムにソ コニッツは1年足らずでソーンヒル楽団を退団し、ニューヨ ロをとらせているが、このあたりは心変わりか、諦めか。 ークの人となったが、このあたりからトリスターノとの交流が始 まったらしい。コニッツはトリスターノとの共演と同時に、例の 先に書いたように、1955 年あたりからトリスターノはレコー マイルス・デイビス九重奏団にも加わっているから、この時期 ディングをほとんど行わないようになり、演奏活動も不活発に は充実した毎日を送っていたものと想像される。キャピトルか なっていった。また過激な言動きも目立つようになっている。 らレコード化されたもの(この演奏など)は大崩れしてはいな その最たるものは、コニッツ~ウォーン・マーシュ~ビル・エバ いが、エア・チェックされた演奏を聴くと、コニッツには出来不 ンス+b+ds の編成で 1959 年にライブ録音されたテープを、 出来があり、まだこの頃は実力不安定だったようだ。マイルス 「聴く価値があるのはマーシュだけ」として、コニッツとエバン はコニッツを高く評価していて、「なぜ白人を使うのか」と聞か スのソロをすべてカットしてアルバム化したことで、ここまで来 れた際に「優れていれば肌の色は関係ない」と答えたとか。 ると「常軌を逸している」と言わざるを得ない。(同様な音源が 別に残っており、後にバーブ・レーベルからカットなしで CD 化 15. You Go to My Head されたのは良かった。)ただし、前記児山紀芳氏による晩年の from 'Lee Konitz / Subconscious-Lee' (Prestige) インタビューでは比較的常識的なやり取りに終止しており、そ Lee Konitz(as), Sal Mosca(p), Billy Bauer(g), Arnold Fishkin(b), れまでの過激な言動が他人の手で増幅されたのではないか、 Jeff Morton(ds). 1950.4.7, NYC と感じている。 これはトりスターノのところでもかけたプレスティッジのアル 彼の偉大な才能を思うと、50 年代半ば以降の録音が余り バム「サブコンシャス・リー」からで、ピアノはトリスターノでなく、 に少ないことが惜しまれるが、そのあまりに協調性を欠いた サル・モスカ。ピアノがトリスターノでなくなった途端に、演奏 生き方を思うと、致し方なかったかも知れない。 が「優しく」なってしまうあたりが面白い。

16. Indian Summer Ⅱ.リー・コニッツ (1927- ) from 'Ezz-Thetic!' (Prestige) 次にリー・コニッツをお聴きいただく。彼はトリスターノより8 Lee Konitz(as), Billy Bauer(g). 1951.3.13, NYC 年遅れた 1927 年に、同じくシカゴで生まれている。世代的に これは当時としては珍しい as-g のデュオ。ビリー・バウアー はビバップのセカンド・ジェネレーションだが、世に出たのはか とは同じトリスターノ門下生で何回も共演しているので、息の なり早く、20 歳ごろには早くも一流ビッグバンドでソロを取ると 合ったところが聞ける。

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17. EzzEzz----TheticThetic の人である。ケントン得意のラテン調の曲で、フランク・ロソリ from 'Ezz-Thetic!' (Prestige) ーノ(tb)とコニッツのソロが聞ける。 Miles Davis(tp), Lee Konitz(as), Sal Mosca(p), Billy Bauer(g), 20. My Lady Arnold Fishkin(b), Max Roach(ds). 1951.3.8, NYC Stan Kenton Orchestra, 1952.9.15, Chicago マイルス・デイビスとの競演。珍しくマイルスがサイドマン参 前曲と同じビル・ラッソ編曲で、コニッツのフィーチュア曲。 加している。この頃のマイルスは後年ほど安定していないが、 当時超人気バンドだったケントン楽団でこのようにフィーチュ それでもコニッツとよく合わせている。コニッツの方は既に アされていたので、経済的には多少潤ったことと思う。 堂々たるソロをとっている。 21. Swing House 18. SoundSound----LeeLee Stan Kenton Orchestra, 1952.9.15, Chicago Lee Konitz, Ingmar Glanzelius(as), Hacke Bjorksten(ts), Bengt ジェリー・マリガン作編曲。マリガンはビル・ラッソに比べる Hallberg(p), Gunnar Johnson(b), Kenneth Fagerlund(ds). と金属的な響きが少ないアレンジを書くが、ケントンの好みと 1951.11.19, Stockholm なかなか合わず、しばしば「お前のアレンジはコンボ的な音が これは 1951 年スエーデンでの演奏記録(エア・チェック)で、 する」としてボツにされたと伝えられる。ソロはロソリーノ(tb)、 少々珍しいもの。当時同国はアメリカの動向をいち早く取り入 コニッツ(as)、リッチー・カミューカ(ts)、コンテ・カンドリ(tp)。 れていた「ジャズ先進国」であった。スタン・ゲッツが同時期に 訪問した際、現地ミュージシャンがよき協調ぶりを発揮し、名 22. Crazy Rhythm 演が記録されたのは有名。コニッツ以外は全てスエーデン人 Stan Kenton Orchestra, 1953.7.8, NYC だが、2人のサックスが共にコニッツ的な吹き方をしているの 有名なスタンダード・ナンバーで、編曲はビル・ラッソ。ソロ が面白い。 はコニッツ、ズート・シムズ、ドン・バグレイ(b)、コンテ・カンドリ。 ズートもハーマン楽団だけでなく、ケントン楽団にいたのであ トリスターノのところで触れたように、コニッツは 1952-3 年 る。ハーマン、ケントン両楽団は正にジャズ・スターの温床だ に、当時最高のビッグバンドと謳われたケントン楽団に加入し った。 た。入団前からかなりの実績と知名度があったので、入団と 同時にスター・ソロイストの扱いを受け、約1年の短期間の在 232323.23 ...LoverLover Man 籍にしては多くのソロを記録している。コニッツはこの在団期 24. In Lighter Vein 間に、強力なブラス陣に混じって力強く吹くことを憶え、大飛 Stan Kenton Orchestra, 1954.3.1, Los Angels 躍を遂げたとされる。実際、退団前後の演奏を比べるとかな 1954 年3月にケントンは、既に退団していたコニッツを特に り印象が異なっており、しばしば「神がかり」から「人間的」に 呼んで、録音を行なった。わざわざ来てもらった、ということで なったとされている。日本ではビッグバンドはあまり聞かれな コニッツのフィーチャリング・ナンバーが何曲も録音されたが、 いし、ケントン楽団は特に不人気(*)なので、今日は特に力を 本日は2曲お聴かせする。編曲はビル・ホルマン。オーソドッ 入れてご紹介する。 クスでバランスの良い譜面を書く人、として評価が高い。(この *)1970 年代の来日公演は散々の不入りだった由。そもそもジ 人が編曲すると、ケントン楽団もそれほど金属的でない印象 ャズ喫茶でケントン楽団がかかっているのを聞いたことがあり になる。)「ラバー・マン」はケントン時代のコニッツが得意にし ますか? ていた曲で、コンサートでは必ずといってよいくらい演奏して いた。ここでも彼が全面的にフィーチュアされていて、素晴らし 19. 23 degdegreesrees North, 82 degrees West く手の込んだフレーズを洪水のように繰り出している。「イン・ Stan Kenton Orchestra, 1952.9.11, Chicago ライター・ベイン」の方はやや速めのテンポで、やや軽めの印 ケントンは「ビッグバンドはビッグバンドらしい音を出すべ 象だが、こちらも彼のテクニックの凄さが遺憾なく発揮されて き」という信念を持っていた。レコードで聞く限り、それはブラ いる。共に、正に絶頂期に駆け上らんとする旬のコニッツの演 ス陣(金管楽器、tp と tb)のきらびやかな音を十分に生かすこ 奏と言える。 とだったように思える。日本人にはそれが時として「金属的で 疲れる」ように聞こえ、不人気につながっているのではないだ 25. Foolin' Myself ろうか。 from 'Jazz at Storyville' (Storyville) 「金属的」の度合いは編曲者によってかなり異なるが、本 Lee Konitz(as), Ronnie Ball(p), Percy Heath(b), Al Levitto(ds). 曲の作編曲者ビル・ラッソ Bill Russo はその度合いが強い方 1954.1.5, Boston

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ケントン楽団退団後、コニッツは 1954-55 年にストリーヴィ これと言ったアレンジもなく「ギグの記録」という印象を受けた。 ル・レーベルに 10 吋 LP にして約3枚分余の吹き込みを残し エバンスはこのようなセッティングだと「リズム・セクションの一 ている。このあたりは徐々にトリスターノ色を脱して自分自身 員」に徹してしまうタイプなので、彼に期待する向きにはお勧 をつかみつつあった時代と言われている。内容的にはこの 54 めしない。ただし、これだけのメンバーが顔を揃えた記録は貴 年のストリーヴィル・クラブでのライブ録音が特に評価が高い。 重であるし、各人のソロも悪くない。まあ「未発表演奏集」はた 「この時期が最高」とするファンもおられるようだ。 いていどこかにマズいところがあるものなので、過大な期待 は持たずに聴けば「出て良かった」と感じるだけのものは十分 26. Ronnnie's Tune ある。 from 'In Harvard Square' (Storyville) Lee Konitz(as), Ronnie Ball(p), Peter Ind(b), Jeff Morton(ds). 31. Kary's Trans 1955.2, Boston from 'Inside Hi-Fi'(Atlantic) 同じくストリービル・レーベルへの吹き込み。こちらも余裕が Lee Konitz(as), Billy Bauer(g), Arnold Fishkin(b), Dick 感じられる。 Scott(ds). 1956.10.16, NYC アトランティックのアルバム「Inside Hi-Fi」より。これも言うこ 27. DDonnaonna Lee とのない名演である。余談ながら、これはジャズ喫茶でリクエ 28. Topsy ストすると周囲から一目置かれる代表アルバムと思う。LP(の from 'Lee Konitz With Warne Marsh'(Atlantic) A面)でも CD でも1曲目に置かれる「ケアリー・・・」が出だしと Lee Konitz(as), Warne Marsh(ts), Sal Mosca(p), Billy Bauer(g), いい、アドリブへ導入部といい、絶妙の間合いだからである。 Oscar Pettiford(b), Kenny Clarke(ds). 1955.6.14, NYC コニッツは 50 年代半ばに、アトランティック・レーベルに、LP 32. Nesuhi's Instant にして4枚分の録音を残す。1枚は後年に「未発表演奏集」的 from 'Inside Hi-Fi'(Atlantic) な発表をされたが、リアル・タイムで発表された3枚はいずれ Lee Konitz(ts), Sal Mosca(p), Peter Ind(b), Dick Scott(ds). も素晴らしい出来で、この時期を最高だったとする人も多い。 1956.9.26, NYC (私も同感。)正に絶頂期のミュージシャンが持っているオーラ 同じく「Inside Hi-Fi」より。こちらはコニッツが珍しくテナーを を感じる。まずはトリスターノ・スクール仲間のウォーン・マー 吹いているが、なかなか味がある。 シュとの競演盤から。ここではオスカー・ペティフォード、ケニ ー・クラークという黒人ミュージシャンを起用しているのが面白 33. Tickle Toe いが、この頃になるとどんなミュージシャンと共演しても、自分 from 'The Lee Konitz Duets' (Milestone) の音楽を展開できる自信がついたのであろう。 Lee Konitz, Richie Kamuca(ts). 1967.9.25, NYC アトランティック盤で終わりにしようと思ったのだが、もう少し 29. Straight Away 後年のものもご紹介することにした。「モーション」は良い作品 from 'The Real Lee Konitz'(Atlantic) だが、ここまでの流れには異色のように思ったので外した。ま Lee Konitz(as), Billy Bauer(g), Peter Ind(b), Dick Scott(ds). ず 1967 年の「Duets」から。相手を取替えながら、デュエットば 1957.2.15, "Midway Lounge", Pittsburg, PA かりを一日で録ったという。発売当初は絶賛されたものだが、 同じくアトランティック・レーベルへの作品「The Real Lee 現在の耳で聴くとやや散漫なところが散見されるように思った。 Konitz」から。コニッツ自ら編集したという力作である。これも 本日はレスター・ヤングがカウント・ベイシー楽団在団中に吹 彼の最良の作品としばしば言われている。 き込んだ有名作を、リッチー・カミューカとのテナー・サックス・ テュオで再現したものをご紹介する。コニッツが先人たちを 30. My Melancholy Baby (意外にも)よく聴いていることが本作でよく分った。 from 'Live At The Half Note' (Verve) Lee Konitz(as), Warne Marsh(ts), Bill Evans(p), Jimmy 34. Garrison(b), Paul Motian(ds). 1959.2.24, "Half Note", NYC from "Impressive Rome" ウォーン・マーシュ(ts)と共にビル・エバンス・トリオと演奏し Lee Konitz(as), (p). 1968.10.12. たライブから。これはリアル・タイムで発表されたものでなく、 最後はフランスの名ピアニスト、マーシャル・ソラールとの 後年「未発表演奏集」として世に出た。いずれもきっちりした デュオをご紹介する。甘さに流されない緊張感ある演奏にな 演奏をする人達なのでまとまりのある内容を期待したのだが、 っている。 以上、お付き合いありがとうございました。

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今後の予定

ジャズスポット「映画館」 電話03-3811-8932

2008年9月19日(金)午後7時~午後10時

特集:レーベル特集(1)コンテンポラリー (ひとり2枚の持寄り)

2008年10月17日(金)午後7時~午後10時

特集:レーベル特集(2)インパルス (ひとり2枚の持寄り)

2008年11月14日(金)午後7時~午後10時

特集:レーベル特集(3)アトランティック (ひとり2枚の持寄り)

「JAZZ COUNTRY」電話03-3572-7684

2008年9月27日(土)午後7時~午後10時

特集:ライブ直前特集「宮之上貴昭&吉岡秀晃」 担当:紅 我蘭堂

2008年10月25日(土)午後7時~午後10時

特集:ソニー・クリス その光と影 担当:JOANIE-S.T.

2008年11月22日 (土) 午後7時~午後10時

特集:あなたも今日は一日ジャズ喫茶マスター 担当:T.S.さん

特集は変更になる場合があります。ホームページで確認してください。

編集後記 ・1998 年 10 月 8 日木曜日、秋風が爽やかな夕方『映画館』でKJFC例会は活動を再開しました。参加者は 8 名、『20 周年ライブの余韻に浸って』というテーマで、最初に掛かったレコードは「嶋津健一&STAN GLEBERT 」でした。以来 10 年間大した アクシデントもなく例会を継続し、9 回の自主ライブを行ってきました。よくぞ続いたと思うとともに、あっという間の 10 年間だった ようにも感じます。でもまあ過去を振り返るだけでなく、これからも気分いい仲間と気持ち良いジャズを聴き続けていきたいと思いま す。・ご意見、ご質問その他ご提案をどんどんお寄せください。(紅)

一緒にジャズを楽しみませんか? KJFC会員募集中

KJFCは心からジャズを楽しむ人の集まりです。オタクはいません。むしろみんなで好きなジャズを勉強して、分か ち合っています。みんなジャズについての素人です。一度例会に遊びにきてください。あなたの好きなジャズが、必ず見 つかるでしょう。 《KJFC の主な活動》 ・ 毎月 2 回のレコードコンサートを主体にした例会(会費月額 500 円) ・年1,2 回自主ライブの主催 ・ 会報 GROOVY の発行 ・ホームページの運営など です。 詳しくはホームページのメールか、090-4178-1833(布田幸雄)まで

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