
E-journal GEO vol.2 (1) 1-24 2007 調査報告 氷河湖決壊洪水の危機にさらされるブータン王国 ―緊急に必要な監視調査― Risks of glacial lake outburst floods threaten Kingdom of Bhutan: necessity of urgent monitoring 岩田 修二 IWATA Shuji 氷河湖決壊洪水(GLOF)による災害はブータンでも発生している.1998 年と 2002 年に筆者を含むグル ープが氷河湖危険度調査を北西―北部ブータンで行った.その結果や過去の衛星画像の解析によると,ブ ータンの GLOF に関して最も危険とされるのはモレーンダム湖である.さまざまな氷河湖は,散らばった 小氷河表面湖群 → 合体して巨大化した氷河表面湖 → 前面に氷体をもつモレーンダム湖 → モレーンの みのダム湖という発達段階のいずれかに位置づけられる.決壊洪水危険度査定のためには,定量的査定が 試みられなければならない.危険な氷河として,ルナナ東部のトルトミ氷河湖,モンデチュウ西支流源頭 部氷河湖群,クリチュウ上流のチベット側氷河湖が挙げられる.モニタリングのための衛星情報の提供, 現地調査の援助,クリチュウ上流チベット側での調査・研究を進めるための中国側との交流が,さしあた って,実施されるべき日本からの貢献になろう. Glacial lake outburst floods (GLOFs) have often caused severe disasters in Bhutan. Research groups including the present author conducted risk assessment of GLOFs in 1998 and 2002 in the northwestern and northern areas in Bhutan. These results and analyses of satellite images indicate that the most dangerous glacial lakes are likely to be moraine-dammed lakes with a large amount of lake water. In general, glacial lakes started as the scattered small supraglacial lakes, and develop a connected large supraglacial lake, and then a frontal dead-ice dammed lake, and finally a moraine-dammed lake. To conduct valid assessment of GLOF, quantitative researches on glacial lakes, moraine dams, and surroundings of lakes and glaciers are required. Dangerous glacial lakes at present are as follows: Thorthomi Glacial Lake in eastern Lunana, glacial lakes in the upper basins of Monde Chu, and those in the upper basins of Kuri Chu, which are located in Tibet on the southern slopes of Kula Kangri. Japanese geographers can assist scientists and officials in Bhutan providing satellite information for monitoring, supporting field researches, and intermediating between Bhutan and China for the research in the Kuri Chu basin in Tibet. キーワード:氷河湖決壊洪水(GLOF),ブータンヒマラヤ,現地調査,災害危険度査定,緊急支援 Key words: glacial lake outburst floods (GLOF), Bhutan Himalaya, field works, risk assessment, urgent support I 1994 年の洪水災害 川の意)が突然増水し洪水を起こしたことでパニ ックに陥った.増水した河水は川沿いに建つ民家 1994 年 10 月 7 日の朝,ブータン王国の古都プナ を押し流し 21 人の住民が死亡した.さらに,川沿 カの住民たちは,街を流れるポチュウ(チュウは いに建つプナカゾンの壁の一部を破壊した(図 1). E-journal GEO 2007 Vol. 2 (1) 図 1 左:1994 年の GLOF のときのプナカの洪水の範囲 右:1958 年のプナカのゾンの写真 右図は西から東方を撮影した.ポチュウがゾンの北側を流れていることに注意(中尾 1958 による).その後,ポ=チュウはゾンの南側に流路変更されたが,1994 年には旧流路を含 めた広い範囲に氾濫した.場所は図 3 に示した. ゾンは城塞・要塞などと訳されているが,宗教と 縮小,氷河湖の拡大にともなって,世界各地から 政治の拠点でもあり街の中心にある大きな城のよ 報告されるようになった.1985 年にはネパールの うな建物である.洪水の最中にプナカから十数キ クンブ地方で完成直後の水力発電所を破壊する氷 ロメートル下流のウオンディホダンで撮影された 河湖決壊が起こり急に注目されることになった テレビ画像をみると,川幅いっぱいに流木が埋め (Ives 1986; Vuichard and Zimmermann 1987).氷河 尽くしている.住民によると死んだ魚もいっぱい 湖決壊洪水は glacial lake outburst flood を略して 浮きあがり,燃料の薪と食料が一度に手に入った GLOF(グロフ)と呼ばれる.ヒマラヤの GLOF に と喜ぶ人もいたという. ついては,カトマンズに長く滞在して防止策を検 この突然の洪水に人びとは当惑した.10 月のブ 討した山田知充による包括的な報告がある ータンは乾季で,洪水の前に上流に大雨が降った (Yamada 1998; 山田 2000). という情報もなかった.しかし,ポチュウの上流 筆者が GLOF,中でもブータンの氷河湖に強い関 に氷河湖があることは知られていたから,氷河湖 心を惹かれるようになったのもこの頃からであっ が決壊したかもしれないと推定され,ブータン政 た.その後,ブータンの氷河や氷河湖,氷河地形 府は 10 月 10 日から 11 月上旬まで調査隊を派遣し の研究を進める機会を得て,現地調査も行った. た.その結果,予想通りポチュウ上流ルナナ地方 この報告では,依然として氷河湖が拡大を続け, のルゲ氷河湖のモレーンダムが崩れて洪水と土石 決壊洪水の危険がなくなっていないブータンヒマ 流が起こったことが明らかになった.この災害は, ラヤの氷河湖の現状を報告し,災害の防止・軽減 現地の新聞『クエンセル Kuensel』で報道されては のために何をすべきかを考えたい.あわせて,こ いたが,世界が広く知ることになったのは『山岳 の機会に,ブータンでの野外調査の実情も断片的 の研究と開発』という学術雑誌に報告(Watanabe だが報告したい. and Rothacher 1996)が掲載された 1996 年になって からであった. II ガンサーの警告 氷河の堰き止めや,モレーンがダムになって形 成される氷河湖の決壊と洪水は古くから知られて 学生時代に,神田の古本屋で偶然手に取ったス いた現象であるが,1980 年代以後,氷河の急激な イス山岳会の年報にブータンヒマラヤの雪峰と氷 - 2 - E-journal GEO 2007 Vol. 2 (1) 河湖のすばらしいカラー写真が載っているのを見 ではなく,過去に起こった氷河湖決壊洪水の情報 つけて衝動的に買った.秋の,氷河と氷河湖のす を掘り起こし,将来,起こるであろう氷河湖決壊 ばらしく透明感ある,しかし哀愁のただよう写真 の危険を強く警告したものであった.しかし,そ である.スイスの地質学者アウグスト=ガンサー の後,ブータンで氷河湖決壊洪水に関する調査は の寄稿であった(Gansser 1970).ガンサーは大学院 1980 年代に予察的な調査がブータン地質調査所に 生の時(1936 年)に単身チベットに潜入し聖山カイ よって行われただけであった. ラスのまわりの地質図を作り(ハイム・ガンサー 1968),その後,『ヒマラヤの地質』(Gansser 1964) III ブータンでの氷河湖調査 という大著を著したヒマラヤ地質学のカリスマで ある.ガンサーは 1965 年,1967 年など数回にわた 1.現地調査を行うまでの経過 ってブータンで地質調査を行い,『ブータンヒマラ 筆者を含む研究グループは,1973 年からネパー ヤの地質』(Gansser 1983)を刊行した.この本に ルヒマラヤで氷河や氷河気候・氷河地形の研究を は写真・スケッチ・地図が多数掲載され,未知の 続けてきた.この研究グループの実質的なリーダ あげた ブータンヒマラヤの登山の資料としても登山家に ーである上田 豊(名古屋大学)は,1970 年代に 広く利用された. ブータンヒマラヤの処女峰登山の登山許可を取る 「ルナナ:ブータン北部の峰・氷河・湖」と題さ ためブータンを訪問したことがあり,ブータンの れたスイス山岳会年報の記事にも,写真ばかりで 氷河研究にひとかたならぬ情熱をもっていた.し はなくスケッチや地図が多く収録されている.中 かし,ブータンでの学術調査は登山以上に許可を でも,彼が 1967 年秋の調査旅行で観察したルナナ 取るのが難しく,これまでも何度か試みたがうま 地方の氷河湖のスケッチマップは当時の氷河湖の くゆかなかった.また,山岳地域でのトレッキン 状態を伝える貴重な情報である.岩田(2005)は , グ(徒歩旅行)もブータン政府が決めた料金が莫 彼のスケッチマップを,1968 年撮影の CORONA 大で,長期の旅行は不可能であった. 衛星の写真と比較してみた.ガンサーのスケッチ 1984 年と 1985 年にブータンで登山活動を行った マップはかなり正確に当時の氷河湖の状態を示し 月原敏博(福井大学)は,ブータン通で毎年のよ ている(図 2). うにブータンを訪れている.月原からの情報によ ガンサーのこの随筆風の紀行文は,ブータン北 って,1997 年の秋,上田はブータンの首都ティン 部ルナナ地方の山や氷河湖の美しさを示しただけ プーに飛び,国際協力事業団(当時)の地質専門 図 2 左:ルナナ東部の氷河湖群のガンサーによる 1967 年のスケッチ(右側がトルトミ氷河,左側 がラフストレン氷河;Gansser 1970) 右:同じ範囲の CORONA 衛星画像(1968 年撮影; 黒枠内が氷河湖) ルナナの場所は図 3 に,詳細図は図 5 に示した. - 3 - E-journal GEO 2007 Vol. 2 (1) 家,茂木 睦の仲介を得て,1998 年からブータン リーダー上田 豊以下,筆者を含む日本側隊員 4 地質調査所とブータンの氷河湖と氷河に関する共 人とブータン側隊員カルマが参加した.多くの氷 同研究を始めることが決まった.現在まで続くブ 河湖を観察するために,ブータンヒマラヤ主脈の ータンでの研究が始まったのである. 南側にそって,ブータン西北のチョモラリ(高度 7,326 m)東麓から,北部のルナナ地方を経て南下 2.1998 年の調査:スノーマン=トレック沿いの するスノーマン=トレックと呼ばれているブータ 氷河湖調査 ン最長のトレッキングコースを歩いた(図 3). 歩 1)調査行程 いた距離は合計 400 km 以上,調査期間の 37 日間 1998 年の調査は,ブータン王国北西部から北部 ほとんど毎日歩きづめだった.トレッキングのマ にかけての広い地域で行った.1994 年の GLOF の ネージメントは,すべてトレッキング会社に任せ 後,ブータン地質調査所は,緊急に SPOT の衛星 た.ガイド,コック,キッチンボーイなど 4 人が 画像とインド測量局の 1:50,000 地形図を用いて氷 食事・キャンプ設営・荷物運搬などの世話をして 河と氷河湖の予察的なインベントリー(台帳+地 くれた.荷物は,高度が 4,000 m 台の前半は馬で, 図)を作成していた.したがって,ブータン全域 5,000 m を超える後半はヤクで運んだ.ブータンで の氷河湖のおおよその情報は明らかになっていた. はネパールのようなポーターによる運搬は一般的 われわれの調査の第 1 の目的は,広く歩いて,な ではなく,荷物は家畜で運ばれる. るべく多くの氷河湖を実際に観察し,氷河湖決壊 1998 年 9 月 11 日,まだ夏の暑い空気の中を,空 洪水の危険度を現地での観察から査定することで 港のある町パロの西,海抜 2,560 m のディゲゾンか あった.第 2 の目的は,危険度の大きな氷河湖で ら歩き始めた.4,000 m まで 3 日間かけて谷沿いに 氷河や湖のやや詳しい観測や今後の調査のための ゆっくり登る予定であったのが,モンスーンの大 観測装置の設置であった. 雨で途中の橋が流されていたため山 越 え の道にな 図 3 ブータン王国全域とルナナ,チャムカールの位置 調査ルートは赤がスノーマン=トレック,青がチャブダ湖へのもの.Pr: パロ, T: ティンプー,Pn: プナカ,C: チャムカール(街),J: ジチュ=ドラモの峠. - 4 - E-journal GEO 2007 Vol. 2 (1) った.2 日目は,朝 2,800 m から出発し,谷の側壁 ャンプから氷河湖に寄り道し,1 日か半日氷河湖の の尾根(4,320 m)を越えて 4,160 m でキャンプする まわりを歩き回って詳しい観察をした.合計 30 の という高山病になるためのような行程であった. 氷河湖を観察対象にした.そして氷河湖ごとに台 その後も連日峠越えが続いた.ブータンを北から 帳個別票(氷河湖データシート)を作成した(表 1). 南に流れるいくつもの谷を横切って西から東に進 2)ルナナ むスノーマン=トレックのルートは連日高い峠を 9月 27 日の朝,5,240 m のガンラ=カルチュン= 越えなければならない.高さ4,000 m 以上の峠を 15 ラ(峠)を越えてルナナ地方に入った.GLOF が心 越えた.最後に越えた峠はトレッキング終了 2 日 配されている湖が最も多く分布するのがルナナで 前の 10 月 15 日に越えたタンペ=ラ(4,600 m)で, ある.ルナナはブータン王国の北部の隔絶された あとは谷沿いに南下した.トレッキングの途中に, 盆地状の地域で,どこから入るにしろ 5,000 m 以上 GLOF の可能性がある氷河湖に来ると,最寄りのキ の高い峠を越えなければならない.これらの峠は, 表 1 氷河湖台帳個別票の例 - 5 - E-journal GEO 2007 Vol. 2 (1) 秋が深まると積雪によって閉ざされてしまうので, 3)ルナナ東部の氷河湖調査 10 月中旬までにはこの地域から出なければならな 1994 年に起こったルゲ湖の氷河湖決壊洪水の爪 い.したがってまだモンスーンの明けていない 9 痕のすさまじさに驚きながら,ルナナに入って 5 月初めから調査を開始した.そのため,調査前半 日後にルナナ東部のタンザ村に到着した.海抜 は雨や雪の中での調査や峠越えが多かった. 4,160 m の広い河岸段丘上に十数軒の石造りの家屋 ガンラ=カルチュン=ラから,激しいあられの が散らばっている.ヤクの飼育と畑作を生業とし 中を氷河の縁を通って下り,懸谷の縁に来ると対 ている村である.この村の背後には氷河湖決壊洪 面の主谷にガンサーが報告したタリナ氷河湖を眺 水を引き起こす恐れのある氷河湖がいくつもある めることができ,いよいよ氷河湖決壊洪水の本場 (図 5).われわれはタンザ村にベースキャンプを ルナナに来たことを実感した.ガンサーが 1967 年 置いて 1 週間調査を行った. に撮った写真では決壊洪水の跡が谷底いっぱいに 地形調査担当の岩田と奈良間千之は,湖の周囲 白い河原として広がっていたが,そこは現在では の高い尾根や山腹斜面に上がって湖背後の氷河と 灌木に覆われていた(図 4).ガンサーによると, 斜面の状態,特に氷河なだれや崩壊の可能性を観 タリナ氷河湖の洪水は 1950 年夏に起こりプナカの 察し(図 6),モレーンを歩き回ってアイスコア(氷 ゾンに被害を与えていた.1994 年のプナカの洪水 核)の存否,モレーンの形成時代の推定(年代資 被害は初めてではなかったのである.ガンサーの 料の測定),モレーンからの漏水の有無などを調 ときと比べると氷河はわずかに後退しているが, べた.雪氷学の上田と坂井亜規子,内藤 望は氷 湖背後の岩壁から氷舌端が湖水に崩落する危険は 河の上を歩き回って,氷河の活動性や構造,消耗 依然として存在している.ルナナの氷河湖を堰き 速度を調査した. 止めるモレーンには大きな裂け目が形成され,湖 湖そのものの調査も行った.10 月 6 日にはゴム 面とモレーンの外側の地面との比高(高度差)は ボートでラフストレン湖に漕ぎ出して水温や水深 ほとんどないのが救いである. を測定した.風のない午前中に測定を終わらせる 図 4 ルナナ地方西部のタリナ氷河湖群 左:1967 年秋(おそらく 10 月)の状態(Gansser 1970).右:1998 年 10 月(岩田撮影). - 6 - E-journal GEO 2007 Vol. 2 (1) 図 5 ルナナ地方東部の氷河・氷河湖群とモレーン群(1998 年の状態) と,そのモレーンダムは厚さが薄く,南側への漏 水も激しい上に,ルゲ湖からの排水路によってモ レーンの根元が侵食される可能性も大きいことが 明らかになった(図 7).ルゲ湖は流出口がモレー ンの崩壊などで堰き止められない限り危険は少な いことが明らかになった.現在のところ,最も注 意して監視するべき氷河湖はトルトミ氷河湖群で あるという結論を得た. 図 6 タンザ村南側の高度 4,716 m 地点からみ 4)湖の流出口の掘り下げ たベチュン氷河(左)とラフストレン ラフストレン湖も危険な湖である.大量の湖水 氷河湖(1998 年 10 月岩田撮影) が蓄えられ背後の氷河と山腹は急峻で雪崩や崩壊 ため,早朝 4 時 20 分,暗いうちからキャンプを出 の可能性がある.ブータン政府は 1996 年から湖の 発し,湖岸でボートを膨らませ,ネパールの氷河 流出口を広げる工事を人海戦術で行ってきた.わ 湖で豊富な経験をもつ坂井が艇長兼測定手として, れわれがタンザ村に到着したときは,3 年間続いた 探検部で川下りの経験豊富な奈良間が漕ぎ手とな 工事が完成した直後で,タンザ村に向かう途中, って観測した.岸辺で内藤と岩田がセオドライト 下山する多くの労働者に会った.彼らにはネパー で位置の測定を受けもった.幸運にも強風が吹か ル系ブータン人が多く含まれていた.賃金をたっ ず無事観測を終えた.懸念されていた,上流側に ぷり貰ったためか皆ニコニコしており,みすぼら 接するトルトミ氷河湖群からの漏水は水温観測の しい身なりにもかかわらず礼儀正しくあいさつす 結果からは認められなかった. る人が多いのに強い印象を受けた. われわれの現地調査によって,トルトミ氷河上 3年間,夏の間に数百人の労働者を使って,人手 に無数にある湖群の拡大速度がたいへん大きいこ による作業だけでモレーンに水路を掘り,3 m 以上 - 7 - E-journal GEO 2007 Vol. 2 (1) 図 7 衛星画像にみる 2001 年のルナナ東部タンザ氷河湖群 ルゲ湖から西方に続く白い土石流跡が 1994 年の GLOF の傷跡.スケールや氷河 湖名は図 5 を参照(Terra 衛星 ASTER 画像 2001 年 11 月). 湖面を下げることができた.この程度の水位低下 ったし,最終日には約束の場所の数キロ手前で荷 ではたいして効果がないのではないかと思われる 物を運ぶのをやめてしまった.しかし,もっとひ かもしれないが,長さ 2 km,最大幅 1 km の大きさ どいトラブルや契約違反はネパールや中国で何度 の湖ではたかだか数メートルでも莫大な水量にな も経験している.われわれの滞在中,タンザの村 り,その効果は少なくない.この工事を担当した 人たちは概して好意的であった.タンザをはじめ ブータン地質調査局の技術者の話では,エンジン としてルナナの人たちに対する評判が悪いのは, つきポンプやサイフォンによる排水では大量の水 ルナナ以外のブータンの人びとの人柄がよすぎる を汲み出せず,結局排水路の掘削に踏み切ったの からであると筆者は考える.家畜での荷運びの引 だそうだ.しかも,外国のひも付き援助を好まな き継ぎや,われわれとは別ルートでルナナに運ば いブータン政府は自分たちの経済力にみあった人 れた荷物の別送もきちんと行われ,タンザのヤク 力での工事に踏み切ったのであった. 使いとのトラブルを除けば,われわれのガイドと 5)ブータンの村と人びと ヤク使いや馬方との口論もなかったし,盗難にも ブータンの人びとは,ルナナが特別な場所であ 遭わなかった.現代文明に汚染されていないとい ると考えている.ルナナは,文化が違う,野蛮だ, う点ではブータンはまさに世界の秘境である. 人が悪い,などと平気で悪口を言う.中でもタン トレッキング中にわれわれを世話してくれたガ ザの村人に対する評価は最低だ.確かに,タンザ イドたちは自然保護には最大限注意し禁欲的であ 村から南下するとき雇ったヤク使いたちとはトラ った.炊事用の燃料は薪ではなくブタンガスを用 ブルを体験した.ガンリンチェンゼ峠の手前の いたし,ゴミや空き缶,空き瓶なども現地に捨て 5,000 m のキャンプで「ここの滞在を 1 日短縮しな ず麻袋に詰めてもち帰った.ガイドたちは酒も飲
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