ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008 ─ 工芸/ CRAFT の行方

木田拓也

はじめに

いまからもう 10年ほど前のことになるが、2002年、ニューヨークのアメリカン・クラフト・ミュージアム ( Museum、略称 ACM)がミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン(Museum of Arts and Design、略称 MAD)へとその名称を変えた。館の名称から「工芸/ CRAFT」という言葉が消え、か わって「アーツ・アンド・デザイン 」となったことは、「工芸/ CRAFT」の先行きに対する悲観的な見方を 象徴する現象として日本の工芸関係者の間でもときに話題に上ったことを記憶する。MADの前身であ るアメリカン・クラフト・ミュージアムは、ニューヨーク近 代 美 術 館の向かいにあって独自の活 動を展 開し てきた工芸美術 館だったが、名称変更を経て2008年 9月にはセントラルパークの南西角に位置するコロ ンバスサークルに面した建物に移転してリニューアルオープンした。以来、これまで以上に活発な活動を 展開して入館者を大幅に増やし、その存在感を高めている。もっとも、名称変更にともなって MAD が 突如「工芸/ CRAFT」を軽視し、アート志向、デザイン志向へと方向転換したというわけではなく、あく までも MAD の展覧会の内容やコレクションの方向性はこれまでの活動の延長線上にあり、「工芸/ CRAFT」を重視していることには変わりはない。ではなぜ、「工芸/ CRAFT」という言葉を使うことをや めたのだろうか。そこにはどのような背景、あるいは、見通しがあったのだろうか。 MAD の創設は1956年 9月にまでさかのぼる。創設以来 56年が経過したことになるが、これまでに 2 回その 名 称を変 更している。1956年 9月の創設時は現代工芸美術館(Museum of Contemporary Crafts、略称MCC)だったが、1979年にはアメリカン・クラフト・ミュージアム(ACM)へと改称、さらに 2002年 に 現 在 の 名 称 ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン(MAD)へと変更した。アメリカン・ クラフト・ミュージアム、および、その 母 体となったアメリカン・クラフト・カウンシル(、略 称 ACC)のあゆみについては、American Craft Museum 25(American Craft Council, 1981)、 The American Craft Museum, 1956-1996: A Brief History of Material Pleasures(American Craft Museum, 1996)、American Craft 誌のACC 創設50周年特集号の年表(‘American Craft Council 1943-1993: A Chronology’, American Craft, Vol.53, No.4, August/September 1993)、‘ Collection Timeline’, Museum of Arts and Design collection Handbook(: Museum of Arts and Design, 2008)などにコンパクトに 整 理されている。本稿ではこれらをふまえつつ、MAD がコロンバスサークルの現在地に移転するまで活動 のあゆみをその名称にしたがって次の四つの段階、すなわち、(1)設立前史:1939-1956、(2)MCC 期: 1956-1979、(3)ACM 期: 1979-2002、(4)MAD 期: 2002-2008―に分けてふりかえるとともに、同館 の 活 動 を 通 じてアメリカにおける「工芸/ CRAFT」の位置についてながめてみたい。

34 1.設 立 前 史: 1939-1956

MAD の前身となる MCC を 設 立 し た アイリーン・オズボ ーン・ウェッブ([Mrs. Vanderbilt Webb]; 1892-1979)は、20世 紀 のアメリカにおけるスタジオクラフト運 動 の 重 要 な 支 援 者 の 一人である(図 1)。1)ウェッブが 長 年 にわたってスタジオクラフト運 動 を支援することになったのは 1929年の世界恐慌に端を発している。 裕福な家庭に生まれたウェッブは経済不況期の慈善事業の一環と して、友 人 の ナンシー・キャンベル(Nancy Campbell)とアーネシュタ イ ン・ ベ ー カ ー(Ernestine Baker)とともに パットナム 郡(Putnam County)の物産を販売促進する活動に取り組むようになり、やがて 自足的な工芸の生産と販売を支援する活動に情熱を傾けるように なった。2)そして、1939年 8月、ウェッブはヴァーモント州シェルバー ン(Shelburne)の夏の別邸に工芸家のグループ3)の代表者を集めて 会合を開き、工芸家同士の連帯をうながすとともに、工芸作品の大 都市での販売を促進すべく、アメリカ工芸家連合(Handcraft Cooperative League of America)を設立した。4)そして 1940年10月 には同連合の工芸販売店「アメリカンハウス(American House)」を 図 1 ア イ リ ー ン・ オ ズ ボ ー ン・ ウ ェ ッ ブ ニューヨーク 54丁目東 7番地に開設、建 築 家フランク・ロイド・ライ (Aileen Osborn Webb[Mrs. Vanderbilt Webb]; 1892-1979) Aileen Osborn Webb トの娘 のフランシス・ライト・キャロー(Frances Wright Caroe)がその at her home in Garrison, New York, 1977,

5) with her dog, Turtle. Source: American Craft, ディレクターを 務 めた(図 2)。 その後 1942年 5月、ウェッブ が 支 援 Vol.53, No.4, August/September 1993, p.133. ©American Craft Council する工芸家連合と、銀行家 J.P. モルガンの娘で、ウェッブとも親しい 友 人 であった アンネ・モルガン(Anne Tracy Morgan: 1873-1952)が 支 援 するアメリカン・ハンドクラフト・ カウンシル(American Handcraft Council、1939年発足)を統合して 図 2 「 アメリカンハウス 」1959年頃、53番街 ア メリカン・クラフツ メン・コ ー ポ ラ テ ィブ・カ ウン シ ル(American 西 44番地 American House, 44 West 53rd Street, Craftsmen’s Cooperative Council、略称 ACCC)が設立され、ウェッ c.1959. Architect: David Campbell 6) ©American Craft Council ブが 会 長となった。 American Craft 誌の前身である Craft Horizons 誌 は、この ACCC から 1942年 5月に創刊された。7) 「アメリカンハウス 」は、その後 1943年10月にはマディソン 街 485 番地へ移転したが、その建物には ACCCと、1943年 5月に手工芸 教 育 の 振 興 を目的としてウェッブ や A・モルガンらによって設立さ れたアメリカ工芸家教育評議会(American Craftsmen’s Educational Council、略称 ACEC)がともに事務所を置いた。さらに 1949年 9月 に「アメリカンハウス 」は52丁目東 32番地に移転したが、ACEC は そこのギャラリースペースで展覧会を展開したほか、収集した図書 資料をライブラリスペースで公開し現代工芸に関する情報提供を 行った。いっぽうの ACCC は「アメリカンハウス 」での工芸品の販売

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008―工芸/ CRAFT の行方 35 と雑誌 Craft Horizons の発行を担当、互いに協調しながら現代工芸を振興する活動を展開した。8) MCC 開館以前に ACEC が行った重要な展覧会のひとつに「ヤング・アメリカンズ(Young Americans)」 展(1950.6.8-9.8)がある。この展覧会は 30歳以下の若手工芸家を対象とした公募展で、第1回展を 1950年 6月に「アメリカンハウス 」で開催、約 200点の応募作品から選ばれた175点が展示された。9)この 展覧会は若手工芸家に作品発表の機会を与えるとともに、同世代の工芸家の作品と自作を比較し分析 する機会を与えることを目的としていた。10) また ACEC は1953年 10月にブルクッリン 美 術 館 で「デザイナークラフツマン USA 1953(Designer Craftsmen U.S.A. 1953)」展(1953.10.16-1954.1.4)を開催した。この展覧会は、(1)アメリカの 工 芸 家 の レベルの高さを示すこと、(2)大衆にすぐれた工芸作品を紹介すること、(3)20世紀半ばのアメリカ工芸 の優秀作品の決定的な記録を残すこと、を目的としており、ACEC は全米各地の工芸関係者に呼びか けておよそ 3,000点の作品を推薦で集め、その中から審査を経て選ばれた243点(203作家)を展示し た。11)この展覧会はシカゴ美術館(Art Institute of Chicago, 1954.3.15-4.26)とサンフランシスコ美術館 (San Francisco Museum of Art, 1954.6.17-8.15)にも巡回した。 1950年代においては手仕事と機械生産の協調路線が模索され、それまでの機械的で精密なモダニズ ムに対抗するかのように、自然素材とその質感、温 かみのあるカーブを備えた有 機的な形 態、作り手の 個性、伝統的な技法など、手仕事にみられる工芸的な要素を取り入れたモダンデザインが台頭をみせる。 釉薬による色調の変化や手仕事による手工芸的な要素が強調されるようになっていたのだが、こうした 傾向は、ニューヨーク近代美術館のデザイン部長エドガー・カウフマン・ジュニア(Edgar Kaufmann Jr.)が 企画した「グッドデザイン 」展(1950-55年)や、手仕事とモダンデザインの融合という課題にかねてから 取り組んできた北欧デザインの影響とみなすことができる。12)外部からながめると手仕事と機械生産が 二分されているかのようにみえるかもしれない。だが、現実には工芸産業の現場では、多くの場合、手仕 事による加工が製造プロセスの重要な部分を占めており、戦後、美術大学にあいついで開設された工芸 コースの卒業生たちが工芸産業の生産現場に入り込み工芸産業に従事していた当時の状況がここには 反映されていた。1950年代は、この展覧名が示すように、工芸家が産業との協働を目指していた「デザ イナークラフトマン 」の時代だった。13)

2.MCC(現代工芸美術館)期: 1956-1979 1955年夏、ウェッブはニューヨーク近 代 美 術 館の二 軒 西 隣りのニューヨーク 53丁目西 29番 地にあっ たヴィクトリア 朝 風 の 建 物 を 購 入 し ACC に寄贈した。14) 1955年10月、ACEC はその名称をアメリカン・ クラフツメンズ・カウンシル(American Craftsmen’s Council、略称ACC、1979年からは American Craft Council)へと変更するとともに、美術館の運営を規約に盛り込み、美術館設立に向けた動きを具体化 させた。15)美術館の開館に向けて初代館長に就任(ただし開館前に辞任)したハーウィン・シェイファー (Herwin Schaefer)は、この新しい美術館の基本的な目的は、芸術的に優れた工芸作品を示すことで工 芸家に創造的な刺激を与え工芸のレベルをあげるとともに、手で作られた温かみのある工芸に対する大

36 衆の関心を高めることにあると考えていた。16) 1956年 9月に現代工芸美術館(MCC)が開館した(図 3)。この美 術館の建物は ACC の理事でもあった建築家デイビッド・キャンベル (David Campbell)のデザインによって 改 装 され 、ピーター・ヴォーコ スによる照明をはじめ、ドア、家具、敷物など建物内の随所に工芸 家の「作品」が配されていた。17) ACC は、「アメリカンハウス 」の運営 や工芸専門誌Craft Horizons の 発 行 や 工 芸 家 に 対 するマーケティン グ 上 のアドバイスに 加えて、MCC での展覧会や教育プログラムな ど、多角的な活動を展開、工芸関係者だけでなく一般の愛好家に 向けた現代工芸の普及活動を展開し、戦後1950年代以降盛り上 がりをみせはじめたアメリカのスタジオクラフト運 動 を 後 押しした 。18) MCC の開館記念展は「変化する世界におけるクラフツマンシップ (Craftsmanship in a Changing World)」展(1956.9.20-11.4)で、314 点(180作家)が出品された。19)この 展 覧 会 は 工 芸 家 が アーティスト 図 3 現代工芸美術館(Museum of Contemporary Crafts)外観 であることを示すと同時に、1950年代のアメリカの工芸家が工芸 Source: American Craft Museum 25, American Craft Council, 1981 産業との協働を模索していた当時の状況を反映したものだった。そ ©American Craft Council の後 MCC は、陶芸、家具、染織、ジュエリー 、金工、プラスチックな ど主として現代工芸に焦点を当てた展覧会を大小含めて年10本程度のペースで開催、その建物を ニューヨーク近 代 美 術 館に売 却する 1978年12月までに 268本の展覧会を開催した。20) MCC が開催した展覧会のうち重要なのは、1969年10月に開催した「オブジェクツ USA(OBJECTS: USA)」展である(図 4)。ちなみにこの展覧会名称に掲げられた OBJECTという言葉は日本で用途のな い工芸を意味する言葉として使われる「オブジェ」と一致するわけではなく、実用的/非実用的を問わ ず、立体的なもの全般を意味する言葉として使用されている。1968年 6月、ジョンソンワックス社 (Johnson Wax)はアメリカの現代工芸家の秀作約100

図 4 「 オブジェクツ USA(OBJECTS: USA)」現代工芸美術館 点を購入して巡回展を開催する計画を発表、7月から (MCC)、1969年10月 Objects: USA, installation view with Maloof cradle in rear 美 術 商リー・ノルドネス(Lee Nordness)とMCC の館 center, Washington Venue(October 3-November 6, 1969). 21) Photograph courtesy private collection Source: Crafting 長 ポール・ J・スミス(Paul J. Smith) が作品選定に Modernism, 2012. ©American Craft Council 着手した。22)「オブジェクツ USA」展 はアメリカの 現 代 工芸のさまざまな潮流を示そうとしたもので、陶芸、 ガラス、金工、木工、染織、ジュエリー、モザイク、プラ スチックなどの工芸諸分野の作品 308点(267作家)で 構成された。この展覧会は、ワシントン DC のスミソニ アン国立美 術 館(National Collection of Fine Arts)で スタートし、およそ 3年間にわたって全 米 21会場を巡 回した後、1972年 6月に MCC で開催され(1972.6.9-

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008―工芸/ CRAFT の行方 37 9.4)、さらにその後はヨーロッパの 10会場を巡回した。1977年にはこの展覧会の出品作のうち 123点が ジョンソンワックス 社 から MCC に寄贈された。この「オブジェクツ USA」展が重要なのは、1960年代後 半にいたり、かつて 1950年代にみられたような産業志向の「デザイナークラフトマン 」の時代から美術志 向の「アーティストクラフトマン 」の時代へと大きく時代が転換したことを決定的に示したことにあった。 かつて1964年、MCC では、「デザイン・フォー・プロダクション:工 芸 家のアプローチ(Designed for Production: Th e Craftsman’s Approach)」展(1964.3.6-5.3)を開催したが、この時期にはすでに美大出身 の工芸家は、工芸産業との協働に興味を失っていることは明らかとなっていた。23)工芸家は、デザイナー としてではなく、アーティストとして 、工芸作品の制作に情熱を傾けるようになっていたのである。という のも、ようやく 1960年 代にはアメリカでも現 代 工 芸 のコレクターが 出 現 、1970年代中ごろから現代工芸 のコレクターが 厚 みを 増し、マーケットが形成されたからである。24) MCC が開催した展覧会を振り返ってみると、陶芸、ガラス、染織、ジュエリー、家具など、工芸の諸 分野の現代作家の展覧会、歴史的な工芸作品を紹介する展覧会、インディアンの 工 芸 など 、幅広く工芸 に関する展覧会を実施している。だが、MCC が開催した展覧会をながめてみてユニークなのは、食べ 物のように、一般的な「工芸/ CRAFT」概念からはみ出すもの、プラスチックのように伝統的には工芸 の素材としてみなされていないものについても展覧会で取り扱い(図 5)、「工芸/ CRAFT」の枠組みを 拡張しようとしていることである。25) コレクションについては、1958年12月 に 陶 芸 家 エドウィン & マリー・シャイヤー(: 1910- 2008; : 1908-2007)の《鉢》(1957年)を 購 入 し て 以 後 、染 織 家 レ ノ ア・ト ニ ー(: 1907-2007)、刺 繍 作 家 マリスカ・カラーズ(Mariska Karasz: 1898-1960)、のちにガラス作 家と し て 大 成 す る ハーヴェイ・リトルトン(: b. 1922)の陶芸作品などを収蔵品に加え、限ら れた予算と限られた収蔵スペースに悩まされながらも、少しづつコレクションを拡大していった。26) いっぽう ACC は MCC でのこうした活動のほかに、1957年 6月にはカリフォルニアのアシロマ (Asilomar)に全米各地から約 450名の工芸関係者を集めて第1回全米工芸家会議「今日の工芸家 (Craftsmen Today)」(1957.6.12-14)を開催したほか、1964年 6月には第 1回世界工芸家会議(World Congress of Craftsmen、の ち に World Craft Council)をニューヨークのコロンビア大学を会場に開催

図5 「 プラスチック 」展、会場風景とポール・J・スミス 館 長 、1968年 (1964.6.8-19)、アメリカから 約 500名、海外から約 Paul J. Smith, in the Plastic as Plastic installation, 1968. Source: Crafting Modernism, 2012. ©American Craft Council 250名が参加し世界各地の工芸家同士の交流を促 した。27)WCC はトロントでの国際会議の開催に際 しては、10周 年 記 念 イベントとして 国 際 工 芸 公 募 展 「手を讃えて(In Praise of Hands)」展を開催した。28) WCC 会員78名から推薦応募された作品をさらに MCC 館 長 の ポール・ J・スミス 、チューリッヒのエリ カ・ビレティア(Erika Billeter)、柳宗理の三人が審 査員となって作品を絞り込み、56カ国の約 600点 が出品された。

38 1976年、85歳となったウェッブは高齢を理由にACC の理事長を辞任 29)、その後任にバーバラ・ ロックフェラーが就任した。30) その後、1978年 8月にACC が所有する53丁目西29番地のMCC の 建物と土地をニューヨーク近代美術館に1,475,000 ドルで売却することになり 31)、同 年 12月 31日、 「ピーター・ヴォーコス(: A Retrospective 1948-1978)」展(1978.10.21-12.31)をもって MCC は閉館した。32)

3.ACM(アメリカン・クラフト・ミュージアム)期: 1979-2002

1979年 5月2日、MCC は通りの向かい側の53丁目西 44番地に移転し、アメリカン・クラフト・ミュー ジアム(ACM)へと名称を変え、「新しい手作り家具(American Furnituremakers Working in Hardwood)」 展を皮切りに展覧会を再開した。ま た 、同 年 6月、ACC が発行する雑誌『クラフト・ホライゾン(Craft Horizons)』は、『アメリカン・クラフト(American Craft)』へと誌名を変更した。33)これらの名称変更のね らいは、「アメリカン・クラフト」という言葉をその美術館と雑誌に冠することで、ACC(アメリカン・クラ フト・カウンシル )との統 一感を打出すことにあった。34) 1979年頃から ACC が所有し ACM が入居している 53丁目西 44番地の建物の周辺で高層ビルの建 設計画が浮上し、1981年 9月、不動産業者は ACC に対して ACM の土地と建物の買取価額として 500 万ドルを提示してきたが、ACC 側は1,000万ドルでも売却に応じられないと対抗した。その後も不動産 業者との交渉が重ねられ、1984年 2月になって、ACC はアメリカン・クラフト・ミュージアムが 入 ってい る53丁目西 44番地を明け渡すかわりに、新しく 53丁目西 40番地にできる 30階 建 てのフットンビル の 北東角の3フロア 分、18,000平方フィートのスペースを分譲所有することで交渉が成立した。1984年 2 月19日に ACMⅠは移転のため休館となったが 35)、すでに1982年以来、ACC はインターナショナル・ ペーパー・カンパニーと契約し、同社のある45丁目西77番地に 3,500 平 方フィートの 展 示 スペースをもつアメリカン・クラフト・ 図 6 アメリカン・クラフト・ミュージアム (ACM)展示風景、1986年 10月 、ア メリ カ ミュージアムⅡ(American Craft Museum II)を開設しており、ACM ン・クラフト・ミュ ー ジ ア ム は 、ニューヨーク 近代美術館の向かいに新しくできたフット の新しい建物ができるまでの間は ACM Ⅱで展覧会を開催した ンビルに移 転 ©American Craft Council (ACMⅡは 1985年 9月に閉館)。 1986年10月26日、アメリカン・クラフト・ミュージアムは、ニュー ヨーク近代美術館の向かいに新しくできたフットンビルに移転した (図 6)。これにより、展示スペースは 11,400平 方 フィートとなり、そ れまでの 4倍となった。36)新館開館記念展として、ポール・ J・スミス 館長の企画で、「アメリカ工芸の現在:身体の詩(American Craft Today: Poetry of the Physical)」展(1986.10.26-1987.3.22)を開催し た。この展覧会は、ACM が新しいギャラリーに移転したことを記念 する展覧会であるとともに、同館の開館 30年周年にあたる記念展 でもあった。

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008―工芸/ CRAFT の行方 39 1980年代におけるアメリカの工芸の現況を鳥瞰しようとするこの展覧会にむけてポール・J・スミスは 2年間かけて陶芸、ファイバー、ガラス、木工、金工、ジュエリーなど諸分野の作品スライド約 5,000点を 検討し、全国各地の工房を訪ね歩いて出品作品の検討を行い、最終的にはベテランから若手まで幅広 い世代の工芸家による作品 279点を選定した。それらを各作家の制作意図に基づいて、次の4 つのグ ループにわけて展 示した。①主張するもの、②実用のためのもの、③器としてのもの、④個人的な装飾と してのもの―企 画 者 であるポール・ J・スミスは 、かつて「工芸/ CRAFT」とは生活に必要なものを制作 することだったが、産業化が進み大量生産されたものがあふれる現代社会においては、「工芸/ CRAFT」とは、手と精神が分断した状態から人間性の回復を目指すものとして価値があり、そのような 意味において工芸は重要な存在意義を備えていると述べている。37) この「アメリカ 工 芸 の 現 在 」展は、アメリカン・クラフト・ミュージアムで 開 催 された 後 、デンバー美術館、 ラグナ 美 術 館、フェニックス 美 術 館 、ミルウォーキー美術 館、JB スピード 美 術 館、ヴァージニア美 術 館に 巡回した。その後、この展覧会を再編した国際巡回展が、1989年 3月パリの装飾美術館から、リスボン のグルベンキアン美 術 館で 1991年1月に終了するまで、約 3年間かけて15都市( パリ、ヘルシンキ、フラ ンクフルト、ワルシャワ、ローザンヌ、モスクワ、アンカラ、オスロ、ゲント、ベルリン 、アテネ、ブラティスラバ 、 ライプツィヒ、バルセロナ、リスボン )を巡回した。そして、この展覧会の出品作品の多くがその後 ACM に寄贈された。 ポール・ J・スミス が 引 退 したあと 、1989年 6月に、フィラデルフィアのペンシルバニア大学の現代美術 館 長を務めていたジャネット・カルドン(Janet Kardon)が ACM の新 館長となった。カルドンは学術的な 調査研究やカタログ出版を重視する姿勢を示し、ACM の存 在感を高めようとした。38) 20世紀の前半の アメリカ工芸史に関する学術的な記録や、戦後のアメリカ工芸の歴史的展開に関する包括的な調査研 究が欠落していることに気が付いたカルドンは、リーダーズダイジェストの 創 業 者 であるリラ・ウォレス (Lila Wallace)の財政支援を受けて、2000年までの 10年間をかけてそれらを振り返る調査研究プロジェ クト「20世紀のアメリカ工芸の歴史:100周年記念事業(Th e History 図 7 『 理想の家庭(Th e Ideal Home: Th e of Twentieth-Century American Craft: A Centenary Project)」を企画 History of Twentieth-century American Craft 1900-1920)』( カタログ 表 紙 )1993年 した。39) 20世紀の工芸をたんに個人の表現としてだけでなく社会の 表現として捉え直そうとする意欲的な取り組みだった。その第一弾 として、1990年1月、「20世 紀 の アメリカ 工 芸 史:無 視 され た 歴 史 」 と題するシンポジウムを ACM にて開催(1990.1.19-20)、さらに、同 年11月には 1900-1918年におけるアメリカの工芸運動についての シンポジウムを行った。 そして、20世紀のアメリカ工芸史を振り返る調査研究事業の一環 として、1993年に「理想の家庭(Th e Ideal Home: Th e History of Twentieth-century American Craft 1900-1920」展(1993.10.21-1994. 2.27)(図7)、1994年に「リバ イバ ル! さまざまな伝統(Revivals! Diverse Traditions 1920-1945)」展(1994.10.20-1995.2.26)、1995

40 年に「マシーン・エイジ の 工 芸(Craft in Machine Age 1920-1945)」展(1995.10.19-1996.3.3)を開催し、 政治、経済、社会、文化などさまざまな観点から工芸を論じた意欲的な論考の充実したカタログを刊行し た。その第 4弾として、「スタジオクラフト 運 動(Studio Craft Movement 1945-1965)」展を1997年10月に 開催する予定だったが、1995年 8月にカルドン 館 長 が 健 康 上 の 理 由 で 辞 任、翌年6月 に ホリー・ハッチ ナー(Holly Hotchner)が新館長に就任し、この「20世紀のアメリカ工芸の歴史」調査研究事業も凍結さ れた。40) そのいっぽうで、1990年11月、ACC は機構改革を発表し、ACM を独立的な提携機関として位置づ け、ACC は ACM に対して美術館スペースを無償で使用することを許可するものの、財政的にも組織的 にも別々に活動を展開していくことになった。41)さらに 1997年、ACM はフットンビルの美術館部分の区 分所有権を ACC から買い取り、ACCとACM の関係はついに分断された。 ACM は1950年代中ごろからいち早く現代工芸に目を向け、その啓蒙活動を行ってきた美術館だっ た。だが、1980年代にはほとんどの美術館に現代工芸がコレクションとして収蔵されるようになり、「工 芸/ CRAFT」はもはや特 殊なものではなくなっていた。42)たとえば、メトロポリタン 美 術 館 では 1987年1 月、ウォレス・ウイング(Wallace Wing)において新しい常設展示コーナーとして「20世紀の工芸とデザイ ン(Decorative and Industrial Design 1900-1986)」が開設され、ウィーン 工 房 、アールデコ、バウハウスの 家具とともに、シーラ・ヒックスの 染 織 作 品 が 展 示 された。この時、展示はされなかったものの同館の現 代美術部門の学芸員クレイグ・ミラー(R. Craig Miller)が中心となって、1979年 あ た り か ら ロバ ート・ アーネソン 、トシコ・タカエズ 、ハーヴェイ・リトルトン 、デイル・チフーリなど 、20世 紀 アメリカを 代 表 する 工 芸 家のマスターピースをコレクションに加えはじめていた。43) このようにアメリカの美術館のなかで、現代工芸が「市民権」を獲 得してくる一方で、「工芸/ CRAFT」という言葉に対する違和感やその位置づけに関する悩みも表面化しはじめていた。例えば、現 代陶芸の画廊を経営しつつ、アメリカの陶芸史研究および批評の第一人者として旺盛な執筆活動を展 開しているガース・クラークは、American Craft(Vol.46, No.6, December 1986 / January 1987)に寄稿し、 自身は「工芸/ CRAFT」という言葉は器物や家具やジュエリーなどのような形状の物に対しては使用す るが、工芸素材を使った彫刻的な立体造形物に対しては「工芸/ CRAFT」という言葉を使用しないと 前置きしたうえで、アメリカの美術館の体系において「装飾美術/ DECORATIVE ARTS」と「美術/ FINE ART」の狭間で適切な位置を見出せないままになっている「工芸/ CRAFT」の位置づけについて 懐疑的な見解を示すとともに、現代美術家が工芸分野に進出して金儲けのためにガラクタのような工芸 品を制作して「荒らし」ている現状を憂慮し、21世紀においても「工芸/ CRAFT」が生き残っていくた めには、「工芸/ CRAFT」に 代 わる言 葉 をつくりだし、「応用美術/ APPLIED ART」の領域の改革者と しての地位を獲得することが必要だと訴えている。44)やがて、ガース・クラークが予見したように、ACM が看板に掲げる「工芸/ CRAFT」という言葉が ACM 内部でも問題となりはじめる。ACM が2000年に 開催した「工芸の定義(Defi ning Craft)」展(2000.2.9-5.5)は、ACM のコレクションに 含 まれる 20世紀 後半の工芸作品150点で、「工芸/ CRAFT」という言葉の定義を再検討し、今日における「工芸/ CRAFT」の存在意義を検討しようとした展覧会だった。

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008―工芸/ CRAFT の行方 41 ACM は1997年頃から館の名称変更に関する議論を重ねていた。45) そして、2001年に「工芸/ CRAFT」という言葉について一般の人を対象にした意識調査を行った。46)何のための調査か、また、調 査主体が誰であるかも被験者には全くわからないようにして「工芸/ CRAFT」という言葉に対する意識 調査を行った結果、いろいろな言葉の選択肢がある中で一番ダサくてイヤというのが「工芸/ CRAFT」 という言葉であることがわかった。そして、「工芸/ CRAFT」という言葉は、色でいえば「ブラウン」を、 感覚的には「スクラッチィ(痒い)」という言葉を連想させるということがその調査から明らかになった。 ニューヨーク近 代 美 術 館の向かいにあった ACM は、確かに立地条件はよかったが、かといってそれほど 入場者が多いわけではなく、スポンサーとしてお金を出そうという企業や人もそれほどいなかった。美術 館の名称変更について ACM は議論を重ねてきたが、この「工芸/ CRAFT」という言葉に対する意識調 査が決定打となり、2002年には理事会のメンバー全員が館の名称から「工芸/ CRAFT」という言葉を 外すことに賛成した。

4.MAD( ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン )期: 2002-2008

2002年10月1日、ホリー・ハッチナー 館 長 が 、「クラフト、アート、デザインは分別不能な連続性のな かにある」と述べ、アメリカン・クラフト・ミュージアムという旧 来 の 館 名 から「工芸/ CRAFT」をはずし、 かわりに「ART」「DESIGN」をつけて館の名称を Museum of Contemporary Arts and Design へと変更す ることを発表 47)、その後同館は名称を Museum of Arts and Designとして新たな歩みをはじめた。 こうした動きと並行して、新しい移転先についても検討を進めていた。コロンバスサークル 2番地に あった旧ハンチントン・ハートフォード美術館(1964年開館)の建物は、かつてのニューヨーク近 代 美 術 館 の建物を設計(1939年)した アメリカ 人 建 築 家 エドワード・ダレ 図8 エドワード・ダレル・ストーン 、旧 ハンチントン・ ル・ストーン(Edward Durell Stone)によるモダニズム建築のひ ハートフォード美術館の建物の外観、1964年。 MAD はこの建物を改装し、2008年 9月に移転、 とつとして、「ロリポップ( キャンディーの 意 )」ビルと呼 ばれラン 開館した。 ドマーク的な存在感を放っており、ニューヨーク市が 所 有し、 同市の文化局が入居していた(図8)。ACM / MADは2001 年 8月、ニューヨーク市に対してこの建 物の売 却を申請、2002 年 6月にはそれが認められ、2005年に1,700万ドルで購入し た。48)旧 ハンチントン・ハートフォード 美 術 館 の 建 物 については アメリカのモダニズム建築を代表する建造物としてそのままの 姿で保存を求める運動も巻き起こったが 49)、ACM / MAD はその反対運動を押し切り、1,200万 ドル をかけて ブラッド・ク ロップフィル(Brad Cloepfi l)に改築設計を依頼した。50) さらに、ACM から MADへの名称 変 更にともない、その基本 理念を「ミッション・ステートメント」として一 文 で 表 現 すること にした。

42 ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン は 、今日のアート、クラフト、デザインの 狭 間 を 探 求し、 職人芸からデジタル技術にいたる幅広いプロセスを通じて素材を変容させてアート作品を作り出す現 代の世界中のアーティストとデザイナーに注目します。 Th e Museum of Arts and Design explores the blur zone between art, craft, and design today and focuses on the ways in which contemporary artists and designers from around the world transform materials into works of art through processes ranging from the artisanal to the digital.51)

MADと名称を変更した同館の新しい方向性を決定的に示したのが、「過激なレース&破壊的編み物 (Radical Lace & Subversive Knitting)」展(2007.1.25-6.17)だった。展覧会タイトルからも連想されるよ うに、ファイバーアートの作品を主としたものだったが、なかには、車 のスクラップ やスコップにレース 状 に穴をあけた作品など、従来の「工芸/ CRAFT」概念からは逸脱する作品などを幅広く取り上げ、レー スと編み物の現況を紹介した。「アート、クラフト、デザインの 狭 間 」に現実に出現している先端的な作 家を取りあげて紹介していくという、MADのめざす新しい方向性を示したこの展覧会に対し、「工芸/ CRAFT」を愛する人たちからは、こんなものは「工芸/ CRAFT」ではないと批 判 するメールが 何 通も送 られてきたという。52)だがなによりも大勢の若者が来館し、批評家の評判も上々で、MADのめざすこの 新しい方向性に確かな手ごたえを得る結果となった。 MADは、2008年 4月、「乾杯! MAD の ゴブレット・コレクション 」を最後に53丁目西 40番地の美術 館を閉じた。そして、同年 9月、MADは、コロンバスサークル 2番地の現在地に移転(図 9)、旧ハンチン トン・ハートフォード美術館の面影を一部とどめながらも、大胆に改築された建物に移転し開館した。建 物は地上 10階、地下 2階で、延べ床面積は54,000平 方 フィートに 増 えた 。1階 にショップ 、2階から 5階 が展示室、6階は招待作家による公開制作を常時行う「オープンスタジオ」、7階 はイベントのための 貸 ス ペース、9階 はセントラルパークを 見 渡 すレストラン 、8階と10階 図9 ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 外 が事務所となり、地下 1階は講堂、地下 2階は収 蔵 庫となった。 観。The Museum of Arts and Design's Chazen また、開館移転と同時に「MAD」というインパクトのある 略 称 と Building, designed by Allied Works Architecture. Photo by Hélène Binet. ロゴマークを前面に押し出し存在感を示した。 コロンバスサークルの現在地に移転したことによって、入館者 はそれまでのおよそ 2倍に増えて年間入館者は約 45万人とな り53)、友の会の会員数もそれまでの3倍の約 9,000人となった。54) このような数字から見れば、アメリカン・クラフト・ミュージアム (ACM)か ら ミ ュ ー ジ ア ム・ オ ブ・ ア ー ツ・ ア ン ド・ デ ザ イ ン (MAD)への名称の変更と、コロンバスサークルへの移転は成功 だったということになる。だがそのいっぽうで、それまで MAD が MCC / ACM 時代に掲げてきた「工芸/ CRAFT」というよ りどころをなくしたことによる迷走を憂慮する声が上がってい ることもまた事実である。55)

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008―工芸/ CRAFT の行方 43 結びにかえて 「工芸/ CRAFT」の変容

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザインという名称を字義どおりに解釈すれば、「アート」と「デザ イン 」を対象とする美術館と思われるかもしれないが、MAD の「ミッション・ステートメント」が示すよう に、MADは「アート、クラフト、デザインの 狭 間 」に関心を向け、展示し、収集の対象としている。その関 心の中心になっているのはやはり、「工芸/ CRAFT」ということになるのだが、アメリカでは「工芸/ CRAFT」という言葉は、安っぽい土産ものや、休日に旅先で趣味的に作られた手作りのものという意味 も含んでいるため、個人作家によって作り出された工芸作品を収集展示する美術館の名称に「工芸/ CRAFT」という言葉を当てることは適切ではない、というのが ACM から MAD への名称変更の主な理 由だった。56)また、2012年 にレンウィックギャラリー(Th e Renwick Gallery)が開館 40周年を記念して開 催した 40歳以下の工芸家による「40アンダー 40(40 under 40: Craft Futures)」展(2012.7.20-2013.2.3) には、「陶芸」「ガラス」「金工」「木工」などといった工芸従来の素材別のサブジャンルにきわめて当てはめ にくい工芸家の作品が多数出品されていた。これもまた「工芸/ CRAFT」のひとつの未来像を示すもの とはいえ、これらの作品が「工芸/ CRAFT」として美術館というシステムのなかですんなり受け止めら れるようになるにはしばらく時間を要するのではないだろうか。だが、「工芸」というジャンルを「美術」の 防波堤として捉える見方が成立するように 57)、それこそが「工芸/ CRAFT」というジャンルをめぐって 繰り返し発生してきた現実ともいえる。MAD が焦点を当てようとしている「アート、クラフト、デザイン の狭間」とは、振り返ってみれば、MCC / ACM / MAD へと名称を変えながら、同館がつねに関心を 向け続けてきた領域ともいえるが、その領域は一定の姿をとどめているわけではなく、つねに変化し続 けていることをこの美術館のこれまでの活動実態が物語っている。「工芸/ CRAFT」とは、「美術」との 関係において成立してきたジャンルといえるが、20世紀後半における「美術」という概念そのものの変容 のなかで、「工芸/ CRAFT」もまたその姿を変容させながら柔軟に存続の可能性を模索してきたことを 示しているといえる。

44 付記

本稿は、平成 24年度学芸員等在外派遣研修(文部科学省)のよる研修成果の一部です。研修中、調査にご協力いただいた Museum of Arts and Design の David McFadden、Dorothy Globus、Lowery Sims、Ron Labaco、Jennifer Scanlan、Th ea Giovannini、Ellen Holdorf、Sophie Henderson、元 American Craft Museum 館長の Paul J. Smith はじめ関係各位に心より感謝いたします。

1) ア イリ ー ン・オ ズ ボ ー ン・ウ ェ ッブ の 人 と な り に つ い て は 、Joyce Lovelace(Interview with Paul J. Smith), ‘Who Was Aileen Osborn Webb?’, American Craft, Vol.71, No.4, Aug/Sep 2011, pp.47-48(http://craftcouncil.org/magazine/article/who-was-aileen- osborn-webb)参照。

2) ‘American Craft Council 1943-1993: A Chronology’, American Craft, Vol.53, No.4, August/September 1993, p.137.

3) アソシエイテッド・ハンドウィーバーズ(Associated Handweavers)、コロンビア・カウンティ・リーグ・オブ・アーツ・アンド・クラフツ (Columbia County League of Arts and Crafts)、コネチカット・クラフトマン(Connecticut Craftsmen)、メ イン・ギ ル ド(Maine Guild)、ニューハンプシャー・リーグ・オブ・アーツ・アンド・クラフツ(New Hampshire League of Arts and Crafts)、ニューヨーク・ ソサエティ・オブ・クラフツマン(New York Society of Craftsmen)、パ ッ ト ナ ム・ カ ウ ン テ ィ・ プ ロ ダ ク ツ(Putnam County Products)、サザンハイランダーズ・アンド・バーモント・クラフツマン(Southern Highlanders and Vermont Craftsmen)。

4) American Craft, Vol.53, No.4, August/September 1993, p.137. なお、同連合の参加団体はその後も増加しており、アメリカ 工 芸 家連合の後身である ACCC の所属団体一覧(Craft Horizons, No.16, February 1947)によれば、1947年 2月の時点で 29団体に なっている。

5) 「アメリカンハウス 」は設立以来約 30年間にわたって活動を続けたが 1971年1月に閉鎖した。前掲註 3、pp.137, 141.

6) Akiko Busch, Th e American Craft Museum, 1956-1996: A Brief History of Material Pleasures, New York: American Craft Museum, 1996, p.14.

7) Craft Horizons 誌のプレ創刊号は、タイトルのない状態で 1941年11月にウェッブが代表を務めていたアメリカ工芸家連合から 発行され、「アメリカンハウス 」の関係者や工芸家などに配布されたが、フランク・ロイド・ライトの姪にあたる Maginel Wright Barney の 発 案によって Craft Horizonsという誌名が付けられた。その後 1979年からは誌名変更して American Craftとなり、現在 も隔月で ACC から刊行されている。

8) 前掲註 4、p.137.

9) 前掲註 4、p.138.

10) Crafts Horizons, Vol.10, No.3, Autumn 1950, p.38. なお、「ヤング・アメリカンズ 」展は1956年までは毎年「アメリカンハウス 」で 開催され、その後 1956年からは MCC に会場を移し、1958、62、68年に開催された。その後は実施形態を変えながら1988 年まで開催され、工芸界の新人発掘に貢献した。前掲註 4、p.138.

11) ‘Designer Craftsmen U.S.A. 1953’, Crafts Horizons, Vol.XIII, No.6, November/December 1953, p.13. なお、同 展 のカタログの 巻 末 リストには 、作品の価額もしくは非売品の表示があり、出品作品は販売されていたことがわかる。

12) Jennifer Scanlan, ‘Handmade Modernism: Craft in Industry in the Postwar Period,’ Jennine Falino and Jennifer Scanlan ed., Crafting Modernism: Midcentury American Art and Design, New York: Museum of Art and Design, 2011, p.100.

13) Glenn Adamson, ‘Gatherings: Creating the Studio Craft Movement’, ibid, p.36. なおその後 1960年にも ACC は「デザイナークラ フツマン USA1960」展(1960.5.27-9.11)をMCC で開催、1,992点の応募作のなかから 114点を展示した。詳しくは、’Designer Craftsmen USA 1960’, Craft Horizons, Vol.XX, No.4, July/August 1960, pp.12-27.

14) この建物購入に関するウェッブの手紙については、Paul J. Smith, ‘Refl ections on the Past and Current Observations,’ Th e Studio Potter, Vol.32, No.1, December 2003, p.6参照。

15) Crafts Horizons 誌においてアメリカ初となる現代工芸美術館の設立計画が報じられている。Crafts Horizons, Vol.XV, No.6, November/December 1955, p.54.

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008―工芸/ CRAFT の行方 45 16) Herwin Schaefer, ‘Th e Museum of Contemporary Crafts,’ Craft Horizons, Vol.XVI, No.2, March/April 1956, p.10.

17) ‘Craft Museum Opens’, Craft Horizons, Vol.XVI, No.6, December 1956, p.41.

18) ちなみに、創刊時(1942年 5月)のCraft Horizons 誌の発行部数は3,500部だったが、1964年 9月には同誌の定期購読会員は 22,835名にまで増加した。

19) 前掲註 4、p.140.

20) 1996年までの展覧会のリストについては、Akiko Busch, Th e American Craft Museum, 1956-1996: A Brief History of Material Pleasures, New York: American Craft Museum, 1996, pp.15-26参照。なお、この展覧会本数には小規模なものや会員向けに実 施されたもの、また、1965年 3月にサンフランシスコに開 館した Museum West(~ 1968年 7月)で行われたものも含まれてい る。

21) ポール・ J・スミスは 1957年に ACC に入り、1960年から MCC の館長のアシスタントとなり、1963年10月以来その後 24年間 (~ 1987年 9月に退職)にわたって MCC / ACC の館長を務めた。同氏については、Robert Kehlmann, ‘Consummate Connoisseur: Paul Smith becomes director emeritus of the American Craft Museum, which he has led since 1963,’ American Craft, Vol.47, No.5, October/November 1987, pp.50-55参照。

22) 前掲註 4、p.140.

23) 前掲註 12、p.105.

24) Paul J. Smith, ‘Refl ections on the Past and Current Observations,’ Th e Studio Potter, Vol.32, No.1, December 2003, p.13. Paul J. Smith, interview, December 26, 2012.

25) 例えば「クッキーとパン:パン屋さんのアート(Cookies and Breads: Th e Baker’s Art)」展(1965.11.19-1966.1.9)では、クッキーや パンを「工芸/ CRAFT」として取りあげており、また、「プラスチック(Plastic as Plastic)」展(1968.11.23-1969.1.12)ではプラス チックを素材に使った家具や建築などを取りあげている。

26) 前掲註 6、p.16。また、MADの 時 系 的 なコレクションの 形 成 については、Jennifer Scanlan, ‘50 Years at the Intersection of Art, Craft & Design,’ SOFA New York 2006, Th e Ninth Annual International Exposition of Sculpture Objects & Functional Art, Chicago: Expression of Culture, Inc., 2006, pp.26-37参照。

27) 世界工芸家会議はその後1966年スイスのモントルー、1968年ペルーのリマ、1970年 ダブリン、1972年 イスタンブール、1974 年トロント、1976年 メキシコシティ、1978年には京都で開催された。京都での会議には約 2,000名が参加した。

28) ちなみに In Praise of Handsという 展 覧 会 タイトル は アンリ・フォシオン(Henri Focillon)のエッセイ Éloge de la mainに由来する。

29) 長 年にわたって ACC の 活 動 を サポートしてきたアイリーン・オウボーン・ウェッブ は 、1979年8月15日、87歳で永眠した。

30) バーバラ・ロックフェラーは 1979年11月まで ACC の理事長を務めた。前掲註 4、p.141。

31) Lisa Hammel, ‘American Craft Museum: A New Era,’ American Craft, Vol.44, No.4, August/September 1984, p.12.

32) 前掲註 4、p.142.

33) 1979年頃、American Craft 誌の販売部数は4万部を超えた。前掲註 4、p.142。

34) American Craft 誌を見る限りでは、この名称変更に関する説明は見当たらないが、この転換期に MCC / ACM の館長を務め ていた ポール・ J・スミスによれば 、ACC の理事会がマディソン街の広告代理店のデイビッド・フィンの提案に基づいて、「アメ リカン・クラフト・カウンシル 」の「アメリカン・クラフト」という名称を、ACC が発行する雑誌と美術館の両方に冠することで、 組織の一体感を対外的に打ち出すという戦略をとることにしたためだという。Paul J. Smith, interview, December 26, 2012.

35) Lisa Hammel, ‘American Craft Museum: A New Era,’ American Craft, Vol.44, No.4, August/September 1984, p.11.

36) ‘A New American Craft museum,’ American Craft, Vol.44, No.2, April/May 1984, p.94.

37) Paul J. Smith, ‘Craft Today: Poetry of the Physical’, American Craft Today: Poetry of the Physical, New York: American Craft Museum, 1986, pp.11-14.

38) ‘Janet Kardon Named Director of American Craft Museum’, American Craft, Vol.49, No.4, August/September 1989, p.10.

46 39) Janet Kardon, ‘A Century Project: Stage One-The Home as Ideological Platform,’ The Ideal Home 1900-1920: The History of Twentieth-century American Craft, New York: American Craft Museum, 1993, p.22.

40) 2011年 10月に開催された「クラフティング・モダニズム展(Crafting Modernism: Mid-century American Art and Design)」 (2011.10.12-2012.1.15)は、10年以上にわたって凍 結されていた 20世 紀 のアメリカ工 芸 史 を 振り返るシリーズの 第 4弾として 企画された。Jennifer Scanlan, interview, November 28, 2012.

41) Akiko Bush, ‘Th e American Craft Museum 1956-1996: A Brief History of Material Pleasures,’ p.12. Supplement to American Craft, April/May 1991.

42) Garth Clark, ‘Comment,’ American Craft, Vol.46, No.6, December 1986/January 1987, p.14.

43) Joyce Tognini, ‘Contemporary Craft at the Met,’ American Craft, Vol.47, No.2, April/May 1987, p.55. なお、メトロポリタン 美 術 館では、現代工芸作品は、現代美術部、ヨーロッパ彫刻装飾美術部、アメリカ 部 、アジア部などに分散して収蔵されてきたとい うのが実態である。Lowery Sims, interview, December 22, 2012.

44) Garth Clark, ibid, p.14, 62.

45) Annual Report 2001-2002, Museum of Arts and Design, 2004, p.7.

46) David McFadden, interview, December 6, 2012.

47) ‘Craft World,’ American Craft, Vol.62, No.6, Dec 2002/Jan 2003, p.8.

48) 前掲註 41、p.7; Helen Peterson, ‘Judges Stick to “Lollipop” Bldg. Plan,’ Th e New York Post, February 2 2005, p.22.

49) ‘,’ Wikipedia、および、http://www.nypap.org/2cc/chronology を参照。

50) Dareh Gregorian and Steve Cuozzo, ‘Sale of “Lollipop” Building Gets OK’, Th e New York Post, February 25, 2005, p.42.

51) Institutional Backgrounder, Museum of Arts and Design. なお、このミッション・ステートメントについては 、次のようないくつか のバリエーションが 認 められる。例えば、同館ホームページの「About MAD」では、Th e Museum of Arts and Design(“MAD”) explores the blur zone between art, design, and craft today. Accredited by the American Association of Museums since 1991, MAD focuses on contemporary creativity and the ways in which artists and designers from around the world transform materials through processes ranging from the artisanal to the digital.(http://madmuseum.org/about)と記されており、同館内で配布され ている展覧会スケジュールのフライヤー On View Th rough February 2013 の「ABOUT MAD」には、Th e Museum of Arts and Design(MAD) explores how craftsmanship, art, and design intersect in the visual arts today. Exhibitions and programs focus on contemporary creativity and the ways in which artists and designers from around the world transform materials through processes ranging from the artisanal to the digital and celebrate the limitless potential of materials and techniques when used by creative and innovative artists.

52) David McFadden, interview, December 6, 2012.

53) 入館者数でみればニューヨーク市内でも五指に入る有力美術館として生まれ変わった。David McFadden, interview, December 6, 2012.

54) Sophie Henderson, interview, December 20, 2012. MAD の友の会( メンバーシップ )は、大きく分けて次の 4段階に分かれてい る。一般会員(年会費 75ドル)、MADコンテンポラリー(年会費 250ドル)、サポーティング(年会費500ドル)、サークル(年会 費1,000ドル/ 2,000ドル/ 5,000ドル)。あくまでもこれは試算だが、単純に一人 75ドルの一般会員で計算しても会費だけ で675,000ドル(約 55,350,000円(1ドル = 82円))の収入となり、重要な収入源の一つとなっている。

55) 例えば、Glenn Adamson, ‘Tsunami Africa’, Art in America, March 2011, p.67.

56) David McFadden, interview, December 6, 2012.

57) 北澤憲昭「『工芸』ジャンルの形成:第三回内国勧業博覧会の分類を手がかりとして」『美 術 史 の 余 白 に:工 芸・アルス・現 代 美 術』美学出版、2008年 9月。

ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン 1956-2008―工芸/ CRAFT の行方 47 Museum of Arts and Design 1956-2008 – “Kogei / Craft ”: Th e Way Ahead

Kida Takuya

In 2002 the American Craft Museum (ACM) changed its name to Museum of Arts and Design (MAD). Th e word “Craft” disappeared from its name. Changing the name to MAD did not refl ect a decision to slight crafts and favor art and design instead. Th e museum stubbornly persisted in pursing the same directions in its exhibitions and collections. Its commitment to the importance of crafts had not changed. Why, then, was it decided to stop using the word “craft”? What was the background or perspective that informed this decision? MAD was founded in September 1956 as the Museum of Contemporary Crafts (MCC). In this essay we trace its history through four periods, each marked by a change in the museum’s name, from 1956 until the museum moved to Columbus Circle in 2008: (1) Pre-founding, 1939-1956; (2) MCC, 1956-1979; (3) ACM, 1979-2002; MAD, 2002-2008. We examine the museum’s activities to investigate the position of crafts in America. In the name Museum of Arts and Design, the words “art” and “design” are likely intended to convey the impression that MAD is an art museum. As indicated in the MAD mission statement, however, MAD “explores the blur zone between art, design, and craft today.” Looking back we notice how that “blur zone between art, design, and craft” has remained the focus of the museum’s interests however its name has changed, from MCC to ACM to MAD. Th e core of that interest has, at the end of the day, remained craft. Th e domain labeled “craft” has, however, never been fi xed. Its continuing changes are the story behind the changing names of the museum now called MAD.

111